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{{馬齢新}}{{競走馬
{{Otheruses|競走馬|この馬の名前の由来となった漫画・アニメ『[[銀魂]]』に登場する同名の爆弾|銀魂#アイテム}}
| 名 = キタサンブラック
{{競走馬
| 説 = 第76回菊花賞本馬場入場<br />(2015年10月25日)
|名 = ジャスタウェイ
| 英 = {{Lang|en|Kitasan Black}}<ref name="JBIS-基本">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0001155349/ |title=キタサンブラック|publisher=[[社団法人|公益社団法人]][[日本軽種馬協会]]|website=JBIS-Search|accessdate=2019-12-22}}</ref>
|画 = [[File:Just-A-Way Tenno-Sho(Autumn) 2013(IMG1).jpg|275px]]
| 画 = [[File:Kitasan-Black IMG 7729r R 20151025.JPG|300px]]
|説 = 2013年天皇賞(秋)
| 性 = [[牡馬|牡]]<ref name="JBIS-基本"/><ref name="優駿-2018-2-23">『優駿』2018年2月号 23頁</ref>
|英 = Just a Way<ref name="JBIS">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0001106251/ |title=ジャスタウェイ|publisher=[[公益社団法人]][[日本軽種馬協会]]|website=JBIS-Search|accessdate=2019-12-13}}</ref>
| 色 = [[鹿毛]]<ref name="JBIS-基本"/><ref name="優駿-2018-2-23" />
|漢 = {{Lang|zh|一路通}}<ref>{{Cite web|url= http://racing.hkjc.com/racing/overseas/chinese/20140608/S2/1/expert-column.aspx?para=/20140608/S2/1 |title= 安田紀念賽 - 賽事資料(越洋轉播) - 名家專欄 |work= |publisher= 香港賽馬會(The Hong Kong Jockey Club) |language=中国語|accessdate=2018-01-10}}</ref>
| = [[牡馬|牡]]<ref name="JBIS"/>
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|種 = [[サラブレッド]]<ref name="JBIS"/>
| 登 =
|生 = {{生年月日と馬齢|p=0|2009|3|8}}<ref name="JBIS"/>
| 抹 = 2018年1月8日<ref>{{Cite web |title=キタサンブラックが競走馬登録抹消、種牡馬に|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/post_13700.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2023-09-29 |language=ja}}</ref>
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| 父 = [[ブラックタイド]]<ref name="JBIS-基本"/><ref name="優駿-2018-2-23" />
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|抹 = [[2015年]][[1月7日]]
|父 = [[ハーツクラ]]<ref name="JBIS"/>
|父 = [[クラバクシンオー]]<ref name="JBIS-基本"/><ref name="優駿-2018-2-23" />
| = シビル<ref name="JBIS"/>
| = [[ヤナガワ牧場]]<ref name="JBIS-基本"/><ref name="優駿-2018-2-23" />
| 国 = {{JPN}}([[北海道]][[沙流郡]][[日高町 (北海道)|日高町]])<ref name="優駿-2018-2-23" />
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| = [[白老ファーム|社台コーポレーショ白老ファ]]<ref name="JBIS"/>
| 調 = [[清水久詞]]([[栗東トレーグセンタ|栗東]]<ref name="JBIS-基本"/><ref name="優駿-2018-2-23" />
| 助 = 押田道郎<ref name="優駿-2017JRA賞受賞">『優駿』2017年2月号 74頁</ref>
|主 = [[大和屋暁]]<ref name="JBIS"/>
| 厩 = 辻田義幸<ref name="優駿-2017JRA賞受賞" />
|調 = [[須貝尚介]]([[栗東トレーニングセンター|栗東]])<ref name="JBIS"/>
| 績 = 20戦12勝<ref name="JBIS-基本"/><ref name="優駿-2018-2-23" />
|助 = 榎本優也<ref>{{Cite web|url=https://smart.keibalab.jp/column/interview/1161/|title= 世界を経験し上昇ジャスタウェイの帰国初戦 |publisher=競馬ラボ|website=smart.keibalab.jp|date=2014-06-01|accessdate=2019-12-26}}</ref>
| = 22戦6勝<br />([[中央競馬|中央]])20戦5勝<ref name="JBIS"/><br />(海外)2戦1勝<ref name="JBIS"/>
| = 18億7684万3000円<ref name="JBIS-基本"/><ref name="優駿-2018-2-23" />
| 冠 = [[JRA賞|JRA賞年度代表馬]](2016年・2017年)<br>[[JRA賞最優秀4歳以上牡馬|最優秀4歳以上牡馬]](2016年・2017年)<ref name="JBIS-基本"/><br>[[JRA顕彰馬|顕彰馬]](2020年選出)<ref>{{Cite web |title=キタサンブラック殿堂入り 史上34頭目の顕彰馬に選出 17年の有馬記念など史上最多タイの芝GI・勝 |url=https://umatoku.hochi.co.jp/articles/20200609-OHT1T50098.html |website=スポーツ報知 |date=2020-06-09 |access-date=2023-10-09 |language=ja}}</ref>
|金 =9億939万8000円<br />(中央)5億9569万4000円<ref name="JBIS"/><br />(海外)300万USドル{{#tag:ref|日本円で3億1371万5000円<ref>[http://jra.jp/datafile/seiseki/g1/yasuda/result/yasuda2014.html データファイル | 競走成績データ:第64回 安田記念] - JRA 日本中央競馬会 2014年6月8日</ref>、中央・海外の獲得賞金合計で9億939万8000円<ref>[https://number.bunshun.jp/articles/-/828560?page=3 1頭6億円のセリ値がつくご時勢。1000万円台で10億稼いだ孝行馬は?(3/4)] - Sports Graphic Number Web 2017年7月29日閲覧。</ref>。|group="注"}}
| 鞍 =
|レ = [[ワールド・ベスト・レースホース・ランキング|WBRR]]
| レ = [[ワールド・ベスト・レースホース・ランキング|WBRR]]
|レ値 = I123 / 2013年<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/WTRRankings/2013_LWBRR.asp |title=LONGINES WORLD'S BEST RACEHORSE RANKINGS 2013 |publisher=[[国際競馬統括機関連盟|IFHA]] |accessdate=2021-09-10}}</ref><br />M130 / 2014年<ref>{{cite web |url=https://www.jra.go.jp/datafile/ranking/wrank/2014.html |title=2014年度ロンジンワールドベストレースホースランキング |publisher=日本中央競馬会 |accessdate=2015-2-11}}</ref>
| レ値 = L117 - E117 / 2015年<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/WTRRankings/2015_LWBRRa.asp |title=LONGINES WORLD'S BEST RACEHORSE RANKINGS 2015 |publisher=[[国際競馬統括機関連盟|IFHA]] |accessdate=2021-07-22}}</ref><br />L123 / 2016年<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/WTRRankings/2016_LWBRR_xZy.asp |title=LONGINES WORLD'S BEST RACEHORSE RANKINGS 2016 |publisher=[[国際競馬統括機関連盟|IFHA]] |accessdate=2021-07-22}}</ref><br />L124 / 2017年<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/WTRRankings/LWBRR.asp?batch=47 |title=LONGINES WORLD'S BEST RACEHORSE RANKINGS 2017 |publisher=[[国際競馬統括機関連盟|IFHA]] |accessdate=2021-07-22}}</ref>
|冠 = [[JRA賞最優秀4歳以上牡馬]](2014年)<ref name="JBIS"/>
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| medaltemplates = {{MedalGI|[[菊花賞]]|2015年}}
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{{MedalGII|[[セントライト記念]]|2015年}}
{{MedalGII|[[京都大賞典]]|2016年}}
}}
}}
'''ジャスウェイ'''(欧字名:{{Lang|en|Just a Way}}、[[2009年]][[3月8日]] - )は、[[日本]]の[[競走馬]][[種牡馬]]<ref name="JBIS"/>。主な勝ち鞍は[[2013年]]の[[天皇賞(秋)]]、[[2014年]]の[[ドバイターフ|ドバイデューティーフリー]]、[[安田記念]]
'''サンブラック'''(欧字名:{{Lang|en|Kitasan Black}}、[[2012年]][[3月10日]] - )は、[[日本]]の[[競走馬]][[種牡馬]]<ref name="JBIS-基本"/>。


[[日本中央競馬会]]の[[顕彰馬]]である。
ドバイデューティーフリーにおいて2着に6馬身以上の着差、(芝1,800 mでの同競走<ref>競走条件の変遷については[[ドバイターフ]]参照。</ref>として) 従来の記録を2秒以上も更新する1分45秒52のレコードタイムで圧勝し<ref name="netkeiba85642"/>、この結果によって[[ワールド・ベスト・レースホース・ランキング|国際クラシフィケイション]]において130ポンドの評価を受け、日本競馬史上初となる単独1位にランキングされた<ref name="netkeiba85984"/><ref group="注" name="rating"/>。2014年度の[[JRA賞最優秀4歳以上牡馬]]である。


== 馬名 ==
== 概要 ==
[[北海道]][[日高町 (北海道)|日高町]]の[[ヤナガワ牧場]]で生産された父「代替種牡馬」[[ブラックタイド]]、母父[[サクラバクシンオー]]の牡馬である。「キタサン」の[[冠名]]を用いる国民的演歌歌手の[[北島三郎]]が所有し、[[栗東トレーニングセンター]]の[[清水久詞]]が[[調教師]]を担った。キャリア前半は[[北村宏司]]が、後半は[[武豊]]が[[主戦騎手]]を務めたほか、[[後藤浩輝]]や[[浜中俊]]、[[横山典弘]]も騎乗した。主に逃げ先行策から押し切る戦法で、優勝を積み重ねた。
[[競走馬#競走馬名|馬名]]の意味は英語で「その道」で、[[馬主]]であるアニメ脚本家・[[大和屋暁]]の代表作『[[銀魂 (アニメ)|銀魂]]』に登場する[[銀魂#アイテム|ジャスタウェイ]]に由来する<ref>*{{ウェブアーカイブ |deadlink=yes |title=ジャスタウェイのオーナー大和屋暁氏独占インタビュー |url=http://column.keibalab.jp/specialtalk/article/vol_18_1/ |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210326031508/https://www.keibalab.jp/column/specialtalk/vol_18_1/ |archivedate=2021-05-26 |language=日本語|accessdate=2022-02-11}}</ref><ref group="注">但し、元ネタになった方(玩具に偽装した爆弾)の英語表記はJust Away(すぐ逃げろ)である。</ref>。


3歳となった2015年1月にデビューし、無傷の3連勝で[[スプリングステークス]](GII)を優勝した。春の[[クラシック (競馬)|クラシック]]は、いずれも[[ドゥラメンテ]]に敗れ二冠を許したが、秋の最終戦・[[菊花賞]](GI)でクラシック戴冠を果たした。[[古馬]]となった2016年は、2004年[[イングランディーレ]]以来、2003年[[タップダンスシチー]]以来となる[[天皇賞(春)]](GI)、[[ジャパンカップ]](GI)逃げ切り優勝を果たした。また[[有馬記念]](GI)2着、[[宝塚記念]](GI)3着となるなど年間の出走機会すべて3着以内となり、この年の[[JRA賞年度代表馬]]および[[JRA賞最優秀4歳以上牡馬|最優秀4歳以上牡馬]]を受賞した。
大和屋は[[赤見千尋]]との対談で、「あまり洒落が利いてない感じ」という理由で主要キャラクターの名前を付けたくなかった代わりに、「一見カッコ良さげで、ちょっとアホくさいキャラクター」ということでこの名前を選んだことも明かしている<ref name="netkeiba25761">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=25761 |title= 東奈緒美・赤見千尋のおじゃ馬します!「ジャスタウェイ・大和屋暁オーナー(1)『狂喜乱舞の天皇賞・秋』」 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>。


翌2017年は、GI昇格初年度の[[大阪杯]](GI)を優勝し、天皇賞(春)は2006年[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]を上回るレコードを樹立して連勝とした。続く宝塚記念では、設置初年度となった「春の古馬三冠競走」戴冠が懸かったが9着大敗だった。続く秋の再起初戦、不良馬場の[[天皇賞(秋)]](GI)は出遅れ、逆境に立たされたが跳ね返し優勝。2007年[[メイショウサムソン]]以来史上5頭目となる[[天皇賞]]春秋連覇を果たして、レコード樹立の春とは異なり「逆レコードタイム」での優勝、また2001年[[テイエムオペラオー]]以来史上2頭目となる天皇賞3勝を記録した。さらに暮れ、引退レースの有馬記念で2008年[[ダイワスカーレット]]以来となる逃げ切り優勝を果たし、史上最多タイとなるJRAGI7勝に到達した。
== 経歴 ==
=== デビュー前 ===
2009年3月8日に[[北海道]]の[[浦河町]]で誕生<ref name="JBIS"/>。生産者の名義は[[白老ファーム]]である<ref name="JBIS"/>。


競走馬引退後は、[[種牡馬]]として供用され、重賞優勝産駒を輩出。2022年天皇賞(秋)や有馬記念、2023年[[ドバイシーマクラシック]](G1)や宝塚記念を優勝した[[イクイノックス]](母父:[[キングヘイロー]])、2023年[[皐月賞]](GI)を優勝した[[ソールオリエンス]](母父:[[モティヴェーター]])の父として知られる。
翌年(2010年)の[[セレクトセール]]1歳に上場され<ref>{{Cite news|url= https://uma-furusato.com/winner_info/detail/_id_62697 |title=重賞ウイナーレポート アーリントンC G3|publisher=競走馬のふるさと案内所|date=2012-02-25|accessdate=2019-12-11}}</ref>、大和屋が1,260万円(消費税込<ref group="注">税率5%</ref>)で落札して購入した。なお、大和屋が以前ジャスタウェイの父である[[ハーツクライ]]の[[一口馬主]]<ref group="注">ハーツクライは一口クラブの[[社台レースホース]]所有馬である。</ref>だった縁もあり、所有する馬は全てハーツクライ産駒である<ref>[http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20131028-1210295.html 大和屋オーナー「頭真っ白」/天皇賞] - 2013年10月28日「日刊スポーツ」</ref>。大和屋は2009年のセレクトセールでもハーツクライの初年度産駒を競り落としているが、この産駒はデビュー前に亡くなっており、「2年目の世代をカタログ順で、牡馬でも牝馬でも買えるものなら」の意気込みでハーツクライ産駒が出場するたびに順番に手を挙げ、シビルの子を競合相手もなく難なく落札したものであった<ref name="netkeiba25918">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=25918 |title= 東奈緒美・赤見千尋のおじゃ馬します!「ジャスタウェイ・大和屋暁オーナー(3)『恐怖!セレクトセールのプレッシャー』」|work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>{{#tag:ref|ただ、大和屋の本当の狙い目はカタログの最後に出場したハーツクライ産駒であるサビアーレの子であったが、サビアーレの子は3900万円(税抜)で備前島敏子が落札<ref name="netkeiba25918"/>。大和屋は「俺、見る目ねぇな」と苦笑いするしかなかったという<ref name="netkeiba25918"/>。サビアーレの子は、のちに[[カポーティスター]]の名前で競走馬となり、2013年の[[日経新春杯]]を制することとなる<ref name="jbis0001106478">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0001106478/ |title=カポーティスター|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2019-12-05}}</ref>。|group="注"}}。


== 誕生までの経緯 ==
落札したシビルの子は脚が外向気味であった<ref name="netkeiba25918"/>。大和屋はこのことを知らなかったが、[[社台スタリオンステーション]]の関係者に「ハーツクライの一口さんだったんですね。それならこの外向も問題ないですね」と聞かれると、「もちろんです」と了承している<ref name="netkeiba25918"/>。
=== 北島三郎 ===
[[ファイル:Saburo Kitajima IMG 7790r R 20151025.JPG|サムネイル|296x296ピクセル|[[北島三郎]]]]
[[北島三郎]]は、[[北海道]]出身の演歌歌手である。農耕馬がいる土地で育ち、上京してからは、芸能事務所・新栄プロダクションに属して活動し、『なみだ船』などヒット曲を連発して有名歌手になった<ref name="優駿-2017-7-56">『優駿』2017年7月号 56頁</ref>。新栄プロダクションには、社長の[[西川幸男]]や先輩歌手の[[春日八郎]]、[[村田英雄]]がおり、いずれも馬主だった。その西川や春日から勧められて、自身も馬主活動を始めていた<ref name="優駿-2017-7-56" />。


北島は当初「リュウ」や「マコト」などを所有した<ref name="デイリー-北島">{{Cite web |title=【馬主・北島三郎2】父の助言から生まれた「キタサン」/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2017/12/19/0010829679.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-09-11 |access-date=2023-09-11 |language=ja}}</ref>。当初は、自身にゆかりのある家族の名前などを競走馬名に充てていたが、次第に別れが寂しくなり、冠名を使用することになった<ref name="デイリー-北島" /><ref name="優駿-2016-1-35">『優駿』2016年1月号 35頁</ref>。父から、すぐに息子の馬であるか判別できるよう要請されたこともあり、芸名「'''北島三郎'''」の「'''北'''」と「'''三'''」を抽出した「'''キタサン'''」という冠名を使用するようになった<ref name="優駿-2016-1-35" />。社長や先輩に誘われて始めたが馬主活動は長く続き、2010年代になると馬主歴は半世紀に到達した。歴代所有馬は150頭以上になったが<ref name="優駿-2016-1-35" />、最高峰のGIタイトルには縁がなかった。
=== 2歳(2011年) ===
[[7月23日]]、[[新潟競馬場]]の芝1600mの[[新馬|新馬戦]]で[[福永祐一]]を鞍上にデビュー。福永曰く、デビュー前はゲート練習をメインに調教が積まれていたせいで体の動きが少し硬かったというが、その甲斐があってスタートも速く、上がり33秒3の脚を使って2着ラパージュに5馬身差をつけ勝利を飾った<ref name="netkeiba57404">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=57404 |title= 5馬身差の圧勝劇、ジャスタウェイ/新馬戦|work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref><ref name="netkeiba58162">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=58162 |title= ジャスタウェイ、重賞タイトル奪取に意欲/新潟2歳S|work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>。大和屋にとっても、この勝利は個人馬主としての初出走・初勝利であった<ref name="netkeiba57404"/>。続く[[新潟2歳ステークス]]は単勝オッズ1.7倍の支持を集めて1番人気に推されるも<ref name="sportiva-1.7">[https://sportiva.shueisha.co.jp/smart/clm/keiba/keiba/2014/12/24/post_323/ 【競馬】有馬でラストラン。ジャスタウェイが伝説になる(1/3)][https://sportiva.shueisha.co.jp/smart/clm/keiba/keiba/2014/12/24/post_323/index_2.php (2/3)][https://sportiva.shueisha.co.jp/smart/clm/keiba/keiba/2014/12/24/post_323/index_3.php (3/3)] - Sportiva Web 2014年12月24日閲覧。</ref>、先に抜け出したモンストールをとらえることができず、4分3馬身差の2着に惜敗した<ref name="netkeiba58289">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=58289 |title= モンストール、極上の瞬発力で快勝/新潟2歳S|work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>。3走目の[[東京スポーツ杯2歳ステークス]]は不良馬場ということもあり差し切れず、[[ディープブリランテ]]の4着に敗れた<ref name="netkeiba59937">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=59937 |title= ディープブリランテ、圧勝で重賞V/東京スポーツ杯2歳S|work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref><ref name="netkeiba61531">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=61531 |title= ジャスタウェイ、リフレッシュ効果強調/きさらぎ賞|work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>。レース後、不良馬場を走ったことを考慮され[[ノーザンファームしがらき]]にリフレッシュ放牧に出され、2歳戦を終えた<ref name="netkeiba61236">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=61236 |title= ジャスタウェイ、ゴールドシップ次走報/栗東トレセンニュース|work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>。


活躍所有馬は、1992年[[平和賞 (船橋競馬)|平和賞]]や[[全日本3歳優駿]]を優勝したキタサンテイオーや、2001年ニュージランドトロフィー(GII)優勝のキタサンチャンネル、2001年ファンタジーステークス(GIII)優勝のキタサンヒボタンなど重賞優勝馬はいた。これらの馬は、函館西高校ラグビー部のジャージーを模した白地の勝負服で活躍していた<ref name="デイリー-北島三郎">{{Cite web |title=【馬主・北島三郎3】勝負服と馬名は験担ぎ 最近は濁点の馬名がお気に入り/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2017/12/20/0010832270.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-10-04 |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。しかし後が続かず、いつしか所有馬の成績は低迷し、GIタイトルからも遠ざかっていた<ref name="デイリー-北島三郎" />。そんな頃、娘から勝負服の変更を勧められていた。北島は、縁起の良い色の研究などをして、新たなに「黒、茶三本輪」の服色の勝負服に変更していた<ref name="デイリー-北島三郎" />。[[ファイル:Owner Ohno Shoji.svg|サムネイル|新勝負服]]
=== 3歳(2012年) ===
=== ヤナガワ牧場 ===
1月12日に栗東に帰厩後<ref name="netkeiba61236"/>、3歳初戦として2月5日の[[きさらぎ賞]]に出走するも、[[ワールドエース]]の4着<ref name="netkeiba61663">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=61663 |title= ワールドエース小牧騎手の手綱で重賞制覇/きさらぎ賞|work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>。続く[[アーリントンカップ]]は良馬場発表ながらも降雨で重め馬場となったが、後方追走から最後は大外を回り、先に抜け出していたオリービンを差しきって重賞初制覇を果たした<ref name="netkeiba62126">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=62126 |title= “爆弾”ジャスタウェイ大外一気で重賞V/アーリントンC|work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>。大和屋も個人馬主としての重賞初勝利であり、本馬の名前の由来となった銀魂の「ジャスタウェイ」グッズを手に興奮していたという<ref name="netkeiba62126"/>。また、このアーリントンカップの前後からあくまでも酒の席での話としてではあるものの、[[ドバイワールドカップミーティング]]への遠征が早くも語られるようになった<ref name="netkeiba25918"/>。


==== 北西牧場 ====
春3走目は[[ニュージーランドトロフィー]]を予定し登録されたが、直前にナイラ{{#tag:ref|馬の[[腺疫]]を指す<ref>{{Cite web |url=https://jlia.lin.gr.jp/eiseis/pdf/uma/strangles.pdf |title=腺疫(第3版) |publisher=財団法人 中央畜産会 |format=PDF |page=02 |date=2011-11 |accessdate=2022-10-19}}</ref>。|group="注"}}を患い、症状自体は軽かったものの先を見据えて回避<ref name="netkeiba62295">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=62995 |title=【NZT】(中山)~ジャスタウェイら、23頭が登録 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref><ref name="netkeiba63874">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=63874 |title=ジャスタウェイ好調、回避の影響なし/NHKマイルC |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>。[[東京競馬場]]で行われる[[NHKマイルカップ]]、[[東京優駿|日本ダービー]]の変則二冠制覇を目指したが<ref name="netkeiba63908">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=63908 |title=ジャスタウェイ、マイルC後はダービー参戦/NHKマイルC |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>、NHKマイルカップは[[カレンブラックヒル]]の6着<ref name="netkeiba64059">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=64059 |title=【NHKマイルC】(東京)~カレンブラックヒルが逃げ切りでGI初制覇を飾る |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>、日本ダービーはディープブリランテの11着に敗れた。
[[ヤナガワ牧場]]は、北海道[[平取町]]で始まった競走馬生産牧場である。[[日高軽種馬農業協同組合]]の獣医師として活躍し、馬産地に[[直腸検査]]をいち早く導入した立役者である1914年生まれの梁川正雄が、農協の退職金を当てにして1967年に開業していた<ref name="優駿-2017-3-57">『優駿』2017年3月号 57頁</ref><ref name="優駿-2007-7-170">『優駿』2007年7月号 170頁</ref>。長男である1943年生まれの梁川正克は、[[麻布大学]]獣医科に在学しており就活生だった。しかし日本中央競馬会への内定を蹴り、父を助けるべく実家に戻っていた<ref name="優駿-2017-3-57" /><ref name="優駿-2007-7-170" /><ref name="デイリー-ヤナガワ">{{Cite web |title=【キタサンブラックのルーツを探る・前編】2代続けて悲劇も…3代目で大輪の花/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2017/12/18/0010826523.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-10-09 |access-date=2023-10-08 |language=ja}}</ref>。


同じ頃、芸能事務所である新栄プロダクションの創業者であり、冠名「ウエスタン」を用いる馬主でもある'''西'''川幸男が、生産牧場経営にも乗り出し、オーナーブリーダーになろうとしていた<ref name="優駿-2007-7-170" />。西川は、ちょうど新米馬主だった'''北'''島三郎に声をかけていた。そして、二人の名字から「'''北'''」「'''西'''」を抜き出してつなげた「北西牧場」を開設していた<ref name="優駿-2017-3-58">『優駿』2017年3月号 58頁</ref>。
秋は[[菊花賞]]へは向かわず、古馬との直接対決となる中距離路線へ向かった。秋初戦の[[毎日王冠]]は12番人気に甘んじたものの、逃げたカレンブラックヒルに首差まで迫って2着<ref name="netkeiba68599">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=68599 |title=【毎日王冠(GII)】(東京)~カレンブラックヒル 古馬を撃破し無傷の5連勝 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>。続く[[天皇賞(秋)]]は、先行するも[[エイシンフラッシュ]]の6着に敗れた<ref name="netkeiba69314">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=69314 |title=【天皇賞】(東京)~ダービー馬エイシンフラッシュが復活V |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>。天皇賞の後[[香港国際競走]]に[[香港マイル]]を第一希望、[[香港カップ]]を第二希望として登録したが回避し<ref name="netkeiba69183">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=69183 |title=【香港マイル】日本からの登録馬~ストロングリターンなど24頭 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref><ref name="netkeiba69184">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=69184 |title=【香港カップ】日本からの登録馬~ルーラーシップなど18頭 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>、12月の[[チャレンジカップ (中央競馬)|朝日チャレンジカップ]]に出走を予定したが熱発で回避<ref name="netkeiba70617">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=70617 |title=ジャスタウェイ、熱発で朝日CCを回避 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>。世代のレベルの高さを垣間見せつつも<ref name="netkeiba70551">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=70551 |title=ジャスタウェイ成長一途、前走は収穫あり/朝日チャレンジC |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-08}}</ref>、秋2戦を未勝利として3歳戦を終えることとなった。


西川は、梁川正雄と深い関係を築いており、北西牧場開設にあたって、牧場長就任のオファーをしていた。しかし正雄には、既に自分の牧場があり、応えることができなかった<ref name="優駿-2007-7-170" />。そこで、父のために実家に戻ってきたはずの長男の正克が派遣されることになっていた<ref name="優駿-2007-7-170" />。まだ若い正克は、西川の強力なバックアップを受けながら牧場長として、1975年の[[天皇賞(秋)]]や1976年[[宝塚記念]]などを優勝した[[フジノパーシア]]、1979年の天皇賞(秋)を優勝した[[スリージャイアンツ]]など活躍馬を輩出する活躍を果たした<ref name="優駿-2017-3-58" />。
=== 4歳(2013年) ===
[[File:Just a Way 106th Kyoto Kinen IMG 1096-2 20130210.JPG|240px|thumb|2013年京都記念本馬場入場]]
4歳初戦にして、熱発明けからの仕切り直しのレースとなった[[中山金杯]]は1番人気に推されるも[[タッチミーノット]]の3着<ref name="netkeiba71465">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=71465 |title=【中山金杯(GIII)】(中山)~タッチミーノット 重賞初制覇 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>。続く[[京都記念]]は再び1番人気に推されたものの伸びを欠き、[[トーセンラー]]の5着に敗れた<ref name="netkeiba72538">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=72538 |title= トーセンラー、武豊騎手を背に復活の差し切りV/京都記念 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>。2番人気に支持された3走目の[[中日新聞杯]]も左前脚の落鉄の影響もあり<ref name="netkeiba73474">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=73474 |title= ホエールキャプチャは阪神牝馬Sを視野に |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>、追い込み不発で8着に敗れた<ref name="netkeiba73364">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=73364 |title= サトノアポロが直線切れて差し切りV、重賞初制覇/中日新聞杯 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>。5月19日の[[シンガポール航空インターナショナルカップ]]の一次登録も済ませたが<ref name="netkeiba73292">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=73292 |title= 【シンガポール航空国際C】(5月19日、クランジ)~エイシンフラッシュなど14頭が1次登録 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>回避し短期放牧に出された<ref name="netkeiba73474"/><ref name="netkeiba76401">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=76041 |title= エプソムC・マーメイドS、重賞レース展望・見どころ |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>。
このあと[[エプソムカップ]]は[[クラレント]]と鼻差の2着<ref name="netkeiba76190">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=76190 |title= 府中巧者クラレントが2番手追走から押し切りV/エプソムC |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>、夏競馬に参戦して[[関屋記念]]はスタートが上手くなかったことが影響し[[レッドスパーダ]]の2着<ref name="netkeiba78088">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=78088 |title= 【関屋記念】(新潟)~古豪レッドスパーダが久々の重賞V |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>、6番人気と人気を落とした毎日王冠はエイシンフラッシュの2着と<ref name="netkeiba79897">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=79897 |title= エイシンフラッシュが差し切り、天皇賞連覇に向け秋緒戦を制す!/毎日王冠 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>、3戦連続続けて2着を重ねた。


一方、正克の実家であるヤナガワ牧場は、長男を送り出した後は創業者正雄とその次男、つまり正克の弟で切り盛りしていた<ref name="優駿-2007-7-170" />。しかし送り出して10年ほど経過した後に、その次男が27歳で急死していた<ref name="優駿-2007-7-170" />。次男を欠いたことで牧場経営が立ち行かなくなり、正克は北西牧場長を辞めて、再び実家の救済に帰還した<ref name="優駿-2007-7-170" />。
そうした中、5番人気で迎えた天皇賞(秋)はスタートも良く、ハイペースの中後方からレースを進め、直線で1番人気の[[ジェンティルドンナ]]を差し切り、4馬身差の圧勝でGI初制覇を果たした<ref name="netkeiba80654">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=80654 |title= ジャスタウェイ惜敗続きに終止符、鬱憤晴らす豪脚炸裂!/天皇賞・秋 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>。鞍上の福永は初の天皇賞制覇で、且つ2組目の親子制覇も達成<ref group="注">実父・[[福永洋一]]は、[[第66回天皇賞]]を[[ヤマニンウエーブ]]で制している。</ref><ref group="注">1組目は、[[横山富雄]]([[メジロムサシ]](春)・[[メジロタイヨウ]](秋))・[[横山典弘]]([[サクラローレル]](春)・[[カンパニー (競走馬)|カンパニー]](秋))親子が成し遂げている。</ref>。父・ハーツクライにとっても初の産駒のGI制覇となった。また、2勝馬の優勝は[[グレード制]]導入後の古馬出走可のGI<ref group="注">多数の馬が賞金を稼ぐパターンになりにくい2歳馬限定や、トライアル競走で出走権を確保できる[[中央競馬クラシック三冠|クラシック]]では、1勝馬でもGI挑戦可能であるが、賞金額が重要視される古馬出走可のレースでは珍しいといえる。当馬の場合、それまでの時点で2着による賞金加算が5度あった(重賞競走であれば2着も賞金加算対象となる)ことも関係していると見られる。</ref>では2度目<ref group="注">1度目は、[[フサイチパンドラ]]が[[第31回エリザベス女王杯|エリザベス女王杯]]で達成。但し、1位で入線した[[カワカミプリンセス]]の降着による繰り上がりによるものであり、1位で入線しての達成は当馬が初である。</ref>、通算148回を数える天皇賞史上初の快挙となった。なお、2週間前の出走登録では収得賞金の兼ね合いで出走馬決定順20番目と除外対象となっていたが<ref name="netkeiba80211">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=80211 |title= 【天皇賞(秋)】~ジェンティルドンナなど24頭が登録 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>、登録馬のうちのトーセンラ―<ref name="netkeiba80488">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=80488 |title= トーセンラーは天皇賞を回避してマイルCSへ |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>、[[ダークシャドウ]]<ref name="netkeiba80516">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=80516 |title= 外傷を負ったダークシャドウの回避が決定「今後については未定です」 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>、[[ルルーシュ (競走馬)|ルルーシュ]]<ref name="netkeiba80552">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=80552 |title= アルゼンチン共和国杯へ向かうルルーシュに藤沢師「だいぶ気合が乗ってきた」 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>の3頭に加え、事前段階で同厩舎の[[ゴールドシップ]]等の上位馬が回避するという好機を掴んで得た勝利だった<ref name="netkeiba25761"/><ref>[http://www.nikkansports.com/race/news/p-rc-tp0-20131028-1210296.html 須貝尚介師「ポロッ」と涙/天皇賞] - 2013年10月28日「日刊スポーツ」</ref>。天皇賞を勝利するまでのジャスタウェイについては関西の競馬専門誌記者によると「デビュー前から"馬体が緩い"{{#tag:ref| 「馬体が緩いというのは、競走馬としてしっかりすべきところがしっかりし切れていない、ということで、それが競馬の勝負どころで(詰めの甘さとなって)出るんです。でも、それを無理してなんとかしようとすると、すぐに疲れが出たり、別のどこかがおかしくなってしまう。走る馬にはよくあることで、それが解消されないまま、引退する馬も少なくありません。この時期のジャスタウェイは、まさにそういう状況でした<ref name="sportiva-1.7"/>」|group="注"}}」という弱点があったが、陣営の地道な努力によってこれが解消されると同時に次第に地力がついてきたと述べており、加えて前年の秋に毎日王冠→天皇賞(秋)というローテーションで、古馬の一線級と戦ってきて強い相手の中でもまれてきたことで、それが結果的に地力強化に繋がったと分析している<ref name="sportiva-1.7"/>。


==== 新生ヤナガワ牧場 ====
天皇賞終了後、大和屋はドバイミーティングへの遠征計画を公表した<ref name="netkeiba80697"/>。11月の[[ジャパンカップ]]には登録せず<ref name="netkeiba80697">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=80697 |title= ジャスタウェイGI初V、大和屋オーナーはドバイ挑戦プランも/天皇賞・秋 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>、また登録のあった香港国際競走も回避して[[有馬記念]]出走か休養の二択となったが<ref name="netkeiba80712">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=80712 |title= ジャスタウェイの次走は香港遠征を見送り、有馬記念か休養のどちらか |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>、最終的には疲れが出たため休養となって2013年のシーズンを終えることとなった<ref name="netkeiba81065">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=81065 |title= ジャスタウェイは疲れが出ていたため年内全休「ゆっくりさせたいと思います」 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-09}}</ref>。
ヤナガワ牧場は、大物馬主が開設した北西牧場と比べて、広さも馬質も劣る小規模牧場だった<ref name="優駿-2007-7-170" />。正克は、規模の違いに苦労したが、元上司の西川から繁殖牝馬を1頭譲り受ける施しを受けたり、北西牧場時代に構築した調教師らの人脈を生かしたりなどして、経営を軌道に乗せることに成功した<ref name="優駿-2007-7-170" /><ref name="優駿-2007-7-171">『優駿』2007年7月号 171頁</ref>。正雄が14頭の繁殖牝馬を抱えて創業し、正克が軌道に乗せて少しずつ牧場の規模を拡大させ<ref name="優駿-2007-7-171" />、平取を支場に引っ込めて、新たに門別町を本場とする二場体制を築くようになっていた<ref name="優駿-2017-7-59">『優駿』2017年7月号 59頁</ref>。さらに繁殖牝馬も度々入れ替えて、血統の更新に努めていた<ref name="優駿-2017-7-59" />。


そして正克が二代目となる頃には、50頭前後の繁殖牝馬を繋養するようになっていた<ref name="優駿-2007-7-171" />。活躍する生産馬も続々輩出し、1988年にはガクエンツービートが、武豊が騎乗する[[スーパークリーク]]に次ぐ菊花賞2着となった<ref name="優駿-2017-3-58" />。そして2007年には、[[サンライズバッカス]]が[[フェブラリーステークス]](GI)を優勝して、JRAGI初優勝を果たしていた<ref>『優駿』2007年7月号 172頁</ref>。
=== 5歳(2014年) ===
[[ファイル:Sunrise Bacchus.jpg|サムネイル|[[サンライズバッカス]]]]
5歳を迎えて間もない2014年1月17日、須貝はドバイワールドカップミーティングへの遠征について[[中山記念]]をステップにすること、ドバイでは第一希望をドバイデューティーフリー(現在の[[ドバイターフ]])、第二希望を[[ドバイワールドカップ]]として登録することを明かす<ref name="netkeiba83351">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=83351 |title= 中山記念からドバイ挑戦のジャスタウェイ、須貝師「ワールドCとデューティフリーに登録します」 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref><ref name="netkeiba83364">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=83364 |title= ドバイワールドカップデー、日本馬は57頭が予備登録 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>。1か月後の2月17日招待状が届きこれを受諾、ドバイデューティーフリーへの挑戦が確定した<ref name="netkeiba84299">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=84299 |title= ドバイワールドカップデー、日本馬5頭が選出され招待を受諾 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>。
1970年に生まれた梁川正晋は、二代目正克の長男、創業者正雄の孫である<ref name="優駿-2007-7-171" />。同じ麻布大学を卒業した後は、「早来町の社台ファーム」やアメリカ、アイルランドなどでの修業を経て<ref name="優駿-2017-3-58" />、ヤナガワ牧場に舞い戻り、父正克とともに牧場経営に参画した<ref name="優駿-2007-7-171" /><ref name="優駿-2014-8-35">『優駿』2014年8月号 35頁</ref>。そして2012年、三代目となっていていた<ref name="優駿-2014-8-35" />。ただ代替わりが発生したといっても、正晋によれば「代表者の名義を父から私に変えたというだけで(中略)特に変わりはありません<ref name="優駿-2014-8-35" />」と、特にこれといって変わったことをしていなかった<ref name="優駿-2014-8-35" />。
[[ファイル:Copano Richard Takamatsunomiya Kinen 2014(IMG1).jpg|サムネイル|225x225ピクセル|[[コパノリチャード]]]]
[[ファイル:Retirement ceremony of Copano Rickey (JPN) IMG 7380-1 20180106.jpg|サムネイル|221x221ピクセル|[[コパノリッキー]]]]
それでも一つ、夜中も放牧地に馬を晒し続ける「夜間放牧」{{Efn|昼夜問わず放牧することは、2000年代の日高地方では導入に否定的だった<ref name="優駿-2016-2-53" />。しかし続々採用されて、この頃になると広く普及するようになっていた<ref name="優駿-2016-2-53">『優駿』2016年2月号 53頁</ref>。}}を実施するようになっていた。「夜間放牧」を当歳の頃からするようになった最初の世代に、[[コパノリチャード]]や[[コパノリッキー]]がいた<ref name="優駿-2014-8-35" />。コパノリチャードは2014年の[[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]](GI)を優勝し、コパノリッキーは、2014年からフェブラリーステークスを連覇するなど活躍し、サンライズバッカスに続くJRAGIタイトル奪取を果たしていた<ref>『優駿』2014年8月号 33頁</ref>。この頃は、10名の従業員で約45頭の繁殖牝馬とその仔も管理する体制になっていた<ref name="優駿-2017-3-57" />。規模的には、家族経営の小牧場にも大手牧場にも当てはまらない「中堅と書くのが適当である<ref name="優駿-2017-3-57" />」(河村清明)牧場だった。


ヤナガワ牧場は三代目となったが、北島との関係は途切れていなかった<ref name="優駿-2017-7-59" />。正晋は北西牧場で育ち、北島とも度々会っていた<ref name="優駿-2017-7-59" />。前代から続くこの関係は、2010年代に入って半世紀ほどになっていた<ref name="優駿-2017-7-59" />。
ドバイへの試金石として出走した中山記念は、騎乗予定であった福永の騎乗停止により鞍上に[[横山典弘]]を迎える<ref name="netkeiba84828">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=84828 |title= 貫禄勝ちのジャスタウェイ須貝師「世界の強豪相手に頑張りたい」/中山記念 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>。1番人気トウケイヘイローに続く単勝オッズ5.3倍で2番人気に支持され<ref>{{Cite news|url= https://uma-furusato.com/winner_info/detail/_id_76148 |title=重賞ウイナーレポート中山記念 G2|publisher=競走馬のふるさと案内所|date=2014-03-02|accessdate=2019-12-11}}</ref>、レースではそのトウケイヘイローが出遅れる中好位に取り付き、直線で内ラチ添いの僅かな隙間を突き抜け、[[アルキメデス (競走馬)|アルキメデス]]に3馬身半差をつけて快勝<ref name="netkeiba84828"/>。


=== 清水久詞 ===
3月21日にジェンティルドンナなどともに出国し<ref name="netkeiba85359">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=85359 |title= ジェンティルドンナなど5頭がドバイへ |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>、迎えたドバイデューティーフリーはトウケイヘイローが逃げる中で後方3番手からの競馬となったが、直線を迎えて逃げたトウケイヘイローが後続に追いつかれたところに外目から差し脚を繰り出して一気に後続をちぎり捨て、2着のウェルキンゲトリクスに6馬身1/4の差をつけ、タイムも従来の記録を2秒以上も更新する1分45秒52のタイムで圧勝した<ref name="netkeiba85642">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=85642 |title= ジャスタウェイがレコードタイムを大幅に更新して圧勝!/ドバイデューティフリー |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>。この結果より、[[ワールド・ベスト・レースホース・ランキング|国際クラシフィケイション]]において130ポンドの評価を受け、日本競馬史上初となる単独1位にランキングされた<ref name="netkeiba85984">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=85984 |title= ベストレースホースランキング、ジャスタウェイが日本初の世界単独トップに |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>{{#tag:ref|この数値は[[エルコンドルパサー]]が1999年に受けた134ポンドに次いで日本調教馬の歴代2位、内国産馬に限定すれば2013年の[[オルフェーヴル]]の129ポンドを抜いて歴代1位である<ref>{{Cite web|url= http://www.keibado.ne.jp/keibabook/140825/column.html |title=東西編集局リレーコラム 『JPNサラブレッドランキング歴代トップ10』 |work= 競馬ブック |publisher= 競馬ブック |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>。|group="注"|name="rating"}}。レース後は[[キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス]]への遠征プランなども打ち出されたが、海外への輸送が続くことを嫌い、[[安田記念]]から[[宝塚記念]]へ転戦することとなった<ref name="netkeiba85779">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=85779 |title= ジャスタウェイは安田記念から宝塚記念が有力、トウケイヘイローはシンガポールも視野に |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>。また、同厩のゴールドシップや[[ハープスター]]などとともに[[凱旋門賞]]への登録を行なった<ref name="netkeiba87019">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=87019 |title= 【凱旋門賞】(10月5日フランス)~日本から6頭が登録 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>。
[[ファイル:Hisashi-Shimizu20100313.jpg|サムネイル|[[清水久詞]]|261x261ピクセル]]
[[清水久詞]]は、中央競馬の[[栗東トレーニングセンター]]に厩舎を構える調教師である。父は、2004年[[スプリンターズステークス]]を優勝した[[カルストンライトオ]]の[[清水貞光]]であり、幼い頃から競馬に親しみ騎手になる夢があった<ref>『優駿』2017年8月号 49頁</ref>。その夢は頓挫したものの、切り替えて調教師を目指すようになっていた<ref name="優駿-2017-8-50">『優駿』2017年8月号 50頁</ref>。育成牧場勤務から競馬学校を経て、栗東トレーニングセンターの[[浜田光正]]厩舎に入り、厩務員と調教助手を兼ねる「持ち乗り調教助手」として活動した<ref name="名馬3-233">『名馬を読む3』233頁</ref>。主だった担当馬には、1998年[[二冠馬|牝馬二冠]]、2000年[[エリザベス女王杯]]を優勝する[[ファレノプシス (競走馬)|ファレノプシス]]がいた<ref name="名馬3-233" />。


2000年代に突入し30歳となると、夢に向かって調教師試験を受験するようになっていた。そしていくつかの不合格を経験して36歳、2009年3月にして合格を勝ち取り、調教師免許を取得していた<ref name="優駿-2017-8-51">『優駿』2017年8月号 51頁</ref>。免許取得から厩舎開業まではブランクがあるのが通常で、その間は厩舎を持たない技術調教師として過ごすこととなった。技術調教師の間は、外国への研修など開業の準備に充てようと考えていた<ref name="優駿-2017-8-51" />。しかし直後の3月20日、2001年[[宝塚記念]]優勝の[[メイショウドトウ]]などの管理で知られ、キタサンダーリンを管理する真っ只中だった調教師[[安田伊佐夫]]が病気のために死去していた<ref name="優駿-2017-8-51" />。厩舎解散により、馬房に空きが生まれたため、技術調教師2人の前倒し開業が決定した<ref name="平松-清水">{{Cite web |title=キタサンブラックを巡る北島三郎オーナーと調教師の縁、今は亡き後藤浩輝騎手との逸話|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/3c8e43d89e8d3aa95b017323b65e9e2da16a07fa |website=Yahoo!ニュース |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。この時、厩舎の空きを待っていた栗東の技術調教師は、清水のほかに2人いた。対象の3人から2人を選ぶ抽選に清水は当選<ref name="平松-清水" />。同年6月、清水厩舎が急遽開業することになっていた<ref name="競馬ブック-清水厩舎開業" />{{efn|[[牧浦充徳]]調教師と同時に開業していた<ref name="競馬ブック-清水厩舎開業">{{Cite web |title=清水久詞、牧浦充徳調教師が開業 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/48576 |website=競馬ブック |access-date=2023-10-04}}</ref>。}}。
[[File:Just-A-Way Yasuda-Kinen 2014(IMG2).jpg|240px|thumb|2014年安田記念]]
安田記念では、騎乗予定であった福永の騎乗停止により鞍上に4歳時の毎日王冠以来の騎乗となる[[柴田善臣]]を迎えた<ref name="netkeiba87613">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=87613 |title= ジャスタウェイ、安田記念の鞍上は柴田善臣騎手に |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>。不良馬場で行われたレースでは、直線先に抜けだした[[グランプリボス]]とのたたき合いをゴール前でしぶとく差し切って3度目のGIを制した<ref name="netkeiba87796">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=87796 |title= ジャスタウェイが差し切り、宝塚記念は「馬の様子を見てから」/安田記念 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>。須貝は安田記念初勝利<ref>{{Cite web|url= https://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKA0179_Y4A600C1000000/ |title= 安田記念、ジャスタウェイV 重賞4連勝 |publisher=日本経済新聞|website=r.nikkei.com|date=2014-06-08|accessdate=2019-12-05}}</ref>、柴田にとっては1993年の[[ヤマニンゼファー]]以来となる安田記念優勝となり<ref>{{Cite web|url= http://race.sanspo.com/smp/keiba/news/20140608/ope14060815560007-s.html |title= 【安田記念】ジャスタウェイ世界一の力示すV! |publisher=サンスポZBAT!|website=race.sanspo.com|date=2014-06-08|accessdate=2019-12-05}}</ref>、柴田は「何度かこの馬場に脚を取られて、もう諦めても仕方ないくらいにバランスを崩したところもあった。でも、ジャスタウェイは諦めないで最後まで前の馬を抜かしてやろうという気持ちで走っていた。さすが、世界一の馬だなと思いましたね」とコメント<ref name="sportsnavi">[https://sports.yahoo.co.jp/m/column/detail/201406080008-spnavi 9cmVに見たジャスタウェイ世界一の凄み 凱旋門賞が射程に入る大きな一歩に(1/2)][https://sports.yahoo.co.jp/m/column/detail/201406080008-spnavi?p=2&from=other (2/2)]スポーツナビ 2014年6月8日閲覧。</ref>。須貝も残り100メートルを切った時もグランプリボスが先頭だったため「最後は間に合わないんじゃないかと思いましたね」 とのことだが、どんな馬場であれ負けるわけにはいかなかった、とし「ジャスタウェイは凄いなと思いました。それも内から差したわけですから。褒めてあげたいです」 とコメントした<ref name="sportsnavi"/>。


最初の管理馬には、旧安田厩舎から引き継いだ馬たちがいた。その1頭が、北島三郎が所有するキタサンダーリンであり、これをきっかけに北島との関係が築かれた。キタサンダーリンは、結局未勝利に終わり活躍できなかったが、関係は途切れなかった<ref name="優駿-2017-8-51" />。厩舎開業した年に生まれたキタサンパイロットから、毎年1頭ずつ管理を引き受けるようになっていた<ref name="優駿-2017-8-51" />。
安田記念の後、陣営は改めて宝塚記念をステップに凱旋門賞挑戦の意欲を示した<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/06/09/kiji/K20140609008328960.html 【安田記念】ジャスタウェイ 世界の脚でV!凱旋門参戦も表明] - 2014年6月9日「スポーツニッポン」</ref>。しかし、レース後の疲労が激しかったことから、ファン投票で4位に支持されていた宝塚記念への出走は回避することとなった<ref name="netkeiba87848">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=87848 |title= 宝塚回避のジャスタウェイ須貝師「申し訳ないですが今回は回避させてもらいます」 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref><ref name="netkeiba87864">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=87864 |title= 【宝塚記念】~ファン投票最終結果発表、ゴールドシップが1位 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>。
清水厩舎は、開業5年目の2013年の[[ダービー卿チャレンジトロフィー]](GIII)を[[トウケイヘイロー]]で制して重賞初勝利を挙げている<ref name="平松-トウケイヘイロー">{{Cite web |title=武豊を背に札幌記念を優勝した馬。同馬にみる思わぬ幸運からつながれたバトン(平松さとし)|url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/82cdfa15ab10386fbb12953b66bd367e5840cb59 |website=Yahoo!ニュース |access-date=2023-09-07 |language=ja}}</ref>。トウケイヘイローは、有り余るスピードから頻繁に引っ掛かるため、短距離やマイルにこだわって使われ、古馬になった春にマイル重賞優勝を叶えていた<ref name="スポニチ-トウケイヘイロー">{{Cite web |title=トウケイヘイローの運命変えた武豊の手腕に期待|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2023/07/14/kiji/20230713s00004000716000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-09-07 |language=ja}}</ref><ref name="Number-トウケイヘイロー">{{Cite web |title=GII札幌記念(13年)を制したトウケイヘイロー…殊勲の陰に“運命を変えた”武豊のエスコート「安田記念に“除外”されたおかげで…」(3頁) |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/849419?page=3 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-09-07 |language=ja}}</ref>。続いて清水は、マイルGIである[[安田記念]]に格上挑戦させようと考えていた<ref name="Number-トウケイヘイロー" />。しかし安田記念のメンバーは、賞金上位馬がひしめいており、重賞1勝、1600万円以下の立場では出走すら叶わないことが判明した<ref name="Number-トウケイヘイロー" />。清水は除外の場合、当初マイルの1600万円以下、自己条件参戦を検討していたが、状態の良さに自信があった<ref name="平松-トウケイヘイロー" />。[[ファイル:Tokei Halo Naruo Kinen IMG 3768 20130601.JPG|サムネイル|230x230ピクセル|[[トウケイヘイロー]]]]そこで直前になって敢えて重賞挑戦、安田記念と同じ週に行われる[[鳴尾記念]](GIII)で未知の2000メートル挑戦を選択<ref name="スポニチ-トウケイヘイロー" /><ref name="Number-トウケイヘイロー" />。たまたま騎乗馬がいなかった[[武豊]]を起用して参戦していた<ref name="スポニチ-トウケイヘイロー" />。初コンビとなった武は、スピードに勝るトウケイヘイローを宥めて折り合いを実現、優勝に導いていた<ref name="スポニチ-トウケイヘイロー" />。


以来トウケイヘイローは、武とともに中距離戦をひた走り、続く[[函館記念]](GIII)、[[札幌記念]](GII)を連勝して[[サマー2000シリーズ]]のチャンピオンになったり、[[天皇賞(秋)]](GI)や[[香港カップ]](G1)、[[ドバイデューティフリー]](G1)に参戦したりした<ref name="平松-トウケイヘイロー" />。トウケイヘイローは、最終的に重賞4勝を挙げる活躍を果たした。しかしGII優勝に留まり、GI級競走では、天皇賞(秋)2番人気10着、香港カップ2着、[[シンガポール航空インターナショナルカップ]]4着{{Efn|[[四位洋文]]が騎乗した。同週の武は、日本で騎乗しており、[[京王杯スプリングカップ]](GII)に[[トーセンラー]]<ref>{{Cite web |url=http://www.hochi.co.jp/horserace/20140403-OHT1T50241.html |title=トウケイヘイロー、四位でシンガポール国際C |access-date=2023-9-6 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20140409073255/http://www.hochi.co.jp/horserace/20140403-OHT1T50241.html |archive-date=2014-4-9}}</ref>、[[ヴィクトリアマイル]](GI)に[[スマートレイアー]]で騎乗する約束があった<ref>{{Cite web |title=【シンガポール航空国際C】ヘイロー日本馬3頭目戴冠だ!|url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20140517/ove14051705010001-c.html |website=race.sanspo.com |access-date=2023-09-06}}</ref>。}}に終わった<ref name="平松-トウケイヘイロー" />。清水厩舎のGIタイトル奪取は、トウケイヘイローでは叶えられなかった<ref name="平松-トウケイヘイロー" />。それでもトウケイヘイローは、清水厩舎の知名度を高めていた<ref name="平松-トウケイヘイロー" />。
宝塚記念出走回避後の7月23日、同厩ゴールドシップとともに凱旋門賞への遠征が正式に発表され、鞍上は福永、前哨戦を使わず凱旋門賞へ直行することとなった<ref>[http://race.sanspo.com/keiba/news/20140723/ove14072309280001-n1.html ゴールド、ジャスタが凱旋門賞挑戦決定!]予想王TV@SANSPO.COM 2014年7月23日</ref>。レースは後方4番手で進んだが最後伸びず、連覇した[[トレヴ]]の8着に敗れた<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/10/06/kiji/K20141006009055970.html 【凱旋門賞】須貝師 最強2頭出しも無念「また挑戦したい」]スポニチアネックス 2014年10月6日</ref><ref name="netkeiba91320">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=91320 |title= 凱旋門賞の結果とレース後のコメント |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>。帰国初戦となったジャパンカップでは、最後の100メートルで脚を鈍らせ、優勝した[[エピファネイア]]から4馬身離された2着に敗れた<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/11/30/kiji/K20141130009379040.html 【ジャパンC】ジャスタウェイ「鈍って」2着、ハープは…]スポニチアネックス 2014年11月30日</ref><ref>{{Cite web|url=https://race.sanspo.com/smp/keiba/news/20141130/ope14113016040008-s.html|title=【ジャパンC】エピファネイアが4馬身差で圧勝!|publisher=サンスポZBAT!|website=race.sanspo.com|date=2014-11-30|accessdate=2019-12-06}}</ref>。そして、続く有馬記念を最後に現役を引退すると発表された<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/12/05/kiji/K20141205009404350.html ジャスタウェイ有馬記念で引退 鞍上は福永祐一]スポニチアネックス 2014年12月5日</ref>。有馬記念は4コーナー12番手から鋭く伸びたがジェンティルドンナの4着に終わった<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2014/12/29/kiji/K20141229009538080.html 【有馬記念】ジャスタウェイ 世界1位の底力、最速上がりで4着]スポーツニッポン 2015年1月4日閲覧</ref>。


== 血統的経緯 ==
[[File:Retirement ceremony of Just-A-Way IMG 9017 20150104.jpg|240px|thumb|引退式(2015年1月4日)]]

2015年1月4日、京都競馬場で引退式が行われた。1月7日付けで競走馬登録を抹消され、北海道[[勇払郡]][[安平町]]の[[社台スタリオンステーション]]で[[種牡馬]]となった<ref>{{Cite web|url=https://race.sanspo.com/smp/keiba/news/20150104/ope15010417590010-s.html|title=ジャスタウェイが京都で引退式 ファンに別れ|publisher=サンスポZBAT!|website=race.sanspo.com|date=2015-01-04|accessdate=2019-12-06}}</ref>。
=== 血統 ===
{{競走馬血統表5代
|name = キタサンブラック
|ref1 = <ref name="JBIS-血統">{{Cite web |title=5代血統表|血統情報|キタサンブラック|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001155349/pedigree/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-09-08}}</ref>
|JBIS-no =0001155349
|JBIS-yyyy = 2023
|JBIS-mm = 9
|JBIS-dd = 8
|f = ブラックタイド
|f-imp =
|f-sub =
|f年 = 2001
|f毛 = 黒鹿毛
|f国 =
|f-info =
|m = シュガーハート
|m-imp =
|m-sub =
|m年 = 2005
|m毛 = 鹿毛
|m国 =
|m-info =
|ff = [[サンデーサイレンス]]
|ff-imp = y
|ff-sub = Sunday Silence
|ff年 = 1986
|ff毛 = 青鹿毛
|ff国 = 米国
|ff-info =
|fm = [[ウインドインハーヘア]]
|fm-imp = y
|fm-sub = Wind in Her Hair
|fm年 = 1991
|fm毛 = 鹿毛
|fm国 = 愛国
|fm-info =
|mf = [[サクラバクシンオー]]
|mf-imp =
|mf-sub =
|mf年 = 1989
|mf毛 = 鹿毛
|mf国 = 日本
|mf-info =
|mm = オトメゴコロ
|mm-imp =
|mm-sub =
|mm年 = 1990
|mm毛 = 栗毛
|mm国 = 日本
|mm-info =
|fff = [[ヘイロー (競走馬)|Halo]]
|ffm = [[ウィッシングウェル|Wishing Well]]
|fmf = [[アルザオ|Alzao]]
|fmm = [[ハイクレア#主な産駒|Burghclere]]
|mff = [[サクラユタカオー]]
|mfm = サクラハゴロモ
|mmf = [[ジャッジアンジェルーチ]]
|mmf-imp = y
|mmf-sub = Judge Angelucci
|mmm = ティズリー
|mmm-imp = y
|mmm-sub = Tizly
|ffff = [[ヘイルトゥリーズン|Hail to Reason]]
|fffm = [[コスマー|Cosmah]]
|ffmf = Understanding
|ffmm = Mountain Flower
|fmff = '''[[リファール|Lyphard]]'''
|fmfm = Lady Rebecca
|fmmf = [[バステッド (競走馬)|Busted]]
|fmmm = [[ハイクレア|Highclere]]
|mfff = [[テスコボーイ]]
|mfff-imp = y
|mffm = [[サクラユタカオー#アンジェリカ|アンジェリカ]]
|mfmf = [[ノーザンテースト]]
|mfmf-imp = y
|mfmm = クリアアンバー
|mfmm-imp = y
|mmff = {{仮リンク|オネストプレジャー|en|Honest Pleasure|label=Honest Pleasure}}
|mmfm =Victorian Queen
|mmmf = '''Lyphard'''
|mmmm = Tizna
|fffff = [[ターントゥ|Turn-to]]
|ffffm = Nothirdchance
|fffmf = [[コズミックボム|Cosmic Bomb]]
|fffmm = [[アルマームード|Almahmoud]]
|ffmff = Promised Land
|ffmfm = Pretty Ways
|ffmmf = Montparnasse
|ffmmm = Edelweiss
|fmfff = '''[[ノーザンダンサー|Northern Dancer]]'''
|fmfff-imp =
|fmffm = Goofed
|fmfmf = [[サーアイヴァー|Sir Ivor]]
|fmfmm = [[ポカホンタス (競走馬)|Pocahontas]]
|fmmff = {{仮リンク|クレペロ|en|Crepello|label=Crepello}}
|fmmfm = Sans le Sou
|fmmmf = {{仮リンク|クイーンズハサー|en|Queen's Hussar|label=Queen's Hussar}}
|fmmmm = Highlight
|mffff = [[プリンスリーギフト|Princely Gift]]
|mfffm = Suncourt
|mffmf = [[ネヴァービート]]
|mffmf-imp = y
|mffmm = スターハイネス
|mfmff = '''Northern Dancer'''
|mfmfm = Lady Victoria
|mfmmf = Ambiopoise
|mfmmm = One Clear Call
|mmfff = [[ワットアプレジャー|What a Pleasure]]
|mmffm = Tularia
|mmfmf = [[ヴィクトリアパーク (競走馬)|Victoria Park]]
|mmfmm = Willowfield
|mmmff = '''Northern Dancer'''
|mmmfm = Goofed
|mmmmf = Trevieres
|mmmmm = Noris
|父系 = [[サンデーサイレンス系]]
|FN = F9-g
|母系info = ティズリー系(アメリカ)
|inbr = Lyphard=4×4、Northern Dancer=5×5×5 
|ref2 = <ref name="競馬ラボ-血統" />
|ref3 = <ref name="JBIS-血統" />
|ref4 = <ref name="JBIS-血統" /><ref name="競馬ラボ-血統">{{Cite web |url=https://www.keibalab.jp/db/horse/2012102013/blood.html |title=キタサンブラック |access-date=2023-9-9 |publisher=[[競馬ラボ]]}}</ref>
|}}

