1939年のグランプリ・シーズン

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1939年のAIACRヨーロッパ選手権
ドライバーズチャンピオン
戦争の勃発により公式発表されず[1]
前年: 1938 翌年: 無し
1939年のグランプリシーズン
前年: 1938 翌年: 1940–1945
第二次世界大戦前最後のシーズン

1939年のグランプリ・シーズン は、AIACRヨーロッパ選手権の第7回大会が開催されたグランプリ・シーズンである。シーズン最後のレースから約2週間後、第二次世界大戦が勃発したために、AIACRが1939年のチャンピオンを公式に宣言することは無かった。イタリアグランプリが当初第5戦として予定されていたが、建設工事の問題から、戦争が始まる以前に既にキャンセルされることが決定されていた。1939年シーズンの最後のグランプリが終了した時点でも、この年の選手権に適用されるポイント制度は決定されていなかった。検討されていたポイント制度は、順位をポイントとして加算して合計点が最低のドライバーを王者とするものと、合計点が最高のドライバーを王者にするフランス国内レース式のもの(現代のものに近い)のふたつだった。従来のポイント制度を適用すると、1939年のヨーロッパ選手権を制したのはヘルマン・パウル・ミューラーとなるが、ナチス・ドイツのモータースポーツ局長はヘルマン・ラングがチャンピオンであると宣言した。1939年シーズンのラングは他を圧倒するパフォーマンスを見せており、国際的な報道でもそれは認められていた。全4戦の選手権の最初の2戦でラングとミューラーは共に1戦で勝利し、もう1戦をレース距離の75%未満を消化してリタイアした。続くドイツグランプリで、ラングはレース序盤にリタイアし、ミューラーはルドルフ・カラツィオラに次いで2位になった。この結果、最終戦スイスグランプリの前の時点では、ミューラーがどちらのポイント制度でもランキング首位となった。ミューラーはスイスグランプリを3台のメルセデスに次ぐ4位で終え、従来のポイント制度下でのチャンピオンを獲得したが、ラングがカラツィオラを破ってこのグランプリに勝利したことで、フランス国内レース式のポイント制度下でのチャンピオンはラングという結果になった。

開戦直後のベオグラードGPでメルセデスW154を操るマンフレート・フォン・ブラウヒッチュ

シーズン概要[編集]

メルセデス・ベンツは継続してメルセデスW154を使用したが、新たに流線型のボディワークをまとったW154の外観は大きく変化した。さらに、メルセデスはヴォワチュレット(最大排気量1500cc)のレースとして開催されたトリポリグランプリに参戦するため、スーパーチャージャー付1.5 V8エンジンのメルセデス・ベンツ・W165を開発した。アウトウニオンは、スーパーチャージャーを改良したアウトウニオン・タイプDで参戦した。アルファロメオは、V16エンジンのティーポ316英語版に小規模な改良を施すに留まった。タツィオ・ヌヴォラーリが去ったことでアルファコルセ英語版のエースはジュゼッペ・ファリーナとなったが、アルファロメオの1939年シーズンはヴォワチュレットでの参戦が主になった[2]。シーズンが開幕すると、メルセデスのラングが4月のポー・グランプリから6月下旬のベルギーグランプリまで、出場した全てのレースで勝利するなど好調さを見せたが、フランスグランプリドイツグランプリで首位走行中にエンジントラブルでリタイアする不運に見舞われ、フランスグランプリで初勝利を挙げたアウトウニオンのミューラーに追撃を許した。メルセデスのリチャード・シーマンは、雨のスパ・フランコルシャンでのベルギーグランプリにおいて、首位走行中にラ・ソース手前のクラブハウス・コーナーでコントロールを失い、クラッシュして死亡した[3]。1939年シーズンは第二次世界大戦の勃発によって短縮され、英仏の対独宣戦布告当日に行われたベオグラードグランプリが、ドイツチームにとってシーズン最後のグランプリとなった。レースではタツィオ・ヌヴォラーリがアウトウニオン最後のグランプリを優勝で飾った。この年の9月に予定されていたチェコスロヴァキアグランプリと、ドニントングランプリはキャンセルされた。

ヨーロッパ選手権グランプリ[編集]

Rd 開催日 レース サーキット PP(プラクティス最速) ファステストラップ 優勝者 コンストラクター レポート
1 6月25日 ベルギーの旗 ベルギーグランプリ スパ・フランコルシャン 抽選でグリッド決定 ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング メルセデス・ベンツ 詳細
2 7月9日 フランスの旗 フランスグランプリ ランス・グー ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・パウル・ミューラー アウトウニオン 詳細
3 7月23日 ナチス・ドイツの旗 ドイツグランプリ ニュルブルクリンク ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ メルセデス・ベンツ 詳細
4 8月20日 スイスの旗 スイスグランプリ ブレムガルテン・サーキット ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング メルセデス・ベンツ 詳細


非選手権グランプリ[編集]

