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'''ライトカラー'''<ref name="jbis">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000186450/ |title= ライトカラー |work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2019-08-29}}</ref>は[[日本]]の[[競走馬]]・[[繁殖牝馬]]。[[1989年]]に行われた第50回[[優駿牝馬|優駿牝馬(オークス)]]の優勝馬<ref name="shikiho1994sp"/>。
'''ライトカラー'''(欧字名:{{Lang|en|Light Color}}、[[1986年]][[4月11日]] - [[1993年]][[2月22日]])は、[[日本]]の[[競走馬]]、[[繁殖牝馬]]<ref name="jbis">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000186450/ |title= ライトカラー |work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2019-08-29}}</ref>。


1989年の[[優駿牝馬]](オークス)(GI)を優勝した。
== 戦績 ==
[[1988年]][[8月6日]]、[[函館競馬場]]の[[新馬|新馬戦]]で[[柴田光陽]]を背にデビュー。7頭立ての7番人気と人気はまったく無かったが、2着に4馬身差をつけて勝ち上がると、続くオープン特別のクローバー賞も制し連勝を飾った。[[重賞]]初挑戦となった[[函館2歳ステークス|函館3歳ステークス]]こそ逃げるサザンビーナスにアタマ差及ばなかったものの、[[クラシック (競馬)|クラシック]]候補の大器との評価を得た。レース後放牧に出され、休養に入ることとなった。


== 生涯 ==
休み明け初戦となったのは、年が明けての[[シンザン記念]]。[[笠松競馬場|笠松]]から無敗で[[中央競馬|中央]]に転入してきたアオミキャップに次ぐ2番人気に推されたが、直線で伸びを欠き[[ファンドリポポ]]の4着。続くエルフィンステークスも[[シャダイカグラ]]から5馬身差と大きく離された2着に終わり、同世代の牝馬に続けて水をあけられる形となった。この後は、[[トライアル競走|トライアル]]を回避して[[桜花賞]]に直行。鞍上には、柴田の引退に伴い、[[田島良保]]を迎えたが、中団のまま8着といいところなく敗れる。続いてトライアルの[[フローラステークス|4歳牝馬特別]]に出走。距離延長は歓迎材料と見られ2番人気に推されるも、先行して失速。結果は5着と優駿牝馬の優先出走権を獲得するのが精一杯だった。


=== デビューまで ===
4歳となってからのレースぶりや、桜花賞から直線で右側にヨレるという悪癖も見せていたことから、本番の優駿牝馬では、桜花賞優勝馬シャダイカグラが一本かぶりの人気を集めるなか、10番人気という評価。関係者さえ勝利は期待していなかった。レースは、最初の1,000[[メートル]]の通過タイムが60秒2と淀みの無い流れで展開。ライトカラーはシャダイカグラをマークする形で中団に位置し、距離のロスの無い内々をキープした。直線では右にヨレてもいいように大外に持ち出したが、「信じられないくらいまっすぐに走った」と鞍上の田島が語ったように大一番での集中力を発揮し、粘るシャダイカグラとの追い比べをクビ差制した。田島は優駿牝馬初制覇、清田は騎手時代の[[1959年]]に[[オーカン]]で制して以来、騎手・[[調教師]]双方での優駿牝馬制覇となった。
ユウライコーは、[[北海道]][[新冠町]]の[[シンボリ牧場|日高シンボリ牧場]]で生産された牝馬である<ref name="優駿-1989-7-139">『優駿』1989年7月号 139頁</ref>。主に[[障害競走]]で活躍し、1982年の[[阪神障害ステークス]]で3着、1983年の[[京都大障害]]で4着となるなど、[[平地競走|平地]]と併せて57戦4勝という成績を残して引退した<ref name="優駿-1989-7-139" />。引退後は、北海道[[浦河町]]の大北牧場で繁殖牝馬となった<ref name="JAIRS-ユウライコー">{{Cite web |url=https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?hid=38361373710 |title=ユウライコー(JPN) |access-date=2022-11-15 |publisher=公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル |archive-url=https://web.archive.org/web/20221115064135/https://www.studbook.jp/users/ja/Honba.php?hid=38361373710 |archive-date=2022-11-15}}</ref>。


