エルス・カレンズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エルス・カレンズ
Els Callens
エルス・カレンズ
基本情報
国籍 ベルギーの旗 ベルギー
出身地 同・アントウェルペン
生年月日 (1970-08-20) 1970年8月20日(53歳)
身長 178cm
体重 60kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1990年
引退年 2005年(2011年一時復帰)
ツアー通算 10勝
シングルス 0勝
ダブルス 10勝
生涯通算成績 673勝533敗
シングルス 358勝309敗
ダブルス 315勝224敗
生涯獲得賞金 $1,666,023
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(2000)
全仏 2回戦(1995・98-2000)
全英 3回戦(2002)
全米 3回戦(1996)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8(2000)
全仏 ベスト8(1999)
全英 ベスト8(1997・98)
全米 ベスト4(2000)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪 ベスト8(1999・2001・03)
全仏 3回戦(1996・2000)
全英 ベスト4(2002)
全米 ベスト4(2002)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 43位(1997年2月17日)
ダブルス 12位(2001年5月14日)
獲得メダル
女子 テニス
オリンピック
2000 シドニー ダブルス

エルス・カレンズEls Callens, 1970年8月20日 - )は、ベルギーアントウェルペン出身の元女子プロテニス選手。2000年シドニー五輪女子ダブルスで、ドミニク・ファン・ルーストとペアを組んで銅メダルを獲得した選手である。自己最高ランキングはシングルス43位、ダブルス12位。WTAツアーでシングルスの優勝はなかったが、ダブルスで10勝を挙げた。4大大会でも、シングルスは3回戦止まりの成績だったが、2000年全米オープンの女子ダブルスでベスト4進出がある。

来歴[編集]

1990年にプロ入り。カレンズは長い間、女子プロテニス界では地味な存在の選手だった。1991年ウィンブルドンで予選を勝ち上がり、本戦2回戦に進出したが、その次の4大大会シングルス本戦出場は1995年全豪オープンである。1997年1998年の2年連続で、カレンズはウィンブルドンの女子ダブルス準々決勝に進出する。1997年はジンジャー・ニールセン(アメリカ)とペアを組み、1998年ジュリー・アラール=デキュジスと組んだ。全仏オープンの女子ダブルスでは、1999年リタ・グランデと組んでベスト8に入ったが、準々決勝でビーナスセリーナのウィリアムズ姉妹組に敗れている。

エルス・カレンズは2000年、30歳にして世界的な知名度を得た。この年、彼女はドミニク・ファン・ルーストとのペアで全米オープンの女子ダブルス準決勝に進出し、続いて行われたシドニー五輪で女子ダブルスの銅メダルを獲得した。全米オープンの準決勝では、カレンズとファン・ルーストは杉山愛&ジュリー・アラール=デキュジス組に 5-7, 1-6 で敗れている。シドニー五輪では、2人は準決勝でウィリアムズ姉妹組に 4-6, 1-6 で敗れた後、準決勝敗退の2組による「銅メダル決定戦」でベラルーシ代表のナターシャ・ズベレワ&オリガ・バラバンシコワ組を 4-6, 6-4, 6-1 の逆転で破り、ベルギー代表の2人が銅メダルの表彰台に立った。これはベルギーの選手がオリンピックのテニス競技で獲得した最初のメダルである。

この偉業達成の後、カレンズは女子ツアーのダブルスで6つのタイトルを加えた。2000年までに獲得した彼女のダブルス・タイトルは4つであったが、それを上回るペースになる。一緒に優勝したダブルス・パートナーの中には、2002年6月にイギリスバーミンガム大会で組んだ浅越しのぶもいた。2002年日本の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」のダブルスで、ロベルタ・ビンチイタリア)とペアを組んだ準優勝もある。最後はジンバブエカーラ・ブラックとペアを組み、故郷の大会であるベルギーアントウェルペンの「プロクシムス・ダイヤモンド・ゲームス」でダブルス2連覇を達成した。

遅咲きのダブルス選手であったエルス・カレンズは、2005年10月のベルギー・ハッセルト大会を最後に35歳で現役を引退した。最後の大会では、カレンズは後輩選手のキム・クライシュテルスとペアを組み、準決勝でミハエラ・クライチェクオランダ)&アグネシュ・サバイハンガリー)組に 6-7, 6-4, 5-7 で敗れている。カレンズは女子テニス国別対抗戦・フェドカップでも、1994年から現役引退する2005年までベルギー代表選手を務め、ダブルスで「17勝6敗」のチーム最多記録を残した。

カレンズは引退から6年後の2011年に下部ツアーであるサーキット大会のダブルスに出場した。5大会に出場し7勝5敗の成績を残している。

WTAツアー決勝進出結果[編集]

シングルス: 1回 (0勝1敗)[編集]

大会グレード
グランドスラム (0–0)
ティア I (0–0)
ティア II (0–0)
ティア III (0–1)
ティア IV & V (0–0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 1996年10月27日 カナダの旗 ケベックシティ ハード (室内) アメリカ合衆国の旗 リサ・レイモンド 4–6, 4–6

ダブルス: 12回 (10勝12敗)[編集]