=== 牝系 ===
'''ティズリー'''(後のキタサンブラックの曾祖母)は、アメリカで生産された牝馬である<ref name="優駿-2015-5-111">『優駿』2015年5月号 111頁</ref>。父は[[リファール]]、母はチリ産馬の'''ティズナ'''(後のキタサンブラックの高祖母)で、2歳から7歳までチリ、北アメリカで走り57戦18勝、1974年から[[サンタマルガリータインビテーショナルハンデキャップ|サンタマルガリータハンデキャップ]](G1)を連覇したほか、1975年{{仮リンク|レディーズハンデキャップ|en|Ladies Stakes}}(G1)や1974年[[サンタモニカハンデキャップ]](G2)も優勝した「歴史的名牝<ref name="優駿-2015-5-111" />」(藤井正弘)である<ref name="優駿-2015-5-111" />。フランスで競走馬となったティズリーは、6戦4勝を挙げて引退<ref name="優駿-2015-5-111" />。そしてしばらくアメリカで繁殖牝馬として繋養された後、1988年に日本へ輸入された<ref name="優駿-2015-5-111" />。日本では北海道「早来町の社台ファーム」に繋養され、ちょうど修業中の梁川正晋と巡り会っていた<ref name="優駿-2017-7-60">『優駿』2017年7月号 60頁</ref>。

1992年、ティズリーは父[[ジャッジアンジェルーチ]]の牝馬を産み落としていた。ジャッジアンジェルーチは、1989年にアメリカから導入され<ref name="優駿-2001-6-146">『優駿』2001年6月号 146頁</ref>、「早来町の社台ファーム」で繋養された種牡馬だった<ref>『優駿』1992年9月号 54頁</ref>。競走馬としてGI級競走3勝を挙げたボールドルーラー系だったが<ref>『優駿』1992年7月号 116頁</ref>、産駒は活躍しなかった<ref name="優駿-2017-7-60" />。2000年から[[中山グランドジャンプ]]を連覇した[[ゴーカイ]]を出すだけで、中央競馬の平地重賞を優勝するような産駒は現れなかった<ref name="優駿-2001-6-146" /><ref name="優駿-2017-7-60" />。そんな父ジャッジアンジェルーチの牝馬は「'''オトメゴコロ'''」(後のキタサンブラックの祖母)という名を授かって競走馬となり、室蘭特別を優勝するなど20戦4勝の成績を残した<ref name="優駿-2015-5-111" />。横山典弘と挑んだ1994年の[[札幌スプリントステークス]](GIII)では、優勝した武豊と[[ゴールドマウンテン]]に敗れたが、5着入着を果たしていた<ref name="ありキタ-78">『ありがとう キタサンブラック』78頁</ref>。

引退後は、繁殖牝馬となったが、生まれ故郷である「早来町の社台ファーム」には戻らなかった。梁川正克が社台の吉田善哉と関係を持っていたことや<ref name="ありキタ-78" />、実家に戻っていた梁川正晋が、修業中に印象に残っていたティズリーの仔であれば欲しい思い、日高地方のヤナガワ牧場に繁殖牝馬として引き入れていた<ref name="優駿-2017-7-60" />。オトメゴコロは、ジャッジアンジェルーチを父に持つ、馬格のある牝馬だった<ref name="優駿-2017-7-61">『優駿』2017年7月号 61頁</ref>。そこで梁川親子は、スピードが足りないという考えに至り、それを補うためにスピードに秀でた種牡馬として知られるサクラバクシンオーを交配相手に選んでいた<ref name="優駿-2017-7-60" /><ref name="優駿-2017-3-58" />。

そして2005年、父サクラバクシンオーの牝馬である「'''シュガーハート'''」(後のキタサンブラックの母)が誕生していた。オトメゴコロはこの翌年に死亡<ref>{{Cite web |url=https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=254632110 |title=オトメゴコロ(JPN) |access-date=2023-10-4 |publisher=公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |archive-url=https://web.archive.org/web/20231004091400/https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?sid=254632110 |archive-date=2023-10-4}}</ref>、結果としてオトメゴコロがヤナガワ牧場にもたらしたのは、シュガーハート1頭だけだった<ref name="デイリー-ヤナガワ" /><ref name="ありキタ-78" />。

シュガーハートは、冠名「サンライズ」で知られる馬主の[[松岡隆雄]]に所有され、中央競馬で競走馬となっていた<ref name="優駿-2017-7-60" />。栗東トレーニングセンターの[[崎山博樹]]厩舎に入厩して調教が施された<ref name="デイリー-ヤナガワ" />。調教では好タイムを連発するスピードがあった<ref name="ありキタ-78" />。このためデビューさえ果たせば、勝ち上がりできる能力があると期待されていた<ref name="優駿-2017-7-60" />。しかしデビューを前に[[屈腱炎]]を患い、不出走の身で引退していた<ref name="優駿-2017-7-60" />。梁川は、取捨選択の機会に直面したが、馬格があり繁殖牝馬に適しているという考えに至ってシュガーハートを残す決断をしていた<ref name="優駿-2017-3-58" />。そして繁殖牝馬として牧場に迎え入れていた<ref name="優駿-2017-3-58" />。

繁殖牝馬として供用初年度となる2008年は、松岡所有の競走馬として2002年と2005年の[[産経大阪杯]]、2005年の[[毎日王冠]]を優勝した[[サンライズペガサス|サンライズぺガサス]](父:[[サンデーサイレンス]])と交配して初仔となる牡馬を得ていた<ref name="優駿-2017-3-59">『優駿』2017年3月号 59頁</ref>。初年度はほとんど試しだったが、良い体形の仔を得ることができ、手応えを得ていた<ref name="優駿-2017-3-59" />。続く2年目[[スタチューオブリバティ]]との交配後不受胎を経て、初仔の出来に手応えがあった梁川は、翌3年目からサンライズペガサスと同じ[[サンデーサイレンス系]]種牡馬を中心に交配するようになった。3年目は[[ステイゴールド (競走馬)|ステイゴールド]](父:サンデーサイレンス)と交配して2番仔となる牡馬を得た<ref name="優駿-2017-7-61" />。そして4年目となる2011年、梁川は交配相手に[[ブラックタイド]](父:サンデーサイレンス)を選択していた<ref name="優駿-2017-7-61" />。

1989年にティズリーが日本にもたらされて以来続くこの牝系は、まだ活躍馬を輩出するには至っていなかった<ref name="優駿-2017-7-63">『優駿』2017年7月号 63頁</ref>。

=== サクラバクシンオー ===
{{Main|サクラバクシンオー|サクラユタカオー|テスコボーイ|スターロッチ|アンバーシャダイ}}
シュガーハートの父は[[サクラバクシンオー]]である。1989年に「早来町の社台ファーム」で生産された牡馬であり、血統は父が[[サクラユタカオー]]、母がサクラハゴロモである。1990年代の短距離戦線で活躍した。
[[ファイル:Sakura y.jpg|サムネイル|[[サクラユタカオー]]]]
父サクラユタカオーは、日高地方の静内町にある藤原牧場で生産された<ref>『優駿』1995年2月号 98頁</ref>。[[日高軽種馬農業協同組合]]に輸入され、[[リーディングサイアー]]になるまでに活躍した大種牡馬[[テスコボーイ]]と、藤原牧場が長年育んでいた1960年[[有馬記念]]優勝牝馬[[スターロッチ]]から連なる伝統の牝系を融合して生まれた[[栗毛]]だった<ref>『優駿』1995年2月号 100頁</ref>。テスコボーイは[[トウショウボーイ]]や[[テスコガビー]]などスピードに秀でた産駒を残した一方で、[[キタノカチドキ]]や[[インターグシケン]]のような菊花賞優勝馬も送り出すなど両輪で活躍していたが<ref>『優駿』2017年3月号 36頁</ref>、サクラユタカオーは前者、スピードに秀でていた<ref name="優駿-1995-2-101" />。「テスコボーイ産駒の栗毛は大成しない」というジンクスがある中、さくらコマースが購入して競走馬となり、ジンクスを覆す活躍を果たした<ref name="調教師物語-4748">『調教師物語』47-48頁</ref>。およそ500キログラムの大柄な馬体で、スピードに富んでいたが、脚元が弱かった<ref name="優駿-1995-2-101">『優駿』1995年2月号 101頁</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=jJ9DSgyeVQ8&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 1986年 天皇賞(秋)({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}デビュー3連勝で重賞優勝を果たしたが、[[橈骨]]の骨折で春のクラシック参戦は叶わなかった<ref name="優駿-1995-2-101" />。秋に復帰して[[菊花賞]](GI)4着を経験してからは主に中距離で活躍した<ref name="優駿-1995-2-101" />。翌1986年春には[[サンケイ大阪杯]](GII)を優勝し、秋には[[毎日王冠]](GII)と[[天皇賞(秋)]](GI)を、共に日本レコードで駆けて優勝していた<ref name="調教師物語-4748" />。引退後は、期待されて種牡馬となった<ref name="優駿-1995-2-101" />。社台が欲しがったものの、日高地方の青年部が奮闘して引き留め、日高の静内スタリオンステーションで繋養されていた<ref name="調教師物語-4748" />。輸入種牡馬が活躍する時代で、劣勢の内国産種牡馬でありながら、活躍産駒を多数輩出した<ref name="優駿-1995-2-102">『優駿』1995年2月号 102頁</ref>。

母サクラハゴロモは、「早来町の社台ファーム」で生産された。社台ファームがアメリカの[[サラトガ競馬場|サラトガ]]で購入して日本にもたらし、リーディングサイアーになるまでに活躍した大種牡馬[[ノーザンテースト]]と、同じく社台ファームがアメリカの[[キーンランド競馬場|キーンランド]]で購入した[[クリアアンバー]]が掛け合わされて生まれていた<ref name="優駿-1994-5-78">『優駿』1994年5月号 78頁</ref>。父ノーザンテースト、母クリアアンバーの血統は、[[アンバーシャダイ]]と全く同一、すなわちサクラハゴロモは、アンバーシャダイの全妹だった<ref name="優駿-1994-5-78" />。アンバーシャダイは、当歳時に負った重傷のために競走馬生命が危ぶまれたが復活して、何とかデビューにこぎつけた<ref name="優駿-1994-5-78" />。一頓挫あったために成長は遅れ、古馬になってから本格化して主に長距離戦線で活躍した<ref name="優駿-1994-5-78" />。1981年秋から[[目黒記念(秋)]]、[[有馬記念]]、翌1982年の[[アメリカジョッキークラブカップ]]という芝2500メートルの重賞を3連勝したほか、翌1983年のアメリカジョッキークラブカップで連覇を果たし、[[天皇賞(春)]]も優勝していた<ref>『優駿』1994年5月号 79-80頁</ref>。

大活躍したアンバーシャダイの全妹を、社台は、牧場の基礎繁殖牝馬にしようと考えていた<ref name="優駿-2000-9-92">『優駿』2000年9月号 92頁</ref>。しかし全妹に惚れたさくらコマースに要求され、3年間の期限付きで貸し出していた<ref name="優駿-2000-9-92" />。そして競走馬となったサクラハゴロモは、結局その3年間を全うできなかった。さくらコマースが故障を恐れて、1年早い2年での返却を決断していた<ref name="優駿-2000-9-92" />。サクラハゴロモは、2年間で2勝を挙げるに留まり、社台に帰還していた<ref name="調教師物語-4748" />。1年早い返却となったために社台は、初年度のサクラユタカオー交配と、初仔の提供をさくらコマースに約束し、その1年を埋め合わせることになった<ref name="調教師物語-4748" />。約束通り「早来町の社台ファーム」に戻ったサクラハゴロモは、サクラユタカオーと交配して初仔を産む。そしてその初仔がさくらコマースに提供され、サクラバクシンオーとなった<ref name="優駿-2000-9-92" />。
[[ファイル:Bakusin-o.jpg|サムネイル|[[サクラバクシンオー]]]]
サクラバクシンオーは、父サクラユタカオーを受け継いで、大柄な馬体を持ちスピードの才能にも恵まれ<ref name="優駿-1995-2-102" />、短距離戦線で活躍する<ref name="優駿-2000-9-92" />。スタートからハナを奪って逃げる競馬を得意としており、井口民樹が「ゲートを真っ先に飛び出すという逃げではない。一完歩置いてからのスピードが他を圧していた<ref name="優駿-2000-9-92" />」と表すような逃げであった。ただ両親が共に体質面の弱点を受け継いでおり、順調な出世ではなかった<ref name="最強-サクラバクシンオー">{{Cite web |url=http://keiba.yahoo.co.jp/story/saikyou/1989108341/story-4.html |title=第4話 問題だらけ |access-date=2023-9-10 |publisher=[[Yahoo!JAPAN]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20090408081148/http://keiba.yahoo.co.jp/story/saikyou/1989108341/story-4.html |archive-date=2009-4-8}}</ref><ref name="優駿-2000-9-92" />。体質面の充実に時間を要し、日々の地道な運動で少しずつ強化され、古馬になってからGI戦線で活躍した<ref name="最強-サクラバクシンオー" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=5M3q2CwGbEo&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 1993年 スプリンターズステークス({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=Y1Yy9x86Uh8&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 1994年 スプリンターズステークス({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}1993年からは、[[スプリンターズステークス]](GI)連覇を成し遂げた<ref name="優駿-1995-2-141">『優駿』1995年2月号 141頁</ref>。また1994年の[[スワンステークス]](GII)とスプリンターズステークスは、日本レコードで芝1400メートル、芝1200メートルを駆けて優勝していた<ref>『優駿』2000年9月号 95頁</ref><ref name="優駿-1995-2-141" />。スプリンターズステークス連覇並びに日本レコード樹立を引退レースで飾っていた<ref name="優駿-1995-2-141" />。競走馬引退後は、父と異なって社台系列の[[社台スタリオンステーション]]で種牡馬として供用された。例によって劣勢の内国産種牡馬でありながら奮闘し、自身と同様にスピードに勝る産駒を多数輩出した。数々の重賞を優勝し、[[ショウナンカンプ]]や[[ビッグアーサー]]は、スプリントGIである[[高松宮記念 (競馬)|高松宮記念]]を優勝するなど、産駒は主に短距離で活躍していた。

しかし裏を返せば、中長距離は成果に乏しかった<ref name="第5コーナー-145">『第5コーナー』145頁</ref>。重賞優勝産駒では、2002年[[きさらぎ賞]](GIII)と2006年[[小倉大賞典]](GIII)を優勝した[[メジロマイヤー]]の1800メートルが平地競走の限界{{Efn|ただし長距離で行われる障害競走には、重賞優勝産駒が存在する。[[ブランディス (競走馬)|ブランディス]]は、2004年[[中山グランドジャンプ]](J-GI)と[[中山大障害]](J-GI)を優勝した。また[[エーシンホワイティ]]は、平地短距離競走の2010年[[ファルコンステークス]]を優勝した後に転向し、2014年[[新潟ジャンプステークス]](J-GIII)を優勝した<ref name="第5コーナー-145" />。}}だった<ref name="第5コーナー-145" />。また母の父としての産駒にしても、その傾向は大きく変わらなかった。2000メートル以上の重賞を優勝したのは、2016年[[新潟大賞典]](GIII)を優勝した[[アデイインザライフ]]しか存在していなかった<ref name="第5コーナー-144">『第5コーナー』144頁</ref>。このためサクラバクシンオーに短距離のイメージが浸透していた<ref name="第5コーナー-144" />。

=== ブラックタイド ===
{{Main|ブラックタイド|ディープインパクト (競走馬)|ウインドインハーヘア}}
2011年、シュガーハートの交配相手に選ばれたのは[[ブラックタイド]]である。ブラックタイドは、2001年に「早来町の社台ファーム」――改組して「早来町の[[ノーザンファーム]]」で生産された父サンデーサイレンス、母[[ウインドインハーヘア]]の牡馬であり、[[金子真人]]が所有し、[[栗東トレーニングセンター]]所属の[[池江泰郎]]厩舎から競走馬となり、2003年にデビューした。

武豊とともに新馬、若駒ステークスを勝ち上がり、[[横山典弘]]と臨んだ2004年の皐月賞の[[トライアル競走]]・[[スプリングステークス]](GII)にて、最後方大外から追い込んで一気に差し切るパフォーマンスを披露し、重賞初勝利を挙げた<ref name="優駿-2016-6-160">『優駿』2016年6月号 160頁</ref>。本番の皐月賞では、2番人気だったが16着大敗だった<ref name="優駿-2016-6-160" />。この後、[[屈腱炎]]を発症したものの2年3か月かけてカムバックを果たした<ref name="優駿-2016-6-160" />。カムバック後は、勝利こそ挙げられなかったが、重賞やオープン競走で上位に入るなど長きにわたって活躍した。[[ファイル:Deep Impact 20090813.jpg|サムネイル|ディープインパクト]]ただ屈腱炎休養中、1歳年下の全弟[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]が出現していた。ディープインパクトは、全兄ブラックタイドを遥かに超える成績と印象を残し、国民の注目の的になるほどまでにのし上がっていた。2005年1月にデビューしたディープインパクトは、兄と同じように追い込みを信条にして勝ち上がり、同年に無敗で[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠]]を制し、翌2006年にもGI4勝を挙げて、史上最多タイのGI7勝に到達。しかも取りこぼしは、ハーツクライに不覚を取った有馬記念と、アクシデントで失格となった凱旋門賞のみというパフォーマンスだった。たちまち種牡馬として期待が高まったディープインパクトは、2006年末に4歳にして早々に競走馬を引退していた。

引退後のディープインパクトは、活躍馬を輩出する社台グループが経営し、日本競馬の血統を塗り替えたスーパーサイアーである父サンデーサイレンスと同じ、[[社台スタリオンステーション]]に迎え入れられて、種牡馬となっていた。供用されてからは毎年200頭以上の繁殖牝馬を集める人気で、産駒も続々活躍。重賞優勝産駒は大量におり、GIやクラシック優勝産駒も多数輩出。たちまち頂点に登り詰めて、10年にわたって[[リーディングサイアー]]に君臨する活躍を果たした。このようにディープインパクトは、競走馬としても種牡馬としても最高級の活躍を果たしていた<ref name="優駿-2017-2-160">『優駿』2017年2月号 160頁</ref>。
[[ファイル:B・taido.JPG|サムネイル|[[ブラックタイド]]]]
対してブラックタイドは、弟が大活躍し種牡馬転身する間も競走馬として走り続けた。2008年、7歳でようやく引退し、全弟ディープインパクトに2年遅れて2009年から種牡馬となった<ref name="優駿-2016-6-160" />。偉大なる父や弟と同じ社台スタリオンステーションではなく、日高町の[[ブリーダーズ・スタリオン・ステーション]]での供用だった。全弟ディープインパクトと全く被る血統で実績も遠く及ばないにもかかわらず、種牡馬となったのは「代替種牡馬」としての需要があったためだった<ref name="優駿-2017-2-53">『優駿』2017年2月号 53頁</ref><ref name="三好-前編">{{Cite web |title=【名馬列伝】代替種牡馬から生まれた稀代の優駿キタサンブラック。鍛え抜かれたタフさでG1レース7勝の王者に<前編> |url=https://thedigestweb.com/topics_detail13/id=56491?open=on |website=THE DIGEST |access-date=2023-09-11 |language=ja}}</ref>。

「代替種牡馬」の存在意義に、種付け料が廉価である点があった<ref name="優駿-2016-6-160" />。初年度の種付け料は、ディープインパクトは1200万円に対して、ブラックタイドは50万円<ref name="優駿-2016-6-161">『優駿』2016年6月号 161頁</ref>であり、中小規模の牧場でも手が届く値段設定になっていた<ref name="三好-前編" />。またブラックタイドにはもう一つ、ディープインパクトに勝る魅力があった。小ぶりなディープインパクトに対して、充実した馬格の持ち主だった<ref name="優駿-2017-2-160" /><ref name="優駿-2016-6-161" />。

そうしてブラックタイドは、日高地方を中心に「代替種牡馬」として活躍した。初年度から150頭の繁殖牝馬を集め、その後も人気を博して、毎年100頭以上の繁殖牝馬を集め続けた<ref name="優駿-2017-2-53" /><ref name="優駿-2016-6-160" />。初年度からGI優勝産駒を出すなど大活躍のディープインパクトには及ばなかったが、初年度産駒から重賞優勝産駒が誕生し、2012年の新種牡馬ランキングで首位を獲得する活躍を果たしていた<ref name="優駿-2017-2-53" /><ref>{{Cite web |title=【名馬列伝】代替種牡馬から生まれた稀代の優駿キタサンブラック。鍛え抜かれたタフさでG1レース7勝の王者に<前編> |url=https://thedigestweb.com/topics_detail13_2/id=56491 |website=THE DIGEST |access-date=2023-09-11 |language=ja}}</ref>。そして供用3年目となる2011年3月14日、日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションにて、ヤナガワ牧場の牝馬シュガーハートとブラックタイドが交配を果たしていた<ref name="優駿-2017-7-63" />。

梁川は、ある時の種牡馬展示会に登場したブラックタイドの姿に好印象を持っていた<ref name="優駿-2017-7-61" />。そしてデビューする前の初年度産駒などを見定め、種牡馬としての能力を感じ取っていた<ref name="ありキタ-78" />。シュガーハートは、デビュー直前、父サクラバクシンオーを受け継いだスピードの持ち主で調教でも好タイムを連発していた<ref name="ありキタ-78" />。そこでスタミナを補うために、ブラックタイドを選択していた<ref name="ありキタ-78" />。

この頃2頭しか産んでいないシュガーハートの繁殖能力は、まだ未知数だった。そんなシュガーハートに、いきなり高級種牡馬であるディープインパクトを用意することは、経営的に難しかった<ref name="優駿-2017-7-61" />。ヤナガワ牧場にとって、好血統で好印象、さらに安い種付け料であるブラックタイドは、あらゆる面で都合が良い選択だった<ref name="優駿-2017-7-61" />。

== デビューまで ==
=== 牧場時代 ===
予定日から少し遅れた2012年3月10日、北海道日高町のヤナガワ牧場にて、ブラックタイドの4年目産駒、シュガーハートの3番仔である鹿毛の牡馬「シュガーハートの2012」(後のキタサンブラック)が誕生する<ref>『名馬を読む3』229頁</ref>。「シュガーハートの2012」は、生後立ち上がった直後から高評価だった<ref name="ありキタ-79" />。骨量に富み、バランスの良い馬体の持ち主だった<ref name="ありキタ-78" />。牧場ではけがや病気に見舞われることなく順調で、良い出来に成長していた<ref name="ふるさと-大阪杯" />。
[[ファイル:Ares Barows CBC Sho 2018(IMG1).jpg|サムネイル|244x244ピクセル|[[アレスバローズ]]]]
この年のヤナガワ牧場は35頭以上の仔を生産しており、それぞれ牡、牝が生まれていた<ref name="名馬3-230">『名馬を読む3』230頁</ref>。そんな中で「シュガーハートの2012」は、生産された牡馬の中で2番目、ディープインパクト産駒の「タイセイエトワールの2012」に次ぐ評価を与えられていた<ref name="名馬3-230" />。「タイセイエトワールの2012」とは、後の「[[アレスバローズ]]」である<ref name="名馬3-230" />。アレスバローズは、2018年の[[CBC賞]](GIII)及び[[北九州記念]](GIII)を連勝して[[サマースプリントシリーズ]]の王者に輝くことになる<ref>{{Cite web |title=アレスバローズ引退 種牡馬入り |url=https://umatoku.hochi.co.jp/articles/20191030-OHT1T50099.html |website=スポーツ報知 |date=2019-10-30 |access-date=2023-10-09 |language=ja}}</ref>。

牡馬で2番目の評価を得ていた「シュガーハートの2012」だったが、活躍馬に乏しい牝系に属するために、梁川は活躍を保証する自信がなかった。そのため牧場を訪れる調教師や馬主などのお得意先に、たやすく薦めることはできなかった<ref name="優駿-2017-7-63" />。買い手がつかないため、牧場は当初、セリへ上場させて売却しようと考えていた<ref name="優駿-2017-7-63" />。さらには売却すらも諦め、しかたなく牧場所有で馬主との共同名義で競走馬としてデビューさせようとも考えていた<ref name="デイリー-ヤナガワ" />。そんな頃、梁川と長年親しい関係にある北島三郎の関係者が牧場を訪れていた。北島へ推薦する頃には、売却できるか否かの瀬戸際にまで追い込まれていた<ref name="優駿-2017-7-63" />。

北島は後に、[[明治記念館]]で行われた「キタサンブラック菊花賞優勝祝賀会」にて、出会いを以下のように語っている。北島は、かつて騎手の[[加賀武見]]に、目利きするには馬の眼を見るべきであると教え諭されていた<ref>{{Cite web |title=独占インタビュー・北島三郎「さらば、キタサンブラック」(2)「直感」でブラックを購入 |url=https://www.asagei.com/95230 |website=アサ芸プラス |access-date=2023-10-08 |language=ja}}</ref>。{{Quotation|夏の日に、牧場にいまして、一頭の馬に向きあっていました。なんだか、そこを動けなくなったのは、その馬の瞳の、黒光りというのか、瞳の光の凄さに惹きつけられてしまったからです。<br/>牧場にさよならしまして、空港へ向かう車のなかまで、妙に胸さわぎがするんだなあ。どうしてだろう。どうもさっきの馬の、瞳の黒い光のせいらしい。<br/>ヤナガワさんにケイタイをかけました。あの馬、わたしに売ってくれないかって。<br/>それがキタサンブラックでした。|北島三郎<ref name="優駿-2016-2-139140">『優駿』2016年2月号 138-139頁</ref>|[[吉川良]]「競馬 その愛」第84回『はてしない夢』(『優駿』2016年2月号所収)}}北島は、この「シュガーハートの2012」を350万円で購入していた<ref>{{Cite web |title=350万が18億に…“格安だった”キタサンブラックを北島三郎はなぜ買った?「これほど勝つ馬になるとは」(小川隆行) |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/848720?page=2 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-10-08 |language=ja}}</ref>。「シュガーハートの2012」はトラブルに見舞われることなく離乳し、そして1歳秋まで牧場で育てられた<ref name="ふるさと-大阪杯">{{Cite web |title=2017年04月02日 大阪杯 GI |url=https://uma-furusato.com/winner_info/88854.html |website=uma-furusato.com |access-date=2023-10-09}}</ref>。当歳の頃から夜間放牧をこなしていた<ref name="ふるさと-菊花賞">{{Cite web |title=2015年10月25日 菊花賞 GI |url=https://uma-furusato.com/winner_info/83069.html |website=uma-furusato.com |access-date=2023-10-09}}</ref>。体高があって脚が長く、正克の妻は、その体形を1996年菊花賞優勝馬[[ダンスインザダーク]]に似ていると評していた<ref name="ふるさと-菊花賞" />。

=== 育成段階 ===

==== "シュガー" ====
1歳秋の11月12日に北海道新冠町の日高軽種馬共同育成公社に移動して育成が施された<ref name="優駿-2017-8-50" />。育成公社では母親の名前で呼称されており、「シュガーハートの2012」は「シュガーハート」、略して「シュガー」と呼ばれて<ref name="優駿-2017-8-51" />、育成公社の6番厩舎に割り当てられた<ref name="優駿-2017-8-50" />。夏から入厩する馬もいる中で、同期の中では調教は最も遅いグループだった<ref name="ふるさと-ジャパンC">{{Cite web |title=2016年11月27日 ジャパンC GI |url=https://uma-furusato.com/winner_info/87375.html |website=uma-furusato.com |access-date=2023-10-09}}</ref>。脚が長い体形、体高が高く後肢が充実していないために、脚元への負荷には細心の注意が払われた<ref name="ふるさと-ジャパンC" /><ref name="サンスポ-育成公社2">{{Cite web |title=【有馬もキタサン祭り】(有)日高軽種馬共同育成公社・業務課長・漆原和幸氏、育成時代からタフな体(2)|url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20161220/ope16122005030009-n1.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2016-12-20 |access-date=2023-10-09 |language=ja-JP}}</ref>。長く馴致をするなど、時間をかけて錬成された<ref name="デイリー-育成公社">{{Cite web |title=【キタサンブラックのルーツを探る・後編】最後の応援は思いを込めて「ありがとう」/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2017/12/19/0010829677.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-10-09 |access-date=2023-10-09 |language=ja}}</ref>。1歳の頃、要請を受けた調教師清水が検分に訪れていた<ref name="サンスポ-清水">{{Cite web |title=【二十歳のころ 清水久詞(4)】偶然から生まれた北島オーナーとの出会い |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20171222/ope17122211000028-n1.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-12-22 |access-date=2023-10-09 |language=ja-JP}}</ref>。初対面では、活躍馬になる予感はなかったという<ref name="サンスポ-清水" />。育成公社は、場長を加納雅己が担っていたが、加納は闘病中だった([[キタサンブラック#手向けの勝利|後述]])。そのため副場長、かつてノースヒルズでファレノプシスを手掛けたこともある佐々木譲次が補佐していた<ref name="優駿-2017-8-51" />。

2歳となった1月半ばから、調教が開始された<ref name="デイリー-育成公社" />。シュガーはおとなしい性格で、経験の浅い若手スタッフでも騎乗できるほどだった<ref name="デイリー-育成公社" />。育成公社はちょうど施設改修をしており、新設されたばかりの坂路コースを用いて調教が施された<ref name="サンスポ-育成公社2" />。歩様の乱れや発熱などなく、治療も一切ないまま健康に過ごし、順調に育成されていた<ref name="サンスポ-育成公社2">{{Cite web |title=【有馬もキタサン祭り】(有)日高軽種馬共同育成公社・業務課長・漆原和幸氏、育成時代からタフな体(2)|url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20161220/ope16122005030009-n1.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2016-12-20 |access-date=2023-10-09 |language=ja-JP}}</ref>。問題児ではなかったため、スタッフによればむしろ「印象が薄かった<ref name="サンスポ-育成公社2" />」とも回顧している。また担当者によれば「いつも寝てる<ref name="優駿-2017-10-10" />」馬だった。

育成公社で過ごした1年間の間に成長し、体高は164センチメートルから170センチメートルに伸び、体重は484キログラムから544キログラムに、胸囲は183センチメートルから190センチメートルにまで増大していた<ref name="優駿-2017-8-52">『優駿』2017年8月号 52頁</ref>。ただ体高があって奥手だったために筋肉が未熟だった。佐々木はまだ「1勝、2勝はできる<ref name="優駿-2017-8-52" />」という評価で、大活躍の予感はなかった<ref name="優駿-2017-8-52" />。

==== "ブラック" ====
育成公社を巣立った「シュガー」は本州に入り、2歳11月16日に[[京都府]][[宇治田原町]]の[[宇治田原優駿ステーブル]]に入厩した<ref name="優駿-2017-8-53">『優駿』2017年8月号 53頁</ref>。入厩するまでに北島は、この「シュガー」に冠名の「'''キタサン'''」と父ブラックタイドの一部「'''ブラック'''」を組み合わせて「'''キタサンブラック'''」と命名していた<ref name="競馬ブック-菊花賞" />。「キタサンブラック」は、宇治田原のスタッフには「'''ブラック'''」と呼ばれていた<ref name="優駿-2017-8-53" />。

「ブラック」には、宇治田原でも成長に寄り添った調教が施された<ref name="優駿-2017-8-53" />。当初の見立てでは仕上がりには時間がかかると思われていたが、その見立てよりも早いペースで成長した。調教の一つの目安である1ハロン走破平均15秒――通称「15-15」をこなすまで、通常早くても1か月必要なところ、入厩して3週間で「15-15」をこなしていた<ref name="優駿-2017-8-53" /><ref name="優駿-2017-8-53" />。また坂路でも抜群の動きを見せていた。当初「ブラック」は、2014年暮れ、2歳末か2015年明け、3歳初めに清水厩舎入厩する見立てだった<ref name="優駿-2017-8-54">『優駿』2017年8月号 54頁</ref>。しかし清水厩舎の馬房が空いていたため、前倒しでの入厩となった<ref name="優駿-2017-8-54" />。宇治田原の担当田辺滋久は、調教を見て「2、3勝できる<ref name="優駿-2017-8-54" />」馬という認識だった。

=== デビュー直前 ===
「キタサンブラック」は、2014年、2歳12月17日に栗東トレーニングセンターの清水厩舎に入厩した<ref name="Number-調教">{{Cite web |title=キタサンブラックは“天賦の才能に恵まれた馬”だけど「甘えてくる可愛い面も…」 騎手と調教師が明かした、歴史的名馬の“素顔”|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/852307 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-10-09 |language=ja}}</ref>。そして翌18日から坂路調教が開始された<ref name="優駿-2017-8-54" />。厩舎では、辻田義幸が[[厩務員]]を担った<ref name="優駿-2017-10-10">『優駿』2017年10月号 10頁</ref>。厩舎でも寝てばかりのキタサンブラックにあてがわれた辻田もまた、清水によれば「せかせかしていない人で、ゆっくり、のんびりしたところ<ref name="優駿-2017-10-10" />」のある性格だった。また調教には、現役騎手の[[黒岩悠]]が携わっていた<ref name="Number-調教" />。キタサンブラックは、動きこそ手応えを感じさせるものの、まだ筋肉がついていなかった。そのため本格化は、かなり先であると考えられていた<ref name="Number-調教" />。黒岩は当初、成長は3歳夏頃になると感じ取っていた<ref name="Number-調教" />。

== 3歳(2015年) ==

=== 条件馬時代 ===
2015年1月31日、[[東京競馬場]]芝1800メートルの新馬戦でデビューを果たした。栗東所属の関西馬であり、清水は当初[[京都競馬場]]でのデビューを考えていた。しかし東京在住のオーナー北島三郎を慮って遠征し、東京デビューとなっていた{{Efn|その他、清水厩舎は、若いうちに輸送競馬を経験させる傾向があった。先々輸送に困らなくするためにあらかじめ経験させていた<ref>『優駿』2015年12月号 84頁</ref>。}}。唯一の関西馬として参戦し、[[後藤浩輝]]が騎乗して3番人気で出走した<ref name="サンスポ-新馬">{{Cite web |title=【3歳新馬】関西馬キタサンブラックが差し切りV |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20150131/pog15013113070008-n1.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2015-01-31 |access-date=2023-10-04 |language=ja-JP}}</ref>。1番人気のディープインパクト産駒ミッキージョイが出遅れる中<ref name="競馬ラボ-新馬">{{Cite web |title=後方待機のキタサンブラックが差し切りV…東京新馬|url=https://www.keibalab.jp/topics/25974/ |website=www.keibalab.jp |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>、後方の外側で待機し<ref name="netkeiba-物語1">{{Cite web |url=https://books.netkeiba.com/?pid=book_detail&bid=12&cid=1 |title=「意外と強い」から始まった伝説 |access-date=2023-10-14 |publisher=[[netkeiba.com]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20220222162136/https://books.netkeiba.com/?pid=book_detail&bid=12&cid=1 |archive-date=2022-2-22}}</ref>、超スローペースを追走した<ref name="優駿-2015-6-15">『優駿』2015年6月号 15頁</ref>。直線では外側からスパートして追い込み、内側で押し切りを図る2頭を差し切り、大外から挽回を図るミッキージョイを振り切り、先頭で決勝線に到達した<ref name="サンスポ-新馬" />。ミッキージョイに1馬身4分の1差をつけて初出走初勝利を果たしていた<ref name="サンスポ-新馬" />。繁殖牝馬シュガーハートの初勝利でもあった<ref name="競馬ラボ-新馬" />。

続いて2月22日、再び東京、距離を伸ばして芝2000メートルの条件戦(500万円以下)に参戦{{Efn|キタサンブラックは、この日の第7競走に出走していた。なおこの日の第11競走メインレースは、ヤナガワ牧場生産馬である[[コパノリッキー]]が優勝した[[フェブラリーステークス]]だった<ref name="ありキタ-79">『ありがとう キタサンブラック』79頁</ref>。}}した。新馬戦で騎乗した後藤には、[[京都競馬場]]で騎乗する予定があったため、代わって[[北村宏司]]が騎乗した<ref name="平松-清水" />。以後しばらく北村が主戦騎手として定着した。[[ダッシングブレイズ]]や[[サトノラーゼン]]を相手に、単勝オッズ48.4倍の9番人気という評価に留まっていた<ref name="netkeiba-物語1" />。新馬戦とは打って変わって先行した<ref name="優駿-2015-6-15" />。マイネルポルトゥスが大逃げを展開し、離れた2番手を確保した<ref name="ウマニティ-500万">{{Cite web |title=【3歳500万下】伏兵キタサンブラックが2連勝 |url=https://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=48193 |website=競馬予想のウマニティ |date=2015-02-22 |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。大逃げ馬は、先行するキタサンブラックに厳しい展開を築いていた<ref name="優駿-2015-6-15" />。最終コーナーまでマイネルポルトゥスに独走を許したが、直線に入ってスパートすると差し切り、抜け出して早めの先頭を奪取した<ref name="ウマニティ-500万" />。後方からの追い込み勢の台頭を許さず、押し切って独走態勢を築いた<ref name="優駿-2015-6-15" />。ディープインパクト産駒サトノラーゼンに3馬身差をつけて優勝した<ref name="ウマニティ-500万" />。新馬戦に続いてディープインパクト産駒を2着に下して、2連勝としていた<ref>『名馬を読む3』246頁</ref>。

=== スプリングステークス ===
2連勝を果たした陣営の次なる目標は重賞だった。重賞初参戦の舞台は、[[阪神競馬場]]で行われる[[毎日杯]]や、[[中山競馬場]]で行われるクラシック初戦・[[皐月賞]]の[[トライアル競走]]である[[スプリングステークス]]などの選択肢があった<ref>{{Cite web |title=【めざせクラシック】キタサンブラック、スプリングS参戦 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20150311/pog15031105040002-n1.html |website=予想王TV |access-date=2023-10-04 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref>。その中からトライアル競走、3着以内の3頭に皐月賞の[[優先出走権]]が与えられる、3月22日のスプリングステークス(GII)を選んでいた。

スプリングステークスは、12頭立てだったが、うち4頭が重賞優勝の実績があった<ref>{{Cite web |title=登録馬12頭中4頭が重賞ウイナーのスプリングS |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/61779 |website=競馬ブック |access-date=2023-10-04}}</ref>。前年の[[朝日杯フューチュリティステークス]]優勝馬で世代の[[JRA賞最優秀2歳牡馬|最優秀2歳牡馬]]である[[ダノンプラチナ]]、無敗で[[共同通信杯]]を優勝した[[リアルスティール]]は、いずれもディープインパクト産駒だった。そして[[京成杯]]優勝[[ハービンジャー]]産駒の[[ベルーフ]]と、[[新潟2歳ステークス]]優勝[[キングカメハメハ]]産駒の[[ミュゼスルタン]]がいた。対して重賞初挑戦に過ぎないキタサンブラックは、ミュゼスルタンこそ上回ったが、他4頭と京成杯2着の[[バゴ (競走馬)|バゴ]]産駒のブラックバゴにも劣った5番人気、単勝オッズ12.3倍という評価だった<ref name="優駿-2015-5-110">『優駿』2015年5月号 110頁</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=0NYJuzn2-SQ&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2015年 スプリングステークス({{GII}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}スタートから先行策に出ていた。タケデンタイガーが後続を引き離す逃げを展開し、離れた2番手を確保した<ref name="優駿-2015-5-110" />。タケデンタイガーは大逃げの形にしたにもかかわらずスローペースだったが、折り合いをつけて追走できていた<ref name="優駿-2015-5-110" /><ref name="Yahoo-スプリングS">{{Cite web |title=サブちゃん愛馬、無敗3連勝で皐月賞へ! 「今度は歌う!」クラシック制覇も見えた |url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201503220001-spnavi |website=スポーツナビ |date=2023-09-27 |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。タケデンタイガーは第3コーナーで失速して先頭奪取となっていた。早いタイミングで抜け出したが、直線では押し切り目指して早めにスパートしていた<ref name="サンスポ-スプリングS">{{Cite web |title=【スプリングS】無傷V3は伏兵キタサンブラック! |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20150322/pog15032215560010-n2.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2015-03-22 |access-date=2023-10-04 |language=ja-JP}}</ref>。一足早く抜け出してからは、[[ハト]]に気も漫ろになったが北村に正されて粘りこんだ<ref name="Yahoo-スプリングS" />。外からは人気のダノンプラチナ、リアルスティールなどが追い込んでおり、特にリアルスティールには先頭を脅かされた<ref name="優駿-2015-5-110" />。ゴール寸前では並ばれる形になるまで追い込まれ、ほとんど同時の決勝線に到達となったが、キタサンブラックがクビ差だけリードを残していた<ref name="優駿-2015-5-110" />。
{| class="wikitable" style="float:right; font-size:smaller; text-align:center; margin:10px"
|+無敗のスプリングS優勝(2018年まで)<ref name="netkeiba-無敗スプリングS">{{Cite web |title=【スプリングS】2戦2勝の注目株2頭が参戦 無敗Vならキタサンブラック以来8年ぶり12頭目|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=224954 |website=netkeiba.com |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>
!年
!<small>優勝馬</small>
!主な成績
|-
|1959
|メイタイ
|皐月賞2着、東京優駿3着など
|-
|1960
|[[コダマ (競走馬)|コダマ]]
|皐月賞、東京優駿優勝
|-
|1964
|[[シンザン]]
|「五冠」
|-
|1973
|[[ハイセイコー]]
|皐月賞優勝
|-
|1974
|[[キタノカチドキ]]
|クラシック二冠(皐月賞、菊花賞)
|-
|1976
|[[テンポイント]]
|天皇賞(春)、有馬記念優勝
|-
|1982
|[[ハギノカムイオー]]
|宝塚記念優勝
|-
|1985
|[[ミホシンザン]]
|クラシック二冠(皐月賞、菊花賞)<br/>天皇賞(春)
|-
|1992
|[[ミホノブルボン]]
|クラシック二冠(皐月賞、東京優駿)
|-
|2001
|[[アグネスゴールド]]
|[[鳴尾記念]]3着、菊花賞8着
|-
|2015
| colspan="2" |'''キタサンブラック'''
|}
再びディープインパクト産駒を下して3連勝<ref name="優駿-2015-5-111" />。重賞初出走初勝利を果たして<ref name="競馬ブック-スプリングS">{{Cite web |title=スプリングSアラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/61827 |website=競馬ブック |access-date=2023-10-04}}</ref>、皐月賞の優先出走権を獲得した<ref name="優駿-2015-5-111" />。1961年ユキロウ{{Efn|[[南関東競馬]]では1960年[[全日本3歳優駿]]を優勝したりした。父[[ヒンドスタン]]、母ダイアンケーで、1965年[[菊花賞]]優勝馬[[ダイコーター]]の全兄である。}}、1982年[[ハギノカムイオー]]、1985年[[ミホシンザン]]に続いて史上4頭目となる中央競馬キャリア3戦目でのスプリングステークス優勝を果たしていた<ref name="競馬ブック-スプリングS" />。また14年ぶり史上11頭目となる無敗でのスプリングステークス優勝を果たしていた<ref name="競馬ブック-スプリングS" />。これまで達成した10頭は、直後に故障した[[アグネスゴールド]]を除けばすべてGIや八大競走で上位になる活躍をしており、さらに1959年皐月賞にて[[ウイルデイール]]に敗れる2着、東京優駿は[[コマツヒカリ]]に敗れる3着となったメイタイを除けば、残った8頭はいずれもGI級競走を優勝していた<ref name="netkeiba-無敗スプリングS" />。さらに[[宝塚記念]]勝利のみに終わったハギノカムイオーを省いた7頭は、いずれも[[八大競走]]または旧八大競走を優勝していた<ref name="netkeiba-無敗スプリングS" />。

また2004年に優勝したブラックタイドに続く父子スプリングステークス優勝を果たしていた<ref name="サンスポ-スプリングS" />。続いてキタサンブラックは、父が果たせなかったクラシック戴冠を目指すこととなった。しかしクラシック出走に必要な、40万円の出走登録をしていなかった<ref name="サンスポ-菊花賞4">{{Cite web |title=【菊花賞】ブラックV!北村宏、クラシック初制覇(4頁) |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20151026/ope15102605090011-n4.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2015-10-26 |access-date=2023-10-07 |language=ja-JP}}</ref>。

陣営は、キタサンブラックが大柄であり、仕上がるのに時間を要すると考えており、クラシックを目指す予定をしていなかった<ref name="デイリー-北島-5">{{Cite web |title=【馬主・北島三郎5】「ただものじゃない」デビュー戦で感じたブラックの実力/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2017/12/22/0010837997.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-10-09 |access-date=2023-10-09 |language=ja}}</ref>。しかし見込みに反して順調な出世を果たし、重賞優勝に加えて優先出走権まで獲得し、クラシック出走を確実なものにしていた。そこで陣営は、追加登録制度を用い、北島が追加登録料200万円を負担して皐月賞の出走権を取得。クラシック参戦を叶えていた<ref name="デイリー-北島-5" />。

=== クラシック ===

==== 皐月賞 ====
4月19日の皐月賞(GI)は、北村に騎乗停止処分が下ったために、代打[[浜中俊]]で挑んでいた<ref name="ありキタ-74" />。同日の北村は、装鞍所を訪れて、装鞍を手伝っていた<ref name="ありキタ-74">『ありがとう キタサンブラック』74頁</ref>。無敗のキタサンブラックは、2歳チャンピオンであるダノンプラチナを上回る単勝オッズ9.7倍、単勝オッズ一桁台間際の4番人気という支持だった<ref name="優駿-2015-6-102">『優駿』2015年6月号 102頁</ref>。キタサンブラックよりも信頼を集めたのは、'''[[サトノクラウン]]'''と'''リアルスティール、[[ドゥラメンテ]]'''だった<ref name="優駿-2015-6-102" /><ref>『優駿』2015年6月号 12頁</ref>。

[[マルジュ]]産駒の[[持込馬]]サトノクラウンは、[[チェヴァリーパークステークス]](G1)を優勝した[[ライトニングパール]]の全弟で、東京スポーツ杯2歳ステークス、トライアルの弥生賞を優勝した無敗馬だった。またディープインパクト産駒のリアルスティールは、スプリングステークスこそ取りこぼしたものの、依然評価が高かった。そして東京優駿優勝馬のキングカメハメハ産駒で、[[エリザベス女王杯]]連覇の[[アドマイヤグルーヴ]]を母に持つドゥラメンテは、共同通信杯にて、リアルスティールに敗れたものの4戦2勝2着2回の安定感があった。この3頭は共に良血とされ、何よりクラシック優勝多数の名門ノーザンファーム生産馬だった。人気はサトノクラウン、リアルスティール、ドゥラメンテの順で、単勝オッズはそれぞれ3.1倍、3.8倍、4.6倍だった。対してヤナガワ牧場生産、GII優勝止まりのブラックタイド産駒、実績に乏しい牝系の仔であるキタサンブラックは、離された4番人気だった。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=LHO6mGAdZrk&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2015年 皐月賞({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}スタートから先行。ハナを奪って逃げた[[クラリティスカイ]]の直後の2番手を確保した<ref name="優駿-2015-6-102" />。クラリティスカイが先導する緩みのないペースを追走して、2番手で最終コーナーを通過していた<ref name="優駿-2015-6-102" />。直線ではクラリティスカイに接近して先頭を伺ったが、3番手追走から抜け出したリアルスティール、外から追い込んだドゥラメンテにかわされて抵抗できなかった<ref name="優駿-2015-6-15" />。それでもクラリティスカイは捉え、追い込む[[ブライトエンブレム]]やサトノクラウンには先着を許さなかった<ref name="優駿-2015-6-102" />。

優勝したドゥラメンテには約4馬身以上、リアルスティールには2馬身半敵わなかったが、ブライトエンブレムにはアタマ差先着する3着だった<ref name="優駿-2015-6-102">『優駿』2015年6月号 102頁</ref>。初敗北、それでも4着以内となり、東京優駿(日本ダービー)の優先出走権を確保していた<ref>『優駿』2015年6月号 103頁</ref>。

==== 東京優駿 ====
続いて5月31日、東京優駿(日本ダービー)(GI)にも追加登録料200万円を支払って参戦した。皐月賞を優勝したドゥラメンテは信頼されて、皐月賞の上位人気に比べて頭一つ抜け出していた。単勝支持率は40パーセントを超え<ref>『優駿』2015年7月号 10頁</ref>、オッズ1倍台の1番人気となっていた<ref name="優駿-2015-7-104">『優駿』2015年7月号 104頁</ref>。残るリアルスティールとサトノクラウンは離されたが、それに追随し、3頭が3番人気までを占めていた<ref name="優駿-2015-7-104" />。しかしキタサンブラックは続く4番人気に推されなかった<ref name="優駿-2015-7-104" />。[[青葉賞]]優勝のキングカメハメハ産駒[[レーヴミストラル]]に、[[京都新聞杯]]優勝のディープインパクト産駒[[サトノラーゼン]]という、共にノーザンファーム生産馬の2頭に上回られて、人気を落とした単勝オッズ20.7倍の6番人気だった<ref name="優駿-2015-7-104" />。当日のキタサンブラックは、走る気に満ち満ちてしまっていた<ref name="優駿-2016-2-8">『優駿』2016年2月号 8頁</ref><ref name="報知-菊花賞インタビュー">{{Cite web |url=http://www.hochi.co.jp/horserace/20151020-OHT1T50181.html |title=【菊花賞インタビュー】キタサンブラック、重賞2勝馬が距離の壁破る |access-date=2023-10-7 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20151023002226/http://www.hochi.co.jp/horserace/20151020-OHT1T50181.html |archive-date=2015-10-23}}</ref>。そのためパドックでは、初めて一人増やした「二人引き」がなされていた<ref name="報知-菊花賞インタビュー" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=65xGDfLg3ps&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2015年 東京優駿({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}
8枠17番という外枠から躓きながらのスタートし<ref name="優駿-2016-2-8" />、先行した<ref>『優駿』2015年7月号 13頁</ref>。いきなりムチを駆使してハナを奪取した[[ミュゼエイリアン]]の直後である2番手を追走した<ref name="優駿-2015-7-39">『優駿』2015年7月号 39頁</ref>。ミュゼエイリアンは緩めることなく前進し、前半の1000メートルを58.8秒で通過するハイペースを刻んでいた<ref name="優駿-2015-7-16">『優駿』2015年7月号 16頁</ref>。直後のキタサンブラックは、ミュゼエイリアンを結果的に深追いする形となり、先行馬にとっては歓迎できないハイペースに巻き込まれていた<ref name="優駿-2016-5-56">『優駿』2016年5月号 56頁</ref><ref name="優駿-2015-7-39" />。最終コーナーを2番手で通過した後<ref name="優駿-2015-7-104" />、直線では深追いが災いして息切れを起こして後退した<ref name="優駿-2016-5-56" />。中団追走から、ペースに恵まれたドゥラメンテが鋭く抜け出し優勝する一方<ref name="優駿-2015-7-16" />、大きく後れを取る14着に敗れた<ref name="優駿-2015-7-104" />。

==== セントライト記念 ====
夏休みを挟んで秋は9月21日、菊花賞のトライアル競走である[[セントライト記念]](GII)で始動した。栗東所属の関西馬ながら再び関東遠征、適性と春の実績から中山競馬場芝2200メートルに挑んでいた<ref>『優駿』2015年12月号 82頁</ref>。東京優駿2着サトノラーゼンや7着[[タンタアレグリア]]、皐月賞4着ブライトエンブレムや12着ベルーフというクラシック出走組が中心視されていた<ref name="優駿-2015-11-114">『優駿』2015年11月号 114頁</ref>。しかし皐月賞3着実績のあるキタサンブラックは、その4頭と、クラシック未出走の2戦2勝馬ロッカフェスタにも劣る6番人気という支持だった<ref name="優駿-2015-11-114" />。また東京優駿にて、大敗に誘われた逃げ馬ミュゼエイリアンとの再会も果たしていた<ref name="優駿-2015-11-114" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=jgEETE8wEt4&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2015年 セントライト記念({{GII}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}
スタートから先行し、再びミュゼエイリアンにハナを譲って控えた2番手を確保した<ref name="優駿-2015-11-114" />。東京優駿はハイペースを演出したミュゼエイリアンだったが、この日はスローペースに落としており、先行馬有利の展開を築いていた<ref name="優駿-2015-11-114" />。キタサンブラックは折り合いをつけて追走し、最終コーナーでミュゼエイリアンに並びかけた<ref name="優駿-2015-11-114" /><ref name="スポニチ-セントライト">{{Cite web |title=【セントライト記念】キタサンブラック 直線抜け出し重賞2勝目|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/09/21/kiji/K20150921011178700.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-10-05 |language=ja}}</ref>。直線ではミュゼエイリアンとともに粘りこみ、追込勢から逃走<ref name="スポニチ-セントライト" />。ミュゼエイリアンとは先頭を争い続けたが、終いで抜け出し、単独先頭を得ていた<ref name="優駿-2015-11-114" />。人気馬を後続に従えながらミュゼエイリアンにも4分の3馬身差をつけて決勝線に到達していた<ref name="優駿-2015-11-114">『優駿』2015年11月号 114頁</ref>。始動戦を飾って重賞2勝目、菊花賞への優先出走権を得ていた<ref name="優駿-2015-11-115">『優駿』2015年11月号 115頁</ref>。

==== 菊花賞 ====
[[ファイル:Lia Fail Kobe Shimbun Hai 2015(IMG1).jpg|サムネイル|246x246ピクセル|[[リアファル]](父:[[ゼンノロブロイ]])

春はソエのため、負荷の少ないダート戦線を歩んだ。芝2戦目の神戸新聞杯は、1992年[[キョウエイボーガン]]以来となる逃げ切り優勝を果たしていた<ref>{{Cite web |title=神戸新聞杯アラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/62774 |website=競馬ブック |access-date=2023-10-07}}</ref>。]]
続いて10月25日、菊花賞(GI)にも追加登録料200万円を支払って参戦した<ref name="サンスポ-菊花賞4" />。栗東所属の関西馬ながら、3歳秋にして初めて関西の競馬場に見参していた<ref name="競馬ブック-菊花賞">{{Cite web |title=菊花賞アラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/62934 |website=競馬ブック |access-date=2023-10-07}}</ref>。本来は、二冠馬ドゥラメンテの三冠が懸かる舞台となるはずだった。しかし夏に、今季絶望の骨折をきたして戦線を離脱となり、三冠の夢は潰えていた<ref>{{Cite web |title=2冠ドゥラメンテ骨折、全治6カ月…凱旋門賞も3冠も消えた - スポニチ Sponichi Annex ギャンブル |url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/06/28/kiji/K20150628010625620.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-10-08 |language=ja}}</ref>。クラシック三冠戦線の最終戦、ドゥラメンテに代わる主役を張ったのは、セントライト記念を逃げ切ったキタサンブラックではなかった。さらに春のクラシック上位のリアルスティールでもなかった。主役は、春はダートを走り、クラシックとは無縁の存在だった[[ゼンノロブロイ]]産駒の[[リアファル]]だった<ref name="優駿-2015-12-100">『優駿』2015年12月号 100頁</ref>。夏に芝に転向すると、初戦で古馬相手に逃げ切り、トライアル競走の神戸新聞杯では、リアルスティールを千切り捨てて逃げ切っていた<ref>{{Cite web |title=菊花賞の主役はダートからの転向馬!?キズナに通じるリアファルの対応力。(島田明宏) |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/824404?page=2 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-10-07 |language=ja}}</ref>。

18頭立てとなる中、神戸新聞杯の1着2着であるリアファルと、リアルスティールが2番人気までを占めていた<ref name="優駿-2015-12-100" />。続く3番人気は、セントライト記念組だったがキタサンブラックではなく7着のサトノラーゼンだった<ref name="優駿-2015-12-100" /><ref name="優駿-2015-12-100" />。キタサンブラックは、母の父サクラバクシンオーが嫌われたこともあり信頼されず、重賞初参戦に過ぎないスティーグリッツにも劣る5番人気だった。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=OGF-Gp1CfIU&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2015年 菊花賞({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=KKsccHwM6y0&ab_channel=%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%80%90%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%80%91 2015年 菊花賞({{GI}})<br />レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画]}}スタートから先行した。スピリッツミノルやリアファル、ミュゼエイリアンらと共に先行する形となったが、控えてハナを譲り、好位の5番手を確保した<ref name="サンスポ-菊花賞2">{{Cite web |title=【菊花賞】ブラックV!北村宏、クラシック初制覇(2頁) |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20151026/ope15102605090011-n2.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2015-10-26 |access-date=2023-10-08 |language=ja-JP}}</ref><ref name="優駿-2015-12-100" />。スピリッツミノルらの演出するスローペースを折り合いをつけて追走した<ref name="優駿-2015-12-100" />。スローゆえに折り合いに苦しむ馬が多く、2周目の向こう正面では我慢しきれず進出する馬が続出していた<ref name="優駿-2015-12-49">『優駿』2015年12月号 49頁</ref>。引っ掛かった馬らにかわされた結果、馬群に押し込められた中団追走となった<ref name="優駿-2015-12-49" />。それでもつられず、我慢が効いて第3コーナーの坂の上り下りを10番手でこなし、最終コーナーを8番手で通過した<ref name="優駿-2015-12-100" /><ref name="サンスポ-菊花賞2" />。
[[ファイル:Kitasan Black Kikuka Sho 2015(IMG1).jpg|サムネイル|234x234ピクセル|キタサンブラック(奥、黒帽)とリアルスティール(手前、緑帽11番)、リアファル(右、桃帽17番)]]
直線に向いてからスパートし、溜めていた末脚を発揮<ref name="サンスポ-菊花賞2" />。馬場の最も内側から進出し、馬群の間を割って抜け出して先頭を奪取していた<ref name="優駿-2015-12-100" /><ref name="優駿-2015-12-49" />。すぐ外側にはリアファルが粘り、さらに外側にはリアルスティールが追い込んでいた。リアファルには半歩先に出たが、リアルスティールにはゴール寸前で接近され、先頭を脅かされた<ref name="報知-菊花賞">{{Cite web |url=http://www.hochi.co.jp/horserace/20151025-OHT1T50196.html |title=【菊花賞】キタサンブラック快勝!北村宏は悲願のクラシック初制覇 |access-date=2023-10-8 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20151028233310/http://www.hochi.co.jp/horserace/20151025-OHT1T50196.html |archive-date=2015-10-28}}</ref>。キタサンブラックとリアルスティールは、ほとんど並んで決勝線に到達していたが、キタサンブラックがクビ差先着していた<ref name="報知-菊花賞" />。

