過去に存在した近畿地区のダイエーの店舗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ダイエー > 過去に存在したダイエーの店舗 > 過去に存在した近畿地区のダイエーの店舗

過去に存在した近畿地区のダイエーの店舗(かこにそんざいしたきんきちくのダイエーのてんぽ)は、株式会社ダイエーおよび子会社の近畿地区における閉鎖店舗を掲載している。

かつてフランチャイズ提携によりダイエーの店舗として営業していた店舗で、フランチャイズ中の閉店、フランチャイズ契約解除による離脱の店舗については過去に存在したダイエーのフランチャイズ店舗を参照。

現行店舗については、ダイエー店舗情報を参照[1]

  • 無印はダイエー。それ以外は基本的にブランド名を記述。
  • 店舗名の後ろについている×は現在建物が解体された店舗。
  • ()内の旧:○○は、運営していた会社の変遷。ただし、閉店直後の運営会社については下記に記述する。
  • SC名称は届出が出ていた店舗のみ可能な限り記述する。

滋賀県[編集]

  • ハイパーマート彦根店 → ディー・ハイパーマート彦根店[2](1995年(平成7年)11月[3] 28日 - 2002年(平成14年)8月[3]彦根市
    店舗面積6,413m2[4]
    当初は直営であったが、1999年(平成11年)8月1日に株式会社ダイエー・ハイパーマートに[広報 1]、さらに2000年(平成12年)9月1日に株式会社ディー・ハイパーマートに移管された[2]
    現在は、2階がBOOKOFF SUPER BAZAAR彦根店、1階がホームセンターナフコ彦根店となっている。ミドリはまだハイパーマートとして営業していた時(2000年(平成12年)秋頃)から入居していたが、2012年(平成24年)4月6日に約500メートル先の滋賀県北部最大の大型商業施設、ビバシティ彦根の中に移転した。ミドリになる前は、この部分にアヤハディオが入っていた。
  • 近江八幡店(1987年(昭和62年)11月20日[5][6] - 2007年(平成19年)2月12日[3][7][8][9]近江八幡市桜宮町202-1 サルビアタウン[6]
    敷地面積約9,000m2[6]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上6階建て塔屋2階[6]、延べ床面積約38,187m2[6]、店舗面積約9,970m2[6](当社店舗面積約6,920m2[6])、駐車台数約1,500台[10]
    ダイエーの滋賀県内初の店舗[3]
    売り場は1階から3階まであった[3]。駐車台数は約1,500台であった[10]
    近江八幡中央商業開発が開発した「サルビアタウン」の核店舗として開業したもので、地元の小売店との共存共栄を掲げていた[11][12]。こうした承認までの経緯は、小売業者の反対を消費者の賛成を背景に乗り越えた形となった[13]
    当店の進出計画は近江八幡市を二分して激しい議論を巻き起こし[14]、商調協はダイエー進出について1985年(昭和60年)1月に結論を出すことが出来ずに結論を持ち越す形となった[15]。その後、規模を計画より縮小して進出を認めること答申が出て[16][17]、1986年(昭和61年)10月16日に正式に進出が了承された[18]
    その後、1990年(平成2年)2月23日に売り場面積を約3,600m2増床して新装開業している[19]
    滋賀県は地元平和堂の牙城で、西友以外の大手スーパーマーケットの進出がほとんどなく、ダイエーも近江八幡店の開店により全国制覇を達成したと言われている。
    閉店後、平和堂が建物を買い取り[20]、3か月かけて大幅に改装、2007年(平成19年)6月1日に平和堂アル・プラザ近江八幡が開業した[21]
    堅田店と同時期に閉鎖される候補に上がっていたが、市中心部の空洞化を懸念する地元からの要望もあり閉店が見送られていた。しかし、近隣にあった市民病院が2006年(平成18年)10月に移転するなど周辺環境の変化もあり閉店。[要出典]
    近江八幡店の閉店により滋賀県からダイエーの本体の店舗は2017年8月11日に瀬田店が出店するまで一度消滅することになる。ダイエーは滋賀県進出に際して平和堂をライバルと想定していたが、皮肉にも平和堂に居抜き出店を許すことになってしまった。[要出典]
  • 堅田店(1988年(昭和63年)11月23日[22][23] - 2005年(平成17年)11月27日[24][25]大津市今堅田2丁目[24]
    ドライブインを兼ねていた「観光デパートサクラ・サクラスーパー」を増床する形で新装開業した「ラックヴュール大津」の核店舗として出店していた[22]
    直営店舗面積約8,493m2[26]。駐車台数は約1,400台であった[22]
    1986年(昭和61年)7月に「さくらショッピング・プラザ」の核店舗として1987年(昭和62年)秋に開業する計画が表面化[27]。その影響で、地元の堅田商工会は会員の一部が、当店の進出に関連する理事会の議事録の内容などを巡って会長を告訴するなど、激しい内部対立が生じた[28]。1988年(昭和63年)1月30日に「さくらショッピング・プラザ」として着工に漕ぎ着け[29]、1988年(昭和63年)11月23日に「ラックヴュール大津」の核店舗として開業した[22][23]
グルメシティヒカリ屋瀬田店
  • ヒカリ屋瀬田店→グルメシティヒカリ屋(旧:グルメシティ近畿、1975年(昭和50年)12月[30] - 1990年(平成2年)4月:ダイエーグループ入り[31][31] - 2016年(平成28年)2月29日) 大津市一里山1-3-1[32]
    ヒカリ屋の本社が置かれた店舗でもあった。[要出典]
    店舗老朽化の為、閉店。建て替えを経て、2017年(平成29年)8月11日に「ダイエー瀬田店」として再開業[広報 2]。近江八幡店の閉店以来、10年半ぶりとなる「ダイエー」店舗での再出店を果たした。
  • 浜大津OPA(1998年(平成10年)3月27日[33] - 2004年(平成16年)3月31日[34])明日都浜大津
    1983年(昭和58年)に都市計画決定された「浜大津駅前B地区」の核店舗として1990年(平成2年)に高島屋が出店することで市街地再開発準備組合と合意し[35]、1991年(平成3年)1月17日に「浜大津駅前B地区市街地再開発組合」が発足[36]。同年7月には商調協で申請通りの店舗面積を認められ[37]、同年度内の着工を目指したが[38]、11月に地権者の権利変換の調整が難航して着工が延期された[39]。1992年(平成4年)8月にバブル崩壊に伴って高島屋が出店辞退を表明し[40]、大津市や再開発組合側は補償交渉を行うと共に[41]、高島屋と競合して出店を目指していた百貨店8社に交渉を持ちかけたが[42]、百貨店で代わりに出典を希望する企業はなかった[43]
    1994年(平成6年)6月に「ダイエーアゴラ」が核店舗として出店することになり[44]、1995年(平成7年)11月27日に起工した[45]
    1997年(平成9年)3月に行われた事前説明会で当店の中にスーパーのダイエーとしても出店すると表明したが、地元の商店街などが強く反発[46]。同年5月に地元の反対は無関係としつつも、スーパーのダイエーの出店を撤回した[47]
    京阪電鉄浜大津駅西側の「明日都浜大津」の核店舗として1998年(平成10年)3月27日に開業し[33]、開業当初は若者を中心として集客して[48] 浜大津駅の利用者数が約2.6倍に伸びた[49]
    しかし、売上が伸び悩んで空き店舗が多く出たことから開業翌年の1999年(平成11年)9月に早くも大津市が対応に乗り出す事態に陥り[50]、そこで、客層を家族向けに転換して集客力を高めることを目指し[51]、2000年(平成12年)5月8日にユニクロやライトオンなどを入居させてカジュアル向けを強化して新装開業した[52]
    だが、2003年(平成15年)には集客力が開業当初の約半分に落ち込んで2階部分の約80%が空き店舗となるなど低迷が続き[53]、2003年(平成15年)3月に撤退を表明し[54]、2004年(平成16年)3月31日に閉店した[34]
    店舗跡は、2003年(平成15年)6月に十字屋の所有する床の持ち分を寄付することを大津市に申し入れ[55]、同年10月に市が受け入れて所有権が移転されることになった[56]
    大津市は福祉関係などの公的施設を9施設入居させて、2006年(平成18年)4月29日に新装開業したが、新規出店は皆無で1階の約40%が空きフロアのままとなった[57]
    その後、2006年(平成18年)12月2日に核店舗としてコジマNEW大津店が1階に出店したが[58]、2012年(平成24年)9月23日に閉店した[59]

京都府[編集]

ダイエー藤森店
  • 藤森店×(1975年(昭和50年)6月28日[60] - 2013年(平成25年)5月6日[広報 3][61]京都市伏見区深草キトロ町82[60][62] SC名称:藤の森ショッパーズプラザ[62]
    敷地面積約10,164m2[62]、鉄筋コンクリート造4階建て・塔屋1階[62]、延べ床面積約12,914m2[62]、店舗面積約6,910m2(直営5,651m2[広報 4]、駐車台数約200台[60]
    京阪藤森駅前に出店しており[63]、3階にフィットネスクラブなども入居していた[広報 4]
    店舗跡は、長谷工コーポレーションと京阪電鉄不動産、名鉄不動産が分譲マンションを計画[63]
  • サカエ京極店[64]→グルメシティ京極店[64](1967年(昭和42年)4月[65] - 2014年(平成26年)7月31日[64][広報 5]) 京都市中京区六角通り寺町東入桜ノ町420[66] 京都松竹ビル[65]
    地下1階地上3階建てに店舗が所在した[64]。建物の老朽化と利用者激減のため[64] 2014年7月末で閉鎖された[広報 5]
    延べ床面積約5,291m2[65]、店舗面積1,849m2[66] → 2,196m2[65]
    閉店時の直営店舗面積約1,933m2[広報 5]
  • グルメシティヒカリ屋山科店(旧:ヒカリ屋→グルメシティ近畿(?-2018年 (平成30年) 11月[広報 6]30日[要出典]閉店)京都市山科区椥辻草海道町15[32]
    店舗老朽化の為、2018年11月30日閉店。建て替えを経て、2019年12月6日に「イオンタウン山科椥辻」の核店舗として、「イオンフードスタイル山科椥辻店」名義で再開業[広報 6]
  • ヒカリ屋京都店→グルメシティヒカリ屋京都店(旧グルメシティ近畿)(?-?)京都市北区鞍馬口通室町東入小山町[32]
    「鞍楽ハウディ」2階のテナントとして衣料品のみを取り扱っていた。2016年 (平成28年) 12月31日をもって閉店した。[要出典]
  • グルメシティ西大路店 (2012年 (平成24年) 10月17日[67] - 2022年 (令和4年) 10月31日[68]) 京都市南区吉祥院清水町36[要出典]
    地上2階建[68]、売場面積約580m2[68]
    大黒屋西大路店跡へ居抜き出店した[67]
  • サカエ男山店(1982年(昭和57年)-1994年)八幡市男山笹谷4-4[要出典]
  • サカエ京都七条店(1971年(昭和46年)12月[69]-?[要出典])京都市下京区西七条北衣田町49[66][69]
    延べ床面積約5,043m2[69]、店舗面積1,706m2[66] → 2,816m2[69]

大阪府[編集]

大阪市[編集]

旭区[編集]

  • 千林駅前店(1957年(昭和32年)9月23日[70][71] - 1974年(昭和49年)9月29日[72]大阪市旭区千林町3-236[73]
    店舗面積87m2[70]
    千林商店街にあったダイエーの第1号店[71]。開店当初は「主婦の店ダイエー薬局」と称し、いわゆるドラッグストアであった[71]。のちに「ダイエー千林駅前店」となったのち閉店した[74]。店舗跡はマクドナルドのハンバーガー店となり[74]、2012年時点でも建物が現存して同じドラッグストアとなっている[75]
    後に開業した千林店に統合される形で閉店した。閉店後は、マクドナルド、ロッテリア、無名ハンバーガー店、喫茶店、お持ち帰り寿司店、中華惣菜店など飲食店に姿を変えた。1998年(平成10年)に協和商事が運営するドラッグストア「オーエス京阪千林店」が開店し現在に至る。[独自研究?]建物は20余年を経て、ダイエー・主婦の店と同じ業態に先祖返りしている[76]
  • 千林店 → トポス千林店(1961年(昭和36年)7月10日[77] - 1984年(昭和59年)2月業態転換[78] - 2005年(平成17年)10月31日[79]) 大阪市旭区千林2丁目13番24号[77][80] SC名称:樋口ビル[65]・千林ショッパーズ
    鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建て[81]、延べ床面積約6,261m2[65]、店舗面積4,342m2[80]
    1931年昭和6年) の高架化移転以前の京阪電鉄森小路停留所(現在の千林駅)跡地[82] で開業した映画館「千林松竹」跡に開店[83]。1984年(昭和59年)5月2日にトポスに業態変更。閉鎖当時までは現存店舗で最古であったため、大変狭くて、品揃えも少なく、隣接地である鶴見区と守口市にイオンなどの郊外の大型店に客足を奪われ2005年(平成17年)2月期の売上高はピーク時の3分の1以下の19億円となった為、創業者の中内㓛の逝去直後に創業の地から撤退した[84]閉鎖後の建物は3年間手付かずの状態だったが、2009年(平成21年)秋までに取り壊されて跡地には延田エンタープライズのパチンコ店「123千林店」が2010年(平成22年)1月に新築開業した。[独自研究?]
  • 千林家具センター
    売場面積約440m2[85]
    跡地は東洋学園高等専修学校[独自研究?]
  • サカエ旭店 → グルメシティ旭店 (1999年 (平成11年) 10月 - 2020年 (令和2年) 8月17日閉店) 大阪市旭区中宮1-10-15

[86]

淀川区・東淀川区[編集]

  • 三国店 → グルメシティ三国店×(1960年(昭和35年)11月17日[77] - 2002年(平成14年)11月29日[87]淀川区西三国4-8-10[77] SC名称:三国ショッパーズプラザ(旧SC名称も同名を使用)
    売場面積約715m2[88] → 約1,852m2[88]
    三国ビルの1階から3階に出店しており[88]、当社初の生鮮食料品を主力とする店舗として開店した[89]
    1973年(昭和48年)11月30日に増床して新装開店した[88]
    2019年(平成31年)3月1日に山陽マルナカからダイエーへ譲受された「マルナカ三国店」(大阪市淀川区十八条2丁目18-48)が2021年(令和3年)12月1日に屋号変更し、(2代目)「ダイエー三国店」となった。[要出典]
  • 上新庄店(1980年(昭和55年)5月2日[90] - 2005年(平成17年)10月31日[79]) 大阪市東淀川区大隈1-6-12[90] SC名称:レインボープラザ上新庄[90]
    かみしんプラザ(旧ダイエー上新庄店)
    敷地面積約10,716m2[90]、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建て塔屋1階[90]、延べ床面積約17,971m2[90]、店舗面積約10,682m2[90](当社店舗面積約5,940m2[90])、駐車台数約300台[90]
    株式会社 三津富が所有する「レインボープラザ上新庄」内に出店[91]。現在はかみしんプラザ。
    店舗面積9,519m2[65]、延べ床面積約18,931m2[65]

都島区・城東区[編集]

  • サカエ友渕店 → グルメシティ友渕店(1977年(昭和52年)1月[91] - 2009年(平成21年)2月22日) 大阪市都島区
    グルメシティ近畿の店舗。
  • 京橋店(1971年(昭和46年)11月26日[92][93] - 2016年(平成28年)2月29日) 大阪市都島区片町2-3-51[92][93] SC名称:京橋ショッパーズプラザ[92]
    敷地面積約15,029m2[92][93]、鉄筋コンクリート造地上6階建て塔屋1階[93]、延べ床面積約35,906m2[92]、店舗面積約19,702m2[92] → 22,769m2[94](直営店舗面積約13,074m2[94])。
    ダイエーの旗艦店の一つであった。2016年(平成28年)3月1日に本州の総合スーパー29店舗が「イオンリテールストア」に承継されて[95]、運営がイオンリテールへ移行し[96]、同年3月10日にイオン京橋店として新装開店した[96](その後、2019年9月30日を以って再開発のため完全閉店)[要出典]
  • サカエ京橋店 → グルメシティ京橋店(旧:丸栄商事、1975年(昭和50年)1月[97] - 2011年(平成23年)10月31日) 大阪市城東区蒲生町3-15[98]
    店舗面積約426m2[98]
    グルメシティ近畿の店舗。食品中心の小型スーパーであった。丸栄商事の「マルエー京橋店」として開店し、「サカエ京橋店」を経て「グルメシティ京橋店」となるが、近年の業績の伸び悩みから閉鎖。[要出典]近隣に京橋店が存在するが、同じダイエー系列で同じ地名の店舗名という全国で唯一の例であった。[独自研究?]
  • サカエ関目店 → グルメシティ関目店(旧:丸栄商事、1973年(昭和48年)10月[97] - 2012年(平成24年)9月30日) 大阪市城東区関目5-12-27[99](関目町3-83-1[98]SC名称:グランシャレ一関目[99]
    店舗面積約564m2[98]
現在はスギドラック。[独自研究?]

