吉行あぐり

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よしゆき あぐり

吉行 あぐり
生誕 松本 安久利(まつもと あぐり)
(1907-07-10) 1907年7月10日
日本の旗 日本 岡山県岡山市
死没 (2015-01-05) 2015年1月5日(107歳没)
日本の旗 日本 東京都
国籍 日本の旗 日本
職業 美容師
配偶者 吉行エイスケ、辻復
子供 吉行淳之介吉行和子吉行理恵
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吉行 あぐり(よしゆき あぐり、1907年明治40年)7月10日 - 2015年平成27年)1月5日)は、日本美容師

本名・吉行 安久利(読み同じ)旧姓:松本、結婚によって吉行、再婚し、辻没後再び吉行姓へ戻る[1]。師である山野千枝子と同じように日本における美容師の草分け的存在と言われる。

来歴[編集]

岡山県岡山市出身。岡山県立第一岡山高等女学校在学中に国内で流行していたスペイン風邪で父と姉を亡くし、1923年大正12年)に15歳で作家吉行エイスケと結婚[2]。翌1924年(大正13年)に長男を出産した後、日本の美容師の草分け山野千枝子のもとで2年間修行、1929年昭和4年)に独立して、東京市麹町区土手三番町(現・千代田区五番町)・市ヶ谷駅前に村山知義設計によるダダイスム建築の傑作「山の手美容院」を開店[3]1940年昭和15年)、夫・エイスケと死別する。その後、1949年(昭和24年)辻復(あきら)と再婚(復は1997年没)。「山の手美容院」は1944年(昭和19年)、建物疎開の対象となり、強制取り壊しとなって閉店。

1952年昭和27年)、中断していた美容室を「吉行あぐり美容室」の名称で再開。1980年(昭和55年)には再開発で建てられた五番町グランドビル1階に吉行あぐり美容室を移転。顧客には秩父宮雍仁親王妃勢津子もおり、1995年平成7年)の妃薨去まで担当していた[2]

1998年平成10年)都民文化栄誉章を受章。90歳を過ぎても、馴染み客限定で美容師として仕事を続けていたが、2005年(平成17年)に閉店[4]。日本の美容師免許所持者最高齢だった。

2003年(平成15年)脳梗塞で倒れ入院。リハビリの末、身の回りのことを一通りこなせるまでに回復したが、2006年(平成18年)骨折し、車椅子生活を余儀なくされる。以後、娘の和子や介護者らに支えられ生活(105歳の時点では和子と同じマンションの別の部屋に暮らしていた[5])。

新聞は2紙購読し時折エッセイや俳句・短歌などを記すなど知的好奇心は旺盛だったが、和子によると晩年の10年間は寝たきり生活。ただ、亡くなる2日前まで自ら箸を持つことができた。

2013年(平成25年)10月25日放送のNHK総合テレビあさイチ』内「プレミアムトーク」に出演した和子が「現在は自分では動けないが、頭はしっかりしていて、『ごちそうさん』(和子出演)を観ている」と近況を語った。

2015年(平成27年)1月5日、市ヶ谷駅前・AKビルディングの自宅で肺炎のため死去[6]。107歳没。

人物[編集]

1997年平成9年)上期のNHK連続テレビ小説あぐり』のモデルとなった。自身の半生記『梅桃(ゆすらうめ)が実るとき』が原作。同時代人としては身長が高く、163cmあったという[2]。最初の夫は吉行エイスケ。戦後、辻復と再婚した。

エイスケとの間に長男・淳之介小説家)、長女・和子女優)、次女・理恵詩人、小説家)を儲ける。淳之介と理恵はあぐりより先に他界したが、和子は存命。

あぐりの孫に関しては、淳之介が若い頃に結婚した女性との間に娘(血縁上はエイスケとあぐりの孫)がいるが、後に淳之介は最初の妻とは関係を解消し、吉行家とは離れて暮らしていたため面識はほぼない。最初の妻が離婚に応じなかったため、戸籍上は夫婦のままであった。そのため、2番目の妻である宮城まり子とは入籍は出来ず「事実婚」の形式を取っていた。

姪(姉の娘)は医師、島村喜久治の妻でピアニストの千枝子。島村夫妻の子が地震学者の島村英紀

日本人女性初のオリンピックメダリスト人見絹枝とは岡山県立第一岡山高等女学校の同級生。[7]

90歳を越えてから、和子と共に海外旅行を頻繁に行うようになった。

著書[編集]

  • 『梅桃が実るとき』文園社、1985年12月1日。NDLJP:12220657 のち文春文庫
  • 『母・あぐりの淳への手紙』文園社 1998年
  • 『あぐり95年の奇跡』集英社be文庫 2002年
  • 『「あぐり美容室」とともに 94歳の美容師、心は老いずがモットーです。』PHP研究所 2002年 のち文庫
  • 『あぐり流夫婦関係・親子関係 しなやかに生きて96歳』素朴社 2003年

雑誌記事[編集]

  • 「日やけのお手入方法」 『少女画報』1934年9月号

共著など[編集]

  • 『生きること老いること』新藤兼人共著 朝日新聞社 2003年
  • 『あぐり白寿の旅』吉行和子共著 集英社 2006年 のち文庫
  • 『吉行理恵レクイエム「青い部屋」』編 文園社 2007年

テレビ出演[編集]

参考文献[編集]

  • 吉行和子『老嬢は今日も上機嫌』2008年。ISBN 978-4101345352 

脚注[編集]

  1. ^ INC, SANKEI DIGITAL (2019年6月15日). “【THE INTERVIEW】女優・吉行和子さん『そしていま、一人になった』 一人になって、やっと家族団欒”. 産経ニュース. 2020年9月16日閲覧。
  2. ^ a b c 第8回 吉行 あぐりさん | 明治の人 | 変わり続ける時代に変わらない大切なことを伝え残したい”. www.yumephoto.com. 2020年9月16日閲覧。
  3. ^ ホルモード オリーブ研究所 旧会報誌「Olive Life vol.2」 2004年2月発行
  4. ^ スポーツ報知 2015年1月11日
  5. ^ 女性セブン 2012年9月27日号
  6. ^ 吉行あぐりさん死去、107歳 朝ドラのモデル 淳之介さん母 スポーツニッポン 2015年1月10日閲覧
  7. ^ 吉行和子 2008, p. 155.

外部リンク[編集]