長野・愛知4連続強盗殺人事件

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長野・愛知4連続強盗殺人事件
場所

日本の旗 日本: 愛知県長野県

日付 2004年平成16年)1月13日 - 9月7日 (UTC+9)
概要 男Nが強盗目的で愛知県でタクシー運転手1人を殺害した後、長野県飯伊地域独居老人3人を相次いで殺害した[4][5][6]
攻撃側人数 1人
武器 釣り用ナイフ、ロープ(B事件のみ)[7]
死亡者 4人
犯人 男N(各事件当時27歳)
動機 遊興費・女性との交際費などを得るため、働かずに安易に金を得ようとしたこと[8]
対処 逮捕起訴
謝罪 あり
刑事訴訟 死刑執行済み[9]
影響 飯田市の事件では被害者遺族が飯田署の捜査員から犯人視され、真犯人であるNの逮捕後に飯田署長が謝罪した[10]。高森町域で発生した殺人事件は1946年の事件以来58年ぶりで、地域社会に大きな衝撃を与えた[11]
管轄
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長野・愛知4連続強盗殺人事件(ながの・あいち よんれんぞく ごうとうさつじんじけん)は、2004年平成16年)1月13日から同年9月7日にかけて、愛知県春日井市および長野県飯伊地域飯田市下伊那郡高森町)で連続して発生した強盗殺人事件[4]。春日井市でタクシー運転手1人(当時59歳)が、長野県では高齢者3人(飯田市の77歳女性、高森町の69歳男性・74歳女性)が相次いで殺害された[4]犯人の男Nは2007年(平成19年)に死刑判決確定し、2009年(平成21年)1月29日に東京拘置所死刑を執行された(32歳没)[9]

中日新聞』では4つの事件を合わせて長野・愛知連続強盗殺人事件と呼称される[16][17][18]。また地元紙の『信州日報』では特に長野県内で発生した3事件を合わせて飯田・高森連続強盗殺人事件[4][19]飯田市・高森町の連続殺人事件[20]と呼称された。

事件の経緯[編集]

一連の事件の犯人は男N・S(以下「N」、1976年昭和51年〉10月22日 - 2009年〈平成21年〉1月29日[21])である。Nは長野県飯田市出身で[12]、本籍地は飯田市桜町[3]。Nは小学6年生の時に飯田市内の小学校から市立浜市場小学校へ転校、飯田東中学校へ進学した[22]。Nは小学6年ごろから中学3年ごろまでの約4年間、飯田市内の新築の3階建ての家で暮らしていたが、この時期に両親が離婚し、父親の借金や家の売却などで家庭環境は崩壊、N自身も非行を繰り返していた[23]

1992年(平成4年)[24]、飯田東中を卒業したNは地元の土木関係会社などに勤めていたが[12]、スポーツタイプの車を購入した18歳のころから無断欠勤が増え、入社6年目に退職した[24]。その後は他の建設会社などを転々とするようになり[25]、飯田市内のアパートで一人暮らしをしていたが、仕事で腰痛を起こしたことに加え、2002年(平成14年)8月に自損事故を起こした[24]。この事故で首と腰を痛め[25]、腰椎椎間板ヘルニアと頸椎捻挫の診断を受けた[24]。以降は仕事ができず生活費に事欠くようになり、知人や元同僚宅への空き巣に入るようになった[25]。Nは2003年(平成15年)3月20日、3月分の家賃38000円を支払わないままアパートを出てレンタカーを4日間の契約で借りた[24]。そして住み込みで働ける職を探すために愛知県に向かったが、4月下旬に入っても職は見つからず、それ以降は返却期限を過ぎたレンタカーで車上生活を送り、同年5月には飯田市内の民家で空き巣を働いて100万円近くの現金を盗んだ[24]。N本人は同月ごろに睡眠薬で自殺を図ったが未遂に終わり、それ以降は「何かあれば死ねばいいんだ」と思って空き巣や強盗殺人を繰り返すようになったと述べている[26]。その後、Nは鹿児島県まで一人旅をした後、かつての同僚や親族の家などで空き巣を繰り返し、その金で中古車を購入した[24]。また鹿児島への一人旅の帰りに釣具店でナイフを購入し、後の連続殺人で凶器として用いた[7]。一方でNが乗り逃げしたレンタカーは同年9月19日、松本市内のスーパーマーケット駐車場に放置されていたところを発見された[27]