中央区[編集]

  • サカエ平野店(1951年(昭和26年)6月[100] - ?) 大阪市東区平野町2-27[100][66]
    店舗面積約132m2[100] → 約86m2[66]
  • サカエ難波店(1960年(昭和35年)4月[101] - ?) 大阪市南区難波新地5-42[101]
    店舗面積約1,114m2[101]
  • サカエ戎橋店→ファッションデポ店[要出典](1959年(昭和34年)4月[102]-?) 大阪市中央区難波新地5-42[66]
    店舗面積約1,290m2[66][103]
  • プランタンなんば → 2000年(平成12年)3月1日にカテプリなんばへ名称変更[104](旧:オ・プランタンジャポン→ダイエー→プランタンなんば→プランタンデパート関西、1984年(昭和59年)1月14日[105] - 2000年(平成12年)3月21日 - 2000年(平成12年)12月[4] 31日) 大阪市中央区千日前2-10-1[105] SC名称:エスカール[105]
    敷地面積4,155.9m2[106]、鉄骨造・鉄筋コンクリート造地下4階地上9階建[106]、延べ床面積37,419.73m2[106]、売場面積約20,527m2[105](直営売場面積約15,921m2[105]
    プランタンとしてオープン。最盛期となった1990年(平成2年)2月期の売上高は122億円であったが2000年(平成12年)2月期には60億円に落ち込んでいた。次年度の売上高が営業赤字になる恐れから閉鎖[107]。閉店後は、ダイエーグループが所有したままエスカールなんばとなった(核店舗はビックカメラ)が、2004年(平成16年)に売却された[108]

阿倍野区・天王寺区・東成区[編集]

  • サカエ阿倍野店 → グルメシティ阿倍野店×(1964年(昭和39年)7月[109]1日 - 2012年(平成24年)12月31日) 大阪市阿倍野区王子町4-2-21[66]
    店舗面積約914m2[66]
  • グルメシティ桃谷店(旧:丸栄商事→サカエ、1965年(昭和40年)11月[110] - 2010年(平成22年)8月31日) 大阪市天王寺区生野区桃谷1-11-30[98][99]
    店舗面積約1,105m2[98]
    グルメシティ近畿の店舗。桃谷駅前商店街内。「マルエー桃谷店」として開店し、「サカエ桃谷店」を経て「グルメシティ桃谷店」となるが、近年の業績の伸び悩みや建物の老朽化などから閉鎖された。[要出典]
    後釜に、スーパーサーブ桃谷味道館(閉店)→スギ薬局桃谷店[要出典]
  • サカエ森の宮店 → グルメシティ森の宮店(旧:丸栄商事、1966年(昭和41年)11月[110] - 2012年(平成24年)7月31日) 大阪市東成区中本1-4-13[98]
    店舗面積約742m2[98]

住吉区・東住吉区[編集]

  • {サカエ住吉店 → グルメシティ住吉駅前店(1963年(昭和38年)12月[111]2日[要出典] - 2011年(平成23年)12月31日) 大阪市住吉区粉浜東之町5-139[111][66]
    店舗面積約1,036m2[66]
    グルメシティ近畿が運営していた。サカエ住吉店として開店。
  • サカエあびこ道店 → グルメシティあびこ道店(旧:丸栄商事我孫子道店、1974年(昭和49年)10月[97] - 2012年(平成24年)8月31日) 大阪市住吉区墨江西6-96[98]
    店舗面積約363m2[98]

住之江区[編集]

  • d's home shop南港ATC店(1997年(平成9年)3月8日[117] - 2004年(平成16年)8月31日[要出典]) 大阪市住之江区
    売場面積約1,300坪[118]
    南港のアジア太平洋トレーディングセンターに出店していたホームファニシング専門大店で、カフェレストラン「ディズ カフェ」を併設していた[117]
  • Kou'S大阪南港店(1994年(平成6年)7月1日[119] - 2002年(平成14年)8月30日) 大阪市住之江区
    店舗面積約13,089m2[120]
    旧子会社である、株式会社ダイエー・ホールセールクラブ・コーポレーションの運営店舗。
    現在は中古車販売のカーチスが営業中。[要出典]
  • 旧:ユニード鶴見橋店(1971年(昭和46年)4月28日[121] - 1977年(昭和52年)5月[122]
    閉店後、スーパーはやしが出店。[要出典]

平野区[編集]

長吉店
  • 長吉店(1987年(昭和62年)3月30日[123] - 2016年(平成28年)2月29日) 大阪市平野区長吉長原1-1-10[123]
    敷地面積約12,412m2[123]、鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て塔屋1階[123]、延べ床面積約54,667m2[123]、店舗面積約18,393m2[123](当社店舗面積約9,900m2[123])、駐車台数約700台[123]
    2016年(平成28年)3月1日に本州の総合スーパー29店舗が「イオンリテールストア」に承継されて[95]、運営がイオンリテールへ移行してイオン長吉店となったが2023年(令和5年)8月31日に閉店した[124]閉店後の店舗跡について、建物及び本館・別館の連絡橋として使用されていた歩道橋は解体される予定であるが建物解体後の土地の利用方法などについては不明。[独自研究?]

堺市[編集]

  • 旧:ユニード堺東店(1970年(昭和45年)9月1日[125] - ?)
    南海電鉄堺東駅前の西北側に地下2階・地上5階建ての店舗で出店していた[125]
  • 堺東店(1981年(昭和56年)5月29日[126][127][128] - 2001年(平成13年)[129] 5月31日) 堺市堺区三国ケ丘御幸通152[126]
    敷地面積約4,140m2[126]、鉄筋コンクリート造地下4階地上8階建て塔屋1階[126]、延べ床面積約38,618m2[126]、店舗面積約15,974m2[126](当社店舗面積約12,814m2[126])、駐車台数約100台[126]
    南海電鉄堺東駅前の再開発ビルの床面積の約80%を占める核店舗として出店していたが業績不振を理由に閉店した[130]
    店舗跡には別のスーパーや大型書店、100円ショップからハローワークまで入居させてジョルノ専門店街として営業していた[130]
    老朽化を理由に2011年(平成23年)末に旧ダイエー部分などを保有する建設会社がスーパーや大型書店などの主要テナントを撤退させて専門店も移転するところが多くなって半減したが、地権者でもある専門店などが反発して完全な閉鎖には至らず、堺市のアドバイスを受けながら再度の再開発事業適用による建て替えを目指したがこう着状態に陥った[130]
    地権者らでつくった再々開発事業主体会社「堺東駅南地区再開発」が「アール・アイ・エー」に基本設計とコンサルタント業務を委ね、マンションについては野村不動産を担当とする方向で、2014年(平成26年)に計画案の策定に入った[129]
  • 金岡店 → Dマート金岡店[131](1978年(昭和53年)11月30日開店[127][132] - 2003年(平成15年)1月10日[131]) 堺市蔵前町1562-1[132](現・北区SC名称:レインボープラザ金岡[132]
    敷地面積約12,972m2[132]、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建て塔屋2階[132]、延べ床面積約20,630m2[132]、店舗面積約12,222m2[132](当社店舗面積約9,233m2[132])、駐車台数約600台[132]
    株式会社 三津富が所有する「レインボープラザ金岡」内に出店[132]。「レインボープラザ金岡」内には万代が出店している[133]
  • 中もず店×(1970年(昭和45年)11月29日[134] - 2004年(平成16年)8月31日[135]) 堺市中百舌鳥町3-428[136](現・北区) SC名称:中もずショッパーズプラザ[136](旧SC名称も同名を使用)
    敷地面積約31,316m2[136]、地下1階地上2階建て[136]、延べ床面積約40,959m2[136] → 42,621m2[137]、店舗面積約14,807m2[136] → 32,895m2[137](うち直営:6,399m2[137])。
    三井物産の資金を導入して出店した[138]元々は、ボーリング場であった建物を転用した[要出典]
    跡地には2007年(平成19年)7月12日にコーナン中もず店が新築されて開業し[139]、その一テナントに「ダイエーグルメシティ中もず店」(店番号0721)が入居した[140]
  • 津久野店×(1972年(昭和47年)11月30日[141] - 2003年(平成15年))[要出典] 堺市津久野1-72[141](現・西区SC名称:(旧:津久野ショッパーズプラザ)
    延べ床面積6,061m2[127]、売場面積約3,662m2[114][127]
    直営店舗面積約3,662m2[26]
    2003年(平成15年)8月23日にダイエーグルメシティ津久野店として新装開店し[142]、2018年2月28日に閉店した。(店番号0251)
    その後、建物は取り壊され14階建てのマンションが建設、その1階にダイエーの店舗として「イオンフードスタイル津久野店」が2020年5月30日にオープン[143]

東大阪市[編集]

  • サカエ布施店(1965年(昭和40年)12月[144] - ?) 東大阪市長堂1-68[144]
    店舗面積約1,530m2[144]
  • 小阪店(1973年(昭和48年)11月30日[141][88] - ?) 東大阪市下小阪167-1[141]
    売場面積約2,966m2[88]
    公団分譲マンション[145]小坂駅前団地ビルの1階から2階に出店していた[88]
    店舗跡は改装されて商業施設の「コサカプラザ」が開設され、一角にパチンコ店が開店した[145]
  • サカエ瓢箪山店→グルメシティ瓢箪山店×(1971年(昭和46年)6月19日開店[146] - 2020年(令和2年)3月26日)東大阪市瓢箪山町3-21
    閉店日の4日後(同月30日)にイオンフードスタイル瓢箪山店として約70m南に移転オープン[広報 7]
  • サカエ若江岩田店(1971年(昭和46年)11月[147]-?)東大阪市岩田町3-489-1[66]
    売場面積約2,015m2[66]
    現在はコノミヤ若江岩田店。[要出典]

大東市[編集]

  • 四条畷店(1971年(昭和46年)7月9日[112] - 2003年(平成15年)) 大東市北楠の里町24-20[114] SC名称:(旧:四条畷ショッパーズプラザ)[65]
    ダイエーグルメシティ四条畷店
    店舗面積3,897m2[65]、延べ床面積約6,410m2[65]
    郊外の駅前型店舗[148]。一時期、ダイエーグルメシティ四条畷店に改め、2017年(平成29年)4月29日に「イオンフードスタイル」として改装した[149]。(店番号0228)
  • 住道店×(1972年(昭和47年)11月30日[150] - 2008年(平成20年)2月15日[広報 8]大東市赤井1丁目4-1[150]
    敷地面積約18,948.74m2[150]、鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建て塔屋1階[150]、延べ床面積約19,216.46m2[150]、店舗面積約9,639m2[150](当社店舗面積約6,699m2[150])、駐車台数約700台[150]
    閉店時の直営店舗面積約5,309m2[広報 8]
    ポップタウン住道二番館」の核テナントとして出店していたが[150]、同施設の老朽化により閉店、2008年(平成20年)3月6日に旧ポップタウン駐車場跡地に建設された「ポップタウン住道オペラパーク」の南館に「ダイエーグルメシティ住道店」が出店した[151]
0271[要出典]旧住道店は取り壊され、跡地には「ポップタウン住道オペラパーク」の第2期棟として2010年(平成22年)10月8日に京阪百貨店すみのどう店が開業した。}}

門真市[編集]

  • 古川橋店(初代) → トポス古川橋店 → 古川橋店(2代)×(1970年(昭和45年)7月17日[152][136] - 2010年(平成22年)3月31日[広報 9]) 門真市仲町11-68[152][80] SC名称:古川橋ショッパーズプラザ[133]
    敷地面積約13,072.95m2[152]、地上4階建て[152][136]、延べ床面積約22,666.96m2[152]、店舗面積約16,176.46m2[152](直営店舗面積約6,524.56m2[152] → 閉店時約6,159m2[広報 9])、駐車台数約300台[152]
    開店当初は「ダイエー古川橋店」であったが、1984年(昭和59年)、古川橋駅南口に古川橋駅前店が開店してからは「トポス古川橋店」に業態転換。2006年(平成18年)に「ダイエー」に戻るが、古川橋駅前店があることと、建物の老朽化や売り上げの減少などから閉鎖を決めた。[要出典]
    店舗跡の土地・建物は2010年(平成22年)3月に地元の不動産業者に土地が約11.25億円で建物約3.75億円の合計約15億円で売却された[153]
    店舗の周辺地域は2009年(平成21年)に門真市が公表した幸福町と中町の再開発の基本計画の区域に入っており[154]、ダイエーは国土利用計画法などに基いてその販売価格を門真市と大阪府に届け出ていた[153]
    にもかかわらず、門真市から移転補償費などの名目で約29億円が不動産会社に支払われた[153]
    そのため、2013年(平成25年)11月18日に地元住民から門真市に対してこの補償費は不当な支出だとして返還するよう求める住民監査請求を提出したが[154]、2014年(平成26年)1月14日に門真市市監査委員が請求を棄却したため[155]、同年2月10日に不動産会社に補償費を返還させるよう求める住民訴訟が大阪地方裁判所に起されている[153]
    跡地を含めた地区には、門真市立体育館が移転した[153]
古川橋駅前店
  • 古川橋駅前店(1984年(昭和59年)2月23日[156][157] - 2016年(平成28年)2月29日) 門真市末広町41-2[156] SC名称:サンコオア第1ビル[156]
    敷地面積約12,199m2[156]、鉄筋コンクリート造地上5階建て塔屋1階[156]、延べ床面積約52,691m2[156]、店舗面積約13,482m2[156](当社店舗面積約9,455m2[156])、駐車台数約68台[156]
    2016年(平成28年)3月1日に本州の総合スーパー29店舗が「イオンリテールストア」に承継されて[95]、運営がイオンリテールへ移行し、4月にイオン古川橋駅前店となる[広報 10]。2023年(令和5年)11月1日、都市型ショッピングセンター「そよら古川橋駅前」としてリニューアルされた[広報 10]
  • 大和田店(初代)×(1969年(昭和44年)7月25日[158] - 2001年(平成13年)8月19日[159]) 門真市野里町10-27[158] SC名称:川本ビル[65](旧:大和田ショッパーズプラザ)
    敷地面積約3,012m2[158]、鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋1階[158]、延べ床面積約7,766m2[158]、店舗面積約4,907m2[158](当社店舗面積約3,747m2[158])、駐車台数約70台[158]
    跡地にマンションが建設されて1階部分に2003年(平成15年)3月30日にサカエ大和田店が開店し[160]、その後、グルメシティ(グルメシティ近畿の運営)として営業していたが、2015年(平成27年)12月3日にダイエー(2代目)に店舗名を変更してリニューアルオープンした[161]。(店番号0818)
    開業時には屋上遊園地が開設されていた[162]

枚方市[編集]

  • 樟葉店 → ダイエーグルメシティくずは店×(1972年(昭和47年)4月1日[163] - 2004年(平成16年)1月12日、2004年(平成16年)1月24日 - 2005年(平成17年)3月31日) 枚方市樟葉花園町15-2[114] SC名称:(旧:樟葉ショッパーズプラザ)
    店舗面積約2,944m2[114]
    2005年(平成17年)4月14日に1階にダイエーグルメシティくずはモール店が開業し[164]、2017年(平成29年)6月16日に「イオンフードスタイル」として改装した。(店番号0240)
  • サカエ東香里店 → グルメシティ東香里店×(1978年(昭和53年)3月[109] - 2012年(平成24年)8月31日) 枚方市東香里南町21-12[66][165]
    店舗面積約1,457m2[66][166]
  • サカエ長尾店(?-?)枚方市長尾谷町3-12-18[要出典]

その他の河内[編集]

  • 香里店×(1968年(昭和43年)11月30日[167][168][169] - 2005年(平成17年)8月31日[170][171][172]寝屋川市香里南之町36-20[167] SC名称:香里ショッパーズプラザ[167]
    敷地面積約14,200m2[173]、鉄筋コンクリート造5階建て[174]、延べ床面積約17,858.28m2[174]、店舗面積8,418m2[65]、駐車台数約1,200台[168]
    ダイエー及び日本初の郊外型大型商業施設(ショッピングセンター)の店舗[169]京阪バスが入口近くに「ダイエースーパー」停留所を設置(現在廃止)[169]。現在跡地に大型分譲マンションが建っている[169]
  • サカエ八尾店 → トポス八尾店(1971年(昭和46年)4月24日[175][112] - 1999年(平成11年)1月10日[要出典]八尾市本町4-84[175]
    敷地面積約4,103m2[175]、鉄骨コンクリート造地下1階地上4階建て塔屋1階[175]、延べ床面積約10,501m2[175]、店舗面積約3,840m2[175](当社店舗面積約1,454m2[175]) → トポス八尾店の店舗面積約5,823m2[120]、駐車台数約70台[175]
    跡地にはマンションが建っている。[要出典]
  • 松原店 → グルメシティ松原店×(1972年(昭和47年)6月30日[176][177] - 2009年(平成21年)4月30日[広報 11] 松原市高見の里4-820[177] SC名称:(旧:松原ショッパーズプラザ)[65]
    敷地面積約13,467m2[177]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[177]、延べ床面積約11,334m2[177]、店舗面積約8,498m2[177](当社店舗面積約6,468m2[177])、駐車台数約320台[177]
    閉店時の直営店舗面積約3,365m2[広報 11]
    松原市高見の里に位置していた店舗であった。跡地はミライト・テクノロジーズ大阪技術センター。[要出典]
  • 柏原店×(1972年(昭和47年)11月25日[141] - 2010年(平成22年)8月31日[広報 9]柏原市清州1-3-5[141] SC名称:トーエービル[65](旧:柏原ショッパーズプラザ)
    延べ床面積約8,618m2[65]、店舗面積5,066m2[114]
    閉店時の直営店舗面積約3,894m2[広報 9]
    JR大和路線柏原駅前に存在していた。跡地にはスーパーヤオヒコが入っている。[要出典]
  • 富田林店×[178](1976年(昭和51年)10月29日[179] - 2015年(平成27年)8月31日[178]富田林市昭和町1-7-1[114] 昭和町ビル[133]
    敷地面積約4,103m2[179]、鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建て塔屋1階[179]、延べ床面積約16,608m2[179]、店舗面積約10,168m2[179](当社店舗面積約9,000m2[179])、駐車台数約290台[179]
    近畿日本鉄道富田林駅前に出店していた[180]
    店舗の建物は解体され[178]、跡地にコノミヤ富田林店が出店することになった[180]
  • 金剛店(1977年(昭和52年)3月25日[181] - 2016年(平成28年)2月29日)南河内郡狭山町大字半田35-1[181](現・大阪狭山市SC名称:icot金剛(旧:金剛ショッパーズプラザ)
    敷地面積約2,136m2[181]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[181]、延べ床面積約18,845m2[181]、店舗面積約11,167m2[181](当社店舗面積約9,000m2[181])、駐車台数約743台[181]
    2016年(平成28年)3月1日に本州の総合スーパー29店舗が「イオンリテールストア」に承継されて[95]、運営がイオンリテールへ移行し、イオン金剛店となる。2022年(令和4年)11月30日に建て替えのため閉店し、2024年(令和6年)夏に都市型ショッピングセンター「そよら金剛」として再オープンする予定[広報 12]