初年度となる1984年、[[イエローゴッド]]と交配。そして1985年に初仔となる牝馬を生産していた<ref name="優駿-1989-7-139" />。2年目は、[[ヤマニンスキー]]と交配していた<ref name="優駿-1989-7-139" />。ヤマニンスキーは、優れた競走成績こそ残せなかったが、1976年から1977年にかけて8戦8勝の[[マルゼンスキー]]と同じ「父[[ニジンスキー (競走馬)|ニジンスキー]]、母父:[[バックパサー]]」であることが買われて、[[種牡馬]]となっていた<ref>『優駿』1988年6月号 111頁</ref>。受胎し翌1986年4月11日、北海道浦河町の大北牧場にて、2番仔となる[[鹿毛]]の牝馬(後のライトカラー)が誕生する<ref name="優駿-1989-7-139" />。
秋は、優駿牝馬での大駆けで燃え尽きたかのようなレースが続いた。始動戦となった[[サファイヤステークス]]は、リリーズブーケの5着。1戦使っての上積みが期待された[[ローズステークス]]もシャダイカグラの8着と、2戦続けて追い込みが不発で、勝ち馬から大きく離されての敗戦を喫した。[[三冠 (競馬)#3歳|牝馬三冠]]最終戦の[[エリザベス女王杯]]は、優駿牝馬を制していながら7番人気に甘んじたが、またも追い込み不発に終わり[[サンドピアリス]]の8着と、低評価を覆すことはできなかった。


2番仔は、生後1か月半経過した頃、右前肢のつけ根の[[リンパ腺]]が腫れる病気に見舞われた<ref name="優駿-1989-7-136" />。40度近い高熱も伴い、注射治療をしても治らず、手術を敢行。しかし術後が芳しくなかった<ref name="優駿-1989-7-136" />。洗面器ほどの[[膿]]が身体から放出され、膿が空になった部分が元に戻らなかった<ref name="優駿-1989-7-136" />。凹んだ状態、背骨が曲がっているようになっていた<ref name="優駿-1989-8-13">『優駿』1989年8月号 13頁</ref>。おまけに牧場では、目立たない存在だった<ref name="優駿-1989-8-13" />。
この後脚部不安を発症し、長期休養を余儀なくされた。復帰戦となったのは翌[[1990年]]の[[スワンステークス]]。約1年ぶりのレースで12着という結果に終わると、そのまま引退することとなった。


競走馬デビューが危ぶまれたが<ref name="優駿-1989-7-136" />、ユウライコーを所有した伊藤照三の所有馬となる<ref name="優駿-1989-7-139" /><ref name="JAIRS-ユウライコー" />。「'''ライトカラー'''」という競走馬名が与えられ、[[栗東トレーニングセンター]]の[[清田十一]]厩舎に入厩した<ref name="優駿-1989-7-139" />。
== 競走成績 ==
以下の内容は、netkeiba.com<ref name="netrcd">{{Cite web|url= https://db.netkeiba.com/horse/result/1986100540/ |title= ライトカラーの競走成績|work=netkeiba|publisher=Net Dreamers Co., Ltd.|accessdate=2019-08-29}}</ref>およびJBISサーチ<ref name="jbisrcd">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000186450/record/ |title= ライトカラー 競走成績|work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2019-08-29}}</ref>に基づく。


=== 競走馬時代 ===
{| style="font-size: 90%; text-align: center; border-collapse: collapse;"

|-
1988年8月6日、[[函館競馬場]]の[[新馬|新馬戦]](芝1000メートル)にてデビューを果たす。[[柴田光陽]]が騎乗し7番人気という支持だったが、エレクトロアートに4馬身差をつけて勝利、デビュー戦勝利を果たした。その後も函館で連戦し、8月28日の[[クローバー賞]](OP)では、ハイペースで逃げるサザンビーナスを直線で捕らえて連勝を果たした<ref name="優駿-1988-11-146">『優駿』1988年11月号 146頁</ref>。続いて9月25日、[[函館3歳ステークス]](GIII)で[[重賞]]初挑戦。サザンビーナスとの再戦となったが、節度のあるペースで逃げたサザンビーナスをアタマ差捕らえることができず2着、返り討ちにされた<ref name="優駿-1988-11-146" /><ref>『優駿』1988年11月号 147頁</ref>。この後は、身体の成長を促すために放牧に出された<ref name="優駿-1989-7-136">『優駿』1989年7月号 136頁</ref>。ところが帰厩しても、清田の理想とはかけ離れていた<ref name="優駿-1989-7-136" />。3歳は、9月の函館3歳ステークスを最後に出走しなかった<ref name="優駿-1989-7-136" />。
!年月日!!競馬場!!競走名!!格!!距離(馬場)!!頭<br />数!!枠<br />番!!馬<br />番!!オッズ(人気)!!着順!!タイム<br />(上り3F/''4F'')!!着差!!騎手!!斤量<br />(kg)!!勝ち馬/(2着馬)