同年9月23日、Nは半年前の3月まで住んでいた飯田市内のアパートの一室に侵入し[24]、現金約1020万3500円と財布2個(約10万5000円相当)を盗む窃盗事件を起こした[28]。その際に得た金は外国製の高級腕時計や車の改造パーツなどの購入費用に充てたり、パチンコやバーなどで遊んだりするのに遣い、3か月後には遣い果たしたという[24]

A事件[編集]

Nは2004年正月明けから、後述するA事件の現場付近にあるスーパー銭湯周辺の路上に軽乗用車を駐め、車内などで生活していた[29]。当時、Nは9月に盗んだ金で遊び歩いていた際に出会った女性(高森町在住)と交際するため、愛知県で働く裕福な男を装っていたが、9月に盗んだ金は遣い果たしており、新たな盗みのために車で愛知県へ赴いていた[7]。事件当日の1月13日、Nは愛知県春日井市内で自転車を盗み、窃盗目的で名古屋駅近くまで行ったものの、乗ってきた自転車を盗まれ、タクシーに乗って強盗をすることを思いつく[29]。同日22時過ぎ、Nはタクシー運転手を殺害して現金を奪おうと考え、釣り用ナイフ(刃渡り13 cm)を持って名古屋市中村区名駅一丁目の路上で男性A(当時59歳)の運転するタクシーに乗車した[29]。Aは個人タクシーの運転手で、普段は深夜から未明にかけて名駅・周辺や自宅に近い平針駅付近で客待ちをしており、事件現場の春日井市は営業エリア外だった[1]

A事件の現場前にあった「春日井市第一介護サービスセンター」[29]

NはAに命じてタクシーを春日井市大泉寺町の路上まで運転させ、22時40分ごろにAの首をナイフで刺して殺害、売上金18000円と運賃4860円、タクシーのエンジンキー、灰皿などを奪った[29]。現場は春日井市大泉寺町1054番地の1地先路上(おおよその座標)で、春日井商業高校(道路の西側に所在)と春日井市第一介護サービスセンター(おおよその座標)の間を走る片側1車線道路(道幅約5 m)の上だった[注 1][1]。現場から東名高速道路春日井インターチェンジ (IC) からは南東へ約800 m離れていた[1]。発見当時、タクシーは道路左側の歩道に沿って北東向きに停まっていた[1]。A事件について、Nは当初から運転手を殺し、免許証を奪って自宅を突き止め、金品を奪うことが目的だったと述べている[30]愛知県警察捜査一課春日井警察署は強盗殺人事件として[1]、春日井署に特別捜査本部を設置して捜査していた[31]

B事件[編集]

NはA事件を起こした後、高森町の女性宅に身を寄せていたが[7]、同年4月26日20時ごろ[32]、飯田市大王路2丁目の民家で[33][2]、独居していた高齢女性B(当時77歳)をあらかじめ用意していたロープで絞殺し、現金約15000円を奪った[32]。Bは2003年5月、Nから「駐車場を借りたい」と車庫証明用の書類を書くよう頼まれていた[7]。Bは自宅敷地内に貸駐車場を持っており、NはBから車庫を借りていることにしてもらっていたが、実際には駐車場を借りてはいなかった[34]。またNは以前、B宅付近に住んでいた[注 2]ことからBが一人暮らしであると知っており、金品を奪う目的でB宅を訪れ、応対したBを絞め殺したと供述している[32]。NはB事件について、以前空き巣事件の被疑者として飯田署から取り調べを受けたことを恨んでいたため、同署の近くで挑発的な行為をしたかったと述べている[30]。また絞殺という殺害手段を選んだ理由については、A事件で刺殺したAが死の間際に吐いた「俺の人生終わりか」という言葉が耳から離れなかったため、同じような言葉を聞かない殺害方法を選んだと述べている[7]