高槻市[編集]

  • 高槻店 → ディーランド高槻店 → トポス高槻店(1971年(昭和46年)11月30日[136][182] - 2000年(平成12年)10月31日[183]高槻市城北町2-9-20[136][182] SC名称:高槻ショッパーズプラザ[136](旧SC名称も同名を使用)
    敷地面積約4,392m2[136]、鉄筋コンクリート造地上5階建て塔屋1階[182]、延べ床面積約11,960m2[136]、店舗面積約8,515m2[136](直営売場面積約5,778m2[182][169])。
    阪急高槻市駅の東側に出店した店舗で開店初日には約20万人もの人を集め、新たな商店街が誕生する要因となった[184]
    売場面積約5,778m2で駐車場の無い店舗であったため、1994年3月に2,500台の駐車場を持つ直営売場面積約15,200m2ジャスコ高槻店の開業後に売り上げが減少して閉店となった[169]。店舗跡には12階建てのマンション2棟が建設された[169]
  • 富田店(1972年(昭和47年)10月6日[141] - 2010年(平成22年)8月31日[広報 9]) 高槻市川添町2-20-5[114] 嶋中第5ビル[65]
    店舗面積4,790m2[91]、延べ床面積約7,978m2[91]
    閉店時の直営店舗面積約3,947m2[広報 9]
    府道132号線と府道16号線、芥川の堤防に囲まれた人口が密集する住宅地に立地していた[185]
    跡地には2011年(平成23年)11月25日に平和堂のフレンドマート高槻川添店が開業した[185]
  • グルメシティ美しが丘店(? - 2013年8月25日[186]) 高槻市
    閉店時の直営店舗面積約1,276m2[広報 3]

茨木市[編集]

  • 茨木店 → ディーランド茨木店 → トポス茨木店×(1968年(昭和43年)11月30日[92][187][188][169] - 2002年(平成14年)5月26日[要出典]茨木市中津町1-3[92][187] SC名称:茨木ショッパーズプラザ[92]
    敷地面積約6,514m2[187]、鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋1階[187]、延べ床面積約10,939m2[187]、店舗面積約7,371m2[187](当社店舗面積約5,496m2[187])、駐車台数約170台[187]
    開業時には飛行塔などのある屋上遊園地が開設されていた[162]
    同じ茨木市内に売り場面積が約2倍の9,999m2で約5倍の700台収容の駐車場を併設したジャスコ新茨木店が開業した影響で売上が減少して閉店となった[169]
    建物は解体され、現在はマンションが建っている[169]
  • 南茨木店 (1991年(平成3年)4月28日[189] - 2002年(平成14年)5月28日)→ サカエ南茨木店(2004年(平成16年)4月23日 - 2006年(平成18年)1月10日)[要出典] 茨木市沢良宣浜1-81-1[190] SC名称:ショッパーズ南茨木
    延べ床面積約21,443m2[65]、店舗面積14,300m2[189]
    ダイエー閉店後しばらく空テナントとなっていたが、跡地にサカエが出店し閉店。サカエ閉店後にラ・ムー(大黒天物産)南茨木店となっていたが、2013年1月15日に閉店。[要出典]

吹田市[編集]

  • ファッションデポ吹田店(1968年(昭和43年)4月[94] - 1989年(平成元年)3月:ファッションデポ吹田店[120] - 2006年(平成18年)11月19日) 吹田市朝日町14-16[94]
    延べ床面積約3,318m2[94]、店舗面積約2,509m2[94](直営店舗面積約2,509m2[94])。
吹田店
  • 吹田店(1979年(昭和54年)10月12日[191] - 2016年(平成28年)2月29日) 吹田市朝日町3-502[191] SC名称:吹田さんくす[191]
    敷地面積約11,025m2[191]、鉄筋コンクリート造地下2階地上11階建て塔屋2階[191]、延べ床面積約69,786m2[191]、店舗面積約24,086m2[191](当社店舗面積約16,500m2[191])、駐車台数約370台[191]
    2016年(平成28年)3月1日に本州の総合スーパー29店舗が「イオンリテールストア」に承継されて[95]、運営がイオンリテールへ移行し[96]、イオン吹田店となることになった[96]

池田市[編集]

  • 池田店(1967年(昭和42年)9月14日開店[192] - 1995年(平成7年)11月16日[193]池田市満寿美町3-7[80] SC名称:(旧:池田ショッパーズプラザ)
    鉄筋コンクリート造4階建て[192]、延べ床面積約5,200m2[192]、店舗面積約4,000m2[192]
    1階がダイエー直営食品売り場で、2階がブルーマウンテンの衣料品・化粧品売り場、3階が衣料品・雑貨類・電気製品の売り場で、4階がおもちゃ・時計・カメラ・楽器・靴・スポーツ用品などの専門店が出店していた[192]
    ダイエーと関連会社の株式会社ダイエーレジャーランドが所有していた。[要出典]
    池田駅前店に新館が完成するのに伴い閉店。[要出典]
  • イタリアーノ池田店 → 池田アゴラ店(1980年(昭和55年)3月30日開店[194][195] - 1999年(平成11年)1月10日[要出典]) 池田市栄町8-9[195]
    敷地面積約1,201m2[195]、鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て塔屋1階[195]、延べ床面積約6,605m2[195]、店舗面積約2,565m2[195](当社店舗面積約883m2[195])、駐車台数約80台[195]
    48の専門店が出店して開業した「池田サカエマチ・アゴラ」の核店舗として出店した[194]

豊中市[編集]

ダイエーグルメシティ庄内店
  • 庄内店 → ダイエーグルメシティ庄内店×(1964年(昭和39年)4月5日[196][167] - 2012年(平成24年)1月31日[広報 13]) 豊中市庄内西町2—23-23[167][196] SC名称:庄内ショッパーズプラザ[167]
    敷地面積約4,753m2[196]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[196]、延べ床面積約9,919m2[196]、店舗面積約6,449m2[196](当社店舗面積約4,120m2[196] → 閉店時約1,798m2[広報 13])。
    日本初のショッピングセンターの実験店舗。阪急電鉄庄内駅前の商店街内に立地していた衣食住フルラインを扱う売場面積約4,120m2の総合スーパーだった[197]
    阪神淡路大震災で被災したため1995年(平成7年)2月15日から店外で営業を行っていたが、同年3月10日で全面的に復旧して通常の営業を再開した[197]
    ダイエーの経営難により多数の店舗が閉鎖される中で生き延びたが建物の老朽化により閉店し、建て替え工事を行った上で2013年(平成25年)4月にグルメシティ庄内店を開業した。[要出典]
  • 豊中駅前店(旧:ジャスコ 豊中店(1967年(昭和42年)11月[198] - ) → ダイエーグルメシティ豊中駅前店×(2004年(平成16年)6月15日 - 2012年(平成24年)9月30日[広報 14]) 豊中市本町3-1-16
    店舗面積2,152m2[198]、延べ床面積約7,226m2[198]
    閉店時の直営店舗面積2,127m2[広報 14]
    ダイエーがライバル会社店舗を居抜きで所得することは極めて異例である(ダイエーが建てた店舗が他社に利用されることは枚挙にいとまがない)。閉店後、解体され、マンションの1階に[要出典]「ダイエー豊中駅前店」(豊中市本町3-1-15)が2015年(平成27年)3月26日開業[199]

その他の北摂[編集]

  • 水無瀬店 → グルメシティ水無瀬店×(1977年(昭和52年)1月[109] - 2012年(平成24年)8月31日[広報 14]三島郡島本町江川2-3-1[114]
    店舗面積2,700m2[114]。閉店時の直営店舗面積2,016m2[広報 14]
    建物の老朽化に伴う建て替え工事のため閉店し、2013(平成25年)年6月6日に再オープン[広報 15]
  • 箕面店 → グルメシティみのお店(1971年(昭和46年)4月2日[200] - 2001年(平成13年)5月31日[201]箕面市箕面6-1-28[122] SC名称:(旧:箕面ショッパーズプラザ)
    敷地面積約3,039m2[200]、地上2階建て[200]、延べ床面積約4,007m2[200]、店舗面積約2,524m2[200](直営売場面積約1,371m2[112])。
    2階にステーキハウス「フォルクス」1号店を併設[202]
    ミスタードーナツ第1号店箕面ショップを併設[広報 16](ミスタードーナツは建て替えの上、2020年現在も営業)[広報 17]

泉佐野市[編集]

  • 泉佐野店(2000年(平成12年)3月2日[203] - 2006年(平成18年)2月28日) 泉佐野市下瓦屋2-2-77[203] SC名称:ショッパーズモール泉佐野
    いこらもーる泉佐野(旧ショッパーズモール泉佐野)
    敷地面積約53,498m2[203]、延べ床面積約92,737m2[203]、店舗面積約35,181m2[203](直営店舗面積約23,105m2[203])。
    メインテナントからの撤退で衣料品の取り扱いから撤退して売場面積は面積も約16,300m2から3,500m2に大幅縮小して食料品中心の「グルメシティ泉佐野店」(店舗番号0715)が2006年(平成18年)3月11日に出店した[204]ミドリ電化・HOMESも出店した。[要出典]
    2021年(令和3年)12月1日に「マルナカ」から屋号変更した2代目「ダイエー泉佐野店」とは別店舗。[要出典]
  • グルメシティ泉佐野店(2006年(平成18年)3月11日[204] - 2014年(平成26年)5月6日[広報 5]) 泉佐野市 SC名称:ショッパーズモール泉佐野
    閉店時の直営店舗面積約3,788m2[広報 5]
  • サカエ羽倉崎店 → グルメシティ羽倉崎店(1983年(昭和58年)12月2日 - 2009年(平成21年)2月15日) 泉佐野市[要出典]
    グルメシティ近畿の店舗。近隣にマックスバリュ羽倉崎店やグルメシティ泉佐野店があることや業績の伸び悩みから閉鎖された。[要出典]

貝塚市[編集]

  • 貝塚店(1972年(昭和47年)6月30日[205][206] - 2000年(平成12年)1月[4] 9日) 貝塚市近木1447-1[206] SC名称:貝塚ショッパーズプラザ(旧SC名称も同名を使用)
    敷地面積約8,600m2[206]、鉄筋コンクリート造地上5階建て塔屋2階[206]、延べ床面積約11,702m2[205][206]、店舗面積約6,112m2[206](当社店舗面積約4,842m2[205][206])、駐車台数約250台[206]
    貝塚駅南地区市街地再開発事業で第一工区に建設された再開発ビルを賃借して出店していた[207]
    撤退後はアミューズメントスペース「JJtown」(後にあそびば 貝塚店)、万代が入居している。[要出典]
    2021年(令和3年)12月1日に「マルナカ」から屋号変更した2代目「ダイエー貝塚店」(貝塚市加神2-1-8)とは別店舗。[要出典]
  • ハイパーマート東貝塚店 → ディー・ハイパーマート東貝塚店×[2](1994年(平成6年)11月30日[208] - 2001年(平成13年)4月30日[201]) 貝塚市
    当初は直営であった[208] が、1999年(平成11年)8月1日に株式会社ダイエー・ハイパーマートに[広報 1]、さらに2000年(平成12年)9月1日に株式会社ディー・ハイパーマートに移管された[2]
    2階建てで店舗面積約10,230m2の店舗であった[209]。1996年(平成8年)2月期の売上高が約50.96億円と低迷し、1997年(平成9年)5月30日にハイパーマートのテコ入れ策の一環として取扱い品目を約2.5倍に拡大して内装を明るいものに切替えるなどの階層を行って新装開店した[209]
    撤退後は全館改装して売場面積約2,653m2オークワ貝塚店を1階の核テナントとしてする「ユニチカオークタウン貝塚」が2002年(平成14年)4月12日に開業した[210][211]その後、閉店し解体された。[要出典]

岸和田市[編集]

その他の和泉[編集]

  • 泉大津店(1994年(平成6年)9月30日[214] - 2003年(平成15年)1月15日閉店[87]
    ダイエー泉大津店
    アルザ」:延べ床面積約114,318m2[65]、店舗面積19,038m2[65]
    泉大津駅東地区市街地再開発ビル「アルザ」の核店舗として出店していた[65]
    2階 - 5階部分だけの閉鎖であり、地下1階と地上1階は引き続き営業を行っていたが[87]2020年(令和2年)11月30日に閉店。「アルザ」内のテナントについては、引き続き営業を継続している。[要出典]
    完全閉店から1年後の2021年(令和3年)12月1日、山陽マルナカから継承した[要出典]「マルナカ泉大津店」(泉大津市我孫子120-1)が屋号変更することで2代目店舗となった。

兵庫県[編集]

神戸市[編集]

三宮地区[編集]

三宮地区にあった店舗を総称して「ダイエー村」と呼ばれていた[215]

  • (初代)神戸三宮店(1958年(昭和33年)12月2日[216][188] - 1959年(昭和34年)4月閉店[216][217]
    木造2階建て[188]、売場面積約70m2[218]
    ダイエーのチェーン化第1号「三宮店」として通称ジャンジャン横丁と呼ばれる盛り場にオープン[219]。女性が近寄り難い立地にもかかわらず、安さを求める女性客を多く集めた[220]
    三宮センター街から1本海側の裏通りにあった大林組系列の建設会社の木造2階建て自転車倉庫を買収し[188]、改造した約180坪の店舗で[216] 1階が売り場で2階は事務所や倉庫となっていた[220]
    衣料品主体の他社と異なり当店の開業時から生鮮食料品の販売を主婦から支持を集めた[188]
    開業当初は売上が伸びたものの、買い物客が周囲の目を気にして大丸の包装紙に商品を包み直して持ち帰ることが多かったが、徐々にダイエーの包装紙が用いられるようになっていった[217]
  • (2代目)神戸三宮店(1959年(昭和34年)4月25日[83] - )神戸市生田区三宮町1-42[221]
    売場面積約396m2[222]
    京町映画館を買収して改装し[223]、移転・拡張する形で開店[216][217]。1階と2階が売り場となっており、旧店舗で取り扱っていた薬品・化粧品・食料品に加えて日用品や衣料品の販売を開始した[224]
    1961年(昭和36年)4月に増床した[225]
    1963年(昭和38年)には一日で約45万人の来店客を集め、私設警備員による交通整理を行っていた[226]
  • ダイエービル[227][217] → 三宮第一店[227][217]×[228](1963年(昭和38年)7月1日[229] - 1995年(平成7年)1月17日[230]神戸市中央区三宮町1-42-1[80]
    売場面積約2,964m2[231] → 約5,444m2[232]
    神戸市電の車庫跡地に開設された店舗で、建物の一角に東海銀行神戸支店を入居させる約束で融資を受けたが、全体をダイエーの店舗として使用してしまったため、その約束は反故にされた[83]
    地下1階・地上6階建ての大型店として開業した[217]
    開業時には3階から5階を「神戸名店百貨店」として専門店を入居させていた[233]
    セルフサービス集中レジ形式をダイエーで初めて本格採用した「SSDDS(セルフ・サービス・ディスカウント・デパートメント・ストア)」として開店し[234]阪神・淡路大震災まで発展形成してきた三宮の「ダイエー村」の核商業施設に転換。通称「ダイエーさんのみやリビング館」[235]。震災で建物が倒壊し解体された[228]
    三宮第一店解体撤去後の跡地の約4分の3を使い、4月27日に仮設建造物にて神戸亜細亜屋台村が設営された[236](残る4分の1にはローソンが開店した)。[独自研究?]

神戸亜細亜屋台村終了後、その仮設建造物を使って1996年(平成8年)1月31日に「ダイエー酒のスーパー三宮店」が開店[237]同店閉鎖後、長らくコインパーキングとして利用されていたが、2022年4月にダイワロイネットホテル神戸三宮中央通りが開業。[独自研究?]