年をまたいで4歳、1989年1月の[[シンザン記念]](GIII)で始動する。2番人気で出走したが、ファンドリポポなどに敵わず4着だった<ref>『優駿』1989年3月号 143頁</ref>。それから2月の[[エルフィンステークス]](OP)では、[[単枠指定制度|単枠指定]]の重賞2着馬[[シャダイカグラ]]と対していた<ref name="優駿-1993-7-66">『優駿』1993年7月号 66頁</ref>。2番手を追走するシャダイカグラを追いかけたが、直線で突き放された<ref name="優駿-1993-7-66" />。シャダイカグラに5馬身後れを取る2着だった<ref name="優駿-1993-7-66" />。続いて[[田島良保]]に乗り替わり5月21日、牝馬[[クラシック (競馬)|クラシック]]第一弾の[[桜花賞]](GI)に臨む。しかし直前に[[発熱|熱発]]に見舞われており<ref name="優駿-1989-7-136" />、「惨敗を覚悟<ref name="優駿-1989-7-136" />」(清田)する状態での出走だった。不利とされる大外枠から出遅れたシャダイカグラに敵わなかった。直線、右に右にもたれながら、8着に敗退する<ref>『優駿』1989年6月号 130頁</ref><ref>『優駿』1989年6月号 132頁</ref>。

目標を牝馬クラシック第二弾の[[優駿牝馬]](オークス)に据え、4月30日、その[[トライアル競走]]である[[サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別]](GII)に臨む。大本命の目されていたメジロマリアの骨折離脱、桜花賞上位馬が挙って出走しない手薄なメンバーだった<ref name="優駿-1989-6-150" />。そんな中、[[メジロモントレー]]に次ぐ2番人気に支持された<ref name="優駿-1989-6-150">『優駿』1989年6月号 150頁</ref>。1枠2番からスタートして先行し、内側の好位を追走していた。直線では内から進出を試みたが、右に右にもたれる癖を再び見せていた<ref>『優駿』1989年7月号 82頁</ref>。追い上げたものの、ファンドリポポや[[アイドルマリー]]に敵わなかった。それでも5着を確保、ぎりぎりで優駿牝馬の優先出走権を獲得した<ref>『優駿』1989年6月号 151頁</ref>。

5月21日、優駿牝馬(オークス)(GI)に臨む。桜花賞で不利を覆したシャダイカグラと、20歳の[[武豊]]というコンビが人気を集めていた<ref name="優駿-1989-7-136" />。桜花賞と異なり、好枠を得たシャダイカグラの人気は加速。単勝支持率は、1986年の三冠牝馬[[メジロラモーヌ]]に並び、過去30年で最高となる43パーセントだった<ref name="優駿-1989-7-136" />。対して前哨戦敗退のライトカラーと、41歳のベテラン田島のコンビは、地味に映り、人気がなかった。単勝オッズ34.8倍の10番人気だった<ref name="優駿-1989-7-136" />。{{External media|width=300px|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=jsYGhtGd9sA&ab_channel=JRA%E5%85%AC%E5%BC%8F%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB 1989年 優駿牝馬(GI)<br />レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画]}}2枠4番からスタート、先行するシャダイカグラの背後を確保し、マークする形で追走<ref name="優駿-1989-7-137">『優駿』1989年7月号 137頁</ref>。第3コーナーから位置を上げたシャダイカグラに追従した<ref name="優駿-1989-7-137" />。シャダイカグラは、直線にて馬場の中央に持ち出し、前を行くヤンゲストシチーなどに外から接近する。対してライトカラーは、そのさらに外、大外に持ち出してから後れて追い上げた<ref name="優駿-1989-7-13">『優駿』1989年7月号 13頁</ref>。シャダイカグラがヤンゲストシチーに並びかけた頃、ライトカラーは、シャダイカグラの外にまで並びかけていた<ref name="優駿-1993-7-67">『優駿』1993年7月号 67頁</ref>。末脚を発揮して、シャダイカグラとヤンゲストシチーを差し切っていた。シャダイカグラには抵抗されて、横一線並んだ状態でゴール板に到達する<ref name="優駿-1989-7-13" />。ライトカラーが、クビ差だけ決勝線に到達していた<ref name="優駿-1993-7-67" /><ref>『優駿』1989年7月号 138頁</ref>。

優駿牝馬戴冠を果たした。単勝3480円は、1985年[[ノアノハコブネ]]の6270円に次いで優駿牝馬史上2番目に高い配当だった<ref name="優駿-1989-7-136" />。直線で外に持ち出してから追い上げたのは、右にもたれる悪癖を披露して、他の馬に迷惑をかけないようにするためだった<ref name="優駿-1989-7-83">『優駿』1989年7月号 83頁</ref>。しかし追い上げると、どういうわけかまっすぐ走り、シャダイカグラの差し切りに至っている<ref name="優駿-1989-7-83" />。

