酒井忠実

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酒井 忠実
時代 江戸時代後期
生誕 安永8年10月13日1779年11月20日
死没 嘉永元年5月27日1848年6月27日
改名 直之助(幼名)、忠実
別名 徳太郎、玉助(通称)、以翼、春来窓(号)
戒名 祗徳院殿鷺山源桓大居士
墓所 群馬県前橋市紅雲町の龍海院
官位 従五位下河内守従四位下雅楽頭侍従左近衛少将
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
播磨姫路藩
氏族 酒井氏(雅楽頭家)
父母 酒井忠以松平頼恭の娘・嘉代姫
養父酒井忠道
兄弟 忠道忠実以寧
正室西尾忠移の娘・隆姫
側室:於満寿
采、松平忠固西尾忠受、東、忠讜三宅康直酒井忠嗣正室、桃、九条尚忠室ら
養子忠学万代
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酒井 忠実(さかい ただみつ)は、江戸時代後期の大名播磨国姫路藩酒井家の第4代藩主。雅楽頭系酒井家17代。

生涯[編集]

第2代藩主・酒井忠以の次男。文化11年(1814年)、兄・忠道の隠居後に家督を継ぎ、20年以上にわたって藩政をとった。天保6年(1835年)、57歳で隠居する。家督は先代忠道の八男・忠学(忠実の甥)に継がせた。隠居後、鷺山と号した。

叔父の酒井抱一と交流が深かった。抱一の句集『軽挙館句藻』には、しばしば「玉助」の名で登場し、抱一の部屋住み時代の堂号「春来窓」を継承し、抱一が忠実の養嗣子就任の際に贈った号「松柏堂」を名乗っている。正室の隆姫も抱一から「濤花」の俳号を贈られている。

正室の隆姫は、戦国期の播磨姫路城主・黒田孝高酒井重忠の血筋を引いている。

経歴[編集]

官歴[編集]

系譜[編集]

参考文献[編集]