  • センターダイエー[231] → 三宮第二店[216][231] → 女館[216] → ダイエーオフプライス館さんのみや×(1967年(昭和42年)4月[238] - 1995年(平成7年)1月17日[230]) 神戸市中央区三宮町1-30[80]
    鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階地上8階塔屋3階[239]、延べ床面積11,602.38m2[239]、売場面積約3,303m2[231] → 約5,888m2[232]
    後に増床し、ダイエー三宮レディス館 → ダイエーさんのみや女館から業態転換して営業していた。[要出典]
    1993年(平成5年)3月にアウトレット業態1号店の[240]「オフプライス館さんのみや」に業態転換した[241]
    震災で建物が倒壊し[230] 解体された。
    跡地は売却され、2004年(平成16年)10月8日にクレフィ三宮が誕生した[242][243]
震災翌日に撮影された三宮第一店
(神戸市、阪神・淡路大震災「1.17の記録」 より)
  • 三宮第三店 → ゼントハウス → ダイエーさんのみや男館×(1969年(昭和44年)10月31日[77] - 1995年(平成7年)1月17日[230]) 神戸市中央区三宮町1-17-9[77]
    売場面積約4,613m2[80]
    1961年(昭和36年)4月15日に買収した映画館「京町映劇」の跡地に店舗面積は約1,256m2で開店した[83]。三宮第三店として開店し[244]1980年(昭和55年)4月に全面改装して紳士服専門店「ゼントハウス」へ業態転換した[245]
    1980年(昭和55年)4月19日に1階にパブレストラン「ハブ」1号店が開店した[246]
    震災で建物が倒壊し解体された[228]
    跡地は売却され、2001年(平成13年)11月にダイエーが再建を断念したため[247]、2002年(平成14年)11月15日にユニクロ神戸三宮店が開店した[243]
  • 三宮第四店 → ダイエーさんのみや電器館パレックス(1977年(昭和52年)9月[122] - 1995年(平成7年)1月) 神戸市中央区三宮町1-17-10[248]
    売場面積約1,452m2[248]
    5号店レジャービル跡を改装して、1979年(昭和54年)9月1日にインドアレジャー用品を集めた遊品館「パレックス」として新装開店した[249]
    電器館PALEXは、現在は、ジュンク堂書店三宮店のあるエイツビルの2階から4階と(当時もこのビルにジュンク堂はあったが地階にあった)、現在ヴィーナスギャラリーパチンコ店)(2001年(平成13年)12月に進出[243])のあるパレックス館の地階から4階に入居していた。[要出典]
    震災による倒壊を免れた三宮のダイエー店舗群のなかで唯一閉店となった店舗。[要出典]
  • 三宮第五店 → スポーツワールド33(1979年(昭和54年)9月1日[250] - 経営譲渡) 神戸市中央区三宮町2-10-7[251]
    地下2階地上9階[252]、延べ床面積13,470m2[252]、売場面積約4,057m2[250]
    「三宮11街区株式会社」が所有・開発した「グレースコウベ」の3階から7階に出店していた[253]
    三宮ダイエー村で唯一現存する店。2005年(平成17年)以降は「ヤマノスポーツシステムズ(現・ヤマノホールディングススポーツ事業本部)」が引き継いで営業している[254]
  • 三宮南店(1995年(平成7年)2月23日[255] - 1995年(平成7年)5月14日) 神戸市中央区浜辺通6丁目[255]
    浜辺通6丁目の三井倉庫を使って営業した仮店舗で、1995年(平成7年)3月14日に売場を約370坪増の約750坪に増床した[255]
  • プランタン三宮 → プランタン神戸パート1[256] → プランタン神戸ヤング館[228](旧:オ・プランタンジャポン→ダイエー→プランタン神戸、1981年(昭和56年)3月6日[257] - 1995年(平成7年)1月17日) 神戸市中央区
    JR三ノ宮ターミナルビル内に出店したが、約1,100坪と百貨店としては小規模店であった[256]。その為に、新館開業などを行い、専門店街に転換した[256]
    阪神・淡路大震災1995年(平成7年)に「OPA」として新装開店した[228]
    JR三ノ宮ターミナルビルの建て替えに伴い、2018年2月28日に営業を終了した。尚、「三宮OPA」は、2018年4月27日、旧「三宮VIVRE」(神戸市中央区三宮町1丁目5-26)を改称して復活した。
  • プランタン神戸パート2 → プランタン神戸本館(旧:プランタン神戸、1990年(平成2年)4月27日 - 1995年(平成7年)1月17日) 神戸市中央区雲井通 建物名称:雲井通6丁目地区市街地再開発ビル[258]
    建物は、1995年(平成7年)4月22日に「ダイエー三宮駅前店」(現在はダイエー神戸三宮店とOPA2)として新装開店した[259][228]
  • 酒のスーパー三宮店(1996年(平成8年)1月31日[237] - 1996年(平成8年)1月[要出典]) 神戸市中央区
    売場面積約389m2[237]
    神戸亜細亜屋台村の仮設店舗をそのまま利用して出資して[237]

三宮以外の神戸市[編集]

三宮以外の中央区[編集]
  • バンドールエキゾチックタウン店×(1984年(昭和59年)6月28日[260] - 1995年(平成7年)1月17日) 神戸市中央区
    店舗面積約8,800m2[109]
  • レストランビルエキゾチックタウン×(1984年(昭和59年)8月[109] - 1995年(平成7年)1月17日) 神戸市中央区
    店舗面積約2,243m2[109]
    阪神・淡路大震災でバンドールよりもKou'Sを優先開業させるべく閉店。ただし、1995年(平成7年)にハーバーランドにメガバンドールが開店している。店舗そのものは、Kou'Sポートアイランド店(後述)の閉店後もながらく無人状態で存在していたが、2009年(平成21年)7月に神戸市との土地貸借契約が満了を迎え2009年(平成21年)8月に解体。2022年4月現在は更地[要出典]
  • ハーバーランドシティ(1992年(平成4年)10月1日[261] - 1995年(平成7年)1月17日) 神戸市中央区
    阪神・淡路大震災被災による建物修復工事のため閉店。営業機能については、事実上、同年4月22日に開店した三宮駅前店(店番号0622)に集約。ただし、Kou'Sホールセールメンバーシップクラブの営業機能については、同年3月にポートアイランドに移転。[要出典]
    なお、退去跡には、震災後の建物修復工事が完了した1995年(平成7年)11月10日にハーバーランド(店番号0638)が開店している(ハーバーランド店の開店は1992年(平成4年)10月ではなく、1995年(平成7年))。[要出典]
  • Kou'Sポートアイランド店×(1995年(平成7年)3月 - 2002年(平成14年)8月31日[要出典]) 神戸市中央区
    「エキゾティックタウン」の核店舗。阪神・淡路大震災を機にバンドールを閉店させた退去跡に、震災前のハーバーランドシティ地下1階と1階にあった「Kou'Sホールセールメンバーシップクラブ」の代替として開店[228]なお、店名/住所が異なっているにもかかわらず、開店当時は、ハーバーランドシティで営業していた当時の店番号をそのまま使用していた(詳細は不明)。店番号の異動は運営会社の分社化によるもの[要出典]
ダイエー ハーバーランド店
  • ハーバーランド店(1995年(平成7年)11月10日 - 2005年(平成17年)11月30日[262]) 神戸市中央区
    店舗面積約29,400m2[120]
    1992年(平成4年)に開店したハーバーランドシティ(店番号0452、阪神・淡路大震災被災による建物修復工事のため閉店)とは、同じ建物に出店していたが別店舗の扱いで、震災前にハーバーランドシティが営業していた退去跡に、建物修復工事完了後に開店した店舗である。地下1階と1階を直営売場とし、2階から6階にメガバンドールハーバーランド店(店舗番号0637)が入居した。メガバンドールについては、震災前、ポートアイランドのレストランを併設していた「エキゾチックタウン」にあったがKou'Sの営業を優先するために閉店したバンドールの神戸への再出店(事実上の復活)と位置付けられた。メガバンドール消滅後はダイエーグループ各社や他社の入居する専門店街となった[要出典]
    退去跡は、建物を所有している三菱倉庫が系列のディエヌ建物管理により[263]、2006年(平成18年)11月22日に開店したイズミヤ[264] などの入居する複合商業施設Ha・Re(現・umie)が2007年(平成19年)3月30日に全館開業した[265]
  • 新神戸OPA
    ポートアイランドに移転した神戸市立中央市民病院の跡地に[266] 1988年(昭和63年)9月29日に開業した新神戸オリエンタルホテルと同居する形で1988年(昭和63年)9月23日に開業した[257] が、当時施設を保有していた株式会社福岡ドームとの契約期限満了に合わせて2002年に撤退)
東灘区[編集]
  • 野寄店(1963年(昭和38年)11月15日[267] - 1971年(昭和46年)[227])神戸市東灘区本山町野寄字畑田38[268][267]
    店舗面積429m2[269]
    協業店舗を継承して出店した店舗で、1階建ての建物で食料品と雑貨のみを扱う小型店であった[269]
    ダイエー初の閉店、第1号店[要出典]
  • 住吉店×[230](1967年(昭和42年)4月27日[270] - 1995年(平成7年)1月17日[230]) 神戸市東灘区住吉宮町3-5-11[270]
    店舗面積約1,293m2[270]
    開店当時、灘神戸生協(現:生活協同組合コープこうべ)の本部至近距離(駅を挟んで約400m)にダイエーが開店したことで話題となって売場面積1,485m2ながら開業後1ヶ月で約1億円の売上を上げるなど好調なスタートを切ったが、生協が生鮮食料品の強さを武器にして肉と野菜の鮮度と価格で対抗し、生協が上回った[219]。震災で建物が倒壊し[230]解体され、跡地に「グルメシティ生鮮市場住吉店」(後のダイエーグルメシティ住吉店)が仮設建造物にて開店。[要出典]
  • ダイエーグルメシティ住吉店×(1995年(平成7年)9月 - 2017年(平成29年)1月31日[271]、開店当時はグルメシティ生鮮市場住吉店)神戸市東灘区住吉宮町
    店舗面積約1,000m2[271]
    阪神淡路大震災によって全壊したダイエー住吉店の跡地に開店。開店当初はグルメシティ生鮮市場住吉店と称した[271]
    売り上げのおよそ9割を食品が占めていたが、閉店間際は同業他社との競争が激しくなり前年割れが続いていた[271]
  • 深江店×[272](1971年(昭和46年)10月29日[141] - 1995年(平成7年)1月17日[272]) 神戸市東灘区深江本町3-9-1-1[141]
    店舗面積約1,221m2[114]
    阪神電車の深江駅前・南側に存在。震災による倒壊で1995年(平成7年)1月17日に閉店した[272]
灘区[編集]
  • 東神戸店 → 灘店(1963年(昭和38年)4月1日開店[273] - 1990年前後[要出典])神戸市灘区篠原南町6-3[268]
    売り場面積1,790m2[268]
    グルメシティ灘店開店に伴い閉店[要出典]
  • イタリアーノ六甲店(1988年(昭和63年)[274] 11月18日 - 1995年(平成7年)1月17日[275]) 神戸市灘区
    JR六甲道駅の北側にある神戸市都市整備公社が運営する再開発ビル核テナントとして開店した[274] 子会社の(株)イタリアーノの運営する高品質食品スーパーであったが、阪神・淡路大震災被災による建物修復工事のため閉店[275]。店舗面積830m2の小型店で主に食料品を扱う食品スーパーであった[274]
  • ダイエーグルメシティ六甲道駅前店(ダイエー六甲道駅前店→イタリアーノ六甲道駅前店→1996年(平成8年)9月ダイエーグルメシティ六甲道駅前店 - 2005年(平成17年)8月31日閉店[170][171][172]) 神戸市灘区
    震災後、撤退した「イタリアーノ六甲店」の跡地に1995年(平成7年)11月にダイエー六甲道駅前店として開店し、1996年9月18日にイタリアーノ六甲道駅前店として新装開店した[275]
    退去跡には、「パントリー フォレスタ六甲店」が開店した[276]
    同じJR六甲道駅の反対側にある灘区深田町には「ダイエー六甲道店」が駅に直結するビル内に出店している[277]
兵庫区[編集]
阪神・淡路大震災で倒壊したトポス東山店
  • トポス東山店×(1968年(昭和43年)7月1日[278] - 1995年(平成7年)1月17日[230]) 神戸市兵庫区東山町4-8-1[278]
    敷地面積約985m2[278]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て塔屋2階[278]、延べ床面積約7,188m2[278]、店舗面積約3,291.1m2[278](当社店舗面積約1,749.8m2[278])。
    「神戸東山ビル」の「ニュー湊川ショッピングセンター」の核店舗として出店していた[278]
    神戸市街地屈指の市場・東山商店街と産業道路に挟まれたエリアに出店。至近距離に湊川店が開店して以後、トポスに業態転換したが、震災で建物が倒壊し[230] 解体された。跡地にはマンションが建てられた[要出典]
長田区[編集]
  • 西神戸店×[272](1961年(昭和36年)10月25日開店[279] - 1995年(平成7年)1月17日[272]) 神戸市長田区二葉町5-7-8[80]
    鉄筋コンクリート造地上4階建て[81]、売場面積約1,783m2[80]
    当店の開業時には、兵庫県内の医薬品業者約1,600店が一斉休業して生田公会堂で「医薬業危機突破大会」を開催して抗議を行った[280]
    大正筋商店街内にあった。震災で建物が倒壊し[272]解体された。
  • グルメシティ西神戸店(1995年(平成7年)6月17日 - 2003年(平成15年)11月9日) 神戸市長田区}}
    震災で閉店した西神戸店の代替となる、2代目のダイエー西神戸店として開店した。大正筋商店街の平屋仮設店舗「パラール」の西館に、他の商店とともに入居し軒を並べた。のちにグルメシティに転換後、震災復興事業の進捗で近隣に2003年(平成15年)11月21日から「ダイエーグルメシティ新長田店」が開店することに伴い閉店。[要出典]
  • グルメシティ新長田店(2003年(平成15年)11月21日 - 2021年(令和3年)12月[281]31日[要出典]) 神戸市長田区久保町5[281]
    グルメシティ西神戸店の代替として[要出典]アスタくにづか3番館地下1階に出店していた[281]同業店舗との競争激化で売り上げが低迷し閉店。[要出典]跡地は2022年(令和4年)5月17日にロピア新長田店が出店予定[281]
須磨区[編集]
  • 板宿店(初代、1961年(昭和36年)3月10日[282] - 1982年(昭和57年)7月[283]3日) 神戸市須磨区菊池町2-6[221]
    鉄筋コンクリート造地上4階建て[81]、売場面積約1,518m2[283]
    1982年(昭和57年)7月に開業したビバタウン板宿に(2代目)板宿店(店舗面積8,184m2)を出店している[284]
    板宿A地区第1種市街地再開発事業に権利者として参画した[285]
垂水区[編集]
閉店間近のダイエー垂水店(閉店セール中の様子)
北区[編集]
藤原台店
  • 藤原台店(1992年(平成4年)4月2日[286] - 2016年(平成28年)2月29日) 神戸市北区藤原台中町1-2-2[133][286] SC名称:藤原台地区センター・エコール・リラ[133]
    敷地面積約58,000m2[286]、店舗面積約24,387m2[133]、延べ床面積約40,700m2[133]。直営店舗面積約12,000m2[133][286]
    2016年(平成28年)3月1日に本州の総合スーパー29店舗が「イオンリテールストア」に承継されて[95]、運営がイオンリテールへ移管され[287]、同年3月にイオン藤原台店として新装開店することになった[287]
西区[編集]
  • ディーランド神戸学園店 → 神戸学園店(1986年(昭和61年)3月28日[288] - 2005年(平成17年)11月18日業態転換[289]) 西区学園西町1-4[288]
    敷地面積約16,350m2[288]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[288]、延べ床面積約17,055m2[288]、店舗面積約9,168m2[288](当社店舗面積約6,000m2[288])、駐車台数約600台[288]
    神戸市市営地下鉄学園都市前にある[290]神戸ニュータウン開発センターのキャンパススクエア(店舗面積約9,296m2、延べ床面積約16,682m2)の核店舗として出店していた[288]。当初は「ディーランド神戸学園店」という名称だった[288]
    2005年(平成17年)11月18日に総合スーパーから食品スーパーに業態転換して「グルメシティ神戸学園店」として新装開店した[289]
  • イタリアーノ西神店
    神戸市市営地下鉄西神中央駅前のプレンティのモール1番街に出店[291]。退去跡には1994年(平成6年)にエース西神店が出店した[291]

阪神間[編集]