菊花賞優勝、クラシック戴冠を成し遂げていた。1984年[[シンボリルドルフ]]以来31年ぶり10頭目となるセントライト記念からの連勝戴冠、2001年[[マンハッタンカフェ]]以来14年ぶりとなるセントライト記念参戦からの戴冠だった<ref name="サンスポ-菊花賞4" />。二冠目東京優駿14着からの三冠目奪取となり、1980年[[ノースガスト]]以来8頭目となるダービー二桁着順からの巻き返しを果たしていた<ref name="競馬ブック-菊花賞" />。
[[ファイル:第76回菊花賞の優勝レイを着装した勝利馬キタサンブラック.JPG|サムネイル|238x238ピクセル|[[優勝レイ]]を纏う姿]]
また3回のクラシック追加登録料支払いを行い、600万円かけて最終戦でのクラシック戴冠を果たしていた。1999年皐月賞のテイエムオペラオー、2002年[[桜花賞]]の[[アローキャリー]]と菊花賞の[[ヒシミラクル]]、前々年――2013年[[優駿牝馬]]の[[メイショウマンボ]]、前年――2014年菊花賞の[[トーホウジャッカル]]に続いて史上6頭目となる追加登録敢行が結実した例となった<ref>『第5コーナー』136頁</ref>。またヤナガワ牧場は、1988年ガクエンツービートのスーパークリークに次ぐ2着、1999年タヤスタモツの[[ナリタトップロード]]に敗れる4着を乗り越えた菊花賞優勝、クラシック初勝利でもあった<ref name="優駿-2015-12-101" />。

=== 有馬記念 ===

続いて12月27日、グランプリの[[有馬記念]](GI)で、古馬と初めて挑んだ。主戦北村が、12月初旬に左膝の捻挫が判明して離脱したため、代わりに[[横山典弘]]に乗り替わり参戦した<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】キタサンブラックに横山典 北村宏負傷で乗り代わり|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/12/11/kiji/K20151211011664340.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-09-17 |language=ja}}</ref>。横山は、この頃[[ゴールドシップ]]の主戦騎手であり、宝塚記念や天皇賞(春)を優勝に導いていた。6歳のゴールドシップは、同じく有馬記念に出走し、これを引退レースと予告していた<ref name="デイリー-ゴールドシップ-引退">{{Cite web |title=【有馬記念】ゴールドシップに内田騎乗/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2015/12/02/0008613487.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-09-18 |access-date=2023-09-17 |language=ja}}</ref>。しかしゴールドシップ陣営は、横山を起用せず、クラシック二冠などを導きながら降板した前代の主戦騎手である[[内田博幸]]を、敢えて再登板させて臨んでいた<ref name="優駿-2023-1-43">『優駿』2023年1月号 43頁</ref><ref name="デイリー-ゴールドシップ-引退" />。

当日は、そのゴールドシップ、5歳の天皇賞(秋)優勝馬ラブリーデイという古馬が上位人気となった<ref name="優駿-2016-2-104">『優駿』2016年2月号 104頁</ref>。続く3番人気が3歳馬筆頭となったが、筆頭は、菊花賞優勝のキタサンブラックではなく、3着に下したリアファルだった<ref name="優駿-2023-1-43" />。キタサンブラックは逆転されて4番人気、単勝オッズ8.4倍だった<ref name="優駿-2016-2-104" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=amJSXX68ljE&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2015年 有馬記念({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}6枠11番からスタートして先行し、ハナを目指したかったが、周りが好スタートを切って先行していたために、ハナを取り切るまでに時間がかかった<ref name="優駿-2017-1-8">『優駿』2017年1月号 8頁</ref>。内にいた8番人気・3連勝中のゴールドアクター、外にいたリアファルを制して逃げる形を作ってから、マイペースを刻み始めた<ref name="優駿-2016-2-104" />。横山は、前半の1000メートルを62秒4で通過するスローペースを演出し、先行するキタサンブラックに有利な局面に持ち込んだ<ref name="優駿-2016-2-70">『優駿』2016年2月号 70頁</ref>。ただリアファルに背後からプレッシャーをかけられるなど苦労しながらの追走となっていた<ref name="優駿-2017-1-8" />。向こう正面に差し掛かってからペースを上げて、先頭を守ったまま最終コーナーを通過した<ref name="優駿-2016-2-104" />。

最後の直線でスパートし、並びかけてきたマリアライトと競ったが粘り、先頭を守り続けた<ref name="優駿-2016-2-70" />。しかし残り100メートル、外から追い込んできた8番人気ゴールドアクターと、後方から追い込む5番人気サウンズオブアースに差し切られて、先頭を明け渡した<ref>{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2015/12/28/0008680353.shtml |title=【有馬記念】ブラック3着悲観の色なし |access-date=2023-9-17 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20151228173412/http://www.daily.co.jp/horse/2015/12/28/0008680353.shtml |archive-date=2015-12-28}}</ref><ref name="優駿-2016-2-70" />。先頭を譲り優勝したゴールドアクターに4分の3馬身以上、2着のサウンズオブアースにクビ差をつけられて敗退した<ref name="優駿-2016-2-104" />。ただし横並びで争ったマリアライトには、寸前で差し返してアタマ差退けて3着は守っていた<ref name="優駿-2017-1-8" /><ref name="優駿-2016-2-104" /><ref name="優駿-2016-4-21">『優駿』2016年4月号 21頁</ref>。

== 4歳春(2016年) ==

=== 武豊 ===
この年は、4月上旬の産経大阪杯での始動を目標にしていた。主戦の北村は、その始動戦に間に合わせるためにリハビリに励んでいたが、間に合うか微妙だった<ref>{{Cite web |title=キタサンに武豊!始動戦4・3産経大阪杯で新コンビ |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20160218/ope16021805020004-n1.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2016-02-18 |access-date=2023-09-08 |language=ja-JP}}</ref>。結局、復帰できたのは産経大阪杯前日で、キタサンブラック騎乗は叶わなかった<ref name="ありキタ-75" />。北村は「乗りたい気持ちは大きかったけど、関係者の方々に迷惑をかけるわけにもいかないし、泣く泣くお断りを入れさせていただきました<ref name="ありキタ-75">『ありがとう キタサンブラック』75頁</ref>」と回顧している。

なお北村は復帰しても、すぐに患部に再び違和感が生じて、今度は遊離軟骨の除去手術が伴う休養に追い込まれている<ref name="スポニチ-北村">{{Cite web |title=【キタサンブラックと私】北村と5戦4勝、菊花賞V「いろんな引き出しもらった」|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2017/12/19/kiji/20171219s00004048052000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-09-08 |language=ja}}</ref>。再び長期離脱となり、主戦騎手は降板。しばらくして戦線復帰を果たすものの、再登板は叶わなかった<ref name="スポニチ-北村" />。始動戦の産経大阪杯では、有馬記念で代打した横山の再登板も考えられたが、横山にはアンビシャスに騎乗する先約があった<ref>『名馬を読む3』255頁</ref>。新しい主戦騎手を探した陣営は、騎乗馬がおらず手が空いていた'''[[武豊]]'''を起用する。北島には「'''タケユタカ'''」に縁があった。
{{競走馬血統表3代
|name=キタサンクイン
|f=*ロジンスキー
|fff=[[ノーザンダンサー|Northern Dancer]]
|ff=[[ニジンスキー (競走馬)|Nijinsky]]
|ffm=[[フレーミングページ|Flaming Page]]
|fm=Lodge|fmf=*[[ボールドラッド]]
|fmm=Little Hut
|m=パーセント
|mf=バーバー
|mff=[[プリンスリーギフト|Princely Gift]]
|mfm=Desert Girl
|mm='''タケユタカ'''
|mmf=*[[パーソロン]]
|mmm=ハヤススム
}}
キタサンクインは、かつて北島が所有した牝馬である。地方競馬・[[川崎競馬場]]を本拠にする競走馬として[[南関東公営競馬]]に臨み12戦4勝、1987年の[[東京プリンセス賞]]では3着となる活躍を果たしていた<ref name="優駿-2016-6-68">『優駿』2016年6月号 68頁</ref><ref>{{Cite web |title=キタサンクイン|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000171894/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-09-08}}</ref>。引退後は繁殖牝馬となり、産駒を続々出産し、ほとんどが「キタサン」の名を冠して競走馬となり次々に勝利を挙げた。産駒のなかでもキタサンテイオーは、南関東でデビューし1992年[[平和賞 (船橋競馬)|平和賞]]や[[全日本3歳優駿]]を優勝。さらにキタサンチャンネルは、2001年[[ニュージーランドトロフィー]](GII)を優勝し、北島にJRA重賞初勝利をもたらしていた。北島の所有馬でも活躍したキタサンクインの祖母、キタサンテイオーやキタサンチャンネルの曾祖母は「'''タケユタカ'''」という牝馬だった<ref name="優駿-2016-6-68" />。北島は、このタケユタカから続く牝系を所有して、活躍産駒を次々に得ていた<ref name="優駿-2016-6-68" />。
[[ファイル:Yutaka_Take_Kitasan_Black_2017_Japan_Cup_Paddock.jpg|サムネイル|387x387px|武豊]]
このことから北島は「'''タケユタカ'''」に縁を感じており、いつか自らの所有馬に「'''武豊'''」を起用しようと考えていた<ref name="優駿-2016-6-68" />。これまで下級条件ではその起用はたやすく実現したが、露出の多い重賞ではなかなか実現しなかった<ref name="優駿-2016-6-68" />。しかし馬主歴50年が経過したこのタイミングで、実力馬キタサンブラックが現れ、主戦の降板が発生して実現することになった<ref name="優駿-2016-6-68" />。他の騎手で菊花賞を優勝した翌年の春に、武豊に乗り替わる構図は、1991年から天皇賞(春)を連覇するなど活躍した[[メジロマックイーン]]と同じだった<ref name="優駿-2016-4-21" />。

ベテランの武豊は、この年、騎手デビュー30年目に到達していた。デビュー2年目から毎年のように年間100勝を続け、年間200勝を果たした年もあったが、2010年[[毎日杯]](GIII)での落馬事故をきっかけに不調に陥り、それ以降は100勝にすら届かなかった。しかし29年目の2015年に復調し、6年ぶりに年間100勝を果たしていた。そして30年目、中長距離を主戦場とする古馬キタサンブラックをお手馬に加えていた。後に武は、30年目を振り返り、キタサンブラックの「存在は大きかった<ref>『優駿』2017年1月号 21頁</ref>」と振り返っている。

=== 産経大阪杯 ===
武とのコンビ初戦は、4月3日の始動戦である[[産経大阪杯]](GII)だった。古馬となり、年上と同じ負担重量を課されていた。11頭立てとなる中、GI優勝馬5頭が揃っていた。最も注目を集めたのは、前年の最優秀4歳牡馬で5歳の[[ラブリーデイ]]だった。次いで同期の中距離巧者アンビシャスが注目されていた。アンビシャスは、GIII優勝馬に過ぎなかったが、前走の中山記念にて後方待機から追い込み、ドゥラメンテにクビ差まで迫る2着となっていた。GI優勝馬ではないため、キタサンブラックよりも負担重量が2キログラム軽かった。58キログラムのキタサンブラックは、56キログラムのアンビシャスを下回った単勝オッズ6.2倍の5番人気だった<ref name="優駿-2016-6-96">『優駿』2016年6月号 96頁</ref>。

スタートからハナを奪取して逃げ、前半の1000メートルを61.1秒まで落とし、スローペースに持ち込んで、キタサンブラックのペースを形成したつもりだった<ref name="サンスポ-2016産経大阪杯">{{Cite web |title=【キタサン敗北の真相(1)】’16産経大阪杯 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20171219/ope17121905040007-n1.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-12-19 |access-date=2023-09-08 |language=ja-JP}}</ref>。ところが背後に、後方からの追い込みが信条のアンビシャスがおり、マークされる形に嵌められていた<ref name="サンスポ-2016産経大阪杯" />。騎乗する横山が、アンビシャスを突然に先行させる奇策に出ていた。位置を取りに行ったにもかかわらず、横山は折り合いを実現させ、順調な追走となっていた<ref name="優駿-2016-6-96" />。
[[ファイル:Ambitious Sankei Osaka Hai 2016(IMG1).jpg|サムネイル|260x260ピクセル|キタサンブラック(奥、緑帽)を捉えるアンビシャス(手前、橙帽9番)]]
キタサンブラックは、先頭を守ったまま直線に向き、中団に構えていたラブリーデイやショウナンパンドラから逃走は叶えていた<ref name="優駿-2016-6-96" />。しかし好位から末脚を発揮したアンビシャスには詰め寄られて、先頭を脅かされた<ref>{{Cite web |title=【大阪杯】2番人気アンビシャス 差し切って2度目の重賞制覇|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2016/04/03/kiji/K20160403012335370.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-09-08 |language=ja}}</ref><ref name="サンスポ-2016産経大阪杯" />。粘って抵抗したが、ゴール寸前で差し切られた<ref name="優駿-2016-6-96" />。アンビシャスにクビ差屈する2着敗退だった<ref name="優駿-2016-6-96" />。それでも武は「思い通りのレース」ができたと回顧し、アンビシャスのマーク戦法と負担重量2キログラムの差があることを指摘していた<ref>『ありがとう キタサンブラック』86頁</ref>。

=== 天皇賞(春) ===

5月1日、天皇賞(春)(GI)に参戦し、前年の有馬記念で敗れたゴールドアクターとの再戦に挑んだ。ゴールドアクターは、始動戦の日経賞を優勝して5連勝で参戦し、単勝オッズ3.8倍の1番人気だった<ref name="優駿-2016-7-91">『優駿』2016年7月号 91頁</ref>。対してキタサンブラックは、4.5倍の2番人気だった<ref name="優駿-2016-7-91" />。以下、シュヴァルグランやフェイムゲーム、サウンズオブアース、アルバートがオッズ一桁台で続く18頭立てだった<ref name="優駿-2016-7-91" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=3gPA9EqyiEw&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2016年 天皇賞(春)({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=J9KPnwWW6nY&ab_channel=%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%80%90%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%80%91 2016年 天皇賞(春)({{GI}})<br />レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画]}}1枠1番の最内枠から好スタートを切ってすんなりハナを奪い、マイペースに持ち込んだ<ref name="優駿-201-6-69">『優駿』2016年6月号 69頁</ref>。序盤の1000メートルを61秒8で通過し、続く中盤の1000メートルを61秒7で通過<ref name="優駿-201-6-69" />。武が調節し緩急つけて誤魔化し、ラップタイム11秒12秒台で率いた<ref name="優駿-201-6-69" />。逃げて極端なハイペースになれば、消耗して終いで失速し後退する危険があり、反対に極端なスローペースになれば、苦手の瞬発力勝負となって差し切られて後退する危険があった<ref name="Number-2016年天皇賞(春)-逃げ切り">{{Cite web |title=武豊、実はJRA・GI初の逃げ切り勝利。キタサンブラックと手にした春天の盾。 |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/825618 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-09-12 |language=ja}}</ref>。しかしキタサンブラックと武は、その両方を回避する「絶妙なペース」で道中を過ごし、余力を持って最終局面に入っていた<ref name="優駿-201-6-69" /><ref>{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2016/05/01/0009043117.shtml?pg=2 |title=【天皇賞】“平成の盾男”面目躍如 |access-date=2023-9-12 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-date=2016-5-4 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160504150128/http://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2016/05/01/0009043117.shtml?pg=2}}</ref>。

<br/>残り800メートルから、ラップを11秒台に引き上げてスパート<ref name="優駿-201-6-69" />。後続を引き付けながら直線に向いていた。背後にはゴールドアクターが好位に取り付いていたがまもなく下し、先頭を守った<ref name="優駿-2016-7-91" />。ところが直線半ばを過ぎてから、13番人気に過ぎない伏兵のカレンミロティックに急襲された<ref name="優駿-2016-7-91" />。道中はキタサンブラックの背後に潜み、直線で外から詰め寄られた。差し切られて残り100メートルで先頭を奪われていた<ref>{{Cite web |url=http://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1640465&year=2016&month=5&day=1 |title=カレンミロティック2着、4センチ届かず |access-date=2023-9-12 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20160504005320/http://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1640465&year=2016&month=5&day=1 |archive-date=2016-5-4}}</ref><ref name="優駿-201-6-69" />。[[ファイル:Curren Mirotic IMG 7011 20140406.JPG|サムネイル|257x257px|[[騸馬]]の[[カレンミロティック]]。<br/>約4センチメートル及ばなかったが、2008年に天皇賞(春)が騸馬に解放されて以来、延べ11頭目の参戦で史上初めて連対を成し遂げた<ref name="サンスポ-2016天皇賞(春)4">{{Cite web |title=【天皇賞・春】“ド根性盾”ブラック、差し返した!(4ページ) |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20160502/ope16050205060006-n4.html |date=2016-05-02 |access-date=2023-09-11 |publisher=[[サンケイスポーツ]]}}</ref>。]]しかしキタサンブラックは粘り、カレンミロティックに独走は許さなかった。促されるとすぐに盛り返し、ゴール寸前で並び立ったと同時に決勝線を通過していた<ref name="優駿-2016-7-91" />。2頭が横並びでほとんど同時に通過し、優劣は写真判定となっていた<ref>{{Cite web |url=http://www.hochi.co.jp/horserace/20160501-OHT1T50137.html |title=【天皇賞・春】キタサンブラック、4センチ差の戴冠!逃げてゴール前で差し返す |access-date=2023-9-12 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-date=2016-5-5 |archive-url=https://web.archive.org/web/20160505093311/http://www.hochi.co.jp/horserace/20160501-OHT1T50137.html}}</ref>。写真判定の結果、キタサンブラックのハナ差、約4センチメートル先着が認められ、天皇賞戴冠を果たした。1948年優勝[[シーマー]]2着カツフジ、1995年優勝[[ライスシャワー]]2着[[ステージチャンプ]]、2007年優勝[[メイショウサムソン]]2着エリモエクスパイアに続いて史上4例目となるハナ差決着の天皇賞(春)<ref name="サンスポ-2016天皇賞(春)4" />、3200メートルを走って約4センチメートル差の決着は、天皇賞(春)史上最も僅差、薄氷の勝利だった<ref>{{Cite web |title=【天皇賞・春】“ド根性盾”ブラック、差し返した!(2ページ) |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20160502/ope16050205060006-n2.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2016-05-02 |access-date=2023-09-12 |language=ja-JP}}</ref>。

菊花賞以来となるGI2勝目、2004年[[イングランディーレ]]以来12年ぶり史上7頭目となる天皇賞(春)逃げ切り優勝を果たした<ref name="優駿-2017-2-16">『優駿』2017年2月号 16頁</ref><ref name="競馬ブック-2016年天皇賞(春)">{{Cite web |title=天皇賞(春)アラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/63925 |website=競馬ブック |access-date=2023-09-11}}</ref>。また2006年ディープインパクト以来10年ぶりとなる4歳の優勝<ref name="競馬ブック-2016年天皇賞(春)" />、菊花賞優勝馬による翌年天皇賞(春)優勝を果たしていた<ref name="優駿-2016-7-91" />。また武は、JRAGI70勝目にして初めてとなる逃げ切り優勝だった<ref name="Number-2016年天皇賞(春)-逃げ切り" />。さらに1989年[[イナリワン]]、1990年[[スーパークリーク]]、1991年92年[[メジロマックイーン]]、1999年[[スペシャルウィーク]]、2006年ディープインパクトに続いて10年ぶり天皇賞(春)7勝目{{Efn|このほか天皇賞(秋)は、1989年[[スーパークリーク]]、1997年[[エアグルーヴ]]、1999年[[スペシャルウィーク]]、2007年[[メイショウサムソン]]、2008年[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]の5勝しており、天皇賞は併せて12勝目<ref name="サンスポ-2016天皇賞(春)4" />。}}を挙げ、かつて天皇賞(秋)を7勝した[[保田隆芳]]{{Efn|1939年[[テツモン]]、1949年[[ニユーフオード]]、1950年[[ヤシマドオター]]、1951年[[ハタカゼ]]、1956年[[ミツドフアーム]]、1957年[[ハクチカラ]]、1966年[[コレヒデ]]<ref>{{Cite web |title=保田隆芳:競馬の殿堂|url=https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/jockey02.html |website=www.jra.go.jp |access-date=2023-09-11}}</ref>}}以来となる同一GI級競走7勝騎手となっていた<ref name="優駿-2016-7-91" />。

=== 宝塚記念 ===
続いて6月26日、宝塚記念(GI)に参戦する。前年のクラシックでは太刀打ちできなかったドゥラメンテとの再戦が実現した。ファン投票ではドゥラメンテを上回る最多得票(詳細は[[#ファン投票実施競走の投票結果]])を得ていたが、当日の1番人気はドゥラメンテに譲った。単勝オッズ1.9倍に対して、キタサンブラックは5.0倍の2番人気に留まった<ref name="優駿-2016-8-98">『優駿』2016年8月号 98頁</ref>。以下、アンビシャスやラブリーデイ、シュヴァルグランなどが続く17頭立てだった<ref name="優駿-2016-8-98" />。ただ前日まで雨が降り続いており、道悪馬場となっていた。当日こそ晴れたが、馬場の回復は遅く、稍重馬場での開催だった<ref name="優駿-2016-8-98" />。スタミナやパワーが要求される馬場になり、先行勢がそのまま逃げ粘る決着が目立つ傾向になっていた<ref>『優駿』2016年8月号 45頁</ref><ref name="日刊-宝塚記念-3着">{{Cite web |title=キタサンブラック激流耐えたが力尽き3着/宝塚記念|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1669286&year=2016&month=06&day=27 |website= |access-date=2023-09-12 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20160630093643/http://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1669286&year=2016&month=6&day=27 |archive-date=2016-6-30}}</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=jNBoF2eKa9I&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2016年 宝塚記念({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=5FGEj6oQ8TM&ab_channel=%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%80%90%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%80%91 2016年 宝塚記念({{GI}})<br />レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画]}}2枠3番のスタートから先行し、ハナを奪取。ドゥラメンテが後方待機策とは対照的に、逃げる戦法を取った<ref name="優駿-2016-8-98" />。ただペースを緩められず、マイペースに持ち込むことができなかった<ref name="サンスポ-宝塚記念-3着">{{Cite web |title=【キタサン敗北の真相(2)】16宝塚記念3着 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20171220/ope17122005020005-n1.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-12-20 |access-date=2023-09-12 |language=ja-JP}}</ref>。道悪の先行有利傾向を意識した馬が多く、最初のコーナーに6、7頭が殺到して好位に密集、圧力がかかりながらの逃げを余儀なくされた<ref name="日刊-宝塚記念-3着" />。稍重馬場にもかかわらず、前半の1000メートルを59秒1で通過するハイペース、オーバーペースで一転、先行勢が不利な展開となっていた<ref name="日刊-宝塚記念-3着" /><ref name="サンスポ-宝塚記念-3着" />。
[[ファイル:Marialite Takarazuka kinen 2016(IMG2).jpg|サムネイル|247x247ピクセル|牝馬の[[マリアライト]]。<br/>1966年[[エイトクラウン]]、2005年[[スイープトウショウ]]に続いて史上3例目となる牝馬の宝塚記念優勝を成し遂げた<ref name="優駿-2016-8-99">『優駿』2016年8月号 99頁</ref>。]]
逃げるキタサンブラックは、先行勢を下し、単独先頭で最終コーナーを通過していた<ref name="優駿-2016-8-98" />。直線では、追い込む後方待機勢より一足先にスパートして粘り、逃げ切りを図った。まず中団待機から追い込むラブリーデイやステファノスに詰め寄られたが、まもなく下して先頭を守った<ref name="優駿-2016-8-47">『優駿』2016年8月号 47頁</ref>。しかし後方待機から離れた外側に持ち出して追い込むドゥラメンテ、それに8番人気の牝馬マリアライトには、敵わなかった<ref name="サンスポ-宝塚記念-3着" />。粘ったが、末脚を利かせて追い込むその2頭にゴール寸前で捉えられ、まもなく決勝線通過となった<ref name="優駿-2016-8-98" /><ref name="サンスポ-宝塚記念-3着" />。

優勝したマリアライトにクビとハナ差、ドゥラメンテにハナ差、その2頭と同じタイムで走破しながらも敗れる3着だった<ref name="優駿-2016-8-98" />。この宝塚記念では、先行好位勢が軒並み下位に敗れていた。しかしキタサンブラックだけは逃げ粘り、3着を確保していた<ref name="優駿-2016-8-47" />。なお2着に敗れたドゥラメンテは、競走中に左前肢跛行を発症<ref name="優駿-2016-8-99" />。直後にドゥラメンテ騎乗の[[ミルコ・デムーロ]]は下馬していた<ref>{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2016/06/26/0009224458.shtml |title=【宝塚記念】マリアライトが11年ぶりの牝馬V |access-date=2023-9-12 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20160629131858/http://www.daily.co.jp/newsflash/horse/2016/06/26/0009224458.shtml |archive-date=2016-6-29}}</ref>。左前脚の靱帯腱損傷が判明して競走能力喪失となり、即引退となっている<ref>{{Cite web |title=ドゥラメンテ引退「競走能力喪失」今後は種牡馬入り|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1670887&year=2016&month=06&day=30 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-09-12 |language=ja}}</ref>。すなわちドゥラメンテとの対決は、これが最後となった<ref>『ありがとう キタサンブラック』26頁</ref>。

== 4歳秋(2016年) ==

=== 京都大賞典 ===
夏休みを経て秋は、10月10日の京都大賞典(GII)で始動した。ラブリーデイやサウンズオブアースとの再戦、他にヤマカツライデンや[[ラストインパクト]]などが揃う10頭立てとなる中、GI2勝の実績上位キタサンブラックは、単勝オッズ1.8倍となり、競走生活12戦目にして初めて1番人気の支持を得ていた<ref>{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2016/10/10/0009569763.shtml |title=【京都大賞典】キタサンブラックが1番人気に応えて完勝 武豊「ホッとしています」 |access-date=2023-9-13 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20161011095309/http://www.daily.co.jp/horse/2016/10/10/0009569763.shtml |archive-date=2016-10-11}}</ref><ref name="優駿-2016-12-100">『優駿』2016年12月号 100頁</ref>。北島は、誕生日を迎え傘寿となったばかりだった。しかし8月に自宅で転倒して、頚椎症性脊髄症のために療養中で不在だった<ref name="日刊-京都大賞典">{{Cite web |url=http://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1722783&year=2016&month=10&day=11 |title=キタサンブラックVサブちゃん傘寿祝う/京都大賞典 |access-date=2023-9-13 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20161012074818/http://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1722783&year=2016&month=10&day=11 |archive-date=2016-10-12}}</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=zaokCQwBNg4&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2016年 京都大賞典({{GII}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}1枠1番という最内枠からスタートを切り、先手を主張するヤマカツライデンにハナを譲って2番手追走となり、菊花賞以来の控える競馬となった<ref name="優駿-2016-12-8">『優駿』2016年12月号 8頁</ref>。ヤマカツライデンが刻むペースは、前半の1000メートルを62秒0で通過するスローペースだった<ref name="優駿-2016-12-100" />。第3コーナーの坂の下りで進出を開始し、ヤマカツライデンの背後を取り、直線に向き次第捉えて、先頭を奪取した<ref name="優駿-2016-12-100" /><ref name="日刊-京都大賞典" />。
[[ファイル:Admire Deus Nikkei Shinshun Hai 2015(IMG1).jpg|サムネイル|236x236ピクセル|[[アドマイヤデウス]]。<br/>2015年の[[日経新春杯]](GII)や[[日経賞]](GII)を優勝した。2017年にオーストラリアへ移籍したがデビューすることなく落命した。]]以後、好位から[[アドマイヤデウス]]とラブリーデイがスパートした接近を許した<ref name="日刊-京都大賞典" />。しかし接近された分だけ伸びて応戦し、先頭を譲らなかった。ラブリーデイを封じ、寸前になって6番人気アドマイヤデウスに接近を許したものの、アドマイヤデウスが迫りくるより先に決勝線が来ていた<ref name="日刊-京都大賞典" />。クビ差逃げ切りを果たして、始動戦を飾った<ref name="優駿-2016-12-100" />。
1977年[[テンポイント]]、1990年スーパークリーク、1991年メジロマックイーン、2000年01年連覇の[[テイエムオペラオー]]に続いて15年ぶり6例目となる天皇賞(春)優勝馬による同年の京都大賞典優勝だった<ref name="日刊-京都大賞典" />。武は、勝利で北島に誕生日プレゼントを届け<ref name="優駿-2016-12-100" />、2005年リンカーンに続いて11年ぶり京都大賞典8勝目{{Efn|1987年[[トウカイローマン]]、1989年90年連覇[[スーパークリーク]]、1991年[[メジロマックイーン]]、1993年メジロマックイーン、1996年[[マーベラスサンデー]]、2005年[[リンカーン (競走馬)|リンカーン]]に次いで8勝目<ref>{{Cite web |title=【京都大賞典】ブラックV!悲願JC&有馬制覇へ磐石の秋 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20161011/ope16101105100007-n3.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2016-10-11 |access-date=2023-09-13 |language=ja-JP}}</ref>。}}を挙げていた<ref name="優駿-2016-12-101">『優駿』2016年12月号 101頁</ref><ref>{{Cite web |title=京都大賞典アラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/64680 |website=競馬ブック |access-date=2023-09-13}}</ref>。京都大賞典を制したために天皇賞(秋)の優先出走権を獲得したが<ref name="優駿-2016-12-101" />、この後はジャパンカップから有馬記念というローテーションを描いていたため、予定通り参戦を見送った<ref name="優駿-2016-12-8" />。

=== ジャパンカップ ===

==== 背景 ====
11月27日、ジャパンカップ(GI)に参戦する。唯一の大敗となった東京優駿(日本ダービー)と同じ東京競馬場芝2400メートルの舞台に約1年半ぶりに帰還、今度はGI2勝の実績を引っ提げての挑戦となった<ref>{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2016/11/28/0009703970.shtml |title=【JC】清水久師「本当にうれしいです」次は有馬で去年の借り返す|access-date=2023-9-18 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20161129083546/http://www.daily.co.jp/horse/2016/11/28/0009703970.shtml |archive-date=2016-11-29}}</ref><ref name="優駿-2016-12-8" />。日本調教馬14頭に外国調教馬3頭を迎える17頭立てとなる中、単勝オッズ3.8倍で再び1番人気となった<ref name="優駿-2017-1-88">『優駿』2017年1月号 88頁</ref>。有力な相手は、参戦を見送った天皇賞(秋)で[[モーリス (競走馬)|モーリス]]に次ぐ2着となった同期のリアルスティール、オールカマーで復活したゴールドアクター、皐月賞優勝の3歳[[ディーマジェスティ]]、他にサウンズオブアースやシュヴァルグランなど日本調教馬たちだった<ref name="優駿-2017-1-88" />。

1枠1番の最内枠が与えられていた。開催3日前、東京地方には54年ぶりとなる11月の降雪があった<ref name="優駿-2017-1-53">『優駿』2017年1月号 53頁</ref>。その影響で、スピードが出にくく、パワーの要求する馬場になっていた<ref name="優駿-2017-1-53" />。当日の前座レースは、状態の悪い馬場の内側を空けて走る傾向にになっており、最内枠を与えられた逃げ先行馬キタサンブラックと武にとって試練となっていた<ref name="優駿-2017-1-53" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=jZFd-uFw_4k&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2016年 ジャパンカップ({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=AJvK9h1kM8U&ab_channel=%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%AC%E7%AB%B6%E9%A6%AC%E3%80%90%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%80%91 2016年 ジャパンカップ({{GI}})<br />レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画]}}

==== 展開 ====
最内枠から好スタートを切ったキタサンブラックは、すんなりハナを奪って進路を調節して状態の悪い馬場の内側を回避し、内柵から4、5頭分離れた荒れていないコースを確保しながら逃げた<ref name="優駿-2017-1-54">『優駿』2017年1月号 54頁</ref>。最初のコーナーと第2コーナーを経て単独先頭を確保してマイペースに持ち込み、向こう正面に差し掛かってからは、2番手以下との差を広げて独走した<ref name="優駿-2017-1-54" />。

道中は、ハロンタイム12秒台を連発し、極端に緩むことも締まることもない均一なペースを刻み、前半の1000メートルを61秒7で通過していた<ref name="優駿-2017-1-54" />。第3コーナーに達してからペースを上げ、単独先頭を守ったまま最終コーナーを通過<ref name="優駿-2017-1-88" />。馬場の良いところを確保したまま直線に向き、後続を引き付けながら、残り300メートルからスパートした<ref name="優駿-2017-1-54" />。背後には好位からの抜け出しを図るゴールドアクターがいたが突き放して独走となった<ref name="報知-2016年ジャパンカップ">{{Cite web |url=http://www.hochi.co.jp/horserace/20161127-OHT1T50281.html |title=【ジャパンC】キタサンブラック、鮮やか逃げ切りでGI・3勝目!豊「本当にこの馬は強いな」 |access-date=2023-9-16 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20161130093718/http://www.hochi.co.jp/horserace/20161127-OHT1T50281.html |archive-date=2016-11-30}}</ref>。終いには大外から、サウンズオブアースやシュヴァルグランが追い込んでいたが、既にセーフティリードの独走を決めて、先頭は脅かされなかった<ref name="報知-2016年ジャパンカップ" /><ref name="優駿-2017-1-88" />。サウンズオブアースやシュヴァルグランに2馬身半差をつけて逃げ切りを果たした<ref name="報知-2016年ジャパンカップ" />。

==== 記録 ====
ジャパンカップを戴冠して東京競馬場を克服<ref>『優駿』2017年1月号 55頁</ref>、GI3勝目を挙げた<ref name="競馬ブック-2016年ジャパンカップ">{{Cite web |title=ジャパンCアラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/64947 |website=競馬ブック |access-date=2023-09-14}}</ref>。1984年[[カツラギエース]]、2003年[[タップダンスシチー]]に続いて13年ぶり史上3例目となるジャパンカップ逃げ切り優勝を成し遂げた<ref name="競馬ブック-2016年ジャパンカップ" />。1986年母父父サクラユタカオーが1番人気の立場で逃げ、捉えられて6着となってから30年後、その子孫が史上初めてとなるジャパンカップ1番人気の逃げ切りを果たしていた<ref name="優駿-2017-1-89">『優駿』2017年1月号 89頁</ref>。武は、1999年スペシャルウィーク、2006年ディープインパクト、2010年[[ローズキングダム]]に次いでジャパンカップ最多勝となる4勝目<ref name="優駿-2017-1-89" />。また北島'''三郎'''は、第'''36'''回「'''サブロー'''」のジャパンカップを優勝していた<ref>{{Cite web |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20161128/ope16112805070008-n3.html |title=【ジャパンC】これぞ天才!武で楽々ブラックV(3ページ) |access-date=2023-9-14 |publisher=[[サンケイスポーツ]]}}</ref>。

武は、接戦の勝利が多かったキタサンブラックが引き離して勝利したことに「ボクにとっても嬉しい意味での意外なもの<ref name="優駿-2017-1-20">『優駿』2017年1月号 20頁</ref>」と回顧しており、ジャパンカップは「これまで乗ったなかで一番強いパフォーマンス(中略)一戦ごとにどんどん良くなっている(中略)春に比べると走り自体が力強くなっていて、精神面も含めて競走馬としての充実期に入った<ref name="優駿-2017-1-20" />」と感じ取っていた。

=== 有馬記念 ===

==== サトノダイヤモンド ====
続いて12月25日、クリスマスの有馬記念に参戦する。前年とは異なり、古馬として3歳馬の挑戦を迎え撃つ立場となった。3歳馬の参戦は1頭だけだったが、その1頭が有力視されていた。ただ1頭の3歳馬とは、キタサンブラックの次代の菊花賞優勝馬である[[サトノダイヤモンド]]だった。宝塚記念を最後にドゥラメンテが引退し、ジャパンカップを独走した直後に現れた新しいライバルだった<ref name="優駿-2023-1-45">『優駿』2023年1月号 45頁</ref>。父はブラックタイドの弟ディープインパクトであり、ノーザンファームで生産され、2億3000万円という高額で取引されたエリートだった<ref name="優駿-2023-1-45" />。同じ菊花賞優勝馬ながら生い立ちや背景が全く異なる2頭は、対照的だった。例えば[[石田敏徳]]は、この2頭の関係を『[[巨人の星]]』の登場人物「[[星飛雄馬]]と[[花形満]]」で表していた<ref name="Number-キタサンサトノ二強">{{Cite web |title=愛されたライバル、キタサンブラックとサトノダイヤモンドは天皇賞・春でいかに決着したか?「マックイーンvsテイオー」以来の名勝負の裏側(2頁) |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/852844?page=2 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-09-28 |language=ja}}</ref>。
[[ファイル:Satono Diamond Kikuka Sho 2016(IMG1).jpg|サムネイル|253x253ピクセル|[[サトノダイヤモンド]]]]
サトノダイヤモンドは、クラシック三冠競走は、逸材揃いの「最強世代」と囃し立てられる中、全3戦すべて健闘した。3着、2着、1着と尻上がりに着順を上げて、最終戦の菊花賞優勝を果たしていた<ref name="優駿-2023-1-45" />。ブラックタイドやディープインパクトを管理した池江泰郎の息子である[[池江泰寿]]調教師が管理し、「サトノ」の冠名で知られる馬主[[里見治]]の所有だった。池江里見タッグは、サトノダイヤモンドのほかにもう1頭、6歳の[[サトノノブレス]]も参戦させており、多頭出し{{Efn|池江は、この2頭のほかに[[野田みづき]]所有、[[浜中俊]]騎乗の[[ミッキークイーン]]も出走させる、3頭出しを敢行していた。}}<ref name="優駿-2017-2-98" />で挑んでいた。サトノダイヤモンドには、フランス人の[[クリストフ・ルメール]]が、サトノノブレスには、同じくフランス人の[[ヴァンサン・シュミノー]]が騎乗していた<ref name="優駿-2017-2-98">『優駿』2017年2月号 98頁</ref>。

前年に先着を許したゴールドアクターとサウンズオブアースに加え、シュヴァルグランやマリアライトなど常連の古馬勢も一通り揃う中、注目は4歳キタサンブラックと3歳サトノダイヤモンドの菊花賞優勝馬対決に集中し、2頭のオッズは互角だった<ref name="優駿-2017-2-98" />。しかしサトノダイヤモンドに僅差で上回られて単勝オッズ2.6倍の1番人気となった。キタサンブラックは2.7倍で2番人気に甘んじていた<ref name="優駿-2017-2-98" />。

==== 展開 ====
{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=9tF8E1zpqMI&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2016年 有馬記念({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}

スタートからマルターズアポジーが飛ばして大逃げを敢行していた。一方1枠1番からスタートしたキタサンブラックは構わず、離れた2番手を確保<ref name="優駿-2017-2-98" />、マルターズアポジーは前半の1000メートルを61秒0で通過する平均ペースを演出していた<ref>{{Cite web |title=キタサンが屈したサトノの組織力。凱旋門賞ではチーム日本で勝利を。 |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/827143 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-09-17 |language=ja}}</ref>。キタサンブラックの背後には、ゴールドアクターが、そしてサトノダイヤモンドがいて、マークされる形に嵌められていたが<ref>『優駿』2017年2月号 23頁</ref>、マイペースを守りながら追走し、それらを引き付けていた。スタミナ勝負に持ち込むために、できる限り引き付けようと考えていた<ref name="Number-2016年有馬記念-サトノ">{{Cite web |title=キタサンが屈したサトノの組織力。凱旋門賞ではチーム日本で勝利を(2頁) |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/827143?page=2 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-09-17 |language=ja}}</ref>。しかし残り1000メートル、2周目の第3コーナーにて、フランス語の会話があったという<ref name="デイリー-2016年有馬記念-サトノ">{{Cite web |title=【有馬記念】キタサンブラック粘って2着“ブラック包囲網”に屈す/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2016/12/26/0009781463.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-09-18 |access-date=2023-09-17 |language=ja}}</ref>。突然、中団外側にいたサトノノブレスが「まくり」を開始していた<ref>{{Cite web |title=キタサンブラック狙われた「複雑」2着/有馬記念|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1756790&year=2016&month=12&day=26 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-09-17 |language=ja}}</ref>。

「まくり」をしたサトノノブレスにはすぐ外側にまで詰め寄り、キタサンブラックは「突っつかれる」形となった。2番手を譲るまいとしてペースを上げざるを得なくなり、マイペースをかき乱された<ref name="Number-2016年有馬記念-サトノ" />。サトノノブレスは、サトノダイヤモンドの進路を塞がないように「まくり」をして、結果としてサトノダイヤモンドを助ける展開を作っていた<ref name="Number-2016年有馬記念-サトノ" />。
[[ファイル:Satono Noblesse Chunichi Shimbun Hai 2016(IMG1).jpg|サムネイル|258x258ピクセル|[[サトノノブレス]](父:[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]])。<br/>2014年[[菊花賞]]にて[[エピファネイア]]に次ぐ2着となったほか、2015年[[日経新春杯]](GII)や[[小倉記念]](GIII)、2016年[[中日新聞杯]](GIII)、[[鳴尾記念]](GIII)を優勝した。]]
サトノノブレスによって、早めのペースアップを余儀なくされたキタサンブラックは、最終コーナー手前で大逃げのマルターズアポジーを捉えて先頭を奪取し、背後のゴールドアクターやサトノダイヤモンドを引き連れながらスパートを開始した<ref name="デイリー-2016年有馬記念-サトノ" />。直線では迫られたが抵抗し、内にキタサンブラック、中央のゴールドアクター、離れた外にサトノダイヤモンドという横一線を形成する競り合いに持ち込んだ<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】人気馬同士の叩き合い 3歳サトノダイヤモンドがキタサンブラック破る/平成有馬記念列伝(2016年)|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=148793 |website=netkeiba.com |access-date=2023-09-17 |language=ja}}</ref>。

残り1000メートルからペースが11秒台に上がる戦いで、争い続けた3頭は余力を尽くし<ref name="優駿-2017-2-24">『優駿』2017年2月号 24頁</ref>、終いは12秒1に失速していた<ref>『優駿』2017年2月号 99頁</ref>。それでもキタサンブラックは粘り、すぐ隣のゴールドアクターを争いから脱落させて先頭を守った<ref name="優駿-2017-2-16" /><ref name="優駿-2017-2-98" />。しかしゴール寸前、離れた外から末脚を伸ばしたサトノダイヤモンドに差し切られた<ref name="優駿-2017-2-24" /><ref name="優駿-2017-2-98" />。ゴールドアクターに半馬身先着を果たしたが、サトノダイヤモンドにクビ差敗れる2着だった<ref name="優駿-2017-2-98" />。サトノノブレスに「突っつかれ」、サトノダイヤモンドに差し切られる展開は、池江里見勢のフランス人騎手2人の連係プレーにやられた形となっていた<ref>{{Cite web |title=涙のルメール、3角悔やむ武豊キタサン 両雄の激闘は有馬から凱旋門賞へ |url=https://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201612250004-spnavi?p=3 |website=スポーツナビ |date=2023-09-11 |access-date=2023-09-17 |language=ja}}</ref><ref name="Number-2016年有馬記念-サトノ" /><ref name="産経-2016年有馬記念-サトノ">{{Cite web |title=【有馬記念】サブちゃん、悔しい「まつり」熱唱! キタサンブラック、首差の2着 武豊騎手、サトノ陣営の「組織力にやられたよ」 |url=https://www.sankei.com/article/20161225-3FMBDNEMRZPWLMU2JNJW67L22Q/ |website=産経ニュース |access-date=2023-09-17 |publisher=[[産業経済新聞]]}}</ref>。武は「サトノノブレスに突っつかれたのが痛かった。あのワンプレーがね<ref name="産経-2016年有馬記念-サトノ" />」と振り返り、池江里見勢の「組織力にやられたよ<ref name="産経-2016年有馬記念-サトノ" />」と回顧している。

== 5歳春(2017年) ==

=== 大阪杯 ===

==== 参戦の背景 ====
この年から中央競馬は、レース体系の改革され、古馬中長距離路線の拡充が実行し、新たに「'''大阪杯'''」を設けていた。旧来、春の古馬中長距離路線に設けられたGIは、5月の天皇賞(春)と6月の宝塚記念の2戦のみだった<ref name="優駿-2017-4-4">『優駿』2017年4月号 4頁</ref>。いずれも長距離に偏っており、時期的に4月、条件的に中距離路線が空白地帯だった。このため中距離馬、4月の出走を目論む馬などは、盛んに出走機会を外国に求めるようになっていた<ref name="優駿-2017-4-4" />。そこで4月に行われてきたGII競走、芝2000メートルという中距離の産経大阪杯を昇格させ、GI競走「大阪杯」を新設し、中距離馬の国内での出走機会増加が図られていた<ref name="優駿-2017-4-4" /><ref>{{Cite web |title=大阪杯G1昇格、2000メートル路線強化に一歩 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO14441800U7A320C1000000/ |website=日本経済新聞 |date=2017-03-25 |access-date=2023-09-26 |language=ja}}</ref>。これをもって春の古馬中長距離競走は3つとなり、天皇賞(春)、宝塚記念と束ねた3競走は、既に整備されている秋の天皇賞(秋)とジャパンカップ、有馬記念の秋の古馬三冠競走に倣って新しく「春の古馬三冠競走」と呼称されるようになっていた。三冠達成馬には、内国産馬ならば2億円、外国産馬ならば1億円の褒賞金も用意されていた<ref>{{Cite web |title=春の古馬3冠に褒賞金2億円 JRAが交付決定 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK30694_W6A111C1000000/ |website=日本経済新聞 |date=2016-11-16 |access-date=2023-09-26 |language=ja}}</ref>。

中長距離の活躍馬キタサンブラックの陣営もまた、4月上旬の出走は外国遠征、具体的にはドバイミーティング参戦も検討していた<ref name="優駿-2017-4-8">『優駿』2017年4月号 8頁</ref>。しかし前年の僅差で敗れた産経大阪杯と宝塚記念の無念があったことから国内に専念となり、リベンジの意味合いで前年と同じローテーション、この年から設けられた褒賞金のある「春の古馬三冠競走」に挑むこととなった<ref name="優駿-2017-4-8" />。清水は「有馬記念はもちろんなのですが、去年負けたレースをことしはぜんぶ取りたい。もっと言えば、出るところ、ぜんぶ勝ちたい{{ママ}}<ref>『優駿』2017年4月号 9頁</ref>」と決意して臨んでいた。「春の古馬三冠」に挑むにあたり、春季4戦を避けるべく前哨戦を使わず、一冠目の大阪杯に直行していた<ref name="優駿-2017-5-60">『優駿』2017年5月号 60頁</ref>。

==== 展開 ====
[[ファイル:マカヒキ(天皇賞).jpg|サムネイル|227x227ピクセル|[[マカヒキ (競走馬)|マカヒキ]](父:ディープインパクト)<br/>2016年の東京優駿(GI)や[[ニエル賞]](G2)を優勝。そして2021年の[[京都大賞典]](GII)も優勝する。]]
4月2日、昇格初年度となる大阪杯(GI)に参戦する。1歳年下の東京優駿優勝馬[[マカヒキ (競走馬)|マカヒキ]]、[[香港ヴァーズ]]と[[京都記念]]を連勝中の[[サトノクラウン]]、[[金鯱賞]]連覇の[[ヤマカツエース]]などが揃い、前年優勝アンビシャスとの同舞台での再戦も実現する14頭立てだった<ref name="優駿-2017-6-86">『優駿』2017年6月号 86頁</ref>。GIであるためにメンバーも揃い、[[マルターズアポジー]]やロードヴァンドールといった逃げを信条とする中距離馬も参戦していた<ref name="優駿-2017-5-6">『優駿』2017年5月号 6頁</ref>。長距離戦の逃げ馬キタサンブラックにとって、タイプの異なる中距離馬の逃げ馬との対決は、相手の本領である中距離戦においては初めてだった<ref name="優駿-2017-5-6" />。中距離戦挑戦に加えて、他に逃げ馬がいるという状況をどう克服できるか否かに大きな注目が集まっていた<ref name="優駿-2017-5-6" />。単勝オッズ2.4倍の1番人気だった<ref name="優駿-2017-6-86" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=k71XacWW5To&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2017年 大阪杯({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}スタートからマルターズアポジーやロードヴァンドールが飛ばす一方で、キタサンブラックは主張することなく、[[サクラアンプルール]]と並ぶ3番手を確保していた<ref name="優駿-2017-5-7">『優駿』2017年5月号 7頁</ref><ref name="優駿-2017-6-86" />。ハナを奪ったマルターズアポジーが後続を引き離す大逃げのような形になっていたが、前半の1000メートルは59秒6に落ち着き、大逃げながら平均ペースという展開となっていた<ref name="優駿-2017-5-7" /><ref name="優駿-2017-6-86" />。ペースが落ち着いたことで、後方を追走するマカヒキやアンビシャスなど折り合いに苦労する馬が続出していた<ref name="優駿-2017-5-7" />。
[[ファイル:Staphanos Shirayuri Stakes.jpg|サムネイル|[[ステファノス]](父:ディープインパクト)。<br/>重賞優勝は2014年富士ステークス(GIII)のみに留まったが、2015年[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]]や天皇賞(秋)など複数のGI級競走で2着となるなど善戦した。|259x259ピクセル]]
しかしキタサンブラックは、好位で折り合い、順調に追走していた<ref name="優駿-2017-5-7" />。最終コーナー手前から進出して、まず失速するロードヴァンドールを捉えて2番手に浮上<ref name="優駿-2017-6-86" />。直線に向いてスパートして、逃げるマルターズアポジーに詰め寄り、残り300メートル地点で先頭を奪取した<ref>『優駿』2017年5月号 10頁</ref><ref name="優駿-2017-6-86" />。背後には7番人気[[ステファノス]]や4番人気ヤマカツエースがいたが、持続するスパートで接近を許さなかった<ref name="優駿-2017-6-86" />。先頭を守り切り、ステファノスに4分の3馬身差をつけて決勝線を通過、大阪杯の初代王者に輝いていた<ref name="優駿-2017-6-86" />。

=== 天皇賞(春) ===

==== サトノダイヤモンドとの再戦 ====
続いて4月30日、天皇賞(春)に参戦する。連覇を目指す舞台だったが、前年の有馬記念で敗れた[[サトノダイヤモンド]]が立ちはだかった。サトノダイヤモンドは、始動戦の阪神大賞典でシュヴァルグランを下してからの参戦だった。新旧菊花賞優勝馬による京都競馬場での対決が実現し、2頭は共に有力視されて「二強」と目されていた<ref name="優駿-2017-6-94">『優駿』2017年6月号 94頁</ref>。

どちらも前哨戦を制して順調な2頭による争いは注目され、無敗の二冠馬で産経大阪杯優勝から臨む[[トウカイテイオー]]と、天皇賞春秋連続1位入線中で阪神大賞典優勝から臨むメジロマックイーンが激突し「世紀の対決」とも呼ばれた1992年天皇賞(春)以来となる「二強」による対決となっていた<ref name="Number-キタサンサトノ二強" />。他にゴールドアクターやシュヴァルグラン、日経賞優勝の[[シャケトラ]]などが揃う17頭立てだったが、人気は「二強」に集中していた。僅かにキタサンブラックが上回って2.2倍の1番人気となり、サトノダイヤモンドは2.5倍の2番人気だった<ref name="優駿-2017-6-94" />。ただし1番人気は、2006年ディープインパクトの優勝を最後に10連敗中となっており、縁起の悪いジンクスとして存在していた<ref name="日刊-2017年天皇賞(春)">{{Cite web |title=キタサンブラック最速連覇、ディープ超えた/天皇賞|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1816147&year=2017&month=05&day=01 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-09-28 |language=ja}}</ref>。

==== 展開 ====
{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=Zc40b8HebaA&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2017年 天皇賞(春)({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}2枠3番からスタートして先行、大外枠から飛ばして大逃げに持ち込むヤマカツライデンに前を譲り、離れた2番手を確保した<ref name="優駿-2017-6-94" /><ref name="優駿-2017-6-69">『優駿』2017年6月号 69頁</ref>。ヤマカツライデンは、序盤の1000メートルを58秒3、中盤の2000メートルを1分59秒7で通過する超ハイペースで大逃げを敢行し<ref name="優駿-2017-6-94" />、それにつられて2番手以下も、ヤマカツライデンほどではないがハイペースとなっていた<ref name="優駿-2017-6-69" />。道中ペースが極端に緩むことなく進行していた<ref>{{Cite web |title=【天皇賞・春】キタサン導いた8勝!やっぱり春の盾は武 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20170501/ope17050105070007-n1.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-05-01 |access-date=2023-09-28 |language=ja-JP}}</ref>。

2周目の第3コーナーからはヤマカツライデンが失速し、後は2番手キタサンブラック以下による争いとなっていた<ref name="優駿-2017-6-94" />。キタサンブラックは、その第3コーナーに設けられた坂の下りを活用してスパートし、最終コーナー手前の残り600メートルでヤマカツライデンを捉え、早めに先頭を奪取していた<ref name="Number-キタサンサトノ二強-3">{{Cite web |title=「あのキタサンブラックはディープインパクトでも差せないよ」 天皇賞・春で激突したライバル・サトノダイヤモンド陣営が“敗北を認めた日”(3頁) |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/852845?page=3 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-09-28 |language=ja}}</ref><ref name="優駿-2017-6-69" />。

ハイペースゆえに各馬が終いに失速する消耗戦の様相を呈する中、キタサンブラックは、他の馬の追い上げを待つことなく自ら進んでスパートし、リードを築いていた<ref name="Number-キタサンサトノ二強-3" /><ref name="優駿-2017-6-69" />。展開には抗えず終いはさすがに失速した<ref name="優駿-2017-6-69" />。直線では背後からシュヴァルグラン、外からサトノダイヤモンドが先頭目指して追い込んでいた<ref name="優駿-2017-6-94" />。しかし粘ってそれらを寄せ付けず、他も失速に追い込んでリードを守り切っていた<ref name="優駿-2017-6-94" /><ref name="優駿-2017-6-69" />。シュヴァルグランらに1馬身4分の1差をつけて先頭で決勝線を通過<ref name="優駿-2017-6-94" />。サトノダイヤモンドに雪辱を果たしていた<ref name="日刊-2017年天皇賞(春)" />。

==== 記録 ====
1991年92年メジロマックイーン、2000年01年テイエムオペラオー、2013年14年[[フェノーメノ]]に次いで史上4頭目となる天皇賞(春)連覇を成し遂げてGI5勝目を果たしていた<ref name="優駿-2017-6-70">『優駿』2017年6月号 70頁</ref>。2006年ディープインパクト以来11年ぶりとなる1番人気による天皇賞(春)優勝でジンクスを打ち破っていた<ref name="優駿-2017-6-95">『優駿』2017年6月号 95頁</ref>。また武も連覇を果たして天皇賞(春)8勝目を挙げ、保田隆芳の天皇賞(秋)7勝を上回る同一GI級競走最多優勝記録を樹立<ref>{{Cite web |title=【天皇賞・春】連覇は4頭目!1番人気Vはディープ以来 武豊は最年長V|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2017/04/30/kiji/20170430s00004048395000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-09-28 |language=ja}}</ref><ref name="優駿-2017-6-95" />。さらに48歳1か月の勝利で、天皇賞(春)最年長騎手優勝記録も樹立していた<ref name="優駿-2017-6-70" />。

そしてキタサンブラックは、前年を2.8秒上回る3分12秒5で走破していた。また、2006年ディープインパクトの3分13秒4も0.9秒上回って、中央競馬レコードを大幅に更新{{Efn|3分13秒4を記録した2006年のディープインパクトは、「長年、不可侵とされた」(藤井正弘)レコードである1997年[[マヤノトップガン]]の3分14秒4を1秒更新していた。ディープインパクトも長くレコードを守り、2006年以後10年では13秒台を記録したのは、2012年[[ビートブラック]]のみと寄せ付けていなかった。しかし2017年、飛躍した12秒台を記録したキタサンブラックにレコードを明け渡した。}}<ref name="優駿-2017-6-95" />していた<ref>『優駿』2017年6月号 68頁</ref>。この日の京都競馬場は、高速決着の傾向ではあった<ref name="優駿-2017-6-70" />。しかし有吉正徳は「それを差し引いても、天皇賞の新記録は驚異的<ref name="優駿-2017-6-70" />」だったと評している。北島は「レコードを出すのは私の仕事<ref name="日刊-カタオカ">{{Cite web |title=北島三郎感動「まつり」なしも響く凱歌/天皇賞|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1816154&year=2017&month=05&day=01 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>」だと述べていた。

=== 三冠逃す ===
設置初年度の「春の古馬三冠」に王手をかけて、最終関門である宝塚記念に参戦する。陣営は「春の古馬三冠」挑戦を早々に表明したが、この頃はまだ次なる秋季のローテーションを決めかねていた。具体的には外国遠征、フランスの凱旋門賞挑戦という選択肢が浮上していた。出馬登録は行い、正式な挑戦表明こそないものの、陣営は度々凱旋門賞挑戦の意欲をちらつかせていた<ref>『優駿』2017年6月号 71頁</ref>。ライバルのサトノダイヤモンドは外国、フランスの凱旋門賞遠征を早々に決めて、遠征に専念するために、宝塚記念参戦を見送っていた。

6月25日の宝塚記念は、稍重馬場の11頭立てだった。天皇賞(春)9着に下したシャケトラ、大阪杯6着のサトノクラウンのほか、ミッキークイーンやゴールドアクター、シュヴァルグランなどとの再戦となる中、三冠懸かるキタサンブラックは単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に推されていた<ref name="優駿-2017-8-57">『優駿』2017年8月号 57頁</ref>。相手には戦法が競合するような逃げ馬がいないと考えられて、思い通りに展開できると予想されていたことや、5歳春にして右肩上がりのパフォーマンスを見せていたことから、断然の信頼を集めていた<ref name="優駿-2017-8-57" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=IPb-p1BvHZs&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2017年 宝塚記念({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}しかし実際は、思い通りにいかなかった。外枠のスタートからシュヴァルグランにハナを奪われ、シャケトラにも前を譲る好位の外側3番手に甘んじ、シュヴァルグランの作り出すペースに従って追走した<ref name="優駿-2017-8-58">『優駿』2017年8月号 58頁</ref>。序盤は先行馬有利の落ち着いたペースだった<ref name="Number-2017年宝塚記念">{{Cite web |title=キタサンを見ていたサトノクラウン。宝塚の運命を変えたデムーロの腕力。 |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/828333 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-09-28 |language=ja}}</ref>。ところが向こう正面に差し掛かった中盤においてペースが上がっていた<ref name="優駿-2017-8-58" />。好位外側に位置していたが、さらに外側からサトノクラウンが早めに進出していた。キタサンブラックのすぐ外側にまで接近され「突っつかれる」形となり、進出を余儀なくされた<ref name="netkeiba-デイリー-2017年宝塚記念">{{Cite web |title=【宝塚記念】道悪&鞍上の頭脳プレーでクラウン戴冠 ブラックは弱点露呈か|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=123303 |website=netkeiba.com |access-date=2023-09-28 |language=ja}}</ref><ref name="優駿-2017-8-58" />。進出に逃げるシュヴァルグラン、2番手シャケトラが呼応し、中盤の早い段階からペースが上がり、消耗戦の様相を呈していた<ref name="優駿-2017-8-58" />。