夏は、湖東牧場で放牧された後、栗東に帰厩<ref name="優駿-1989-9-99">『優駿』1989年9月号 99頁</ref>。秋の目標を牝馬三冠の最終戦である[[エリザベス女王杯]]としていた<ref name="優駿-1989-9-99" />。10月1日、[[サファイヤステークス]](GIII)で始動。大幅に距離を短縮して[[マイル]]挑戦、休み明けが評価されず3番人気に支持される<ref name="優駿-1989-12-130">『優駿』1989年12月号 130頁</ref>。後方を追走し、追い上げた。直線では悪癖見せず、まっすぐ走ったが、リリーズブーケなどには敵わず5着だった<ref name="優駿-1989-12-130" />。続く10月22日、[[トライアル競走]]の[[ローズステークス]](GII)では、シャダイカグラとの再戦となったが8着<ref>『優駿』1989年12月号 140頁</ref>。本番のエリザベス女王杯(GI)は、[[サンドピアリス]]に敗れて、再び8着だった<ref>『優駿』1990年1月号 132頁</ref>。この年のJRA賞では、最優秀父内国産馬部門にて全172票中1票を得るに留まり、受賞には至らなかった<ref>『優駿』1990年2月号 55頁</ref>。

その後は1年間戦線を離脱、1990年10月の[[スワンステークス]](GII)で復帰を果たすが、二桁着順に終わり、このレースを最後に競走馬を引退した<ref name="優駿-1993-4-58">『優駿』1993年4月号 58頁</ref>。

=== 繁殖牝馬時代 ===
引退後は、1991年から大北牧場で繁殖牝馬となる。初年度は、[[サクラユタカオー]]と交配し、1992年に初仔となる牡馬を産んでいる<ref name="優駿-1993-4-58" />。2年目は、[[ミスターシービー]]と交配していた。ところが出産を間近に控えた2月22日に、右大腿部を骨折。[[予後不良]]で安楽死となる<ref name="shikiho1994sp" /><ref name="優駿-1993-4-58" />。遺された唯一の産駒、初仔のライトレターは、中央競馬でデビューしたが、2着が精一杯で勝ち上がることができなかった。通算成績14戦未勝利<ref name="JBIS-ライトレター">{{Cite web |url=https://www.jbis.or.jp/horse/0000253756/ |title=ライトレター |publisher=JBISサーチ |accessdate=2019-08-29}}</ref>。

== 競走成績 ==
以下の内容は、[[netkeiba.com]]<ref name="netrcd">{{Cite web|url= https://db.netkeiba.com/horse/result/1986100540/ |title= ライトカラーの競走成績|work=netkeiba|publisher=Net Dreamers Co., Ltd.|accessdate=2019-08-29}}</ref>およびJBISサーチ<ref name="jbisrcd">{{Cite web|url= https://www.jbis.or.jp/horse/0000186450/record/ |title= ライトカラー 競走成績|work=JBISサーチ |publisher=公益社団法人日本軽種馬協会|accessdate=2019-08-29}}</ref>に基づく。
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!競走日
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!競走名
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|-
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|[[1988年|1988]].{{0}}[[8月6日|8.{{0}}6]]
|[[函館競馬場|函館]]
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|[[スワンステークス|スワンS]]
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|ナルシスノワール
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== 引退後 ==
== 繁殖成績 ==
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引退後は、大北牧場で繁殖牝馬となったが、1993年2月22日に右大腿部を骨折し、[[予後不良 (競馬)|予後不良]]と診断され安楽死処分がとられた<ref name="shikiho1994sp"/>。[[ミスターシービー]][[産駒]]の出産を間近に控えての事故だった。唯一の産駒であるライトレター([[牡馬|牡]]:父[[サクラユタカオー]])<ref name="shikiho1994sp"/>は、14戦未勝利に終わっている。
!誕生年

!
{| class="wikitable" border="1" style="font-size: 90%"
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|抹消
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|}
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288行目: 351行目:
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|}}
*祖母ユウコウの産駒に[[中山大障害]]馬のシノンシンボリ、ひ孫に種牡馬の[[ミツアキサイレンス]]がいる<ref name="netpe"/>。

