酒井重知

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酒井 重知(さかい しげとも、元和4年(1618年) - 元禄10年11月11日1697年12月23日))は、江戸時代旗本下総国生実藩の嫡子だった人物。酒井重澄の長男。母は井上正就の娘。通称、牛之助、午右衛門、徳兵衛。養子に酒井重矩金森頼直五男)、酒井重英井上正任五男)がいる。

寛永10年(1633年)父が勤務怠慢との理由で改易されたため、父の実家である飛騨国高山藩主の伯父金森重頼にお預けとなり、金森姓を称する。承応2年(1653年)に許され、翌年2000俵を給された。この際、再び酒井姓に改めている。元禄3年(1690年)に致仕し、家督を養子の重英に譲った。元禄10年(1697年)、80歳で死去。法名は又言。

子孫は2000石の旗本として存続した。