松本長兵衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松本 長兵衛
まつもと ちょうべえ
上山市体育協会誌60年のあゆみ
生年月日 1896年11月23日
出生地 日本の旗 日本山形県上山市
没年月日 1978年8月2日(81歳没)
出身校 東京帝国大学農学部

当選回数 2回
在任期間 1958年9月17日 - 1966年9月15日
テンプレートを表示

松本 長兵衛(まつもと ちょうべえ、1896年〈明治29年〉11月23日[1] - 1978年〈昭和53年〉8月2日[2][注 1])は、日本政治家。元山形県上山市長(2期)。

来歴[編集]

山形県南村山郡上山町出身。東京帝国大学農学部卒業。[3]

1931年に上山町議会議員に初当選。1946年からは、上山町議会議長を務めた。

1947年に上山町長に就任。上山市制施行まで職務を務め、新制中学校の建設整備や、都市計画道路の新設などに尽力した。また、山形県の町村合併審議会会長をつとめ、合併の推進役を担った。山形県町村会長、全国町村会副会長なども務めた。

1954年10月の上山市長選挙に日本社会党公認で出馬し、高橋熊次郎と一騎打ちとなるが、約7,100票の差をつけられて落選[4]

1958年9月に上山市長選に出馬し、鈴木行男遠藤利明の叔父)との一騎打ちを制して初当選。

1962年9月の市長選では、元市議会議長の永田亀之助(永田亀昭の父)との一騎打ちを制して2選。

1966年に市長を引退。

1968年勲五等双光旭日章を受章。

1974年斎藤茂吉記念館館長に就任。

1978年8月2日、急性肺炎により死去。同年8月20日に市民会館で告別式が執り行われた。

政策[編集]

市長就任挨拶にて、市政の基本的な考え方を「他からの力に支配されることのない、正しく明るい市政を公平に行うこと」とした。

また、市長就任時は、赤字財政の立て直しが課題となっており、その解消を図った。その一方で、上山中学校や宮川中学校の建設、上水道の拡張、公衆浴場の改築などの設備投資を行った。

上山温泉郷を「蔵王と茂吉のふるさとかみのやま」をキャッチフレーズとし、1961年のエコーライン開通や国道13号線バイパス供用開始などを利用しながら、市が観光ルートの拠点となるよう施策を展開した。

1964年に市制10周年を迎え、上山小学校南体育館での記念式典、祝賀鼓笛パレード、市内一周駅伝競走、市民憲章の制定、市内各小学校に月桂樹の記念植樹、冊子「かみのやま十年のあゆみ」全戸配布などを実施した。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』51頁には「没年不詳」。

出典[編集]

  1. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』51頁。
  2. ^ 市報(昭和53年8月15日号)
  3. ^ 上山市報(昭和33年9月20日号)
  4. ^ 上山市選挙管理委員会『令和2年度~令和4年度 選挙の記録』自治体出版、令和5年9月、60頁。 

参考文献[編集]