北近義村

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きたこぎむら
北近義村
廃止日 1931年4月1日
廃止理由 新設合併
北近義村、貝塚町、麻生郷村、島村、南近義村→貝塚町
現在の自治体 貝塚市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
泉南郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
隣接自治体 麻生郷村南近義村
北近義村役場
所在地 大阪府泉南郡北近義村大字加治
座標 北緯34度26分16秒 東経135度21分30秒 / 北緯34.43769度 東経135.35844度 / 34.43769; 135.35844座標: 北緯34度26分16秒 東経135度21分30秒 / 北緯34.43769度 東経135.35844度 / 34.43769; 135.35844
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北近義村(きたこぎむら)は、かつて大阪府にあった。現在の貝塚市北西部、主に近木川下流域の右岸にあたる。村名の由来は、『和名抄』などにも見られる郷名「近義」より。

貝塚寺内寄り、海塚新町に隣接する紀州街道沿いには、新町または脇浜新町と呼ばれる脇浜・加治・畠中3村の出戸が形成され、早くから市街化していた(現在の貝塚市新町)。また、岸和田藩は領内の民政に関して「七人庄屋」という制度を設けていたが、このうちの1人として1789年寛政元年)から市場村の小川家に代わって畠中村の要家が任ぜられていた。

歴史[編集]

交通[編集]

鉄道路線[編集]

現在は上記の他に水間線貝塚市役所前駅近義の里駅が所在するが、当時は未開業。

道路[編集]

関連項目[編集]