2番手に浮上して第3コーナー、最終コーナーをこなした。そして直線では先頭で並ぶシャケトラとスパートしたが、共に伸びを欠いて失速し、先頭を明け渡した<ref name="Number-2017年宝塚記念" />。シャケトラは粘りを見せていたが、キタサンブラックは手応えなく後退した<ref name="優駿-2017-8-58" />。代わりに「突っついて」消耗戦を演出するきっかけを作った後、自身は中団に留まって終いに賭けたサトノクラウンが先頭を奪取していた<ref name="netkeiba-デイリー-2017年宝塚記念" />。さらに終始後方にいたゴールドアクターにも進出を許し、その他大勢にもかわされた<ref name="優駿-2017-8-58" />。
[[ファイル:Satono Crown Takarazuka kinen 2017(IMG1).jpg|サムネイル|サトノクラウン]]
優勝したサトノクラウンに約8馬身後れを取る9着に敗れ「春の古馬三冠」を逃していた<ref name="Number-2017年宝塚記念" />。陣営は、この凡走についてはっきりとした敗因を挙げることができなかった<ref name="優駿-2017-8-58" />。軍土門隼夫は、馬場や展開、天皇賞(春)のレコード明け初戦の疲労など様々な要因が考えられることから「たぶん理由は複合していて、単純にこれだとは決められないのだ<ref>『優駿』2017年8月号 59頁</ref>」と表している<ref name="優駿-2017-8-58" />。この敗戦により、温めていた凱旋門賞参戦計画は立ち消えとなり、秋季は国内専念が決定した<ref>{{Cite web |title=キタサンブラック9着大敗…凱旋門賞は断念 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20170625/ope17062517360006-n1.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-06-25 |access-date=2023-09-28 |language=ja-JP}}</ref>。

== 5歳秋(2017年) ==

=== 天皇賞(秋) ===

==== 背景 ====
夏休みを挟んだ秋は、天皇賞(秋)とジャパンカップ、有馬記念で構成される「秋の古馬三冠競走」へ参戦することとなった。また陣営から、年内での引退と翌年からの種牡馬転身も予告され「秋の古馬三冠競走」が最後の出走であることが決定した<ref>{{Cite web |title=キタサンブラック引退へ 16年度代表馬、有馬記念を最後に |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50213_Q7A021C1000000/ |website=日本経済新聞 |date=2017-10-20 |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。

まず初戦、10月29日の天皇賞(秋)は、[[2017年の台風#台風22号(サオラー)|台風22号]]の接近に伴う大雨のために馬場は不良だった<ref name="優駿-2017-12-92">『優駿』2017年12月号 92頁</ref>。武豊騎乗のメジロマックイーンが1位入線も降着し、代わりに2位入線[[江田照男]]騎乗の[[プレクラスニー]]が優勝した1991年以来、26年ぶりとなる不良馬場の天皇賞(秋)だった。馬場は極度に悪く、「未曽有の悪コンディション<ref name="優駿-2017-12-31">『優駿』2017年12月号 31頁</ref>」(三好達彦)「究極の悪路<ref>{{Cite web |title=キタサンブラック、悪路で強さ 天皇賞春秋連覇 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22859420Z21C17A0UU2000/ |website=日本経済新聞 |date=2017-10-29 |access-date=2023-09-28 |language=ja}}</ref>」(野元賢一)だったという。戦前は、この極悪馬場への対応力が一つの焦点となっていた<ref name="優駿-2017-12-31" />。再起初戦のキタサンブラックは、初めてとなる不良馬場だった<ref name="デイリー-2017年天皇賞(秋)">{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2017/10/30/0010688175.shtml |title=【天皇賞】ユタカ神業V 極悪馬場&発馬後手も冷静騎乗でブラック導く |access-date=2023-9-30 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20171101221216/https://www.daily.co.jp/horse/2017/10/30/0010688175.shtml |archive-date=2017-11-1}}</ref>。大敗明け、しかも稍重馬場の宝塚記念で9着だったことから、不良馬場の適性を疑問視する人も少なくなく、これまでのような信頼は集められなかった<ref name="優駿-2017-12-31" />。

18頭立てとなる中、対抗馬は稍主の宝塚記念を優勝したサトノクラウンだった<ref name="優駿-2017-12-31" />。稍重馬場では重賞3勝、さらに重馬場の2016年[[京都記念]]を優勝するなど、既に馬場適性を証明しており信頼を集めていた<ref name="優駿-2017-12-31" />。キタサンブラックは1番人気を守ったものの単勝オッズ3.1倍、サトノクラウンが4.0倍の2番人気だった<ref name="優駿-2017-12-92" />。そのほかリアルスティール、3歳牝馬[[ソウルスターリング]]、[[グレーターロンドン (競走馬)|グレーターロンドン]]、ヤマカツエース、[[ネオリアリズム (競走馬)|ネオリアリズム]]、マカヒキなどが揃っていた<ref name="優駿-2017-12-92" />。雨が降りしきって水浸しの馬場で発走時間を迎え、[[メジロタイヨウ]]が優勝した1969年以来48年ぶりとなる、雨中で不良馬場の天皇賞(秋)となった<ref>{{Cite web |title=キタサンブラック春秋連覇 武神騎乗だ/天皇賞・秋|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=201710300000145&year=2017&month=10&day=30 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-09-28 |language=ja}}</ref>。

==== 展開 ====
{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=JoPiSS5VJWg&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2017年 天皇賞(秋)({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=F1uXA1Y1Vmc 2017年 天皇賞(秋)({{GI}})<br />レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画]}}この日のキタサンブラックは、テンションが高かった。4枠7番のゲートに収まったが、冷静にスタートを待つこと「駐立」ができなかった<ref name="日刊-駐立">{{Cite web |title=馬によってバラバラ 駐立を注意深く見ると面白い|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/member/news/news.zpl?topic_id=10069&id=201802060000421&year=2018&month=2&day=6 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-10-09}}</ref>。キタサンブラックは、体を扉に正対するのではなく、斜めにしながら「駐立」しゲートを飛び出す習慣があった<ref name="日刊-駐立" />。しかしこの日は、他の馬がゲートで暴れており、それに気を取られていた<ref name="日刊-駐立" />。斜めではなく正対になってしまい、再度斜めに戻そうとしていた<ref name="日刊-駐立" />。「駐立」が乱れた直後、前扉に突進して大きくバランスを崩した頃にゲートが開き、キャリアで初めてとなる出遅れを喫していた<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】「キタサンブラック 王者のままで~名馬への歩み~」<6>極悪馬場も出遅れも、武豊との絆で乗り越えた17年天皇賞・秋 |url=https://umatoku.hochi.co.jp/articles/20171222-OHT1T50182.html |website=スポーツ報知 |date=2017-12-23 |access-date=2023-10-09 |language=ja}}</ref>。既にロードヴァンドールがハナを取り切るなどしており、先行策が封じられて後方追走を余儀なくされた<ref>{{Cite web |title=【天皇賞・秋】キタサンブラックが史上2頭目の天皇賞3勝目 |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20171029/ope17102915460005-n2.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-10-29 |access-date=2023-10-09 |language=ja-JP}}</ref>。

従来の戦法が使えない事態に陥ったが、武は事前に善後策を考えていた。誰もが避ける馬場の悪い内側に、敢えて取り入り、折り合いをつけて中団を追走していた<ref name="優駿-2017-12-29">『優駿』2017年12月号 29頁</ref>。幸運にも不良馬場で落ち着いたペースになっており、容易に挽回することが可能だった<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2017/10/29/0010687398.shtml |title=【天皇賞戦評】春レコードV、秋最遅時計Vでキタサンブラックが春秋盾制覇 |access-date=2023-9-30 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20171102003939mp_/https://www.daily.co.jp/horse/2017/10/29/0010687398.shtml |archive-date=2017-11-2}}</ref>。第2コーナー通過は11番手だったが、向こう正面を使って押し上げて、第3コーナーを5番手で通過<ref name="優駿-2017-12-92" />。続くワンターンでは、馬場のきれいな外側を走る各馬を尻目に最も内側を突き、コーナーワークを駆使していた<ref name="デイリー-2017年天皇賞(秋)" />。最終コーナーを2番手で通過するまで挽回して直線に向き、好位を追走するサトノクラウンの背後を得ていた<ref name="優駿-2017-12-92" />。
{| class="wikitable" style="float:right; font-size:smaller; text-align:center; margin:10px"
|+第156回天皇賞(秋)(GI)<ref name="優駿-2017-12-92" />
! rowspan="2" |着順
! rowspan="2" |馬名
! rowspan="2" |性齢
! rowspan="2" |タイム
着差
! colspan="3" |コーナー通過
! rowspan="2" |上り
! rowspan="2" |騎手
! rowspan="2" |斤量
! rowspan="2" |人気
|-
!2
!3
!終
|-
|1
|'''キタサンブラック'''
|'''牡5'''
|'''2:08.3'''
|'''11'''
|'''5'''
|'''2'''
|'''38.5'''
|'''[[武豊]]'''
|'''58'''
|'''7'''
|-
|2
|[[サトノクラウン]]
|牡5
|クビ
|7
|2
|2
|38.6
|[[ミルコ・デムーロ|M.デムーロ]]
|58
|1
|-
|3
|[[レインボーライン (競走馬)|レインボーライン]]
|牡4
|2馬身1/2
|10
|12
|5
|38.7
|[[岩田康誠]]
|58
|3
|}
直線では、比較的内側を選択したはずのサトノクラウンと、最も内側を突いたキタサンブラックが並び立った。キタサンブラックが半歩先行する形となり、早めの先頭奪取となっていた<ref name="優駿-2017-12-92" />。各馬が状態の良い外側に進路を求める中、例外なくキタサンブラックも外側に斜行し、馬場の中央に持ち出してスパートした。早めのスパートでサトノクラウンに一歩先行し、やがてサトノクラウンの正面を得て、単独先頭を得ていた。ゴール手前になると早めのスパートが仇となって精神力が尽き、後れていたサトノクラウンの反撃を許した<ref name="優駿-2017-12-92" />。外に斜行したキタサンブラックとは正反対に、内に斜行したサトノクラウンに<ref>{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2017/10/30/0010688177.shtml |title=【天皇賞】サトノクラウン2着 ブラックと直線叩き合い首差惜敗 |access-date=2023-9-30 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20171101221223/https://www.daily.co.jp/horse/2017/10/30/0010688177.shtml |archive-date=2017-11-1}}</ref>、残り200メートルで並ばれ、横並びの競り合いとなった<ref>{{Cite web |title=【天皇賞】ブラック記録ずくめV 極悪馬場まさかの出遅れから完全復活|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2017/10/30/kiji/20171029s00004048507000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-09-30 |language=ja}}</ref>。それでも粘って先頭を守り、リードをクビ差だけ残して、先頭で決勝線を通過していた<ref name="優駿-2017-12-92" />。

==== 記録 ====
史上9頭目となるJRAGI6勝目、1988年[[タマモクロス]]や1999年スペシャルウィーク、2000年テイエムオペラオー、2007年メイショウサムソンに次いで10年ぶり史上5頭目となる天皇賞春秋連覇を果たした<ref name="ありキタ-89">『ありがとう キタサンブラック』89頁</ref>。また2000年春秋、2001年春を優勝したテイエムオペラオー以来史上2頭目となる天皇賞3勝を果たした。また武は、1989年スーパークリーク、1997年[[エアグルーヴ]]、1999年スペシャルウィーク、2007年メイショウサムソン、2008年[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]に続いて天皇賞(秋)6勝目<ref>{{Cite web |title=【天皇賞・秋】キタサンブラックが史上2頭目の天皇賞3勝目 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20171029/ope17102915460005-n1.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-10-29 |access-date=2023-09-28 |language=ja-JP}}</ref>、天皇賞14勝目を果たしていた<ref name="競馬ブック-2018年天皇賞(秋)">{{Cite web |title=天皇賞(秋)アラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/66583 |website=競馬ブック |access-date=2023-09-28}}</ref>。

またキタサンブラックは、芝の2000メートルを2分8秒3で走破していた<ref name="優駿-2018-2-22">『優駿』2018年2月号 22頁</ref>。2分8秒3は、天皇賞(秋)が2000メートル戦となった1984年以降で最も遅い決着だったあの1991年、メジロマックイーンが2分2秒9で走破しながら降着し、プレクラスニーが優勝した2分3秒9を下回り、優勝のプレクラスニーよりも4.4秒<ref name="優駿-2017-12-31" />、1位入線メジロマックイーンよりも5.4秒遅い<ref name="優駿-2018-2-22" />、いわゆる「逆レコード」を樹立していた<ref name="優駿-2018-2-22" />。春をレコードで、秋を'''逆'''レコードで天皇賞を連覇する特異なパフォーマンスを披露していた<ref name="優駿-2018-2-22" />。グレード制導入以降、芝の不良馬場で行われたGIは2018年末までに14競走存在していたが、別のGIにてレコード樹立したのは、キタサンブラックが史上初めての例だった<ref name="優駿-2018-2-232">『優駿』2018年2月号 232頁</ref>。

=== ジャパンカップ ===
続いて11月26日のジャパンカップを目指した。ただ11月8日、武が落馬し膝の右膝内側側副靭帯を負傷していた<ref name="日刊-武豊-負傷">{{Cite web |title=武豊「治療と静養に努める」右膝負傷で今週騎乗自重|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=201711100000154&year=2017&month=11&day=10 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-09-29 |language=ja}}</ref>。1週間の離脱を余儀なくされ、11月12日の[[スマートレイアー]]に騎乗するエリザベス女王杯などは乗り替わりが発生していた<ref name="日刊-武豊-負傷" />。武は離脱の間、キタサンブラックの騎乗を支えにリハビリしていた<ref name="日刊-有馬記念-引退">{{Cite web |title=【G1復刻】キタサンブラック有終7冠 北島オーナーも感動の涙/有馬記念|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=202112160000541&year=2021&month=12&day=24 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-09-29 |language=ja}}</ref>。患部に高周波温熱療法や高気圧酸素治療などを駆使して翌週、つまりジャパンカップの前週に復帰を果たしていた<ref name="優駿-2018-1-24">『優駿』2018年1月号 24頁</ref>。復帰直後の11月19日には、[[マイルチャンピオンシップ]]でお手馬で有力視された[[エアスピネル]]に騎乗する予定があったが、エアスピネル陣営は、乗り替わりを選択<ref>{{Cite web |title=【マイルCS】エアスピネル、武豊からムーアに乗り替わり |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20171115/ope17111510180009-n1.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-11-15 |access-date=2023-09-29 |language=ja-JP}}</ref>。代わりにキタサンブラックと同じ清水厩舎の[[ジョーストリクトリ]]で参戦していた<ref>{{Cite web |title=【マイルCS】ストリクトリ 坂路で12秒6「上積み見込み」|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2017/11/16/kiji/20171115s00004192350000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-09-29 |language=ja}}</ref>。武は他レースの騎乗をなるべく控えるなどして、キタサンブラックのコンビ継続を叶えていた<ref name="優駿-2018-1-24" />。
[[ファイル:Rey de Oro Tokyo Yushun 2017(IMG1).jpg|サムネイル|レイデオロ]]
11月26日、連覇が懸かるジャパンカップに挑んだ。サトノクラウンやソウルスターリング、シュヴァルグランなどとの再戦となる他、この年の東京優駿優勝馬、つまり2歳年下のダービー優勝馬である[[レイデオロ]]も参戦していた<ref>『優駿』2018年1月号 88頁</ref>。4頭の外国調教馬を迎える17頭立てだったが、人気の中心は日本調教馬たちだった<ref name="優駿-2018-1-88">『優駿』2018年1月号 88頁</ref>。キタサンブラックは、不良の天皇賞(秋)直後だったが、信頼揺るがず2年連続の1番人気、単勝オッズ2.1倍。以下の人気はレイデオロ、サトノクラウンなどと続いていた<ref name="優駿-2018-1-88" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=gME7uRTI4tY&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2017年 ジャパンカップ({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}2枠4番から出遅れることなくスタートを切り、ハナを奪取して逃げに出ていた<ref>『優駿』2018年1月号 66頁</ref>。道中は緩みのないラップを刻んで逃げていた<ref name="優駿-2018-1-88" />。武は馬場の傾向を考えて決着タイムを「2分23秒台」になると想定して積極的に運び、前半の1000メートルを、優勝した前年よりも1秒以上速いペースで刻んでいた<ref>『優駿』2018年1月号 19頁</ref>。先頭を守ったまま、ペースを上げながら最終コーナーを通過し、逃げ切りを目指した<ref name="優駿-2018-1-67">『優駿』2018年1月号 67頁</ref>。
[[ファイル:Rey de Oro Japan Cup 2017.jpg|サムネイル|301x301ピクセル|直線の攻防(右)逃げるキタサンブラック(黒帽)(中)シュヴァルグラン(白帽1番)(左)レイデオロ(白帽2番)]]
直線では、ほとんどの馬はキタサンブラックについてこれず脱落し、しばらく独走する形となった<ref name="優駿-2018-1-67" /><ref name="優駿-2018-1-88" />。しかし好位を追走していたシュヴァルグラン、後方から追い込むレイデオロがスパートすると、接近されて先頭を脅かされた<ref name="優駿-2018-1-67" />。残り200メートル付近で2頭に並ばれた<ref name="優駿-2018-1-67" />。キタサンブラックは内側にふらつきながら抵抗したが、追い上げる2頭の末脚が鋭く、残り100メートル付近でシュヴァルグランにもう一伸びを許して先頭を明け渡し、さらにゴール寸前でレイデオロにも差し切られた<ref name="優駿-2018-1-23">『優駿』2018年1月号 23頁</ref><ref name="優駿-2018-1-20">『優駿』2018年1月号 20頁</ref>。

武の想定通り2分23秒台での決着だったが、優勝したシュヴァルグランに1馬身4分の1差以上、レイデオロにクビ差後れを取る3着となり、連覇を逃した<ref name="優駿-2018-1-88" />。単独先頭では気を抜く癖があり、並ばれてからの粘りがキタサンブラックの本領だったが、この日はいつもの粘りが見られなかった<ref name="優駿-2018-1-23" /><ref name="優駿-2018-1-20" />。
[[ファイル:Japan Cup final stretch (23881145907).jpg|サムネイル|253x253ピクセル|直線、左前脚で踏み込む様子]]
粘りがなく敗れた原因は、レース中に左前脚の蹄鉄が緩んだために、脚元がおぼつかなく、満足に走れなかったためであると考えられた<ref name="優駿-2018-1-23" /><ref name="優駿-2018-1-20" />。レース中は蹄鉄の欠落「落鉄」しなかったが、決勝線を通過してか「落鉄」していた<ref name="優駿-2018-1-23" />。武は直接「落鉄」と敗戦の因果は不明とし、続けて「力負けとは思っていません<ref name="優駿-2018-1-23" />」と回顧していた。

=== 有馬記念 ===

==== 展開 ====
[[ファイル:Suave Richard Osaka Hai 2018(IMG1).jpg|サムネイル|238x238ピクセル|[[スワーヴリチャード]]]]
12月24日、引退レースであるクリスマスイヴの有馬記念に挑んだ<ref name="優駿-2018-2-76">『優駿』2018年2月号 76頁</ref>。ジャパンカップの後、厩舎ではこれまで一度も使用していなかった回復用の筋肉注射を二回使い、万全の状態で最終戦を迎えていた<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】キタサン有終、武が飾った!有馬最多タイ3勝(3頁) |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20171225/ope17122505080006-n3.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-12-25 |access-date=2023-10-04 |language=ja-JP}}</ref>。シュヴァルグランやサトノクラウン、ミッキークイーン、シャケトラ、サウンズオブアースなど常連古馬との対決となった<ref name="優駿-2018-2-98">『優駿』2018年2月号 98頁</ref>。また[[スワーヴリチャード]]や[[サトノクロニクル]]、[[ブレスジャーニー]]という3歳馬3頭とは初対決となった<ref name="優駿-2018-2-98" />。なかでもスワーヴリチャードは対抗馬に挙げられた<ref name="優駿-2018-2-76" />。この年の東京優駿にてレイデオロに次ぐ2着、古馬相手にアルゼンチン共和国杯優勝という実績があった<ref name="優駿-2018-2-76" />。キタサンブラックが単勝オッズ1.9倍の1番人気となり、次いでスワーヴリチャード、シュヴァルグラン、サトノクラウンという人気順だった<ref name="優駿-2018-2-98" /><ref name="優駿-2018-2-76" />。直前に行われた枠順を決める抽選会では、武自らが抽選に参加して有利とされる内枠、1枠2番を引き当てていた<ref>{{Cite web |title=武豊「一番欲しかった」神の手で1枠2番/有馬記念|極ウマ・プレミアム |url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=201712220000102&year=2017&month=12&day=22 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=1sEPPkb5c38&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 2017年 有馬記念({{GI}})<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=VuewgCzd84E&t=0s&pp=ygUT5pyJ6aas6KiY5b-144CAMjAxNw%3D%3D 2017年 有馬記念({{GI}})<br />レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画]}}

内枠から好スタートを切って先行しスムーズにハナを奪い、逃げる形となった<ref name="優駿-2018-2-76" />。行きたがる面もあったがすぐに折り合いを実現していた<ref name="優駿-2018-2-76" />。道中はマイペースに持ち込み、ハロンタイム13秒台を連発するほど減速することに成功し<ref name="優駿-2018-2-76" />、前半の1000メートルを61秒6で通過するスローペースとなった<ref name="優駿-2018-2-98" />。後続に仕掛けを許さない絶妙なペースを実現して、付き従い続けて先頭を守り続けた<ref name="優駿-2018-2-77">『優駿』2018年2月号 77頁</ref>。残り1000メートルからペースを上げて、最後の直線コースに向いてすぐに他の馬を待たずにスパートすると、後続を突き放していた<ref name="優駿-2018-2-98" />。後れて追い上げるクイーンズリングやシュヴァルグランなどを寄せ付けないままに決勝線に到達。それらに1馬身半差をつける逃げ切りを果たした<ref name="優駿-2018-2-98" />。[[ファイル:第62回有馬記念優勝馬キタサンブラック.jpg|サムネイル|276x276ピクセル|有馬記念]]

==== 有終の美 ====
1974年[[タニノチカラ]]、1992年[[メジロパーマー]]、1995年[[マヤノトップガン]]、2008年[[ダイワスカーレット]]に続いて史上5頭目となる逃げ切りでの有馬記念優勝を果たした<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】キタサン有終、武が飾った!有馬最多タイ3勝(3頁) |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20171225/ope17122505080006-n4.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-12-25 |access-date=2023-10-04 |language=ja-JP}}</ref>。三回目の挑戦にして初めてとなる有馬記念、グランプリ戴冠を成し遂げた。2004年[[ゼンノロブロイ]]以来13年ぶり史上13頭目となる天皇賞(秋)優勝馬による同年有馬記念優勝だった<ref name="競馬ブック-2017有馬記念" />。また2000年テイエムオペラオー以来史上2頭目となる同一年の天皇賞春秋連覇及び有馬記念優勝を果たしていた<ref name="競馬ブック-2017有馬記念" />。この勝利により、シンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクト、ウオッカに並び史上最多タイとなるJRAGI7勝目([[#勝利数|後述]])を挙げ、テイエムオペラオーを上回るJRA最多獲得賞金記録([[キタサンブラック#獲得賞金|後述]])を樹立していた。

最後のレースを勝利で飾り、競走馬を引退した。有馬記念終了直後には、競馬場に居残る約5万人を前にして「お別れセレモニー」が行われた<ref name="優駿-2018-2-77" />。そして翌2018年1月7日、京都競馬場の最終レース終了後、約1万8000人が見届ける引退式が行われた<ref>{{Cite web |title=さらばキタサンブラック…京都競馬場で引退式 武豊、親子2代でのG1制覇誓う/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2018/01/08/0010877860.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-10-09 |access-date=2023-10-09 |language=ja}}</ref>。GI勝利数「7」のゼッケンを着用し、天皇賞(春)とジャパンカップ、有馬記念で着用し優勝した白帽に勝負服姿の武が跨った姿が披露された<ref name="優駿-2018-2-153">『優駿』2018年2月号 153頁</ref>。

== 種牡馬時代 ==

=== 供用 ===
競走馬引退後は、北海道安平町の[[社台スタリオンステーション]]で種牡馬となった。社台グループ・ノーザンファームの[[吉田勝己]]は、2017年天皇賞(春)を日本レコードで制した直後に、オーナーサイドに種牡馬入りと、社台スタリオンステーション入りの交渉を始めていた<ref name="優駿-2018-3-14">『優駿』2018年3月号 14頁</ref>。北島は、翌2018年の現役続行も考えていたが、吉田が説得に成功し、2017年末での引退と社台スタリオンステーション入りを勝ち取っていた<ref name="優駿-2018-3-14" />。

キタサンブラックの曾祖母、祖母であるティズリーやオトメゴコロは、もともと社台グループの牝馬であり、サクラバクシンオーも社台スタリオンステーション繋養、さらにブラックタイドも社台ファーム生産であり、キタサンブラックはヤナガワ牧場を経由して社台グループに舞い戻った形となった<ref name="優駿-2018-3-14" />。所有権は大野商事が保持したままだが、種牡馬としての運営管理は、シンジケートの形式が採用された<ref name="優駿-2018-3-14" />。吉田を代表に大野商事、そして大手牧場や有力馬主、ヤナガワ牧場も参加した全60株、総額13億5000万円のシンジケートが結成された<ref name="優駿-2018-3-14" /><ref name="優駿-2018-3-17">『優駿』2018年3月号 17頁</ref>。引退と繋養先が発表されるとすぐに、社台スタリオンステーションの電話は鳴り止まなくなる人気だったという<ref name="優駿-2018-3-15">『優駿』2018年3月号 15頁</ref>。

初年度は130頭と交配し、2年目は110頭、3年目には92頭と右肩下がりで二桁に落ち込み、4年目102頭に留まった。しかし初年度産駒が2021年夏から走り出して実績を積み上げると、再評価されるようになり、翌2022年、5年目には178頭に増加した<ref name="日刊-種付け数">{{Cite web |title=キタサンブラック人気種牡馬の地位確立 23年交配242頭で社台SSトップ - 競馬 : 日刊スポーツ |url=https://www.nikkansports.com/keiba/news/202308260000285.html |website=nikkansports.com |access-date=2023-10-03 |language=ja |last=松田直樹}}</ref><ref name="日刊-種付け数" />。これまで500万円が最高だった種付け料だったが2023年、供用6年目に跳ね上がり、大台の1000万円に到達した<ref name="日刊-種付け数" />。値上げとなったがむしろさらに繁殖牝馬を集め、6年目は242頭に増加している<ref name="日刊-種付け数" />。

=== 産駒の活躍 ===
産駒は、2021年夏から競馬場でデビューしていた。初年度産駒から活躍馬を輩出し、多数の重賞タイトルを獲得している。
[[ファイル:Equinox Takarazuka Kinen 2023(IMG1).jpg|サムネイル|243x243ピクセル|イクイノックス]]
初年度産駒の[[イクイノックス]](母父:[[キングヘイロー]])は、2021年秋の[[東京スポーツ杯2歳ステークス]](GII)で産駒初の重賞優勝を成し遂げて、翌2022年クラシック戦線の有力馬となった。春の三冠初戦である皐月賞、二戦目の東京優駿に挑んだが、それぞれ[[ジオグリフ (競走馬)|ジオグリフ]]、[[ドウデュース]]に阻まれる2着だった。しかし秋、3歳馬ながら臨んだ天皇賞(秋)を優勝し、1971年[[トウメイ]]1978年[[テンメイ]]母仔、1970年[[メジロアサマ]]1982年[[メジロティターン]]父仔、1999年[[スペシャルウィーク]]2010年[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]母仔に続いて史上4頭目となる天皇賞(秋)親仔制覇を達成した<ref>{{Cite web |title=天皇賞・秋の親仔制覇 |url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=52029 |website=netkeiba.com |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。さらに暮れの有馬記念も優勝して再び父仔制覇を果たした。この年の年度代表馬に輝き、1976年[[トウショウボーイ]]と1983年[[ミスターシービー]]父仔、1984年85年[[シンボリルドルフ]]と1991年[[トウカイテイオー]]父仔、2005年06年[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]と2012年14年[[ジェンティルドンナ]]父娘、2013年[[ロードカナロア]]と2018年20年[[アーモンドアイ]]父娘に次いで史上5例目となる親仔年度代表馬受賞、シンボリルドルフとトウカイテイオー父仔以来31年ぶりとなる父仔受賞を果たしていた<ref>{{Cite web |title=【JRA賞】年度代表馬にイクイノックス 父キタサンブラックと史上5組目の親子受賞 |url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=202301100000396&year=2023&month=01&day=10 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-10-03 |language=ja}}</ref><ref>{{Cite web |title=【JRA賞】イクイノックスが史上5組目の親子で年度代表馬 |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=219181 |website=netkeiba.com |access-date=2023-10-03 |language=ja}}</ref>。

翌2023年のイクイノックスは、父では実現しなかった外国遠征、[[ドバイミーティング]]に参戦し、[[ドバイシーマクラシック]](G1)では緩めながらも3馬身半差をつけて優勝していた<ref>{{Cite web |title=【ドバイSC】衝撃的強さ!イクイノックス 持ったままの逃げ切りレコードV!圧倒的なパフォーマンスを披露|テレビ東京スポーツ:テレビ東京 |url=https://www.tv-tokyo.co.jp/sports/articles/2023/03/027749.html |website=テレビ東京 |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。続いて父の敗れた宝塚記念も優勝。2023年9月までに8戦6勝2着2回、GI級競走4勝を挙げている<ref name="JBIS-イクイノックス" />。

クラシックのタイトルは、初年度産駒では勝ち取れなかった。イクイノックスは皐月賞、東京優駿ともに2着に留まった<ref>{{Cite web |title=【日本ダービー】イクイノックスはクビ差届かず皐月賞に続き2着 ルメール「いい競馬はできたがしようがない」 |url=https://www.sanspo.com/race/article/general/20220529-AVI7IDLQ5ZG2FH2MEXDXIOHHXY/ |website=サンスポZBAT! |date=2022-05-29 |access-date=2023-10-04 |language=ja |first=SANKEI DIGITAL |last=INC}}</ref>。そして[[ガイアフォース]]は、2022年[[セントライト記念]]を優勝して父仔制覇を果たし、続く菊花賞で1番人気に推されたが、ディープインパクト産駒の[[アスクビクターモア]]に敗れる8着だった<ref>{{Cite web |title=ガイアフォースは窮屈な競馬に終始し8着 これで1番人気馬はJRA・G1で16連敗【菊花賞】:中日スポーツ・東京中日スポーツ |url=https://www.chunichi.co.jp/article/568994 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。叶えたのは、2年目産駒の[[ソールオリエンス]]だった。ソールオリエンス(母父:[[モティヴェーター]])は、新馬戦と[[京成杯]](GIII)を連勝した後に挑んだ皐月賞を優勝し、父の叶えられなかった無敗での皐月賞優勝を果たしている<ref>{{Cite web |title=【皐月賞】雷のような末脚!ソールオリエンスが大外一気で無敗の皐月賞馬に輝く! |url=https://www.keibalab.jp/topics/42619/ |website=www.keibalab.jp |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。
[[ファイル:Sol_Oriens_20230416b.jpg|サムネイル|236x236ピクセル|[[ソールオリエンス]]]]
ただ2年目産駒までクラシックを経験した2023年時点では、まだ日本ダービーのタイトルを得るには至っていない。初年度のイクイノックスは、2番人気に支持されたが、父の主戦騎手である武豊が騎乗するドウデュースにクビ差及ばず、2着に敗れた<ref>{{Cite web |title=日本ダービー、武豊騎手が乗るドウデュース優勝 イクイノックス2着:朝日新聞デジタル |url=https://www.asahi.com/articles/ASQ5Y56QVQ5YUTQP01M.html?iref=ogimage_rek |website=朝日新聞デジタル |date=2022-05-29 |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。2年目は皐月賞優勝のソールオリエンスと[[青葉賞]](GII)優勝[[スキルヴィング]]という2頭の有力馬を送り出し、1番人気2番人気を占めた<ref name="NHK-2023東京優駿">{{Cite web |title=競馬 日本ダービー 4番人気のタスティエーラが優勝 クビの差で |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230528/k10014080891000.html |website=NHKニュース |date=2023-05-28 |access-date=2023-10-04 |last=日本放送協会}}</ref>。しかしソールオリエンスはクビ差及ばず、スキルヴィングは5秒以上{{Efn|スキルヴィングは、競走中に急性心不全を発症し、ブービー賞17着敗退した。直後に引退、青葉賞優勝以上の実績は得られなかった。}}敵わず、父のかつてのライバルであるサトノクラウン産駒[[タスティエーラ]]に優勝を許した<ref name="NHK-2023東京優駿" />。


== 競走成績 ==
== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba]]<ref>{{Cite web |title=キタサンブラック (Kitasan Black)の競走成績|url=https://db.netkeiba.com/horse/result/2012102013/ |website=netkeiba.com |access-date=2023-09-02 |language=ja}}</ref>並びにJBISサーチ<ref>{{Cite web |title=全競走成績|競走成績|キタサンブラック |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001155349/record/?&sort=ymd&order=A |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-09-02}}</ref>の情報に基づく。
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
{| style="border-collapse: collapse; font-size: 90%; text-align: center; white-space: nowrap;"
! 競走日 !! nowrap="nowrap" | 競馬場 !! 競走名 !! 格 !! 距離(馬場) !! 頭<br />数 !! 枠<br />番 !! 馬<br />番 !! オッズ<br />(人気) !! 着順 !! タイム<br />(上り3F) !! 着差 !! 騎手 !! 斤量 !! 1着馬(2着馬)
! colspan="3" |競走日
! nowrap="" |競馬場
!競走名
!格
!距離<br/>(馬場)
!頭<br/>数
!枠<br/>番
!馬<br/>番
!オッズ<br/>(人気)
!着順
!タイム<br/>(上り3F)
!着差
!騎手
!斤量<br/>[kg]
!1着馬<br/>(2着馬)
!馬体重<br/>[kg]
|-
|[[2015年|2015.]]
|{{0}}1.
|[[1月31日|31]]
|[[東京競馬場|東京]]
|[[新馬|3歳新馬]]
|
|芝1800m(良)
|16
|7
|14
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|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}1:52.3(34.2)
| -0.2
|[[後藤浩輝]]
|56
|(ミッキージョイ)
|510
|-
|-
|
| [[2011年|2011.]][[7月23日|{{0}}7.23]]
|{{0}}2.
| [[新潟競馬場|新潟]]
| [[新馬|2歳新馬]]
|[[2月22日|22]]
|東京
|
|3歳500万下
| 芝1600m(良)
| 16
|
|芝2000m(良)
| 7
| 14
|14
|5
| {{0|00}}6.4({{0}}4人)
|7
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| {{0|R}}1:36.1{{0}}(33.8)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
| -0.8
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| [[福永祐一]]
| 54kg
| -0.5
|[[北村宏司]]
| (ラパージュ)
|56
|([[サトノラーゼン]])
|504
|-
|-
|
| {{0|0000.}}[[9月4日|{{0}}9.{{0}}4]]
|{{0}}3.
| 新潟
|[[3月22日|22]]
| [[新潟2歳ステークス|新潟2歳S]]
|[[中山競馬場|中山]]
| GIII
|[[スプリングステークス|スプリングS]]
| 芝1600m(良)
|{{GII}}
| 18
|芝1800m(良)
| 6
| 11
|12
|1
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|12.3(5人)
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| {{0|-}}0.1
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
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| 福永祐一
|{{0|-}}0.0
| 54kg
|北村宏司
| モンストール
|56
|([[リアルスティール]])
|504
|-
|-
|
| {{0|0000.}}[[11月19日|11.19]]
|{{0}}4.
| [[東京競馬場|東京]]
|[[4月19日|19]]
| [[東京スポーツ杯2歳ステークス|東スポ杯2歳S]]
|中山
| GIII
|[[皐月賞]]
| 芝1800m(不)
|{{GI}}
| 15
|芝2000m(良)
| 8
| 14
|15
|4
| {{0|00}}7.4({{0}}3人)
|7
| {{0}}4着
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|{{0}}9.7(4人)
| {{0|-}}0.8
|{{0}}{{color|darkgreen|3着}}
|{{0}}1:58.8(35.2)
| [[後藤浩輝]]
|{{0|-}}0.6
| 55kg
|[[浜中俊]]
| [[ディープブリランテ]]
|57
|[[ドゥラメンテ]]
|510
|-
|-
|
| [[2012年|2012.]][[2月5日|{{0}}2.{{0}}5]]
|{{0}}5.
| [[京都競馬場|京都]]
| [[きさらぎ賞]]
|[[5月31日|31]]
|東京
| GIII
|[[東京優駿]]
| 芝1800m(良)
|{{GI}}
| 13
|芝2400m(良)
| 6
| 8
|18
|8
| {{0|00}}6.9({{0}}3人)
|17
| {{0}}4着
|20.7(6人)
| {{0|R}}1:47.9{{0}}(34.2)
|14着
| {{0|-}}0.9
|{{0}}2:25.5(36.8)
| [[秋山真一郎]]
|{{0|-}}2.3
| 56kg
|北村宏司
| [[ワールドエース]]
|57
|ドゥラメンテ
|520
|-
|-
|
| {{0|0000.}}[[2月25日|{{0}}2.25]]
|{{0}}9.
| [[阪神競馬場|阪神]]
|[[9月21日|21]]
| [[アーリントンカップ|アーリントンC]]
|中山
| GIII
|[[セントライト記念]]
| 芝1600m(良)
|{{GII}}
| 13
|芝2200m(良)
| 8
| 13
|15
|7
| {{0|00}}4.1({{0}}2人)
|13
| {{color|darkred|{{0}}1着}}
|12.5(6人)
| {{0|R}}1:35.3{{0}}(34.2)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}2:13.8(34.9)
| -0.1
| -0.1
|北村宏司
| 福永祐一
|56
| 56kg
| ービン)
|([[ミュゼエイ]]
|532
|-
|-
|
| {{0|0000.}}[[5月6日|{{0}}5.{{0}}6]]
|10.
| 東京
|[[10月25日|25]]
| [[NHKマイルカップ|NHKマイルC]]
|[[京都競馬場|京都]]
| GI
|[[菊花賞]]
| 芝1600m(良)
|{{GI}}
| 18
|芝3000m(良)
| 7
| 14
|18
|2
| {{0}}10.0({{0}}4人)
|4
| {{0}}6着
|13.4(5人)
| {{0|R}}1:35.3{{0}}(34.2)
| {{0|-}}0.8
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}3:03.9(35.0)
| 福永祐一
|{{0|-}}0.0
| 57kg
|北村宏司
| [[カレンブラックヒル]]
|57
|(リアルスティール)
|530
|-
|-
|
| {{0|0000.}}[[5月27日|{{0}}5.27]]
|12.
| 東京
| [[東京優駿]]
|[[12月27日|27]]
|中山
| GI
|[[有馬記念]]
| 芝2400m(良)
|{{GI}}
| 18
|芝2500m(良)
| 7
| 14
|16
|6
| 112.9(15人)
| 11
|11
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|{{0}}8.4(4人)
| {{0|-}}1.0
|{{0}}{{color|darkgreen|3着}}
|{{0}}2:33.1(35.1)
| 秋山真一郎
|{{0|-}}0.1
| 57kg
|[[横山典弘]]
| ディープブリランテ
|55
|[[ゴールドアクター]]
|526
|-
|-
|[[2016年|2016.]]
| {{0|0000.}}[[10月7日|10.{{0}}7]]
|{{0}}4.
| 東京
| [[王冠]]
|{{0}}[[4月3|3]]
|[[阪神競馬場|阪神]]
| GII
|[[大阪杯|産経大阪杯]]
| 芝1800m(良)
|{{GII}}
| 16
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| 4
| 7
|11
|6
| {{0}}61.6(12人)
|7
| {{color|darkblue|{{0}}2着}}
| {{0|R}}1:45.0{{0}}(33.0)
|{{0}}6.2(5人)
| {{0|-}}0.0
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|{{0}}1:59.3(33.6)
| [[柴田善臣]]
|{{0|-}}0.0
| 54kg
|[[武豊]]
| カレンブラックヒル
|58
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|524
|-
|-
|
| {{0|0000.}}[[10月28日|10.28]]
|{{0}}5.
| 東京
|{{0}}[[5月1日|1]]
| [[天皇賞(秋)]]
|京都
| GI
|[[天皇賞(春)]]
| 芝2000m(良)
|{{GI}}
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| 6
| 11
|18
|1
| {{0}}28.3({{0}}8人)
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|{{0}}3:15.3(35.0)
| [[内田博幸]]
|{{0|-}}0.0
| 56kg
|武豊
| [[エイシンフラッシュ]]
|58
|([[カレンミロティック]])
|524
|-
|-
|
| [[2013年|2013.]][[1月5日|{{0}}1.{{0}}5]]
|{{0}}6.
| [[中山競馬場|中山]]
| [[中山金杯]]
|[[6月26日|26]]
|阪神
| GIII
|[[宝塚記念]]
| 芝2000m(良)
|{{GI}}
| 16
|芝2200m(稍)
| 5
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|17
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|{{0}}5.0(2人)
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|{{0}}{{color|darkgreen|3着}}
|{{0}}2:12.8(36.8)
| 内田博幸
|{{0|-}}0.0
| 56.5kg
|武豊
| [[タッチミーノット]]
|58
|[[マリアライト]]
|536
|-
|-
|
| {{0|0000.}}[[2月10日|{{0}}2.10]]
|10.
| 京都
| [[京都記念]]
|[[10月10日|10]]
|京都
| GII
|[[京都大賞典]]
| 芝2200m(良)
|{{GII}}
| 11
|芝2400m(良)
| 4
| 4
|10
|1
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|{{0}}2:25.5(33.6)
| 内田博幸
|{{0|-}}0.0
| 55kg
|武豊
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|58
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|538
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|-
|
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| [[中京競馬場|中京]]
| [[新聞杯]]
|[[11月27|27]]
|東京
| GIII
|[[ジャパンカップ|ジャパンC]]
| 芝2000m(良)
|{{GI}}
| 18
|芝2400m(良)
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|17
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|{{0}}{{color|darkred|1着}}
|{{0}}2:25.8(34.7)
| [[ダリオ・バルジュー|D.バルジュー]]
| 57kg
| -0.4
|武豊
| [[サトノアポロ]]
|57
|([[サウンズオブアース]])
|536
|-
|-
|
| {{0|0000.}}[[6月9日|{{0}}6.{{0}}9]]
|12.
| 東京
|[[12月25日|25]]
| [[エプソムカップ|エプソムC]]
|中山
| GIII
|有馬記念
| 芝1800m(良)
|{{GI}}
| 14
|芝2500m(良)
| 8
| 13
|16
|1
| {{0|00}}6.2({{0}}3人)
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| {{0|-}}0.0
|{{0}}{{color|darkblue|2着}}
|{{0}}2:32.6(35.8)
| 福永祐一
|{{0|-}}0.0
| 56kg
|武豊
| [[クラレント]]
|57
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|536
|-
|-
|[[2017年|2017.]]
| {{0|0000.}}[[8月11日|{{0}}8.11]]
|{{0}}4.
| 新潟
| [[関屋記念]]
|{{0}}[[4月2日|2]]
|阪神
| GIII
|[[大阪杯]]
| 芝1600m(良)
|{{GI}}
| 18
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| 8
| 16
|14
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|{{0}}2.4(1人)
| {{0|-}}0.2
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|{{0}}1:58.9(34.3)
| 福永祐一
|{{0|-}}0.1
| 56kg
|武豊
| [[レッドスパーダ]]
|57
|([[ステファノス]])
|540
|-
|-
| {{0|0000.}}[[10月6日|10.{{0}}6]]
|{{0|0000.}}
|{{0}}4.
| 東京
|王冠
|[[4月30|30]]
|京都
| GII
| 芝1800m(良
|天皇賞(春
|{{GI}}
| 11
|芝3200m(良)
| 8
| 10
|17
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|{{color|darkred|R3:12.5}}(35.3)
| 柴田善臣
| 56kg
| -0.2
|武豊
| エイシンフラッシュ
|58
|([[シュヴァルグラン]])
|536
|-
|-
|
| {{0|0000.}}[[10月27日|10.27]]
|{{0}}6.
| 東京
|[[6月25日|25]]
| 天皇賞(秋)
|阪神
| GI
|宝塚記念
| 芝2000m(良)
|{{GI}}
| 17
|芝2200m(稍)
| 4
| 7
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| {{color|darkred|{{0}}1着}}
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|{{0}}1.4(1人)
|{{0}}9着
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|{{0}}2:12.7(36.9)
| 福永祐一
|{{0|-}}1.3
| 58kg
|武豊
| ([[ジェンティルドンナ]])
|58
|[[サトノクラウン]]
|542
|-
|-
|
| [[2014年|2014.]][[3月2日|{{0}}3.{{0}}2]]
|10.
| 中山
|29
| [[中山記念]]
|東京
| GII
|[[天皇賞(秋)]]
| 芝1800m(稍)
|{{GI}}
| 15
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|18
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|{{0}}3.1(1人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
| -0.6
|{{0}}2:08.3(38.5)
| [[横山典弘]]
|{{0|-}}0.0
| 58kg
|武豊
| ([[アルキメデス (競走馬)|アルキメデス]])
|58
|(サトノクラウン)
|542
|-
|-
|
| {{0|0000.}}[[3月29日|{{0}}3.29]]
|11.
| [[メイダン競馬場|メイダン]]
|[[11月26日|26]]
| [[ドバイターフ|ドバイDF]]
|東京
| G1
|ジャパンC
| 芝1800m(Gd)
|{{GI}}
| 13
|芝2400m(良)
|
| 2
|18
|2
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|{{0}}2.1(1人)
| {{color|darkred|R1:45.52}}{{0}}(34.31)<ref>{{Cite news|url= http://tnetwork.trakus.com/tnet/t_MeydanA.aspx |title= Meydan Race 7 Dubai Duty Free Sponsored By Dubai Duty Free |publisher= tnetwork.trakus.com |date=2014-03-29|accessdate=2023-02-23}}</ref>
|{{0}}{{color|darkgreen|3着}}
| -1.06 <ref>{{Cite news|url= http://tnetwork.trakus.com/tnet/t_Sectional.aspx?OtherInfo=MEY&EventID=57580 |title= Sectional Timing 03/29/2014 - Meydan Race 7 |publisher= tnetwork.trakus.com |date=2014-03-29|accessdate=2023-02-23}}</ref>
|{{0}}2:23.9(35.3)
| 福永祐一
|{{0|-}}0.2
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|武豊
| ([[Vercingetorix]])
|57
|シュヴァルグラン
|542
|-
|-
|
| {{0|0000.}}[[6月8日|{{0}}6.{{0}}8]]
|12.
| 東京
| [[安田記念]]
|[[12月24日|24]]
|中山
| GI
|有馬記念
| 芝1600m(不)
|{{GI}}
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|芝2500m(良)
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| 10
|16
|1
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| {{0|R}}1:36.8{{0}}(37.1)
|{{0}}1.9(1人)
|{{0}}{{color|darkred|1着}}
| -0.0
|{{0}}2:33.6(35.2)
| 柴田善臣
|{{Nowiki|-}}0.2
| 58kg
|武豊
| ([[グランプリボス]])
|57
|([[クイーンズリング]])
|540
|}
*タイム欄の{{color|darkred|R}}はレコード勝ちを示す。

== 種牡馬成績 ==

=== 年度別成績 ===
{| class="wikitable" style="text-align:right"
!年
!種付料(万円)
!増減
!種付頭数<ref name="sgts2">{{Cite web |title=種牡馬情報:世代・年次別(サラ系総合)|キタサンブラック|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001155349/sire/generation/thorough_s/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2022-05-22}}</ref>
!出産頭数<ref name="sgts2" />
|-
|-
!2018年
| {{0|0000.}}[[10月5日|10.{{0}}5]]
|500<ref>{{Cite web |title=社台スタリオンステーションの種付料が決定|社台スタリオンステーション |url=https://shadai-ss.com/news/info/shadai-stallion-station-fee2018/ |website=社台スタリオンステーション |accessdate=2022-03-29 |language=ja}}</ref>
| [[パリロンシャン競馬場|ロンシャン]]
| -
| [[凱旋門賞]]
| G1
|130
|84
| 芝2400m(Gd)
| 20
| 14
| 7
|
| {{0}}8着
|
|
| 福永祐一
| 59.5kg
| [[トレヴ|Treve]]
|-
|-
!2019年
| {{0|0000.}}[[11月30日|11.30]]
|400<ref>{{Cite web |title=社台スタリオンステーション繋養種牡馬の種付料が決定-ニュース |url=https://shadai-ss.com/news/info/news-1516/ |website=社台スタリオンステーション |accessdate=2022-03-29 |language=ja}}</ref>
| 東京
|{{decrease}}100
| [[ジャパンカップ|ジャパンC]]
| GI
|110
|82
| 芝2400m(良)
| 18
| 1
| 1
| {{0|00}}6.7({{0}}3人)
| {{color|darkblue|{{0}}2着}}
| {{0|R}}2:23.8{{0}}(35.1)
| {{0|-}}0.7
| 福永祐一
| 57kg
| [[エピファネイア]]
|-
|-
!2020年
| {{0|0000.}}[[12月28日|12.28]]
|400<ref>{{Cite web |title=社台スタリオンステーション繋養種牡馬の種付料が決定 |url=https://shadai-ss.com/news/stallion/news-2058/ |website=社台スタリオンステーション |accessdate=2022-03-29 |language=ja}}</ref>
| 中山
|0
| [[有馬記念]]
| GI
|92
|55
| 芝2500m(良)
| 16
|-
!2021年
| 8
|300<ref>{{Cite web |title=社台スタリオンステーション繋養種牡馬の種付料が決定。 - ニュース |url=https://shadai-ss.com/news/info/news-2396/ |website=社台スタリオンステーション |accessdate=2022-03-29 |language=ja}}</ref>
| 15
|{{decrease}}100
| {{0|00}}4.6({{0}}3人)
|102
| {{0}}4着
|72
| {{0|R}}2:35.5{{0}}(33.4)
|-
| {{0|-}}0.2
!2022年
| 福永祐一
|500<ref>{{Cite web |title=社台スタリオンステーション繋養種牡馬の種付料が決定 |url=https://shadai-ss.com/news/stallion/news-3452/ |website=社台スタリオンステーション |accessdate=2022-03-29 |language=ja}}</ref>
| 57kg
|{{increase}}200
| ジェンティルドンナ
|177
|
|-
!2023年
|1000<ref>{{Cite web |title=社台スタリオンステーション繋養種牡馬の2023年シーズン種付料が決定 - ニュース |url=https://shadai-ss.com/news/info/news-3750/ |website=社台スタリオンステーション |access-date=2022-11-21 |language=ja}}</ref>
|{{increase}}500
|
|
|}
|}


=== 重賞優勝産駒一覧 ===
*馬場状態:Gd=Good
*タイム欄の{{Color|darkred|R}}はレコード勝ちを示す


==== GI級競走優勝産駒 ====
== 種牡馬時代 ==
'''太字強調'''は、GI級競走を表す。また外国重賞には、その競走が行われた場所の国旗を充てる。
同年2月に社台スタリオンステーションで行われた社台スタリオンパレード2015では同じくスタッドインした[[ベルシャザール (競走馬)|ベルシャザール]]らと共にお披露目された<ref>{{Cite news|url= https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/02/11/kiji/K20150211009788330.html |title= ジャスタ 父でも世界一へ!種牡馬初年度は約130頭と交配予定 |publisher=Sponichi Annex|date=2015-02-11|accessdate=2020-01-17}}</ref>。初年度の種付料は350万円であったがすぐさま満口となり<ref name="netkeiba95548">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=95548 |title= 社台SSの種牡馬展示会でジャスタウェイなどお披露目 |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>、初年度から220頭の繁殖牝馬との種付けを行った<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001106251/sire/generation/thorough_s/|title=ジャスタウェイ 種牡馬情報:世代・年度別|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2019-12-06}}</ref>。2016年のセレクトセールには、さっそく当歳馬19頭が上場し、1頭目に上場されたレイズアンドコールの16(カリボール)を大和屋が4700万円で落札<ref name="netkeiba112026">{{Cite web|url= http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=112026 |title= 大和屋暁氏 ジャスタウェイ初産駒“即買い” |work= netkeiba |publisher= Net Dreamers Co., Ltd. |language=日本語|accessdate=2018-01-10}}</ref>。その他、[[コーフィールドカップ]]優勝馬[[アドマイヤラクティ]]の半弟にあたるアドマイヤテレサの16(アドマイヤジャスタ)を[[近藤利一]]が1億4000万円で落札し、これがセールに出場した19頭中最高額となった<ref name="netkeiba112026"/>。


* 2019年産
2018年より初年度産駒がデビューし、その中からアドマイヤジャスタ、[[ヴェロックス]]が翌年の[[中央競馬クラシック三冠|クラシック競走]]に出走。ヴェロックスはクラシック3戦全てに出走し勝利は果たせなかったものの、[[皐月賞]]で2着、日本ダービー・[[菊花賞]]で3着と3戦全てにおいて馬券圏を外さなかった<ref>{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0001221719/record/ |title= 競走成績:全競走成績|ヴェロックス|JBISサーチ |work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2020-01-11}}</ref>。同じく初年度産駒の[[マスターフェンサー]]はアメリカに遠征し、[[ケンタッキーダービー]]6着<ref>{{Cite web|title=【ケンタッキーダービー】マスターフェンサー健闘6着 1位入線馬降着で大波乱に {{!}} 競馬ニュース|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=154677|website=netkeiba.com|accessdate=2019-11-30|language=ja}}</ref>、[[ベルモントステークス]]5着<ref>{{Cite web|title=【米・ベルモントS】サーウィンストンがV 日本のマスターフェンサーは5着/海外競馬レース結果 {{!}} 競馬ニュース|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=156106|website=netkeiba.com|accessdate=2019-11-30|language=ja}}</ref>の成績を残した。
** [[イクイノックス]](牡、母父:[[キングヘイロー]](2021年[[東京スポーツ杯2歳ステークス]]、2022年'''[[天皇賞(秋)]]'''、'''[[有馬記念]]'''、2023年{{Flagicon|UAE}}'''[[ドバイシーマクラシック]]'''、'''[[宝塚記念]]''')<ref name="JBIS-イクイノックス">{{Cite web |title=イクイノックス |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001309176/ |website=JBISサーチ |accessdate=2021-11-20}}</ref>
* 2020年産
** [[ソールオリエンス]](牡、母父:[[モティヴェーター]](2023年[[京成杯]]、'''[[皐月賞]]''')<ref>{{Cite web |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001325944/ |title=ソールオリエンス |accessdate=2023-01-15 |website=JBISサーチ |publisher=公益財団法人[[日本軽種馬協会]]}}</ref>


==== 重賞優勝産駒 ====
2019年11月30日に[[ロードマイウェイ]]が[[チャレンジカップ (中央競馬)|チャレンジカップ]]を制し、産駒の重賞初制覇<ref>{{Cite web|title=【チャレンジC】ロードマイウェイが差し切り、5連勝で重賞初V!/JRAレース結果 {{!}} 競馬ニュース|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=163973|website=netkeiba.com|accessdate=2019-11-30|language=ja}}</ref>。
[[アスタリスク]]は、[[地方競馬]]各主催者が独自に定める格付けた重賞を表す([[ダートグレード競走]]を除く)。


* 2019年産
2020年11月27日に[[ブリーダーズ・スタリオン・ステーション]]に移動、種牡馬として繋養されることになった<ref>{{Cite web|title=ジャスタウェイがブリーダーズ・スタリオン・ステーションに移動|url=https://uma-furusato.com/news/104251.html|website=競走馬のふるさと案内所|accessdate=2021-12-23|language=ja}}</ref>。
** [[ガイアフォース]](牡、母父:[[クロフネ]](2022年[[セントライト記念]])<ref>{{Cite web |title=ガイアフォース |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001307900/ |website=www.jbis.or.jp |accessdate=2022-09-19}}</ref>
=== 主な産駒 ===
** [[ウィルソンテソーロ]](牡、母父:[[アンクルモー]](2023年[[かきつばた記念]]、[[マーキュリーカップ]]、[[白山大賞典]])<ref>{{Cite web |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001312997/ |title=ウィルソンテソーロ |website=JBISサーチ |publisher=公益財団法人[[日本軽種馬協会]] |accessdate=2023-09-17}}</ref>
'''太字'''は勝利したGI・JpnI競走
** ウン(牡、母父:[[マリブムーン]](2022年*[[オパールカップ]])<ref>{{Cite web |title=ウン |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001311271/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-09-11}}</ref>
* 2020年産
** [[ラヴェル (競走馬)|ラヴェル]](牝、母父:[[ダイワメジャー]](2022年[[アルテミスステークス]])<ref>{{Cite web |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001322796/ |title=ラヴェル |accessdate=2022-10-29 |website=www.jbis.or.jp |publisher=JBISサーチ}}</ref>
** [[スキルヴィング]](牡、母父:[[シンボリクリスエス]](2023年[[青葉賞]])<ref name="JBIS-スキルヴィング">{{Cite web |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001323731/ |title=スキルヴィング |website=JBISサーチ |publisher=公益財団法人[[日本軽種馬協会]] |accessdate=2023-04-29}}</ref>


==== グレード制重賞優勝馬 ====
== エピソード ==
=== 北島三郎 ===
*2016年産
演歌歌手として人気を誇った北島三郎は、2013年をもって長年出場し続けた[[紅白歌合戦]]を卒業、2015年1月をもって劇場の座長公演を終了するなど、一線から退くようになっていた。ところが直後の2015年1月31日、デビューしたキタサンブラックが大活躍を果たしていた<ref name="デイリー-2017年天皇賞(秋)-北島">{{Cite web |url=https://www.daily.co.jp/horse/2017/10/30/0010688179.shtml |title=【天皇賞】サブちゃん「感激です」 キタサンブラック天皇賞V3 |access-date=2023-9-28 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20171101221210/https://www.daily.co.jp/horse/2017/10/30/0010688179.shtml |archive-date=2017-11-1}}</ref>。デビュー当日、初めは東京都八王子の自宅からの観戦を予定していた<ref name="サンスポ-ありキタ-引退">{{Cite web |title=【有馬記念】ありがとうキタサン!サブちゃん、愛馬に新曲で花道(3頁) |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20171225/ope17122505090007-n3.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-12-25 |access-date=2023-10-08 |language=ja-JP}}</ref>。しかし朝にふと思い立って競馬場に出向き、キタサンブラックのデビュー戦優勝を現地で見届けていた<ref name="サンスポ-ありキタ-引退" />。翌2016年には頚椎症性脊髄症の手術、目の手術などするなど体調が万全ではなかった。そんなとき、キタサンブラックの活躍が支えになったのだとしている<ref name="優駿-2018-1-21">『優駿』2018年1月号 21頁</ref><ref name="デイリー-2017年天皇賞(秋)-北島" />。
**[[アドマイヤジャスタ]](2020年[[函館記念]])
**[[ロードマイウェイ]](2019年[[チャレンジカップ_(中央競馬)|チャレンジカップ]])
**[[アウィルアウェイ]](2020年[[シルクロードステークス]])
**[[マスターフェンサー]](2020年[[マーキュリーカップ]]、[[白山大賞典]]、[[名古屋グランプリ]]、2021年マーキュリーカップ)
**[[テオレーマ]](2021年[[マリーンカップ]]、'''[[JBCレディスクラシック]]'''、2022年[[TCK女王盃]])
*2017年産
**[[エーポス]](2020年[[フィリーズレビュー]])
**[[ヴェルテックス]](2021年[[名古屋グランプリ]])
*2018年産
**[[ダノンザキッド]](2020年'''[[ホープフルステークス_(中央競馬)|ホープフルステークス]]'''、[[東京スポーツ杯2歳ステークス]])
*2020年産
**[[ガストリック]](2022年東京スポーツ杯2歳ステークス)<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001323979/|title=ガストリック|accessdate=2022-11-19|website=JBISサーチ}}</ref>