現場は桜町駅JR飯田線)付近の住宅街で、Bは約20年前に夫を亡くしてから1人で暮らしていたが、同じ敷地内の別棟に長女(当時51歳)一家と義弟一家が暮らしており、事件の数年前からは長女に夕食を運んでもらっていた[2]。隣の家に住む長女が4月27日17時40分ごろに夕食を運んだ際、自宅の居間で鼻から血を流して死亡している母Bを発見した[36]。事件後、飯田署は第一発見者であるBの長女に対し、7月ごろまで週1回、朝9時から深夜まで事情聴取を行い、その際に捜査員が「自首しろ」「おまえが犯人だったらいい」などと繰り返し迫ったほか、6月ごろには長女をポリグラフにかけ、反応がなくても「無意識に殺したんじゃないか」などと迫っていた[36]。Bの長女はNが逮捕された後の9月20日、県警から犯人扱いされたとして、捜査協力を求めるため自宅を訪れた署幹部に抗議、刑事課長はBの長女に対し「行き過ぎた捜査については、おわびしたい」と謝罪の言葉を述べた[36]。一方で同署の副署長は『南信州新聞』の取材に対し「第一発見者や親族から繰り返し話を聞くのは当然のこと。犯人扱いするような言動はなかったと考えている」と述べていたが、Bの長女は同紙に対し、ストレスのために鬱病になったことを打ち明け「警察への恨みは忘れられない」と訴えていた[36]。この問題を受けて松本サリン事件の被害者であり、県公安委員を務めていた河野義行が同年10月7日、私人としてBの長女宅を訪れて面談し、「市民にとって大きな負担となる捜査方法は改善すべき」として、公安委員会で警察側に陳謝の要望があったことを報告することを約束した上で、捜査指針(任意の事情聴取の時間にどれほどの制限を設けるべきかなど)の作成を提案する意向も示した[37]。河野は翌8日に開かれた県公安委員会定例会で、任意の事情聴取時間の基準設定など4項目を要望した上で、県警から公式にBの長女へ謝罪するよう提言、これを受けて同月12日には飯田署長がBの長女を訪れて直接謝罪した[10]。河野は2005年(平成17年)7月に任期満了で県公安委員を退任したが、2002年7月から3年間の任期で最も印象に残った仕事としてこの出来事を挙げ、自身の教訓を活かすためにあえて私人としてBの長女から話を聞いたと語っている[38]

一方でBは事件前にNが車庫照明用の書類を書いてもらうために訪れてきた際、Nの名前のメモを残していた[27]。事件後の5月20日、Nは飯田署から事件発生時の居場所について事情聴取され、またB宅から盗んだ貯金箱が入っていた車の中も調べられた[27]。結果、Nには3時間にわたってアリバイがなかったことが判明していたが、車内には当時物が散乱しており、捜査員はその中から貯金箱を見つけられず、Nはそれ以上追及されることはなかった[27]。また、この時には前年から乗り逃げしていたレンタカーの件でも事情聴取され、車が見つかった2003年9月19日までの延滞料金・修理費など計約120万円について、同年7月から2006年(平成18年)8月まで毎月3日に3万円ずつ分割返済することでレンタカー会社と示談したが、その際に会社側から「不払いの時は訴訟も辞さない」と伝えられていた[27]。Nは事情聴取された翌21日、貯金箱を天竜川に捨てている[27]

同年7月の1回目の示談金支払期限日にもNからの入金はなく、この件でNは同月下旬、再び飯田署に呼び出され、署員から厳しい口調で責められていた[27]。結局、この時は8月3日に2か月分を支払う約束をした[27]

C事件・D事件[編集]

しかし金の宛はなく、Nは空き巣で金を得るため、高森町有線放送が発行していた有線電話番号簿で町内の独居老人を特定し、電話帳でその住所を調べた上で、図書館の住宅地図と照合し、周囲に人気のない家を選定した[27]。同年8月6日[39]、Nは標的とした家に空き巣に入ったものの、そこでは金を得られなかった[27]。この家は後述の被害者D宅である[40]。約束期日を過ぎたため、Nは翌週に払うとレンタカー会社に伝えた[27]

