サッカーウルグアイ代表

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サッカーウルグアイ代表
国または地域 ウルグアイの旗 ウルグアイ
協会 ウルグアイサッカー協会
FIFAコード URU
愛称 La Celesteラ•セレステ (スペイン語で空色)
Los Orientales (東方人)
Los Charrúas (先住民チャルーア族に由来する、頑強で不屈な魂)
監督 アルゼンチンの旗 マルセロ・ビエルサ
最多出場選手 ディエゴ・ゴディン(161試合)
最多得点選手 ルイス・アルベルト・スアレス(68得点)
ホームスタジアム エスタディオ・センテナリオ
ホームカラー
アウェイカラー
初の国際試合
 ウルグアイ 0-6  アルゼンチン
モンテビデオ, 1902年7月20日)
最大差勝利試合
 ウルグアイ 9-0  ボリビア
リマ, 1927年11月6日)
最大差敗戦試合
 ウルグアイ 0-6  アルゼンチン
モンテビデオ, 1902年7月20日)
FIFAワールドカップ
出場回数 14回(初出場は1930
最高成績 優勝 (1930, 1950)
コパ・アメリカ
出場回数 45回
最高成績 優勝15回 (1916, 1917, 1920, 1923, 1924, 1926, 1935, 1942, 1956, 1959, 1967, 1983, 1987, 1995, 2011)

サッカーウルグアイ代表(サッカーウルグアイだいひょう、西: Selección nacional de fútbol de Uruguay)は、ウルグアイサッカー協会(AUF)によって構成される、ウルグアイサッカーナショナルチームである。

愛称は、代表チームのユニフォームカラーから「セレステ」など。ホームスタジアムは、首都モンテビデオにあるエスタディオ・センテナリオ

歴史[編集]

前史[編集]

第1回FIFAワールドカップ大会で優勝したウルグアイ代表

ウルグアイ代表による最初の試合は1901年5月16日のアルゼンチン戦であったが、この試合はウルグアイサッカー協会が主催したものではなく、ウルグアイ最古のクラブチームであるアルビオンFCが主催したもので公式戦とはみなされていない。この試合ではウルグアイ側は9人がアルビオンから、残りがナシオナル・モンテビデオの選手が召集された。ウルグアイ代表が初めて公式戦を行ったとされる試合は、1902年7月20日に行われたアルゼンチン戦だった。ウルグアイは約8,000人の観客の前で0-6で敗れた[1][2]

20世紀前半において世界屈指の強豪国として君臨し、1924年1928年オリンピックで連覇。ワールドカップでは1930年に憲法発布100周年を記念し開催された地元での第1回大会1950年ブラジル大会で優勝。コパ・アメリカではブラジルを抑えてアルゼンチンと並び、最多となる15回の優勝を誇る。

1970年代以降はワールドカップでは度々南米予選で敗退するようになり、国際タイトルからも1995年のコパ・アメリカを最後に遠ざかるなど長きに渡り低迷していた。一方で、選手個人では欧州トップリーグで活躍する選手を多く輩出していたため、「古豪」と紹介されることが多かった。

2010年代[編集]

2010年のワールドカップ南アフリカ大会でも、予選では大陸間プレーオフで出場権を手にするなど苦戦したが、本大会ではディエゴ・フォルランルイス・アルベルト・スアレスエディンソン・カバーニらの活躍もあり、開催国南アフリカも含むグループAを2勝1分かつ無失点で突破し、決勝トーナメントでは韓国ガーナを下すも準決勝でオランダに2-3で競り負けて決勝進出はならず、さらに3位決定戦でもドイツに2-3で競り負け4位に終わったが、下馬評を覆して40年ぶりのベスト4入りを果たす。フォルランは、ウルグアイ代表初の大会得点王とMVPに輝いた。古豪の復活をたたえ、帰国後の凱旋パレードではおよそ50万人の国民が出迎えた。

2011年の南米ユース選手権(U-20の大会)では準優勝し、2011 FIFA U-20ワールドカップへの出場権を得ると同時に、1928年に優勝した以来84年ぶり(18大会ぶり)にオリンピック本大会へ出場[注釈 1]2012年ロンドンオリンピックのサッカー競技も参照)。さらに同年のコパ・アメリカ2011ではグループリーグを2位通過すると準々決勝でアルゼンチンを下し、決勝でもパラグアイに3-0で勝利。6大会ぶり15度目の優勝を果たし、強豪国としての地位を取り戻しつつある[3][4][5]