キタサンブラックでのクラシック参戦は、1995年桜花賞に挑んだキタサンサイレンス9着(優勝:[[ワンダーパヒューム]])にはじまり、同年優駿牝馬(オークス)のキタサンサイレンス17着(優勝:[[ダンスパートナー]])、1997年皐月賞のキタサンフドー14着(優勝:[[サニーブライアン]])、2001年東京優駿(日本ダービー)のキタサンチャンネル16着(優勝:[[ジャングルポケット (競走馬)|ジャングルポケット]])、2009年菊花賞のキタサンチーフ10着(優勝:[[スリーロールス]])に続いて5頭目の挑戦だった<ref>{{Cite web |title=サブちゃん大興奮ブラック無傷3連勝/スプリングS|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1450738&year=2015&month=03&day=23 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。GIでは、2001年[[阪神ジュベナイルフィリーズ]]のキタサンヒボタン4着が長らく最高だったが、キタサンブラックの菊花賞で叶えられた<ref>{{Cite web |title=【菊花賞】“キタサン”95年のG1初挑戦以来12度目で初制覇|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/10/25/kiji/K20151025011387400.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。
==== 地方重賞優勝馬 ====
*2020年産
**ケープライト(2022年[[若駒賞 (岩手競馬)|若駒賞]]、2023年[[イーハトーブマイル]])<ref>{{Cite web|title=ケープライト|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001321526/|website=www.jbis.or.jp|accessdate=2022-09-21}}</ref>


菊花賞前には、東京都浅草の[[待乳山聖天]]や早稲田の[[穴八幡宮]]に出向いて必勝祈願<ref name="デイリー-北島6">{{Cite web |title=【馬主・北島三郎6】キタサンブラック G1・6勝の裏に…縁起担ぎのドラマ/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2017/12/23/0010840678.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-10-09 |access-date=2023-10-09 |language=ja}}</ref>。同行者全員には購入したお守りと、黒いスーツ、勝負服と同じネクタイを用意して挑んでいた<ref name="デイリー-北島6" />。さらに京都では、偶然にも貸切したハイヤーの運転手が「{{Ruby|金馬|こんま}}」さんだったという。この菊花賞の成功体験は、その後キタサンブラックがGI競走に出るたびに、ゲン担ぎとしてルーティンとなっていた<ref name="デイリー-北島6" />。必勝祈願と「金馬」ドライバーの確保。それから前日は鍋料理を食して、ホテルは同じ部屋に泊まり、競馬場ではカツカレー。さらにレース後は、同じ打ち上げ会場、同じ時間の東京行の新幹線というようにこなして、毎度毎度京都に出向いていた<ref name="デイリー-北島6" />。このゲン担ぎが実り、天皇賞(春)連覇を果たしていた<ref name="デイリー-北島6" />。
==== その他 ====
*2016年産
**[[ヴェロックス]](2019年皐月賞2着、東京優駿3着、神戸新聞杯2着、菊花賞3着)


GIを4勝することになる2017年当初は、翌2018年の現役続行も考えていたという<ref name="優駿-2018-1-21" />。しかし春のGIを2勝するなどして、人気種牡馬になる目算も見え始めていた<ref name="優駿-2018-1-21" />。馬主歴半世紀以上でようやく巡り合えた優駿を手放すことは容易ではなかった。しかしこれまでの人生経験から、引き際が重要という考えに至っていた。種牡馬としてなど、キタサンブラックの将来を考えたうえでの決断だった<ref name="優駿-2017-12-28" />。
== エピソード ==
=== まつり ===
*馬主である大和屋暁の代表作のアニメ『[[銀魂 (アニメ)|銀魂]]』に同名の馬が1位入線<ref group="注">優勝でないのは、『レース中に犯したインターフェアで降着を食らった』ためである。</ref>するというオリジナルエピソード(155話「裏の裏の裏は裏」)があるが、その内容は『'''右回り'''で行われたレースを、'''馬番13番'''で出走したジャスタウェイが'''道中最後方'''で貯めた脚を爆発させ'''大外からごぼう抜き'''』という、同馬が制したアーリントンカップの結果を予言したものであった。なお原作漫画版『[[銀魂]]』では、ジャスタウェイが天皇賞制覇した時期に始まった長編エピソード『魂入れ替わり篇』で、将軍賞を低人気で勝ち神楽たちのバイト代を紙くずにされた主人公坂田銀時が、一通りジャスタウェイをクサすという場面がある。
キタサンブラックが優勝すると、レース後に北島三郎は競馬場の観衆の前に立ち、持ち歌である『[[まつり (北島三郎の曲)|まつり]]』の替え歌をワンフレーズ披露するようになった。勝利を積み重ねたために、やがて『まつり』披露は恒例になっていった。


キタサンブラックが成り上がり、GI戦線に臨むにあたって、北島は軽い気持ちで「GI勝ったら歌っちゃうよ」「1着なら『まつり』に決まってる」というように宣言したところ、多くの方々から期待の声を集めたことがきっかけだった<ref name="優駿-2016-1-33">『優駿』2016年1月号 33頁</ref>。3歳春の皐月賞と東京優駿(日本ダービー)ではいずれも敗れた。東京優駿では『まつり』のカラオケと本業の音響担当者を競馬場に準備していたが、叶わなかった<ref name="デイリー-北島-5" />。しかし秋の菊花賞で結実し『まつり』披露が実現していた。スタンド前のお立ち台で行われた北村宏司騎手のインタビュー後、北島もお立ち台に上がってインタビューに参加<ref>{{Cite web |title=サブちゃん歌った! 「キタサン祭りだよ~♪」 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20151025/etc15102516320004-n1.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2015-10-25 |access-date=2023-09-12 |language=ja-JP}}</ref>。「公約したんですよね」「歌うよ!」と宣言して、ファンに手拍子を促し、アカペラで『まつり』のサビを替え歌にしてワンフレーズを披露していた<ref>{{Cite web |title=北島三郎 菊花賞Vに歓喜の熱唱「これが“競馬”の祭りだよ~」|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/10/25/kiji/K20151025011387681.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-09-12 |language=ja}}</ref>。{{Quote box|まつりだ<br/>まつりだ<br/>まつりだ<br/>'''キタサン'''まつり<br/>おれもドンとまた頑張るよ<br/>これが'''競馬'''のまつりだよ|北島三郎<ref>『名馬を読む3』254頁</ref>}}
*競走馬時代の隣の馬房には[[ゴールドシップ]]がおり<ref>{{Cite web|url=https://smart.keibalab.jp/column/yamatoya/5/|title= 「祝・ベルラップ」大和屋暁のコラム「通暁暢達」|publisher=競馬ラボ|website=smart.keibalab.jp|date=2014-07-02|accessdate=2019-12-05}}</ref>、頻繁に併せ馬を行ったり<ref>{{Cite web|url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20140918/ove14091805030002-n1.html|title=ゴールド&ジャスタ、2週連続の豪華な併せ馬!|publisher=[[産業経済新聞社]]|website=サンケイスポーツ|date=2014-09-18|accessdate=2022-03-14}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://www.keibalab.jp/column/interview/701/|title= 【中山金杯】初笑いを飾りたいジャスタウェイ
|publisher=競馬ラボ|date=2013-01-06|accessdate=2022-03-14}}</ref>するなど非常に仲が良かった事でも知られていた<ref>NumberPLUS「Number競馬ノンフィクション傑作選 名馬堂々。」([[Sports Graphic Number]]、[[文藝春秋]] 2021年10月 ISBN 978-4160082571)P94-P98.</ref>。


この菊花賞が日本競馬史上初めてとなる馬主のお立ち台での歌唱事例となった<ref name="サンスポ-菊花賞-まつり">{{Cite web |title=【菊花賞】サブちゃん悲願GIで「まつり」歌った泣いた! |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20151026/ope15102605100012-n4.html |access-date=2023-09-12 |publisher=[[サンケイスポーツ]]}}</ref>。北島は、紅白歌合戦のトリより緊張したという<ref name="サンスポ-菊花賞-まつり" />。この後、キタサンブラックは度々GI優勝、その都度、北島の歌唱も繰り返されることになる。ただ続く有馬記念では3着に敗れたものの歌唱している。中山競馬最終競走終了後の有馬記念回顧イベントにサプライズ出演して『まつり』をカラオケに沿ってフルコーラスで歌い、終いを「これが有馬のまつりだよ~」と歌い上げていた<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】キタサン3着もサブちゃん歌った! |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20151228/ope15122805030005-n1.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2015-12-28 |access-date=2023-09-14 |language=ja-JP}}</ref><ref>{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2015/12/28/0008680351.shtml |title=【有馬記念】サブちゃん負けても歌った |access-date=2023-9-17 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20151228173414/http://www.daily.co.jp/horse/2015/12/28/0008680351.shtml |archive-date=2015-12-28}}</ref>。
== 血統表 ==
{{競走馬血統表
|name = ジャスタウェイ
|f = [[ハーツクライ]]<br />2001 [[鹿毛]]
|m = シビル<br />1999 鹿毛
|ff = *[[サンデーサイレンス]]<br />Sunday Silence<br />1986 [[青鹿毛]]
|fm = [[アイリッシュダンス (競走馬)|アイリッシュダンス]]<br />1990 鹿毛
|mf= [[ワイルドアゲイン|Wild Again]]<br />1980 黒鹿毛
|mm= *シャロン<br/ >Charon<br/ >1987 栗毛
|fff = [[ヘイロー (競走馬)|Halo]]
|ffm = [[ウィッシングウェル|Wishing Well]]
|fmf = *[[トニービン]]
|fmm = *ビューパーダンス
|mff= [[アイスカペイド|Icecapade]]
|mfm= Bushel-n-Peck
|mmf= Mo Exception
|mmm= Double Wiggle
|ffff = [[ヘイルトゥリーズン|Hail to Reason]]
|fffm = [[コスマー|Cosmah]]
|ffmf = Understanding
|ffmm = Mountain Flower
|fmff = *[[カンパラ (競走馬)|カンパラ]]
|fmfm = Severn Bridge
|fmmf = [[リファール|Lyphard]]
|fmmm = My Bupers
|mfff= [[ニアークティック|Nearctic]]
|mffm= Shenanigans
|mfmf= [[カーレッド|Khaled]]
|mfmm= Dama
|mmff= Hard Work
|mmfm= With Exception
|mmmf= Sir Wiggle
|mmmm= Blue Double
|ref1 = <ref name="JBIS_pedigree">{{Cite web|url= http://www.jbis.or.jp/horse/0001106251/pedigree/ |title=血統情報:5代血統表|ジャスタウェイ|JBISサーチ|work=JBISサーチ|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2019-12-28}}</ref><ref name="netkeiba_pedigree">{{Cite web|url= http://db.netkeiba.com/horse/ped/2009106461/ |title=ジャスタウェイの血統表|競走馬データ - netkeiba.com|work=[[netkeiba.com]]|publisher=株式会社ネットドリーマーズ|accessdate=2019-12-28}}</ref>
|mlin = [[サンデーサイレンス系]]([[ヘイロー系]])
|ref2 = <ref>{{Cite web|url= https://www.keibalab.jp/db/breed/11202330/ |title= ジャスタウェイの種牡馬情報|website=競馬ラボ|accessdate=2020-7-24}}</ref><ref name="netkeiba_pedigree"/>
|flin =
|FN = [[2号族|2-n]]
|ref3 = <ref name="JBIS_pedigree"/><ref name="netkeiba_pedigree"/>
|inbr = [[アウトブリード|なし]]
|ref4 = <ref name="JBIS_pedigree"/><ref name="netkeiba_pedigree"/>
|}}
*祖母シャロンは[[コーチングクラブアメリカンオークス|CCAオークス]]勝ち馬<ref>{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000406522/ |title= シャロン(USA) |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2019-12-28}}</ref>。
*半姉:スカイノダン<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000995167/|title=スカイノダン|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2019-12-28}}</ref>(第45回[[北九州記念]]2着<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/race/result/20100815/110/10/|title=2010年8月15日(日)2回小倉2日 10R 北九州記念|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2019-12-28}}</ref>)
*母の叔父に[[シリウスステークス]]、[[中京記念]]勝ちの[[トーヨーレインボー]]<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000995167/|title=トーヨーレインボー|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2019-12-28}}</ref>、母の叔母で[[クリスタルカップ]]2着のエターナルビート<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000310472/|title=エターナルビート|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2019-12-28}}</ref>の仔に[[クイーンカップ]]勝ち馬の[[フォーエバーモア (競走馬)|フォーエバーモア]]<ref>{{Cite web|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001134627/|title=フォーエバーモア|publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|website=JBIS-Search|accessdate=2019-12-28}}</ref>がいる。


翌2016年春は、武豊と初コンビを組んだ始動戦の産経大阪杯は2着、武は「せっかく練習したのに歌えんかった<ref>{{Cite web |title=【大阪杯】キタサンブラック首差2着 武豊“まつり練習したのに”|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2016/04/04/kiji/K20160404012336680.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-09-14 |language=ja}}</ref>」とジョークを飛ばしていた。しかし続く天皇賞(春)を優勝、レース後にはスタンドから『まつり』コールが発生していた<ref name="日刊-2016年天皇賞(春)-まつり">{{Cite web |url=http://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1640507&year=2016&month=5&day=1 |title=北島三郎歌った「今日は豊のまつり~だ~よ」 |access-date=2023-9-12 |publisher=[[日刊スポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20160504025732/http://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1640507&year=2016&month=5&day=1 |archive-date=2016-5-4}}</ref>。北島は、予告していなかったがコールに応えて披露し、終いを「今日は'''豊さん'''のまつりだよ」変えて歌唱した<ref name="日刊-2016年天皇賞(春)-まつり" /><ref>{{Cite web |url=http://www.hochi.co.jp/horserace/20160501-OHT1T50059.html |title=【天皇賞・春】サブちゃん、武豊に「まつり」を催促…やっぱり自ら熱唱 |access-date=2023-9-12 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20160505093256/http://www.hochi.co.jp/horserace/20160501-OHT1T50059.html |archive-date=2016-5-5}}</ref>。夏に頚椎症性脊髄症をきたして療養し、病み上がりだった秋のジャパンカップ優勝後にも歌唱<ref>{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2016/11/27/0009702880.shtml |title=【JC】愛馬キタサンブラックの激走にサブちゃん絶叫! |access-date=2023-9-16 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20161129113149mp_/http://www.daily.co.jp/horse/2016/11/27/0009702880.shtml |archive-date=2016-11-29}}</ref>。そして暮れの有馬記念は、2着に敗れたものの再び終了後の有馬記念回顧イベントで歌唱。前年3着からの2着だったために北島は「あと1年はこの馬も頑張る。来年は1着だ<ref name="デイリー-2016年有馬記念-まつり">{{Cite web |url=http://www.daily.co.jp/horse/2016/12/26/0009781461.shtml |title=【有馬記念】サブちゃん2着でも熱唱 来年はフランスで勝利の凱歌だ! |access-date=2023-9-17 |publisher=[[デイリースポーツ]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20161227085553/http://www.daily.co.jp/horse/2016/12/26/0009781461.shtml |archive-date=2016-12-27}}</ref>」と宣言し。さらにフランスでの歌唱を、つまり凱旋門賞挑戦の意欲も見せていた<ref name="デイリー-2016年有馬記念-まつり" />。
== 関連項目 ==


しかし続く2017年、暮れの有馬記念を優勝するまで取っておくという理由で、『まつり』を封印した<ref>{{Cite web |title=サブちゃん「まつり」封印 「有馬記念まで取っておく」 |url=https://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20170129/enn1701291000004-n1.htm |website=ZAKZAK |access-date=2023-09-14 |language=ja-JP}}</ref>。大阪杯や天皇賞(春)を優勝したが、歌唱はされなかった。そしてこの年限りでの引退を発表し、天皇賞(秋)を優勝しても歌唱せず、ジャパンカップ3着を挟んで、引退レースの有馬記念で戴冠を果たし、宣言通り封印を解いた<ref name="サンスポ-ありキタ-引退式">{{Cite web |title=【有馬記念】ありがとうキタサン!サブちゃん、愛馬に新曲で花道(2頁) |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20171225/ope17122505090007-n2.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-12-25 |access-date=2023-10-08 |language=ja-JP}}</ref>。直後に行われた中山競馬場のお別れセレモニーにて1年ぶりの『まつり』を歌唱し、武も口ずさむ形で初めて参加していた。またこのセレモニーでは『まつり』に限らず、新曲の『ありがとう キタサンブラック』を初披露。「泣いちゃうから<ref name="サンスポ-ありキタ-引退式" />」と収録音源を流していた<ref name="サンスポ-ありキタ-引退式" />。当初は引退式で披露するはずだったが前倒しでの披露となった<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】サブちゃん感涙 特製VTR披露&『まつり』熱唱(2頁) |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20171224/ope17122418460014-n2.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-12-24 |access-date=2023-10-09 |language=ja-JP}}</ref>。
* [[ベルラップ]] - 「'''ジャスタウェイ2世'''」と呼ばれた。

翌2018年1月の引退式では、主催者は、馬が主役であることを根拠に『まつり』披露はないと告知をしていた<ref name="デイリー-引退式">{{Cite web |title=キタサンブラックが引退式 「まつり熱唱はなし」説明もサブちゃん熱唱/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2018/01/07/0010877223.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-10-09 |access-date=2023-10-09 |language=ja}}</ref><ref name="報知-引退式">{{Cite web |title=引退式でキタサンブラック最後の雄姿!サブちゃんサプライズ演出で「まつり」熱唱 |url=https://umatoku.hochi.co.jp/articles/20180107-OHT1T50176.html |website=スポーツ報知 |date=2018-01-08 |access-date=2023-10-09 |language=ja}}</ref>。しかし北島は、ファンを前に「生歌を聴かせないわけにはいかない」としてサプライズで歌唱をしていた<ref name="デイリー-引退式" /><ref name="報知-引退式" />。また『ありがとう キタサンブラック』の収録音源も再度披露されていた<ref name="優駿-2018-2-153" />。

『ありがとう キタサンブラック』とは、北島と親交があり、これまで『さらばハイセイコー』『翔んでディープインパクト』などを手掛けた[[山田孝雄 (作詞家)|山田孝雄]]が作詞、また北島自身――ペンネーム原譲二名義で作詞作曲を務めた演歌である<ref name="宮崎日日-ありキタ">{{Cite web |title=ありがとうキタサンブラック 称賛の歌ファン話題 |url=https://www.the-miyanichi.co.jp/special/happynews/detail.php?detailid=1537958990 |access-date=2023-10-09 |publisher=[[宮崎日日新聞]]}}</ref><ref name="サンスポ-ありキタ-引退式" />。有馬記念直後を初めて披露したその日のうちに約2000ダウンロードを記録<ref name="宮崎日日-ありキタ" />。累計ダウンロードが三桁ほどしかならない演歌ジャンルにもかかわらず人気を博し、2018年1月12日時点で2万5000ダウンロードまで伸ばした<ref name="宮崎日日-ありキタ" />。この曲の収益の一部は、公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナルに寄付され、引退馬振興に役立てられているという<ref>『優駿』2018年2月号 16頁</ref>。

=== 血統 ===

==== 距離 ====
キタサンブラックは、母の父がサクラバクシンオーにもかかわらず、長距離で活躍した<ref>『優駿』2017年3月号 29頁</ref>。サクラバクシンオーの産駒の中長距離の実績に乏しいことから、短距離専門のイメージがついて回り、常識として浸透していたが、キタサンブラックは、その常識を覆していた。確かにサクラバクシンオーは、優れたスピードの持ち主として知られていた。しかし、母がアンバーシャダイの全妹サクラハゴロモであることから、露になっていないだけで、豊富なスタミナも継承されているはずだった<ref name="優駿-2016-1-16">『優駿』2016年1月号 16頁</ref>。一部では、サクラバクシンオーは走っていないだけで、本当は短距離に留まらず、もっと長い距離もこなせるポテンシャルがあると考える者も、軍土門隼夫によれば「少なくはなかった<ref name="優駿-2016-1-16" />」という。長距離馬アンバーシャダイ、もといサクラハゴロモのスタミナは、短距離馬サクラバクシンオーを経由して継承され、キタサンブラックで開花したと考えられている<ref name="優駿-2016-1-16" />。

2015年11月時点において、母の父サクラバクシンオー産駒は288勝を挙げていたが、うち214勝がマイル以下であり、短距離に偏っていた。一方芝2000メートル以上は、5頭による12勝に過ぎなかった<ref name="優駿-2016-1-16" />。この5頭のうちの2頭がオトメゴコロの仔、すなわちキタサンブラックとその半兄のショウナンバッハ(父:[[ステイゴールド (競走馬)|ステイゴールド]])で占めていた<ref name="優駿-2016-1-16" />。[[ファイル:Shonan_Bach_2016_Meguro_Kinen.jpg|サムネイル|半兄ショウナンバッハ(父:[[ステイゴールド (競走馬)|ステイゴールド]])|231x231ピクセル]]
1歳年上のショウナンバッハも、同様にサクラバクシンオー産駒の傾向に逆らい長距離で活躍した。オープン昇格直後の2015年秋にはジャパンカップ出走を果たしたほか、翌2016年初めの[[アメリカジョッキークラブカップ]](GII)では3着<ref name="JBIS-ショウナンバッハ">{{Cite web |title=ショウナンバッハ|url=https://www.jbis.or.jp/horse/0001141165/ |website=www.jbis.or.jp |access-date=2023-10-04}}</ref>。その後も長く重賞戦線で活躍、タイトル獲得はならなかったが、2018年[[新潟記念]](GIII)3着や[[中日新聞杯]](GIII)2着など中距離の重賞で上位となる活躍を果たすことになる<ref name="JBIS-ショウナンバッハ" />。

とは言ってもキタサンブラックが、短距離に強いというイメージが強いサクラバクシンオー産駒の常識を覆し、長距離の適性を公に認めさせるには時間がかかった。出走するたびに距離不安説が付きまとった<ref name="第5コーナー-144" />。特に菊花賞前には、しきりに叫ばれ、解説者はその根拠に次々とサクラバクシンオーを連呼していた<ref name="優駿-2016-1-32">『優駿』2016年1月号 32頁</ref>。それを聞いた北島は「俺の馬はサクラバクシンオーじゃねぇ<ref name="優駿-2016-1-32" />」と思い、腹が立てていた<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】北島、馬主歴50年以上 ブラックは“心の中で絶対勝つと”|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2015/12/22/kiji/K20151222011727750.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-09-17 |language=ja}}</ref>。北島には元から距離不安などなく、長距離をこなす自信があったという<ref name="優駿-2016-1-33" />。

キタサンブラックは、距離不安説を払拭するまでは、実績の割に人気を得られなかった<ref name="第5コーナー-144" />。デビューからしばらくは、大一番の東京優駿を除いて3着以内、馬券圏内を外さない安定した戦績を残したが、それでも支持されなかった<ref name="第5-143">『第5コーナー』143頁</ref>。3歳の秋に、3000メートルの菊花賞を5番人気で優勝し、2500メートルの有馬記念を4番人気3着。翌4歳春の3200メートルの天皇賞(春)を2番人気で優勝し、2200メートルの宝塚記念を2番人気3着と実力を証明し、4歳秋の始動戦の2400メートル、長距離GI2勝馬として迎えたキャリア12戦目の京都大賞典でようやく1番人気を勝ち取っていた<ref name="第5-143" />。

距離不安説を拭い去った後は、反対に距離'''不足'''説も盛んに取り上げられた<ref name="優駿-2018-2-232" />。天皇賞(春)やジャパンカップを優勝しステイヤーとしての地位を確立した2017年には、中距離の大阪杯に出走しているが、この際はスタミナ優位なステイヤーのイメージが浸透して、スピードやキレ不足が懸念されていた<ref name="優駿-2018-2-232" />。しかし大阪杯を優勝し、天皇賞(春)ではレコードタイムで駆け、自身のスピード能力を証明し、周囲が持つイメージを複数回覆していた<ref name="優駿-2018-2-232" />。清水は適性について「走れと言われたら、ダートでも戦える<ref name="優駿-2023-1-46" />」マイルの「安田記念に行ったら、めっちゃ走りそうですね。むしろ適性がわからないぐらい<ref name="優駿-2023-1-46">『優駿』2023年1月号 46頁</ref>」と評している。

==== 性格 ====
もっともこのような血統にもかかわらず、長距離をこなすことができたのは、キタサンブラック自身が落ち着いた性格だったとされている<ref name="優駿-2015-12-49" />。どんな距離でも引っ掛かることなく、折り合いをつけて走ることが可能だった<ref name="優駿-2015-12-49" />。

そもそも母の父サクラバクシンオーがスプリンターになったきっかけは、気が強すぎるところがあった<ref name="優駿-2015-12-49" />。気が強く推進力があることは、一本調子のスプリント戦では有利に働くが、距離が長くなり緩急が加わると引っ掛かり、対応は困難だった。しかしキタサンブラックは、サクラバクシンオーの気の強さをそっくりそのままには受け継がなかった<ref name="優駿-2015-12-49" />。

==== 馬格 ====
ブラックタイドを引き継いで大柄だった。清水は「馬格があって品のある馬<ref>『優駿』2015年6月号 20頁</ref>」であると評している。デビュー時は510キログラムに過ぎなかったが、ハードトレーニング([[キタサンブラック#ハードトレーニング|後述]])を重ねるうちに筋肉が増大して530キログラムまで成長し、GIタイトルを奪取していた<ref name="日経-キタサン">{{Cite web |title=他を圧倒 キタサンブラックの強さの源探る |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO17655100U7A610C1000000/ |website=日本経済新聞 |date=2017-06-17 |access-date=2023-10-08 |language=ja}}</ref><ref name="優駿-2017-4-8" />。

530キログラムで優勝した2015年菊花賞では、2004年[[デルタブルース]]の526キログラムを上回る優勝馬史上最高体重だった<ref name="優駿-2015-12-101" />。また538キログラムで優勝した2016年京都大賞典では、1986年[[スズカコバン]]の516キログラムを上回る優勝馬史上最高体重<ref name="優駿-2016-12-101" />。さらに540キログラムで優勝した2017年大阪杯では、1978年キングラナーク、1996年[[タイキブリザード]]の530キログラムを上回る優勝馬史上最高体重<ref name="優駿-2017-6-87">『優駿』2017年6月号 87頁</ref>。加えて542キログラムで優勝した2017年天皇賞(秋)では、2003年[[シンボリクリスエス]]の534キログラムを上回る優勝馬史上最高体重<ref name="競馬ブック-2018年天皇賞(秋)" />。そして540キログラムで優勝した2017年有馬記念では、2003年シンボリクリスエスの538キログラムを上回る優勝馬史上最高体重だった<ref name="優駿-2018-2-99" />。
==== 所縁 ====
キタサンブラックは、父ブラックタイドが果たせなかったクラシック戴冠を成し遂げている。また父の存在理由でもある父の弟、傑出馬ディープインパクトの産駒を次々撃破して、ディープインパクトのGI優勝記録で並び、獲得賞金では上回る活躍を見せた。例えば大阪杯では、2014年[[キズナ (競走馬)|キズナ]]、2015年[[ラキシス (競走馬)|ラキシス]]、2016年アンビシャスとディープインパクト産駒が3連覇中だったが、その「代替種牡馬」であるブラックタイド産駒が優勝し、ディープインパクトの聖域を侵す活躍を見せた<ref name="優駿-2017-6-87" />。キャリアの中盤から終盤は、ブラックタイドやディープインパクトに騎乗した武豊が主戦騎手を担った。武は、ディープインパクトの引退レースである2006年有馬記念以来となる有馬記念優勝を果たしたうえ、1990年オグリキャップと合わせて有馬記念3勝目、すべて引退レースを優勝に導いていた<ref>{{Cite web |title=武豊とキタサンのハッピーエンド。名馬の枠を超えた絶対スターの引退。(2頁) |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/829562?page=2 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。

天皇賞(春)では日本レコードで優勝し、父の弟であるディープインパクトの2006年の記録を上回っていた<ref name="優駿-2017-6-95" />。また母の父サクラバクシンオーは1994年のスワンステークスやスプリンターズステークスにて、母の父の父サクラユタカオーもまた1986年の毎日王冠や天皇賞(秋)を日本レコードで制しており、先祖に続くレコードブレイカーだった<ref name="優駿-2017-6-95" />。

またジャパンカップは、母の父の父であるサクラユタカオーが1986年に果たせなかった、あるいはその半弟で1982年の第1回ジャパンカップにて超ハイペースで逃げて敗れ「日の丸[[特別攻撃隊|特攻隊]]」と評された[[サクラシンゲキ]]の無念を晴らす、逃げ切り優勝を果たしていた<ref name="優駿-2017-1-89" />。それから大阪杯は、母の父の父サクラユタカオーの1986年産経大阪杯に続く優勝であり、出走メンバーで唯一歴代優勝馬の血を継承する者が新生大阪杯の初代王者となっていた<ref name="優駿-2017-6-87" />。

さらに有馬記念は、初挑戦が3着、2年目が2着と敗れた後、2017年の引退レースとなる3年目で優勝を果たしていた<ref name="優駿-2018-2-99">『優駿』2018年2月号 99頁</ref>。母の父の母の全兄、すなわちサクラハゴロモの兄であるアンバーシャダイ以来史上2頭目となる、有馬記念1着2着3着経験を果たしていた<ref name="優駿-2018-2-99" />。キタサンブラックは右肩上がりに着順を伸ばしたが、アンバーシャダイは初挑戦の1981年に優勝し、翌1982年は[[ヒカリデユール|ヒカリデュール]]に敗れる2着となり、翌々1983年は[[リードホーユー]]とテュデナムキングに敗れる3着であり、正反対に右肩下がりの着順を辿っていた<ref name="優駿-2018-2-99" />。
=== ハードトレーニング ===
キタサンブラックは、清水厩舎独特のハードトレーニングで鍛えられた。中学生時代は大阪の名門陸上部で長距離選手として在籍していた清水は、疲労が出るまで鍛えることが、成長への早道だという考えの持ち主だった<ref name="優駿-2017-9-69">『優駿』2017年9月号 69頁</ref>。そのため練習後のケアを考慮しつつも、キタサンブラックを攻めに攻めて成長を促していた<ref>『優駿』2017年9月号 68頁</ref>。

成長の要因は、なによりキタサンブラックが、頑丈な体の持ち主で、清水のそのハードトレーニングに応え続ける才能に恵まれていたことだった<ref name="優駿-2017-2-17">『優駿』2017年2月号 17頁</ref><ref name="日経-キタサン" />。性格はおとなしく、調教の妨げになるような行動をしなかった<ref name="日経-キタサン" />。しかし気持ちのスイッチは自由自在で、騎手の要求にすぐに反応して駆けることができる賢さがあった<ref name="日経-キタサン" /><ref name="優駿-2017-4-8" />。それに体が柔らかく、多少の変化にも動じない図太さがあった<ref name="優駿-2017-9-69" />。おとなしさと賢さなどを併せ持つため、消耗が少なく済み<ref name="優駿-2017-4-8" />、故障のリスクは少なかった<ref name="優駿-2017-9-69" />。

また調教量が増えるなどを感じると、出走直前であることを察して飼葉の量を減らすなど、人間の手を煩わせずとも自ら体を仕上げることが可能だった<ref name="優駿-2017-4-8" />。清水は「本当に鍛えがいのある馬<ref name="優駿-2017-2-17" />」であると述べている。

3歳秋、クラシック最終戦の菊花賞を目指す過程において、ハードトレーニングは始まっていた。清水によれば「どんな結果になろうと、自分が納得したかったから<ref name="優駿-2015-12-49" />」として、負荷が大きいとされている栗東トレーニングセンターのCウッドコースを、1周半から2周半に、Cウッドコースから坂路走破させたりという内容の「かなりハード<ref name="優駿-2015-12-49" />」(清水)なメニューを強いていた<ref name="優駿-2015-12-49" />。始動戦のセントライト記念は仕上がり途上でありながら優勝し、その後は一変。良い状態で迎えた菊花賞を優勝していた<ref name="優駿-2015-12-49" />。翌年の4歳もそのハードトレーニングに応え続け、本格化を果たしていた<ref name="優駿-2017-2-17" />。

また翌々年、現役最終年の大阪杯には、「現在では滅多に見ない<ref name="優駿-2017-5-60" />」(岡本光男)栗東坂路コース走破1日3本を三度こなして臨み、優勝を果たしていた<ref name="優駿-2017-5-60" />。ただし引退を決めて臨んだ最後の秋は、「坂路三本」というようなハードトレーニングはせず、状態維持や調整を重視して仕上げられた<ref name="優駿-2017-12-28">『優駿』2017年12月号 28頁</ref>。「秋の古馬三冠競走」を全うするために、そして北島は特に有馬記念優勝を所望していたために、最終戦までを考慮しながらできる限り良い状態に仕上げる工夫がなされた<ref name="優駿-2017-12-28" />。最終追い切りを「馬なり」に留めるなど負荷こそ軽くしていた<ref>『優駿』2018年1月号 9頁</ref>。清水は仕上げに抜かりはないと考えていた<ref name="優駿-2018-1-20" />。雨中の天皇賞(秋)を経たジャパンカップは3着に敗れたが、状態面には自信が持っていた<ref name="優駿-2018-1-20" />。

=== 手向けの勝利 ===
キタサンブラックに携わった関係者には、複数の訃報があった。まず騎手では、新馬戦に騎乗した騎手の[[後藤浩輝]]である。後藤は、重賞に挑戦する前の3歳春の頃、2015年2月末に自殺したとされた<ref>{{Cite web |title=競馬界に衝撃!現役ジョッキー後藤騎手が首つり自殺 |url=http://race.sanspo.com/keiba/news/20150228/etc15022805060003-n1.html |website=予想王TV@SANSPO.COM |date=2015-02-28 |access-date=2023-10-04 |language=ja-JP}}</ref>。北村宏司は、菊花賞優勝直後に「後藤さんが『これからが楽しみな馬』と言っていた。いろいろな人の縁を感じる<ref>{{Cite web |title=【菊花賞】ブラック距離不安はねのけV/デイリースポーツ online |url=https://www.daily.co.jp/horse/2015/10/26/0008512256.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-10-08 |access-date=2023-10-08 |language=ja}}</ref>」と述べている。

もう一人、後期の主戦騎手武豊の父で、かつて騎手だった[[武邦彦]]である。武邦彦は、初めて天皇賞(春)を優勝し宝塚記念で3着となった後の4歳夏の頃、2016年夏に病死していた<ref>{{Cite web |title=武邦彦さん死去「ターフの魔術師」闘病の末、力尽く|url=https://p.nikkansports.com/goku-uma/news/article.zpl?topic_id=1&id=1694021&year=2016&month=08&day=13 |website=p.nikkansports.com |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。武豊は、2016年天皇賞(春)を優勝した直後に、体調を崩して入院中の父邦彦を見舞っていた。邦彦は、病院を訪れる息子を待ち、対面を果たすと手を取っておめでとうと称えていた<ref name="ありキタ-72">『ありがとう キタサンブラック』72頁</ref>。豊によれば、邦彦が「そんなことをしてくれたのは初めて<ref name="ありキタ-72" />」だったという。

そして2017年末、暮れの有馬記念を優勝した直後、記念写真を待つまでの間に、武豊はキタサンブラックに跨りながら、天上を指で差していた<ref name="平松-顕彰馬">{{Cite web |title=顕彰馬キタサンブラックの深イイ話。北島三郎に清水師、武豊は天に……|url=https://number.bunshun.jp/articles/-/843868 |website=Number Web - ナンバー |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。武豊は、天国にいる後藤と武邦彦に対して、有馬記念優勝の報告をしていた<ref name="平松-顕彰馬" /><ref name="ありキタ-72" />。

また育成を担った日高軽種馬共同育成公社の場長である加納雅己は、闘病中の身ながら「シュガー」――後のキタサンブラックの育成に携わっていた<ref name="名馬3-236">『名馬を読む3』236頁</ref>。デビューする前の2014年12月2日に53歳で死去、最後に送り出した調教馬が「シュガー」だった<ref name="名馬3-236" />。

さらにかつて北島が所有し、2001年の[[ファンタジーステークス]](GIII)を優勝したキタサンヒボタンの生産者であるカタオカステーブル代表、北島と長い関係にあった片岡禹雄は、天皇賞(春)連覇直前の2017年4月25日に病死していた<ref name="日刊-カタオカ" />。そして告別式を行った翌日、4月30日の天皇賞(春)を優勝して連覇を果たしていた<ref name="日刊-カタオカ" />。北島は「神様、ご先祖様がこんな宝物を与えてくれたのかな。そんな気持ち<ref name="日刊-カタオカ" />」と振り返っている。

=== 活躍がもたらした悪影響 ===

キタサンブラックの活躍により、種牡馬ブラックタイドの人気は高まり、種付け料が吊り上がっていた。

ブラックタイド産駒は、例えば種牡馬選定の意味合いの強い2015年東京優駿(日本ダービー)にキタサンブラックをはじめ、コメート、[[タガノエスプレッソ]]とともに参戦を果たし、フルゲート18頭のうち3頭を占めることに成功していた<ref name="優駿-2015-6-31">『優駿』2015年6月号 31頁</ref>。また同年菊花賞優勝により、ブラックタイドは、既に牝馬三冠馬や東京優駿優勝馬などクラシック優勝馬を多数輩出していた弟ディープインパクトに続いて、クラシック優勝を果たしていた。父[[ダイオライト]]母[[フリッパンシー]]から成り、1952年菊花賞優勝のセントオーの父である[[セントライト]]。父[[プリメロ]]母フリッパンシーから成り、1956年菊花賞優勝のキタノオーなどの父である[[トサミドリ]]以来となる兄弟でのクラシック優勝種牡馬となっていた<ref name="優駿-2015-12-101">『優駿』2015年12月号 101頁</ref>。

ブラックタイドの存在理由は、当初ディープインパクトの「代替種牡馬」に過ぎず、高額のディープインパクトには手が届かない小規模牧場などの受け皿となることだと考えられていた。その通り、安い種付け料の設定で、毎年100頭以上の繁殖牝馬を集めていた<ref name="優駿-2015-6-31" />。しかし産駒が活躍すると、初年度50万円だった種付け料は大台を突破して高級種牡馬になっていた<ref>『優駿』2016年2月号 51頁</ref>。

そしてキタサンブラック活躍中の2015年には、日高地方、社台スタリオンステーション以外の種牡馬では最多、シーズン途中で100万円から200万円へ倍の値上げをしていた<ref name="優駿-2015-12-115" />。にもかかわらず、勢い止まらず194頭の繁殖牝馬を集めていた<ref name="優駿-2015-12-115">『優駿』2015年12月号 115頁</ref>。人気はうなぎ上りとなる中、負担軽減を図ってブリーダーズ・スタリオン・ステーションは更なる値上げに踏み切り、2016年には300万円に到達。生産者が気軽に選択できる存在ではない種牡馬となっていた<ref>『優駿』2016年8月号 20-21頁</ref>。
== 定量的評価 ==

=== 獲得賞金 ===
;JRA獲得賞金<ref name="優駿-2018-2-23" /><ref name="ありキタ-89" />
{| class="wikitable"
!位
!競走馬名
!生年
!性
!JRA成績
!JRA獲得賞金
|-
!1
|'''キタサンブラック'''
|2012
|牡
|20戦12勝
|'''18億7684万3000円'''
|-
!2
|[[テイエムオペラオー]]
|1996
|牡
|26戦14勝
|18億3518万9000円
|-
!3
|[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]
|2002
|牡
|13戦12勝
|14億5455万1000円
|-
!4
|[[ゴールドシップ]]
|2009
|牡
|27戦13勝
|13億9776万7000円
|-
!5
|[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]
|2006
|牝
|21戦{{0}}9勝
|13億8643万3000円
|-
!6
|[[オルフェーヴル]]
|2008
|牡
|17戦10勝
|13億4408万4000円
|-
!7
|[[ジェンティルドンナ]]
|2009
|牝
|17戦{{0}}9勝
|13億2621万0000円
|-
!8
|[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]
|2004
|牝
|22戦10勝
|13億{{0}}487万6000円
|-
!9
|[[ゼンノロブロイ]]
|2000
|牡
|19戦{{0}}7勝
|11億1560万8000円
|-
!10
|[[スペシャルウィーク]]
|1995
|牡
|17戦10勝
|10億9262万3000円
|}
競走馬生活晩年、2017年の大阪杯を優勝して[[ゼンノロブロイ]]を追い抜いて歴代8位となり<ref>{{Cite web |title=大阪杯アラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/65577 |website=競馬ブック |access-date=2023-09-26}}</ref>、続く天皇賞(春)も優勝して[[オルフェーヴル]]まで追い抜いて歴代5位となった<ref name="優駿-2017-6-70" />。そして秋の天皇賞(秋)を優勝してディープインパクトまで追い抜き歴代2位<ref name="競馬ブック-2018年天皇賞(秋)" />、さらに有馬記念も優勝してテイエムオペラオーを抜き、引退レースで歴代1位に浮上、最多獲得賞金記録を樹立した<ref>『優駿』2018年2月号 77頁</ref>。

;獲得賞金の加算推移
{| class="wikitable"
| colspan="9" |JRA獲得賞金(3歳以上)
|-
|年度
|順位
|獲得賞金額
|成績
|勝ち鞍(太字強調はGI競走)
|1位
|出典
|-
|2015
|{{0}}4位
|{{0}}3億5557万3000円
|8戦5勝
|'''菊花賞'''、スプリングS、セントライト記念
|[[ラブリーデイ]]
|<ref>{{Cite web |title=2015年度 リーディングホース(サラ系3歳以上)【賞金順】 JRA |url=https://www.jra.go.jp/datafile/leading/h2015o.html |website=www.jra.go.jp |access-date=2023-10-04}}</ref>
|-
|2016
|'''{{0}}{{Color|darkred|1位}}'''
|{{0}}7億1193万0000円
|6戦3勝
|'''天皇賞(春)'''、'''ジャパンC'''、京都大賞典
|([[サトノダイヤモンド]])
|<ref>{{Cite web |url=https://www.jra.go.jp/datafile/leading/2016pdf/h2016o.pdf |title=本年出走馬成績一覧表(賞金順) |access-date=2023-10-4 |publisher=[[日本中央競馬会]] |archive-date=2016-12-26 |archive-url=https://web.archive.org/web/20161226221242/https://www.jra.go.jp/datafile/leading/2016pdf/h2016o.pdf}}</ref>
|-
|2017
|'''{{0}}{{Color|darkred|1位}}'''
|{{0}}8億{{0}}934万0000円
|6戦4勝
|'''大阪杯'''、'''天皇賞(春・秋)'''、'''有馬記念'''
|([[シュヴァルグラン]])
|<ref>{{Cite web |url=https://www.jra.go.jp/datafile/leading/2017pdf/h2017o.pdf |title=本年出走馬成績一覧表(賞金順) |access-date=2023-10-4 |publisher=[[日本中央競馬会]] |archive-date=2017-12-29 |archive-url=https://web.archive.org/web/20171229232106/http://www.jra.go.jp/datafile/leading/2017pdf/h2017o.pdf}}</ref>
|-
| colspan="2" |合計
|18億7684万3000円
|
|
|
|
|-
|}
GI1勝に留まった2015年こそ4位だったが、出走レースすべてで上位にあり続け、天皇賞(春)とジャパンカップを優勝した翌2016年には、7億円超えを果たして年間賞金王となった。1994年クラシック三冠、有馬記念優勝を果たした[[ナリタブライアン]]、2000年全勝、GI5勝「秋の古馬三冠」も果たした[[テイエムオペラオー]]、2006年全勝、GI4勝を挙げた[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]、2011年クラシック三冠、有馬記念優勝を果たした[[オルフェーヴル]]に続いて史上5頭目となる7億円越えを果たしていた<ref>{{Cite web |title=第71回 「7億円」 |url=https://enjoy.jbis.or.jp/column/?p=1 |website=JBISサーチ(JBIS-Search):国内最大級の競馬情報データベース |date=2022-07-12 |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。

さらに2017年にも、GI4勝を挙げて再び年間賞金王に君臨。シンボリルドルフ、[[スペシャルウィーク]]、ディープインパクトに続いて史上4頭目となる2年連続賞金王に輝いた<ref name="ありキタ-89" /><ref name="競馬ブック-2017有馬記念">{{Cite web |title=有馬記念アラカルト |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/66872 |website=競馬ブック |access-date=2023-10-04}}</ref>。獲得賞金8億円は、2000年テイエムオペラオーの10億円に次いで史上2位となる年間獲得賞金だった<ref name="競馬ブック-2017有馬記念" />。

=== 勝利数 ===
;JRAGI勝利数<ref name="ありキタ-89" />
{| class="wikitable"
!<small>勝利数</small>
!<small>生年</small>
!<small>性</small>
!<small>競走馬名</small>
!JRAGI勝ち鞍
|-
| rowspan="5" |7勝
|1981
|牡
|[[シンボリルドルフ]]
|<small>84年[[中央競馬クラシック三冠|クラシック三冠]]([[皐月賞]]、[[東京優駿]]、[[菊花賞]])、[[有馬記念]]</small><br/><small>85年[[天皇賞(春)]]、[[ジャパンカップ]]、有馬記念</small>
|-
|1996
|牡
|[[テイエムオペラオー]]
|<small>99年皐月賞</small><br/><small>00年天皇賞(春)、[[宝塚記念]]、[[天皇賞(秋)]]、ジャパンカップ、有馬記念</small><br/><small>01年天皇賞(春)</small>
|-
|2002
|牡
|[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]
|<small>05年クラシック三冠(皐月賞、東京優駿、菊花賞)</small><br/><small>06年天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念</small>
|-
|2004
|牝
|[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]
|<small>06年[[阪神ジュベナイルフィリーズ]]</small><br/><small>07年東京優駿</small><br/><small>08年[[安田記念]]、天皇賞(秋)</small><br/><small>09年[[ヴィクトリアマイル]]、安田記念、ジャパンカップ</small>
|-
|2012
|牡
|'''キタサンブラック'''
|<small>15年菊花賞</small><br/><small>16年天皇賞(春)、ジャパンカップ</small><br/><small>17年[[大阪杯]]、天皇賞(春)、天皇賞(秋)、有馬記念</small>
|}
;JRA重賞勝利数<ref name="ありキタ-89" />
{| class="wikitable"
!位
!勝利数
!競走馬名
!生年
!性
!勝利重賞(太字強調は、八大競走及びGI級競走)
|-
| rowspan="3" |1
| rowspan="3" |12勝
|[[スピードシンボリ]]
|1963
|牡
|<small>66年[[京成杯]]</small><br/><small>67年[[アメリカジョッキークラブカップ|アメリカJCC]]、[[目黒記念|目黒記念(春)]]、'''[[天皇賞(春)]]'''、[[日本経済賞]]</small><br/><small>68年[[アルゼンチンジョッキークラブカップ|アルゼンチンJCC]]</small><br/><small>69年目黒記念(春)、[[ダイヤモンドステークス|ダイヤモンドS]]、'''[[有馬記念]]'''</small><br/><small>70年アメリカJCC、'''[[宝塚記念]]'''、'''有馬記念'''</small>
|-
|[[オグリキャップ]]
|1985
|牡
|<small>88年[[ペガサスステークス|ペガサスS]]、[[毎日杯]]、[[京都4歳特別]]、[[ニュージーランドトロフィー4歳ステークス|NZT4歳S]]、[[高松宮杯 (競馬)|高松宮杯]]、[[毎日王冠]]、'''有馬記念'''</small><br/><small>89年[[オールカマー]]、毎日王冠、'''[[マイルチャンピオンシップ|マイルCS]]'''</small><br/><small>90年'''[[安田記念]]'''、'''有馬記念'''</small>
|-
|[[テイエムオペラオー]]
|1996
|牡
|<small>99年毎日杯、'''[[皐月賞]]'''</small><br/><small>00年[[京都記念]]、[[阪神大賞典]]、'''天皇賞(春)'''、'''宝塚記念'''、</small><br/><small>[[京都大賞典]]、'''[[天皇賞(秋)]]'''、'''[[ジャパンカップ]]'''、'''有馬記念'''</small><br/><small>01年'''天皇賞(春)'''、京都大賞典</small>
|-
|4
|11勝
|[[ゴールドシップ]]
|2009
|牡
|<small>12年[[共同通信杯]]、'''皐月賞'''、[[神戸新聞杯]]、'''[[菊花賞]]'''、'''有馬記念'''</small><br/><small>13年'''宝塚記念'''</small><br/><small>14年[[阪神大賞典]]、'''宝塚記念'''</small><br/><small>15年阪神大賞典、'''天皇賞(春)'''</small>
|-
| rowspan="4" |5
| rowspan="4" |10勝
|[[ニホンピロウイナー]]
|1980
|牡
|<small>82年[[デイリー杯3歳ステークス|デイリー杯3歳S]]</small><br/><small>83年[[きさらぎ賞]]、[[CBC賞]]</small><br/><small>84年[[朝日チャレンジカップ|朝日チャレンジC]]、[[スワンステークス|スワンS]]、マイルCS</small><br/><small>85年[[読売マイラーズカップ|読売マイラーズC]]、[[京王杯スプリングカップ|京王杯SC]]、'''安田記念'''、'''マイルCS'''</small>
|-
|[[シンボリルドルフ]]
|1981
|牡
|<small>84年[[弥生賞]]、'''皐月賞'''、'''[[東京優駿]]'''、[[セントライト記念]]、'''菊花賞'''、'''有馬記念'''</small><br/><small>85年[[日経賞]]、'''天皇賞(春)'''、'''ジャパンカップ'''、'''有馬記念'''</small>
|-
|[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]
|2002
|牡
|<small>05年弥生賞、'''皐月賞'''、'''東京優駿'''、神戸新聞杯、'''菊花賞'''</small><br/><small>06年阪神大賞典、'''天皇賞(春)'''、'''宝塚記念'''、'''ジャパンカップ'''、'''有馬記念'''</small>
|-
|'''キタサンブラック'''
|2012
|牡
|<small>15年[[スプリングステークス|スプリングS]]、セントライト記念、'''菊花賞'''</small><br/><small>16年'''天皇賞(春)'''、京都大賞典、'''ジャパンカップ'''</small><br/><small>17年'''[[大阪杯]]'''、'''天皇賞(春)'''、'''天皇賞(秋)'''、'''有馬記念'''</small>
|}

=== レーティングによる評価 ===

==== 国際的評価 ====
{| class="wikitable"
| colspan="11" |[[ワールド・ベスト・レースホース・ランキング]]
|-
| rowspan="2" |年度
| rowspan="2" |順位
| rowspan="2" |レート
| colspan="2" |部門
| colspan="5" |コラム別
| rowspan="2" |出典
|-
|距
|場
|S
|M
|I
|L
|E
|-
|2015
|97位
|'''117'''
|LE
|芝
|
|
|
|117
|117
|<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/WTRRankings/2015_LWBRRa.asp |website=www.ifhaonline.org |access-date=2023-09-11 |title=LONGINES WORLD'S BEST RACEHORSE RANKINGS 2015 |publisher=[[国際競馬統括機関連盟]]}}</ref>
|-
|2016
|12位
|'''123'''
|L
|芝
|
|
|
|123
|
|<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/WTRRankings/2016_LWBRR_xZy.asp |website=www.ifhaonline.org |access-date=2023-09-11 |title=LONGINES WORLD'S BEST RACEHORSE RANKINGS 2016 |publisher=[[国際競馬統括機関連盟]]}}</ref>
|-
|2017
|{{0}}9位
|'''124'''
|L
|芝
|
|
|
|124
|
|<ref>{{Cite web |url=https://www.ifhaonline.org/resources/WTRRankings/LWBRR.asp?batch=47 |website=www.ifhaonline.org |access-date=2023-09-11 |title=The LONGINES World's Best Racehorse Rankings For 3yos and upwards which raced in 2017 (The next edition will be released on 15th March 2018) |publisher=[[国際競馬統括機関連盟]]}}</ref>
|-
| colspan="11" style="font-size:0.9em;" |〔注〕距離およびコラムの「SMILE」は、それぞれ下記の距離区分の略号。

* S = Sprint(短距離): 1000 - 1300 m、北米は1000 - 1599 m
* M = Mile(マイル): 1301 - 1899 m、北米は1600 - 1899 m
* I = Intermediate(中距離): 1900 - 2100 m
* L = Long(長距離): 2101 - 2700 m
* E = Extended(超長距離): 2701 m -
|-
|}

==== 日本国内での評価 ====
{| class="wikitable"
| colspan="14" |[[JPNサラブレッドランキング]]
|-
| rowspan="2" |年度
| colspan="2" |部門
| rowspan="2" |順位
| rowspan="2" |レート
ポンド (lb)
| rowspan="2" |キログラム
換算 (kg)
| colspan="5" |コラム別
| colspan="2" |部門最高(次点)評価
| rowspan="2" |出典
|-
|齢
|場
|S
|M
|I
|L
|E
|馬名
|コラム/数
|-
|2015
|3歳
|芝
|{{Color|darkblue|2位}}
|'''117'''
|53.0
|
|
|
|117
|117
|[[ドゥラメンテ]]
|L/121
|<ref>『優駿』2016年2月号 77頁</ref>
|-
| rowspan="3" |2016
| rowspan="4" |4歳上
| rowspan="3" |芝
| rowspan="3" |{{Color|darkblue|2位タイ}}
| rowspan="2" |'''123'''
| rowspan="2" |55.5
| rowspan="2" |
| rowspan="2" |
| rowspan="2" |
| rowspan="2" |123
| rowspan="2" |117
|[[エイシンヒカリ]]
|M/127
| rowspan="3" |<ref>『優駿』2017年3月号 86頁</ref>
|-
| rowspan="2" |[[モーリス (競走馬)|モーリス]]
| rowspan="2" |I/127
|-
| colspan="2" |同2位[[サトノクラウン]]
|
|
|
|123
|
|-
|2017
|芝
|{{Color|darkred|1位}}
|'''124'''
|56.0
|
|
|123
|124
|121
|[[シュヴァルグラン]]
|L/123
|<ref>{{Cite web |url=https://www.jra.go.jp/datafile/ranking/jpn/2017/4-turf.pdf |title=JPNサラブレッドランキング 2017年 |access-date=2023-9-16 |publisher=[[日本中央競馬会]]}}</ref>
|}

=== 表彰 ===

==== JRA賞での評価 ====
{| class="wikitable"
| colspan="9" |[[JRA賞]]
|-
|年度
|部門
|順位
|得票/満票
| colspan="2" |受賞(次点)馬
|備考
|出典
|-
| rowspan="2" |2015
|[[JRA賞年度代表馬|年度代表馬]]
|{{0|-}}4位
|{{00}}1/291票
|[[モーリス (競走馬)|モーリス]]
|{{0}}82票
|{{Efn|次点[[ラブリーデイ]]55票、第3位[[ドゥラメンテ]]19票。ほか該当馬なし1票<ref name="優駿-2016-2-64">『優駿』2016年2月号 64頁</ref>。}}
| rowspan="2" |<ref name="優駿-2016-2-64" />
|-
|[[JRA賞最優秀3歳牡馬|最優秀3歳牡馬]]
|{{Color|darkblue|次点}}
|{{00}}6/291票
|[[ドゥラメンテ]]
|142票
|
|-
| rowspan="2" |2016
|'''年度代表馬'''
|'''{{Color|darkred|受賞}}'''
|134/291票
| rowspan="2" |(モーリス)
|{{0}}90票
|{{Efn|第3位[[サトノダイヤモンド]]66票、該当馬なし1票<ref name="優駿-2016-2-64" />。}}
| rowspan="2" |<ref>『優駿』2017年2月号 73頁</ref>
|-
|[[JRA賞最優秀5歳以上牡馬|'''最優秀4歳以上牡馬''']]
|'''{{Color|darkred|受賞}}'''
|201/291票
|{{0}}90票
|
|-
| rowspan="2" |2017
|'''年度代表馬'''
|'''{{Color|darkred|受賞}}'''
|287/290票
|[[オジュウチョウサン]]
|{{00}}3票
|
| rowspan="2" |<ref name="優駿-2018-2-155" />
|-
|[[JRA賞最優秀5歳以上牡馬|'''最優秀4歳以上牡馬''']]
|'''{{Color|darkred|受賞}}'''
|290/290票
| colspan="2" |'''満票選出'''
|
|}
[[ファイル:Maurice Tenno Sho(Autumn)2016(IMG1).jpg|サムネイル|224x224ピクセル|[[モーリス (競走馬)|モーリス]]]]
菊花賞を優勝した2015年は、[[JRA賞年度代表馬|年度代表馬]]部門と[[JRA賞最優秀3歳牡馬|最優秀3歳牡馬]]部門で票こそ得たが、少数に留まり受賞には至らなかった。しかし翌2016年、天皇賞(春)とジャパンカップを優勝しGI2勝を記録し、年度代表馬と[[JRA賞最優秀4歳以上牡馬|最優秀4歳以上牡馬]]を受賞している。この年は、モーリスとサトノダイヤモンドもGI級競走を複数勝利しており、モーリスはキタサンブラックを上回るGI級3勝、サトノダイヤモンドは3歳ながら有馬記念でキタサンブラックを直接下して優勝していた<ref name="number-年度代表馬">{{Cite web |url=https://number.bunshun.jp/articles/-/827258?page=2 |title=キタサンブラックが年度代表馬に! ディープ以来の「客を呼べる馬」。 |access-date=2023-10-4 |publisher=[[Sports Graphic Number]]}}</ref>。しかしモーリスは、うち2勝が香港の[[チャンピオンズマイル]]と[[香港カップ]]だったためにインパクトに欠け、島田明宏によれば国内での取りこぼしも複数あったことも、悪く映ったという<ref name="number-年度代表馬" />。一方のキタサンブラックは、年間通して3着以内を守り続け、サトノダイヤモンドに敗れた有馬記念も僅差の2着だった。島田によれば、この安定性が好印象に映り、受賞につながったという<ref name="number-年度代表馬" />。

現役最終年となった2017年は、大阪杯と春秋天皇賞、有馬記念を優勝してGI4勝を記録した。対立候補も同じ平地競走にはほとんど出現せず、満票近い票を集めて年度代表馬を、満票で最優秀4歳以上牡馬を受賞した<ref name="優駿-2018-2-155" />。前身の[[優駿賞]]などを含めた中央競馬の年度末表彰において、1964年65年受賞の[[シンザン]]、1980年81年[[ホウヨウボーイ]]、1984年85年[[シンボリルドルフ]]、2002年03年[[シンボリクリスエス]]、2005年06年[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]、2008年09年[[ウオッカ (競走馬)|ウオッカ]]に続いて史上7頭目の2年連続年度代表馬受賞だった<ref name="優駿-2018-3-153">『優駿』2018年3月号 153頁</ref>。またその6頭と、1967年70年受賞の[[スピードシンボリ]]と2012年14年[[ジェンティルドンナ]]の2頭を加えた史上9頭目となる2度目の年度代表馬受賞を果たしていた<ref name="優駿-2018-3-153" />。
[[ファイル:Oju Chosan Nakayama Grand Jump 2016(IMG1).jpg|サムネイル|235x235ピクセル|[[オジュウチョウサン]]]]
年度代表馬部門は、3票流出して満票選出とはならなかった<ref name="優駿-2018-2-155" />。満票を妨げたのは、同じ平地競走の活躍馬ではなく、[[障害競走]]で活躍した[[オジュウチョウサン]]だった<ref name="優駿-2018-2-155" />。重賞4連勝中でこの年を迎えたオジュウチョウサンは、それから重賞4戦4勝を果たして重賞8連勝、春秋障害GIである[[中山グランドジャンプ]]と[[中山大障害]]をダブル連覇を果たして、史上初めてとなる障害GI4連勝を成し遂げていた。障害の名馬となったオジュウチョウサンは、キタサンブラックが引退した翌年に、平地へ再挑戦。騎手に武豊を起用して平地の500万円以下、1000万円以下を連勝して、暮れの有馬記念にも参戦し大きな注目を集めた<ref name="オジュウ有馬">{{Cite web |title=【有馬記念】オジュウチョウサン奮闘9着 武豊「やりたいレースはできた、感動した」 |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=149004 |website=netkeiba.com |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。武は、キタサンブラックの翌年のグランプリ騎乗馬にオジュウチョウサンを選択、連覇を目指したが9着だった<ref name="オジュウ有馬" />。
オジュウチョウサンは、障害再転向などを経験しながら2023年まで走り、障害GI9勝を挙げる活躍を果たしたが、障害競走にも騎乗する黒岩は、キタサンブラックについて「冗談交じりに<ref name="優駿-2023-1-46" />」(江面弘也)このように話している。{{Quotation|障害を跳ばせてもじょうず{{ママ}}だと思いますよ。オジュウチョウサンどころではない|黒岩悠<ref name="優駿-2023-1-46" />}}