Nは同年8月10日19時30分ごろ、フィッシングナイフ(刃渡り約13 cm)を持った上で[41]、飯田市と隣接する下伊那郡高森町出原273番地1(座標)の民家を[42]、金品を奪う目的で訪れた[41]。この家は集落から離れた一軒家で、男性C(当時69歳)が住んでいた[27]。Nは道を尋ねるふりをしてCを玄関先に呼び出し、いきなりナイフでCの左胸を刺して殺害、現金約16万円が入った財布を奪った[41]。その約2時間後、Nはレンタカー会社の飯田営業所に出向いて2か月分の返済金6万円を支払った[27]。Cは日中は在宅していたため、NはC宅を当初、空き巣に入る候補としては考えていなかったという[27]。Cは事件の約10年前に息子を、7年前に妻をそれぞれ亡くしており、事件当時は一人暮らしだった[43]。C事件は8月11日に開かれた寺の集まりにCが参加しなかったことから、不審に思ったCの弟3人が兄であるC宅を訪れた際に発覚した[44]

一方でNはC事件後の8月下旬、同棲していた女性宅を追い出され、3度目の支払期限日となった9月3日には「仕事を辞めたので今月は払えない。来月払う」とレンタカー会社に伝えていた[40]。同年9月7日19時20分[40]、Nは高森町吉田の民家の独居高齢女性D(当時74歳)宅に侵入[3]、C事件と同様の手口でDの左胸をフィッシングナイフで刺して殺害、現金6000円を奪った[40]。Nは当時、2日に1回しか食べられない状態で、犯行時の緊張も感じなくなっていたという[40]。現場はC事件の現場から1.5 kmの距離に位置していた[40]

高森町で発生した殺人事件は、終戦直後の1946年昭和21年)5月10日に同町の前身自治体である市田村で発覚した一家7人殺害事件未解決事件)以来58年ぶりで[11]、8月の事件が戦後2件目、9月の事件が3件目であった[45]。D事件は事件翌日の9月8日昼ごろ、Dの長女が母D宅を訪ねた際に発覚した[46]。Dは天竜自動車学校にパート従業員として勤めていたが、事件の約20年前に夫を亡くし、娘2人も嫁いでいたため一人暮らしだった[47]

独居老人の特定は、同町の有線放送電話番号簿に載っていた、家族構成などの個人情報によるものとされている。

  • 日本で個人情報守秘が広く認識される以前、地方の町村単位で作られていた有線放送電話番号簿では、検索の便宜を図って代表者(世帯主)以外に同居家族欄を設け、同居者全員の氏名を掲載している事例があった(田舎の同じ地区内であると同姓の家が多いことや、3世代同居の多さなどで相手先を探しにくい事情から、利用者からもそのような需要があった)。このような形式の番号簿では、独居者だと家族欄が空欄となるため容易に判別できてしまう。高森町では高森町有線放送農協が有線番号簿を発行し、有線放送の加入世帯や公共機関に約3050冊配布していたほか、未加入者にも1000円で販売していた[35]。この番号簿は公的機関だけでなく、有線放送に加入している企業・家庭の電話番号、世帯主と同居家族の氏名[注 3]、地区名などが書かれたもので、世帯主の名前しかなければその家庭は一人暮らし世帯であるとわかるようになっていた[35]。なお高森町は年齢や住所までは書いておらず、独居老人の特定はできないはずだとしていたが[35]、高森町は事件後に有線電話帳を電話ボックスから回収し、防犯灯の増設、夜間のパトロール、独居高齢者への電灯購入費用補助などを行った[48]

地元住民によれば、同町の現場周辺は夜も鍵をかけないような地域で[49]、地元紙の『信州日報』も飯伊地域は「都会の常識では考えられないほど平和な社会」であり、地域のほとんどが顔見知りであることから、畑仕事に出る際や就寝時にも玄関を施錠しないことが当たり前だったと述べている[50]。そのような地域で例を見ないペースで発生した一連の事件は地元住民たちを疑心暗鬼に陥れ、事件後には住民たちは呼び鈴の音に敏感になり、また客が来てもなかなか玄関を開けなくなったという[51]。また、難を恐れて町外に引っ越した独居老人もいた[40]。町は全世帯に防犯チラシを配布した他、防災無線・広報車で警戒を呼びかけた[40]。高森町周辺では玄関先に防犯灯を設置するなどの自衛策を取る家庭が増えたが、第一審判決が言い渡され2006年5月時点では事件前の平静を取り戻し、防犯意識が緩みつつあったという[20]