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 1996年1月6日 ニュージーランドの旗 オークランド クレー フランスの旗 ジュリー・アラール=デキュジス カナダの旗 ジル・ヘザリントン
オーストラリアの旗 クリスティン・カンス
6–1, 6–0
準優勝 1. 1996年5月19日 イギリスの旗 カーディフ クレー ベルギーの旗 ローレンス・クルトワ アメリカ合衆国の旗 カトリナ・アダムズ
南アフリカ共和国の旗 マリアン・デ・スウォート
0–6, 4–6
優勝 2. 1998年6月14日 イギリスの旗 バーミンガム フランスの旗 ジュリー・アラール=デキュジス アメリカ合衆国の旗 リサ・レイモンド
オーストラリアの旗 レネ・スタブス
2–6, 6–4, 6–4
優勝 3. 1998年11月22日 タイ王国の旗 パタヤ ハード フランスの旗 ジュリー・アラール=デキュジス 日本の旗 平木理化
ポーランドの旗 アレクサンドラ・オルシャ
3–6, 6–2, 6–2
優勝 4. 2000年8月1日 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス ハード ベルギーの旗 ドミニク・ファン・ルースト アメリカ合衆国の旗 キンバリー・ポー
フランスの旗 アン=ゲイル・シド
6–2, 7–5
準優勝 2. 2000年11月5日 カナダの旗 ケベックシティ ハード
(室内)
アメリカ合衆国の旗 キンバリー・ポー オーストラリアの旗 ニコル・プラット
アメリカ合衆国の旗 メガン・ショーネシー
3–6, 4–6
優勝 5. 2001年5月13日 ドイツの旗 ベルリン クレー アメリカ合衆国の旗 メガン・ショーネシー ジンバブエの旗 カーラ・ブラック
ロシアの旗 エレーナ・リホフツェワ
6–4, 6–3
優勝 6. 2001年5月20日 ベルギーの旗 アントワープ クレー スペインの旗 ビルヒニア・ルアノ・パスクアル オランダの旗 クリスティ・ボーグルト
オランダの旗 ミリアム・オレマンス
6–3, 3–6, 6–4
準優勝 3. 2001年9月15日 アメリカ合衆国の旗 ワイコロア ハード オーストラリアの旗 ニコル・プラット スロベニアの旗 ティナ・クリザン
スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク
2–6, 3–6
準優勝 4. 2001年10月28日 オーストリアの旗 リンツ カーペット (室内) アメリカ合衆国の旗 チャンダ・ルビン ユーゴスラビアの旗 エレナ・ドキッチ
ロシアの旗 ナディア・ペトロワ
1–6, 4–6
準優勝 5. 2002年2月3日 日本の旗 東京 カーペット (室内) イタリアの旗 ロベルタ・ビンチ アメリカ合衆国の旗 リサ・レイモンド
オーストラリアの旗 レネ・スタブス
1–6, 1–6
準優勝 6. 2002年4月7日 アメリカ合衆国の旗 サラソタ クレー スペインの旗 コンチタ・マルティネス ユーゴスラビアの旗 エレナ・ドキッチ
ロシアの旗 エレーナ・リホフツェワ
7–6(5), 3–6, 3–6
優勝 7. 2002年6月16日 イギリスの旗 バーミンガム 日本の旗 浅越しのぶ アメリカ合衆国の旗 キンバリー・ポー=メッセーリ
フランスの旗 ナタリー・トージア
6–4, 6–3
優勝 8. 2003年6月15日 イギリスの旗 バーミンガム アメリカ合衆国の旗 メイレン・ツー オーストラリアの旗 アリシア・モリク
アメリカ合衆国の旗 マルチナ・ナブラチロワ
7–5, 6–4
準優勝 7. 2003年8月10日 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス ハード ロシアの旗 エレーナ・ボビナ フランスの旗 マリー・ピエルス
オーストラリアの旗 レネ・スタブス
3–6, 3–6
準優勝 8. 2003年11月2日 カナダの旗 ケベックシティ ハード
(室内)
アメリカ合衆国の旗 メイレン・ツー 中華人民共和国の旗 李婷
中華人民共和国の旗 孫甜甜
3–6, 3–6
準優勝 9. 2004年1月16日 オーストラリアの旗 ホバート ハード オーストリアの旗 バルバラ・シェット 日本の旗 浅越しのぶ
日本の旗 岡本聖子
6–2, 4–6, 3–6
優勝 9. 2004年2月22日 ベルギーの旗 アントワープ カーペット (室内) ジンバブエの旗 カーラ・ブラック スイスの旗 ミリアム・カサノバ
ギリシャの旗 エレニ・ダニリドゥ
6–2, 6–2
準優勝 10. 2004年4月11日 モロッコの旗 カサブランカ クレー スロベニアの旗 カタリナ・スレボトニク フランスの旗 マリオン・バルトリ
フランスの旗 エミリー・ロワ
4–6, 2–6
準優勝 11. 2004年8月15日 カナダの旗 バンクーバー ハード ドイツの旗 アンナ=レナ・グローネフェルト アメリカ合衆国の旗 ベサニー・マテック
アメリカ合衆国の旗 アビゲイル・スピアーズ
3–6, 3–6
準優勝 12. 2004年11月7日 カナダの旗 ケベックシティ ハード
(室内)
オーストラリアの旗 サマンサ・ストーサー アメリカ合衆国の旗 カーリー・ガリクソン
アルゼンチンの旗 マリア・エミリア・サレルニ
5–7, 5–7
優勝 10. 2005年2月20日 ベルギーの旗 アントワープ カーペット (室内) ジンバブエの旗 カーラ・ブラック スペインの旗 アナベル・メディナ・ガリゲス
ロシアの旗 ディナラ・サフィナ
3–6, 6–4, 6–4

4大大会シングルス成績[編集]

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 通算成績
全豪オープン A A A A 1R 1R 1R 1R 2R 3R 2R LQ 2R 1R LQ 5–9
全仏オープン A LQ A LQ 2R 1R 1R 2R 2R 2R LQ LQ 1R 1R LQ 4–8
ウィンブルドン 2R LQ A LQ LQ 1R 2R 1R 1R 2R LQ 3R 2R 2R 1R 7–10
全米オープン A A A LQ 1R 3R 1R LQ 1R 2R LQ 2R 1R 2R LQ 5–8

外部リンク[編集]