三三七拍子

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三三七拍子(さんさんななびょうし)は、明治大学應援團で考案された応援様式であり、全国に幅広く普及している日本の代表的な応援技法のひとつである。

概要[編集]

三三七拍子は明治大学應援團の初代団長が考案し、1921年大正10年)に初めて披露された[1]。その後、六大学野球などを通じて有名になり、また、卒業生が各地の企業や学校の運動会の応援を指導する際に用いたことで全国的に普及、定着し、日本の代表的な応援手法として、全国各地の学校運動会からプロ野球高校野球オリンピック応援など、各種応援の場で幅広く使用されている。

応援一般に用いられるが、学校行事やスポーツ応援の他、締めや激励、祝勝の時に縁起担ぎ的に使われるケースが多い。西洋音楽の定義の「拍子」とは異なるものである。

起源・歴史[編集]

明治大学應援團(明治神宮野球場)

明治大学應援團・初代団長の相馬基(そうま もとい)が考案し、1921年大正10年)に行われた早稲田大学との対抗試合で初めて披露され[2]、その後、六大学野球などを通じて全国区的な存在となった。

学校行事や一般的な激励、祝勝の席、ビジネスの場における商売繁盛祈念などで縁起担ぎ的な用法で使用されることも多く、更に、東京ディズニーリゾートディズニー・イースターなどアミューズメント施設アトラクションなどにも使用されるなど、利用シーンは多岐に亘り、その影響はスポーツ応援の範疇にとどまらず、文化全般に亘る。

音楽的な影響なども指摘されており、1960年代のグループ・サウンズブームの始まりとされる『フリフリ』(ザ・スパイダース)では、ロック音楽に初めて三三七拍子が取り入れられ、西洋音楽に日本のテイストが加味された斬新なサウンドは、その後一世を風靡するグループ・サウンズの先駆けとなった[3]

音楽的考察[編集]

音楽学者の岩井正浩神戸大学名誉教授、日本民俗音楽学会会長)は、3,3,7の次にそれぞれ間があるため、実質的には四四八拍子にあたると指摘している[4]

更に「三三七拍子」のリズムが、後に作曲された日本の有名な歌謡曲ポピュラーソングに多く組み込まれているとの指摘がある[5]

「三三七拍子」のリズムが組み込まれているとの指摘がある主な楽曲[編集]

ザ・スパイダース

影響・エピソード[編集]

2016年リオデジャネイロオリンピック
  • パナソニック三三七拍子
    松下幸之助が自身の考案により、1931年より松下電器パナソニック)の全社的行事として「初荷」を開始。毎年の仕事始めの日にハッピ姿の社員が荷物を満載し商品名を書いた幕や小旗を取り付けたトラックで賑やかに行進し、販売店で初荷の挨拶状を読み上げ三三七拍子で締めるという内容のもので、松下電器の正月の名物行事として年々盛大に行われ、「初荷」イベントが中止された以降も三三七拍子はパナソニックグループの企業文化として継承されている)[8]
メロディーロード

「三三七拍子」をモチーフにした主な作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 明治大学体育会応援団(スポーツ編)
  2. ^ 明治大学体育会応援団(スポーツ編)
  3. ^ 黒沢進 『日本ロック紀GS編』シンコー・ミュージック、1994年、123頁。ただし発表当時は、グループ・サウンズという概念は完成しておらず、寧ろインストゥルメンタルの演奏を中心とした「エレキバンド」が幅を利かせていた時期である。黒沢進によれば、この曲に対する当時の世間の評価は「エレキバンドが歌も唄いましたよ」という程度ではなかったか、という(黒沢進『熱狂! GS図鑑』「フリフリ」曲紹介の項より)。
  4. ^ 三三七拍子 由来と歌・楽曲まとめ
  5. ^ 2018年6月15日 チコちゃんに叱られる!なぜ応援は三三七拍子?
  6. ^ 黒沢進 『日本ロック紀GS編』シンコー・ミュージック、1994年、123頁。ただし発表当時は、グループ・サウンズという概念は完成しておらず、寧ろインストゥルメンタルの演奏を中心とした「エレキバンド」が幅を利かせていた時期である。黒沢進によれば、この曲に対する当時の世間の評価は「エレキバンドが歌も唄いましたよ」という程度ではなかったか、という(黒沢進『熱狂! GS図鑑』「フリフリ」曲紹介の項より)。
  7. ^ 応援の歴史とエピソード
  8. ^ パナソニック ホールディングス株式会社HP 松下幸之助の生涯

関連項目[編集]

外部リンク[編集]