==脚注==
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}

=== 注釈 ===
<references group="注釈" />
=== 出典 ===
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==参考文献==
==参考文献==
*{{Cite journal |和書|author= |authorlink= |title= 関西競馬四季報 1994春季号|date= |publisher= ケイバブック |journal= 競馬ブック |volume= 15|issue= 1 |naid= |pages= |ref= 関西競馬四季報}}
*{{Cite journal |和書|author= |authorlink= |title= 関西競馬四季報 1994春季号|date= |publisher= ケイバブック |journal= 競馬ブック |volume= 15|issue= 1 |naid= |pages= |ref= 関西競馬四季報}}
*『[[優駿]]』([[日本中央競馬会]])
**1988年6月号
***「【日本の種牡馬】ヤマニンスキー」
**1988年11月号
***島野昭(報知新聞)「【今月の記録室】第20回函館3歳ステークス(GIII)サザンビーナス」
**1989年3月号
***原宜巳(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第23回日刊スポーツ賞 シンザン記念(GIII)」
**1989年6月号
***用貝成子(関西新聞)「【今月の記録室】第49回桜花賞(GI)シャダイカグラ」
***西島大和(サンケイスポーツ)「【今月の記録室】第24回サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別〈オークス・トライアル〉(GII)ファンドリポポ」
**1989年7月号
***「【第50回オークス】ユタカ&カグラ、ギャルの悲鳴を打ち砕き ライトカラー」
***「【杉本清の競馬談義(52)】田島良保騎手」
***天野保彦(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第50回オークス(GI)ライトカラー」
**1989年8月号
***吉川良「【'89春のGI競走勝ち馬の故郷紀行】雲をつかんだ人たち」
**1989年9月号
***「【秋をめざす有力馬たち】4歳牝馬有力馬の近況 シャダイカグラ、ライトカラーともに順調」
**1989年12月号
***大野良郎(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第7回サファイヤステークス(GIII)リリーズブーケ」
***山本浩之(関西テレビ)「【今月の記録室】第7回関西テレビ放送賞 ローズステークス(GII)〈エリザベス女王杯トライアル〉シャダイカグラ」
**1990年1月号
***永井晴二(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第14回エリザベス女王杯(GI)サンドピアリス」
**1990年2月号
***「【1989年度JRA賞】年度代表馬はGI3勝のイナリワン」
**1993年4月号
***「【今月のトピックス】シービーの仔とともに、非運の死… 第50代オークス馬、ライトカラー死亡」
**1993年7月号
***横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝(86)】桜下に舞う シャダイカグラ」


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
* {{競走馬成績|netkeiba=1986100540|yahoo=1986100540|jbis=0000186450|racingpost=}}
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2022年11月15日 (火) 06:59時点における版

ライトカラー
欧字表記 Light Color[1]
品種 サラブレッド
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1986年4月11日[1]
死没 1993年2月22日(8歳没)[2]
ヤマニンスキー[1]
ユウライコー[1]
母の父 パーソロン[1]
生国 日本の旗 日本北海道浦河町[1]
生産者 伊藤照三[3]
生産牧場 大北牧場[1]
馬主 伊藤照三[1]
調教師 清田十一栗東[4]
柴田光陽(栗東)[1]
競走成績
生涯成績 12戦3勝[1]
獲得賞金 1億2737万9000円[1]
勝ち鞍
GI 優駿牝馬 1989年
テンプレートを表示

ライトカラー(欧字名:Light Color1986年4月11日 - 1993年2月22日)は、日本競走馬繁殖牝馬[1]

1989年の優駿牝馬(オークス)(GI)を優勝した。

生涯

デビューまで

ユウライコーは、北海道新冠町日高シンボリ牧場で生産された牝馬である[5]。主に障害競走で活躍し、1982年の阪神障害ステークスで3着、1983年の京都大障害で4着となるなど、平地と併せて57戦4勝という成績を残して引退した[5]。引退後は、北海道浦河町の大北牧場で繁殖牝馬となった[6]

初年度となる1984年、イエローゴッドと交配。そして1985年に初仔となる牝馬を生産していた[5]。2年目は、ヤマニンスキーと交配していた[5]。ヤマニンスキーは、優れた競走成績こそ残せなかったが、1976年から1977年にかけて8戦8勝のマルゼンスキーと同じ「父ニジンスキー、母父:バックパサー」であることが買われて、種牡馬となっていた[7]。受胎し翌1986年4月11日、北海道浦河町の大北牧場にて、2番仔となる鹿毛の牝馬(後のライトカラー)が誕生する[5]

2番仔は、生後1か月半経過した頃、右前肢のつけ根のリンパ腺が腫れる病気に見舞われた[8]。40度近い高熱も伴い、注射治療をしても治らず、手術を敢行。しかし術後が芳しくなかった[8]。洗面器ほどのが身体から放出され、膿が空になった部分が元に戻らなかった[8]。凹んだ状態、背骨が曲がっているようになっていた[9]。おまけに牧場では、目立たない存在だった[9]

競走馬デビューが危ぶまれたが[8]、ユウライコーを所有した伊藤照三の所有馬となる[5][6]。「ライトカラー」という競走馬名が与えられ、栗東トレーニングセンター清田十一厩舎に入厩した[5]