甲子園店
  • プランタン甲子園 → 甲子園店(旧:プランタンデパート甲子園、1993年(平成5年)6月17日[292] - 1995年(平成7年)9月1日直営化[293] - 2016年(平成28年)2月29日) 西宮市甲子園高潮町3-3[294] SC名称:甲子園東洋ビル[294]
    店舗面積約29,000m2[294]、延べ床面積約79,528m2[294]
    21世紀のデパートの有り方を模索する実験店と称して開店し[295]、1995年(平成7年)9月1日に直営化して「ダイエー甲子園店」として新装開店することになった[293]
    初年度売上高目標180億円で開業し[295]、ダイエーの直営化直前には売上高150億円超を上げていた[293]
    ダイエーが開業させたプランタンの最後の店である。運営はダイエー100%出資のプランタンデパート甲子園が担当。[要出典]
    2016年(平成28年)3月1日に本州の総合スーパー29店舗が「イオンリテールストア」に承継されて[95]、運営がイオンリテールへ移管され[287]、同年3月10日にイオン甲子園店として新装開店した[296]。その後、2017年10月1日をもって一旦閉店したのち、2018年4月26日より各種専門店が入居したCorowa甲子園として、三菱地所の運営でリニューアルオープン[297]。なお、イオンは地下2階で「イオンスタイル甲子園」として[298]食料品売り場に特化した。[要出典]
  • 西宮店(1977年(昭和52年)11月[294] - 2016年(平成28年)2月29日) 西宮市林田町2-24[294]
    西宮店
    店舗面積約12,569m2[294]、延べ床面積約23,434m2[294]。直営店舗面積約10,649m2[294]
    2016年(平成28年)3月1日に本州の総合スーパー29店舗が「イオンリテールストア」に承継されて[95]、運営がイオンリテールへ移管され[287]、同年3月10日にイオン西宮店として新装開店[287]。尚、山陽マルナカの一部店舗の営業譲受によって直営化されたのち、2021年(令和3年)12月1日に改称した2代目「ダイエー西宮店」とは別の店舗[注釈 1]
  • ハイパーマート三田店 → ディー・ハイパーマート三田店[2](1988年(昭和63年)[299] -?) 三田市
    店舗面積約8,622m2[120]
    当初は直営であったが、1999年(平成11年)8月1日に株式会社ダイエー・ハイパーマートに[広報 1]、さらに2000年(平成12年)9月1日に株式会社ディー・ハイパーマートに移管された[2]
    2002年(平成14年)9月1日に再度ダイエーに譲渡され「ダイエー三田店」(店舗番号0700)として新装開店。[要出典]
    2016年(平成28年)3月1日に本州の総合スーパー29店舗が「イオンリテールストア」に承継されて[95]、運営がイオンリテールへ移管され[287]、同年3月にイオン三田店として新装開店することになった[287]
  • 宝塚店×(1963年(昭和38年)12月5日[300] - ?) 宝塚市川面5-17-5[80]
    売場面積約669m2[80]
    寄合マーケットの「共栄ストア」の店舗を継承して出店[301]。食品と雑貨を販売していた[301]
トポス尼崎店
  • 尼崎店 → トポス尼崎店(1966年(昭和41年)11月3日[302][303] - 1982年(昭和57年)3月6日業態転換[304] - 2010年(平成22年)2月28日[広報 11][305]尼崎市昭和通7丁目243[302]SC名称:(旧:尼崎ショッパーズプラザ)[302]
    地上5階建て[303]、延べ床面積約8,029m2[133]、店舗面積約5,000m2[133](閉店時の直営店舗面積約3,713m2[広報 11])。
    開業初日には約5万人が殺到して一時警官が出る騒ぎとなった[303]。開業時は、地下1階が食品で、1階が衣料品・薬品・化粧品、2階が衣料品、3階が日用品・電気製品の売り場となっていた[303]
    地元の反対を押し切る形でオープン。[要出典]
    1982年(昭和57年)3月6日にトポスに業態転換[304]
    2004年(平成16年)の閉鎖対象53店舗に当初入っていたがその時点では閉鎖を免れた。しかし、老朽化が激しくなったなどのため閉店[305]。晩年はダイソー(店舗面積約1,016m2)が出店し[133]5階は閉鎖していた[要出典]。当店の閉鎖でトポスの業態は北千住店を残すのみとなった[305]
    跡地は2010年(平成22年)12月12日に「スーパー玉出」尼崎店が出店[306]
  • 三和店×(1969年(昭和44年)12月13日[302] - 1990年(平成2年)3月11日[要出典]) 尼崎市神田中通6-211[302] SC名称:三和ショッパーズプラザ[302]
    敷地面積約1,759m2[302]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て[302]、延べ床面積約7,015m2[302]、売場面積約4,614m2[302]
    尼崎店(上記)の近隣(尼崎中央・三和・出屋敷商店街)に開店。出屋敷店に店舗機能を移転する形で閉店した。[要出典]
  • 出屋敷店(1990年(平成2年)3月[26] 21日 - 2005年(平成17年)10月31日[79]) 尼崎市
    直営店舗面積約7,803m2[26]
    駅前再開発ビル「リベル」の核店舗であった。現在は退去跡に「関西スーパー」が出店しているほか、ネットストアを運営する「MonotaRO」の本社オフィスが入居する[要出典]
  • 芦屋店 → グルメシティ芦屋店(1969年(昭和44年)12月15日[307] - 2002年(平成14年)8月25日[308]芦屋市茶屋之町6-17[80]
    敷地面積約1,100m2[309]、2階建て[309]、店舗面積約1,243m2[80]
    日常必需品のみを取り扱う小型店の1号店として住宅街の一角に出店した[309]
  • グルメシティ芦屋陽光店(1998年(平成10年)4月[310] - 2003年(平成15年)3月31日[310]芦屋市
    兵庫県が開発した埋め立て地に5年間の暫定的な店舗として開店し、期限終了後に近隣に恒久的な店舗の開業を目指していたが、開業時の売上目標5億円に対して2001年度の売上高が約2.49億円と半分に満たないなど売上が低迷して回復が見込めないとして閉店となった[311]
  • イタリアーノ東芦屋店(? - 2003年(平成15年)8月31日) 芦屋市
    店舗面積1,239m2[4]
    2003年(平成15年)9月1日以後、ダイエーグルメシティ東芦屋店(店舗番号0629)として現在営業中[要出典]
  • 西武庫店→グルメシティ西武庫店(1971年(昭和46年)4月9日[77][267] - 2018年(平成30年)10月31日[広報 18] ) 尼崎市武庫元町1-24-6[77]
    店舗面積1,325m2

姫路市[編集]

  • (初代)姫路ショッパーズプラザ[312] → 姫路駅前店 → トポス姫路駅前店[120](1964年(昭和39年)10月16日[312][313] - 1980年(昭和55年)10月16日[312] - 1999年(平成11年)6月14日[314]姫路市光源寺前町39[312] SC名称:(旧:姫路駅前ショッパーズプラザ)
    鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て[313]、延べ床面積約5,977m2[313]、店舗面積約3,526m2[314][78]
  • 姫路店×(1974年(昭和49年) 12月6日[315][316] - 2002年(平成14年)1月14日[317][318]姫路市中二階町35[315] SC名称:姫路センタービル[319]
    鉄筋コンクリート造地下1階地上8階建て塔屋1階[315]、延べ床面積約25,635m2[315]、店舗面積約13,186m2[315](当社店舗面積約10,348m2[315])、駐車台数約150台[315]
    三光亭ほか21名の地権者がダイエーからの貸付金で建設した姫路センタービルの核店舗として出店した。
    地元商店街側との折衝で面積を大幅に削減され、5階と6階は1976年(昭和51年)9月から、7階は1977年(昭和52年)3月からとて段階的に売り場を増やす形で開業した[319]
    地下1階・地上8階建てで店舗面積9,248m2の店舗で最盛期の1978年(昭和53年)度には売上高約82.25億円を上げた[317]
    しかし、各階の売り場面積が狭い多層階という店舗構造で、さらに駐車場もないことから、収益の改善が見込めないとして閉店となった[317]
    2002年(平成14年)1月14日の閉店後に8階建てのビルは解体[318]
    2003年(平成15年)4月28日に「姫路ひろめ市場」が開店した[320] が、開店から1年半足らずの2004年(平成16年)10月1日に運営する「姫路ひろめ市場」が神戸地裁姫路支部に自己破産を申し立てて[321] 閉鎖したため、2005年(平成17年)5月に株式会社銀ビルストアーの「ボンマルシェ大手前店」が出店[322]
  • 花北店[109] → Dマート花北店(1982年(昭和57年)11月[109] - 2002年(平成14年)5月31日[323]) 姫路市増位新町1丁目24番地 花の北モール[65]
    花の北モール(店舗面積約11,234m2、延べ床面積約37,016m2)の核店舗として店舗面積約6,400m2で出店していた[65]

播磨(神戸市・姫路市を除く)[編集]

  • FCハイパーマート西脇店 → ハイパーマート西脇店 → ディー・ハイパーマート西脇店[2](旧:ダイエーふうしゃ、1993年(平成5年)3月26日 - 2002年(平成14年)8月31日) 西脇市
    店舗面積13,737m2[4]
    当初はFC店であったが、1999年(平成11年)8月1日に株式会社ダイエー・ハイパーマートに[広報 1]、さらに2000年(平成12年)9月1日に株式会社ディー・ハイパーマートに移管された[2]。プール棟は解体され、改装後は2003年(平成15年)11月28日にイズミヤ系の「カナート西脇店」が出店[324] したが、施設の契約期間満了に伴い、貸主のダイエーと契約更新に向けて交渉を行ったが、合意に至らず、2013年(平成25年)9月7日に閉店[325] した。
  • 竜野店(1973年(昭和48年)12月5日[326] - 2016年(平成28年)2月29日[要出典]たつの市龍野町堂本字五反田250-1[327] SC名称:赤とんぼ広場[327][328]
    敷地面積約18,399m2[327]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[327]、延べ床面積約16,619m2[327]、店舗面積約9,293m2[327](当社店舗面積約6,637m2[327])、駐車台数約550台[327]
    店舗面積約12,549m2[133]、延べ床面積約16,619m2[133]。直営店舗面積約6,637m2[133]
    地元が設立した「龍野開発会社」が開設し、専門店街を併設した「赤とんぼ広場」の核店舗として出店した[328]
    2016年(平成28年)3月1日に運営がイオンリテールへ移管され[287]、イオン竜野店として開店したが[287]、2022年(令和4年)10月31日に赤とんぼ広場と共に完全閉店し[329]、跡地は市内の神岡町東觜崎に所在する「とくなが病院」が取得し、病院を新築移転する予定[330]
  • 明石店 → 明石第1店・明石第2店 → 明石店(1966年(昭和41年)10月28日[302] - 2005年(平成17年)8月31日[170][171][172]明石市大明石町1-3-6[302] SC名称:(旧:明石ショッパーズプラザ→明石第1ショッパーズプラザ・明石第2ショッパーズプラザ)
    東館(第一明宝ビル・明神ビル)[65]:店舗面積約5,888m2[65]、延べ床面積約10,311m2[65]
    西館(第二明宝ビル、1974年(昭和49年)11月)[65]:店舗面積約4,919m2[65]、延べ床面積約12,838m2[65]
    店舗面積約10,053m2[120]
    退去跡のうち西館の東半分に2006年(平成18年)「ジュンク堂書店明石店」が出店[331](ダイエー閉店以前にも、「ジュンク堂書店明石店」は東館の5・6階で営業していた)。[独自研究?]
    西館は2008年(平成20年)春に1階にあなぶき興産のマンションギャラリー「アルファステイツ明石アヴェニュー」を開設していたが退去後、2010年(平成22年)10月28日に1階に100円ショップ「FLET's(フレッツ)」開店。2010年(平成22年)10月8日に2階にリサイクルショップ「古着常屋(こぎつねや)」を開店していたが、2012年(平成24年)6月24日に閉店している。[独自研究?]
    地元の地権者らで作る明石駅前南地区市街地再開発組合が6階建ての商業・公共施設棟と34階建ての住宅棟からなる再開発ビルを建設する明石駅前南地区再開発事業を進めており[332]、2013年(平成25年)12月20日から建物を解体し[333]、2014年(平成26年)6月6日に新築工事に着工[334]、住宅棟は同年8月7日に着工した[335]。完成は2017年1月の予定である[334]2016年12月1日にパピオス明石として開業[336]
  • ハイパーマート二見店 → ディー・ハイパーマート二見店[2](1990年(平成2年)4月[169] 12日 - 2002年(平成14年)8月31日[131]) 明石市
    店舗面積約20,662m2[120]
    当初は直営であったが、1999年(平成11年)8月1日に株式会社ダイエー・ハイパーマートに[広報 1]、さらに2000年(平成12年)9月1日に株式会社ディー・ハイパーマートに移管された[2]。閉店発表当初は別館のみ閉鎖であったが、発表が変更されて全館閉鎖になった。
    退去跡の本館部分は「カルフール明石」を2004年(平成16年)1月23日に開店[337] したが、2007年(平成19年)[338] 1月10日に閉店。別館部分は「ミドリ電化二見店」(現:エディオン)を2004年(平成16年)1月17日に開店。カルフール明石が閉店後も営業を継続していたが、「イトーヨーカドー明石店」へ移転に伴い、2013年(平成25年)10月14日に閉店。[独自研究?]本館部分の跡地は、同じイオングループイオンリテールに運営譲渡され、2008年(平成20年)10月3日に「イオンタウン明石ショッピングセンター」が開業[339] し、2011年(平成23年)11月21日に運営がイオンタウンに移管され、名称も「イオンタウン明石」に変更されたが、運営会社の退去に伴い2014年(平成26年)12月31日に閉店[広報 19] した。
  • 加古川店 →ディーランド加古川(1973年(昭和48年)6月29日[340][141] - 1999年(平成11年)1月10日) 加古川市加古川町溝ノ口字案内510-1[141] SC名称:加古川ショッパーズプラザ[340](加古川ニッケビル[99]
    地下1階地上5階建て[340]、延べ床面積約14,784m2[99]、店舗面積約10,040m2[340]
    跡地にCASA竹田家具が出店したが、2014年(平成26年)3月31日をもって建物の老朽化に伴い閉店、建物も解体された。[独自研究?]
  • 加古川パークタウン店(1984年(昭和59年)2月8日[341][157][216] - 2002年(平成14年)12月31日[342]) 加古川市寺家町173-1[341]
    敷地面積約41,500m2[341]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[341]、延べ床面積約41,256m2[341]、店舗面積約17,871m2[341](当社店舗面積約12,472m2[341])、駐車台数約1,300台[341]
    ニッケパークタウン」の核店舗として出店していた[341]
    加古川駅西側にあった。2004年(平成16年)5月30日に「コープこうべ」[343]・「ミドリ電化」等が出店・ダイソー等が出店[344]

丹波[編集]

プラザ氷上店
プラザ市島店
  • プラザヒカミ プラザ氷上店(? - 2002年(平成14年)11月5日[345]氷上郡氷上町[345](現:丹波市
    1982年(昭和57年)に設立されて1985年(昭和60年)にダイエーとフランチャイズ契約を結んでFC店となり[345]、1989年(平成元年)に100%出資の子会社となった[345](株)プラザヒカミが運営していた[346]。当店閉店後にプラザヒカミも解散して清算[345][346] された。
  • プラザヒカミ プラザ市島店×(? - 2002年(平成14年)10月25日[345]) 氷上郡市島町[345](現:丹波市)
    跡地は三ツ丸ストアー プラザ市島店が営業後、解体され現在はフレッシュバザール市島店。[独自研究?]

奈良県[編集]

奈良市[編集]

  • 奈良店×(1971年(昭和46年)11月23日[312] - 2005年(平成17年)11月20日[347]奈良市油阪町2-3[114]SC名称:浅川ビル(旧:奈良ショッパーズプラザ)
    敷地面積約1,650m2[312]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上5階建て[312]、延べ床面積約10,813m2[312]、店舗面積約7,602m2[312](直営店舗面積約5,001m2[26])。
    JR奈良駅前の奈良市油阪町の三条通り沿いの[348]「奈良観光ホテル」の開発した商業施設へ出店した[312]
    建物が解体され、CDレンタルショップとして建築確認された後2007年(平成19年)6月にパチンコ店に変更申請され[348]、奈良市が「奈良市ラブホテル及びぱちんこ屋等建築等規制条例」[348] 違反として大阪市の遊技場経営会社「アンダーツリー」に12月26日に建築等中止命令書を送付したが[349]、「法も県条例も守っている」と反論して工事を続行したため[348]、奈良市は奈良地方裁判所に工事続行禁止を求める仮処分命令を申し立てたが2008年(平成20年)2月に却下され[348]、パチンコ店[350] やドラッグストアなどが出店している。[独自研究?]
富雄店
  • 富雄店(旧:関西ユニード[351]、1973年(昭和48年)5月18日に新築開店[351] 。1982年3月20日に全面建て替えのため一時閉鎖。1983年4月1日に建替とともに増床され再開店 - 2016年(平成28年)2月29日) 奈良市富雄元町2-6-1[133]
    店舗面積約8,712m2[133]、直営店舗面積約5,370m2[133]
    2016年(平成28年)3月1日に本州の総合スーパー29店舗が「イオンリテールストア」に承継されて[95]、運営がイオンリテールへ移行し、後にイオン富雄店となったが、2019年(令和元年)10月31日に閉店。この移管により「ダイエー」屋号の店舗は奈良県から完全に消滅したが、2021年(令和3年)12月1日にマルナカ富雄南店が「ダイエー」に変更し復活している。

奈良市を除く奈良県[編集]

  • サカエ北大和店→グルメシティ北大和店(1995年(平成7年)11月[352] - 2017年(平成29年)2月28日)生駒市北大和1丁目23-1[353] 跡地は「スーパーヤオヒコ北大和店」が同年12月開店。
    上記の富雄店移管後唯一のダイエー運営店舗だった。この店舗の閉店により、ダイエーは奈良県から一時撤退していたが、2019年(令和元年)3月1日に山陽マルナカからマルナカ富雄南店運営を継承した事により奈良県での店舗展開を再開、上記のように2021年(令和3年)12月1日に「ダイエー」店舗となった。
  • 大和高田店(1975年(昭和50年)11月22日[354] - 2005年(平成17年)8月31日[170][171][172]大和高田市幸町3-18[354] SC名称:オークタウン大和高田[354]
    敷地面積約35,573m2[354]、鉄筋コンクリート造地上6階建て塔屋1階[354]、延べ床面積約42,656m2[354]、店舗面積約17,384m2[354](当社店舗面積約11,931m2[354])、駐車台数約1,000台[354]
    ユニチカの工場跡地に出店した[355]
    跡地には2005年(平成17年)12月8日にライフ大和高田店が開店した[356]
  • 西大和店(1986年(昭和61年)11月21日[357] - 2002年(平成14年)5月31日)北葛城郡上牧町大字上牧3506[357] SC名称:レインボープラザ西大和[357]
    敷地面積約31,075m2[357]、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建て塔屋1階[357]、延べ床面積約35,484m2[357]、店舗面積約13,937m2[357](当社店舗面積約9,370m2[357])、駐車台数約1,000台[357]
    株式会社 三津富の所有するレインボープラザ「レインボープラザ西大和」内に出店[357]
    店舗跡にはスーパーマーケットKINSHO西大和店(1階、店舗面積約2,022m2[358]を核店舗とする商業施設が2002年(平成14年)9月28日に開業し[359]KINSHOが2014年8月31日に閉店した。[要出典]
  • サカエ天理店(? - ?)[要出典]
  • 八木店 → トポス八木店[99]×(1973年(昭和48年)4月[114] - 1993年(平成5年)業態転換 - 1999年(平成11年)6月28日[314]橿原市新賀町大字西大垣内251[114] SC名称:八木ショッパーズプラザ[99]
    店舗面積約6,319m2[314][114]

和歌山県[編集]

