ナターシャ・ズベレワ

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ナターシャ・ズベレワ
Natasha Zvereva
ナターシャ・ズベレワ
基本情報
国籍 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
 ベラルーシ
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
白ロシア・ソビエト社会主義共和国の旗 白ロシア・ソビエト社会主義共和国ミンスク
生年月日 (1971-04-16) 1971年4月16日(53歳)
身長 174cm
体重 62kg
利き手
バックハンド 両手打ち
殿堂入り 2010年
ツアー経歴
デビュー年 1985年
引退年 2002年
ツアー通算 84勝
シングルス 4勝
ダブルス 80勝
生涯通算成績 1144勝422敗
シングルス 434勝252敗
ダブルス 714勝170敗
生涯獲得賞金 $7,792,503
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1995)
全仏 準優勝(1988)
全英 ベスト4(1998)
全米 ベスト8(1993)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(1993・94・97)
全仏 優勝(1989・92-95・97)
全英 優勝(1991-94・97)
全米 優勝(1991・92・95・96)
優勝回数 18(豪3・仏6・英5・米4)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 優勝(1990・95)
全仏 ベスト8(1992・93)
全英 準優勝(1991)
全米 準優勝(1990)
優勝回数 2(豪2)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 5位(1989年5月22日)
ダブルス 1位(1991年10月7日)
獲得メダル
テニス
オリンピック
1992 バルセロナ 女子ダブルス

ナターシャ・ズベレワロシア語: Ната́лья (Ната́ша) Мара́товна Зве́реваロシア語ラテン翻字: Natalya (Natasha) Zvereva1971年4月16日 - )は、ソビエト連邦(現在はベラルーシ)・ミンスク出身の女子プロテニス選手。1988年全仏オープン女子シングルス準優勝者で、4大大会の女子ダブルスですべてのタイトルを獲得した選手である。1992年バルセロナ五輪女子ダブルス銅メダル獲得もある。自己最高ランキングはシングルス5位、ダブルス1位。WTAツアーでシングルスは4勝どまりだったが、ダブルスで80勝を記録した。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。身長174cm、体重62kg。当初は英語読みの「ナタリア・ズベレワ」と名乗ったが、キャリアの途中で「ナターシャ」に改名した。

来歴[編集]

1985年にプロ入り。1986年から女子国別対抗戦・フェドカップソビエト連邦代表選手となり、1991年ソビエト連邦の崩壊までその位置にあった。1988年全仏オープンで女子シングルス決勝に進出した時、シュテフィ・グラフから1ゲームも奪えずに 0-6, 0-6 (試合時間38分)で完敗した試合は有名である。女子ツアーのシングルスでは優勝4度に対して、準優勝が15度もあった。

ナターシャ・ズベレワは4大大会の女子ダブルスで「18勝」を挙げ、1992年1993年1994年1997年の4度にわたり、4大大会女子ダブルスの年間3冠を獲得している。初優勝は1989年全仏オープンで、シングルス決勝でグラフに屈辱的な敗北を喫した翌年のことだった。1992年全仏オープンから1993年ウィンブルドンまで、女子ダブルス6大会連続優勝の記録を樹立する。1993年1994年1997年には全豪オープンからウィンブルドンまで年間3連勝を挙げながらも、最後の全米オープンを落として、女子ダブルスの年間グランドスラムを逃している。最も息の合うダブルス・パートナーはジジ・フェルナンデスアメリカ)で、前述の連続優勝記録はG・フェルナンデスとのコンビで樹立したものである。1997年全豪オープンだけは、パートナーは当時16歳3か月のマルチナ・ヒンギスであり、最年少女王の「単複2冠」の“お膳立て”の役割を果たしたが、後の全仏オープンウィンブルドンでは再びG・フェルナンデスと組んで優勝した。

彼女は混合ダブルス部門でも、全豪オープン1990年1995年の2度優勝がある。

ズベレワはオリンピックにも、1988年ソウル五輪(ソ連国籍)・1992年バルセロナ五輪独立国家共同体選手としての扱い)・1996年アトランタ五輪2000年シドニー五輪(ベラルーシ国籍)の4度出場を果たしている。2度目の出場だったバルセロナ五輪で、ズベレワはレイラ・メスヒ(ソ連崩壊後グルジア国籍になる)とともに女子ダブルスの銅メダルを獲得した。シドニー五輪ではオリガ・バラバンシコワと組んだダブルスでベスト4に進出。準決勝で敗れた後の銅メダル決定戦でベルギードミニク・ファン・ルースト&エルス・カレンズ組に 6-4, 4-6, 1-6 で敗れ2個目の銅メダルを逃した。

ズベレワの最後のダブルス優勝は、2002年5月にスペインマドリード大会でベテランのマルチナ・ナブラチロワとコンビを組んだ時である。ナブラチロワは2000年秋から、44歳にして再びダブルスに復帰したが、その大先輩と組んで最後のタイトルを獲得した。同年10月下旬の「チューリッヒ・オープン」女子ダブルスで、ズベレワとキンバリー・ポー・メッセーリアメリカ)の組は、準々決勝でエレナ・ドキッチ&ナディア・ペトロワ組に 4-6, 3-6 で敗れた。この試合を最後に、ナターシャ・ズベレワとキンバリー・ポー・メッセーリ、2人の選手が同時に女子プロテニス界を引退したのである。

2010年、ナターシャ・ズベレワはジジ・フェルナンデスとともに国際テニス殿堂入りを果たした。

4大大会ダブルス優勝[編集]

  • 全豪オープン 女子ダブルス:3勝(1993年・1994年・1997年)/混合ダブルス:2勝(1990年・1995年)
  • 全仏オープン 女子ダブルス:6勝(1989年・1992年-1995年・1997年) [4連覇を含む]
  • ウィンブルドン 女子ダブルス:5勝(1991年-1994年・1997年) [4連覇を含む]
  • 全米オープン 女子ダブルス:4勝(1991年・1992年・1995年・1996年)

脚注[編集]


外部リンク[編集]