競走馬時代

1988年8月6日、函館競馬場新馬戦(芝1000メートル)にてデビューを果たす。柴田光陽が騎乗し7番人気という支持だったが、エレクトロアートに4馬身差をつけて勝利、デビュー戦勝利を果たした。その後も函館で連戦し、8月28日のクローバー賞(OP)では、ハイペースで逃げるサザンビーナスを直線で捕らえて連勝を果たした[10]。続いて9月25日、函館3歳ステークス(GIII)で重賞初挑戦。サザンビーナスとの再戦となったが、節度のあるペースで逃げたサザンビーナスをアタマ差捕らえることができず2着、返り討ちにされた[10][11]。この後は、身体の成長を促すために放牧に出された[8]。ところが帰厩しても、清田の理想とはかけ離れていた[8]。3歳は、9月の函館3歳ステークスを最後に出走しなかった[8]

年をまたいで4歳、1989年1月のシンザン記念(GIII)で始動する。2番人気で出走したが、ファンドリポポなどに敵わず4着だった[12]。それから2月のエルフィンステークス(OP)では、単枠指定の重賞2着馬シャダイカグラと対していた[13]。2番手を追走するシャダイカグラを追いかけたが、直線で突き放された[13]。シャダイカグラに5馬身後れを取る2着だった[13]。続いて田島良保に乗り替わり5月21日、牝馬クラシック第一弾の桜花賞(GI)に臨む。しかし直前に熱発に見舞われており[8]、「惨敗を覚悟[8]」(清田)する状態での出走だった。不利とされる大外枠から出遅れたシャダイカグラに敵わなかった。直線、右に右にもたれながら、8着に敗退する[14][15]

目標を牝馬クラシック第二弾の優駿牝馬(オークス)に据え、4月30日、そのトライアル競走であるサンケイスポーツ賞4歳牝馬特別(GII)に臨む。大本命の目されていたメジロマリアの骨折離脱、桜花賞上位馬が挙って出走しない手薄なメンバーだった[16]。そんな中、メジロモントレーに次ぐ2番人気に支持された[16]。1枠2番からスタートして先行し、内側の好位を追走していた。直線では内から進出を試みたが、右に右にもたれる癖を再び見せていた[17]。追い上げたものの、ファンドリポポやアイドルマリーに敵わなかった。それでも5着を確保、ぎりぎりで優駿牝馬の優先出走権を獲得した[18]

5月21日、優駿牝馬(オークス)(GI)に臨む。桜花賞で不利を覆したシャダイカグラと、20歳の武豊というコンビが人気を集めていた[8]。桜花賞と異なり、好枠を得たシャダイカグラの人気は加速。単勝支持率は、1986年の三冠牝馬メジロラモーヌに並び、過去30年で最高となる43パーセントだった[8]。対して前哨戦敗退のライトカラーと、41歳のベテラン田島のコンビは、地味に映り、人気がなかった。単勝オッズ34.8倍の10番人気だった[8]

映像外部リンク
1989年 優駿牝馬(GI)
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

2枠4番からスタート、先行するシャダイカグラの背後を確保し、マークする形で追走[19]。第3コーナーから位置を上げたシャダイカグラに追従した[19]。シャダイカグラは、直線にて馬場の中央に持ち出し、前を行くヤンゲストシチーなどに外から接近する。対してライトカラーは、そのさらに外、大外に持ち出してから後れて追い上げた[20]。シャダイカグラがヤンゲストシチーに並びかけた頃、ライトカラーは、シャダイカグラの外にまで並びかけていた[21]。末脚を発揮して、シャダイカグラとヤンゲストシチーを差し切っていた。シャダイカグラには抵抗されて、横一線並んだ状態でゴール板に到達する[20]。ライトカラーが、クビ差だけ決勝線に到達していた[21][22]

優駿牝馬戴冠を果たした。単勝3480円は、1985年ノアノハコブネの6270円に次いで優駿牝馬史上2番目に高い配当だった[8]。直線で外に持ち出してから追い上げたのは、右にもたれる悪癖を披露して、他の馬に迷惑をかけないようにするためだった[23]。しかし追い上げると、どういうわけかまっすぐ走り、シャダイカグラの差し切りに至っている[23]