  • 和歌山店(1981年(昭和56年)2月[109] 28日 - 2013年(平成25年)7月31日[360]和歌山市小雑賀805-1[361]
    店舗面積約9,500m2[109]
    閉店時の直営店舗面積約6,827m2[広報 3]
    敷地面積約10,000m2に建設された2階建てで1階が売り場、2階が駐車場になっていた[362]。1990年(平成2年)度に約91億円の売上を上げていたが、競合他社の相次ぐ出店などで売上不振が続いて2011年(平成23年)度に約23億円にまで減少したことや借地契約満了などのため閉店になった[362]。当店の閉店で、ダイエー資本による直営店は和歌山県内から無くなっていたが、後にグルメシティ近畿を吸収した際に、県下にあった7店舗が直営化して、そのうち田辺SC店が2017年6月24日に「ダイエー」に転換したことで復活している[362]
    店舗跡はオークワが取得し [362]、建物は一部改築して2014年(平成26年)9月4日に「スーパーセンターオークワセントラルシティ和歌山店」が開業した[363]
  • ハイパーマート岩出店(1996年6月 - 2000年(平成12年)9月30日[183]那賀郡岩出町(現:岩出市
    当初は直営であったが、1999年(平成11年)8月1日に株式会社ダイエー・ハイパーマートに移管[広報 1]株式会社ディー・ハイパーマートには移管されないまま閉店した。[要出典]
    閉鎖から約7年経ち、2007年(平成19年)9月20日に「ロッシュコートI」として生まれ変わり、まず2階にヒマラヤが開店した。[独自研究?]
    1Fはヒマラヤが開店した後もテナント未定のままだったが、その後、1Fには「マナベ インテリアハーツ」が開店することとなり、2Fの一部を除いてテナントが埋まる予定。ハイパーマート特有のスロープ式のエスカレーターが健在である。[独自研究?]
    ダイエー時代の第2駐車場跡地に「ロッシュコートII」が建設され[364]、2008年(平成20年)5月に開店している[365]。家電量販店ジョーシン[364]とドラッグキリンが出店している。[独自研究?]
  • ダイエーミドリ美浜店 → サカエ美浜店(旧:ミドリ、1977年(昭和52年)5月 - 2002年(平成14年)6月15日) 日高郡美浜町
  • 2002年(平成14年)3月にサカエとなるものの閉店。
  • ダイエーミドリ西浜店(旧:ミドリ、? - 2002年(平成14年)3月20日) 和歌山市
    跡地には2002年(平成14年)5月にオークワが居抜き出店[366]同社の大浦街道店となった。[要出典]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 同店の所在地は、西宮市浜松原町21-1

出典[編集]