逮捕[編集]

長野県警察捜査一課と所轄の飯田警察署は、B事件[52]、C事件、D事件のそれぞれで捜査本部を設置していたが[注 4]、後にすべてNの犯行と判明したことから、NがD事件の被疑者として逮捕された9月17日以降、これら3事件の捜査本部を統合[12]、「飯田市及び高森町における連続強盗殺人事件特別捜査本部」を設置した[4]

Nは同年9月13日、飯田市下久堅の民家へ空き巣に入った[12]。この家はNの元同僚の家で、元同僚は何度も被害に遭っていたことから警察に自動通報される防犯センサーを設置しており、Nが窓ガラスを割って鍵を開けたところでセンサーが作動した[40]。Nは何も取らずに逃走したが[53]、同日22時49分[54]、通報を受けて駆けつけた飯田署員に職務質問され、住居侵入と窃盗未遂容疑で逮捕された[注 5][53][44]。この事件について、N本人は「最初から強盗殺人目的で侵入した。警報機がなかったら、殺していたと思う」「本来は元会社社長宅に入ろうとも計画していた」と述べ、さらに強盗殺人を繰り返すつもりだった旨を供述している[26]。同日当時、C事件からは1か月、D事件からは1週間がそれぞれ経過しており、飯田署が150人態勢で捜査を継続していたが、凶器は発見されておらず、有力な情報提供もなかった[44]。一方で同署はパトロールの範囲を広げ、高森・松川・豊丘・喬木の4町村を中心に警戒を強めていた[44]。県警は当時、この連続殺人事件について市内で発生していた窃盗事件との関連も睨んで捜査しており[3]、その後の取り調べでNはDらの殺害を自供し、飯田市内の山林で凶器のナイフとDのセカンドバッグが発見されたことから、飯田署の捜査本部は同月17日、D事件の強盗殺人容疑でNを再逮捕した[12]

逮捕から3日後[54]、NはB・Cの両事件や、愛知県で発生したA事件についてもそれぞれ自供した[23]。同年10月8日、NはC事件の強盗殺人容疑で特捜本部に再逮捕され、同日には長野地検からD事件の強盗殺人罪で起訴された[14]。同月30日にはB事件の強盗殺人容疑で再逮捕され、C事件の強盗殺人罪で起訴された[32][55]。同月21日、NはB事件の強盗殺人罪と、2003年9月に起こした余罪の窃盗事件で長野地方裁判所へ起訴された[28]。同月24日、NはA事件の強盗殺人・銃刀法違反容疑で愛知県警察に再逮捕され、身柄を拘置先の飯田署から春日井署へ移送された[13]。同月12月15日、Nは名古屋地方検察庁により強盗殺人罪で起訴された[15]

Nは連続殺人の動機について「金を取るには、殺した方が確実だった」と供述し、後の公判でも「人を殺すのは窓を割るのと同じ」と述べていた[56]

刑事裁判[編集]

Nは被害者4人への強盗殺人など、9つの罪に問われた[57]

第一審[編集]

長野県の3事件(B事件・C事件・D事件)は長野地方裁判所へ、A事件は名古屋地方裁判所へそれぞれ起訴されていたが、A事件も長野地裁へ併合され、第一審の審理はすべて長野地裁で一括審理されることとなった[58]

