1937年のグランプリ・シーズン

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1937年のAIACRヨーロッパ選手権
ドライバーズチャンピオン
ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ
前年: 1936 翌年: 1938
1937年のグランプリシーズン
前年: 1936 翌年: 1938

1937年のグランプリ・シーズン は、AIACRヨーロッパ選手権の第5回大会が開催されたグランプリ・シーズンである。メルセデスルドルフ・カラツィオラがヨーロッパ選手権を制した。カラツィオラは選手権の対象となる5つのグランプリのうち3つに勝利した。

1937年シーズンは、戦前のグランプリ史上最も高出力のマシンによるシーズンとなった。メルセデス・ベンツのマシンのスーパーチャージャー付き5.6L直列8気筒エンジンは約650馬力を発揮したが、当時の平均的な市販車のエンジンが25馬力前後を発揮していたことを考慮すると、1937年シーズンのグランプリ・マシンの相対的なパフォーマンスは、近代モータースポーツ史上他に類を見ない程に高かった。極端に向上したグランプリ・マシンの性能は、翌年のレギュレーションがその歴史上初めてエンジンの排気量に制限をかけ、最低重量を引き上げてマシンのスピードを抑制することに繋がった。グランプリにおけるメルセデス・ベンツの技術開発は、当時のナチス政権による国家的な補助金制度に支えられたものでもあった。スーパーチャージャーによって過給されるメルセデス・ベンツ・W125のエンジン出力は、1960年代後半に北米でCan-Amのレーシングカーが登場するまで匹敵されることが無かった。そして欧州のF1マシンは、約45年が経過した1980年代初頭になるまでの間、1937年当時のマシンに匹敵するエンジン出力を得ることは無かった。

メルセデス・ベンツ・W125に乗るヘルマン・ラングが1937年トリポリグランプリで勝利した。

シーズン概要[編集]

1937年シーズンは750kgフォーミュラによる最後のグランプリ・シーズンとなった。メルセデス・ベンツは、不振に終わった1936年シーズンの雪辱を新型車メルセデス・ベンツ・W125に託した。アウトウニオンは改良を施したアウトウニオン・タイプCを継続して使用した。スクーデリア・フェラーリは昨年に引き続きアルファロメオ12C-36英語版で参戦したが、競争力の低下は明らかだった。シーズン後半には、ファクトリーチームのアルファコルセ英語版が新車アルファロメオ12C-37を出走させたが、期待された性能は発揮できなかった。アルファロメオの新車に失望したタツィオ・ヌヴォラーリスイスグランプリではアウトウニオンのチームに加わった[1]。さらに、ドライバー面ではルイジ・ファジオーリがメルセデスからアウトウニオンに移籍し、メルセデスには新たに英国人のリチャード・シーマンが加入した。1937年の選手権はメルセデスルドルフ・カラツィオラに支配されたものとなり、カラツィオラは欠場した一戦を除き4戦中3勝を挙げた。新型のメルセデスW125はシーズンを通して高い性能を見せた。前年に引き続きアウトウニオン・タイプCに乗るベルント・ローゼマイヤーは、主要なグランプリで3勝するなど活躍したが、いずれもヨーロッパ選手権の対象となっていなかったことでタイトル争いには加わることができなかった。メカニック出身のヘルマン・ラングは、エースのカラツィオラに匹敵するスピードを見せ、メルセデスチーム内には不協和音が生じた[2]。選手権初戦のベルギーグランプリでは、ヴァンダービルト・カップ出場の為に一部の有力選手が欠場した中、アウトウニオンルドルフ・ハッセ英語版が勝利した。

ヨーロッパ選手権グランプリ[編集]

Rd 開催日 レース サーキット PP(プラクティス最速) ファステストラップ 優勝者 コンストラクター レポート
1 7月11日 ベルギーの旗 ベルギーグランプリ スパ・フランコルシャン 抽選でグリッド決定 ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・ハッセ アウトウニオン 詳細
2 7月25日 ナチス・ドイツの旗 ドイツグランプリ ニュルブルクリンク ナチス・ドイツの旗 ベルント・ローゼマイヤー ナチス・ドイツの旗 ベルント・ローゼマイヤー ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ メルセデス・ベンツ 詳細
3 8月8日 モナコの旗 モナコグランプリ モンテカルロ市街地コース ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ ナチス・ドイツの旗 マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ メルセデス・ベンツ 詳細
4 8月22日 スイスの旗 スイスグランプリ ブレムガルテン・サーキット ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ ナチス・ドイツの旗 ベルント・ローゼマイヤー ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ メルセデス・ベンツ 詳細
5 9月12日 イタリア王国の旗 イタリアグランプリ リヴィルノ・サーキット ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ
ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング
ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ メルセデス・ベンツ 詳細


