ライトカラー

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ライトカラー
欧字表記 Light Color[1]
品種 サラブレッド
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1986年4月11日[1]
死没 1993年2月22日[2]
(7歳没・旧8歳)
ヤマニンスキー[1]
ユウライコー[1]
母の父 パーソロン[1]
生国 日本の旗 日本北海道浦河町[1]
生産者 大北牧場[1]
馬主 伊藤照三[1]
調教師 清田十一栗東
柴田光陽(栗東)
[1]
競走成績
生涯成績 12戦3勝[1]
獲得賞金 1億2737万9000円[1]
勝ち鞍
GI 優駿牝馬 1989年
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ライトカラー[1]日本競走馬繁殖牝馬1989年に行われた第50回優駿牝馬(オークス)の優勝馬[2]

戦績

1988年8月6日函館競馬場新馬戦柴田光陽を背にデビュー。7頭立ての7番人気と人気はまったく無かったが、2着に4馬身差をつけて勝ち上がると、続くオープン特別のクローバー賞も制し連勝を飾った。重賞初挑戦となった函館3歳ステークスこそ逃げるサザンビーナスにアタマ差及ばなかったものの、クラシック候補の大器との評価を得た。レース後放牧に出され、休養に入ることとなった。

休み明け初戦となったのは、年が明けてのシンザン記念笠松から無敗で中央に転入してきたアオミキャップに次ぐ2番人気に推されたが、直線で伸びを欠きファンドリポポの4着。続くエルフィンステークスもシャダイカグラから5馬身差と大きく離された2着に終わり、同世代の牝馬に続けて水をあけられる形となった。この後は、トライアルを回避して桜花賞に直行。鞍上には、柴田の引退に伴い、田島良保を迎えたが、中団のまま8着といいところなく敗れる。続いてトライアルの4歳牝馬特別に出走。距離延長は歓迎材料と見られ2番人気に推されるも、先行して失速。結果は5着と優駿牝馬の優先出走権を獲得するのが精一杯だった。

4歳となってからのレースぶりや、桜花賞から直線で右側にヨレるという悪癖も見せていたことから、本番の優駿牝馬では、桜花賞優勝馬シャダイカグラが一本かぶりの人気を集めるなか、10番人気という評価。関係者さえ勝利は期待していなかった。レースは、最初の1,000メートルの通過タイムが60秒2と淀みの無い流れで展開。ライトカラーはシャダイカグラをマークする形で中団に位置し、距離のロスの無い内々をキープした。直線では右にヨレてもいいように大外に持ち出したが、「信じられないくらいまっすぐに走った」と鞍上の田島が語ったように大一番での集中力を発揮し、粘るシャダイカグラとの追い比べをクビ差制した。田島は優駿牝馬初制覇、清田は騎手時代の1959年オーカンで制して以来、騎手・調教師双方での優駿牝馬制覇となった。

秋は、優駿牝馬での大駆けで燃え尽きたかのようなレースが続いた。始動戦となったサファイヤステークスは、リリーズブーケの5着。1戦使っての上積みが期待されたローズステークスもシャダイカグラの8着と、2戦続けて追い込みが不発で、勝ち馬から大きく離されての敗戦を喫した。牝馬三冠最終戦のエリザベス女王杯は、優駿牝馬を制していながら7番人気に甘んじたが、またも追い込み不発に終わりサンドピアリスの8着と、低評価を覆すことはできなかった。

この後脚部不安を発症し、長期休養を余儀なくされた。復帰戦となったのは翌1990年スワンステークス。約1年ぶりのレースで12着という結果に終わると、そのまま引退することとなった。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[3]およびJBISサーチ[4]に基づく。