夏は、湖東牧場で放牧された後、栗東に帰厩[24]。秋の目標を牝馬三冠の最終戦であるエリザベス女王杯としていた[24]。10月1日、サファイヤステークス(GIII)で始動。大幅に距離を短縮してマイル挑戦、休み明けが評価されず3番人気に支持される[25]。後方を追走し、追い上げた。直線では悪癖見せず、まっすぐ走ったが、リリーズブーケなどには敵わず5着だった[25]。続く10月22日、トライアル競走ローズステークス(GII)では、シャダイカグラとの再戦となったが8着[26]。本番のエリザベス女王杯(GI)は、サンドピアリスに敗れて、再び8着だった[27]。この年のJRA賞では、最優秀父内国産馬部門にて全172票中1票を得るに留まり、受賞には至らなかった[28]

その後は1年間戦線を離脱、1990年10月のスワンステークス(GII)で復帰を果たすが、二桁着順に終わり、このレースを最後に競走馬を引退した[29]

繁殖牝馬時代

引退後は、1991年から大北牧場で繁殖牝馬となる。初年度は、サクラユタカオーと交配し、1992年に初仔となる牡馬を産んでいる[29]。2年目は、ミスターシービーと交配していた。ところが出産を間近に控えた2月22日に、右大腿部を骨折。予後不良で安楽死となる[2][29]。遺された唯一の産駒、初仔のライトレターは、中央競馬でデビューしたが、2着が精一杯で勝ち上がることができなかった。通算成績14戦未勝利[30]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[31]およびJBISサーチ[32]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離
(馬場)



オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F/4F
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬
(2着馬)
馬体重
[kg]
1988.08.06 函館 3歳新馬 芝1000m(良) 7 1 1 36.00(7人) 01着 0:58.4 (34.7) -0.7 柴田光陽 53 (エレクトロアート) 444
0000.08.28 函館 クローバー賞 OP 芝1200m(稍) 11 2 2 02.70(2人) 01着 1:11.3 (37.3) -0.2 柴田光陽 53 (ハイタワー) 436
0000.09.25 函館 函館3歳S GIII 芝1200m(良) 11 2 2 04.50(2人) 02着 1:11.2 (36.9) -0.0 柴田光陽 53 サザンビーナス 434
1989.01.15 京都 シンザン記念 GIII 芝1600m(良) 16 3 6 04.50(2人) 04着 1:37.6 (48.5) -0.2 柴田光陽 53 ファンドリポポ 440
0000.02.05 京都 エルフィンS OP 芝1600m(良) 9 8 8 03.60(2人) 02着 1:37.0 (49.0) -0.8 柴田光陽 54 シャダイカグラ 432
0000.04.09 阪神 桜花賞 GI 芝1600m(稍) 18 4 8 11.00(7人) 08着 1:39.1 (51.4) -1.6 田島良保 55 シャダイカグラ 432
0000.04.30 東京 サンスポ賞4歳牝馬特別 GII 芝2000m(良) 16 1 2 06.70(2人) 05着 2:03.0 (49.9) -0.5 田島良保 54 ファンドリポポ 434
0000.05.21 東京 優駿牝馬 GI 芝2400m(稍) 24 2 4 34.8(10人) 01着 2:29.0 (49.4) -0.0 田島良保 54 (シャダイカグラ) 432
0000.10.01 阪神 サファイヤS GIII 芝1600m(良) 8 2 2 06.00(4人) 05着 1:36.1 (48.4) -1.6 田島良保 56 リリーズブーケ 438
0000.10.22 京都 ローズS GII 芝2000m(良) 10 3 3 07.80(4人) 08着 2:02.9 (47.9) -1.4 田島良保 55 シャダイカグラ 440
0000.11.12 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2400m(良) 20 3 7 23.20(7人) 08着 2:29.9 (50.0) -1.1 田島良保 55 サンドピアリス 438
1990.10.28 京都 スワンS GII 芝1400m(良) 16 8 16 89.8(14人) 12着 1:22.5 (46.5) -1.1 田島良保 55 ナルシスノワール 456

繁殖成績

誕生年 馬名 毛色 厩舎 馬主 戦績 勝ち鞍 供用 出典
1992年 初仔 ライトレター 鹿毛 サクラユタカオー 栗東・柴田光陽 伊藤照三 14戦0勝 抹消 [30]

血統表

ライトカラー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ニジンスキー系
[§ 2]

ヤマニンスキー
1975 栗毛
父の父
Nijinsky II
1967 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
父の母
*アンメンショナブル
Unmentionable
1970 鹿毛
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Petticoat Palestinian
Sabana