2014年ブラジルW杯イングランド戦のウルグアイサポーター

2014年のワールドカップブラジル大会では前回同様予選では苦戦し、2002年の日韓大会から4大会連続で大陸間プレーオフに回るも[注釈 2]ヨルダンを下して本大会出場権を獲得。GLではイタリアイングランドといった強豪国を下しグループ2位で突破したが、決勝トーナメント1回戦でハメス・ロドリゲスらを擁する同じ南米コロンビアに敗れた。

オーストリアとの親善試合(2017年)

2018年のワールドカップロシア大会では、南米予選第17節の時点で2位(最低5位で大陸間プレーオフ確定)につけていたがチリ(第17節終了時点で3位)、コロンビア(第17節終了時点で4位)、ペルー(第17節終了時点で5位)、アルゼンチン(第17節終了時点で6位)、パラグアイ(第17節終了時点で7位)と本大会出場を争う混戦となっていた。最終節でボリビアを逆転で下して予選2位をキープし、本大会出場を果たした[6]。本大会では開催国ロシアのほか、サウジアラビアエジプトと同じグループAに入り、3勝0敗で首位通過及び唯一無失点のまま決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦ではポルトガルと対戦しカバーニの2ゴールで2-1で勝利したものの、カバーニがポルトガル戦途中で左足脹脛を負傷して退場、準々決勝ではそのカバーニを怪我で欠いたこともあり、フランスに0-2で敗れ2010年大会以来となる準決勝進出を逃した。

2020年代[編集]

2021年から2022年にかけて開催された2022 FIFAワールドカップ予選では、第14節のボリビア代表戦で0-3と完敗した後に15年以上代表を率いていたオスカル・タバレス監督を解任し、ディエゴ・アロンソを新監督に据えた。その結果、就任後の3試合で全勝したことで、残り1節を残してワールドカップ本大会出場を確定させた[7]。前任者のタバレスはA代表だけでなく、ユース世代の代表強化にも力を入れた。タバレスの就任以降、将来有望な若手選手には必ずU-20世代別代表を通してからA代表へと招集するようになった[8]

14回目のW杯となったカタール大会では、ポルトガル韓国、そして2010年の南アフリカ大会でスアレスのハンドが影響してウルグアイに敗れたガーナと同じグループHに組み分けされた。本大会ではスアレスの他、カバーニやゴディンといったベテランとヌニェスバルベルデペリストリら若手をバランス良く招集[9]。初戦の韓国戦ではお互い攻撃的な展開となったが、2度のポストに嫌われるなど決め手を欠いて得点を奪えず0-0のスコアレスドローで勝ち点を分け合った[10]。続くポルトガル戦ではブルーノ・フェルナンデスに2得点を挙げられ0-2で敗れた[11]。2試合無得点未勝利のグループ最下位で迎えたガーナ戦では、GKのセルヒオ・ロシェがPKストップを含むファインセーブを連発。攻撃面でもジョルジアン・デ・アラスカエタが2ゴールを決めて4大会連続でグループステージを突破するかと思われた。しかし、同時開催していたポルトガル代表と韓国代表の試合で韓国が試合終盤に逆転勝利したことで、状況が一変。韓国に対して勝ち点と得失点差で並ぶも総得点が「2」少なかったことにより、ガーナに2-0で勝利したが、3位でのグループステージ敗退が決まった[12][13]。アロンソはカタール大会後に監督を退任したが後継が決まらぬまま2023年3月24日の日本代表戦を迎えたため、同試合はU-20代表監督のマルセロ・ブロリが代行で務めることとなった[14]

ユニフォームとロゴ[編集]

ホーム用ユニフォームには突き抜けるような空色が伝統的に使用されており、これが代表の愛称「セレステ」(スペイン語で空色の意)の由来となっている[15]。アウェイ用のメインカラーは主に白であるが、赤・もしくはオレンジをメインカラーとして使用されることもある。ロゴ上には4つの星が付けられているが、これは2度のワールドカップ制覇とW杯開催前の2度のオリンピック制覇を合わせて記している。

A代表の成績[編集]

