降幡賢一

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ふりはた けんいち

降幡 賢一
生誕 1945年(78 - 79歳)
日本の旗 日本 長野県諏訪郡下諏訪町
出身校 東京大学新聞研究所中退
職業 ジャーナリスト
活動期間 1969年 -
雇用者 朝日新聞社(1969年 - 2010年
著名な実績 オウム事件の取材
肩書き 日本エッセイスト・クラブ理事、東京経済大学講師
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降幡 賢一(ふりはた けんいち、1945年昭和20年)- )は、日本の元新聞記者。 1989年(平成元年)朝日新聞珊瑚記事捏造事件での記事を書いたことで知られる。

来歴[編集]

長野県諏訪郡下諏訪町出身。諏訪清陵高校東洋大学社会学部を経て、東京大学新聞研究所を中退した。1969年朝日新聞社に入社した。2010年に退社後、日本エッセイスト・クラブ理事、東京経済大学講師を務めた[1]

1995年オウム真理教事件以来、オウム事件関連裁判を長期に渡って傍聴し続け、『オウム法廷』シリーズとして連載・発表した。新実智光は降幡を意識した発言をしたことがある[2]

著作[編集]

  • 『あすは―データコラム 人と本365日』朝日新聞 1993年
  • 『オウム裁判と日本人』平凡社 2000年
  • 『ターコイスブルー』文芸社 2009年

『オウム法廷』シリーズ[編集]

朝日文庫より出版。

  • 『オウム法廷1 グルのしもべたち(上)』 1998年
  • 『オウム法廷1 グルのしもべたち(下)』 1998年
  • 『オウム法廷2 グルvs信徒(上)』 1998年
  • 『オウム法廷2 グルvs信徒(下)』 1998年
  • 『オウム法廷3 治療省大臣林郁夫』 1998年
  • 『オウム法廷4 松本智津夫の意見陳述』 1999年
  • 『オウム法廷5 ウソつきは誰か?』 2000年
  • 『オウム法廷6 被告人を死刑に処する』 2000年
  • 『オウム法廷7 「女帝」石井久子』 2001年
  • 『オウム法廷8 無差別テロの源流』 2002年
  • 『オウム法廷9 諜報省長官井上嘉浩』 2002年
  • 『オウム法廷10 地下鉄サリンの実行犯たち』 2002年
  • 『オウム法廷11 坂本弁護士襲撃犯』 2003年
  • 『オウム法廷12 サリンをつくった男たち』 2003年
  • 『オウム法廷13 極刑』 2004年

脚注[編集]

  1. ^ 学生寮 長善館 - 公益財団法人諏訪郷友会
  2. ^ 降幡『オウム法廷12』