  1. ^ ダイエー店舗情報
  2. ^ a b c d e f g h i j ハイパーマートの再編について (Report). ダイエー. (2000年7月21日)
  3. ^ a b c d e 松瀬晴行 (2007年2月14日). “常連客ら「寂しい」 ダイエー近江八幡店閉店”. 中日新聞 (中日新聞社)
  4. ^ a b c d e 週刊ストアジャパン電子版 「会員ページ"」のサンプル チェーンストア2000年度店舗別売上高と坪効率”. ストアジャパン社. 2014年4月19日閲覧。
  5. ^ “オープンに5万人 ダイエー近江八幡店 スーパー戦争火ブタ”. 京都新聞(京都新聞社). (1987年11月21日)
  6. ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1056
  7. ^ “さよならダイエー 近江八幡店も閉店”. 京都新聞(京都新聞社). (2007年2月14日)
  8. ^ “平和堂 近江八幡ダイエー跡地に出店へ・「アル・プラザ型」総合SC予定”. 朝日新聞 (朝日新聞社). (2007年3月1日)
  9. ^ “ダイエー近江八幡店が閉店 来年2月12日、営業力見込めず”. 中日新聞 (中日新聞社). (2006年11月18日)
  10. ^ a b “「サルビアタウン」20日にオープン 核店舗はダイエー、1500台の駐車能力”.毎日新聞 (毎日新聞社). (1987年11月17日)
  11. ^ “ダイエーを誘致 近江八幡中央商業開発社長 小川金一郎さん 商業近代化スタート”. 読売新聞(読売新聞社). (1987年12月25日)
  12. ^ “小売業者と共存共栄”. 京都新聞(京都新聞社). (1987年11月21日)
  13. ^ “「ぷれーばっく '86湖国この一年」 ダイエー1号店 消費者パワーで決着 「進取」忘れた近江八幡経済界”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (1986年12月10日)
  14. ^ “「'86 話題の人 いま語る」 近江八幡商工会議所会頭 佐田長雄さん 「ダイエー」進出 町を二分”. 読売新聞(読売新聞社). (1986年12月13日)
  15. ^ “結論持ち越し ダイエー進出計画 近江八幡商調協”. 読売新聞(読売新聞社). (1986年1月30日)
  16. ^ “焦点はダイエー出店 近江八幡 大型店進出の規模縮少答申”. 読売新聞(読売新聞社). (1986年9月17日)
  17. ^ “ダイエー進出 街の活性化に期待 近江八幡市のサルビアタウン”. 京都新聞(京都新聞社). (1986年9月18日)
  18. ^ “ダイエー進出へゴー 近江八幡・4年ぶり商調協了承 来年11月開店予定”. 京都新聞(京都新聞社). (1986年10月17日)
  19. ^ “ダイエー近江八幡店あす新装開店 売り場面積3600平方メートル増やす”. 京都新聞(京都新聞社). (1990年2月22日)
  20. ^ “近江八幡ダイエー跡に平和堂が出店 アル・プラザとして6月頃オープン 滋賀県近江八幡市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年3月8日)
  21. ^ “(株)平和堂 『アル・プラザ近江八幡』 6月1日オープン 滋賀県近江八幡市” タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年6月7日)
  22. ^ a b c d 戸所隆 『商業近代化と都市』 古今書院、1991年11月1日。ISBN 978-4772217156
  23. ^ a b “ダイエー核の大型店 商戦火花、住民は歓迎 堅田にオープン”. 読売新聞(読売新聞社). (1988年11月24日)
  24. ^ a b “17年の歴史に幕 ダイエー堅田(かたた)店が閉店”. 京都新聞 (京都新聞社). (2005年11月28日)
  25. ^ "ダイエー、9店舗を追加閉鎖". 建設通信新聞 (日刊建設通信新聞社). (2005年9月28日)
  26. ^ a b c d e 『流通会社年鑑 2001年版』 日本経済新聞社、2000年12月11日。
  27. ^ “ダイエー出店を計画 大津の「さくらショッピング・プラザ」 来秋オープンめざす”. 朝日新聞(朝日新聞社). (1986年7月4日)
  28. ^ “堅田商工会の内部対立表面化 ダイエー進出問題 会長らを告訴、告発 理事会運営、議事録めぐり”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (1986年11月18日)
  29. ^ “さくらショッピングプラザ 今秋店開きへ着工 核テナントはダイエー 大津・今堅田”. 京都新聞(京都新聞社). (1988年1月31日)
  30. ^ 『新修大津市史 第6巻 現代』 大津市、1983年。
  31. ^ a b “ダイエー傘下入り 滋賀のヒカリ屋”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (1990年4月1日)
  32. ^ a b c 『滋賀年鑑 昭和59年版』 京都新聞社、1983年11月。 pp657
  33. ^ a b “地域再開発の核に期待 オープン祝い多彩な催し 「明日都浜大津」しゅん工”. 京都新聞(京都新聞社). (1998年3月27日)
  34. ^ a b “開業6年で幕「浜大津オーパ」撤退 大津・明日都”. 京都新聞(京都新聞社). (2004年4月1日)
  35. ^ “7日に地元説明 7年開店へ始動 高島屋店舗1万1500平方メートル 浜大津駅前再開発ビル”. 京都新聞(京都新聞社). (1990年12月4日)
  36. ^ “再開発組合が発足、浜大津駅前B地区”. 京都新聞(京都新聞社). (1991年1月18日)
  37. ^ “店舗面積申請通り 浜大津進出の高島屋出店”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (1991年7月3日)
  38. ^ “再開発ビルの年度内着工断念 浜大津駅前B地区”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (1991年12月7日)
  39. ^ “浜大津駅前開発 着工延期を表明 大津市 地権者の権利変換が遅れる”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (1991年11月27日)
  40. ^ “高島屋が出店中止 市「再開発」見直しも バブル崩壊など影響 大津市浜大津高層ビル計画” 産経新聞 (産経新聞社). (1992年9月10日)
  41. ^ “出店中止で補償交渉 高島屋と地元再開発組合 浜大津”.毎日新聞 (毎日新聞社). (1993年5月13日)
  42. ^ “高島屋撤退 新たな目玉探し かつて進出示した8社に望みかける” 産経新聞 (産経新聞社). (1992年9月25日)
  43. ^ “出店の意向を持つ代わりの百貨店なし 高島屋問題で会見 大津市長” 産経新聞 (産経新聞社). (1993年10月23日)
  44. ^ “「ダイエーアゴラ」進出 正式契約へ支援 山田大津市長会見” 産経新聞 (産経新聞社). (1994年6月11日)
  45. ^ “浜大津活性化へゴー 再開発複合ビル起工 専門店やマンション 97年秋完成予定”. 京都新聞(京都新聞社). (1995年11月28日)
  46. ^ “大型スーパー出店で地元商店街が反発 「浜大津オーパ」の事前説明会”. 京都新聞(京都新聞社). (1997年3月25日)
  47. ^ “ダイエー出店中止に 十字屋、「地元の反対は無関係」 浜大津オーパ”. 朝日新聞(朝日新聞社). (1997年5月29日)
  48. ^ “朝比奈光夫理事長(浜大津駅前B地区市街地再開発組合) 若者多く客足順調”. 京都新聞(京都新聞社). (1998年4月7日)
  49. ^ “「明日都浜大津」オープン2か月余 市役所-案内所は閑古鳥 駅利用-昨年同期の2.6倍”. 読売新聞(読売新聞社). (1998年6月4日)
  50. ^ “空き店舗目立つ 市など対応に乗り出す 浜大津OPA”. 読売新聞(読売新聞社). (1999年9月2日)
  51. ^ “家族向けにリニューアル 市も集客策を検討 浜大津OPA”. 京都新聞(京都新聞社). (2000年1月25日)
  52. ^ “カジュアル衣料や靴などの5店オープン 再開発ビル・浜大津オーパ”. 中日新聞 (中日新聞社). (2000年5月9日)
  53. ^ “2階フロアの8割が空き 再開発ビル明日都浜大津 町の活性化策に暗い影 集客数は当初の半分以下”.毎日新聞 (毎日新聞社). (2003年5月10日)
  54. ^ “噂ついに現実に 「オーパ」撤退 客やテナント困惑”. 京都新聞(京都新聞社). (2003年3月1日)
  55. ^ “浜大津OPA 十字屋、所有部分寄付へ 大津市に打診秋までに結論”. 読売新聞(読売新聞社). (2003年6月14日)
  56. ^ “複合ビル明日都浜大津 行政機関入居、活用へ 床の所有権 大津市が寄付受け入れ”. 京都新聞(京都新聞社). (2003年10月8日)
  57. ^ “出店ゼロさみしい再開 駅前ビル「明日都浜大津」 1階の4割埋まらず 29日改装オープン”. 読売新聞(読売新聞社). (2006年4月18日)
  58. ^ “浜大津再生へオープン コジマ”. 京都新聞(京都新聞社). (2006年12月2日)
  59. ^ 千葉紀和 (2012年8月25日). “コジマNEW大津店:明日都浜大津、来月23日閉店 市「大変残念だ」”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  60. ^ a b c 『食品小売業を巡る課題と戦略 食品流通年報 1976年版』 日本食糧新聞社、1976年2月25日。pp293
  61. ^ “ダイエー藤森店、37年営業に幕 来年5月閉店”. 京都新聞 (京都新聞社). (2012年12月6日)
  62. ^ a b c d e “スケッチブック 最近竣工した新建築18点(No.1135~1152)”. 建築と社会 1975年10月号 (日本建築協会) (1975年10月1日).pp8
  63. ^ a b “京阪藤森駅前に分譲マンションが計画”. 建通新聞 (建通新聞社). (2013年6月14日)
  64. ^ a b c d e “グルメシティ京極店 が7月末閉店 老朽、採算悪化で”. 京都新聞 (京都新聞社). (2014年5月13日)
  65. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2000年版』 東洋経済新報社、2000年。
  66. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp234
  67. ^ a b “グルメシティ近畿、「グルメシティ西大路店」オープン 「会員特価」を導入”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2012年10月26日). pp12
  68. ^ a b c ダイエーグルメシティ西大路店、2022年10月31日閉店-大国屋西大路店跡、僅か10年で”. 都商研ニュース (2022年10月29日). 2023年12月26日閲覧。
  69. ^ a b c d 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2003年版』 東洋経済新報社、2003年。pp1122
  70. ^ a b 内田保典 “(株)ダイエー わが社のパートタイマーについて”. 関西経協 1988年11月号 (関西経営者協会) (1988年11月10日).pp38
  71. ^ a b c 産経新聞「戦後史開封」取材班/編 『戦後史開封 社会・事件編』 扶桑社文庫、1999年12月16日。ISBN 978-4-594-02819-0
  72. ^ 宇田川勝 中村青志 『マテリアル日本経営史 江戸期から現在まで』 有斐閣、1999年2月。ISBN 978-4641160538。pp131
  73. ^ 『全国薬局薬店名鑑 1964年版』 薬事日報社、1964年8月1日。pp753
  74. ^ a b “グループのシナジー効果を発揮して総合生活提案集団を目指す”. 激流 1986年5月号 (国際商業出版) (1986年5月).pp26-31
  75. ^ 田中陽 (2012年9月9日). “(17)ダイエー誕生(1957年)1億総中流の夢の跡「主婦の店」豊かさの象徴に”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社)
  76. ^ 日経流通新聞2010年6月4日3面コラム
  77. ^ a b c d e f g h 『流通会社年鑑 1976年版』 日本経済新聞社、1975年11月13日。 pp92
  78. ^ a b c 『流通会社年鑑 1997年版』 日本経済新聞社、1996年12月4日。
  79. ^ a b c d "14店舗きょう閉鎖/ダイエー 水戸店など". 東京新聞 (中日新聞社). (2005年10月31日)
  80. ^ a b c d e f g h i j k l m 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp112
  81. ^ a b c 本郷貫一郎『小売王奮戦記』 徳間書店、1962年12月20日。pp201
  82. ^ 過去の陸軍~国土地理院地形図を対査して確認
  83. ^ a b c d 佐野眞一 『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』 日経BP社、1998年7月10日。ISBN 978-4822241209
  84. ^ 日経流通新聞 2005年(平成17年)11月2日 ダイエー創業地 トポス千林店が閉店より
  85. ^ 『デパート・ニューズ調査年鑑 1968年度版』 デパートニューズ社、1968年5月15日。pp308
  86. ^ 『流通会社年鑑 1978年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。
  87. ^ a b c “ダイエー、三国店など閉鎖”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年9月4日)
  88. ^ a b c d e f g 荒屋勝 “スーパーマーケット情報”. 食品と科学 1974年1月号 (食品と科学社) (1974年1月).pp80-82
  89. ^ 『全国青果小売商組合連合会沿革史』 全国青果小売商組合連合会、1965年1月15日。 pp1903
  90. ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1136
  91. ^ a b c d 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2004年版』 東洋経済新報社、2004年。
  92. ^ a b c d e f g h i 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp588
  93. ^ a b c d 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1114
  94. ^ a b c d e f g h i j 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2005年版』 東洋経済新報社、2005年。
  95. ^ a b c d e f g h i j 川崎博之(2016年4月20日). “総合小売3社決算 収益寄与は速度次第 GMS改革、地域深掘りに鍵”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). pp4
  96. ^ a b c d “関西のダイエー、イオンに 京橋店など 月内に11店切り替え”. 日本経済新聞(日本経済新聞社). (2016年3月2日)
  97. ^ a b c “レディスウェア100億消費市場全国21都市(その6)大阪”. ヤノニュース 1984年10月25日号 (矢野経済研究所) (1984年10月25日).pp53
  98. ^ a b c d e f g h i j 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp275
  99. ^ a b c d e f g 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 1996年版』 東洋経済新報社、1996年。
  100. ^ a b c 『近畿粧業名鑑 1967年版』 大阪化粧品商報社、1967年1月1日。pp219
  101. ^ a b c 『近畿粧業名鑑 1967年版』 大阪化粧品商報社、1967年1月1日。pp222
  102. ^ “レディスウェア100億消費市場全国21都市(その6)大阪”. ヤノニュース 1984年10月25日号 (矢野経済研究所) (1984年10月25日).pp51
  103. ^ “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1984年6月15日号 (矢野経済研究所) (1984年6月15日).pp47
  104. ^ "ダイエー「プランタンなんば」と「プランタン新札幌店」を店名変更 三月一日付けで「カテプリ」に". タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年1月24日)
  105. ^ a b c d e “日本のSC エスカール”. ショッピングセンター 1984年4月号 (日本ショッピングセンター協会) (1984年4月1日).pp9
  106. ^ a b c 『エスカールビル』 ひろば 通巻241号 (近畿建築士会協議会) (1984年5月15日)。pp26
  107. ^ 日経流通新聞 2000年(平成12年)10月17日 「カテプリなんば」閉鎖 売り上げ回復難航 賃貸ビルとして存続へより
  108. ^ “ダイエー、エスカールなんばを売却 大阪市中央区”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年2月16日)
  109. ^ a b c d e f g h i j k 『流通会社年鑑 1990年版』 日本経済新聞社、1990年11月24日。
  110. ^ a b “レディスウェア100億消費市場全国21都市(その6)大阪”. ヤノニュース 1984年10月25日号 (矢野経済研究所) (1984年10月25日).pp54
  111. ^ a b 『近畿粧業名鑑 1967年版』 大阪化粧品商報社、1967年1月1日。pp217
  112. ^ a b c d e 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp373
  113. ^ a b “大店法の規制緩和と大手スーパーの動向”. 日本債券信用銀行調査時報 No.111 (日本債券信用銀行) (1991年3月).pp18
  114. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp113
  115. ^ 関山昇 “大手レギュラーチェーンの現状と将来”. 商店界 1965年2月号 (誠文堂新光社) (1965年2月).pp150-152
  116. ^ a b 『日本セルフ・サービス年鑑 1970年版』 日本セルフ・サービス協会、1970年3月20日。pp280
  117. ^ a b “ダイエーのカフェレストラン「ディズカフェ」が開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年3月19日). pp16
  118. ^ “ダイエー復活へのシナリオ(2) 顧客の利便性重視”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1997年9月3日). pp1
  119. ^ “次世代戦略店舗・ダイエーのWMC2号店「Kou'S大阪南港店」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年1月1日)
  120. ^ a b c d e f g h 『流通会社年鑑 1998年版』 日本経済新聞社、1997年12月2日。
  121. ^ 『特集 日本のスーパーマーケット 食品流通年報1972年版』 日本食糧新聞社、1971年11月25日。pp65
  122. ^ a b c 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1977年10月25日。
  123. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1151
  124. ^ “イオン長吉店、2023年8月31日閉店-平野区随一の大型店「出戸再開発ビル」の旧ダイエー、37年の歴史に幕”. 都市商業研究所. (2023年7月5日). https://toshoken.com/news/26275 2024年4月3日閲覧。 
  125. ^ a b “九州支局開局10周年記念特集 九州家電市場変遷史(後編)”. 向上の電化 1974年10月号 (日刊電気通信社) (1974年10月).pp67-105
  126. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1162
  127. ^ a b c d “地域の開発”. 地域経済 1981年6月号 (泉州銀行) (1981年6月).pp16
  128. ^ 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC (Report). 日本ショッピングセンター協会. (2012年1月)
  129. ^ a b “堺東駅南地区再開発会社/ジョルノビル再々開発(堺市)/基本設計はRIAに”. 日刊建設工業新聞 (日刊建設工業新聞社). (2014年11月6日)
  130. ^ a b c “「このままでは幽霊ビルに」堺市の駅前商業ビル 130超の権利者で建て替え難航”. 産経新聞 (産経新聞社). (2012年9月28日)
  131. ^ a b c "ダイエー、グループの閉鎖11店舗を発表". 読売新聞 (読売新聞社). (2002年7月1日)
  132. ^ a b c d e f g h i j 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1164
  133. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。
  134. ^ 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年6月15日。 pp33
  135. ^ “ダイエー中もず店8月閉店、建て替えへ 来年夏オープン予定 大阪府堺市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年7月5日)
  136. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp590
  137. ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2003年版』 東洋経済新報社、年。
  138. ^ 『日本商業年鑑 1971年版』 商業界、1971年6月15日。
  139. ^ “コーナン中もず店 ダイエー跡に7月12日オープン ワンストップ複合型で年商30億円めざす 大阪府堺市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年8月2日)
  140. ^ “コーナンとコラボで復活 ダイエーグルメシティ中もず店 7月12日オープン 大阪府堺市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年7月23日)
  141. ^ a b c d e f g h i j k l m 『流通会社年鑑 1976年版』 日本経済新聞社、1975年11月13日。 pp93
  142. ^ “ダイエー、津久野店をSMに業態転換、食品部門など品揃え強化”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年8月29日)
  143. ^ “ダイエー/グルメシティ津久野店「イオンフードスタイル」に刷新”. 流通ニュース. (2020年6月3日). https://www.ryutsuu.biz/store/m060319.html 2024年3月8日閲覧。 
  144. ^ a b c 『近畿粧業名鑑 1967年版』 大阪化粧品商報社、1967年1月1日。pp227
  145. ^ a b “パチンコ 公団分譲マンションにオープンした「az」”. 月刊レジャー産業資料 1996年5月号 (綜合ユニコム) (1996年5月).pp23-24
  146. ^ 『特集 日本のスーパーマーケット 食品流通年報1972年版』 日本食糧新聞社、1971年11月25日。pp66
  147. ^ “レディスウェア100億消費市場全国21都市(その6)大阪”. ヤノニュース 1984年10月25日号 (矢野経済研究所) (1984年10月25日).pp50
  148. ^ “ど根性飲食店(1)スーパーの中の小さなうどんや”. 日食外食レストラン新聞 (日本食糧新聞社). (2000年7月3日)
  149. ^ 「ダイエー四条畷店」リニューアルオープンについて(2017年4月25日)
  150. ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1979年版』 日本ショッピングセンター協会、1979年11月20日。pp729
  151. ^ “ダイエー、「ダイエーグルメシティ住道店」オープン”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2008年3月14日)
  152. ^ a b c d e f g h 『日本のショッピングセンター ショッピングセンターの現状分析 1971年版』 日本繊維経済研究所、1971年1月10日。pp173
  153. ^ a b c d e 田中謙吉、向畑泰司 (2014年2月11日). “大阪・門真市再開発:補償「29億円支払い違法」 住民が市を提訴”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  154. ^ a b 田中謙吉、向畑泰司 (2013年11月18日). “大阪・門真市再開発:住民男性、提訴へ 移転補償費返還求め”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  155. ^ 田中謙吉、向畑泰司 (2014年1月15日). “大阪・門真市再開発:住民男性、提訴へ 移転補償費返還求め”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  156. ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1232
  157. ^ a b “(1)「ニューSC」元年であった昭和59年”. ショッピングセンター 1984年12月号 (日本ショッピングセンター協会) (1984年12月1日).pp23
  158. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1229
  159. ^ “ダイエー大和田店8月19日で閉店 大阪府門真市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2001年6月18日)
  160. ^ “サカエ大和田店3月30日(日)オープン 大阪府門真市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2003年4月24日)
  161. ^ 「ダイエー大和田店」リニューアルオープン(2015年12月3日)
  162. ^ a b 中田信哉“建設さかんな関西のショッピングセンター 茨木ショッパーズプラザと百舌ショッピングセンター”. 流通情報 1969年10月号 (流通経済研究所) (1969年10月).pp16
  163. ^ 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp586
  164. ^ “ダイエーグルメシティくずはモール店 4月14日「くずはモール」1階にオープン 大阪府枚方市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2005年5月12日)
  165. ^ “第一種大規模小売店舗の小売業の公示”. 通産省公報 No.9963 (通商産業調査会) (1983年3月24日).pp7
  166. ^ “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1984年6月15日号 (矢野経済研究所) (1984年6月15日).pp51
  167. ^ a b c d e f 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp589
  168. ^ a b 藤田邦昭 “都市のイメージアップを図ると同時に、周辺への波及効果を狙う”. ショッピングセンター 1987年2月号 (日本ショッピングセンター協会) (1987年2月1日).pp37
  169. ^ a b c d e f g h i j k 大友達也 (2007年10月). "《研究展望》あの弱かったイオンがダイエーを呑み込んでしまった。何故?". 社会科学 79号 (同志社大学 人文科学研究所)
  170. ^ a b c d "ダイエーが9店を今日閉鎖 再生機構の支援後初めて" 産経新聞 (産経新聞社). (2005年8月31日)
  171. ^ a b c d "ダイエー 閉鎖54店舗確定". 読売新聞 (読売新聞社). (2005年9月30日)
  172. ^ a b c d "ダイエー、9店舗を閉鎖 老朽化の不採算店舗". 建設通信新聞 (日刊建設通信新聞社). (2005年9月1日)
  173. ^ 『化粧品石鹸年鑑 1969年版』 日本商業新聞社、1969年12月25日。pp231
  174. ^ a b “作品作風 香里ショッパーズ・プラザ (株)泉沢建築設計事務所 不動建設株式会社”. 建築と社会 1969年8月号 (日本建築協会) (1969年8月1日).pp28
  175. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1979年版』 日本ショッピングセンター協会、1979年11月20日。pp715
  176. ^ 荒屋勝 “スーパーマーケット情報”. 食品と科学 1972年8月号 (食品と科学社) (1972年8月).pp64-66
  177. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1217
  178. ^ a b c “ダイエー富田林店の解体始まる 日新工営で”. 建通新聞 (建通新聞社). (2015年12月4日)
  179. ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1979年版』 日本ショッピングセンター協会、1979年11月20日。pp719
  180. ^ a b “ダイエー富田林店跡地にコノミヤが出店へ”. 建通新聞 (建通新聞社). (2016年3月11日)
  181. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1249
  182. ^ a b c d 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1194
  183. ^ a b "ダイエー、ハイパーマート7店閉鎖 建て直しへ背水の陣". 朝日新聞 (朝日新聞社). (2000年7月21日)
  184. ^ 高槻市史編さん委員会 『高槻市史 第2巻』 高槻市、1984年。
  185. ^ a b “平和堂、「フレンドマート高槻川添店」オープン 即食・簡便対応を強化”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2011年12月16日)
  186. ^ “閉店ニュース”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2013年8月29日)
  187. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1206
  188. ^ a b c d e 若林照光 『現代の商人学中内功の研究』 プレジデント社、1981年1月20日。
  189. ^ a b “開店予定”. ショッピングセンター 1991年5月号 (日本ショッピングセンター協会) (1991年5月1日).pp125
  190. ^ “届出情報”. ショッピングセンター 1987年3月号 (日本ショッピングセンター協会) (1987年3月1日).pp70
  191. ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1189
  192. ^ a b c d e 『小売業の経営ビジョン』 誠文堂新光社、1967年12月15日。pp184
  193. ^ “ダイエーが阪急・池田駅前店に新館 11月17日に出店/大阪”. 読売新聞 大阪朝刊: pp. 8. (1995年10月26日) 
  194. ^ a b 『繊維年鑑 昭和56年版』 日本繊維新聞社、1981年4月1日。pp97
  195. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1185
  196. ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1176
  197. ^ a b “ダイエー、店外営業の「庄内店」全面復旧で10日から通常営業開始”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年3月15日)
  198. ^ a b c 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2008年版』 東洋経済新報社、2008年。
  199. ^ 徳永清誠(2014年4月3日). “ダイエー、「豊中駅前店」オープン 都市型SM関西1号”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). pp14
  200. ^ a b c d e 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp591
  201. ^ a b "ダイエーが不採算8店舗の閉鎖を発表". 読売新聞 (読売新聞社). (2001年2月19日)
  202. ^ “外食産業年表(第1回昭和40~47年)”. 季刊外食産業研究 第8巻 第3号 (外食産業総合調査研究センター) (1990年5月).pp95
  203. ^ a b c d e f “日本のSC ショッパーズモール泉佐野(大阪府泉佐野市)”. ショッピングセンター 2000年9月号 (日本ショッピングセンター協会) (2000年9月1日).pp46
  204. ^ a b “ダイエー 大阪・泉佐野店、SMに GMSから転換 不動産会社が施設継承”. 日経MJ (日本経済新聞社). (2006年3月10日)
  205. ^ a b c d e f g h i j “近づく貝塚市の大型量販店進出”. 地域経済 1986年3月号 (泉州銀行) (1986年3月).pp10
  206. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1198
  207. ^ “特集 転換期の再開発「C」再開発事例総覧:近畿地方28事例”. 建築と社会 1979年1月号 (日本建築協会) (1979年1月1日).pp91
  208. ^ a b “ダイエーがハイパーマート東貝塚店を開設、LCOで日常品揃う”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1994年11月23日)
  209. ^ a b “ダイエー、「ハイパー東貝塚店」改装 扱い品目2.5倍に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1997年6月11日)
  210. ^ “オークワ、「オークワ貝塚店」が開業”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年4月12日)
  211. ^ “オークワ貝塚店4月12日(金)オープン 大阪府貝塚市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年4月25日)
  212. ^ a b “地域の開発”. 地域経済 1981年11月号 (泉州銀行) (1981年11月).pp14
  213. ^ “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1974年7月号 (日本ショッピングセンター協会) (1974年7月1日).pp8
  214. ^ “近畿流通特集 関空開港で変貌する関西流通 小売=大型店の出店続々名乗り”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年9月29日)
  215. ^ “全面改装でイメージを統一、ダイエーさんのみや”. 総合食品 1986年11月号 (総合食品研究所) (1986年11月).pp57
  216. ^ a b c d e f g 吉田貞雄 『中内功の言葉のカンヅメ 永久革命をめざす 信念・人づくり・仕事・人使い』 中経出版、1989年2月。ISBN 978-4806103677
  217. ^ a b c d e f 片山又一郎 『ダイエー「盛」と「衰」の理論的研究 価値多様化時代のスーパー業界』 評言社、1984年11月12日。
  218. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp14
  219. ^ a b 元岡俊一 『IMDSリサーチノート 小売業者と生活協同組合の対話としての競争 ダイエーと灘神戸生活協同組合の事例を中心にして』 流通科学大学 流通科学研究所、2009年11月
  220. ^ a b 『ケースブック日本の企業家活動』 有斐閣、1999年3月31日。ISBN 978-4641160606
  221. ^ a b 『兵庫県産業年鑑 昭和38年版』 神戸新聞社、1963年8月1日 pp345
  222. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp15
  223. ^ 萩谷市郎 『バンタムバラエティショップ』 文化社、1964年7月15日。pp241
  224. ^ 『進展する流通革命 五マス・三S時代の日本』 日本経済新聞社、1963年5月10日。pp145
  225. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp19
  226. ^ 『現地ルポ スーパー旋風に おののく関西商店界(2)』 経済展望 1963年6月1日号 (経済展望社) (1963年6月2日)。pp86
  227. ^ a b c 岩掘安三 『ダイエー 強さの秘密 中内功の実践論・矛盾論』 評言社、1973年。ISBN 978-4828200019
  228. ^ a b c d e f g “第5部 都心再生(11)ダイエー戦略/店舗一新、人の流れ変える”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (1995年9月5日)
  229. ^ 『生活日用雑貨年鑑 1964年版』 日本生活日用雑貨新聞社、1963年12月10日。pp記9
  230. ^ a b c d e f g h i “阪神大震災復旧と救援活動 ダイエー、兵庫地区の営業本部組織を一部変更”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年2月3日). pp2
  231. ^ a b c d 『兵庫県下におけるスーパー・マーケットの現状』 神戸商工会議所、1968年3月20日。pp140
  232. ^ a b “神戸見聞録(その1)”. 新潟経済社会リサーチセンター月報 1980年4月号 (新潟経済社会リサーチセンター月報) (1980年4月1日).pp42
  233. ^ “首都圏進出をはかるダイエー”. 流通情報 1968年10月号 (流通経済研究所) (1968年10月).pp41
  234. ^ “証言で綴る広告史(19)スーパーの台頭と折込広告 折込広告の配布方法を確立 クリエーティブを練りに練る 証言者 土山広一氏”. 日経広告研究所報 第32巻 第3号 (日経広告研究所) (1998年6月1日).pp68
  235. ^ 加藤正文、松井元、藤本陽子、高見雄樹、竹内章 (2002年3月2日). “閉鎖 ダイエーと地域 下.再生のカギ 発祥の地で業態模索”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  236. ^ “ダイエー、神戸亜細亜屋台村オープン 三宮駅前店も再開”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年4月26日). pp14
  237. ^ a b c d “ダイエー、酒のスーパー「三宮店」開店 自慢のワイン・地酒ズラリ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1996年2月7日). pp16
  238. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp34
  239. ^ a b 『センターダイエー 藤沢建築設計事務所』 ひろば 通巻41号 (近畿建築士会協議会) (1967年9月15日)。pp144
  240. ^ “業績不振に陥っている衣料業界は、今注目されているアウトレット店で、息を吹きかえせるか!?”. 2020 AIM 1993年3月号 (オフィス2020) (1993年3月).pp70-71
  241. ^ “ストアニュース”. 総合食品 1993年4月号 (総合食品研究所) (1993年4月).pp87
  242. ^ “「クレフィ三宮」が開店 三宮のダイエー店舗跡地”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2004年10月9日)
  243. ^ a b c 中島摩子 (2004年10月15日). “三宮に商業ビル続々 震災復興、ダイエー跡地も一段落”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  244. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp49
  245. ^ 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表(5)』 長崎県立国際経済大学論集 第21巻 第4号 (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1988年3月)。pp48
  246. ^ “食品業界の動向”. 缶詰時報 1980年6月号 (日本缶詰びん詰レトルト食品協会) (1980年6月1日).pp30
  247. ^ “ユニクロが進出 神戸・三宮のダイエー跡地”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2002年5月2日)
  248. ^ a b 『流通会社年鑑 1979年版』 日本経済新聞社、1978年10月20日。 pp114
  249. ^ “ダイエーの遊品館「パレックス」が問われたカジュアル性”. 販売革新 1984年11月号 (アール・アイ・シー) (1984年11月).pp133-135
  250. ^ a b “産業界はスポーツ時代”. オール大衆 1980年6月15日号 (経済通信社) (1980年6月15日).pp60
  251. ^ “新SC経営戦略シリーズ(第11回)ヒューストン(101)”. ショッピングセンター 1983年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1983年1月1日).pp31
  252. ^ a b 『三宮センター街はセンター街の元祖 岸野利男氏に聞く』 ひろば 通巻244号 (近畿建築士会協議会) (1984年8月15日)。pp37
  253. ^ “新SC経営戦略シリーズ(第11回)ヒューストン(101)”. ショッピングセンター 1983年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1983年1月1日).pp30
  254. ^ 末永陽子 (2007年7月21日). “神戸三宮「ダイエー村」が消滅、ジョイント9月24日閉鎖…「収益性の面から営業継続が困難」”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  255. ^ a b c “ダイエー三宮南店、750坪に売場拡張 被災地の高ニーズ品強化”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年3月22日). pp12
  256. ^ a b c 坂口義弘 『ダイエーにおける失敗の研究』 エール出版社、1991年6月25日。ISBN 978-4753910427
  257. ^ a b 『ネアカのびのびへこたれず 中内功 言行録』 流通科学大学、2005年11月
  258. ^ 大規模小売店舗立地法 神戸市の届出状況等 - 神戸市公式ウェブサイト、2016年8月23日閲覧。[リンク切れ]
  259. ^ 大宮知信 “商品供給を絶やすな!小売業の使命を貫いた総帥・中内功の"意地"”. 財界 1995年6月号 (財界研究所) (1995年6月).pp96-98
  260. ^ “’85秋ビッグストア新店ダイジェスト”. 販売革新 1985年11月号 (アール・アイ・シー) (1985年11月).pp113-116
  261. ^ “ダイエー「ダイエーハーバーランド」開設1ヵ月間の営業概況発表”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年12月7日)
  262. ^ “神戸ハーバーランドのダイエー跡地にイズミヤ大型店を22日に開業”. 産経新聞 (産経新聞社). (2006年11月9日)
  263. ^ “神戸ハーバー新名所「Ha・Re」16日から順次開店”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2006年11月15日)
  264. ^ “イズミヤ、「ハーバーランド店」オープン“こだわり”拡大の実験店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年12月8日)
  265. ^ “全館開業に500人行列 ハーバーランドHa・Re”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2007年3月31日)
  266. ^ 大久保斉、松井元 (2005年9月22日). “流通革命を夢見て-中内功氏と神戸 中.愛着 開発行政と歩調合わせ”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  267. ^ a b c 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp37
  268. ^ a b c 『日本スーパーマーケット名鑑 1964年版』 商業界、1964年。pp225
  269. ^ a b 『スーパーマーケット・レイアウト集 1964年版』 商業界、1964年。pp42-43
  270. ^ a b c d e f 『全国食品スーパー名鑑 1973年版』 食品新聞社、1973年1月20日。pp36
  271. ^ a b c d ダイエーグルメシティ住吉店 来年1月で閉店 - 神戸新聞NEXT 2016年11月25日掲載 2017年2月7日閲覧[リンク切れ]
  272. ^ a b c d e f “関西大地震災害特報・食品界の被害甚大 流通・小売=スーパー倒壊相次ぐ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年1月20日). pp3
  273. ^ 『商業界二十年 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp177
  274. ^ a b c 白倉麻子 (2005年5月31日). “ダイエー5店閉鎖正式決定 グルメシティ六甲道駅前店など”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  275. ^ a b c “ダイエー、「イタリアーノ六甲道駅前店」開店 業態を再度変更”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1996年9月25日)
  276. ^ “ダイエー跡に「パントリー」 神戸・六甲道駅前”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2005年11月3日)
  277. ^ 土井秀人 (2014年5月16日). “ダイエー神戸・六甲道店 14年ぶり改装オープンへ”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  278. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1979年版』 日本ショッピングセンター協会、1979年11月20日。pp761
  279. ^ 『商業界二十年 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp159
  280. ^ 萩谷市郎 『バンタムバラエティショップ』 文化社、1964年7月15日。pp242
  281. ^ a b c d 新長田の格安スーパー「ロピア」17日に開店 再開発ビル、ダイエー跡地と隣接区画を賃借”. 神戸新聞 (2022年5月10日). 2022年5月10日閲覧。
  282. ^ 『商業界二十年 : 日本商業20年譜 1948-1967』 商業界、1967年。pp152
  283. ^ a b 建野堅誠 『日本スーパー発達史年表』 長崎県立国際経済大学論集 第23巻(別冊) (長崎県立国際経済大学学術研究会) (1990年3月)。pp18
  284. ^ 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2006年版』 東洋経済新報社、2006年。
  285. ^ “特集 転換期の再開発「C」再開発事例総覧:近畿地方28事例”. 建築と社会 1979年1月号 (日本建築協会) (1979年1月1日).pp99
  286. ^ a b c d “ダイエー、4月2日ダイエー藤原台店を開店。SCエコール・リラの核店舗に”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1992年3月30日)
  287. ^ a b c d e f g h i 長尾亮太(2016年3月10日). “ダイエー5店、イオンに名称変更 兵庫県内”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  288. ^ a b c d e f g h i j 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1275
  289. ^ a b “ダイエー、「グルメシティ神戸学園店」改装オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年12月2日)
  290. ^ 『特集 神戸研究学園都市』 市民のグラフこうべ No.162(昭和61年4月号) (神戸市広報課) (1986年4月)
  291. ^ a b “DSエースの伊丹「西神店」高い坪効率誇る SC全体も活性化へ”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1994年11月4日)
  292. ^ “ダイエー・中内副社長、「プランタン甲子園は百貨店の実験店。上期にトポス2店」と語る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年6月25日)
  293. ^ a b c “ダイエー、プランタン甲子園店を直営化、9月1日開店 1社1店舗体制見直し”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1995年8月30日)
  294. ^ a b c d e f g h i 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2007年版』 東洋経済新報社、2007年。
  295. ^ a b “ダイエー、17日にダイエーグループ最大級の2万9000m2で「プランタン甲子園」開店”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1993年6月16日)
  296. ^ “ダイエー甲子園店、イオンに新装開店 桧山さん招きイベント”. 朝日新聞(朝日新聞社). (2016年3月11日)
  297. ^ 甲子園前の商業施設、4度目のオープン”. Lmaga.jp (2018年4月16日). 2018年5月15日閲覧。
  298. ^ “三菱地所「コロワ甲子園」26日開業 イオンはEC強化”. 繊研新聞. (2018年4月25日). https://senken.co.jp/posts/corowa-180425 2024年3月8日閲覧。 
  299. ^ 斉藤絵美 (2005年10月26日). “JR三田駅前の商業ビル オープンから1カ月”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  300. ^ 『日本スーパーマーケット名鑑 1969年版』 商業界、1969年。pp449
  301. ^ a b 『スーパーマーケット・レイアウト集 1964年版』 商業界、1964年。pp66
  302. ^ a b c d e f g h i j k l 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp596
  303. ^ a b c d 『化粧品石鹸年鑑 1967年版』 日本商業新聞社、1967年12月25日。pp197
  304. ^ a b “ダイエー『トポス尼崎店』波乱を呼んでオープン。早くも流通秩序混乱の兆し”. 向上の電化 1982年4月号 (日刊電気通信社) (1982年4月).pp46-52
  305. ^ a b c “トポス尼崎店:月末で閉店 不採算や建物老朽化、通算40年の歴史に幕”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2010年2月2日)
  306. ^ 平成22年度 認定中心市街地活性化基本計画のフォローアップに関する報告、尼崎市、2011年4月、1頁。
  307. ^ 車戸学 “’70年代,この課題を引っ下げて――新時代へのチェーンストアの思惑”. 販売革新 1969年12月号 (アール・アイ・シー) (1969年12月).pp98-102
  308. ^ “ダイエー、閉鎖11店を追加”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年7月12日). pp3
  309. ^ a b c 『化粧品石鹸年鑑 1970年版』 日本商業新聞社、1970年12月15日。pp207
  310. ^ a b “ダイエー、グルメシティ芦屋陽光店を3月閉鎖”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2003年1月29日)
  311. ^ “ダイエー芦屋陽光店、3月末で閉鎖”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2003年1月21日)
  312. ^ a b c d e f g h i j 『日本商業年鑑 1972年版』 商業界、1972年。pp597
  313. ^ a b c 『年刊神戸新聞 昭和40年版』 神戸新聞社、1965年6月25日。pp247
  314. ^ a b c d “ニュースな出来事(6)ダイエーリストラ計画につまずき”. 激流 2000年9月号 (国際商業出版) (2000年9月).pp124-126
  315. ^ a b c d e f g 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1282
  316. ^ “SC情報 開店情報”. ショッピングセンター 1975年1月15日号 (日本ショッピングセンター協会) (1975年1月15日).pp77
  317. ^ a b c “ダイエー、姫路店を閉鎖”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年10月26日)
  318. ^ a b “にぎわい再生 街づくりへの挑戦 3.姫路・駅北周辺”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2002年1月8日)
  319. ^ a b 姫路商工会議所五十五年史編集室 『姫路商工会議所五十五年史』 姬路商工会議所、1978年11月3日。
  320. ^ “姫路ひろめ市場 間もなく開業3カ月”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2003年4月29日)
  321. ^ “姫路ひろめ市場が破産申請 オープン1年半”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2004年10月2日)
  322. ^ 佐々木道哉 (2005年3月19日). “閉鎖の「姫路ひろめ市場」跡 地元スーパー5月出店”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  323. ^ 加藤正文、松井元、藤本陽子、高見雄樹、竹内章 (2002年3月1日). “閉鎖 ダイエーと地域 中.街づくりの核 長引く“空白”に懸念”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  324. ^ “イズミヤ ダイエー西脇店跡に11月中のオープンめざす 兵庫県西脇市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2003年6月2日)
  325. ^ “カナートイズミヤ西脇店 9月上旬に閉店へ”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2013年6月27日)
  326. ^ 竜野市史編纂専門委員会 『竜野市史 第3巻』 龍野市、1985年3月1日。 pp809
  327. ^ a b c d e f g h 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1319
  328. ^ a b 『龍野商工会議所30周年記念誌』 龍野商工会議所、1981年。
  329. ^ “たつの市最大のショッピングセンター10月末に全館閉館へ 核テナントはイオン 専門店店主ら困惑”. 神戸新聞. (2022年6月8日). https://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/202206/0015370647.shtml 2024年8月8日閲覧。 
  330. ^ “「赤とんぼ広場」10月末で半世紀の歴史に幕 思い出記したボード“満開” 跡地には病院が新築移転”. 神戸新聞. (2022年10月20日). https://www.kobe-np.co.jp/news/seiban/202210/0015738579.shtml 2024年3月8日閲覧。 
  331. ^ “ダイエー跡にジュンク堂書店 商業関係者ら歓迎”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2005年12月27日)
  332. ^ 小林良多 (2013年12月18日). “明石駅南の再開発 既存建物の解体本格化へ”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  333. ^ 小林良多 (2013年12月21日). “駅前ビル群解体が本格スタート 明石駅南地区”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  334. ^ a b 井原尚基 (2014年6月6日). “市街地活性の核に 明石駅前再開発ビルの起工式”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  335. ^ 鎌田倫子 (2014年8月7日). “明石駅前に34階建てタワーマンション 17年完成”. 神戸新聞 (神戸新聞社)
  336. ^ 明石の玄関口“再生” 再開発ビルが開業 | おでかけトピック | 兵庫おでかけプラス | 神戸新聞NEXT
  337. ^ “カルフール明石 1月23日(金)オープン 兵庫県明石市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2004年2月5日)
  338. ^ “2007年に閉店した「カルフール明石店」跡に イオン明石ショッピングセンター・ミドリ電化二見店・兵庫二見ビル 兵庫県明石市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年4月21日)
  339. ^ “マックスバリュイオンタウン明石店 10月3日(金)オープン 兵庫県明石市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2008年10月30日)
  340. ^ a b c d 『食品流通の現状と50年代への展開 食品流通年報1974年版』 日本食糧新聞社、1974年5月25日。pp300
  341. ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1317
  342. ^ “ダイエー加古川店12月末で閉店するが専門店ゾーンはテナント64店舗で営業継続”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年8月29日)
  343. ^ “コープニッケパークタウン五月三十日オープン 兵庫県加古川市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2003年6月12日)
  344. ^ “ダイエー加古川店跡へ出店 1階コープこうべ ダイソー ドラッグストアなど 2階ミドリ電化 兵庫県加古川市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2003年2月27日)
  345. ^ a b c d e f g “氷上郡のプラザヒカミを清算 ダイエー”. 神戸新聞 (神戸新聞社). (2002年9月25日)
  346. ^ a b "ダイエー、熊谷店を年末に閉店". 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2002年10月9日)
  347. ^ “ダイエー、山形店・奈良店など6店を11月に追加閉鎖”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2005年9月15日)
  348. ^ a b c d e 高橋恵子 (2008年4月12日). “ダイエー跡地パチンコ店建設 市と業者、見解平行線”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  349. ^ “工事中止へ命令書 旧ダイエー跡地 パチンコ店計画”. 奈良新聞 (奈良新聞社). (2007年12月27日)
  350. ^ “奈良ビブレ:来年1月に閉店 ダイエーに続き…常連客、撤退惜しむ声続々”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2012年9月14日)
  351. ^ a b 平野久止 『ユニードは何故ダイエーに敗れたか ダイエーの九州戦略を見つめる』 葦書房、1989年7月28日。ISBN 978-4751201572
  352. ^ [1]
  353. ^ 奈良県大規模小売店舗立地法届出状況
  354. ^ a b c d e f g h i 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1349
  355. ^ 今城利之 『スーパー・ダイエーの素顔 何がどこで決められどう行なわれているか』 日本実業出版社、1975年9月16日。
  356. ^ “オークタウン大和高田「ダイエー」跡に出店 ライフ大和高田店 12月8日(木)オープン 奈良県大和高田市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2005年12月19日)
  357. ^ a b c d e f g h i j 『ショッピングセンター名鑑 1988年版』 日本ショッピングセンター協会、1988年12月27日。pp1363
  358. ^ “近商ストア、奈良県にSSM「西大和店」今月下旬に開業”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年9月13日)
  359. ^ “近商ストアが9月28日ダイエー西大和店跡に核店舗としてオープン 奈良県北葛城郡上牧町”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2002年9月9日)
  360. ^ “32年の歴史に幕 ダイエー和歌山店”. わかやま新報(和歌山新報社). (2013年7月31日)
  361. ^ “32年の歴史に幕 ダイエー和歌山店 7月末で閉店 跡地は既にオークワが取得! 和歌山県和歌山市小雑賀805-1”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2013年1月17日)
  362. ^ a b c d “ダイエー和歌山店、来夏閉店 跡地はオークワ取得”. わかやま新報(和歌山新報社). (2012年12月5日)
  363. ^ 谷田朋美 (2014年9月14日). “くらし&経済:和歌山市南部にオークワ新店舗 大阪から客足戻るか 市内の小売業界、正念場”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
  364. ^ a b “ツカサ ロッシュコートII新築で大店立地法届け出”. 建通新聞 (建通新聞社). (2007年10月12日)
  365. ^ “ロッシュコートII 来年5月26日開店めざす 和歌山県岩出市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2007年10月22日)
  366. ^ “流れ:オークワ・大桑啓嗣社長「居抜き出店はメリット大」”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2002年4月19日)