ユウライコー
1977 鹿毛
*パーソロン
Partholon
1960 鹿毛
Milesian My Babu
Oatflake
Paleo Pharis
Calonice
母の母
*ユウコウ
Youkou
1972 鹿毛
St. Paddy Aureole
Edie Kelly
Indiana Way *インディアナ
Welsh Way F-No.9-h
母系(F-No.) 9号族(FN:9-h) [§ 3]
5代内の近親交配 Menow 5×5=6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ [33]
  2. ^ [34]
  3. ^ [33]
  4. ^ [34]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n ライトカラー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月29日閲覧。
  2. ^ a b #関西競馬四季報 27頁
  3. ^ ライトカラー(JPN)”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月15日閲覧。
  4. ^ 10R エリザベス女王杯|1989年11月12日(日)5回京都4日”. www.jbis.or.jp. 2022年11月15日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g 『優駿』1989年7月号 139頁
  6. ^ a b ユウライコー(JPN)”. 公益財団法人 ジャパン・スタッドブック・インターナショナル. 2022年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年11月15日閲覧。
  7. ^ 『優駿』1988年6月号 111頁
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m 『優駿』1989年7月号 136頁
  9. ^ a b 『優駿』1989年8月号 13頁
  10. ^ a b 『優駿』1988年11月号 146頁
  11. ^ 『優駿』1988年11月号 147頁
  12. ^ 『優駿』1989年3月号 143頁
  13. ^ a b c 『優駿』1993年7月号 66頁
  14. ^ 『優駿』1989年6月号 130頁
  15. ^ 『優駿』1989年6月号 132頁
  16. ^ a b 『優駿』1989年6月号 150頁
  17. ^ 『優駿』1989年7月号 82頁
  18. ^ 『優駿』1989年6月号 151頁
  19. ^ a b 『優駿』1989年7月号 137頁
  20. ^ a b 『優駿』1989年7月号 13頁
  21. ^ a b 『優駿』1993年7月号 67頁
  22. ^ 『優駿』1989年7月号 138頁
  23. ^ a b 『優駿』1989年7月号 83頁
  24. ^ a b 『優駿』1989年9月号 99頁
  25. ^ a b 『優駿』1989年12月号 130頁
  26. ^ 『優駿』1989年12月号 140頁
  27. ^ 『優駿』1990年1月号 132頁
  28. ^ 『優駿』1990年2月号 55頁
  29. ^ a b c 『優駿』1993年4月号 58頁
  30. ^ a b ライトレター”. JBISサーチ. 2019年8月29日閲覧。
  31. ^ ライトカラーの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月29日閲覧。
  32. ^ ライトカラー 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月29日閲覧。
  33. ^ a b ライトカラー 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月29日閲覧。
  34. ^ a b ライトカラーの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月29日閲覧。

参考文献

  • 「関西競馬四季報 1994春季号」『競馬ブック』第15巻第1号、ケイバブック。 
  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 1988年6月号
      • 「【日本の種牡馬】ヤマニンスキー」
    • 1988年11月号
      • 島野昭(報知新聞)「【今月の記録室】第20回函館3歳ステークス(GIII)サザンビーナス」
    • 1989年3月号
      • 原宜巳(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第23回日刊スポーツ賞 シンザン記念(GIII)」
    • 1989年6月号
      • 用貝成子(関西新聞)「【今月の記録室】第49回桜花賞(GI)シャダイカグラ」
      • 西島大和(サンケイスポーツ)「【今月の記録室】第24回サンケイスポーツ賞4歳牝馬特別〈オークス・トライアル〉(GII)ファンドリポポ」
    • 1989年7月号
      • 「【第50回オークス】ユタカ&カグラ、ギャルの悲鳴を打ち砕き ライトカラー」
      • 「【杉本清の競馬談義(52)】田島良保騎手」
      • 天野保彦(日刊スポーツ)「【今月の記録室】第50回オークス(GI)ライトカラー」
    • 1989年8月号
      • 吉川良「【'89春のGI競走勝ち馬の故郷紀行】雲をつかんだ人たち」
    • 1989年9月号
      • 「【秋をめざす有力馬たち】4歳牝馬有力馬の近況 シャダイカグラ、ライトカラーともに順調」
    • 1989年12月号
      • 大野良郎(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第7回サファイヤステークス(GIII)リリーズブーケ」
      • 山本浩之(関西テレビ)「【今月の記録室】第7回関西テレビ放送賞 ローズステークス(GII)〈エリザベス女王杯トライアル〉シャダイカグラ」
    • 1990年1月号
      • 永井晴二(スポーツニッポン)「【今月の記録室】第14回エリザベス女王杯(GI)サンドピアリス」
    • 1990年2月号
      • 「【1989年度JRA賞】年度代表馬はGI3勝のイナリワン」
    • 1993年4月号
      • 「【今月のトピックス】シービーの仔とともに、非運の死… 第50代オークス馬、ライトカラー死亡」
    • 1993年7月号
      • 横尾一彦「【サラブレッド・ヒーロー列伝(86)】桜下に舞う シャダイカグラ」

外部リンク