JAZZ MASTER

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JAZZ MASTER
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP
ロック
活動期間 1989年 - 1995年
レーベル 東芝EMI[1]/イーストワールド
共同作業者 沢田研二
メンバー 村上“ポンタ”秀一(Drums)
柴山和彦(Guitar)
朝本浩文(Keyboard)
小林信吾(Keyboard)
富倉安生(Bass)
旧メンバー 吉田建(Bass)
後藤次利(Bass)

JAZZ MASTER(ジャズ・マスター)は、日本ロックバンド

概要[編集]

沢田研二のバックバンドとしてCO-CóLO解散後の1989年Krís Krínglを経て結成。リーダー兼バンドマスターは吉田建。沢田研二と活動を共にした後、1995年頃に自然消滅した。

井上堯之バンドエキゾティクスなどを経て結成されたCO-CóLOは、AORを基調としていたが、エキゾティクスのメンバーでもあった吉田建をプロデューサーに迎え制作された「彼は眠れない」では、再びロックサウンドに回帰する形となった。参加ミュージシャンはエキゾティクスの西平彰の他にも佐橋佳幸国吉良一など気鋭のミュージシャンを多く起用した。

このアルバムから生まれた新しいバックバンドがこのJAZZ MASTERである。アルバムのプロデューサーでメインアレンジャーの吉田を中心に、当時吉田と共に泉谷しげるのバックバンドLOSERのメンバーでもあった村上“ポンタ”秀一(かつて井上バンドから原田裕臣が脱退した際に沢田と井上から勧誘を受けたが断った経緯がある)やエキゾティクスのメンバーだった柴山和彦など、全員沢田より年下ながら既に豊富なキャリアを有する実力派が結集した。

レコーディングでは中心メンバーの吉田建、村上ポンタ秀一はほぼ不動であったが、ギター、キーボードのメンバーは流動的であったため、JAZZ MASTERがクレジットされることはなく、あくまでコンサートのバックバンドという位置づけであり、エキゾティクスやCO-CóLOとは一線を画す。

1993年発表のアルバム「REALLY LOVE YA!!」を最後に吉田が沢田と袂を分かち、同アルバムのツアーから参加した後藤次利を迎えるものの、1995年からその名を耳にすることがなくなり、明確に解散を宣言しないまま自然消滅したものと思われる[2]。その後も大村憲司が参加するなどツアーメンバーは変更を経るが、柴山和彦のみコンサート・アルバム制作でのサポートを続けている。

メンバー[編集]

解散後[編集]

JAZZ MASTER以前からの活動通り、それぞれプレーヤー、作曲家、アレンジャー、プロデューサー等として活動している。中でも吉田建村上“ポンタ”秀一は第一線のスタジオミュージシャンとしてその名を知らしめている。吉田建が手掛けたミュージシャンとしては氷室京介吉川晃司吉田拓郎ウルフルズ等殊に著名である。村上は参加アルバム1万枚以上という恐るべきキャリアを誇り、ジャズを基本としながら国の内外を問わず多種多様なミュージシャンと共演した。他、「PONTA BOX」など自身のプロジェクトも主宰していた。2021年3月9日に死去。

作品[編集]

シングル(沢田研二作品)[編集]

アルバム(沢田研二作品)[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 現・ユニバーサルミュージックLLCVirgin Musicレーベル
  2. ^ 1993年~1994年のツアー「REALLY LOVE YA!!」では映像ソフト(1994年発売VHS)のジャケットに「JAZZ MASTER」の名がクレジットされているが、1994年9月~10月のツアー「ZUZU SONGS」ではメンバー紹介の際「JAZZ MASTER」の名が告げられたのみで各媒体にクレジットはない。1995年12月~1996年4月のツアー「あんじょうやりや」ではバンド名がコールされていない(なおその間の1994年12月~1995年1月の「HELLO」ツアーは映像が残されていない)。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]