メルセデス・ベンツはメルセデスW154で参戦した。
アウトウニオンDタイプ
開催日 レース サーキット 優勝者 コンストラクター レポート
4月2日 フランスの旗 ポー・グランプリ ポー市街地コース ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング メルセデス・ベンツ 詳細
4月10日 イギリスの旗 ロード・チャンピオンシップ ブルックランズ イギリスの旗 アーサー・ドブソン ERA 詳細
5月7日 フランスの旗 パリ リナ・モンレリ フランスの旗 ジャン=ピエール・ウィミーユ ブガッティ 詳細
5月7日 フィンランドの旗 フィンランドグランプリ インタルハ公園 スウェーデンの旗 アドルフ・ヴェスタブルム アルファロメオ 詳細
5月21日 ナチス・ドイツの旗 アイフェルレンネン ニュルブルクリンク ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング メルセデス・ベンツ 詳細
5月28日 ベルギーの旗 グランプリ・ド・フロンティエ シメイ市街地コース フランスの旗 モーリス・トランティニアン ブガッティ 詳細
6月25日 ルーマニアの旗 ブカレストグランプリ ブカレスト市街地コース ナチス・ドイツの旗 ハンス・シュトゥック アウトウニオン 詳細
7月30日 フランスの旗 ロンパート・グランプリ アングレーム市街地コース フランスの旗 レイモン・ソメール アルファロメオ 詳細
8月7日 イギリスの旗 キャンベル・トロフィー英語版 ブルックランズ イギリスの旗 レイモンド・メイズ ERA 詳細
9月3日 ユーゴスラビア王国の旗 ベオグラードグランプリ ベオグラード市街地コース イタリア王国の旗 タツィオ・ヌヴォラーリ アウトウニオン 詳細
10月29日 ブラジルの旗 シルクイート・ド・ガヴェア・ナシオナル ガヴェア市街地コース ブラジルの旗 マヌエル・ド・テフェ マセラティ 詳細

1939年の非公式ドライバーズランキング[編集]

順位 ドライバー BEL
ベルギーの旗
FRA
フランスの旗
GER
ナチス・ドイツの旗
SUI
スイスの旗
Pts[4]
1 ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・パウル・ミューラー Ret 1 2 4 12
2 ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング 1 Ret Ret 1 14
3 ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ Ret Ret 1 2 17
4 ナチス・ドイツの旗 マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ 3 Ret Ret 3 19
= イタリア王国の旗 タツィオ・ヌヴォラーリ Ret Ret Ret 5 19
6 ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・ハッセ 2 Ret Ret 20
= フランスの旗 ルネ・ドレフュス 7 4 8 20
8 ナチス・ドイツの旗 ゲオルグ・マイアー Ret 2 Ret 22
9 フランスの旗 レイモン・ソメール 4 5 Ret 23
= ナチス・ドイツの旗 ハンス・シュトゥック 6 Ret 10 23
11 フランスの旗 ロベール・マゾー 5 6 24
= フランスの旗 “ラフ” 9 5 24
13 イタリア王国の旗 ジュゼッペ・ファリーナ Ret 7 25
14 ナチス・ドイツの旗 パウル・ピーチュ 3 Ret 26
15 フランスの旗 ルネ・ル・ベーグ 3 27
16 フランスの旗 ルイ・ジェラール 6 28
= フランスの旗 フィリップ・エトンスラン 4 28
= イタリア王国の旗 ルイジ・キネッティ 8 28
= ナチス・ドイツの旗 レオナルド・ヨア 7 28
= ナチス・ドイツの旗 ハンス・ハルトマン 6 28
= イタリア王国の旗 クレメンテ・ビョンデッティ 9 28
= イギリスの旗 ケネス・エヴァンス 11 28
= イギリスの旗 ジョニー・ウェイクフィールド 12 28
= イギリスの旗 ロバート・アンセル 13 28
25 イギリスの旗 リチャード・シーマン Ret 29
= スイスの旗 アドルフォ・マンディローラ Ret DSQ 29
= スイスの旗 エマヌエル・ド・グラッフェンリード Ret 29
28 フランスの旗 イヴ・マトラ Ret 30
= イタリア王国の旗 ルイジ・ヴィッロレージ Ret 30
30 イギリスの旗 レイモンド・メイズ Ret 31
= ナチス・ドイツの旗 ハインツ・ブレンデル Ret 31
= イタリア王国の旗 ジョヴァンニ・ロッコ Ret 31
順位 ドライバー BEL
ベルギーの旗
FRA
フランスの旗
GER
ナチス・ドイツの旗
SUI
スイスの旗
Pts
結果 ポイント
金色 勝者 1
銀色 2位 2
銅色 3位 3
レースの75%以上を消化 4
レースの50%以上 75%未満を消化 5
レースの25%以上 50%未満を消化 6
レースの25%未満を消化 7
失格 8
参加せず 8

参考文献[編集]

Etzrodt, Hans. “Grand Prix Winners 1895–1949 : Part 3 (1934–1949)”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2007年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。

Leif Snellman and Hans Etzrodt. “1939”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2007年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。

Galpin, Darren. “1939 Grands Prix”. The GEL Motorsport Information Page. 2007年8月5日閲覧。

脚注[編集]

  1. ^ Armstrong, Richard. “Unfinished Symphony: Why the 1939 European Championship was never won”. 8W. 2007年8月5日閲覧。
  2. ^ Etzrodt, Hans. “1939 GRAND PRIX SEASON 1”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2016年11月23日閲覧。
  3. ^ Etzrodt, Hans. “1939 GRAND PRIX SEASON 4”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2016年11月23日閲覧。
  4. ^ 最低得点を争う従来のポイント制を適用。