==== 顕彰馬選考における評価 ====
{| class="wikitable"
!年
!得票
!率
!順位
!結果
!選出
!出典
|-
|2019
|140
|72.5%
|{{0}}'''{{Color|darkred|1位}}'''
|落選
|なし
|<ref name="JRA-2019年顕彰馬">{{Cite web2|url=https://www.jra.go.jp/news/201906/pdf/061101_01.pdf|title=2019年度 顕彰馬選定記者投票 得票数|accessdate=2023-09-15|publisher=日本中央競馬会|format=PDF|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210117085925/https://www.jra.go.jp/news/201906/pdf/061101_01.pdf|archivedate=2021-01-17}}</ref>
|-
|2020
|'''158'''
|'''80.6%'''
|'''{{0}}{{Color|darkred|1位}}'''
|'''選出'''
|'''キタサンブラック'''
|<ref name="JRA-2020年顕彰馬">{{Cite web2|url=https://www.jra.go.jp/news/202006/pdf/060901_01.pdf|title=2020年度 顕彰馬記者投票 得票数|accessdate=2023-09-15|format=PDF|archiveurl=https://web.archive.org/web/20210608005302/https://www.jra.go.jp/news/202006/pdf/060901_01.pdf|archivedate=2021-06-08}}</ref>
|-
| colspan="7" |
{| class="wikitable"
|-
| colspan="11" style="font-size:0.9em;" |
* 選出は投票者数の「'''4分の3以上(75パーセント)'''」の得票が必要。
* 2019年は193人、2020年196人の記者が参加。
* 記者1人あたり最大4頭に投票する権利を有する。
|}
|}
初めて、JRA顕彰馬選考の対象となった2019年は、投票数二桁に留まる[[スペシャルウィーク]]や[[モーリス (競走馬)|モーリス]]、[[ブエナビスタ (競走馬)|ブエナビスタ]]などを上回り1位となる140票を集めたが、得票率は72.5パーセントに留まり、選出に必要な75パーセントの基準に5票だけ届かず、初年度での選出は叶わなかった<ref name="JRA-2019年顕彰馬" />。しかし2020年、同じように二桁に留まる[[キングカメハメハ]]やスペシャルウィーク、ブエナビスタを尻目に票を伸ばして158票を獲得<ref name="JRA-2020年顕彰馬" />。選出基準を上回る得票率80.6パーセントを記録し、2018年選出の[[ロードカナロア]]に続き史上34頭目の顕彰馬となった<ref>{{Cite web |title=GI7勝馬キタサンブラック、史上34頭目の殿堂入り |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20200610/etc20061005000002-n1.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2020-06-10 |access-date=2023-10-04 |language=ja-JP}}</ref>。

===== その他の表彰 =====

* 2015年「FUN OF THE YEAR」(馬主北島三郎が受賞)(中山馬主協会主催の「今年、最も日本中を楽しませ、勇気づけた人物、団体に贈られる賞」この年限りでサッカー選手を引退した[[澤穂希]]と同時受賞)<ref>{{Cite web |url=http://www.hochi.co.jp/horserace/20151221-OHT1T50196.html |title=北島三郎「有馬記念」レセプションでキタサンブラックの“勝利宣言” |access-date=2023-9-17 |publisher=[[スポーツ報知]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20151225045126/http://www.hochi.co.jp/horserace/20151221-OHT1T50196.html |archive-date=2015-12-25}}</ref>
* 2016年度[[関西競馬記者クラブ賞]]<ref>『優駿』2017年2月号 156頁</ref>
* 2017年度関西競馬記者クラブ賞<ref name="優駿-2018-2-155">優駿 2018年2月号 155頁</ref>

=== ファン投票実施競走の投票結果 ===
{| class="wikitable"
| colspan="8" |中央競馬のファン投票レース
|-
|年度
|競走名
|順位
|票数
| colspan="2" |1位(2位)馬
|有効投票総数
|出典
|-
| rowspan="2" |2015
|[[宝塚記念]]
|36位
|{{0|0万0}}3633票
| rowspan="2" |[[ゴールドシップ]]
|{{0}}6万6123票
|{{0}}70万8837票
|<ref>{{Cite web |url=http://www.jra.go.jp/news/201506/061103.html |title=宝塚記念ファン投票 最終結果発表! |access-date=2023-9-11 |publisher=[[日本中央競馬会]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20150715023425/http://www.jra.go.jp/news/201506/061103.html |archive-date=2015-7-15}}</ref>
|-
|[[有馬記念]]
|{{0}}{{Color|darkgreen|3位}}
|{{0}}9万3925票
|12万{{0}}981票
|147万5755票
|<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】ファン投票最終結果1位はゴールドシップ|url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=105125 |website=netkeiba.com |access-date=2023-09-11 |language=ja}}</ref>
|-
| rowspan="2" |2016
|宝塚記念
|{{0}}'''{{Color|darkred|1位}}'''
|{{0}}8万2121票
|([[ラブリーデイ]])
|{{0}}6万4269票
|101万5162票
|<ref>『優駿』2016年7月号 40頁</ref>
|-
|有馬記念
|{{0}}'''{{Color|darkred|1位}}'''
|13万7353票
| rowspan="3" |([[サトノダイヤモンド]])
|11万7192票
|154万3464票
|<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】ファン投票1位はブラック、2位にサトノダイヤモンド|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2016/12/08/kiji/K20161208013870900.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-09-11 |language=ja}}</ref>
|-
| rowspan="2" |2017
|宝塚記念
|{{0}}'''{{Color|darkred|1位}}'''
|10万1621票
|{{0}}7万8566票
|110万6746票
|<ref>『優駿』2017年7月号 65頁</ref>
|-
|有馬記念
|{{0}}'''{{Color|darkred|1位}}'''
|12万4641票
|{{0}}8万2173票
|138万6468票
|<ref>{{Cite web |title=キタサンブラックが2年連続1位 有馬記念ファン投票 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK40436_X01C17A2000000/ |website=日本経済新聞 |date=2017-12-07 |access-date=2023-09-11 |language=ja}}</ref>
|}
スプリングステークス優勝馬に過ぎない2015年の宝塚記念では36位に留まったが、菊花賞を優勝直後の有馬記念では3位となる支持を集めた。そして翌2016年、天皇賞(春)優勝直後の宝塚記念では、約8万票を集めて初めて1位となった。その後は、2016年有馬記念と2017年はいずれもファン投票で1位となり、4回連続1位を守って引退している<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】キタサン、ファン投票で得票率史上最高1位 |url=https://race.sanspo.com/keiba/news/20171208/ope17120805020002-n1.html |website=サンスポZBAT!競馬 |date=2017-12-08 |access-date=2023-09-15 |language=ja-JP}}</ref>。2017年有馬記念では、約8万票のサトノダイヤモンドに約4万票をつけた約12万票を獲得。2位との得票差は、歴代最高だった<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】レースの注目点 |url=https://umanity.jp/racedata/race_newsdet.php?nid=6637871 |website=競馬予想のウマニティ |date=2017-12-18 |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。

なかでも有馬記念では得票を伸ばし、2016年には得票率79パーセントを記録し、2006年[[ディープインパクト (競走馬)|ディープインパクト]]の78.7パーセントを上回り、インターネットでの投票受付を開始した1998年以降、有馬記念史上最高得票率記録を更新していた<ref>{{Cite web |title=【有馬記念】キタサンブラック有終&感動締めだ 坂路で軽快「言うことなし」|url=https://www.daily.co.jp/horse/2017/12/18/0010826527.shtml |website=デイリースポーツ online |date=2023-10-04 |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref><ref name="スポニチ-得票率">{{Cite web |title=【有馬記念】2年連続得票率79%、連対率は圧巻の66%超|url=https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2017/12/21/kiji/20171220s00004048299000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2023-10-04 |language=ja}}</ref>。さらに翌2017年には、その得票率を79.9パーセントまで伸ばし、自身の史上最高得票率記録をさらに更新していた<ref name="スポニチ-得票率" />。

成り上がる前の2015年の宝塚記念を除いて、ファン投票実施競走には、すべて応えて出走している<ref name="ありキタ-89" />。2017年、春の古馬GI3連勝が懸かった宝塚記念こそ9着大敗するも、それ以外ではすべて馬券圏内で応えていた<ref name="ありキタ-89" />。ただ勝利で応えたのは引退レース、挑戦3回目の有馬記念だけだった。前々年の有馬記念は3着、前年は2着、そして3年目で有馬記念「グランプリ」戴冠を果たしていた<ref name="ありキタ-89" />。

3回以上の挑戦が実り有馬記念を戴冠したのは、1966年に初参戦して1969年70年を連覇した[[スピードシンボリ]]、1977年に初参戦して1979年に優勝した[[グリーングラス]]に続いて史上3頭目だった<ref name="ありキタ-89" />。また前年有馬記念2着から翌年に優勝を果たしたのは、1958年[[オンワードゼア]]、1967年[[カブトシロー]]、1977年[[テンポイント]]、2006年ディープインパクト、2008年[[ダイワスカーレット]]に続いて史上6頭目だった<ref name="ありキタ-89" />。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}

=== 注釈 ===
=== 注釈 ===
{{Reflist|group=注}}
<references group="釈" />

=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
{{Reflist|4}}


== 外部リンク ==
== 参考文献 ==
* {{競走馬成績|netkeiba=2009106461|yahoo=2009106461|jbis=0001106251|racingpost=792922/just-a-way}}


* 有吉正徳『第5コーナー 競馬トリビア集』三賢社、2020年9月。ISBN 978-4-908655-17-3
{{Navboxes|title=表彰・GI勝ち鞍
** (改訂前同内容収録)有吉正徳「[https://web.archive.org/web/20231004020731/https://enjoy.jbis.or.jp/column/ariyoshi/2016/009391 【第5コーナー~競馬余話~(68)】『本命』]」
** (改訂前同内容収録)有吉正徳「[https://enjoy.jbis.or.jp/column/ariyoshi/2017/009847 【第5コーナー~競馬余話~(79)】『追加登録』]」
* 江面弘也『名馬を読む3』三賢社、[[2021年]][[5月22日]]。ISBN 4908655197
** 初出『優駿』(日本中央競馬会)江面弘也「キタサンブラック物語」
*** 2017年7月号「第1話 誕生」
*** 2017年8月号「第2話 幕開」
*** 2017年9月号「最終話 覚醒」
*** 2017年12月号「第二章第1話 不惑」
*** 2018年1月号「第二章第2話 佳境」
*** 2018年2月号「第二章第3話 大団円」
* 木村幸治『調教師物語』洋泉社、1997年。ISBN 4896912926
** 「境勝太郎 馬人生のすべてをサクラに捧ぐ」
*島田明宏『[https://web.archive.org/web/20230606032054/https://books.netkeiba.com/?pid=book_info&id=12 キタサンブラック 登り詰めた最強の座]』([[Netkeiba|netkeiba+Books]])2017年12月20日。最終閲覧日:2023年10月4日。
**「[https://web.archive.org/web/20220222162136/https://books.netkeiba.com/?pid=book_detail&bid=12&cid=1 第1章 『意外と強い』から始まった伝説]」
**「[https://web.archive.org/web/20231004020459/https://books.netkeiba.com/?pid=book_detail&bid=12&cid=2 第2章 『実力先行型』で重ねた勝利]」
* 『[[週刊Gallop]]』([[産業経済新聞社]])
** 臨時増刊(2018年2月22日号)「ありがとうキタサンブラック 夢とロマンを背負い王道を駆け抜けた国民的名馬」
*** 浅田次郎「【特別寄稿】黒い神馬」
*** 「【インタビュー】北島三郎オーナー 『神様からの贈り物』だと思っています」
*** 松永昌也「【ロングインタビュー】清水久詞調教師 本当に幸せな3年間でした」
*** 沢田康文「【ロングインタビュー】武豊騎手」
*** 和田稔夫「【インタビュー】北村宏司騎手」
*** 「【キタサンブラックを陰で支えた男たち】デビュー前から追い切りを担当した黒岩悠騎手」
*** 「【キタサンブラックを陰で支えた男たち】最も長い時間をともに過ごした辻田義幸厩務員」
*** 「【キタサンブラックの故郷】ヤナガワ牧場 ドラマチックな日々を、ありがとう」
* 『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
** 1992年7月号
*** 「【'92年3歳新種牡馬たち】主な3歳新種牡馬のプロフィール紹介 *ジャッジアンジェルーチ」
** 1992年9月号
*** 「【'92 3歳有力新種牡馬たち】ボールドルーラー系 *ジャッジアンジェルーチ」
** 1994年5月号
*** 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝(96)】琥珀色の機関車 アンバーシャダイ」
**1995年2月号
***植林伸二「【競作ノンフィクション・シリーズ】世界に誇るスピード王 サクラユタカオーは内国産種牡馬のエース」
***深沢一千代(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第28回スプリンターズステークス(GI)サクラバクシンオー」
**2000年9月号
***井口民樹「【サラブレッド・ヒーロー列伝<レース編>(69)】ノースフライトVSサクラバクシンオー(上)悠然たる最終飛行 1994(平成6)年 マイルチャンピオンシップ」
** 2001年6月号
*** 「【重賞データファイル】第3回中山グランドジャンプ(J-GI)ゴーカイ」
** 2007年7月号
*** 阿部珠樹「【優駿たちの故郷を訪ねて~2007春~】ヤナガワ牧場 父の夢の、その先へ」
** 2014年8月号
*** 阿部珠樹「【優駿たちの故郷を訪ねて】ヤナガワ牧場 人と人と馬の輪」
** 2015年5月号
*** 「【重賞プレイバック】第64回フジテレビ賞スプリングステークス(GII)キタサンブラック」
**2015年6月号
***日夏ユタカ「【プレイバック皐月賞】上位人気4頭はいかにクラシック一冠を戦ったのか」
***岡本光男「【大舞台に立つ精鋭たちの素顔】キタサンブラック 清水久詞 デビュー4か月で夢のステージへ」
***山田康文(馬事通信)「【馬産地のダービー】今年はキタサンブラックが筆頭格 日高から狙う最高の栄誉」
***「【重賞プレイバック】第75回皐月賞(GI)ドゥラメンテ」
**2015年7月号
***横手礼一「【レース回顧】ハイレベルなクラシック戦線でひときわ輝いた『特別な存在』」
***軍土門隼夫「【それぞれの東京優駿戦記 夢の舞台を駆け抜けて】6番人気14着キタサンブラック 先行勢には厳しい流れ 配線も今後の伸びしろに期待」
***「【重賞プレイバック】第82回東京優駿(GI)ドゥラメンテ」
**2015年11月号
***「【重賞プレイバック】第69回朝日杯セントライト記念(GII)キタサンブラック」
**2015年12月号
***岡本光男(日刊スポーツ・関西)「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック 血のドラマに逆らうドラマ」
***優駿編集部「【杉本清の競馬談義(367)】清水久詞調教師」
***「【重賞プレイバック】第76回菊花賞(GI)キタサンブラック」
** 2016年1月号
*** 軍土門隼夫「【第60回有馬記念プレビュー】キタサンブラック 勢いに乗る菊花賞馬」
*** 優駿編集部「【杉本清の競馬談義(368)】北島三郎さん」
**2016年2月号
***山田康文(馬事通信)「【2015年の蹄跡(18)】日高繋養の種牡馬が次々と名を上げる」
***河村清明「【2015年の蹄跡(20)】日高の牧場 日高産馬が活躍した2つの要因」
***「【2015年度JRA賞決定!】年度代表馬はモーリス」
***三好達彦「【第60回有馬記念】我慢に我慢を重ね、ゴールドアクターが頂点へ!」
***「【重賞プレイバック】第60回有馬記念(GI)ゴールドアクター」
***吉川良「【競馬その愛(84)】はてしない夢」
**2016年4月号
***岡本光男(日刊スポーツ・関西)「【2016春の主役たち 国内古馬編】キタサンブラック どんな競馬にも対応する菊花賞馬」
**2016年5月号
***谷川善久「【第153回天皇賞・春プレビュー】完全本格化のグランプリホースか それとも強い世代の菊花賞馬か」
**2016年6月号
***有吉正徳「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック 菊花賞馬と盾男、必勝の組み合わせ」
***「【重賞プレイバック】第60回産経大阪杯(GII)アンビシャス」
***辻一郎(TPC)「【種牡馬プロファイル(4)】ブラックタイド 3世代目産駒がクラシック制覇 奥行きを秘めた馬産地期待のサイヤー」
***山田康文(馬事通信)「【馬産地の『声』】市場における産駒評価も急上昇」
**2016年7月号
***谷川善久「【第57回宝塚記念レビュー】充実の4歳勢3騎か 連覇を目指す昨年の主役か」
***「【重賞プレイバック】第153回天皇賞(春)(GI)キタサンブラック」
**2016年8月号
***河村清明「【名馬に魅せられて 2016夏】ブラックタイド」
***有吉正徳「【GIインサイドストーリー】マリアライト 力強さも備えたディープインパクト産駒」
***「【重賞プレイバック】第57回宝塚記念(GI)マリアライト」
**2016年12月号
***軍土門隼夫「【ジャパンカッププレビュー】日本馬の"主役"は4頭。『ホーム』なら負けられない!」
***「【重賞プレイバック】第51回農林水産省賞典 京都大賞典(GII)キタサンブラック」
** 2017年1月号
*** 軍土門隼夫「【第61回有馬記念プレビュー】名実ともに現役最強馬へ キタサンブラック」
*** 沢田康文「【グランプリへの決意】キタサンブラックに騎乗予定 武豊」
*** 島田明宏「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック ポテンシャルと戦術の調合」
*** 「【重賞プレイバック】ジャパンオータムインターナショナル ロンジン賞 第36回ジャパンカップ(GI)キタサンブラック」
**2017年2月号
***石田敏徳「【2016年の蹄跡(1)】キタサンブラック "新たな領域"への前進」
***有吉正徳「【2016年の蹄跡(3)】サトノダイヤモンド 進化を止めない若き駿才」
***村本浩平「【2016年の蹄跡(19)】ディープインパクト&ブラックタイド GI戦線で異彩を放った ウインドインハーヘア」
***「【2016年度JRA賞】年度代表馬はキタサンブラック」
***「【重賞プレイバック】第61回有馬記念(GI)サトノダイヤモンド」
***「【ニュース&トピックス】2016年度記者クラブ各賞発表――厩舎関係者表彰受賞者も決定」
***辻一郎(TPC)「【種牡馬プロファイル(12)】ディープインパクト」
** 2017年3月号
*** 出川塁「【一代経て影響を与える 母の父の力】類い稀なスピードをそのままに サクラバクシンオー」
*** 優駿編集部「【歴代チャンピオンサイヤーの血】母の父を経由して歴代名種牡馬の血が入った2016年の年度代表馬 キタサンブラック」
*** 河村清明「【優駿たちの故郷を訪ねて】ヤナガワ牧場(北海道日高町)深みと強さを醸し出す『時』」
** 2017年4月号
*** 軍土門隼夫「【大阪杯レビュー 巻頭言】強さの種類としての新たなカテゴリー」
*** 三好達彦「【大阪杯プレビュー】キタサンブラック 記念すべき舞台でリベンジはなるか!?」
**2017年5月号
***軍土門隼夫「【第61回大阪杯】王者キタサンブラックが完勝!さらなる進化を見せつけた!」
***岡本光男(日刊スポーツ・関西)「【第155回天皇賞(春)プレビュー】春の淀で両雄が再び激突」
**2017年6月号
***有吉正徳「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック 死闘を制して真の絶対王者に!」
***「【重賞プレイバック】第61回大阪杯(GI)キタサンブラック」
***「【重賞プレイバック】第155回天皇賞(春)キタサンブラック」
**2017年7月号
***江面弘也「【キタサンブラック物語】第1話 誕生」
***軍土門隼夫「【第58回宝塚記念レビュー】悲願のグランプリ制覇なるか 主役は現役最強馬キタサンブラック」
**2017年8月号
***江面弘也「【キタサンブラック物語】第2話 幕開」
***軍土門隼夫「【GIインサイドストーリー】サトノクラウン "世界レベル"のリベンジ」
**2017年9月号
***江面弘也「【キタサンブラック物語】最終話 覚醒」
**2017年10月号
***江面弘也「【才気溢れる優駿たちの鼓動】天皇賞春秋連覇を目指すチャンピオンホース キタサンブラック」
**2017年12月号
***江面弘也「【キタサンブラック物語】第二章第1話 不惑」
***三好達彦「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック 雨中の決戦で際立った"強さ"」
***「【重賞プレイバック】第156回天皇賞(秋)(GI)キタサンブラック」
**2018年1月号
***三好達彦「【第62回有馬記念 出走予定馬紹介】悲願のグランプリ制覇ラストランで キタサンブラック」
***江面弘也「【キタサンブラック物語】第二章第2話 佳境」
***沢田康文「【キタサンブラックに騎乗予定】武豊 堂々と受けて立つ」
***平松さとし「【GIインサイドストーリー】シュヴァルグラン 勝利を手繰り寄せた陣営のプラン」
***「【重賞プレイバック】ジャパンオータムインターナショナル ロンジン賞 第37回ジャパンカップ(GI)シュヴァルグラン」 
**2018年2月号
***江面弘也「【キタサンブラック物語】第二章 第3話 大団円」
***軍土門隼夫「【2017年の蹄跡(1)】キタサンブラック レッテルは剥がすもの」
***島田明宏「【レースレビュー】第62回有馬記念(GI)稀代のスターホースが演出したイヴの熱戦」
***「【重賞プレイバック】第62回有馬記念(GI)キタサンブラック」
***「【ニュース&トピックス】京都競馬場でキタサンブラックとコパノリッキーの引退式が行われる」
***「【ニュース&トピックス】2017年記者クラブ賞発表――厩舎関係者表彰受賞者も決定」
**2018年3月号
***江面弘也「【キタサンブラック物語】第二章 最終話 去来」
***「【ニュース&トピックス】受賞馬関係者に盛んな拍手――2017年度JRA賞授賞式」
**2018年8月号
***軍土門隼夫「【あのスターホースがいる場所へ】キタサンブラック 群を抜く機敏さ」
***優駿編集部「【杉本清の競馬談義400回カウントダウンスペシャル(399)】杉本清 武豊」
**2023年1月号
***江面弘也「【特別読物】キタサンブラックのグランプリ 三度挑んだ暮れの大舞台」

== 外部リンク ==
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* [https://www.jra.go.jp/gallery/dendo/horse34.html キタサンブラック:競馬の殿堂JRA]
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2023年10月9日 (月) 05:44時点における版

キタサンブラック
第76回菊花賞本馬場入場
(2015年10月25日)
欧字表記 Kitasan Black[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1][2]
毛色 鹿毛[1][2]
生誕 2012年3月10日(12歳)[1][2]
抹消日 2018年1月8日[3]
ブラックタイド[1][2]
シュガーハート[1][2]
母の父 サクラバクシンオー[1][2]
生国 日本の旗 日本北海道沙流郡日高町[2]
生産者 ヤナガワ牧場[1][2]
馬主 有限会社大野商事[1][2]
調教師 清水久詞栗東[1][2]
調教助手 押田道郎[4]
厩務員 辻田義幸[4]
競走成績
タイトル JRA賞年度代表馬(2016年・2017年)
最優秀4歳以上牡馬(2016年・2017年)[1]
顕彰馬(2020年選出)[5]
生涯成績 20戦12勝[1][2]
獲得賞金 18億7684万3000円[1][2]
WBRR L117 - E117 / 2015年[6]
L123 / 2016年[7]
L124 / 2017年[8]
勝ち鞍
GI 菊花賞 2015年
GI 天皇賞(春) 2016年・2017年
GI ジャパンカップ 2016年
GI 大阪杯 2017年
GI 天皇賞(秋) 2017年
GI 有馬記念 2017年
GII スプリングS 2015年
GII セントライト記念 2015年
GII 京都大賞典 2016年
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キタサンブラック(欧字名:Kitasan Black2012年3月10日 - )は、日本競走馬種牡馬[1]

日本中央競馬会顕彰馬である。

概要

北海道日高町ヤナガワ牧場で生産された父「代替種牡馬」ブラックタイド、母父サクラバクシンオーの牡馬である。「キタサン」の冠名を用いる国民的演歌歌手の北島三郎が所有し、栗東トレーニングセンター清水久詞調教師を担った。キャリア前半は北村宏司が、後半は武豊主戦騎手を務めたほか、後藤浩輝浜中俊横山典弘も騎乗した。主に逃げ先行策から押し切る戦法で、優勝を積み重ねた。

3歳となった2015年1月にデビューし、無傷の3連勝でスプリングステークス(GII)を優勝した。春のクラシックは、いずれもドゥラメンテに敗れ二冠を許したが、秋の最終戦・菊花賞(GI)でクラシック戴冠を果たした。古馬となった2016年は、2004年イングランディーレ以来、2003年タップダンスシチー以来となる天皇賞(春)(GI)、ジャパンカップ(GI)逃げ切り優勝を果たした。また有馬記念(GI)2着、宝塚記念(GI)3着となるなど年間の出走機会すべて3着以内となり、この年のJRA賞年度代表馬および最優秀4歳以上牡馬を受賞した。

翌2017年は、GI昇格初年度の大阪杯(GI)を優勝し、天皇賞(春)は2006年ディープインパクトを上回るレコードを樹立して連勝とした。続く宝塚記念では、設置初年度となった「春の古馬三冠競走」戴冠が懸かったが9着大敗だった。続く秋の再起初戦、不良馬場の天皇賞(秋)(GI)は出遅れ、逆境に立たされたが跳ね返し優勝。2007年メイショウサムソン以来史上5頭目となる天皇賞春秋連覇を果たして、レコード樹立の春とは異なり「逆レコードタイム」での優勝、また2001年テイエムオペラオー以来史上2頭目となる天皇賞3勝を記録した。さらに暮れ、引退レースの有馬記念で2008年ダイワスカーレット以来となる逃げ切り優勝を果たし、史上最多タイとなるJRAGI7勝に到達した。

競走馬引退後は、種牡馬として供用され、重賞優勝産駒を輩出。2022年天皇賞(秋)や有馬記念、2023年ドバイシーマクラシック(G1)や宝塚記念を優勝したイクイノックス(母父:キングヘイロー)、2023年皐月賞(GI)を優勝したソールオリエンス(母父:モティヴェーター)の父として知られる。

誕生までの経緯

北島三郎

北島三郎

北島三郎は、北海道出身の演歌歌手である。農耕馬がいる土地で育ち、上京してからは、芸能事務所・新栄プロダクションに属して活動し、『なみだ船』などヒット曲を連発して有名歌手になった[9]。新栄プロダクションには、社長の西川幸男や先輩歌手の春日八郎村田英雄がおり、いずれも馬主だった。その西川や春日から勧められて、自身も馬主活動を始めていた[9]

北島は当初「リュウ」や「マコト」などを所有した[10]。当初は、自身にゆかりのある家族の名前などを競走馬名に充てていたが、次第に別れが寂しくなり、冠名を使用することになった[10][11]。父から、すぐに息子の馬であるか判別できるよう要請されたこともあり、芸名「北島三郎」の「」と「」を抽出した「キタサン」という冠名を使用するようになった[11]。社長や先輩に誘われて始めたが馬主活動は長く続き、2010年代になると馬主歴は半世紀に到達した。歴代所有馬は150頭以上になったが[11]、最高峰のGIタイトルには縁がなかった。

活躍所有馬は、1992年平和賞全日本3歳優駿を優勝したキタサンテイオーや、2001年ニュージランドトロフィー(GII)優勝のキタサンチャンネル、2001年ファンタジーステークス(GIII)優勝のキタサンヒボタンなど重賞優勝馬はいた。これらの馬は、函館西高校ラグビー部のジャージーを模した白地の勝負服で活躍していた[12]。しかし後が続かず、いつしか所有馬の成績は低迷し、GIタイトルからも遠ざかっていた[12]。そんな頃、娘から勝負服の変更を勧められていた。北島は、縁起の良い色の研究などをして、新たなに「黒、茶三本輪」の服色の勝負服に変更していた[12]

新勝負服

ヤナガワ牧場

北西牧場

ヤナガワ牧場は、北海道平取町で始まった競走馬生産牧場である。日高軽種馬農業協同組合の獣医師として活躍し、馬産地に直腸検査をいち早く導入した立役者である1914年生まれの梁川正雄が、農協の退職金を当てにして1967年に開業していた[13][14]。長男である1943年生まれの梁川正克は、麻布大学獣医科に在学しており就活生だった。しかし日本中央競馬会への内定を蹴り、父を助けるべく実家に戻っていた[13][14][15]

同じ頃、芸能事務所である新栄プロダクションの創業者であり、冠名「ウエスタン」を用いる馬主でもある西川幸男が、生産牧場経営にも乗り出し、オーナーブリーダーになろうとしていた[14]。西川は、ちょうど新米馬主だった島三郎に声をかけていた。そして、二人の名字から「」「西」を抜き出してつなげた「北西牧場」を開設していた[16]

西川は、梁川正雄と深い関係を築いており、北西牧場開設にあたって、牧場長就任のオファーをしていた。しかし正雄には、既に自分の牧場があり、応えることができなかった[14]。そこで、父のために実家に戻ってきたはずの長男の正克が派遣されることになっていた[14]。まだ若い正克は、西川の強力なバックアップを受けながら牧場長として、1975年の天皇賞(秋)や1976年宝塚記念などを優勝したフジノパーシア、1979年の天皇賞(秋)を優勝したスリージャイアンツなど活躍馬を輩出する活躍を果たした[16]

一方、正克の実家であるヤナガワ牧場は、長男を送り出した後は創業者正雄とその次男、つまり正克の弟で切り盛りしていた[14]。しかし送り出して10年ほど経過した後に、その次男が27歳で急死していた[14]。次男を欠いたことで牧場経営が立ち行かなくなり、正克は北西牧場長を辞めて、再び実家の救済に帰還した[14]

新生ヤナガワ牧場

ヤナガワ牧場は、大物馬主が開設した北西牧場と比べて、広さも馬質も劣る小規模牧場だった[14]。正克は、規模の違いに苦労したが、元上司の西川から繁殖牝馬を1頭譲り受ける施しを受けたり、北西牧場時代に構築した調教師らの人脈を生かしたりなどして、経営を軌道に乗せることに成功した[14][17]。正雄が14頭の繁殖牝馬を抱えて創業し、正克が軌道に乗せて少しずつ牧場の規模を拡大させ[17]、平取を支場に引っ込めて、新たに門別町を本場とする二場体制を築くようになっていた[18]。さらに繁殖牝馬も度々入れ替えて、血統の更新に努めていた[18]

そして正克が二代目となる頃には、50頭前後の繁殖牝馬を繋養するようになっていた[17]。活躍する生産馬も続々輩出し、1988年にはガクエンツービートが、武豊が騎乗するスーパークリークに次ぐ菊花賞2着となった[16]。そして2007年には、サンライズバッカスフェブラリーステークス(GI)を優勝して、JRAGI初優勝を果たしていた[19]

サンライズバッカス

1970年に生まれた梁川正晋は、二代目正克の長男、創業者正雄の孫である[17]。同じ麻布大学を卒業した後は、「早来町の社台ファーム」やアメリカ、アイルランドなどでの修業を経て[16]、ヤナガワ牧場に舞い戻り、父正克とともに牧場経営に参画した[17][20]。そして2012年、三代目となっていていた[20]。ただ代替わりが発生したといっても、正晋によれば「代表者の名義を父から私に変えたというだけで(中略)特に変わりはありません[20]」と、特にこれといって変わったことをしていなかった[20]

コパノリチャード
コパノリッキー

それでも一つ、夜中も放牧地に馬を晒し続ける「夜間放牧」[注釈 1]を実施するようになっていた。「夜間放牧」を当歳の頃からするようになった最初の世代に、コパノリチャードコパノリッキーがいた[20]。コパノリチャードは2014年の高松宮記念(GI)を優勝し、コパノリッキーは、2014年からフェブラリーステークスを連覇するなど活躍し、サンライズバッカスに続くJRAGIタイトル奪取を果たしていた[22]。この頃は、10名の従業員で約45頭の繁殖牝馬とその仔も管理する体制になっていた[13]。規模的には、家族経営の小牧場にも大手牧場にも当てはまらない「中堅と書くのが適当である[13]」(河村清明)牧場だった。

ヤナガワ牧場は三代目となったが、北島との関係は途切れていなかった[18]。正晋は北西牧場で育ち、北島とも度々会っていた[18]。前代から続くこの関係は、2010年代に入って半世紀ほどになっていた[18]

清水久詞

清水久詞

清水久詞は、中央競馬の栗東トレーニングセンターに厩舎を構える調教師である。父は、2004年スプリンターズステークスを優勝したカルストンライトオ清水貞光であり、幼い頃から競馬に親しみ騎手になる夢があった[23]。その夢は頓挫したものの、切り替えて調教師を目指すようになっていた[24]。育成牧場勤務から競馬学校を経て、栗東トレーニングセンターの浜田光正厩舎に入り、厩務員と調教助手を兼ねる「持ち乗り調教助手」として活動した[25]。主だった担当馬には、1998年牝馬二冠、2000年エリザベス女王杯を優勝するファレノプシスがいた[25]

2000年代に突入し30歳となると、夢に向かって調教師試験を受験するようになっていた。そしていくつかの不合格を経験して36歳、2009年3月にして合格を勝ち取り、調教師免許を取得していた[26]。免許取得から厩舎開業まではブランクがあるのが通常で、その間は厩舎を持たない技術調教師として過ごすこととなった。技術調教師の間は、外国への研修など開業の準備に充てようと考えていた[26]。しかし直後の3月20日、2001年宝塚記念優勝のメイショウドトウなどの管理で知られ、キタサンダーリンを管理する真っ只中だった調教師安田伊佐夫が病気のために死去していた[26]。厩舎解散により、馬房に空きが生まれたため、技術調教師2人の前倒し開業が決定した[27]。この時、厩舎の空きを待っていた栗東の技術調教師は、清水のほかに2人いた。対象の3人から2人を選ぶ抽選に清水は当選[27]。同年6月、清水厩舎が急遽開業することになっていた[28][注釈 2]

最初の管理馬には、旧安田厩舎から引き継いだ馬たちがいた。その1頭が、北島三郎が所有するキタサンダーリンであり、これをきっかけに北島との関係が築かれた。キタサンダーリンは、結局未勝利に終わり活躍できなかったが、関係は途切れなかった[26]。厩舎開業した年に生まれたキタサンパイロットから、毎年1頭ずつ管理を引き受けるようになっていた[26]

清水厩舎は、開業5年目の2013年のダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)をトウケイヘイローで制して重賞初勝利を挙げている[29]。トウケイヘイローは、有り余るスピードから頻繁に引っ掛かるため、短距離やマイルにこだわって使われ、古馬になった春にマイル重賞優勝を叶えていた[30][31]。続いて清水は、マイルGIである安田記念に格上挑戦させようと考えていた[31]。しかし安田記念のメンバーは、賞金上位馬がひしめいており、重賞1勝、1600万円以下の立場では出走すら叶わないことが判明した[31]。清水は除外の場合、当初マイルの1600万円以下、自己条件参戦を検討していたが、状態の良さに自信があった[29]

トウケイヘイロー

そこで直前になって敢えて重賞挑戦、安田記念と同じ週に行われる鳴尾記念(GIII)で未知の2000メートル挑戦を選択[30][31]。たまたま騎乗馬がいなかった武豊を起用して参戦していた[30]。初コンビとなった武は、スピードに勝るトウケイヘイローを宥めて折り合いを実現、優勝に導いていた[30]

以来トウケイヘイローは、武とともに中距離戦をひた走り、続く函館記念(GIII)、札幌記念(GII)を連勝してサマー2000シリーズのチャンピオンになったり、天皇賞(秋)(GI)や香港カップ(G1)、ドバイデューティフリー(G1)に参戦したりした[29]。トウケイヘイローは、最終的に重賞4勝を挙げる活躍を果たした。しかしGII優勝に留まり、GI級競走では、天皇賞(秋)2番人気10着、香港カップ2着、シンガポール航空インターナショナルカップ4着[注釈 3]に終わった[29]。清水厩舎のGIタイトル奪取は、トウケイヘイローでは叶えられなかった[29]。それでもトウケイヘイローは、清水厩舎の知名度を高めていた[29]

血統的経緯

血統

キタサンブラックの血統 (血統表の出典)[35] [34]
        *Hail to Reason *Turn-to
  *Nothirdchance
  Sunday Silence Halo *Cosmah *Cosmic Bomb
* サンデーサイレンス   *Almahmoud
    *Understanding *Promised Land
  1986 青鹿毛 米国   *Pretty Ways
  Wishing Well *Mountain Flower *Montparnasse
ブラックタイド       *Edelweiss
      *Lyphard *Northern Dancer
    *Goofed
2001 黒鹿毛   Wind in Her Hair Alzao *Lady Rebecca *Sir Ivor
* ウインドインハーヘア   *Pocahontas
      *Busted *Crepello英語版
  1991 鹿毛 愛国   *Sans le Sou
  Burghclere *Highclere *Queen's Hussar英語版
      *Highlight
        *テスコボーイ *Princely Gift
  *Suncourt
  サクラユタカオー *アンジェリカ *ネヴァービート
サクラバクシンオー   *スターハイネス
    *ノーザンテースト *Northern Dancer
  1989 鹿毛 日本   *Lady Victoria
  サクラハゴロモ *クリアアンバー *Ambiopoise
シュガーハート       *One Clear Call
      Judge Angelucci *Honest Pleasure英語版 *What a Pleasure
    *Tularia
2005 鹿毛   * ジャッジアンジェルーチ *Victorian Queen *Victoria Park
オトメゴコロ   *Willowfield
      Tizly *Lyphard *Northern Dancer
  1990 栗毛 日本   *Goofed
  * ティズリー *Tizna *Trevieres
      *Noris
父系 サンデーサイレンス系 (出典)[36]
母系 ファミリーナンバー:F9-g(ティズリー系(アメリカ)) (出典)[37] [34]
5代内の近親交配 Lyphard=4×4、Northern Dancer=5×5×5  (出典)[38] [34][36]
上記血統表中、4桁の数字は生年を表す。国名は生産国を表す。「*」は日本へ輸入された馬を示す。太字は近親交配が行われていることを示す。


牝系

ティズリー(後のキタサンブラックの曾祖母)は、アメリカで生産された牝馬である[39]。父はリファール、母はチリ産馬のティズナ(後のキタサンブラックの高祖母)で、2歳から7歳までチリ、北アメリカで走り57戦18勝、1974年からサンタマルガリータハンデキャップ(G1)を連覇したほか、1975年レディーズハンデキャップ英語版(G1)や1974年サンタモニカハンデキャップ(G2)も優勝した「歴史的名牝[39]」(藤井正弘)である[39]。フランスで競走馬となったティズリーは、6戦4勝を挙げて引退[39]。そしてしばらくアメリカで繁殖牝馬として繋養された後、1988年に日本へ輸入された[39]。日本では北海道「早来町の社台ファーム」に繋養され、ちょうど修業中の梁川正晋と巡り会っていた[40]

1992年、ティズリーは父ジャッジアンジェルーチの牝馬を産み落としていた。ジャッジアンジェルーチは、1989年にアメリカから導入され[41]、「早来町の社台ファーム」で繋養された種牡馬だった[42]。競走馬としてGI級競走3勝を挙げたボールドルーラー系だったが[43]、産駒は活躍しなかった[40]。2000年から中山グランドジャンプを連覇したゴーカイを出すだけで、中央競馬の平地重賞を優勝するような産駒は現れなかった[41][40]。そんな父ジャッジアンジェルーチの牝馬は「オトメゴコロ」(後のキタサンブラックの祖母)という名を授かって競走馬となり、室蘭特別を優勝するなど20戦4勝の成績を残した[39]。横山典弘と挑んだ1994年の札幌スプリントステークス(GIII)では、優勝した武豊とゴールドマウンテンに敗れたが、5着入着を果たしていた[44]

引退後は、繁殖牝馬となったが、生まれ故郷である「早来町の社台ファーム」には戻らなかった。梁川正克が社台の吉田善哉と関係を持っていたことや[44]、実家に戻っていた梁川正晋が、修業中に印象に残っていたティズリーの仔であれば欲しい思い、日高地方のヤナガワ牧場に繁殖牝馬として引き入れていた[40]。オトメゴコロは、ジャッジアンジェルーチを父に持つ、馬格のある牝馬だった[45]。そこで梁川親子は、スピードが足りないという考えに至り、それを補うためにスピードに秀でた種牡馬として知られるサクラバクシンオーを交配相手に選んでいた[40][16]

そして2005年、父サクラバクシンオーの牝馬である「シュガーハート」(後のキタサンブラックの母)が誕生していた。オトメゴコロはこの翌年に死亡[46]、結果としてオトメゴコロがヤナガワ牧場にもたらしたのは、シュガーハート1頭だけだった[15][44]

シュガーハートは、冠名「サンライズ」で知られる馬主の松岡隆雄に所有され、中央競馬で競走馬となっていた[40]。栗東トレーニングセンターの崎山博樹厩舎に入厩して調教が施された[15]。調教では好タイムを連発するスピードがあった[44]。このためデビューさえ果たせば、勝ち上がりできる能力があると期待されていた[40]。しかしデビューを前に屈腱炎を患い、不出走の身で引退していた[40]。梁川は、取捨選択の機会に直面したが、馬格があり繁殖牝馬に適しているという考えに至ってシュガーハートを残す決断をしていた[16]。そして繁殖牝馬として牧場に迎え入れていた[16]

繁殖牝馬として供用初年度となる2008年は、松岡所有の競走馬として2002年と2005年の産経大阪杯、2005年の毎日王冠を優勝したサンライズぺガサス(父:サンデーサイレンス)と交配して初仔となる牡馬を得ていた[47]。初年度はほとんど試しだったが、良い体形の仔を得ることができ、手応えを得ていた[47]。続く2年目スタチューオブリバティとの交配後不受胎を経て、初仔の出来に手応えがあった梁川は、翌3年目からサンライズペガサスと同じサンデーサイレンス系種牡馬を中心に交配するようになった。3年目はステイゴールド(父:サンデーサイレンス)と交配して2番仔となる牡馬を得た[45]。そして4年目となる2011年、梁川は交配相手にブラックタイド(父:サンデーサイレンス)を選択していた[45]

1989年にティズリーが日本にもたらされて以来続くこの牝系は、まだ活躍馬を輩出するには至っていなかった[48]

サクラバクシンオー

シュガーハートの父はサクラバクシンオーである。1989年に「早来町の社台ファーム」で生産された牡馬であり、血統は父がサクラユタカオー、母がサクラハゴロモである。1990年代の短距離戦線で活躍した。

サクラユタカオー

父サクラユタカオーは、日高地方の静内町にある藤原牧場で生産された[49]日高軽種馬農業協同組合に輸入され、リーディングサイアーになるまでに活躍した大種牡馬テスコボーイと、藤原牧場が長年育んでいた1960年有馬記念優勝牝馬スターロッチから連なる伝統の牝系を融合して生まれた栗毛だった[50]。テスコボーイはトウショウボーイテスコガビーなどスピードに秀でた産駒を残した一方で、キタノカチドキインターグシケンのような菊花賞優勝馬も送り出すなど両輪で活躍していたが[51]、サクラユタカオーは前者、スピードに秀でていた[52]。「テスコボーイ産駒の栗毛は大成しない」というジンクスがある中、さくらコマースが購入して競走馬となり、ジンクスを覆す活躍を果たした[53]。およそ500キログラムの大柄な馬体で、スピードに富んでいたが、脚元が弱かった[52]

映像外部リンク
1986年 天皇賞(秋)(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

デビュー3連勝で重賞優勝を果たしたが、橈骨の骨折で春のクラシック参戦は叶わなかった[52]。秋に復帰して菊花賞(GI)4着を経験してからは主に中距離で活躍した[52]。翌1986年春にはサンケイ大阪杯(GII)を優勝し、秋には毎日王冠(GII)と天皇賞(秋)(GI)を、共に日本レコードで駆けて優勝していた[53]。引退後は、期待されて種牡馬となった[52]。社台が欲しがったものの、日高地方の青年部が奮闘して引き留め、日高の静内スタリオンステーションで繋養されていた[53]。輸入種牡馬が活躍する時代で、劣勢の内国産種牡馬でありながら、活躍産駒を多数輩出した[54]

母サクラハゴロモは、「早来町の社台ファーム」で生産された。社台ファームがアメリカのサラトガで購入して日本にもたらし、リーディングサイアーになるまでに活躍した大種牡馬ノーザンテーストと、同じく社台ファームがアメリカのキーンランドで購入したクリアアンバーが掛け合わされて生まれていた[55]。父ノーザンテースト、母クリアアンバーの血統は、アンバーシャダイと全く同一、すなわちサクラハゴロモは、アンバーシャダイの全妹だった[55]。アンバーシャダイは、当歳時に負った重傷のために競走馬生命が危ぶまれたが復活して、何とかデビューにこぎつけた[55]。一頓挫あったために成長は遅れ、古馬になってから本格化して主に長距離戦線で活躍した[55]。1981年秋から目黒記念(秋)有馬記念、翌1982年のアメリカジョッキークラブカップという芝2500メートルの重賞を3連勝したほか、翌1983年のアメリカジョッキークラブカップで連覇を果たし、天皇賞(春)も優勝していた[56]

大活躍したアンバーシャダイの全妹を、社台は、牧場の基礎繁殖牝馬にしようと考えていた[57]。しかし全妹に惚れたさくらコマースに要求され、3年間の期限付きで貸し出していた[57]。そして競走馬となったサクラハゴロモは、結局その3年間を全うできなかった。さくらコマースが故障を恐れて、1年早い2年での返却を決断していた[57]。サクラハゴロモは、2年間で2勝を挙げるに留まり、社台に帰還していた[53]。1年早い返却となったために社台は、初年度のサクラユタカオー交配と、初仔の提供をさくらコマースに約束し、その1年を埋め合わせることになった[53]。約束通り「早来町の社台ファーム」に戻ったサクラハゴロモは、サクラユタカオーと交配して初仔を産む。そしてその初仔がさくらコマースに提供され、サクラバクシンオーとなった[57]

サクラバクシンオー

サクラバクシンオーは、父サクラユタカオーを受け継いで、大柄な馬体を持ちスピードの才能にも恵まれ[54]、短距離戦線で活躍する[57]。スタートからハナを奪って逃げる競馬を得意としており、井口民樹が「ゲートを真っ先に飛び出すという逃げではない。一完歩置いてからのスピードが他を圧していた[57]」と表すような逃げであった。ただ両親が共に体質面の弱点を受け継いでおり、順調な出世ではなかった[58][57]。体質面の充実に時間を要し、日々の地道な運動で少しずつ強化され、古馬になってからGI戦線で活躍した[58]

映像外部リンク
1993年 スプリンターズステークス(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
1994年 スプリンターズステークス(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

1993年からは、スプリンターズステークス(GI)連覇を成し遂げた[59]。また1994年のスワンステークス(GII)とスプリンターズステークスは、日本レコードで芝1400メートル、芝1200メートルを駆けて優勝していた[60][59]。スプリンターズステークス連覇並びに日本レコード樹立を引退レースで飾っていた[59]。競走馬引退後は、父と異なって社台系列の社台スタリオンステーションで種牡馬として供用された。例によって劣勢の内国産種牡馬でありながら奮闘し、自身と同様にスピードに勝る産駒を多数輩出した。数々の重賞を優勝し、ショウナンカンプビッグアーサーは、スプリントGIである高松宮記念を優勝するなど、産駒は主に短距離で活躍していた。

しかし裏を返せば、中長距離は成果に乏しかった[61]。重賞優勝産駒では、2002年きさらぎ賞(GIII)と2006年小倉大賞典(GIII)を優勝したメジロマイヤーの1800メートルが平地競走の限界[注釈 4]だった[61]。また母の父としての産駒にしても、その傾向は大きく変わらなかった。2000メートル以上の重賞を優勝したのは、2016年新潟大賞典(GIII)を優勝したアデイインザライフしか存在していなかった[62]。このためサクラバクシンオーに短距離のイメージが浸透していた[62]

ブラックタイド

2011年、シュガーハートの交配相手に選ばれたのはブラックタイドである。ブラックタイドは、2001年に「早来町の社台ファーム」――改組して「早来町のノーザンファーム」で生産された父サンデーサイレンス、母ウインドインハーヘアの牡馬であり、金子真人が所有し、栗東トレーニングセンター所属の池江泰郎厩舎から競走馬となり、2003年にデビューした。

武豊とともに新馬、若駒ステークスを勝ち上がり、横山典弘と臨んだ2004年の皐月賞のトライアル競走スプリングステークス(GII)にて、最後方大外から追い込んで一気に差し切るパフォーマンスを披露し、重賞初勝利を挙げた[63]。本番の皐月賞では、2番人気だったが16着大敗だった[63]。この後、屈腱炎を発症したものの2年3か月かけてカムバックを果たした[63]。カムバック後は、勝利こそ挙げられなかったが、重賞やオープン競走で上位に入るなど長きにわたって活躍した。

ディープインパクト

ただ屈腱炎休養中、1歳年下の全弟ディープインパクトが出現していた。ディープインパクトは、全兄ブラックタイドを遥かに超える成績と印象を残し、国民の注目の的になるほどまでにのし上がっていた。2005年1月にデビューしたディープインパクトは、兄と同じように追い込みを信条にして勝ち上がり、同年に無敗でクラシック三冠を制し、翌2006年にもGI4勝を挙げて、史上最多タイのGI7勝に到達。しかも取りこぼしは、ハーツクライに不覚を取った有馬記念と、アクシデントで失格となった凱旋門賞のみというパフォーマンスだった。たちまち種牡馬として期待が高まったディープインパクトは、2006年末に4歳にして早々に競走馬を引退していた。

引退後のディープインパクトは、活躍馬を輩出する社台グループが経営し、日本競馬の血統を塗り替えたスーパーサイアーである父サンデーサイレンスと同じ、社台スタリオンステーションに迎え入れられて、種牡馬となっていた。供用されてからは毎年200頭以上の繁殖牝馬を集める人気で、産駒も続々活躍。重賞優勝産駒は大量におり、GIやクラシック優勝産駒も多数輩出。たちまち頂点に登り詰めて、10年にわたってリーディングサイアーに君臨する活躍を果たした。このようにディープインパクトは、競走馬としても種牡馬としても最高級の活躍を果たしていた[64]

ブラックタイド

対してブラックタイドは、弟が大活躍し種牡馬転身する間も競走馬として走り続けた。2008年、7歳でようやく引退し、全弟ディープインパクトに2年遅れて2009年から種牡馬となった[63]。偉大なる父や弟と同じ社台スタリオンステーションではなく、日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションでの供用だった。全弟ディープインパクトと全く被る血統で実績も遠く及ばないにもかかわらず、種牡馬となったのは「代替種牡馬」としての需要があったためだった[65][66]

「代替種牡馬」の存在意義に、種付け料が廉価である点があった[63]。初年度の種付け料は、ディープインパクトは1200万円に対して、ブラックタイドは50万円[67]であり、中小規模の牧場でも手が届く値段設定になっていた[66]。またブラックタイドにはもう一つ、ディープインパクトに勝る魅力があった。小ぶりなディープインパクトに対して、充実した馬格の持ち主だった[64][67]

そうしてブラックタイドは、日高地方を中心に「代替種牡馬」として活躍した。初年度から150頭の繁殖牝馬を集め、その後も人気を博して、毎年100頭以上の繁殖牝馬を集め続けた[65][63]。初年度からGI優勝産駒を出すなど大活躍のディープインパクトには及ばなかったが、初年度産駒から重賞優勝産駒が誕生し、2012年の新種牡馬ランキングで首位を獲得する活躍を果たしていた[65][68]。そして供用3年目となる2011年3月14日、日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションにて、ヤナガワ牧場の牝馬シュガーハートとブラックタイドが交配を果たしていた[48]

梁川は、ある時の種牡馬展示会に登場したブラックタイドの姿に好印象を持っていた[45]。そしてデビューする前の初年度産駒などを見定め、種牡馬としての能力を感じ取っていた[44]。シュガーハートは、デビュー直前、父サクラバクシンオーを受け継いだスピードの持ち主で調教でも好タイムを連発していた[44]。そこでスタミナを補うために、ブラックタイドを選択していた[44]

この頃2頭しか産んでいないシュガーハートの繁殖能力は、まだ未知数だった。そんなシュガーハートに、いきなり高級種牡馬であるディープインパクトを用意することは、経営的に難しかった[45]。ヤナガワ牧場にとって、好血統で好印象、さらに安い種付け料であるブラックタイドは、あらゆる面で都合が良い選択だった[45]

デビューまで

牧場時代

予定日から少し遅れた2012年3月10日、北海道日高町のヤナガワ牧場にて、ブラックタイドの4年目産駒、シュガーハートの3番仔である鹿毛の牡馬「シュガーハートの2012」(後のキタサンブラック)が誕生する[69]。「シュガーハートの2012」は、生後立ち上がった直後から高評価だった[70]。骨量に富み、バランスの良い馬体の持ち主だった[44]。牧場ではけがや病気に見舞われることなく順調で、良い出来に成長していた[71]

アレスバローズ

この年のヤナガワ牧場は35頭以上の仔を生産しており、それぞれ牡、牝が生まれていた[72]。そんな中で「シュガーハートの2012」は、生産された牡馬の中で2番目、ディープインパクト産駒の「タイセイエトワールの2012」に次ぐ評価を与えられていた[72]。「タイセイエトワールの2012」とは、後の「アレスバローズ」である[72]。アレスバローズは、2018年のCBC賞(GIII)及び北九州記念(GIII)を連勝してサマースプリントシリーズの王者に輝くことになる[73]

牡馬で2番目の評価を得ていた「シュガーハートの2012」だったが、活躍馬に乏しい牝系に属するために、梁川は活躍を保証する自信がなかった。そのため牧場を訪れる調教師や馬主などのお得意先に、たやすく薦めることはできなかった[48]。買い手がつかないため、牧場は当初、セリへ上場させて売却しようと考えていた[48]。さらには売却すらも諦め、しかたなく牧場所有で馬主との共同名義で競走馬としてデビューさせようとも考えていた[15]。そんな頃、梁川と長年親しい関係にある北島三郎の関係者が牧場を訪れていた。北島へ推薦する頃には、売却できるか否かの瀬戸際にまで追い込まれていた[48]

北島は後に、明治記念館で行われた「キタサンブラック菊花賞優勝祝賀会」にて、出会いを以下のように語っている。北島は、かつて騎手の加賀武見に、目利きするには馬の眼を見るべきであると教え諭されていた[74]

夏の日に、牧場にいまして、一頭の馬に向きあっていました。なんだか、そこを動けなくなったのは、その馬の瞳の、黒光りというのか、瞳の光の凄さに惹きつけられてしまったからです。
牧場にさよならしまして、空港へ向かう車のなかまで、妙に胸さわぎがするんだなあ。どうしてだろう。どうもさっきの馬の、瞳の黒い光のせいらしい。
ヤナガワさんにケイタイをかけました。あの馬、わたしに売ってくれないかって。
それがキタサンブラックでした。 — 北島三郎[75]吉川良「競馬 その愛」第84回『はてしない夢』(『優駿』2016年2月号所収)

北島は、この「シュガーハートの2012」を350万円で購入していた[76]。「シュガーハートの2012」はトラブルに見舞われることなく離乳し、そして1歳秋まで牧場で育てられた[71]。当歳の頃から夜間放牧をこなしていた[77]。体高があって脚が長く、正克の妻は、その体形を1996年菊花賞優勝馬ダンスインザダークに似ていると評していた[77]

育成段階

"シュガー"

1歳秋の11月12日に北海道新冠町の日高軽種馬共同育成公社に移動して育成が施された[24]。育成公社では母親の名前で呼称されており、「シュガーハートの2012」は「シュガーハート」、略して「シュガー」と呼ばれて[26]、育成公社の6番厩舎に割り当てられた[24]。夏から入厩する馬もいる中で、同期の中では調教は最も遅いグループだった[78]。脚が長い体形、体高が高く後肢が充実していないために、脚元への負荷には細心の注意が払われた[78][79]。長く馴致をするなど、時間をかけて錬成された[80]。1歳の頃、要請を受けた調教師清水が検分に訪れていた[81]。初対面では、活躍馬になる予感はなかったという[81]。育成公社は、場長を加納雅己が担っていたが、加納は闘病中だった(後述)。そのため副場長、かつてノースヒルズでファレノプシスを手掛けたこともある佐々木譲次が補佐していた[26]

2歳となった1月半ばから、調教が開始された[80]。シュガーはおとなしい性格で、経験の浅い若手スタッフでも騎乗できるほどだった[80]。育成公社はちょうど施設改修をしており、新設されたばかりの坂路コースを用いて調教が施された[79]。歩様の乱れや発熱などなく、治療も一切ないまま健康に過ごし、順調に育成されていた[79]。問題児ではなかったため、スタッフによればむしろ「印象が薄かった[79]」とも回顧している。また担当者によれば「いつも寝てる[82]」馬だった。

育成公社で過ごした1年間の間に成長し、体高は164センチメートルから170センチメートルに伸び、体重は484キログラムから544キログラムに、胸囲は183センチメートルから190センチメートルにまで増大していた[83]。ただ体高があって奥手だったために筋肉が未熟だった。佐々木はまだ「1勝、2勝はできる[83]」という評価で、大活躍の予感はなかった[83]

"ブラック"

育成公社を巣立った「シュガー」は本州に入り、2歳11月16日に京都府宇治田原町宇治田原優駿ステーブルに入厩した[84]。入厩するまでに北島は、この「シュガー」に冠名の「キタサン」と父ブラックタイドの一部「ブラック」を組み合わせて「キタサンブラック」と命名していた[85]。「キタサンブラック」は、宇治田原のスタッフには「ブラック」と呼ばれていた[84]

「ブラック」には、宇治田原でも成長に寄り添った調教が施された[84]。当初の見立てでは仕上がりには時間がかかると思われていたが、その見立てよりも早いペースで成長した。調教の一つの目安である1ハロン走破平均15秒――通称「15-15」をこなすまで、通常早くても1か月必要なところ、入厩して3週間で「15-15」をこなしていた[84][84]。また坂路でも抜群の動きを見せていた。当初「ブラック」は、2014年暮れ、2歳末か2015年明け、3歳初めに清水厩舎入厩する見立てだった[86]。しかし清水厩舎の馬房が空いていたため、前倒しでの入厩となった[86]。宇治田原の担当田辺滋久は、調教を見て「2、3勝できる[86]」馬という認識だった。