第一審の公判は長野地裁(土屋靖之裁判長)で2005年(平成17年)4月[注 6]から2006年(平成18年)3月まで9回にわたって開かれ[60]、2006年2月8日の論告求刑公判で、長野地方検察庁被告人Nに死刑を求刑した[60][61]。一方で3月22日には弁護人の最終弁論が行われ[60]、弁護人の鈴木栄二は、住居侵入事件で逮捕されたNが強盗殺人4件を自供したことは自首に当たると主張、さらに死刑制度は違憲であるとも主張していた[48]。またNは暴力的な家庭環境の犠牲者であり、自身に不利な供述も積極的に行うなど反省の様子が窺えるとして、寛大な処遇を求めたが[60]、N本人は「死をもって償いたい」と述べていた[48]。またNは最終意見陳述で、被害者遺族に手紙を送る意向を述べていたが、死刑執行まで手紙は遺族には届いていなかった[56]

長野地裁は同年5月17日、Nに死刑判決を言い渡した[57][62]。同地裁は一連の犯行をいずれも計画的なものと認定した上で[8]、住居侵入容疑などで長野県警に緊急逮捕された際の取り調べは余罪も念頭に行われていたが、A事件については取調官がNに対しまったく嫌疑を持っていなかったことなどから、自供は自発的なものであり、自首が成立すると認定した[8]。しかしB・C・Dの3事件については余罪として追及されていた経緯などから、自発的に犯罪事実を申告したとは認められないとして[8]、自首の成立を認めず、これらの事件の自供も犯行から8か月あまりが経過した後であることから、自首による量刑の軽減は相当ではないと判断した[48]。また弁護人の主張していた死刑違憲論も退け、犯行の重大性・悪質性から[48]、情状酌量の余地はないとした[57]。長野地裁における死刑求刑・死刑判決宣告はいずれも、1956年(昭和31年)に長野市で発生した一家4人殺害事件(1957年9月に求刑・第一審判決)以来49年ぶりであった[61][48][62]

弁護人の鈴木は「世界中が死刑廃止に向かう中で、形式的で薄っぺらな内容」と判決を批判し、同日中に東京高裁控訴した[48]

控訴審[編集]

東京高裁で同年10月11日に開かれた控訴審初公判で、Nは死刑という量刑には不服はないが、自分の口で述べたいことがあったから控訴したと述べ、その「言いたいこと」とはA事件の前に犯した別の殺人であると発言した[30]

同月25日の第2回公判で、Nは2003年(平成15年)4月か5月ごろ、福島県福島市付近で返済期限の過ぎていたレンタカーを脇見運転していたところ、見知らぬ女性をはねて「警察に連絡する」と言われたため、窃盗の余罪などが発覚することを恐れて女性をロープで絞殺し、殺害現場から多少離れた山中に遺体を遺棄したと供述した[63]。また、この最初の殺人をきっかけに殺人に対する抵抗が薄れていき、愛知県でA事件を起こしてもわからないと思い、連続殺人へと発展していったと述べていた[63]福島県警察によれば、Nの供述した時期には女性の家出捜索願が8件出されており[63]、県警はこの供述を受けて同年11月9日にNの身柄を福島警察署へ移し、同月13日から20日まで1000人以上の捜査員を動員して大規模な捜査を展開した[59]。しかしこの捜査によっても手掛かりは得られず[64]、Nの身柄は当時収監されていた東京拘置所に戻された[59]。Nはこの殺人の自供は嘘であると供述した上で、このような虚偽供述をした動機については「人を殺したといえば大騒ぎになり、世間や親族が相手にしなくなる。(親族などから)縁を絶たれることで、現実を受け入れて死にたい」[59]「接見や手紙を通じて母親の愛情を感じ、それが負担になった。もう一件殺人を犯したといえば、自分のことを見捨ててくれるだろうと思った」と述べ、嘘であることを打ち明けた理由は寒い中で多数の捜査員が捜査に携わっていることを知り、申し訳なく思ったからであると述べた[26]。また弁護人の松井克允はNのこの供述を受け、Nには反省の念が芽生えつつあるのだろうと述べた上で、幼年期にNが受けた虐待などを踏まえ、情状鑑定などの必要があると述べていたが[63]、後にこの殺人の「自供」が虚偽であったと知り、「正直なところ『バカヤロー』と思った」と述べている[59]

東京高裁(原田國男裁判長)で開かれた第3回公判で被告人質問が行われ、松井は情状鑑定を申請したが、裁判長は却下し、結審した[26]。同日の公判では、原田が被告人質問でNに対し「自殺願望といい、人の命をなんとも思っていないように思える。法的な裁きを受け入れるのが、遺族に対する反省の気持ちだ」と諭す場面があった[26]