非選手権グランプリ[編集]

開催日 レース サーキット 優勝者 コンストラクター レポート
2月14日 スウェーデンの旗 フラテ・レース フラテ湖 ノルウェーの旗 ユージン・ビョルンスタッド アルファロメオ 詳細
4月18日 イタリア王国の旗 ヴァレンティーノグランプリ トリノ市街地コース イタリア王国の旗 アントニオ・ブリヴィオ アルファロメオ 詳細
4月25日 イタリア王国の旗 ナポリグランプリ ポジリポ市街地コース イタリア王国の旗 ジュゼッペ・ファリーナ アルファロメオ 詳細
5月1日 イギリスの旗 キャンベル・トロフィー英語版 ブルックランズ タイ王国の旗 プリンス・ビラ ドラージュ 詳細
5月9日 イタリア王国の旗 トリポリグランプリ英語版 メラハ・サーキット ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング メルセデス・ベンツ 詳細
5月9日 フィンランドの旗 フィンランドグランプリ インタルハ公園 スイスの旗 ハンス・ルエシュ アルファロメオ 詳細
5月16日 ベルギーの旗 グランプリ・ド・フロンティエ シメイ市街地コース スイスの旗 ハンス・ルエシュ アルファロメオ 詳細
5月30日 ナチス・ドイツの旗 アヴスレンネン アヴス ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング メルセデス・ベンツ 詳細
5月30日 イタリア王国の旗チルクイート・デラ・スペルバ ジェノヴァ市街地コース イタリア王国の旗 カルロ・フェリーチェ・トロッシ アルファロメオ 詳細
5月30日 ルーマニアの旗 ブカレストグランプリ ブカレスト市街地コース スイスの旗 ハンス・ルエシュ アルファロメオ 詳細
6月6日 ブラジルの旗 リオデジャネイロ グランプリ ガヴェア市街地コース イタリア王国の旗 カルロ・マリア・ピンタクーダ アルファロメオ 詳細
6月13日 ナチス・ドイツの旗 アイフェルレンネン ニュルブルクリンク ナチス・ドイツの旗 ベルント・ローゼマイヤー アウトウニオン 詳細
6月20日 イタリア王国の旗 ミラノグランプリ ミラノ市街地コース イタリア王国の旗 タツィオ・ヌヴォラーリ アルファロメオ 詳細
7月5日 アメリカ合衆国の旗 ヴァンダービルト杯 ルーズベルト・レースウェイ ナチス・ドイツの旗 ベルント・ローゼマイヤー アウトウニオン 詳細
7月25日 イタリア王国の旗 サンレモグランプリ サンレモ市街地コース イタリア王国の旗 アキーレ・ヴァルツィ マセラティ 詳細
7月25日 ポルトガルの旗 シルクイート・ド・ヴィラ・レアル ヴィラ・レアル市街地コース ポルトガルの旗 ヴァスコ・ド・サメイロ アルファロメオ 詳細
8月15日 イタリア王国の旗 コッパ・アチェルボ英語版 ペスカーラ・サーキット ナチス・ドイツの旗 ベルント・ローゼマイヤー アウトウニオン 詳細
8月15日 ポルトガルの旗 シルクイート・ド・エストリル エストリル市街地コース ポルトガルの旗 マヌエル・ド・オリヴェイラ フォード 詳細
8月28日 イギリスの旗 JCC 200マイルレース ドニントン・パーク イギリスの旗 アーサー・ドブソン ERA 詳細
9月26日 チェコスロバキアの旗 チェコスロヴァキアグランプリ ブルノ市街地コース ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ メルセデス・ベンツ 詳細
10月2日 イギリスの旗 ドニントンパークグランプリ ドニントンパーク ナチス・ドイツの旗 ベルント・ローゼマイヤー アウトウニオン 詳細
10月16日 イギリスの旗 マウンテン・チャンピオンシップ ブルックランズ スイスの旗 ハンス・ルエシュ アルファロメオ 詳細
10月31日 フィンランドの旗 カラスタヤトロッパ・レース ヘルシンキ市街地コース フィンランドの旗 カール・エッブ メルセデス・ベンツ 詳細