デビュー直前

「キタサンブラック」は、2014年、2歳12月17日に栗東トレーニングセンターの清水厩舎に入厩した[87]。そして翌18日から坂路調教が開始された[86]。厩舎では、辻田義幸が厩務員を担った[82]。厩舎でも寝てばかりのキタサンブラックにあてがわれた辻田もまた、清水によれば「せかせかしていない人で、ゆっくり、のんびりしたところ[82]」のある性格だった。また調教には、現役騎手の黒岩悠が携わっていた[87]。キタサンブラックは、動きこそ手応えを感じさせるものの、まだ筋肉がついていなかった。そのため本格化は、かなり先であると考えられていた[87]。黒岩は当初、成長は3歳夏頃になると感じ取っていた[87]

3歳(2015年)

条件馬時代

2015年1月31日、東京競馬場芝1800メートルの新馬戦でデビューを果たした。栗東所属の関西馬であり、清水は当初京都競馬場でのデビューを考えていた。しかし東京在住のオーナー北島三郎を慮って遠征し、東京デビューとなっていた[注釈 5]。唯一の関西馬として参戦し、後藤浩輝が騎乗して3番人気で出走した[89]。1番人気のディープインパクト産駒ミッキージョイが出遅れる中[90]、後方の外側で待機し[91]、超スローペースを追走した[92]。直線では外側からスパートして追い込み、内側で押し切りを図る2頭を差し切り、大外から挽回を図るミッキージョイを振り切り、先頭で決勝線に到達した[89]。ミッキージョイに1馬身4分の1差をつけて初出走初勝利を果たしていた[89]。繁殖牝馬シュガーハートの初勝利でもあった[90]

続いて2月22日、再び東京、距離を伸ばして芝2000メートルの条件戦(500万円以下)に参戦[注釈 6]した。新馬戦で騎乗した後藤には、京都競馬場で騎乗する予定があったため、代わって北村宏司が騎乗した[27]。以後しばらく北村が主戦騎手として定着した。ダッシングブレイズサトノラーゼンを相手に、単勝オッズ48.4倍の9番人気という評価に留まっていた[91]。新馬戦とは打って変わって先行した[92]。マイネルポルトゥスが大逃げを展開し、離れた2番手を確保した[93]。大逃げ馬は、先行するキタサンブラックに厳しい展開を築いていた[92]。最終コーナーまでマイネルポルトゥスに独走を許したが、直線に入ってスパートすると差し切り、抜け出して早めの先頭を奪取した[93]。後方からの追い込み勢の台頭を許さず、押し切って独走態勢を築いた[92]。ディープインパクト産駒サトノラーゼンに3馬身差をつけて優勝した[93]。新馬戦に続いてディープインパクト産駒を2着に下して、2連勝としていた[94]

スプリングステークス

2連勝を果たした陣営の次なる目標は重賞だった。重賞初参戦の舞台は、阪神競馬場で行われる毎日杯や、中山競馬場で行われるクラシック初戦・皐月賞トライアル競走であるスプリングステークスなどの選択肢があった[95]。その中からトライアル競走、3着以内の3頭に皐月賞の優先出走権が与えられる、3月22日のスプリングステークス(GII)を選んでいた。

スプリングステークスは、12頭立てだったが、うち4頭が重賞優勝の実績があった[96]。前年の朝日杯フューチュリティステークス優勝馬で世代の最優秀2歳牡馬であるダノンプラチナ、無敗で共同通信杯を優勝したリアルスティールは、いずれもディープインパクト産駒だった。そして京成杯優勝ハービンジャー産駒のベルーフと、新潟2歳ステークス優勝キングカメハメハ産駒のミュゼスルタンがいた。対して重賞初挑戦に過ぎないキタサンブラックは、ミュゼスルタンこそ上回ったが、他4頭と京成杯2着のバゴ産駒のブラックバゴにも劣った5番人気、単勝オッズ12.3倍という評価だった[97]

映像外部リンク
2015年 スプリングステークス(GII
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートから先行策に出ていた。タケデンタイガーが後続を引き離す逃げを展開し、離れた2番手を確保した[97]。タケデンタイガーは大逃げの形にしたにもかかわらずスローペースだったが、折り合いをつけて追走できていた[97][98]。タケデンタイガーは第3コーナーで失速して先頭奪取となっていた。早いタイミングで抜け出したが、直線では押し切り目指して早めにスパートしていた[99]。一足早く抜け出してからは、ハトに気も漫ろになったが北村に正されて粘りこんだ[98]。外からは人気のダノンプラチナ、リアルスティールなどが追い込んでおり、特にリアルスティールには先頭を脅かされた[97]。ゴール寸前では並ばれる形になるまで追い込まれ、ほとんど同時の決勝線に到達となったが、キタサンブラックがクビ差だけリードを残していた[97]

無敗のスプリングS優勝(2018年まで)[100]
優勝馬 主な成績
1959 メイタイ 皐月賞2着、東京優駿3着など
1960 コダマ 皐月賞、東京優駿優勝
1964 シンザン 「五冠」
1973 ハイセイコー 皐月賞優勝
1974 キタノカチドキ クラシック二冠(皐月賞、菊花賞)
1976 テンポイント 天皇賞(春)、有馬記念優勝
1982 ハギノカムイオー 宝塚記念優勝
1985 ミホシンザン クラシック二冠(皐月賞、菊花賞)
天皇賞(春)
1992 ミホノブルボン クラシック二冠(皐月賞、東京優駿)
2001 アグネスゴールド 鳴尾記念3着、菊花賞8着
2015 キタサンブラック

再びディープインパクト産駒を下して3連勝[39]。重賞初出走初勝利を果たして[101]、皐月賞の優先出走権を獲得した[39]。1961年ユキロウ[注釈 7]、1982年ハギノカムイオー、1985年ミホシンザンに続いて史上4頭目となる中央競馬キャリア3戦目でのスプリングステークス優勝を果たしていた[101]。また14年ぶり史上11頭目となる無敗でのスプリングステークス優勝を果たしていた[101]。これまで達成した10頭は、直後に故障したアグネスゴールドを除けばすべてGIや八大競走で上位になる活躍をしており、さらに1959年皐月賞にてウイルデイールに敗れる2着、東京優駿はコマツヒカリに敗れる3着となったメイタイを除けば、残った8頭はいずれもGI級競走を優勝していた[100]。さらに宝塚記念勝利のみに終わったハギノカムイオーを省いた7頭は、いずれも八大競走または旧八大競走を優勝していた[100]

また2004年に優勝したブラックタイドに続く父子スプリングステークス優勝を果たしていた[99]。続いてキタサンブラックは、父が果たせなかったクラシック戴冠を目指すこととなった。しかしクラシック出走に必要な、40万円の出走登録をしていなかった[102]

陣営は、キタサンブラックが大柄であり、仕上がるのに時間を要すると考えており、クラシックを目指す予定をしていなかった[103]。しかし見込みに反して順調な出世を果たし、重賞優勝に加えて優先出走権まで獲得し、クラシック出走を確実なものにしていた。そこで陣営は、追加登録制度を用い、北島が追加登録料200万円を負担して皐月賞の出走権を取得。クラシック参戦を叶えていた[103]

クラシック

皐月賞

4月19日の皐月賞(GI)は、北村に騎乗停止処分が下ったために、代打浜中俊で挑んでいた[104]。同日の北村は、装鞍所を訪れて、装鞍を手伝っていた[104]。無敗のキタサンブラックは、2歳チャンピオンであるダノンプラチナを上回る単勝オッズ9.7倍、単勝オッズ一桁台間際の4番人気という支持だった[105]。キタサンブラックよりも信頼を集めたのは、サトノクラウンリアルスティール、ドゥラメンテだった[105][106]

マルジュ産駒の持込馬サトノクラウンは、チェヴァリーパークステークス(G1)を優勝したライトニングパールの全弟で、東京スポーツ杯2歳ステークス、トライアルの弥生賞を優勝した無敗馬だった。またディープインパクト産駒のリアルスティールは、スプリングステークスこそ取りこぼしたものの、依然評価が高かった。そして東京優駿優勝馬のキングカメハメハ産駒で、エリザベス女王杯連覇のアドマイヤグルーヴを母に持つドゥラメンテは、共同通信杯にて、リアルスティールに敗れたものの4戦2勝2着2回の安定感があった。この3頭は共に良血とされ、何よりクラシック優勝多数の名門ノーザンファーム生産馬だった。人気はサトノクラウン、リアルスティール、ドゥラメンテの順で、単勝オッズはそれぞれ3.1倍、3.8倍、4.6倍だった。対してヤナガワ牧場生産、GII優勝止まりのブラックタイド産駒、実績に乏しい牝系の仔であるキタサンブラックは、離された4番人気だった。

映像外部リンク
2015年 皐月賞(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートから先行。ハナを奪って逃げたクラリティスカイの直後の2番手を確保した[105]。クラリティスカイが先導する緩みのないペースを追走して、2番手で最終コーナーを通過していた[105]。直線ではクラリティスカイに接近して先頭を伺ったが、3番手追走から抜け出したリアルスティール、外から追い込んだドゥラメンテにかわされて抵抗できなかった[92]。それでもクラリティスカイは捉え、追い込むブライトエンブレムやサトノクラウンには先着を許さなかった[105]

優勝したドゥラメンテには約4馬身以上、リアルスティールには2馬身半敵わなかったが、ブライトエンブレムにはアタマ差先着する3着だった[105]。初敗北、それでも4着以内となり、東京優駿(日本ダービー)の優先出走権を確保していた[107]

東京優駿

続いて5月31日、東京優駿(日本ダービー)(GI)にも追加登録料200万円を支払って参戦した。皐月賞を優勝したドゥラメンテは信頼されて、皐月賞の上位人気に比べて頭一つ抜け出していた。単勝支持率は40パーセントを超え[108]、オッズ1倍台の1番人気となっていた[109]。残るリアルスティールとサトノクラウンは離されたが、それに追随し、3頭が3番人気までを占めていた[109]。しかしキタサンブラックは続く4番人気に推されなかった[109]青葉賞優勝のキングカメハメハ産駒レーヴミストラルに、京都新聞杯優勝のディープインパクト産駒サトノラーゼンという、共にノーザンファーム生産馬の2頭に上回られて、人気を落とした単勝オッズ20.7倍の6番人気だった[109]。当日のキタサンブラックは、走る気に満ち満ちてしまっていた[110][111]。そのためパドックでは、初めて一人増やした「二人引き」がなされていた[111]

映像外部リンク
2015年 東京優駿(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

8枠17番という外枠から躓きながらのスタートし[110]、先行した[112]。いきなりムチを駆使してハナを奪取したミュゼエイリアンの直後である2番手を追走した[113]。ミュゼエイリアンは緩めることなく前進し、前半の1000メートルを58.8秒で通過するハイペースを刻んでいた[114]。直後のキタサンブラックは、ミュゼエイリアンを結果的に深追いする形となり、先行馬にとっては歓迎できないハイペースに巻き込まれていた[115][113]。最終コーナーを2番手で通過した後[109]、直線では深追いが災いして息切れを起こして後退した[115]。中団追走から、ペースに恵まれたドゥラメンテが鋭く抜け出し優勝する一方[114]、大きく後れを取る14着に敗れた[109]

セントライト記念

夏休みを挟んで秋は9月21日、菊花賞のトライアル競走であるセントライト記念(GII)で始動した。栗東所属の関西馬ながら再び関東遠征、適性と春の実績から中山競馬場芝2200メートルに挑んでいた[116]。東京優駿2着サトノラーゼンや7着タンタアレグリア、皐月賞4着ブライトエンブレムや12着ベルーフというクラシック出走組が中心視されていた[117]。しかし皐月賞3着実績のあるキタサンブラックは、その4頭と、クラシック未出走の2戦2勝馬ロッカフェスタにも劣る6番人気という支持だった[117]。また東京優駿にて、大敗に誘われた逃げ馬ミュゼエイリアンとの再会も果たしていた[117]

映像外部リンク
2015年 セントライト記念(GII
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートから先行し、再びミュゼエイリアンにハナを譲って控えた2番手を確保した[117]。東京優駿はハイペースを演出したミュゼエイリアンだったが、この日はスローペースに落としており、先行馬有利の展開を築いていた[117]。キタサンブラックは折り合いをつけて追走し、最終コーナーでミュゼエイリアンに並びかけた[117][118]。直線ではミュゼエイリアンとともに粘りこみ、追込勢から逃走[118]。ミュゼエイリアンとは先頭を争い続けたが、終いで抜け出し、単独先頭を得ていた[117]。人気馬を後続に従えながらミュゼエイリアンにも4分の3馬身差をつけて決勝線に到達していた[117]。始動戦を飾って重賞2勝目、菊花賞への優先出走権を得ていた[119]

菊花賞

リアファル(父:ゼンノロブロイ) 春はソエのため、負荷の少ないダート戦線を歩んだ。芝2戦目の神戸新聞杯は、1992年キョウエイボーガン以来となる逃げ切り優勝を果たしていた[120]

続いて10月25日、菊花賞(GI)にも追加登録料200万円を支払って参戦した[102]。栗東所属の関西馬ながら、3歳秋にして初めて関西の競馬場に見参していた[85]。本来は、二冠馬ドゥラメンテの三冠が懸かる舞台となるはずだった。しかし夏に、今季絶望の骨折をきたして戦線を離脱となり、三冠の夢は潰えていた[121]。クラシック三冠戦線の最終戦、ドゥラメンテに代わる主役を張ったのは、セントライト記念を逃げ切ったキタサンブラックではなかった。さらに春のクラシック上位のリアルスティールでもなかった。主役は、春はダートを走り、クラシックとは無縁の存在だったゼンノロブロイ産駒のリアファルだった[122]。夏に芝に転向すると、初戦で古馬相手に逃げ切り、トライアル競走の神戸新聞杯では、リアルスティールを千切り捨てて逃げ切っていた[123]

18頭立てとなる中、神戸新聞杯の1着2着であるリアファルと、リアルスティールが2番人気までを占めていた[122]。続く3番人気は、セントライト記念組だったがキタサンブラックではなく7着のサトノラーゼンだった[122][122]。キタサンブラックは、母の父サクラバクシンオーが嫌われたこともあり信頼されず、重賞初参戦に過ぎないスティーグリッツにも劣る5番人気だった。

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2015年 菊花賞(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2015年 菊花賞(GI
レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートから先行した。スピリッツミノルやリアファル、ミュゼエイリアンらと共に先行する形となったが、控えてハナを譲り、好位の5番手を確保した[124][122]。スピリッツミノルらの演出するスローペースを折り合いをつけて追走した[122]。スローゆえに折り合いに苦しむ馬が多く、2周目の向こう正面では我慢しきれず進出する馬が続出していた[125]。引っ掛かった馬らにかわされた結果、馬群に押し込められた中団追走となった[125]。それでもつられず、我慢が効いて第3コーナーの坂の上り下りを10番手でこなし、最終コーナーを8番手で通過した[122][124]

キタサンブラック(奥、黒帽)とリアルスティール(手前、緑帽11番)、リアファル(右、桃帽17番)

直線に向いてからスパートし、溜めていた末脚を発揮[124]。馬場の最も内側から進出し、馬群の間を割って抜け出して先頭を奪取していた[122][125]。すぐ外側にはリアファルが粘り、さらに外側にはリアルスティールが追い込んでいた。リアファルには半歩先に出たが、リアルスティールにはゴール寸前で接近され、先頭を脅かされた[126]。キタサンブラックとリアルスティールは、ほとんど並んで決勝線に到達していたが、キタサンブラックがクビ差先着していた[126]

菊花賞優勝、クラシック戴冠を成し遂げていた。1984年シンボリルドルフ以来31年ぶり10頭目となるセントライト記念からの連勝戴冠、2001年マンハッタンカフェ以来14年ぶりとなるセントライト記念参戦からの戴冠だった[102]。二冠目東京優駿14着からの三冠目奪取となり、1980年ノースガスト以来8頭目となるダービー二桁着順からの巻き返しを果たしていた[85]

優勝レイを纏う姿

また3回のクラシック追加登録料支払いを行い、600万円かけて最終戦でのクラシック戴冠を果たしていた。1999年皐月賞のテイエムオペラオー、2002年桜花賞アローキャリーと菊花賞のヒシミラクル、前々年――2013年優駿牝馬メイショウマンボ、前年――2014年菊花賞のトーホウジャッカルに続いて史上6頭目となる追加登録敢行が結実した例となった[127]。またヤナガワ牧場は、1988年ガクエンツービートのスーパークリークに次ぐ2着、1999年タヤスタモツのナリタトップロードに敗れる4着を乗り越えた菊花賞優勝、クラシック初勝利でもあった[128]

有馬記念

続いて12月27日、グランプリの有馬記念(GI)で、古馬と初めて挑んだ。主戦北村が、12月初旬に左膝の捻挫が判明して離脱したため、代わりに横山典弘に乗り替わり参戦した[129]。横山は、この頃ゴールドシップの主戦騎手であり、宝塚記念や天皇賞(春)を優勝に導いていた。6歳のゴールドシップは、同じく有馬記念に出走し、これを引退レースと予告していた[130]。しかしゴールドシップ陣営は、横山を起用せず、クラシック二冠などを導きながら降板した前代の主戦騎手である内田博幸を、敢えて再登板させて臨んでいた[131][130]

当日は、そのゴールドシップ、5歳の天皇賞(秋)優勝馬ラブリーデイという古馬が上位人気となった[132]。続く3番人気が3歳馬筆頭となったが、筆頭は、菊花賞優勝のキタサンブラックではなく、3着に下したリアファルだった[131]。キタサンブラックは逆転されて4番人気、単勝オッズ8.4倍だった[132]

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2015年 有馬記念(GI
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6枠11番からスタートして先行し、ハナを目指したかったが、周りが好スタートを切って先行していたために、ハナを取り切るまでに時間がかかった[133]。内にいた8番人気・3連勝中のゴールドアクター、外にいたリアファルを制して逃げる形を作ってから、マイペースを刻み始めた[132]。横山は、前半の1000メートルを62秒4で通過するスローペースを演出し、先行するキタサンブラックに有利な局面に持ち込んだ[134]。ただリアファルに背後からプレッシャーをかけられるなど苦労しながらの追走となっていた[133]。向こう正面に差し掛かってからペースを上げて、先頭を守ったまま最終コーナーを通過した[132]

最後の直線でスパートし、並びかけてきたマリアライトと競ったが粘り、先頭を守り続けた[134]。しかし残り100メートル、外から追い込んできた8番人気ゴールドアクターと、後方から追い込む5番人気サウンズオブアースに差し切られて、先頭を明け渡した[135][134]。先頭を譲り優勝したゴールドアクターに4分の3馬身以上、2着のサウンズオブアースにクビ差をつけられて敗退した[132]。ただし横並びで争ったマリアライトには、寸前で差し返してアタマ差退けて3着は守っていた[133][132][136]

4歳春(2016年)

武豊

この年は、4月上旬の産経大阪杯での始動を目標にしていた。主戦の北村は、その始動戦に間に合わせるためにリハビリに励んでいたが、間に合うか微妙だった[137]。結局、復帰できたのは産経大阪杯前日で、キタサンブラック騎乗は叶わなかった[138]。北村は「乗りたい気持ちは大きかったけど、関係者の方々に迷惑をかけるわけにもいかないし、泣く泣くお断りを入れさせていただきました[138]」と回顧している。

なお北村は復帰しても、すぐに患部に再び違和感が生じて、今度は遊離軟骨の除去手術が伴う休養に追い込まれている[139]。再び長期離脱となり、主戦騎手は降板。しばらくして戦線復帰を果たすものの、再登板は叶わなかった[139]。始動戦の産経大阪杯では、有馬記念で代打した横山の再登板も考えられたが、横山にはアンビシャスに騎乗する先約があった[140]。新しい主戦騎手を探した陣営は、騎乗馬がおらず手が空いていた武豊を起用する。北島には「タケユタカ」に縁があった。

キタサンクイン血統
*ロジンスキー
Nijinsky Northern Dancer
Flaming Page
Lodge *ボールドラッド
Little Hut
パーセント
バーバー Princely Gift
Desert Girl
タケユタカ *パーソロン
ハヤススム

キタサンクインは、かつて北島が所有した牝馬である。地方競馬・川崎競馬場を本拠にする競走馬として南関東公営競馬に臨み12戦4勝、1987年の東京プリンセス賞では3着となる活躍を果たしていた[141][142]。引退後は繁殖牝馬となり、産駒を続々出産し、ほとんどが「キタサン」の名を冠して競走馬となり次々に勝利を挙げた。産駒のなかでもキタサンテイオーは、南関東でデビューし1992年平和賞全日本3歳優駿を優勝。さらにキタサンチャンネルは、2001年ニュージーランドトロフィー(GII)を優勝し、北島にJRA重賞初勝利をもたらしていた。北島の所有馬でも活躍したキタサンクインの祖母、キタサンテイオーやキタサンチャンネルの曾祖母は「タケユタカ」という牝馬だった[141]。北島は、このタケユタカから続く牝系を所有して、活躍産駒を次々に得ていた[141]

武豊

このことから北島は「タケユタカ」に縁を感じており、いつか自らの所有馬に「武豊」を起用しようと考えていた[141]。これまで下級条件ではその起用はたやすく実現したが、露出の多い重賞ではなかなか実現しなかった[141]。しかし馬主歴50年が経過したこのタイミングで、実力馬キタサンブラックが現れ、主戦の降板が発生して実現することになった[141]。他の騎手で菊花賞を優勝した翌年の春に、武豊に乗り替わる構図は、1991年から天皇賞(春)を連覇するなど活躍したメジロマックイーンと同じだった[136]

ベテランの武豊は、この年、騎手デビュー30年目に到達していた。デビュー2年目から毎年のように年間100勝を続け、年間200勝を果たした年もあったが、2010年毎日杯(GIII)での落馬事故をきっかけに不調に陥り、それ以降は100勝にすら届かなかった。しかし29年目の2015年に復調し、6年ぶりに年間100勝を果たしていた。そして30年目、中長距離を主戦場とする古馬キタサンブラックをお手馬に加えていた。後に武は、30年目を振り返り、キタサンブラックの「存在は大きかった[143]」と振り返っている。

産経大阪杯

武とのコンビ初戦は、4月3日の始動戦である産経大阪杯(GII)だった。古馬となり、年上と同じ負担重量を課されていた。11頭立てとなる中、GI優勝馬5頭が揃っていた。最も注目を集めたのは、前年の最優秀4歳牡馬で5歳のラブリーデイだった。次いで同期の中距離巧者アンビシャスが注目されていた。アンビシャスは、GIII優勝馬に過ぎなかったが、前走の中山記念にて後方待機から追い込み、ドゥラメンテにクビ差まで迫る2着となっていた。GI優勝馬ではないため、キタサンブラックよりも負担重量が2キログラム軽かった。58キログラムのキタサンブラックは、56キログラムのアンビシャスを下回った単勝オッズ6.2倍の5番人気だった[144]

スタートからハナを奪取して逃げ、前半の1000メートルを61.1秒まで落とし、スローペースに持ち込んで、キタサンブラックのペースを形成したつもりだった[145]。ところが背後に、後方からの追い込みが信条のアンビシャスがおり、マークされる形に嵌められていた[145]。騎乗する横山が、アンビシャスを突然に先行させる奇策に出ていた。位置を取りに行ったにもかかわらず、横山は折り合いを実現させ、順調な追走となっていた[144]

キタサンブラック(奥、緑帽)を捉えるアンビシャス(手前、橙帽9番)

キタサンブラックは、先頭を守ったまま直線に向き、中団に構えていたラブリーデイやショウナンパンドラから逃走は叶えていた[144]。しかし好位から末脚を発揮したアンビシャスには詰め寄られて、先頭を脅かされた[146][145]。粘って抵抗したが、ゴール寸前で差し切られた[144]。アンビシャスにクビ差屈する2着敗退だった[144]。それでも武は「思い通りのレース」ができたと回顧し、アンビシャスのマーク戦法と負担重量2キログラムの差があることを指摘していた[147]

天皇賞(春)

5月1日、天皇賞(春)(GI)に参戦し、前年の有馬記念で敗れたゴールドアクターとの再戦に挑んだ。ゴールドアクターは、始動戦の日経賞を優勝して5連勝で参戦し、単勝オッズ3.8倍の1番人気だった[148]。対してキタサンブラックは、4.5倍の2番人気だった[148]。以下、シュヴァルグランやフェイムゲーム、サウンズオブアース、アルバートがオッズ一桁台で続く18頭立てだった[148]

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2016年 天皇賞(春)(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2016年 天皇賞(春)(GI
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1枠1番の最内枠から好スタートを切ってすんなりハナを奪い、マイペースに持ち込んだ[149]。序盤の1000メートルを61秒8で通過し、続く中盤の1000メートルを61秒7で通過[149]。武が調節し緩急つけて誤魔化し、ラップタイム11秒12秒台で率いた[149]。逃げて極端なハイペースになれば、消耗して終いで失速し後退する危険があり、反対に極端なスローペースになれば、苦手の瞬発力勝負となって差し切られて後退する危険があった[150]。しかしキタサンブラックと武は、その両方を回避する「絶妙なペース」で道中を過ごし、余力を持って最終局面に入っていた[149][151]
残り800メートルから、ラップを11秒台に引き上げてスパート[149]。後続を引き付けながら直線に向いていた。背後にはゴールドアクターが好位に取り付いていたがまもなく下し、先頭を守った[148]。ところが直線半ばを過ぎてから、13番人気に過ぎない伏兵のカレンミロティックに急襲された[148]。道中はキタサンブラックの背後に潜み、直線で外から詰め寄られた。差し切られて残り100メートルで先頭を奪われていた[152][149]

騸馬カレンミロティック
約4センチメートル及ばなかったが、2008年に天皇賞(春)が騸馬に解放されて以来、延べ11頭目の参戦で史上初めて連対を成し遂げた[153]

しかしキタサンブラックは粘り、カレンミロティックに独走は許さなかった。促されるとすぐに盛り返し、ゴール寸前で並び立ったと同時に決勝線を通過していた[148]。2頭が横並びでほとんど同時に通過し、優劣は写真判定となっていた[154]。写真判定の結果、キタサンブラックのハナ差、約4センチメートル先着が認められ、天皇賞戴冠を果たした。1948年優勝シーマー2着カツフジ、1995年優勝ライスシャワー2着ステージチャンプ、2007年優勝メイショウサムソン2着エリモエクスパイアに続いて史上4例目となるハナ差決着の天皇賞(春)[153]、3200メートルを走って約4センチメートル差の決着は、天皇賞(春)史上最も僅差、薄氷の勝利だった[155]

菊花賞以来となるGI2勝目、2004年イングランディーレ以来12年ぶり史上7頭目となる天皇賞(春)逃げ切り優勝を果たした[156][157]。また2006年ディープインパクト以来10年ぶりとなる4歳の優勝[157]、菊花賞優勝馬による翌年天皇賞(春)優勝を果たしていた[148]。また武は、JRAGI70勝目にして初めてとなる逃げ切り優勝だった[150]。さらに1989年イナリワン、1990年スーパークリーク、1991年92年メジロマックイーン、1999年スペシャルウィーク、2006年ディープインパクトに続いて10年ぶり天皇賞(春)7勝目[注釈 8]を挙げ、かつて天皇賞(秋)を7勝した保田隆芳[注釈 9]以来となる同一GI級競走7勝騎手となっていた[148]

宝塚記念

続いて6月26日、宝塚記念(GI)に参戦する。前年のクラシックでは太刀打ちできなかったドゥラメンテとの再戦が実現した。ファン投票ではドゥラメンテを上回る最多得票(詳細は#ファン投票実施競走の投票結果)を得ていたが、当日の1番人気はドゥラメンテに譲った。単勝オッズ1.9倍に対して、キタサンブラックは5.0倍の2番人気に留まった[159]。以下、アンビシャスやラブリーデイ、シュヴァルグランなどが続く17頭立てだった[159]。ただ前日まで雨が降り続いており、道悪馬場となっていた。当日こそ晴れたが、馬場の回復は遅く、稍重馬場での開催だった[159]。スタミナやパワーが要求される馬場になり、先行勢がそのまま逃げ粘る決着が目立つ傾向になっていた[160][161]

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2016年 宝塚記念(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2016年 宝塚記念(GI
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2枠3番のスタートから先行し、ハナを奪取。ドゥラメンテが後方待機策とは対照的に、逃げる戦法を取った[159]。ただペースを緩められず、マイペースに持ち込むことができなかった[162]。道悪の先行有利傾向を意識した馬が多く、最初のコーナーに6、7頭が殺到して好位に密集、圧力がかかりながらの逃げを余儀なくされた[161]。稍重馬場にもかかわらず、前半の1000メートルを59秒1で通過するハイペース、オーバーペースで一転、先行勢が不利な展開となっていた[161][162]

牝馬のマリアライト
1966年エイトクラウン、2005年スイープトウショウに続いて史上3例目となる牝馬の宝塚記念優勝を成し遂げた[163]

逃げるキタサンブラックは、先行勢を下し、単独先頭で最終コーナーを通過していた[159]。直線では、追い込む後方待機勢より一足先にスパートして粘り、逃げ切りを図った。まず中団待機から追い込むラブリーデイやステファノスに詰め寄られたが、まもなく下して先頭を守った[164]。しかし後方待機から離れた外側に持ち出して追い込むドゥラメンテ、それに8番人気の牝馬マリアライトには、敵わなかった[162]。粘ったが、末脚を利かせて追い込むその2頭にゴール寸前で捉えられ、まもなく決勝線通過となった[159][162]

優勝したマリアライトにクビとハナ差、ドゥラメンテにハナ差、その2頭と同じタイムで走破しながらも敗れる3着だった[159]。この宝塚記念では、先行好位勢が軒並み下位に敗れていた。しかしキタサンブラックだけは逃げ粘り、3着を確保していた[164]。なお2着に敗れたドゥラメンテは、競走中に左前肢跛行を発症[163]。直後にドゥラメンテ騎乗のミルコ・デムーロは下馬していた[165]。左前脚の靱帯腱損傷が判明して競走能力喪失となり、即引退となっている[166]。すなわちドゥラメンテとの対決は、これが最後となった[167]

4歳秋(2016年)

京都大賞典

夏休みを経て秋は、10月10日の京都大賞典(GII)で始動した。ラブリーデイやサウンズオブアースとの再戦、他にヤマカツライデンやラストインパクトなどが揃う10頭立てとなる中、GI2勝の実績上位キタサンブラックは、単勝オッズ1.8倍となり、競走生活12戦目にして初めて1番人気の支持を得ていた[168][169]。北島は、誕生日を迎え傘寿となったばかりだった。しかし8月に自宅で転倒して、頚椎症性脊髄症のために療養中で不在だった[170]

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2016年 京都大賞典(GII
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1枠1番という最内枠からスタートを切り、先手を主張するヤマカツライデンにハナを譲って2番手追走となり、菊花賞以来の控える競馬となった[171]。ヤマカツライデンが刻むペースは、前半の1000メートルを62秒0で通過するスローペースだった[169]。第3コーナーの坂の下りで進出を開始し、ヤマカツライデンの背後を取り、直線に向き次第捉えて、先頭を奪取した[169][170]

アドマイヤデウス
2015年の日経新春杯(GII)や日経賞(GII)を優勝した。2017年にオーストラリアへ移籍したがデビューすることなく落命した。

以後、好位からアドマイヤデウスとラブリーデイがスパートした接近を許した[170]。しかし接近された分だけ伸びて応戦し、先頭を譲らなかった。ラブリーデイを封じ、寸前になって6番人気アドマイヤデウスに接近を許したものの、アドマイヤデウスが迫りくるより先に決勝線が来ていた[170]。クビ差逃げ切りを果たして、始動戦を飾った[169]

1977年テンポイント、1990年スーパークリーク、1991年メジロマックイーン、2000年01年連覇のテイエムオペラオーに続いて15年ぶり6例目となる天皇賞(春)優勝馬による同年の京都大賞典優勝だった[170]。武は、勝利で北島に誕生日プレゼントを届け[169]、2005年リンカーンに続いて11年ぶり京都大賞典8勝目[注釈 10]を挙げていた[173][174]。京都大賞典を制したために天皇賞(秋)の優先出走権を獲得したが[173]、この後はジャパンカップから有馬記念というローテーションを描いていたため、予定通り参戦を見送った[171]

ジャパンカップ

背景

11月27日、ジャパンカップ(GI)に参戦する。唯一の大敗となった東京優駿(日本ダービー)と同じ東京競馬場芝2400メートルの舞台に約1年半ぶりに帰還、今度はGI2勝の実績を引っ提げての挑戦となった[175][171]。日本調教馬14頭に外国調教馬3頭を迎える17頭立てとなる中、単勝オッズ3.8倍で再び1番人気となった[176]。有力な相手は、参戦を見送った天皇賞(秋)でモーリスに次ぐ2着となった同期のリアルスティール、オールカマーで復活したゴールドアクター、皐月賞優勝の3歳ディーマジェスティ、他にサウンズオブアースやシュヴァルグランなど日本調教馬たちだった[176]

1枠1番の最内枠が与えられていた。開催3日前、東京地方には54年ぶりとなる11月の降雪があった[177]。その影響で、スピードが出にくく、パワーの要求する馬場になっていた[177]。当日の前座レースは、状態の悪い馬場の内側を空けて走る傾向にになっており、最内枠を与えられた逃げ先行馬キタサンブラックと武にとって試練となっていた[177]

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2016年 ジャパンカップ(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2016年 ジャパンカップ(GI
レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画

展開

最内枠から好スタートを切ったキタサンブラックは、すんなりハナを奪って進路を調節して状態の悪い馬場の内側を回避し、内柵から4、5頭分離れた荒れていないコースを確保しながら逃げた[178]。最初のコーナーと第2コーナーを経て単独先頭を確保してマイペースに持ち込み、向こう正面に差し掛かってからは、2番手以下との差を広げて独走した[178]

道中は、ハロンタイム12秒台を連発し、極端に緩むことも締まることもない均一なペースを刻み、前半の1000メートルを61秒7で通過していた[178]。第3コーナーに達してからペースを上げ、単独先頭を守ったまま最終コーナーを通過[176]。馬場の良いところを確保したまま直線に向き、後続を引き付けながら、残り300メートルからスパートした[178]。背後には好位からの抜け出しを図るゴールドアクターがいたが突き放して独走となった[179]。終いには大外から、サウンズオブアースやシュヴァルグランが追い込んでいたが、既にセーフティリードの独走を決めて、先頭は脅かされなかった[179][176]。サウンズオブアースやシュヴァルグランに2馬身半差をつけて逃げ切りを果たした[179]

記録

ジャパンカップを戴冠して東京競馬場を克服[180]、GI3勝目を挙げた[181]。1984年カツラギエース、2003年タップダンスシチーに続いて13年ぶり史上3例目となるジャパンカップ逃げ切り優勝を成し遂げた[181]。1986年母父父サクラユタカオーが1番人気の立場で逃げ、捉えられて6着となってから30年後、その子孫が史上初めてとなるジャパンカップ1番人気の逃げ切りを果たしていた[182]。武は、1999年スペシャルウィーク、2006年ディープインパクト、2010年ローズキングダムに次いでジャパンカップ最多勝となる4勝目[182]。また北島三郎は、第36回「サブロー」のジャパンカップを優勝していた[183]

武は、接戦の勝利が多かったキタサンブラックが引き離して勝利したことに「ボクにとっても嬉しい意味での意外なもの[184]」と回顧しており、ジャパンカップは「これまで乗ったなかで一番強いパフォーマンス(中略)一戦ごとにどんどん良くなっている(中略)春に比べると走り自体が力強くなっていて、精神面も含めて競走馬としての充実期に入った[184]」と感じ取っていた。

有馬記念

サトノダイヤモンド

続いて12月25日、クリスマスの有馬記念に参戦する。前年とは異なり、古馬として3歳馬の挑戦を迎え撃つ立場となった。3歳馬の参戦は1頭だけだったが、その1頭が有力視されていた。ただ1頭の3歳馬とは、キタサンブラックの次代の菊花賞優勝馬であるサトノダイヤモンドだった。宝塚記念を最後にドゥラメンテが引退し、ジャパンカップを独走した直後に現れた新しいライバルだった[185]。父はブラックタイドの弟ディープインパクトであり、ノーザンファームで生産され、2億3000万円という高額で取引されたエリートだった[185]。同じ菊花賞優勝馬ながら生い立ちや背景が全く異なる2頭は、対照的だった。例えば石田敏徳は、この2頭の関係を『巨人の星』の登場人物「星飛雄馬花形満」で表していた[186]

サトノダイヤモンド

サトノダイヤモンドは、クラシック三冠競走は、逸材揃いの「最強世代」と囃し立てられる中、全3戦すべて健闘した。3着、2着、1着と尻上がりに着順を上げて、最終戦の菊花賞優勝を果たしていた[185]。ブラックタイドやディープインパクトを管理した池江泰郎の息子である池江泰寿調教師が管理し、「サトノ」の冠名で知られる馬主里見治の所有だった。池江里見タッグは、サトノダイヤモンドのほかにもう1頭、6歳のサトノノブレスも参戦させており、多頭出し[注釈 11][187]で挑んでいた。サトノダイヤモンドには、フランス人のクリストフ・ルメールが、サトノノブレスには、同じくフランス人のヴァンサン・シュミノーが騎乗していた[187]

前年に先着を許したゴールドアクターとサウンズオブアースに加え、シュヴァルグランやマリアライトなど常連の古馬勢も一通り揃う中、注目は4歳キタサンブラックと3歳サトノダイヤモンドの菊花賞優勝馬対決に集中し、2頭のオッズは互角だった[187]。しかしサトノダイヤモンドに僅差で上回られて単勝オッズ2.6倍の1番人気となった。キタサンブラックは2.7倍で2番人気に甘んじていた[187]

展開

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2016年 有馬記念(GI
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スタートからマルターズアポジーが飛ばして大逃げを敢行していた。一方1枠1番からスタートしたキタサンブラックは構わず、離れた2番手を確保[187]、マルターズアポジーは前半の1000メートルを61秒0で通過する平均ペースを演出していた[188]。キタサンブラックの背後には、ゴールドアクターが、そしてサトノダイヤモンドがいて、マークされる形に嵌められていたが[189]、マイペースを守りながら追走し、それらを引き付けていた。スタミナ勝負に持ち込むために、できる限り引き付けようと考えていた[190]。しかし残り1000メートル、2周目の第3コーナーにて、フランス語の会話があったという[191]。突然、中団外側にいたサトノノブレスが「まくり」を開始していた[192]

「まくり」をしたサトノノブレスにはすぐ外側にまで詰め寄り、キタサンブラックは「突っつかれる」形となった。2番手を譲るまいとしてペースを上げざるを得なくなり、マイペースをかき乱された[190]。サトノノブレスは、サトノダイヤモンドの進路を塞がないように「まくり」をして、結果としてサトノダイヤモンドを助ける展開を作っていた[190]

サトノノブレス(父:ディープインパクト)。
2014年菊花賞にてエピファネイアに次ぐ2着となったほか、2015年日経新春杯(GII)や小倉記念(GIII)、2016年中日新聞杯(GIII)、鳴尾記念(GIII)を優勝した。

サトノノブレスによって、早めのペースアップを余儀なくされたキタサンブラックは、最終コーナー手前で大逃げのマルターズアポジーを捉えて先頭を奪取し、背後のゴールドアクターやサトノダイヤモンドを引き連れながらスパートを開始した[191]。直線では迫られたが抵抗し、内にキタサンブラック、中央のゴールドアクター、離れた外にサトノダイヤモンドという横一線を形成する競り合いに持ち込んだ[193]

残り1000メートルからペースが11秒台に上がる戦いで、争い続けた3頭は余力を尽くし[194]、終いは12秒1に失速していた[195]。それでもキタサンブラックは粘り、すぐ隣のゴールドアクターを争いから脱落させて先頭を守った[156][187]。しかしゴール寸前、離れた外から末脚を伸ばしたサトノダイヤモンドに差し切られた[194][187]。ゴールドアクターに半馬身先着を果たしたが、サトノダイヤモンドにクビ差敗れる2着だった[187]。サトノノブレスに「突っつかれ」、サトノダイヤモンドに差し切られる展開は、池江里見勢のフランス人騎手2人の連係プレーにやられた形となっていた[196][190][197]。武は「サトノノブレスに突っつかれたのが痛かった。あのワンプレーがね[197]」と振り返り、池江里見勢の「組織力にやられたよ[197]」と回顧している。

5歳春(2017年)

大阪杯

参戦の背景

この年から中央競馬は、レース体系の改革され、古馬中長距離路線の拡充が実行し、新たに「大阪杯」を設けていた。旧来、春の古馬中長距離路線に設けられたGIは、5月の天皇賞(春)と6月の宝塚記念の2戦のみだった[198]。いずれも長距離に偏っており、時期的に4月、条件的に中距離路線が空白地帯だった。このため中距離馬、4月の出走を目論む馬などは、盛んに出走機会を外国に求めるようになっていた[198]。そこで4月に行われてきたGII競走、芝2000メートルという中距離の産経大阪杯を昇格させ、GI競走「大阪杯」を新設し、中距離馬の国内での出走機会増加が図られていた[198][199]。これをもって春の古馬中長距離競走は3つとなり、天皇賞(春)、宝塚記念と束ねた3競走は、既に整備されている秋の天皇賞(秋)とジャパンカップ、有馬記念の秋の古馬三冠競走に倣って新しく「春の古馬三冠競走」と呼称されるようになっていた。三冠達成馬には、内国産馬ならば2億円、外国産馬ならば1億円の褒賞金も用意されていた[200]

中長距離の活躍馬キタサンブラックの陣営もまた、4月上旬の出走は外国遠征、具体的にはドバイミーティング参戦も検討していた[201]。しかし前年の僅差で敗れた産経大阪杯と宝塚記念の無念があったことから国内に専念となり、リベンジの意味合いで前年と同じローテーション、この年から設けられた褒賞金のある「春の古馬三冠競走」に挑むこととなった[201]。清水は「有馬記念はもちろんなのですが、去年負けたレースをことしはぜんぶ取りたい。もっと言えば、出るところ、ぜんぶ勝ちたい〔ママ[202]」と決意して臨んでいた。「春の古馬三冠」に挑むにあたり、春季4戦を避けるべく前哨戦を使わず、一冠目の大阪杯に直行していた[203]

展開

マカヒキ(父:ディープインパクト)
2016年の東京優駿(GI)やニエル賞(G2)を優勝。そして2021年の京都大賞典(GII)も優勝する。

4月2日、昇格初年度となる大阪杯(GI)に参戦する。1歳年下の東京優駿優勝馬マカヒキ香港ヴァーズ京都記念を連勝中のサトノクラウン金鯱賞連覇のヤマカツエースなどが揃い、前年優勝アンビシャスとの同舞台での再戦も実現する14頭立てだった[204]。GIであるためにメンバーも揃い、マルターズアポジーやロードヴァンドールといった逃げを信条とする中距離馬も参戦していた[205]。長距離戦の逃げ馬キタサンブラックにとって、タイプの異なる中距離馬の逃げ馬との対決は、相手の本領である中距離戦においては初めてだった[205]。中距離戦挑戦に加えて、他に逃げ馬がいるという状況をどう克服できるか否かに大きな注目が集まっていた[205]。単勝オッズ2.4倍の1番人気だった[204]

映像外部リンク
2017年 大阪杯(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

スタートからマルターズアポジーやロードヴァンドールが飛ばす一方で、キタサンブラックは主張することなく、サクラアンプルールと並ぶ3番手を確保していた[206][204]。ハナを奪ったマルターズアポジーが後続を引き離す大逃げのような形になっていたが、前半の1000メートルは59秒6に落ち着き、大逃げながら平均ペースという展開となっていた[206][204]。ペースが落ち着いたことで、後方を追走するマカヒキやアンビシャスなど折り合いに苦労する馬が続出していた[206]

ステファノス(父:ディープインパクト)。
重賞優勝は2014年富士ステークス(GIII)のみに留まったが、2015年クイーンエリザベス2世カップや天皇賞(秋)など複数のGI級競走で2着となるなど善戦した。

しかしキタサンブラックは、好位で折り合い、順調に追走していた[206]。最終コーナー手前から進出して、まず失速するロードヴァンドールを捉えて2番手に浮上[204]。直線に向いてスパートして、逃げるマルターズアポジーに詰め寄り、残り300メートル地点で先頭を奪取した[207][204]。背後には7番人気ステファノスや4番人気ヤマカツエースがいたが、持続するスパートで接近を許さなかった[204]。先頭を守り切り、ステファノスに4分の3馬身差をつけて決勝線を通過、大阪杯の初代王者に輝いていた[204]

天皇賞(春)

サトノダイヤモンドとの再戦

続いて4月30日、天皇賞(春)に参戦する。連覇を目指す舞台だったが、前年の有馬記念で敗れたサトノダイヤモンドが立ちはだかった。サトノダイヤモンドは、始動戦の阪神大賞典でシュヴァルグランを下してからの参戦だった。新旧菊花賞優勝馬による京都競馬場での対決が実現し、2頭は共に有力視されて「二強」と目されていた[208]

どちらも前哨戦を制して順調な2頭による争いは注目され、無敗の二冠馬で産経大阪杯優勝から臨むトウカイテイオーと、天皇賞春秋連続1位入線中で阪神大賞典優勝から臨むメジロマックイーンが激突し「世紀の対決」とも呼ばれた1992年天皇賞(春)以来となる「二強」による対決となっていた[186]。他にゴールドアクターやシュヴァルグラン、日経賞優勝のシャケトラなどが揃う17頭立てだったが、人気は「二強」に集中していた。僅かにキタサンブラックが上回って2.2倍の1番人気となり、サトノダイヤモンドは2.5倍の2番人気だった[208]。ただし1番人気は、2006年ディープインパクトの優勝を最後に10連敗中となっており、縁起の悪いジンクスとして存在していた[209]

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映像外部リンク
2017年 天皇賞(春)(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

2枠3番からスタートして先行、大外枠から飛ばして大逃げに持ち込むヤマカツライデンに前を譲り、離れた2番手を確保した[208][210]。ヤマカツライデンは、序盤の1000メートルを58秒3、中盤の2000メートルを1分59秒7で通過する超ハイペースで大逃げを敢行し[208]、それにつられて2番手以下も、ヤマカツライデンほどではないがハイペースとなっていた[210]。道中ペースが極端に緩むことなく進行していた[211]

2周目の第3コーナーからはヤマカツライデンが失速し、後は2番手キタサンブラック以下による争いとなっていた[208]。キタサンブラックは、その第3コーナーに設けられた坂の下りを活用してスパートし、最終コーナー手前の残り600メートルでヤマカツライデンを捉え、早めに先頭を奪取していた[212][210]

ハイペースゆえに各馬が終いに失速する消耗戦の様相を呈する中、キタサンブラックは、他の馬の追い上げを待つことなく自ら進んでスパートし、リードを築いていた[212][210]。展開には抗えず終いはさすがに失速した[210]。直線では背後からシュヴァルグラン、外からサトノダイヤモンドが先頭目指して追い込んでいた[208]。しかし粘ってそれらを寄せ付けず、他も失速に追い込んでリードを守り切っていた[208][210]。シュヴァルグランらに1馬身4分の1差をつけて先頭で決勝線を通過[208]。サトノダイヤモンドに雪辱を果たしていた[209]

記録

1991年92年メジロマックイーン、2000年01年テイエムオペラオー、2013年14年フェノーメノに次いで史上4頭目となる天皇賞(春)連覇を成し遂げてGI5勝目を果たしていた[213]。2006年ディープインパクト以来11年ぶりとなる1番人気による天皇賞(春)優勝でジンクスを打ち破っていた[214]。また武も連覇を果たして天皇賞(春)8勝目を挙げ、保田隆芳の天皇賞(秋)7勝を上回る同一GI級競走最多優勝記録を樹立[215][214]。さらに48歳1か月の勝利で、天皇賞(春)最年長騎手優勝記録も樹立していた[213]

そしてキタサンブラックは、前年を2.8秒上回る3分12秒5で走破していた。また、2006年ディープインパクトの3分13秒4も0.9秒上回って、中央競馬レコードを大幅に更新[注釈 12][214]していた[216]。この日の京都競馬場は、高速決着の傾向ではあった[213]。しかし有吉正徳は「それを差し引いても、天皇賞の新記録は驚異的[213]」だったと評している。北島は「レコードを出すのは私の仕事[217]」だと述べていた。

三冠逃す

設置初年度の「春の古馬三冠」に王手をかけて、最終関門である宝塚記念に参戦する。陣営は「春の古馬三冠」挑戦を早々に表明したが、この頃はまだ次なる秋季のローテーションを決めかねていた。具体的には外国遠征、フランスの凱旋門賞挑戦という選択肢が浮上していた。出馬登録は行い、正式な挑戦表明こそないものの、陣営は度々凱旋門賞挑戦の意欲をちらつかせていた[218]。ライバルのサトノダイヤモンドは外国、フランスの凱旋門賞遠征を早々に決めて、遠征に専念するために、宝塚記念参戦を見送っていた。

6月25日の宝塚記念は、稍重馬場の11頭立てだった。天皇賞(春)9着に下したシャケトラ、大阪杯6着のサトノクラウンのほか、ミッキークイーンやゴールドアクター、シュヴァルグランなどとの再戦となる中、三冠懸かるキタサンブラックは単勝オッズ1.4倍という断然の1番人気に推されていた[219]。相手には戦法が競合するような逃げ馬がいないと考えられて、思い通りに展開できると予想されていたことや、5歳春にして右肩上がりのパフォーマンスを見せていたことから、断然の信頼を集めていた[219]

映像外部リンク
2017年 宝塚記念(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

しかし実際は、思い通りにいかなかった。外枠のスタートからシュヴァルグランにハナを奪われ、シャケトラにも前を譲る好位の外側3番手に甘んじ、シュヴァルグランの作り出すペースに従って追走した[220]。序盤は先行馬有利の落ち着いたペースだった[221]。ところが向こう正面に差し掛かった中盤においてペースが上がっていた[220]。好位外側に位置していたが、さらに外側からサトノクラウンが早めに進出していた。キタサンブラックのすぐ外側にまで接近され「突っつかれる」形となり、進出を余儀なくされた[222][220]。進出に逃げるシュヴァルグラン、2番手シャケトラが呼応し、中盤の早い段階からペースが上がり、消耗戦の様相を呈していた[220]

2番手に浮上して第3コーナー、最終コーナーをこなした。そして直線では先頭で並ぶシャケトラとスパートしたが、共に伸びを欠いて失速し、先頭を明け渡した[221]。シャケトラは粘りを見せていたが、キタサンブラックは手応えなく後退した[220]。代わりに「突っついて」消耗戦を演出するきっかけを作った後、自身は中団に留まって終いに賭けたサトノクラウンが先頭を奪取していた[222]。さらに終始後方にいたゴールドアクターにも進出を許し、その他大勢にもかわされた[220]

サトノクラウン

優勝したサトノクラウンに約8馬身後れを取る9着に敗れ「春の古馬三冠」を逃していた[221]。陣営は、この凡走についてはっきりとした敗因を挙げることができなかった[220]。軍土門隼夫は、馬場や展開、天皇賞(春)のレコード明け初戦の疲労など様々な要因が考えられることから「たぶん理由は複合していて、単純にこれだとは決められないのだ[223]」と表している[220]。この敗戦により、温めていた凱旋門賞参戦計画は立ち消えとなり、秋季は国内専念が決定した[224]

5歳秋(2017年)

天皇賞(秋)

背景

夏休みを挟んだ秋は、天皇賞(秋)とジャパンカップ、有馬記念で構成される「秋の古馬三冠競走」へ参戦することとなった。また陣営から、年内での引退と翌年からの種牡馬転身も予告され「秋の古馬三冠競走」が最後の出走であることが決定した[225]

まず初戦、10月29日の天皇賞(秋)は、台風22号の接近に伴う大雨のために馬場は不良だった[226]。武豊騎乗のメジロマックイーンが1位入線も降着し、代わりに2位入線江田照男騎乗のプレクラスニーが優勝した1991年以来、26年ぶりとなる不良馬場の天皇賞(秋)だった。馬場は極度に悪く、「未曽有の悪コンディション[227]」(三好達彦)「究極の悪路[228]」(野元賢一)だったという。戦前は、この極悪馬場への対応力が一つの焦点となっていた[227]。再起初戦のキタサンブラックは、初めてとなる不良馬場だった[229]。大敗明け、しかも稍重馬場の宝塚記念で9着だったことから、不良馬場の適性を疑問視する人も少なくなく、これまでのような信頼は集められなかった[227]

18頭立てとなる中、対抗馬は稍主の宝塚記念を優勝したサトノクラウンだった[227]。稍重馬場では重賞3勝、さらに重馬場の2016年京都記念を優勝するなど、既に馬場適性を証明しており信頼を集めていた[227]。キタサンブラックは1番人気を守ったものの単勝オッズ3.1倍、サトノクラウンが4.0倍の2番人気だった[226]。そのほかリアルスティール、3歳牝馬ソウルスターリンググレーターロンドン、ヤマカツエース、ネオリアリズム、マカヒキなどが揃っていた[226]。雨が降りしきって水浸しの馬場で発走時間を迎え、メジロタイヨウが優勝した1969年以来48年ぶりとなる、雨中で不良馬場の天皇賞(秋)となった[230]

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映像外部リンク
2017年 天皇賞(秋)(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2017年 天皇賞(秋)(GI
レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画

この日のキタサンブラックは、テンションが高かった。4枠7番のゲートに収まったが、冷静にスタートを待つこと「駐立」ができなかった[231]。キタサンブラックは、体を扉に正対するのではなく、斜めにしながら「駐立」しゲートを飛び出す習慣があった[231]。しかしこの日は、他の馬がゲートで暴れており、それに気を取られていた[231]。斜めではなく正対になってしまい、再度斜めに戻そうとしていた[231]。「駐立」が乱れた直後、前扉に突進して大きくバランスを崩した頃にゲートが開き、キャリアで初めてとなる出遅れを喫していた[232]。既にロードヴァンドールがハナを取り切るなどしており、先行策が封じられて後方追走を余儀なくされた[233]

従来の戦法が使えない事態に陥ったが、武は事前に善後策を考えていた。誰もが避ける馬場の悪い内側に、敢えて取り入り、折り合いをつけて中団を追走していた[234]。幸運にも不良馬場で落ち着いたペースになっており、容易に挽回することが可能だった[235]。第2コーナー通過は11番手だったが、向こう正面を使って押し上げて、第3コーナーを5番手で通過[226]。続くワンターンでは、馬場のきれいな外側を走る各馬を尻目に最も内側を突き、コーナーワークを駆使していた[229]。最終コーナーを2番手で通過するまで挽回して直線に向き、好位を追走するサトノクラウンの背後を得ていた[226]

第156回天皇賞(秋)(GI)[226]
着順 馬名 性齢 タイム

着差

コーナー通過 上り 騎手 斤量 人気
2 3
1 キタサンブラック 牡5 2:08.3 11 5 2 38.5 武豊 58 7
2 サトノクラウン 牡5 クビ 7 2 2 38.6 M.デムーロ 58 1
3 レインボーライン 牡4 2馬身1/2 10 12 5 38.7 岩田康誠 58 3

直線では、比較的内側を選択したはずのサトノクラウンと、最も内側を突いたキタサンブラックが並び立った。キタサンブラックが半歩先行する形となり、早めの先頭奪取となっていた[226]。各馬が状態の良い外側に進路を求める中、例外なくキタサンブラックも外側に斜行し、馬場の中央に持ち出してスパートした。早めのスパートでサトノクラウンに一歩先行し、やがてサトノクラウンの正面を得て、単独先頭を得ていた。ゴール手前になると早めのスパートが仇となって精神力が尽き、後れていたサトノクラウンの反撃を許した[226]。外に斜行したキタサンブラックとは正反対に、内に斜行したサトノクラウンに[236]、残り200メートルで並ばれ、横並びの競り合いとなった[237]。それでも粘って先頭を守り、リードをクビ差だけ残して、先頭で決勝線を通過していた[226]

記録

史上9頭目となるJRAGI6勝目、1988年タマモクロスや1999年スペシャルウィーク、2000年テイエムオペラオー、2007年メイショウサムソンに次いで10年ぶり史上5頭目となる天皇賞春秋連覇を果たした[238]。また2000年春秋、2001年春を優勝したテイエムオペラオー以来史上2頭目となる天皇賞3勝を果たした。また武は、1989年スーパークリーク、1997年エアグルーヴ、1999年スペシャルウィーク、2007年メイショウサムソン、2008年ウオッカに続いて天皇賞(秋)6勝目[239]、天皇賞14勝目を果たしていた[240]

またキタサンブラックは、芝の2000メートルを2分8秒3で走破していた[241]。2分8秒3は、天皇賞(秋)が2000メートル戦となった1984年以降で最も遅い決着だったあの1991年、メジロマックイーンが2分2秒9で走破しながら降着し、プレクラスニーが優勝した2分3秒9を下回り、優勝のプレクラスニーよりも4.4秒[227]、1位入線メジロマックイーンよりも5.4秒遅い[241]、いわゆる「逆レコード」を樹立していた[241]。春をレコードで、秋をレコードで天皇賞を連覇する特異なパフォーマンスを披露していた[241]。グレード制導入以降、芝の不良馬場で行われたGIは2018年末までに14競走存在していたが、別のGIにてレコード樹立したのは、キタサンブラックが史上初めての例だった[242]

ジャパンカップ

続いて11月26日のジャパンカップを目指した。ただ11月8日、武が落馬し膝の右膝内側側副靭帯を負傷していた[243]。1週間の離脱を余儀なくされ、11月12日のスマートレイアーに騎乗するエリザベス女王杯などは乗り替わりが発生していた[243]。武は離脱の間、キタサンブラックの騎乗を支えにリハビリしていた[244]。患部に高周波温熱療法や高気圧酸素治療などを駆使して翌週、つまりジャパンカップの前週に復帰を果たしていた[245]。復帰直後の11月19日には、マイルチャンピオンシップでお手馬で有力視されたエアスピネルに騎乗する予定があったが、エアスピネル陣営は、乗り替わりを選択[246]。代わりにキタサンブラックと同じ清水厩舎のジョーストリクトリで参戦していた[247]。武は他レースの騎乗をなるべく控えるなどして、キタサンブラックのコンビ継続を叶えていた[245]

レイデオロ

11月26日、連覇が懸かるジャパンカップに挑んだ。サトノクラウンやソウルスターリング、シュヴァルグランなどとの再戦となる他、この年の東京優駿優勝馬、つまり2歳年下のダービー優勝馬であるレイデオロも参戦していた[248]。4頭の外国調教馬を迎える17頭立てだったが、人気の中心は日本調教馬たちだった[249]。キタサンブラックは、不良の天皇賞(秋)直後だったが、信頼揺るがず2年連続の1番人気、単勝オッズ2.1倍。以下の人気はレイデオロ、サトノクラウンなどと続いていた[249]

映像外部リンク
2017年 ジャパンカップ(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

2枠4番から出遅れることなくスタートを切り、ハナを奪取して逃げに出ていた[250]。道中は緩みのないラップを刻んで逃げていた[249]。武は馬場の傾向を考えて決着タイムを「2分23秒台」になると想定して積極的に運び、前半の1000メートルを、優勝した前年よりも1秒以上速いペースで刻んでいた[251]。先頭を守ったまま、ペースを上げながら最終コーナーを通過し、逃げ切りを目指した[252]

直線の攻防(右)逃げるキタサンブラック(黒帽)(中)シュヴァルグラン(白帽1番)(左)レイデオロ(白帽2番)