FIFAワールドカップ[編集]

開催国 / 年 成績
ウルグアイの旗 1930 優勝 4 4 0 0 15 3 +12
イタリア王国の旗 1934 不参加
フランスの旗 1938
ブラジルの旗 1950 優勝 4 3 1 0 15 5 +10
スイスの旗 1954 4位 5 3 0 2 16 9 +7
スウェーデンの旗 1958 予選敗退
チリの旗 1962 グループリーグ敗退 3 1 0 2 4 6 -2
イングランドの旗 1966 ベスト8 4 1 2 1 2 5 -3
メキシコの旗 1970 4位 6 2 1 3 4 5 -1
西ドイツの旗 1974 グループリーグ敗退 3 0 1 2 1 6 -5
アルゼンチンの旗 1978 予選敗退
スペインの旗 1982
メキシコの旗 1986 ベスト16 4 0 2 2 2 8 -6
イタリアの旗 1990 4 1 1 2 2 5 -3
アメリカ合衆国の旗 1994 予選敗退
フランスの旗 1998
日本の旗大韓民国の旗 2002 グループリーグ敗退 3 0 2 1 4 5 -1
ドイツの旗 2006 予選敗退
南アフリカ共和国の旗 2010 4位 7 3 2 2 11 8 +3
ブラジルの旗 2014 ベスト16 4 2 0 2 4 6 -2
ロシアの旗 2018 ベスト8 5 4 0 1 7 3 +4
カタールの旗 2022 グループリーグ敗退 3 1 1 1 2 2 0
合計 出場14回/優勝2回 59 25 13 21 89 76 +13

FIFAコンフェデレーションズカップ[編集]

コパ・アメリカ[編集]

サッカー南米選手権/コパ・アメリカ
開催国 / 年 成績
アルゼンチンの旗 1916 優勝 3 2 1 0 6 1
ウルグアイの旗 1917 3 3 0 0 9 0
ブラジルの旗 1919 準優勝 3 2 1 0 7 4
チリの旗 1920 優勝 3 2 1 0 9 2
アルゼンチンの旗 1921 3位 3 1 0 2 3 4
ブラジルの旗 1922 4 2 1 1 3 1
ウルグアイの旗 1923 優勝 3 3 0 0 6 1
ウルグアイの旗 1924 3 2 1 0 8 1
アルゼンチンの旗 1925 不参加
チリの旗 1926 優勝 4 4 0 0 17 2
ペルーの旗 1927 準優勝 3 2 0 1 15 3
アルゼンチンの旗 1929 3位 3 1 0 2 4 6
ペルーの旗 1935 優勝 3 3 0 0 6 1
アルゼンチンの旗 1937 3位 5 2 0 3 11 14
ペルーの旗 1939 2位 4 3 0 1 13 5
チリの旗 1941 4 3 0 1 10 1
ウルグアイの旗 1942 優勝 6 6 0 0 21 2
チリの旗 1945 4位 6 3 0 3 14 6
アルゼンチンの旗 1946 5 2 0 3 11 9
エクアドルの旗 1947 3位 7 5 0 2 21 8
ブラジルの旗 1949 6位 7 2 1 4 14 20
ペルーの旗 1953 3位 6 3 1 2 15 6
チリの旗 1955 4位 5 2 1 2 12 12
ウルグアイの旗 1956 優勝 5 4 1 0 9 3
ペルーの旗 1957 3位 6 4 0 2 15 12
アルゼンチンの旗 1959 5位 6 2 0 4 15 14
エクアドルの旗 1959 優勝 4 3 1 0 13 1
ボリビアの旗 1963 不参加
ウルグアイの旗 1967 優勝 5 4 1 0 13 2
1975 4位 2 1 0 1 1 3
1979 グループリーグ敗退 4 1 2 1 5 5
1983 優勝 8 5 2 1 12 6
アルゼンチンの旗 1987 2 2 0 0 2 0
ブラジルの旗 1989 準優勝 7 4 0 3 11 3
チリの旗 1991 グループリーグ敗退 4 1 3 0 4 3
エクアドルの旗 1993 ベスト8 4 1 2 1 5 5
ウルグアイの旗 1995 優勝 6 4 2 0 11 4
ボリビアの旗 1997 ベスト8 3 1 0 2 2 2
パラグアイの旗 1999 準優勝 6 1 2 3 4 9
コロンビアの旗 2001 4位 6 2 2 2 7 7
ペルーの旗 2004 3位 6 3 2 1 12 10
ベネズエラの旗 2007 4位 6 2 2 2 8 9
アルゼンチンの旗 2011 優勝 6 3 3 0 9 3
チリの旗 2015 ベスト8 4 1 1 2 2 3
アメリカ合衆国の旗 2016 グループリーグ敗退 3 1 0 2 4 4
ブラジルの旗 2019 ベスト8 4 2 2 0 7 2
ブラジルの旗 2021 ベスト8 5 2 2 1 4 2
合計 出場45回/優勝15回 205 112 38 55 410 221