年月日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ(人気) 着順 タイム
(上り3F/4F
着差 騎手 斤量
(kg)
勝ち馬/(2着馬)
1988.08.06 函館 3歳新馬 芝1000m(良) 7 1 1 36.0(7人) 1着 0:58.4 (34.7) -0.7 柴田光陽 53 (エレクトロアート)
0000.08.28 函館 クローバー賞 OP 芝1200m(稍) 11 2 2 02.7(2人) 1着 1:11.3 (37.3) -0.2 柴田光陽 53 (ハイタワー)
0000.09.25 函館 函館3歳S GIII 芝1200m(良) 11 2 2 04.5(2人) 2着 1:11.2 (36.9) -0.0 柴田光陽 53 サザンビーナス
1989.01.15 京都 シンザン記念 GIII 芝1600m(良) 16 3 6 04.5(2人) 4着 1:37.6 (48.5) -0.2 柴田光陽 53 ファンドリポポ
0000.02.05 京都 エルフィンS OP 芝1600m(良) 9 8 8 03.6(2人) 2着 1:37.0 (49.0) -0.8 柴田光陽 54 シャダイカグラ
0000.04.09 阪神 桜花賞 GI 芝1600m(稍) 18 4 8 11.0(7人) 8着 1:39.1 (51.4) -1.6 田島良保 55 シャダイカグラ
0000.04.30 東京 サンスポ賞4歳牝馬特別 GII 芝2000m(良) 16 1 2 06.7(2人) 5着 2:03.0 (49.9) -0.5 田島良保 54 ファンドリポポ
0000.05.21 東京 優駿牝馬 GI 芝2400m(稍) 24 2 4 34.8(10人) 1着 2:29.0 (49.4) -0.0 田島良保 54 (シャダイカグラ)
0000.10.01 阪神 サファイヤS GIII 芝1600m(良) 8 2 2 06.0(4人) 5着 1:36.1 (48.4) -1.6 田島良保 56 リリーズブーケ
0000.10.22 京都 ローズS GII 芝2000m(良) 10 3 3 07.8(4人) 8着 2:02.9 (47.9) -1.4 田島良保 55 シャダイカグラ
0000.11.12 京都 エリザベス女王杯 GI 芝2400m(良) 20 3 7 23.2(7人) 8着 2:29.9 (50.0) -1.1 田島良保 55 サンドピアリス
1990.10.28 京都 スワンS GII 芝1400m(良) 16 8 16 89.8(14人) 12着 1:22.5 (46.5) -1.1 田島良保 55 ナルシスノワール

引退後

引退後は、大北牧場で繁殖牝馬となったが、1993年2月22日に右大腿部を骨折し、予後不良と診断され安楽死処分がとられた[2]ミスターシービー産駒の出産を間近に控えての事故だった。唯一の産駒であるライトレター(:父サクラユタカオー[2]は、14戦未勝利に終わっている。

生年 馬名 毛色 馬主 管理調教師 戦績 主な勝利競走 供用 出典
初仔 1992年 ライトレター 鹿毛 サクラユタカオー 伊藤照三 栗東・柴田光陽 14戦0勝 [5]

血統表

ライトカラー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 ニジンスキー系
[§ 2]

ヤマニンスキー
1975 栗毛
父の父
Nijinsky II
1967 鹿毛
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Flaming Page Bull Page
Flaring Top
父の母
*アンメンショナブル
Unmentionable
1970 鹿毛
Buckpasser Tom Fool
Busanda
Petticoat Palestinian
Sabana

ユウライコー
1977 鹿毛
*パーソロン
Partholon
1960 鹿毛
Milesian My Babu
Oatflake
Paleo Pharis
Calonice
母の母
*ユウコウ
Youkou
1972 鹿毛
St. Paddy Aureole
Edie Kelly
Indiana Way *インディアナ
Welsh Way F-No.9-h
母系(F-No.) 9号族(FN:9-h) [§ 3]
5代内の近親交配 Menow 5×5=6.25% [§ 4]
出典
  1. ^ [6]
  2. ^ [7]
  3. ^ [6]
  4. ^ [7]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n ライトカラー”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月29日閲覧。
  2. ^ a b c d #関西競馬四季報 p. 27
  3. ^ ライトカラーの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月29日閲覧。
  4. ^ ライトカラー 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月29日閲覧。
  5. ^ ライトレター”. JBISサーチ. 2019年8月29日閲覧。
  6. ^ a b ライトカラー 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年8月29日閲覧。
  7. ^ a b c ライトカラーの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2019年8月29日閲覧。

参考文献

  • 「関西競馬四季報 1994春季号」『競馬ブック』第15巻第1号、ケイバブック。 

外部リンク