鈴木啓蔵

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鈴木 啓蔵
すずき けいぞう
上山市体育協会誌60年のあゆみ
生年月日 1910年8月10日
出生地 山形県上山市
没年月日 1993年5月8日(82歳没)
出身校 早稲田大学

当選回数 3回
在任期間 1971年7月25日 - 1983年7月24日
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鈴木 啓蔵(すずき けいぞう、1910年〈明治43年〉8月20日 - 1993年〈平成5年〉5月8日[1])は、日本政治家。元山形県上山市長(3期)。

来歴[編集]

山形県南村山郡上山町十日町出身。旧制山形中学校(現山形東高校)、早稲田大学中退。1931年に家兄の死去に伴い上山町に帰郷。太平洋戦争応召[2]。終戦は台湾屏東で迎えた。復員後、山形県知事室秘書課長、文書課長、統計課長、東京事務所長、最上事務所長、東南村山地方事務所長を歴任。1959年より松本長兵衛市長のもと上山市助役を2期務めた。

1971年7月に上山市長選に出馬し、雨谷憲作との一騎打ちを制して初当選。

1975年6月の市長選では、無投票当選し2選。

1979年7月の市長選では、中学校長を退職し出馬した遠藤利一(遠藤利明の父)との一騎打ちを制して3選。

1983年7月に退任。

1984年に勲四等瑞宝章受章。

1986年より斎藤茂吉記念館館長に就任。

1988年に斎藤茂吉文化賞を受賞した。

1993年に死去。

政策[編集]

市民参加による田園観光都市づくりを目指し、「対話による市政」を基本姿勢として市政座談会や市長相談、電話相談に加えて、市民の意識調査を実施するなど、生活基盤整備のための施策を行った。

1981年に公共下水道の供用を開始。また、上山市立北中学校や上山市立南小学校の開校も手掛けた。

歴代市長と同様に観光にも力を入れ、1982年に城郭風歴史博物館「上山城」を築城し、点在している文化遺産を結ぶ拠点とした。

著書[編集]

  • 茂吉と上ノ山
  • 茂吉の足あと
  • 蔵王山麓の市長日記
  • 茂吉と山形
  • 歌集「上ノ山」
  • 伝記「出羽ヶ嶽文治郎」

その他[編集]

  • 妻の鈴木キクが斎藤茂吉であったことから、齋藤茂吉の東京青山の書斎に招かれるなどの親交があった。

脚注[編集]

  1. ^ 鈴木キク『追憶の人』上山印刷、平成6年5月1日。 
  2. ^ 『蔵王山麓の市長日記』加藤印刷(上山市)、昭和54-07-30。