パンアメリカン競技大会[編集]

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
アルゼンチンの旗 1951 不参加
メキシコの旗 1955
アメリカ合衆国の旗 1959
ブラジルの旗 1963 4位 4 1 0 3 4 6
カナダの旗 1967 不参加
コロンビアの旗 1971
メキシコの旗 1975 グループリーグ敗退 2 0 1 1 1 2
プエルトリコの旗 1979 不参加
ベネズエラの旗 1983 優勝 4 4 0 0 5 1
アメリカ合衆国の旗 1987 不参加
キューバの旗 1991
アルゼンチンの旗 1995
カナダの旗 1999 グループリーグ敗退 4 0 1 3 2 9
ドミニカ共和国の旗 2003 不参加
ブラジルの旗 2007
メキシコの旗 2011 3位 5 2 1 2 6 8
カナダの旗 2015 優勝 5 4 0 1 8 2
合計 6/17 24 11 3 10 26 28

世代別代表の成績[編集]

オリンピック[編集]

FIFA U-20ワールドカップ[編集]

開催年 結果 試合 勝利 引分 敗戦 得点 失点
チュニジアの旗 1977 4位 5 3 1 1 6 5
日本の旗 1979 3位 6 4 1 1 10 3
オーストラリアの旗 1981 ベスト8 4 3 0 1 6 2
メキシコの旗 1983 4 2 1 1 7 5
ソビエト連邦の旗 1985 予選敗退
チリの旗 1987
サウジアラビアの旗 1989
ポルトガルの旗 1991 グループリーグ敗退 3 0 1 2 0 7
オーストラリアの旗 1993 ベスト8 4 2 1 1 6 5
カタールの旗 1995 予選敗退
マレーシアの旗 1997 準優勝 7 4 2 1 14 6
ナイジェリアの旗 1999 4位 7 2 2 3 7 8
アルゼンチンの旗 2001 予選敗退
アラブ首長国連邦の旗 2003
オランダの旗 2005
カナダの旗 2007 ベスト16 4 1 1 2 4 6
エジプトの旗 2009 4 2 1 1 7 5
コロンビアの旗 2011 グループリーグ敗退 3 0 2 1 1 2
トルコの旗 2013 準優勝 7 4 2 1 10 3
ニュージーランドの旗 2015 ベスト16 4 1 2 1 3 3
大韓民国の旗 2017 4位 7 3 4 0 7 3
合計 14/21 69 31 21 17 88 63

歴代監督[編集]

現招集メンバー[編集]

