結縁寺 (印西市)

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結縁寺
結縁寺の位置(千葉県内)
結縁寺
結縁寺
結縁寺の位置
北緯35度47分24.7秒 東経140度8分8.4秒 / 北緯35.790194度 東経140.135667度 / 35.790194; 140.135667
日本の旗 日本
都道府県 千葉県
市町村 印西市
地区 船穂地区
標高
22 m
人口
2017年(平成29年)10月31日現在)[1]
 • 合計 180人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
270-1343[2]
市外局番 0476[3]
ナンバープレート 習志野
※座標・標高は結縁寺青年館付近

結縁寺(けつえんじ)は、千葉県印西市大字郵便番号270-1343[2]

地理[編集]

北は高花東は草深、南東は松崎台、南は松崎、西は船尾に隣接している。

小字[編集]

小字は以下の通り[4]

  • 門前(もんぜん)
  • 堤下(つつみした)
  • 久保下(くぼした)
  • 野ノ下(ののした)
  • 定口(じょうぐち)
  • 山王台(さんのうだい)
  • 台仙房(だいせんぼう)
  • 西ノ内(にしのうち)
  • 外手(そとで)
  • 北ノ内(きたのうち)
  • 坪作(つぼさく)
  • 東谷津(ひがしやつ)
  • 城ノ下(じょうのした)
  • 井戸尻(いどじり)
  • 蒲谷津(かばやつ)
  • 宮内(みやうち)
  • 滝台(たきだい)
  • 大作(だいさく)
  • 新割(にいわり)
  • 込(こめ)
  • 一反割(いつたんわり)
  • 滝谷津(たきやつ)

歴史[編集]

江戸期は結縁寺村であり、下総国印旛郡のうち。印西領・印西筋に属す。寛永年間から高岡藩領、万治3年から旗本井上氏領、「各村級分」では幕府・旗本井上氏の相給、元禄14年から幕府・佐倉藩の相給。村高は「元禄郷帳」218石余、「天保郷帳」「旧高旧領」ともに224石余。慶長7年の検地が行われている。なお幕府領分の90石余は、寛文・延宝期に惣深新田が開発された時、同時にもと入会地の惣深野に開発された当村の切添新田である。同新田は延宝4年の検地により高請され、本村高に含められた。享保8年の指出帳によれば、佐倉藩領分の反別田12町8反余・畑屋敷4町6反余・新畑8反余、家数32・人数1104、馬12。元文3年の村鑑銘細帳によれば、新田分の反別畑18町1反余、皆金納(飯岡家文書)。明治6年千葉県に所属。神社は熊野神社。明治22年船穂村の大字となる[5]

年表[編集]

  • 1873年(明治6年) - 千葉県に所属。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 船穂村大字結縁寺になる。
    • 町村制施行し、船尾村、結縁寺村、多々羅田村、戸神村、武西村、松崎村、泉新田、惣深新田が合併し印旛郡船穂村が発足。
  • 1954年(昭和29年)12月1日 - 印西町結縁寺となる。
  • 1996年(平成8年)4月1日 - 印西市結縁寺となる。
    • 印西町が市制施行して印西市となる。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)10月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字 世帯数 人口
結縁寺 72世帯 180人

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]

番地 小学校 中学校
全域 印西市立船穂小学校 印西市立船穂中学校

施設[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 印西市の人口と世帯数”. 印西市 (2017年11月2日). 2017年11月13日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2017年11月13日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年11月13日閲覧。
  4. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 1450頁
  5. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 346頁
  6. ^ 印西市立小・中学校の通学区域”. 印西市 (2017年4月4日). 2017年11月13日閲覧。