南十字星 (映画)

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南十字星
The Southern Cross/The Highest Honor
監督 丸山誠治
ピーター・マックスウェル
脚本 須崎勝弥
リー・ロビンソン
製作 持丸寛二
伊藤武郎
リー・ロビンソン
製作総指揮 持丸寛一郎
出演者 中村敦夫
北大路欣也
ジョン・ハワード
坂上二郎
藤岡琢也
黒木瞳
音楽 佐藤勝
主題歌 西城秀樹
南十字星
撮影 岡崎宏三
ジョン・マックレーン
編集 黒岩義民
配給 日本の旗 東宝
公開 日本の旗 1982年5月15日
上映時間 日本版140分 海外版105分
製作国 日本の旗 日本
オーストラリアの旗 オーストラリア
言語 日本語英語中国語
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南十字星』(みなみじゅうじせい The Southern Cross)は、1982年の映画

東宝創立50周年を記念して制作された、初の日本オーストラリア合作映画。海外では“The Highest Honor”(最高の栄誉)のタイトルで公開された。一方、オーストラリアでは劇場公開されず、テレビでミニシリーズとして放映された[1][2]

概要[編集]

太平洋戦争中、日本の統治下にあったシンガポールを舞台に、日本軍通訳官捕虜のオーストラリア兵の友情を描いた作品。また、撮影当時は宝塚歌劇団月組に在団中だった黒木瞳の映画初出演作品でもある。

劇団四季ミュージカル南十字星』とは、太平洋戦争中の東南アジアが舞台であることや、日本兵が主人公であることで共通点を持つが、ストーリーはまったく異なるうえに関連もない。

西城秀樹が歌った主題歌「南十字星」のシングルは20万枚超の大ヒットとなった[要出典]が、映画は成功とはいかなかった。さらにその後、さまざまな事情からお蔵入りとなり、DVD化は2023年現在も実現していない。

監督の丸山誠治は本作品を最後に引退した。

あらすじ[編集]

太平洋戦争中の1941年日本軍占領下のシンガポールで、港に停泊していた7隻の日本軍の艦船が爆破された。憲兵隊抗日ゲリラ破壊工作とみて、現地の中国系住民らを捕えて拷問するが、それはシンガポール奪還を目指す、“ジェイウィック作戦”(en:Operation Jaywick)と呼ばれる、連合軍の特殊部隊“Zフォース”の仕業だった。

“Zフォース”は翌年、再度作戦を決行するが、日本軍の反撃に遭い、指揮官のペイジ大尉ら10人が捕虜となった。ケンブリッジ出身[3]の通訳官・田宮は憲兵隊の訊問に協力することになったが、かねてから軍の中国系住民らに対する残虐行為に心を痛めていた彼は、安易に拷問に走ろうとする憲兵隊を何とか抑える。自白したペイジは田宮が自分たちを守ったことを知り、2人の間には敵味方を越えた友情が芽生えた。

そして、軍事裁判が始まる。立花検察官はペイジたちの行動を英雄的な行為と讃えたうえで、栄誉ある死刑を求刑、参謀部は斬首刑を宣告した。田宮はせめて銃殺刑にと嘆願するが、聞き入れられなかった。落胆する田宮にペイジは「君の手で天国に送ってくれ」と優しく語りかけ、ペイジは田宮の手で処刑された。

終戦後、連合軍の捕虜となった田宮は捕虜殺害の罪で軍事裁判にかけられ、死刑を求刑されるが、田宮とペイジの間の友情と、斬首がペイジの希望だったことが証明され、田宮は無罪となった。

時は流れ現在、オーストラリアを訪れた田宮は無名戦士の墓に花を供え、ペイジ達の冥福を祈った。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

日本側

オーストラリア側

  • ペイジ大尉:ジョン・ハワードオーストラリア首相を務めたジョン・ハワードとは別人。
  • ライアン中佐:スチュアート・ウィルソン
  • イングルトン少佐:マイケル・アトキン
  • フォールス:スティーヴン・ビスレー
  • ケイリー:トニー・ボナー
  • サージャント:ピーター・ヘヒア
  • ロマ・ペイジ(ペイジ夫人):ダイアン・クレイグ
  • ガブリエル(ライアン夫人):ヴェロニカ・ラング
  • ワーレン曹長:ニール・レッドファーン
  • グーリー軍曹:ティム・エルストン
  • スチュアート伍長:ハロルド・ホプキンス
  • フレッチャー伍長:ゲイリー・ワデル
  • ハーディ伍長:マイケル・ハーズ
  • マーシュ水兵:マーク・ヘンブロー
  • ジョーンズ水兵:アンドリュー・イングリス
  • ヒューストン水兵:バズ・ラーマン
  • カース大尉:アレン・キャッセル
  • ロス:ジェームス・ヒースモア
  • マクドウェル兵曹:スリム・ディグレー
  • マーシャム少佐:ピーター・サムナー
  • ベリーマン水兵:ノエル・ホッダ
  • クリーリー水兵:ジョナサン・スウィート
  • ヤング兵曹:トニー・プレーン
  • ケイン:ワーレン・コールマン
  • モリス:ジョフ・ルー

中国系住民

製作[編集]

曰く因縁のあった幻の企画『あゝ野麦峠』を大ヒットさせた東北電子計算機専門学校理事長と新日本映画の社長を兼ねる持丸寛二は[4][5][6]、『あゝ野麦峠』の続編『あゝ野麦峠 新緑篇』の製作を2ヵ月進めていたところで急に中止させ[5]、代わりに本作を製作した[5]日本オーストラリア合作映画として[5]、1981年5月30日にオーストラリアで調印を済ませ[5]、総製作費は10億円[5]、オーストラリアロケを半分、東京とシンガポールで四分の一ずつを撮り、日本は日本のスタッフが、海外は海外のスタッフが撮ったものを繋ぎ合わる、撮影を1982年4月いっぱいまで行い、1982年5月中旬に東宝系で公開すると1981年の夏の終わり頃公表した[5]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ David Stratton, The Avocado Plantation: Boom and Bust in the Australian Film Industry, Pan MacMillan, 1990 p44
  2. ^ The Highest Honour at National Film and Sound Archive
  3. ^ ペイジが「その英語はオックスフォードで習ったのかね?」と茶化したのに対し、田宮は「失礼な、私が出たのはケンブリッジだ」と答えている。
  4. ^ 「うわさの真相 『あゝ野麦峠メモ』早くもTVへ 劇場の経営者はカンカン シロウト成金の発想との声」『噂の眞相』1980年5月号、噂の眞相、111頁。 
  5. ^ a b c d e f g 高橋英一、西沢正史、脇田巧彦、黒井和男「映画・トピック・ジャーナル 『あゝ野麦峠・新緑篇』スタート」『キネマ旬報』1981年10月上旬号、キネマ旬報社、176–177頁。 
  6. ^ 仙台高等裁判所 平成8年(行コ)16号 判決

外部リンク[編集]