1937年のドライバーズランキング[編集]

順位 ドライバー BEL
ベルギーの旗
GER
ナチス・ドイツの旗
MON
モナコの旗
SUI
スイスの旗
ITA
イタリア王国の旗
Pts
1 ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・カラツィオラ 1 2 1 1 13
2 ナチス・ドイツの旗 マンフレート・フォン・ブラウヒッチュ Ret 2 1 3 Ret 15
3 ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・ラング 3 7 2 2 19
= スイスの旗 クリスチャン・カウツ 4 6 3 6 Ret 19
5 ナチス・ドイツの旗 ハンス・シュトゥック 2 Ret 4 4 9 20
6 フランスの旗 レイモン・ソメール 5 Ret 7 8 27
7 ナチス・ドイツの旗 ルドルフ・ハッセ 1 5 Ret 28
= ナチス・ドイツの旗 ベルント・ローゼマイヤー 3 Ret Ret 3 28
= イタリア王国の旗 タツィオ・ヌヴォラーリ 4 5 7 28
= イタリア王国の旗 ジュゼッペ・ファリーナ Ret 6 Ret Ret 28
11 ハンガリーの旗 ラズロ・ハルトマン Ret Ret 9 29
12 スイスの旗 ハンス・ルエシュ 8 8 Ret 31
13 イタリア王国の旗 ヴィットリオ・ベルモンド 12 10 32
14 ナチス・ドイツの旗 ヘルマン・パウル・ミューラー Ret Ret 5 33
15 イギリスの旗 リチャード・シーマン Ret 4 34
= イタリア王国の旗 クレメンテ・ビョンデッティ Ret Ret 34
17 イタリア王国の旗 ルイジ・ソフィエッティ Ret Ret 35
= イタリア王国の旗 カルロ・フェリーチェ・トロッシ Ret 8 35
= ナチス・ドイツの旗 パウル・ピーチュ Ret 10 35
20 イギリスの旗 ケネス・エヴァンス 9 36
= ハンガリーの旗 エルヌ・フェスタティッチ 10 36
= イタリア王国の旗 アッティロ・マリノーニ 11 36
= イタリア王国の旗 ジョヴァンニ・ミノッツィ Ret Ret 36
= イタリア王国の旗 ゴッフレード・ゼンデル 5 36
= イタリア王国の旗 カルロ・マリア・ピンタクーダ 9 36
= イタリア王国の旗 ルイジ・ファジオーリ 7 36
= イタリア王国の旗 アキーレ・ヴァルツィ 6 36
28 スイスの旗 アンリ・シモーネ Ret 37
= スイスの旗 アドルフォ・マンディローラ Ret 37
30 イタリア王国の旗 フランコ・コルテーゼ Ret 38
= ナチス・ドイツの旗 エルンスト・フォン・デリウス Ret 38
= イタリア王国の旗 ジョヴァンバティスタ・ギドッティ Ret 38
33 イタリア王国の旗 フランセスコ・セヴェーリ Ret 39
= イタリア王国の旗 レナート・バレストレーロ Ret 39
= イタリア王国の旗 エドアルド・テアーノ Ret 39
= イタリア王国の旗 アントニオ・ブリヴィオ Ret 39
= スイスの旗 マックス・クリステン Ret 39
順位 ドライバー BEL
ベルギーの旗
GER
ナチス・ドイツの旗
MON
モナコの旗
SUI
スイスの旗
ITA
イタリア王国の旗
Pts
結果 ポイント
金色 勝者 1
銀色 2位 2
銅色 3位 3
レースの75%以上を消化 4
レースの50%以上 75%未満を消化 5
レースの25%以上 50%未満を消化 6
レースの25%未満を消化 7
失格 8
参加せず 8

参考文献[編集]

Etzrodt, Hans. “Grand Prix Winners 1895–1949 : Part 3 (1934–1949)”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2007年8月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年8月5日閲覧。

Leif Snellman and Hans Etzrodt. “1937”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2007年8月5日閲覧。

Galpin, Darren. “1937 Grands Prix”. The GEL Motorsport Information Page. 2007年8月5日閲覧。

脚注[編集]

  1. ^ Etzrodt, Hans. “1937 GRAND PRIX SEASON 1”. The Golden Era of Grand Prix Racing. 2016年11月22日閲覧。
  2. ^ ノイバウア, アルフレッド 著、橋本茂春 訳『スピードこそ我が命』荒地出版社、1968年、106頁。