死刑確定[編集]

2007年(平成19年)1月22日に控訴審判決公判が予定されていたが、N自身が同月11日付でNが自ら控訴を取り下げたため、死刑が確定した[65][66]。Nは松井に事前の相談をしておらず、また取り下げ後の接見でもその理由を語ることはなかったが、松井はNの刑に服する意思を優先し、異議申し立てなどは行わなかった[65]

死刑執行[編集]

死刑確定から2年後の2009年1月29日、死刑確定者(死刑囚)となっていたNは東京拘置所死刑を執行された(32歳没)[9][67]。同日には名古屋拘置所でもドラム缶女性焼殺事件の犯人2人が、また福岡拘置所でも死刑確定者1人が刑を執行されており、Nを含めて4人の死刑が執行されたことになる[67]

その他[編集]

本事件が発生した前後の2004年8月 - 9月にかけては、加古川7人殺害事件(8月2日発生)、津山小3女児殺害事件(9月3日)、豊明母子4人殺害事件(9月9日)、栃木兄弟誘拐殺人事件(9月12日)、金沢市夫婦強盗殺人事件(9月13日)、大牟田4人殺害事件(9月21日発覚)と、日本各地で被害者が大量に上ったり、幼い子供が犠牲になったりする凶悪な殺人事件が短期間に相次いで発生していた[68]警察庁は『平成16年の犯罪情勢』で、同年に発生した主な殺人事件の事例として、本事件と加古川7人殺害事件、豊明母子4人殺害事件、大牟田4人殺害事件を挙げている[69]

飯田市出身の小説家梓林太郎は本事件の58年前に高森町(当時は市田村)で発生した一家7人殺害事件から着想を得て、推理小説『茶屋次郎シリーズ』の1作『天竜川殺人事件』を執筆し、2006年に発表した[70]。同作中では劇中(時代設定は2006年)から60年前に発生した一家7人殺害事件と、2年前に発生したこの連続殺人事件について言及がなされている[71]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 現場の道路は、現場から約10m先に進むと道幅は3 m程度になって中央線もなくなり、十数メートル進むと住宅密集地に入る場所であり、事件当時は現場近くだけ街灯と家並がなかった[1]
  2. ^ Nが小中学校時代に住んでいた場所からB宅までの距離は約400 mだった[34][35]
  3. ^ 町は家族名を記載した理由を「町民同士の交流のため」と説明していた[35]
  4. ^ B事件の際は「飯田市大王路における老女殺人事件捜査本部」、C事件の際は「高森町における男性殺人事件捜査本部」、D事件の際は「高森町吉田における女性殺人事件捜査本部」という名称で、B・D両事件の本部はいずれも小口彰夫(刑事部長)が捜査本部長を務めた[4]
  5. ^ 緊急逮捕[54]
  6. ^ 初公判は同月21日に開かれた[59]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 『中日新聞』2004年1月14日夕刊社会面15頁「タクシー運転手殺される 首に切り傷 売上金見当たらず 春日井」「夜は交通量少なく 国道への抜け道」「非常通報装置 切った状態か Aさんのタクシー」「『まじめ、トラブルなし』 Aさん 同僚らショック」(中日新聞社)
  2. ^ a b c 『朝日新聞』2004年4月29日東京朝刊長野版1面31頁「自宅で77歳女性絞殺 物色や争った跡なし 飯田 /長野」(朝日新聞東京本社・長野総局)
  3. ^ a b c d e 『南信州新聞』2004年9月19日付(第17827号)1頁「高森独居女性殺害の男逮捕 大王路、出原、愛知の関与も 飯田署捜査本部 連続強盗殺人事件で裏付け」「捜査本部 全容解明に全力」(南信州新聞社)
  4. ^ a b c d e f 『信州日報』2004年12月26日付(第15479号)9頁「連続殺人が地域に衝撃 飯田下伊那ことしの事件簿(1)」「飯田・高森連続強盗殺人事件経過」(信州日報社)
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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]