広報資料・プレスリリースなど一次資料[編集]

  1. ^ a b c d e f ハイパーマートの再編について (Report). ダイエー. (1999年7月7日)
  2. ^ 『ダイエー瀬田店』オープンについて』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2017年8月4日http://www.daiei.co.jp/indexes.php/corporate/release_detail/12972017年8月19日閲覧 [リンク切れ]
  3. ^ a b c 『イオン株式会社 2014年2月期 決算補足資料(89期)』イオン(株) (2014年4月6日)
  4. ^ a b 『ダイエー藤森店“37年間のご愛顧感謝セール”開催のお知らせ -営業終了まで約5ヶ月間にわたりセールを開催』 ダイエー、2012年12月4日。[リンク切れ]
  5. ^ a b c d e 『イオン株式会社 2015年2月期 決算補足資料(90期)』イオン(株) (2015年4月9日)
  6. ^ a b 『イオンフードスタイル山科椥辻店』オープンについて』(プレスリリース)株式会社ダイエー、2019年12月2日http://www.daiei.co.jp/corporate/pdf/release/2019/1912021.pdf2020年7月3日閲覧 
  7. ^ 「イオンフードスタイル瓢箪山店」のオープンについて (2020年3月23日)
  8. ^ a b 『イオン株式会社 2008年2月期 決算補足資料(83期)』イオン(株) (2008年4月6日)
  9. ^ a b c d e f 『イオン株式会社 2011年2月期 決算補足資料(86期)』イオン(株) (2011年4月6日)
  10. ^ a b 長年のご愛顧にお応えし、生まれ変わります。11月1日(水)「そよら古川橋駅前」オープン』(PDF)(プレスリリース)イオンリテール株式会社、2023年10月19日https://www.aeonretail.jp/pdf/231019R_5.pdf2024年3月8日閲覧 
  11. ^ a b c d 『イオン株式会社 2010年2月期 決算補足資料(85期)』イオン(株) (2010年4月6日)
  12. ^ 2024年夏『そよら金剛』を出店』(PDF)(プレスリリース)イオンリテール株式会社、2024年2月9日https://www.aeonretail.jp/pdf/240209R_1.pdf2024年3月8日閲覧 
  13. ^ a b 『イオン株式会社 2012年2月期 決算補足資料(87期)』イオン(株) (2012年4月6日)
  14. ^ a b c d 『イオン株式会社 2013年2月期 決算補足資料(88期)』イオン(株) (2013年4月6日)
  15. ^ 『グルメシティ水無瀬店』オープンのお知らせ (2013年5月28日)[リンク切れ]
  16. ^ 1970年代|ミスタードーナツの歴史|事業情報|ミスタードーナツ”. ミスタードーナツ(ダスキン). 2020年11月23日閲覧。
  17. ^ 【ミスタードーナツ】1月27日(月)10時『第1号ミスタードーナツ箕面ショップ』リニューアルオープン”. ダスキン (2020年1月24日). 2020年11月23日閲覧。
  18. ^ グルメシティ西武庫店営業終了のお知らせ
  19. ^ 閉店のお知らせ イオンタウン株式会社・公式サイト[リンク切れ]

外部リンク[編集]