No. Pos. 選手名 生年月日(年齢) 出場数 ゴール 在籍クラブ
1 GK フェルナンド・ムスレラ (1986-06-16) 1986年6月16日(37歳) 116 0 トルコの旗 ガラタサライ
12 GK マルティン・シルバ (1983-03-25) 1983年3月25日(41歳) 11 0 パラグアイの旗 リベルタ
23 GK マルティン・カンパーニャ (1989-05-29) 1989年5月29日(34歳) 5 0 アルゼンチンの旗 CAインデペンディエンテ
3 DF ディエゴ・ゴディン (1986-02-16) 1986年2月16日(38歳) 135 8 アルゼンチンの旗 CAベレス・サルスフィエルド (主将)
22 DF マルティン・カセレス (1987-04-07) 1987年4月7日(37歳) 98 4 イタリアの旗 フィオレンティーナ
2 DF ホセ・ヒメネス (1995-01-20) 1995年1月20日(29歳) 58 8 スペインの旗 アトレティコ・マドリード
18 DF セバスティアン・コアテス (1990-10-07) 1990年10月7日(33歳) 39 1 ポルトガルの旗 スポルティングCP
17 DF ディエゴ・ラクサール (1993-02-07) 1993年2月7日(31歳) 24 0 イタリアの旗 ACミラン
DF ガストン・シルバ (1994-03-05) 1994年3月5日(30歳) 19 0 アルゼンチンの旗 CAインデペンディエンテ
DF マティアス・ビーニャ (1997-11-09) 1997年11月9日(26歳) 6 0 ブラジルの旗 パルメイラス
DF ロナルド・アラウホ (1999-03-07) 1999年3月7日(25歳) 0 0 スペインの旗 バルセロナB
DF ダミアン・スアレス (1988-04-27) 1988年4月27日(35歳) 0 0 スペインの旗 ヘタフェ
15 MF マティアス・ベシーノ (1991-08-24) 1991年8月24日(32歳) 41 3 イタリアの旗 インテル
MF ナイタン・ナンデス (1995-12-28) 1995年12月28日(28歳) 31 0 イタリアの旗 カリアリ
6 MF ロドリゴ・ベンタンクール (1997-06-25) 1997年6月25日(26歳) 29 0 イタリアの旗 ユベントス
10 MF ジョルジアン・デ・アラスカエタ (1994-06-01) 1994年6月1日(29歳) 25 3 ブラジルの旗 フラメンゴ
15 MF フェデリコ・バルベルデ (1998-07-22) 1998年7月22日(25歳) 20 2 スペインの旗 レアル・マドリード
MF ガストン・ペレイロ (1995-06-11) 1995年6月11日(28歳) 10 4 イタリアの旗 カリアリ
MF ブリアン・ロサノ英語版 (1994-02-23) 1994年2月23日(30歳) 8 0 メキシコの旗 サントス・ラグナ
MF ブリアン・ロドリゲス (2000-05-20) 2000年5月20日(23歳) 6 3 アメリカ合衆国の旗 ロサンゼルス
MF マウロ・アランバリ (1995-09-30) 1995年9月30日(28歳) 0 0 スペインの旗 ヘタフェ
MF ディエゴ・ニコラス (1997-06-01) 1997年6月1日(26歳) 0 0 アルゼンチンの旗 リーベル・プレート
21 FW エディンソン・カバーニ (1987-02-14) 1987年2月14日(37歳) 116 50 フランスの旗 パリ・サンジェルマンFC
11 FW クリスティアン・ストゥアーニ (1986-10-12) 1986年10月12日(37歳) 50 8 スペインの旗 ジローナ
FW ホナタン・ロドリゲス (1993-07-06) 1993年7月6日(30歳) 20 3 メキシコの旗 クルス・アスル
FW ダルウィン・ヌニェス (1999-06-24) 1999年6月24日(24歳) 1 1 スペインの旗 アルメリア

歴代選手[編集]

W杯の大会メンバー[編集]

主な代表選手[編集]

歴代記録[編集]

出場数ランキング[編集]

2023年10月18日時点

  水色は現役代表選手
順位 名前 出場 得点 期間
1 ディエゴ・ゴディン 161 8 2005-2022
2 ルイス・アルベルト・スアレス 137 68 2007-
3 エディンソン・カバーニ 136 58 2008-
4 フェルナンド・ムスレラ 133 0 2009-
5 マキシミリアーノ・ペレイラ 125 3 2005-2018
6 マルティン・カセレス 116 4 2007-
7 ディエゴ・フォルラン 112 36 2002-2014
8 クリスティアン・ロドリゲス 110 11 2003-2018
9 ディエゴ・ルガーノ 95 9 2003-2014
10 エヒディオ・アレバロ・リオス 90 0 2006-2017

得点数ランキング[編集]

2023年9月12日時点

  水色は現役代表選手
順位 名前 得点 出場 期間
1 ルイス・アルベルト・スアレス 68 137 2007-
2 エディンソン・カバーニ 58 136 2008-
3 ディエゴ・フォルラン 36 112 2002-2014
4 エクトル・スカローネ 31 51 1917-1930
5 アンヘル・ロマーノ 28 69 1913-1927
6 オスカル・ミゲス 27 39 1950-1958
7 セバスティアン・アブレウ 26 70 1996-2012
8 ペドロ・ペトローン 24 28 1923-1930
9 カルロス・アルベルト・アギレラ 22 64 1982-1997
フェルナンド・モレナ 53 1971-1983