直線では、ほとんどの馬はキタサンブラックについてこれず脱落し、しばらく独走する形となった[252][249]。しかし好位を追走していたシュヴァルグラン、後方から追い込むレイデオロがスパートすると、接近されて先頭を脅かされた[252]。残り200メートル付近で2頭に並ばれた[252]。キタサンブラックは内側にふらつきながら抵抗したが、追い上げる2頭の末脚が鋭く、残り100メートル付近でシュヴァルグランにもう一伸びを許して先頭を明け渡し、さらにゴール寸前でレイデオロにも差し切られた[253][254]

武の想定通り2分23秒台での決着だったが、優勝したシュヴァルグランに1馬身4分の1差以上、レイデオロにクビ差後れを取る3着となり、連覇を逃した[249]。単独先頭では気を抜く癖があり、並ばれてからの粘りがキタサンブラックの本領だったが、この日はいつもの粘りが見られなかった[253][254]

直線、左前脚で踏み込む様子

粘りがなく敗れた原因は、レース中に左前脚の蹄鉄が緩んだために、脚元がおぼつかなく、満足に走れなかったためであると考えられた[253][254]。レース中は蹄鉄の欠落「落鉄」しなかったが、決勝線を通過してか「落鉄」していた[253]。武は直接「落鉄」と敗戦の因果は不明とし、続けて「力負けとは思っていません[253]」と回顧していた。

有馬記念

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スワーヴリチャード

12月24日、引退レースであるクリスマスイヴの有馬記念に挑んだ[255]。ジャパンカップの後、厩舎ではこれまで一度も使用していなかった回復用の筋肉注射を二回使い、万全の状態で最終戦を迎えていた[256]。シュヴァルグランやサトノクラウン、ミッキークイーン、シャケトラ、サウンズオブアースなど常連古馬との対決となった[257]。またスワーヴリチャードサトノクロニクルブレスジャーニーという3歳馬3頭とは初対決となった[257]。なかでもスワーヴリチャードは対抗馬に挙げられた[255]。この年の東京優駿にてレイデオロに次ぐ2着、古馬相手にアルゼンチン共和国杯優勝という実績があった[255]。キタサンブラックが単勝オッズ1.9倍の1番人気となり、次いでスワーヴリチャード、シュヴァルグラン、サトノクラウンという人気順だった[257][255]。直前に行われた枠順を決める抽選会では、武自らが抽選に参加して有利とされる内枠、1枠2番を引き当てていた[258]

映像外部リンク
2017年 有馬記念(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画
2017年 有馬記念(GI
レース映像 関西テレビ競馬公式YouTubeチャンネルによる動画

内枠から好スタートを切って先行しスムーズにハナを奪い、逃げる形となった[255]。行きたがる面もあったがすぐに折り合いを実現していた[255]。道中はマイペースに持ち込み、ハロンタイム13秒台を連発するほど減速することに成功し[255]、前半の1000メートルを61秒6で通過するスローペースとなった[257]。後続に仕掛けを許さない絶妙なペースを実現して、付き従い続けて先頭を守り続けた[259]。残り1000メートルからペースを上げて、最後の直線コースに向いてすぐに他の馬を待たずにスパートすると、後続を突き放していた[257]。後れて追い上げるクイーンズリングやシュヴァルグランなどを寄せ付けないままに決勝線に到達。それらに1馬身半差をつける逃げ切りを果たした[257]

有馬記念

有終の美

1974年タニノチカラ、1992年メジロパーマー、1995年マヤノトップガン、2008年ダイワスカーレットに続いて史上5頭目となる逃げ切りでの有馬記念優勝を果たした[260]。三回目の挑戦にして初めてとなる有馬記念、グランプリ戴冠を成し遂げた。2004年ゼンノロブロイ以来13年ぶり史上13頭目となる天皇賞(秋)優勝馬による同年有馬記念優勝だった[261]。また2000年テイエムオペラオー以来史上2頭目となる同一年の天皇賞春秋連覇及び有馬記念優勝を果たしていた[261]。この勝利により、シンボリルドルフ、テイエムオペラオー、ディープインパクト、ウオッカに並び史上最多タイとなるJRAGI7勝目(後述)を挙げ、テイエムオペラオーを上回るJRA最多獲得賞金記録(後述)を樹立していた。

最後のレースを勝利で飾り、競走馬を引退した。有馬記念終了直後には、競馬場に居残る約5万人を前にして「お別れセレモニー」が行われた[259]。そして翌2018年1月7日、京都競馬場の最終レース終了後、約1万8000人が見届ける引退式が行われた[262]。GI勝利数「7」のゼッケンを着用し、天皇賞(春)とジャパンカップ、有馬記念で着用し優勝した白帽に勝負服姿の武が跨った姿が披露された[263]

種牡馬時代

供用

競走馬引退後は、北海道安平町の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。社台グループ・ノーザンファームの吉田勝己は、2017年天皇賞(春)を日本レコードで制した直後に、オーナーサイドに種牡馬入りと、社台スタリオンステーション入りの交渉を始めていた[264]。北島は、翌2018年の現役続行も考えていたが、吉田が説得に成功し、2017年末での引退と社台スタリオンステーション入りを勝ち取っていた[264]

キタサンブラックの曾祖母、祖母であるティズリーやオトメゴコロは、もともと社台グループの牝馬であり、サクラバクシンオーも社台スタリオンステーション繋養、さらにブラックタイドも社台ファーム生産であり、キタサンブラックはヤナガワ牧場を経由して社台グループに舞い戻った形となった[264]。所有権は大野商事が保持したままだが、種牡馬としての運営管理は、シンジケートの形式が採用された[264]。吉田を代表に大野商事、そして大手牧場や有力馬主、ヤナガワ牧場も参加した全60株、総額13億5000万円のシンジケートが結成された[264][265]。引退と繋養先が発表されるとすぐに、社台スタリオンステーションの電話は鳴り止まなくなる人気だったという[266]

初年度は130頭と交配し、2年目は110頭、3年目には92頭と右肩下がりで二桁に落ち込み、4年目102頭に留まった。しかし初年度産駒が2021年夏から走り出して実績を積み上げると、再評価されるようになり、翌2022年、5年目には178頭に増加した[267][267]。これまで500万円が最高だった種付け料だったが2023年、供用6年目に跳ね上がり、大台の1000万円に到達した[267]。値上げとなったがむしろさらに繁殖牝馬を集め、6年目は242頭に増加している[267]

産駒の活躍

産駒は、2021年夏から競馬場でデビューしていた。初年度産駒から活躍馬を輩出し、多数の重賞タイトルを獲得している。

イクイノックス

初年度産駒のイクイノックス(母父:キングヘイロー)は、2021年秋の東京スポーツ杯2歳ステークス(GII)で産駒初の重賞優勝を成し遂げて、翌2022年クラシック戦線の有力馬となった。春の三冠初戦である皐月賞、二戦目の東京優駿に挑んだが、それぞれジオグリフドウデュースに阻まれる2着だった。しかし秋、3歳馬ながら臨んだ天皇賞(秋)を優勝し、1971年トウメイ1978年テンメイ母仔、1970年メジロアサマ1982年メジロティターン父仔、1999年スペシャルウィーク2010年ブエナビスタ母仔に続いて史上4頭目となる天皇賞(秋)親仔制覇を達成した[268]。さらに暮れの有馬記念も優勝して再び父仔制覇を果たした。この年の年度代表馬に輝き、1976年トウショウボーイと1983年ミスターシービー父仔、1984年85年シンボリルドルフと1991年トウカイテイオー父仔、2005年06年ディープインパクトと2012年14年ジェンティルドンナ父娘、2013年ロードカナロアと2018年20年アーモンドアイ父娘に次いで史上5例目となる親仔年度代表馬受賞、シンボリルドルフとトウカイテイオー父仔以来31年ぶりとなる父仔受賞を果たしていた[269][270]

翌2023年のイクイノックスは、父では実現しなかった外国遠征、ドバイミーティングに参戦し、ドバイシーマクラシック(G1)では緩めながらも3馬身半差をつけて優勝していた[271]。続いて父の敗れた宝塚記念も優勝。2023年9月までに8戦6勝2着2回、GI級競走4勝を挙げている[272]

クラシックのタイトルは、初年度産駒では勝ち取れなかった。イクイノックスは皐月賞、東京優駿ともに2着に留まった[273]。そしてガイアフォースは、2022年セントライト記念を優勝して父仔制覇を果たし、続く菊花賞で1番人気に推されたが、ディープインパクト産駒のアスクビクターモアに敗れる8着だった[274]。叶えたのは、2年目産駒のソールオリエンスだった。ソールオリエンス(母父:モティヴェーター)は、新馬戦と京成杯(GIII)を連勝した後に挑んだ皐月賞を優勝し、父の叶えられなかった無敗での皐月賞優勝を果たしている[275]

ソールオリエンス

ただ2年目産駒までクラシックを経験した2023年時点では、まだ日本ダービーのタイトルを得るには至っていない。初年度のイクイノックスは、2番人気に支持されたが、父の主戦騎手である武豊が騎乗するドウデュースにクビ差及ばず、2着に敗れた[276]。2年目は皐月賞優勝のソールオリエンスと青葉賞(GII)優勝スキルヴィングという2頭の有力馬を送り出し、1番人気2番人気を占めた[277]。しかしソールオリエンスはクビ差及ばず、スキルヴィングは5秒以上[注釈 13]敵わず、父のかつてのライバルであるサトノクラウン産駒タスティエーラに優勝を許した[277]

競走成績

以下の内容は、netkeiba[278]並びにJBISサーチ[279]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離
(馬場)



オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬
(2着馬)
馬体重
[kg]
2015. 01. 31 東京 3歳新馬 芝1800m(良) 16 7 14 07.9(3人) 01着 01:52.3(34.2) -0.2 後藤浩輝 56 (ミッキージョイ) 510
02. 22 東京 3歳500万下 芝2000m(良) 14 5 7 48.4(9人) 01着 02:01.4(34.7) -0.5 北村宏司 56 サトノラーゼン 504
03. 22 中山 スプリングS GII 芝1800m(良) 12 1 1 12.3(5人) 01着 01:49.1(34.4) -0.0 北村宏司 56 リアルスティール 504
04. 19 中山 皐月賞 GI 芝2000m(良) 15 4 7 09.7(4人) 03着 01:58.8(35.2) -0.6 浜中俊 57 ドゥラメンテ 510
05. 31 東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 18 8 17 20.7(6人) 14着 02:25.5(36.8) -2.3 北村宏司 57 ドゥラメンテ 520
09. 21 中山 セントライト記念 GII 芝2200m(良) 15 7 13 12.5(6人) 01着 02:13.8(34.9) -0.1 北村宏司 56 ミュゼエイリアン 532
10. 25 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 18 2 4 13.4(5人) 01着 03:03.9(35.0) -0.0 北村宏司 57 (リアルスティール) 530
12. 27 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 16 6 11 08.4(4人) 03着 02:33.1(35.1) -0.1 横山典弘 55 ゴールドアクター 526
2016. 04. 03 阪神 産経大阪杯 GII 芝2000m(良) 11 6 7 06.2(5人) 02着 01:59.3(33.6) -0.0 武豊 58 アンビシャス 524
05. 01 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 18 1 1 04.5(2人) 01着 03:15.3(35.0) -0.0 武豊 58 カレンミロティック 524
06. 26 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(稍) 17 2 3 05.0(2人) 03着 02:12.8(36.8) -0.0 武豊 58 マリアライト 536
10. 10 京都 京都大賞典 GII 芝2400m(良) 10 1 1 01.8(1人) 01着 02:25.5(33.6) -0.0 武豊 58 アドマイヤデウス 538
11. 27 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良) 17 1 1 03.8(1人) 01着 02:25.8(34.7) -0.4 武豊 57 サウンズオブアース 536
12. 25 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 16 1 1 02.7(2人) 02着 02:32.6(35.8) -0.0 武豊 57 サトノダイヤモンド 536
2017. 04. 02 阪神 大阪杯 GI 芝2000m(良) 14 4 5 02.4(1人) 01着 01:58.9(34.3) -0.1 武豊 57 ステファノス 540
0000. 04. 30 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 17 2 3 02.2(1人) 01着 R3:12.5(35.3) -0.2 武豊 58 シュヴァルグラン 536
06. 25 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(稍) 11 8 10 01.4(1人) 09着 02:12.7(36.9) -1.3 武豊 58 サトノクラウン 542
10. 29 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(不) 18 4 7 03.1(1人) 01着 02:08.3(38.5) -0.0 武豊 58 (サトノクラウン) 542
11. 26 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良) 18 2 4 02.1(1人) 03着 02:23.9(35.3) -0.2 武豊 57 シュヴァルグラン 542
12. 24 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 16 1 2 01.9(1人) 01着 02:33.6(35.2) -0.2 武豊 57 クイーンズリング 540
  • タイム欄のRはレコード勝ちを示す。

種牡馬成績

年度別成績

種付料(万円) 増減 種付頭数[280] 出産頭数[280]
2018年 500[281] - 130 84
2019年 400[282] 減少100 110 82
2020年 400[283] 0 92 55
2021年 300[284] 減少100 102 72
2022年 500[285] 増加200 177
2023年 1000[286] 増加500

重賞優勝産駒一覧

GI級競走優勝産駒

太字強調は、GI級競走を表す。また外国重賞には、その競走が行われた場所の国旗を充てる。

重賞優勝産駒

アスタリスクは、地方競馬各主催者が独自に定める格付けた重賞を表す(ダートグレード競走を除く)。

エピソード

北島三郎

演歌歌手として人気を誇った北島三郎は、2013年をもって長年出場し続けた紅白歌合戦を卒業、2015年1月をもって劇場の座長公演を終了するなど、一線から退くようになっていた。ところが直後の2015年1月31日、デビューしたキタサンブラックが大活躍を果たしていた[293]。デビュー当日、初めは東京都八王子の自宅からの観戦を予定していた[294]。しかし朝にふと思い立って競馬場に出向き、キタサンブラックのデビュー戦優勝を現地で見届けていた[294]。翌2016年には頚椎症性脊髄症の手術、目の手術などするなど体調が万全ではなかった。そんなとき、キタサンブラックの活躍が支えになったのだとしている[295][293]

キタサンブラックでのクラシック参戦は、1995年桜花賞に挑んだキタサンサイレンス9着(優勝:ワンダーパヒューム)にはじまり、同年優駿牝馬(オークス)のキタサンサイレンス17着(優勝:ダンスパートナー)、1997年皐月賞のキタサンフドー14着(優勝:サニーブライアン)、2001年東京優駿(日本ダービー)のキタサンチャンネル16着(優勝:ジャングルポケット)、2009年菊花賞のキタサンチーフ10着(優勝:スリーロールス)に続いて5頭目の挑戦だった[296]。GIでは、2001年阪神ジュベナイルフィリーズのキタサンヒボタン4着が長らく最高だったが、キタサンブラックの菊花賞で叶えられた[297]

菊花賞前には、東京都浅草の待乳山聖天や早稲田の穴八幡宮に出向いて必勝祈願[298]。同行者全員には購入したお守りと、黒いスーツ、勝負服と同じネクタイを用意して挑んでいた[298]。さらに京都では、偶然にも貸切したハイヤーの運転手が「金馬こんま」さんだったという。この菊花賞の成功体験は、その後キタサンブラックがGI競走に出るたびに、ゲン担ぎとしてルーティンとなっていた[298]。必勝祈願と「金馬」ドライバーの確保。それから前日は鍋料理を食して、ホテルは同じ部屋に泊まり、競馬場ではカツカレー。さらにレース後は、同じ打ち上げ会場、同じ時間の東京行の新幹線というようにこなして、毎度毎度京都に出向いていた[298]。このゲン担ぎが実り、天皇賞(春)連覇を果たしていた[298]

GIを4勝することになる2017年当初は、翌2018年の現役続行も考えていたという[295]。しかし春のGIを2勝するなどして、人気種牡馬になる目算も見え始めていた[295]。馬主歴半世紀以上でようやく巡り合えた優駿を手放すことは容易ではなかった。しかしこれまでの人生経験から、引き際が重要という考えに至っていた。種牡馬としてなど、キタサンブラックの将来を考えたうえでの決断だった[299]

まつり

キタサンブラックが優勝すると、レース後に北島三郎は競馬場の観衆の前に立ち、持ち歌である『まつり』の替え歌をワンフレーズ披露するようになった。勝利を積み重ねたために、やがて『まつり』披露は恒例になっていった。

キタサンブラックが成り上がり、GI戦線に臨むにあたって、北島は軽い気持ちで「GI勝ったら歌っちゃうよ」「1着なら『まつり』に決まってる」というように宣言したところ、多くの方々から期待の声を集めたことがきっかけだった[300]。3歳春の皐月賞と東京優駿(日本ダービー)ではいずれも敗れた。東京優駿では『まつり』のカラオケと本業の音響担当者を競馬場に準備していたが、叶わなかった[103]。しかし秋の菊花賞で結実し『まつり』披露が実現していた。スタンド前のお立ち台で行われた北村宏司騎手のインタビュー後、北島もお立ち台に上がってインタビューに参加[301]。「公約したんですよね」「歌うよ!」と宣言して、ファンに手拍子を促し、アカペラで『まつり』のサビを替え歌にしてワンフレーズを披露していた[302]

まつりだ
まつりだ
まつりだ
キタサンまつり
おれもドンとまた頑張るよ
これが競馬のまつりだよ
北島三郎[303]

この菊花賞が日本競馬史上初めてとなる馬主のお立ち台での歌唱事例となった[304]。北島は、紅白歌合戦のトリより緊張したという[304]。この後、キタサンブラックは度々GI優勝、その都度、北島の歌唱も繰り返されることになる。ただ続く有馬記念では3着に敗れたものの歌唱している。中山競馬最終競走終了後の有馬記念回顧イベントにサプライズ出演して『まつり』をカラオケに沿ってフルコーラスで歌い、終いを「これが有馬のまつりだよ~」と歌い上げていた[305][306]

翌2016年春は、武豊と初コンビを組んだ始動戦の産経大阪杯は2着、武は「せっかく練習したのに歌えんかった[307]」とジョークを飛ばしていた。しかし続く天皇賞(春)を優勝、レース後にはスタンドから『まつり』コールが発生していた[308]。北島は、予告していなかったがコールに応えて披露し、終いを「今日は豊さんのまつりだよ」変えて歌唱した[308][309]。夏に頚椎症性脊髄症をきたして療養し、病み上がりだった秋のジャパンカップ優勝後にも歌唱[310]。そして暮れの有馬記念は、2着に敗れたものの再び終了後の有馬記念回顧イベントで歌唱。前年3着からの2着だったために北島は「あと1年はこの馬も頑張る。来年は1着だ[311]」と宣言し。さらにフランスでの歌唱を、つまり凱旋門賞挑戦の意欲も見せていた[311]

しかし続く2017年、暮れの有馬記念を優勝するまで取っておくという理由で、『まつり』を封印した[312]。大阪杯や天皇賞(春)を優勝したが、歌唱はされなかった。そしてこの年限りでの引退を発表し、天皇賞(秋)を優勝しても歌唱せず、ジャパンカップ3着を挟んで、引退レースの有馬記念で戴冠を果たし、宣言通り封印を解いた[313]。直後に行われた中山競馬場のお別れセレモニーにて1年ぶりの『まつり』を歌唱し、武も口ずさむ形で初めて参加していた。またこのセレモニーでは『まつり』に限らず、新曲の『ありがとう キタサンブラック』を初披露。「泣いちゃうから[313]」と収録音源を流していた[313]。当初は引退式で披露するはずだったが前倒しでの披露となった[314]

翌2018年1月の引退式では、主催者は、馬が主役であることを根拠に『まつり』披露はないと告知をしていた[315][316]。しかし北島は、ファンを前に「生歌を聴かせないわけにはいかない」としてサプライズで歌唱をしていた[315][316]。また『ありがとう キタサンブラック』の収録音源も再度披露されていた[263]

『ありがとう キタサンブラック』とは、北島と親交があり、これまで『さらばハイセイコー』『翔んでディープインパクト』などを手掛けた山田孝雄が作詞、また北島自身――ペンネーム原譲二名義で作詞作曲を務めた演歌である[317][313]。有馬記念直後を初めて披露したその日のうちに約2000ダウンロードを記録[317]。累計ダウンロードが三桁ほどしかならない演歌ジャンルにもかかわらず人気を博し、2018年1月12日時点で2万5000ダウンロードまで伸ばした[317]。この曲の収益の一部は、公益財団法人ジャパン・スタッドブック・インターナショナルに寄付され、引退馬振興に役立てられているという[318]

血統

距離

キタサンブラックは、母の父がサクラバクシンオーにもかかわらず、長距離で活躍した[319]。サクラバクシンオーの産駒の中長距離の実績に乏しいことから、短距離専門のイメージがついて回り、常識として浸透していたが、キタサンブラックは、その常識を覆していた。確かにサクラバクシンオーは、優れたスピードの持ち主として知られていた。しかし、母がアンバーシャダイの全妹サクラハゴロモであることから、露になっていないだけで、豊富なスタミナも継承されているはずだった[320]。一部では、サクラバクシンオーは走っていないだけで、本当は短距離に留まらず、もっと長い距離もこなせるポテンシャルがあると考える者も、軍土門隼夫によれば「少なくはなかった[320]」という。長距離馬アンバーシャダイ、もといサクラハゴロモのスタミナは、短距離馬サクラバクシンオーを経由して継承され、キタサンブラックで開花したと考えられている[320]

2015年11月時点において、母の父サクラバクシンオー産駒は288勝を挙げていたが、うち214勝がマイル以下であり、短距離に偏っていた。一方芝2000メートル以上は、5頭による12勝に過ぎなかった[320]。この5頭のうちの2頭がオトメゴコロの仔、すなわちキタサンブラックとその半兄のショウナンバッハ(父:ステイゴールド)で占めていた[320]

半兄ショウナンバッハ(父:ステイゴールド

1歳年上のショウナンバッハも、同様にサクラバクシンオー産駒の傾向に逆らい長距離で活躍した。オープン昇格直後の2015年秋にはジャパンカップ出走を果たしたほか、翌2016年初めのアメリカジョッキークラブカップ(GII)では3着[321]。その後も長く重賞戦線で活躍、タイトル獲得はならなかったが、2018年新潟記念(GIII)3着や中日新聞杯(GIII)2着など中距離の重賞で上位となる活躍を果たすことになる[321]

とは言ってもキタサンブラックが、短距離に強いというイメージが強いサクラバクシンオー産駒の常識を覆し、長距離の適性を公に認めさせるには時間がかかった。出走するたびに距離不安説が付きまとった[62]。特に菊花賞前には、しきりに叫ばれ、解説者はその根拠に次々とサクラバクシンオーを連呼していた[322]。それを聞いた北島は「俺の馬はサクラバクシンオーじゃねぇ[322]」と思い、腹が立てていた[323]。北島には元から距離不安などなく、長距離をこなす自信があったという[300]

キタサンブラックは、距離不安説を払拭するまでは、実績の割に人気を得られなかった[62]。デビューからしばらくは、大一番の東京優駿を除いて3着以内、馬券圏内を外さない安定した戦績を残したが、それでも支持されなかった[324]。3歳の秋に、3000メートルの菊花賞を5番人気で優勝し、2500メートルの有馬記念を4番人気3着。翌4歳春の3200メートルの天皇賞(春)を2番人気で優勝し、2200メートルの宝塚記念を2番人気3着と実力を証明し、4歳秋の始動戦の2400メートル、長距離GI2勝馬として迎えたキャリア12戦目の京都大賞典でようやく1番人気を勝ち取っていた[324]

距離不安説を拭い去った後は、反対に距離不足説も盛んに取り上げられた[242]。天皇賞(春)やジャパンカップを優勝しステイヤーとしての地位を確立した2017年には、中距離の大阪杯に出走しているが、この際はスタミナ優位なステイヤーのイメージが浸透して、スピードやキレ不足が懸念されていた[242]。しかし大阪杯を優勝し、天皇賞(春)ではレコードタイムで駆け、自身のスピード能力を証明し、周囲が持つイメージを複数回覆していた[242]。清水は適性について「走れと言われたら、ダートでも戦える[325]」マイルの「安田記念に行ったら、めっちゃ走りそうですね。むしろ適性がわからないぐらい[325]」と評している。

性格

もっともこのような血統にもかかわらず、長距離をこなすことができたのは、キタサンブラック自身が落ち着いた性格だったとされている[125]。どんな距離でも引っ掛かることなく、折り合いをつけて走ることが可能だった[125]

そもそも母の父サクラバクシンオーがスプリンターになったきっかけは、気が強すぎるところがあった[125]。気が強く推進力があることは、一本調子のスプリント戦では有利に働くが、距離が長くなり緩急が加わると引っ掛かり、対応は困難だった。しかしキタサンブラックは、サクラバクシンオーの気の強さをそっくりそのままには受け継がなかった[125]

馬格

ブラックタイドを引き継いで大柄だった。清水は「馬格があって品のある馬[326]」であると評している。デビュー時は510キログラムに過ぎなかったが、ハードトレーニング(後述)を重ねるうちに筋肉が増大して530キログラムまで成長し、GIタイトルを奪取していた[327][201]

530キログラムで優勝した2015年菊花賞では、2004年デルタブルースの526キログラムを上回る優勝馬史上最高体重だった[128]。また538キログラムで優勝した2016年京都大賞典では、1986年スズカコバンの516キログラムを上回る優勝馬史上最高体重[173]。さらに540キログラムで優勝した2017年大阪杯では、1978年キングラナーク、1996年タイキブリザードの530キログラムを上回る優勝馬史上最高体重[328]。加えて542キログラムで優勝した2017年天皇賞(秋)では、2003年シンボリクリスエスの534キログラムを上回る優勝馬史上最高体重[240]。そして540キログラムで優勝した2017年有馬記念では、2003年シンボリクリスエスの538キログラムを上回る優勝馬史上最高体重だった[329]

所縁

キタサンブラックは、父ブラックタイドが果たせなかったクラシック戴冠を成し遂げている。また父の存在理由でもある父の弟、傑出馬ディープインパクトの産駒を次々撃破して、ディープインパクトのGI優勝記録で並び、獲得賞金では上回る活躍を見せた。例えば大阪杯では、2014年キズナ、2015年ラキシス、2016年アンビシャスとディープインパクト産駒が3連覇中だったが、その「代替種牡馬」であるブラックタイド産駒が優勝し、ディープインパクトの聖域を侵す活躍を見せた[328]。キャリアの中盤から終盤は、ブラックタイドやディープインパクトに騎乗した武豊が主戦騎手を担った。武は、ディープインパクトの引退レースである2006年有馬記念以来となる有馬記念優勝を果たしたうえ、1990年オグリキャップと合わせて有馬記念3勝目、すべて引退レースを優勝に導いていた[330]

天皇賞(春)では日本レコードで優勝し、父の弟であるディープインパクトの2006年の記録を上回っていた[214]。また母の父サクラバクシンオーは1994年のスワンステークスやスプリンターズステークスにて、母の父の父サクラユタカオーもまた1986年の毎日王冠や天皇賞(秋)を日本レコードで制しており、先祖に続くレコードブレイカーだった[214]

またジャパンカップは、母の父の父であるサクラユタカオーが1986年に果たせなかった、あるいはその半弟で1982年の第1回ジャパンカップにて超ハイペースで逃げて敗れ「日の丸特攻隊」と評されたサクラシンゲキの無念を晴らす、逃げ切り優勝を果たしていた[182]。それから大阪杯は、母の父の父サクラユタカオーの1986年産経大阪杯に続く優勝であり、出走メンバーで唯一歴代優勝馬の血を継承する者が新生大阪杯の初代王者となっていた[328]

さらに有馬記念は、初挑戦が3着、2年目が2着と敗れた後、2017年の引退レースとなる3年目で優勝を果たしていた[329]。母の父の母の全兄、すなわちサクラハゴロモの兄であるアンバーシャダイ以来史上2頭目となる、有馬記念1着2着3着経験を果たしていた[329]。キタサンブラックは右肩上がりに着順を伸ばしたが、アンバーシャダイは初挑戦の1981年に優勝し、翌1982年はヒカリデュールに敗れる2着となり、翌々1983年はリードホーユーとテュデナムキングに敗れる3着であり、正反対に右肩下がりの着順を辿っていた[329]

ハードトレーニング

キタサンブラックは、清水厩舎独特のハードトレーニングで鍛えられた。中学生時代は大阪の名門陸上部で長距離選手として在籍していた清水は、疲労が出るまで鍛えることが、成長への早道だという考えの持ち主だった[331]。そのため練習後のケアを考慮しつつも、キタサンブラックを攻めに攻めて成長を促していた[332]

成長の要因は、なによりキタサンブラックが、頑丈な体の持ち主で、清水のそのハードトレーニングに応え続ける才能に恵まれていたことだった[333][327]。性格はおとなしく、調教の妨げになるような行動をしなかった[327]。しかし気持ちのスイッチは自由自在で、騎手の要求にすぐに反応して駆けることができる賢さがあった[327][201]。それに体が柔らかく、多少の変化にも動じない図太さがあった[331]。おとなしさと賢さなどを併せ持つため、消耗が少なく済み[201]、故障のリスクは少なかった[331]

また調教量が増えるなどを感じると、出走直前であることを察して飼葉の量を減らすなど、人間の手を煩わせずとも自ら体を仕上げることが可能だった[201]。清水は「本当に鍛えがいのある馬[333]」であると述べている。

3歳秋、クラシック最終戦の菊花賞を目指す過程において、ハードトレーニングは始まっていた。清水によれば「どんな結果になろうと、自分が納得したかったから[125]」として、負荷が大きいとされている栗東トレーニングセンターのCウッドコースを、1周半から2周半に、Cウッドコースから坂路走破させたりという内容の「かなりハード[125]」(清水)なメニューを強いていた[125]。始動戦のセントライト記念は仕上がり途上でありながら優勝し、その後は一変。良い状態で迎えた菊花賞を優勝していた[125]。翌年の4歳もそのハードトレーニングに応え続け、本格化を果たしていた[333]

また翌々年、現役最終年の大阪杯には、「現在では滅多に見ない[203]」(岡本光男)栗東坂路コース走破1日3本を三度こなして臨み、優勝を果たしていた[203]。ただし引退を決めて臨んだ最後の秋は、「坂路三本」というようなハードトレーニングはせず、状態維持や調整を重視して仕上げられた[299]。「秋の古馬三冠競走」を全うするために、そして北島は特に有馬記念優勝を所望していたために、最終戦までを考慮しながらできる限り良い状態に仕上げる工夫がなされた[299]。最終追い切りを「馬なり」に留めるなど負荷こそ軽くしていた[334]。清水は仕上げに抜かりはないと考えていた[254]。雨中の天皇賞(秋)を経たジャパンカップは3着に敗れたが、状態面には自信が持っていた[254]

手向けの勝利

キタサンブラックに携わった関係者には、複数の訃報があった。まず騎手では、新馬戦に騎乗した騎手の後藤浩輝である。後藤は、重賞に挑戦する前の3歳春の頃、2015年2月末に自殺したとされた[335]。北村宏司は、菊花賞優勝直後に「後藤さんが『これからが楽しみな馬』と言っていた。いろいろな人の縁を感じる[336]」と述べている。

もう一人、後期の主戦騎手武豊の父で、かつて騎手だった武邦彦である。武邦彦は、初めて天皇賞(春)を優勝し宝塚記念で3着となった後の4歳夏の頃、2016年夏に病死していた[337]。武豊は、2016年天皇賞(春)を優勝した直後に、体調を崩して入院中の父邦彦を見舞っていた。邦彦は、病院を訪れる息子を待ち、対面を果たすと手を取っておめでとうと称えていた[338]。豊によれば、邦彦が「そんなことをしてくれたのは初めて[338]」だったという。

そして2017年末、暮れの有馬記念を優勝した直後、記念写真を待つまでの間に、武豊はキタサンブラックに跨りながら、天上を指で差していた[339]。武豊は、天国にいる後藤と武邦彦に対して、有馬記念優勝の報告をしていた[339][338]

また育成を担った日高軽種馬共同育成公社の場長である加納雅己は、闘病中の身ながら「シュガー」――後のキタサンブラックの育成に携わっていた[340]。デビューする前の2014年12月2日に53歳で死去、最後に送り出した調教馬が「シュガー」だった[340]

さらにかつて北島が所有し、2001年のファンタジーステークス(GIII)を優勝したキタサンヒボタンの生産者であるカタオカステーブル代表、北島と長い関係にあった片岡禹雄は、天皇賞(春)連覇直前の2017年4月25日に病死していた[217]。そして告別式を行った翌日、4月30日の天皇賞(春)を優勝して連覇を果たしていた[217]。北島は「神様、ご先祖様がこんな宝物を与えてくれたのかな。そんな気持ち[217]」と振り返っている。

活躍がもたらした悪影響

キタサンブラックの活躍により、種牡馬ブラックタイドの人気は高まり、種付け料が吊り上がっていた。

ブラックタイド産駒は、例えば種牡馬選定の意味合いの強い2015年東京優駿(日本ダービー)にキタサンブラックをはじめ、コメート、タガノエスプレッソとともに参戦を果たし、フルゲート18頭のうち3頭を占めることに成功していた[341]。また同年菊花賞優勝により、ブラックタイドは、既に牝馬三冠馬や東京優駿優勝馬などクラシック優勝馬を多数輩出していた弟ディープインパクトに続いて、クラシック優勝を果たしていた。父ダイオライトフリッパンシーから成り、1952年菊花賞優勝のセントオーの父であるセントライト。父プリメロ母フリッパンシーから成り、1956年菊花賞優勝のキタノオーなどの父であるトサミドリ以来となる兄弟でのクラシック優勝種牡馬となっていた[128]

ブラックタイドの存在理由は、当初ディープインパクトの「代替種牡馬」に過ぎず、高額のディープインパクトには手が届かない小規模牧場などの受け皿となることだと考えられていた。その通り、安い種付け料の設定で、毎年100頭以上の繁殖牝馬を集めていた[341]。しかし産駒が活躍すると、初年度50万円だった種付け料は大台を突破して高級種牡馬になっていた[342]

そしてキタサンブラック活躍中の2015年には、日高地方、社台スタリオンステーション以外の種牡馬では最多、シーズン途中で100万円から200万円へ倍の値上げをしていた[343]。にもかかわらず、勢い止まらず194頭の繁殖牝馬を集めていた[343]。人気はうなぎ上りとなる中、負担軽減を図ってブリーダーズ・スタリオン・ステーションは更なる値上げに踏み切り、2016年には300万円に到達。生産者が気軽に選択できる存在ではない種牡馬となっていた[344]

定量的評価

獲得賞金

JRA獲得賞金[2][238]
競走馬名 生年 JRA成績 JRA獲得賞金
1 キタサンブラック 2012 20戦12勝 18億7684万3000円
2 テイエムオペラオー 1996 26戦14勝 18億3518万9000円
3 ディープインパクト 2002 13戦12勝 14億5455万1000円
4 ゴールドシップ 2009 27戦13勝 13億9776万7000円
5 ブエナビスタ 2006 21戦09勝 13億8643万3000円
6 オルフェーヴル 2008 17戦10勝 13億4408万4000円
7 ジェンティルドンナ 2009 17戦09勝 13億2621万0000円
8 ウオッカ 2004 22戦10勝 13億0487万6000円
9 ゼンノロブロイ 2000 19戦07勝 11億1560万8000円
10 スペシャルウィーク 1995 17戦10勝 10億9262万3000円

競走馬生活晩年、2017年の大阪杯を優勝してゼンノロブロイを追い抜いて歴代8位となり[345]、続く天皇賞(春)も優勝してオルフェーヴルまで追い抜いて歴代5位となった[213]。そして秋の天皇賞(秋)を優勝してディープインパクトまで追い抜き歴代2位[240]、さらに有馬記念も優勝してテイエムオペラオーを抜き、引退レースで歴代1位に浮上、最多獲得賞金記録を樹立した[346]

獲得賞金の加算推移
JRA獲得賞金(3歳以上)
年度 順位 獲得賞金額 成績 勝ち鞍(太字強調はGI競走) 1位 出典
2015 04位 03億5557万3000円 8戦5勝 菊花賞、スプリングS、セントライト記念 ラブリーデイ [347]
2016 01位 07億1193万0000円 6戦3勝 天皇賞(春)ジャパンC、京都大賞典 サトノダイヤモンド [348]
2017 01位 08億0934万0000円 6戦4勝 大阪杯天皇賞(春・秋)有馬記念 シュヴァルグラン [349]
合計 18億7684万3000円

GI1勝に留まった2015年こそ4位だったが、出走レースすべてで上位にあり続け、天皇賞(春)とジャパンカップを優勝した翌2016年には、7億円超えを果たして年間賞金王となった。1994年クラシック三冠、有馬記念優勝を果たしたナリタブライアン、2000年全勝、GI5勝「秋の古馬三冠」も果たしたテイエムオペラオー、2006年全勝、GI4勝を挙げたディープインパクト、2011年クラシック三冠、有馬記念優勝を果たしたオルフェーヴルに続いて史上5頭目となる7億円越えを果たしていた[350]

さらに2017年にも、GI4勝を挙げて再び年間賞金王に君臨。シンボリルドルフ、スペシャルウィーク、ディープインパクトに続いて史上4頭目となる2年連続賞金王に輝いた[238][261]。獲得賞金8億円は、2000年テイエムオペラオーの10億円に次いで史上2位となる年間獲得賞金だった[261]

勝利数

JRAGI勝利数[238]
勝利数 生年 競走馬名 JRAGI勝ち鞍
7勝 1981 シンボリルドルフ 84年クラシック三冠皐月賞東京優駿菊花賞)、有馬記念
85年天皇賞(春)ジャパンカップ、有馬記念
1996 テイエムオペラオー 99年皐月賞
00年天皇賞(春)、宝塚記念天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念
01年天皇賞(春)
2002 ディープインパクト 05年クラシック三冠(皐月賞、東京優駿、菊花賞)
06年天皇賞(春)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念
2004 ウオッカ 06年阪神ジュベナイルフィリーズ
07年東京優駿
08年安田記念、天皇賞(秋)
09年ヴィクトリアマイル、安田記念、ジャパンカップ
2012 キタサンブラック 15年菊花賞
16年天皇賞(春)、ジャパンカップ
17年大阪杯、天皇賞(春)、天皇賞(秋)、有馬記念
JRA重賞勝利数[238]
勝利数 競走馬名 生年 勝利重賞(太字強調は、八大競走及びGI級競走)
1 12勝 スピードシンボリ 1963 66年京成杯
67年アメリカJCC目黒記念(春)天皇賞(春)日本経済賞
68年アルゼンチンJCC
69年目黒記念(春)、ダイヤモンドS有馬記念
70年アメリカJCC、宝塚記念有馬記念
オグリキャップ 1985 88年ペガサスS毎日杯京都4歳特別NZT4歳S高松宮杯毎日王冠有馬記念
89年オールカマー、毎日王冠、マイルCS
90年安田記念有馬記念
テイエムオペラオー 1996 99年毎日杯、皐月賞
00年京都記念阪神大賞典天皇賞(春)宝塚記念
京都大賞典天皇賞(秋)ジャパンカップ有馬記念
01年天皇賞(春)、京都大賞典
11勝 ゴールドシップ 2009 12年共同通信杯皐月賞神戸新聞杯菊花賞有馬記念
13年宝塚記念
14年阪神大賞典宝塚記念
15年阪神大賞典、天皇賞(春)
5 10勝 ニホンピロウイナー 1980 82年デイリー杯3歳S
83年きさらぎ賞CBC賞
84年朝日チャレンジCスワンS、マイルCS
85年読売マイラーズC京王杯SC安田記念マイルCS
シンボリルドルフ 1981 84年弥生賞皐月賞東京優駿セントライト記念菊花賞有馬記念
85年日経賞天皇賞(春)ジャパンカップ有馬記念
ディープインパクト 2002 05年弥生賞、皐月賞東京優駿、神戸新聞杯、菊花賞
06年阪神大賞典、天皇賞(春)宝塚記念ジャパンカップ有馬記念
キタサンブラック 2012 15年スプリングS、セントライト記念、菊花賞
16年天皇賞(春)、京都大賞典、ジャパンカップ
17年大阪杯天皇賞(春)天皇賞(秋)有馬記念

レーティングによる評価

国際的評価

ワールド・ベスト・レースホース・ランキング
年度 順位 レート 部門 コラム別 出典
S M I L E
2015 97位 117 LE 117 117 [351]
2016 12位 123 L 123 [352]
2017 09位 124 L 124 [353]
〔注〕距離およびコラムの「SMILE」は、それぞれ下記の距離区分の略号。
  • S = Sprint(短距離): 1000 - 1300 m、北米は1000 - 1599 m
  • M = Mile(マイル): 1301 - 1899 m、北米は1600 - 1899 m
  • I = Intermediate(中距離): 1900 - 2100 m
  • L = Long(長距離): 2101 - 2700 m
  • E = Extended(超長距離): 2701 m -

日本国内での評価

JPNサラブレッドランキング
年度 部門 順位 レート

ポンド (lb)

キログラム

換算 (kg)

コラム別 部門最高(次点)評価 出典
S M I L E 馬名 コラム/数
2015 3歳 2位 117 53.0 117 117 ドゥラメンテ L/121 [354]
2016 4歳上 2位タイ 123 55.5 123 117 エイシンヒカリ M/127 [355]
モーリス I/127
同2位サトノクラウン 123
2017 1位 124 56.0 123 124 121 シュヴァルグラン L/123 [356]

表彰

JRA賞での評価

JRA賞
年度 部門 順位 得票/満票 受賞(次点)馬 備考 出典
2015 年度代表馬 -4位 001/291票 モーリス 082票 [注釈 14] [357]
最優秀3歳牡馬 次点 006/291票 ドゥラメンテ 142票
2016 年度代表馬 受賞 134/291票 (モーリス) 090票 [注釈 15] [358]
最優秀4歳以上牡馬 受賞 201/291票 090票
2017 年度代表馬 受賞 287/290票 オジュウチョウサン 003票 [359]
最優秀4歳以上牡馬 受賞 290/290票 満票選出
モーリス

菊花賞を優勝した2015年は、年度代表馬部門と最優秀3歳牡馬部門で票こそ得たが、少数に留まり受賞には至らなかった。しかし翌2016年、天皇賞(春)とジャパンカップを優勝しGI2勝を記録し、年度代表馬と最優秀4歳以上牡馬を受賞している。この年は、モーリスとサトノダイヤモンドもGI級競走を複数勝利しており、モーリスはキタサンブラックを上回るGI級3勝、サトノダイヤモンドは3歳ながら有馬記念でキタサンブラックを直接下して優勝していた[360]。しかしモーリスは、うち2勝が香港のチャンピオンズマイル香港カップだったためにインパクトに欠け、島田明宏によれば国内での取りこぼしも複数あったことも、悪く映ったという[360]。一方のキタサンブラックは、年間通して3着以内を守り続け、サトノダイヤモンドに敗れた有馬記念も僅差の2着だった。島田によれば、この安定性が好印象に映り、受賞につながったという[360]

現役最終年となった2017年は、大阪杯と春秋天皇賞、有馬記念を優勝してGI4勝を記録した。対立候補も同じ平地競走にはほとんど出現せず、満票近い票を集めて年度代表馬を、満票で最優秀4歳以上牡馬を受賞した[359]。前身の優駿賞などを含めた中央競馬の年度末表彰において、1964年65年受賞のシンザン、1980年81年ホウヨウボーイ、1984年85年シンボリルドルフ、2002年03年シンボリクリスエス、2005年06年ディープインパクト、2008年09年ウオッカに続いて史上7頭目の2年連続年度代表馬受賞だった[361]。またその6頭と、1967年70年受賞のスピードシンボリと2012年14年ジェンティルドンナの2頭を加えた史上9頭目となる2度目の年度代表馬受賞を果たしていた[361]

オジュウチョウサン

年度代表馬部門は、3票流出して満票選出とはならなかった[359]。満票を妨げたのは、同じ平地競走の活躍馬ではなく、障害競走で活躍したオジュウチョウサンだった[359]。重賞4連勝中でこの年を迎えたオジュウチョウサンは、それから重賞4戦4勝を果たして重賞8連勝、春秋障害GIである中山グランドジャンプ中山大障害をダブル連覇を果たして、史上初めてとなる障害GI4連勝を成し遂げていた。障害の名馬となったオジュウチョウサンは、キタサンブラックが引退した翌年に、平地へ再挑戦。騎手に武豊を起用して平地の500万円以下、1000万円以下を連勝して、暮れの有馬記念にも参戦し大きな注目を集めた[362]。武は、キタサンブラックの翌年のグランプリ騎乗馬にオジュウチョウサンを選択、連覇を目指したが9着だった[362]

オジュウチョウサンは、障害再転向などを経験しながら2023年まで走り、障害GI9勝を挙げる活躍を果たしたが、障害競走にも騎乗する黒岩は、キタサンブラックについて「冗談交じりに[325]」(江面弘也)このように話している。

障害を跳ばせてもじょうず〔ママ〕だと思いますよ。オジュウチョウサンどころではない — 黒岩悠[325]

顕彰馬選考における評価

得票 順位 結果 選出 出典
2019 140 72.5% 01位 落選 なし [363]
2020 158 80.6% 01位 選出 キタサンブラック [364]
  • 選出は投票者数の「4分の3以上(75パーセント)」の得票が必要。
  • 2019年は193人、2020年196人の記者が参加。
  • 記者1人あたり最大4頭に投票する権利を有する。

初めて、JRA顕彰馬選考の対象となった2019年は、投票数二桁に留まるスペシャルウィークモーリスブエナビスタなどを上回り1位となる140票を集めたが、得票率は72.5パーセントに留まり、選出に必要な75パーセントの基準に5票だけ届かず、初年度での選出は叶わなかった[363]。しかし2020年、同じように二桁に留まるキングカメハメハやスペシャルウィーク、ブエナビスタを尻目に票を伸ばして158票を獲得[364]。選出基準を上回る得票率80.6パーセントを記録し、2018年選出のロードカナロアに続き史上34頭目の顕彰馬となった[365]

その他の表彰
  • 2015年「FUN OF THE YEAR」(馬主北島三郎が受賞)(中山馬主協会主催の「今年、最も日本中を楽しませ、勇気づけた人物、団体に贈られる賞」この年限りでサッカー選手を引退した澤穂希と同時受賞)[366]
  • 2016年度関西競馬記者クラブ賞[367]
  • 2017年度関西競馬記者クラブ賞[359]

ファン投票実施競走の投票結果

中央競馬のファン投票レース
年度 競走名 順位 票数 1位(2位)馬 有効投票総数 出典
2015 宝塚記念 36位 0万03633票 ゴールドシップ 06万6123票 070万8837票 [368]
有馬記念 03位 09万3925票 12万0981票 147万5755票 [369]
2016 宝塚記念 01位 08万2121票 ラブリーデイ 06万4269票 101万5162票 [370]
有馬記念 01位 13万7353票 サトノダイヤモンド 11万7192票 154万3464票 [371]
2017 宝塚記念 01位 10万1621票 07万8566票 110万6746票 [372]
有馬記念 01位 12万4641票 08万2173票 138万6468票 [373]

スプリングステークス優勝馬に過ぎない2015年の宝塚記念では36位に留まったが、菊花賞を優勝直後の有馬記念では3位となる支持を集めた。そして翌2016年、天皇賞(春)優勝直後の宝塚記念では、約8万票を集めて初めて1位となった。その後は、2016年有馬記念と2017年はいずれもファン投票で1位となり、4回連続1位を守って引退している[374]。2017年有馬記念では、約8万票のサトノダイヤモンドに約4万票をつけた約12万票を獲得。2位との得票差は、歴代最高だった[375]

なかでも有馬記念では得票を伸ばし、2016年には得票率79パーセントを記録し、2006年ディープインパクトの78.7パーセントを上回り、インターネットでの投票受付を開始した1998年以降、有馬記念史上最高得票率記録を更新していた[376][377]。さらに翌2017年には、その得票率を79.9パーセントまで伸ばし、自身の史上最高得票率記録をさらに更新していた[377]

成り上がる前の2015年の宝塚記念を除いて、ファン投票実施競走には、すべて応えて出走している[238]。2017年、春の古馬GI3連勝が懸かった宝塚記念こそ9着大敗するも、それ以外ではすべて馬券圏内で応えていた[238]。ただ勝利で応えたのは引退レース、挑戦3回目の有馬記念だけだった。前々年の有馬記念は3着、前年は2着、そして3年目で有馬記念「グランプリ」戴冠を果たしていた[238]

3回以上の挑戦が実り有馬記念を戴冠したのは、1966年に初参戦して1969年70年を連覇したスピードシンボリ、1977年に初参戦して1979年に優勝したグリーングラスに続いて史上3頭目だった[238]。また前年有馬記念2着から翌年に優勝を果たしたのは、1958年オンワードゼア、1967年カブトシロー、1977年テンポイント、2006年ディープインパクト、2008年ダイワスカーレットに続いて史上6頭目だった[238]

脚注

注釈

  1. ^ 昼夜問わず放牧することは、2000年代の日高地方では導入に否定的だった[21]。しかし続々採用されて、この頃になると広く普及するようになっていた[21]
  2. ^ 牧浦充徳調教師と同時に開業していた[28]
  3. ^ 四位洋文が騎乗した。同週の武は、日本で騎乗しており、京王杯スプリングカップ(GII)にトーセンラー[32]ヴィクトリアマイル(GI)にスマートレイアーで騎乗する約束があった[33]
  4. ^ ただし長距離で行われる障害競走には、重賞優勝産駒が存在する。ブランディスは、2004年中山グランドジャンプ(J-GI)と中山大障害(J-GI)を優勝した。またエーシンホワイティは、平地短距離競走の2010年ファルコンステークスを優勝した後に転向し、2014年新潟ジャンプステークス(J-GIII)を優勝した[61]
  5. ^ その他、清水厩舎は、若いうちに輸送競馬を経験させる傾向があった。先々輸送に困らなくするためにあらかじめ経験させていた[88]
  6. ^ キタサンブラックは、この日の第7競走に出走していた。なおこの日の第11競走メインレースは、ヤナガワ牧場生産馬であるコパノリッキーが優勝したフェブラリーステークスだった[70]
  7. ^ 南関東競馬では1960年全日本3歳優駿を優勝したりした。父ヒンドスタン、母ダイアンケーで、1965年菊花賞優勝馬ダイコーターの全兄である。
  8. ^ このほか天皇賞(秋)は、1989年スーパークリーク、1997年エアグルーヴ、1999年スペシャルウィーク、2007年メイショウサムソン、2008年ウオッカの5勝しており、天皇賞は併せて12勝目[153]
  9. ^ 1939年テツモン、1949年ニユーフオード、1950年ヤシマドオター、1951年ハタカゼ、1956年ミツドフアーム、1957年ハクチカラ、1966年コレヒデ[158]
  10. ^ 1987年トウカイローマン、1989年90年連覇スーパークリーク、1991年メジロマックイーン、1993年メジロマックイーン、1996年マーベラスサンデー、2005年リンカーンに次いで8勝目[172]
  11. ^ 池江は、この2頭のほかに野田みづき所有、浜中俊騎乗のミッキークイーンも出走させる、3頭出しを敢行していた。
  12. ^ 3分13秒4を記録した2006年のディープインパクトは、「長年、不可侵とされた」(藤井正弘)レコードである1997年マヤノトップガンの3分14秒4を1秒更新していた。ディープインパクトも長くレコードを守り、2006年以後10年では13秒台を記録したのは、2012年ビートブラックのみと寄せ付けていなかった。しかし2017年、飛躍した12秒台を記録したキタサンブラックにレコードを明け渡した。
  13. ^ スキルヴィングは、競走中に急性心不全を発症し、ブービー賞17着敗退した。直後に引退、青葉賞優勝以上の実績は得られなかった。
  14. ^ 次点ラブリーデイ55票、第3位ドゥラメンテ19票。ほか該当馬なし1票[357]
  15. ^ 第3位サトノダイヤモンド66票、該当馬なし1票[357]

出典

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  22. ^ 『優駿』2014年8月号 33頁
  23. ^ 『優駿』2017年8月号 49頁
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      • 「【インタビュー】北島三郎オーナー 『神様からの贈り物』だと思っています」
      • 松永昌也「【ロングインタビュー】清水久詞調教師 本当に幸せな3年間でした」
      • 沢田康文「【ロングインタビュー】武豊騎手」
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      • 山田康文(馬事通信)「【2015年の蹄跡(18)】日高繋養の種牡馬が次々と名を上げる」
      • 河村清明「【2015年の蹄跡(20)】日高の牧場 日高産馬が活躍した2つの要因」
      • 「【2015年度JRA賞決定!】年度代表馬はモーリス」
      • 三好達彦「【第60回有馬記念】我慢に我慢を重ね、ゴールドアクターが頂点へ!」
      • 「【重賞プレイバック】第60回有馬記念(GI)ゴールドアクター」
      • 吉川良「【競馬その愛(84)】はてしない夢」
    • 2016年4月号
      • 岡本光男(日刊スポーツ・関西)「【2016春の主役たち 国内古馬編】キタサンブラック どんな競馬にも対応する菊花賞馬」
    • 2016年5月号
      • 谷川善久「【第153回天皇賞・春プレビュー】完全本格化のグランプリホースか それとも強い世代の菊花賞馬か」
    • 2016年6月号
      • 有吉正徳「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック 菊花賞馬と盾男、必勝の組み合わせ」
      • 「【重賞プレイバック】第60回産経大阪杯(GII)アンビシャス」
      • 辻一郎(TPC)「【種牡馬プロファイル(4)】ブラックタイド 3世代目産駒がクラシック制覇 奥行きを秘めた馬産地期待のサイヤー」
      • 山田康文(馬事通信)「【馬産地の『声』】市場における産駒評価も急上昇」
    • 2016年7月号
      • 谷川善久「【第57回宝塚記念レビュー】充実の4歳勢3騎か 連覇を目指す昨年の主役か」
      • 「【重賞プレイバック】第153回天皇賞(春)(GI)キタサンブラック」
    • 2016年8月号
      • 河村清明「【名馬に魅せられて 2016夏】ブラックタイド」
      • 有吉正徳「【GIインサイドストーリー】マリアライト 力強さも備えたディープインパクト産駒」
      • 「【重賞プレイバック】第57回宝塚記念(GI)マリアライト」
    • 2016年12月号
      • 軍土門隼夫「【ジャパンカッププレビュー】日本馬の"主役"は4頭。『ホーム』なら負けられない!」
      • 「【重賞プレイバック】第51回農林水産省賞典 京都大賞典(GII)キタサンブラック」
    • 2017年1月号
      • 軍土門隼夫「【第61回有馬記念プレビュー】名実ともに現役最強馬へ キタサンブラック」
      • 沢田康文「【グランプリへの決意】キタサンブラックに騎乗予定 武豊」
      • 島田明宏「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック ポテンシャルと戦術の調合」
      • 「【重賞プレイバック】ジャパンオータムインターナショナル ロンジン賞 第36回ジャパンカップ(GI)キタサンブラック」
    • 2017年2月号
      • 石田敏徳「【2016年の蹄跡(1)】キタサンブラック "新たな領域"への前進」
      • 有吉正徳「【2016年の蹄跡(3)】サトノダイヤモンド 進化を止めない若き駿才」
      • 村本浩平「【2016年の蹄跡(19)】ディープインパクト&ブラックタイド GI戦線で異彩を放った ウインドインハーヘア」
      • 「【2016年度JRA賞】年度代表馬はキタサンブラック」
      • 「【重賞プレイバック】第61回有馬記念(GI)サトノダイヤモンド」
      • 「【ニュース&トピックス】2016年度記者クラブ各賞発表――厩舎関係者表彰受賞者も決定」
      • 辻一郎(TPC)「【種牡馬プロファイル(12)】ディープインパクト」
    • 2017年3月号
      • 出川塁「【一代経て影響を与える 母の父の力】類い稀なスピードをそのままに サクラバクシンオー」
      • 優駿編集部「【歴代チャンピオンサイヤーの血】母の父を経由して歴代名種牡馬の血が入った2016年の年度代表馬 キタサンブラック」
      • 河村清明「【優駿たちの故郷を訪ねて】ヤナガワ牧場(北海道日高町)深みと強さを醸し出す『時』」
    • 2017年4月号
      • 軍土門隼夫「【大阪杯レビュー 巻頭言】強さの種類としての新たなカテゴリー」
      • 三好達彦「【大阪杯プレビュー】キタサンブラック 記念すべき舞台でリベンジはなるか!?」
    • 2017年5月号
      • 軍土門隼夫「【第61回大阪杯】王者キタサンブラックが完勝!さらなる進化を見せつけた!」
      • 岡本光男(日刊スポーツ・関西)「【第155回天皇賞(春)プレビュー】春の淀で両雄が再び激突」
    • 2017年6月号
      • 有吉正徳「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック 死闘を制して真の絶対王者に!」
      • 「【重賞プレイバック】第61回大阪杯(GI)キタサンブラック」
      • 「【重賞プレイバック】第155回天皇賞(春)キタサンブラック」
    • 2017年7月号
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】第1話 誕生」
      • 軍土門隼夫「【第58回宝塚記念レビュー】悲願のグランプリ制覇なるか 主役は現役最強馬キタサンブラック」
    • 2017年8月号
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】第2話 幕開」
      • 軍土門隼夫「【GIインサイドストーリー】サトノクラウン "世界レベル"のリベンジ」
    • 2017年9月号
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】最終話 覚醒」
    • 2017年10月号
      • 江面弘也「【才気溢れる優駿たちの鼓動】天皇賞春秋連覇を目指すチャンピオンホース キタサンブラック」
    • 2017年12月号
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】第二章第1話 不惑」
      • 三好達彦「【GIインサイドストーリー】キタサンブラック 雨中の決戦で際立った"強さ"」
      • 「【重賞プレイバック】第156回天皇賞(秋)(GI)キタサンブラック」
    • 2018年1月号
      • 三好達彦「【第62回有馬記念 出走予定馬紹介】悲願のグランプリ制覇ラストランで キタサンブラック」
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】第二章第2話 佳境」
      • 沢田康文「【キタサンブラックに騎乗予定】武豊 堂々と受けて立つ」
      • 平松さとし「【GIインサイドストーリー】シュヴァルグラン 勝利を手繰り寄せた陣営のプラン」
      • 「【重賞プレイバック】ジャパンオータムインターナショナル ロンジン賞 第37回ジャパンカップ(GI)シュヴァルグラン」 
    • 2018年2月号
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】第二章 第3話 大団円」
      • 軍土門隼夫「【2017年の蹄跡(1)】キタサンブラック レッテルは剥がすもの」
      • 島田明宏「【レースレビュー】第62回有馬記念(GI)稀代のスターホースが演出したイヴの熱戦」
      • 「【重賞プレイバック】第62回有馬記念(GI)キタサンブラック」
      • 「【ニュース&トピックス】京都競馬場でキタサンブラックとコパノリッキーの引退式が行われる」
      • 「【ニュース&トピックス】2017年記者クラブ賞発表――厩舎関係者表彰受賞者も決定」
    • 2018年3月号
      • 江面弘也「【キタサンブラック物語】第二章 最終話 去来」
      • 「【ニュース&トピックス】受賞馬関係者に盛んな拍手――2017年度JRA賞授賞式」
    • 2018年8月号
      • 軍土門隼夫「【あのスターホースがいる場所へ】キタサンブラック 群を抜く機敏さ」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義400回カウントダウンスペシャル(399)】杉本清 武豊」
    • 2023年1月号
      • 江面弘也「【特別読物】キタサンブラックのグランプリ 三度挑んだ暮れの大舞台」

外部リンク