エピソード[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1936年ベルリン大会および、1976年モントリオール大会においても南米予選を突破していたものの、出場を辞退した。RSSSFによる記録 ベルリン大会予選モントリオール大会予選
  2. ^ 2006年のワールドカップドイツ大会南米予選では5位に終わり、大陸間プレーオフでオーストラリアと対戦、お互いホームでの1-0勝利、2戦合計で1-1のため、PK戦での決着となったが2-4で敗れ本大会出場を逃した。

出典[編集]

  1. ^ "Historia del Fútbol Uruguayo" at Deportes en Uruguay”. 2021年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年6月1日閲覧。
  2. ^ Historias, curiosidades y estadísticas de la Selección, tras sus "primeros" 900 partidos Archived 16 April 2021 at the Wayback Machine., El Gráfico, 4 July 2012
  3. ^ 決勝へ向けひとつの形が完成したウルグアイ -スポーツナビ: 2011年7月21日
  4. ^ 23年前の記憶を呼び覚ますファイナルの舞台 -スポーツナビ: 2011年7月26日
  5. ^ ウルグアイ、南米を制した偉大なチームの可能性 -スポーツナビ: 2011年7月29日
  6. ^ アルゼンチンが逆転突破、ウルグアイらも本戦へ…チリは敗退/W杯南米予選サッカーキング 2017年10月11日
  7. ^ Chizuru de Garcia (2022年3月29日). “ウルグアイとバルベルデの変貌。W杯“大逆転”出場を実現させたアロンソのアイディア、タバレスのレガシー”. footballista. 2022年4月3日閲覧。
  8. ^ Chizuru de Garcia (2022年8月2日). “ファクンド・ペリストリ(ウルグアイ):「とにかく恥知らずなプレーをする」リケルメ&フォルラン絶賛の“真珠”【W杯注目の新星⑥】”. footballista. 2022年8月3日閲覧。
  9. ^ Se confirmó la lista de convocados para la Copa Mundial de Catar 2022” (スペイン語). AUF (2022年11月10日). 2022年11月12日閲覧。
  10. ^ 2度ポストに救われた韓国代表、W杯ドロー発進。ウルグアイ代表と0-0で勝ち点1奪取”. Goal.com (2022年11月24日). 2022年12月3日閲覧。
  11. ^ 「C・ロナウドの得点と思ったから、そのように喜んだ」B・フェルナンデスが得点者で混乱生んだ先制点に言及”. Goal.com (2022年11月29日). 2022年12月3日閲覧。
  12. ^ 韓国代表、後半ATの劇的弾でポルトガルに大金星! 勝ち点&得失点で並んだウルグアイを総得点数で上回る、3大会ぶり決勝Tへ”. Goal.com (2022年12月3日). 2022年12月3日閲覧。
  13. ^ ウルグアイ代表FWスアレスがW杯敗退後に判定などへの不満爆発「FIFAはいつも僕たちに反対している」”. Goal.com (2022年12月3日). 2023年6月10日閲覧。
  14. ^ “ウルグアイ代表暫定監督は日本代表の躍進に驚き「年を追うごとに飛躍的な成長」”. サンケイスポーツ. (2023年3月23日). https://web.archive.org/web/20230324002609/https://www.sanspo.com/article/20230323-JCLV42IDNNKRLPNLZ2X446MHCI/ 2023年3月24日閲覧。 
  15. ^ <5分で分かるウルグアイ代表>前線は世界屈指の破壊力、充実のタレントで復権を果たした古豪 soccer king 2013年8月12日
  16. ^ takabu (2015年10月10日). “【アニメ漫画キャラの魅力】プライド高き日系人ストライカー!ジャパニーズボンバー「火野竜馬」の魅力とは?”. キャラペディア. http://www.charapedia.jp/article/show/9919/ 2022年1月11日閲覧。 
  17. ^ “キャプテン翼 海外激闘編 IN CALCIO 日いづる国のジョカトーレ”. マンガペディア. オリジナルの2020年5月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20200524092834/https://mangapedia.com/キャプテン翼海外激闘編INCALCIO日いづる国のジョカトーレ-gecqz77wa 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]