小野寺昭

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おのでら あきら
小野寺 昭
本名 小野寺 昭(同じ)
生年月日 (1943-09-19) 1943年9月19日(80歳)
出生地 日本の旗 日本 北海道帯広市
身長 173 cm
血液型 O型
職業 俳優
ジャンル テレビドラマ舞台映画
活動期間 1968年 -
配偶者 既婚
公式サイト プロフィール - フロム・ファーストプロダクション
主な作品
テレビドラマ
太陽にほえろ!
黄金の日日
御宿かわせみ』シリーズ
毎度おさわがせします
必殺仕切人
HOTEL
新・部長刑事 アーバンポリス24
葵 徳川三代
映画
釣りバカ日誌』シリーズ
相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン
龍三と七人の子分たち
 
受賞
東京スポーツ映画大賞
助演男優賞

2016年龍三と七人の子分たち
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小野寺 昭(おのでら あきら、1943年9月19日[1] - )は、日本俳優大阪芸術大学短期大学部客員教授。本名は同じ[1]柊企画[1]を経て、フロム・ファーストプロダクション所属。 身長173cm。血液型はO型

北海道[1][2]帯広市出身。北海道帯広三条高等学校卒業[1]

人物・来歴[編集]

もともと引っ込み思案の恥ずかしがり屋で、人前で何かをすることが苦手だった。地方公務員の父親がアマチュア劇団を主宰しており、舞台を覗いた時に、普段できないことをお芝居という力を借りて別人になってできることに興味を持ち俳優を志す[3]。高校時代に演劇部の部長として『夕鶴』の与ひょう役を演じ、高校演劇コンクールで地区代表に選ばれて北海道大会に出場した[4]。高校卒業後、東京で児童劇団を主宰していた父親の元劇団仲間を頼って、上京する。俳優座養成所入所を目指すも2年連続で受験に失敗する。最終選考では高橋長英が隣の番号で、合格していれば花の15期生だった[3][5]劇団やまいもに参加し、『チロリン村とくるみの木』の人形操作を最終回まで担当した。当時は人形を操りながら、「役者になりたくて東京へ出てきたのに、顔を出すと怒られるなんて」と悔しがったが、芝居のセリフを入れたテープをもらい、カット割りを頭に入れ、スタジオでテープの声に合わせて、足元のモニターを見ながら人形を操作する作業により、ドラマ・映画の撮影時のカット割りの要領を独学で覚えた[6][3]

また、上京後の児童(人形)劇団の下積み時代、アルバイト先のバーのママに「役者になりたいなら必要」と、日本舞踊の基礎を叩き込まれた[7]。この修練は後年大いに役立ち、時代劇殺陣の所作も腰が容易に決まるようになった[8]

1969年、TBSの『パンとあこがれ』に出演、25歳で17歳の役を演じる。リハーサル後の休憩時間に、俳優には渡されないスタッフのカット割り台本を見つけ、頭に入れて本番に臨み、カット割りにキッチリ合わせた芝居をして高い評価を受ける。当時はNGを出すと、ビデオテープを切ってつなぐのに1カ所3万円かかり、膨大なコストと時間がかかったが、小野寺はカット割りを理解していたおかげでNGが少なく、その後の俳優生活の飛躍に繋がった[9][10][3]

1970年には第8回プラハ国際テレビ祭演出賞受賞作品であるNHK『ナタを追え』(橋本忍原作)で中心人物の小西順吉巡査役で出演[11]、1971年には木下惠介ドラマ『冬の雲』の小鄕良助役で、優しくて物静かで誠実な男性を好演、雑誌の『Myojo』や『週刊平凡」でも話題になり、若い女性の間で評判になった[4][3]。同年には旧日活体制最後に映画『不良少女 魔子』で映画初出演を果たし、重要な役を演じた。1972年1月には昼ドラ『むらさき心中』で主役・渡辺美佐子の相手役を務め主婦層に注目された。『むらさき心中』で映像というのは舞台と違って演出家の提案に素直に従った方が結果としてテレビの中で生かされることを学び、映像は演技をしようとすると不自然になりみんなダメになる、テレビドラマの世界では役者は何をすべきか、どういう勉強をすればいいかと考えるようになり、自然体で嫌味がなく、普通のように見えるのに記憶に残る演技の原点となった[12][3]

1972年7月、『太陽にほえろ!』で島公之刑事(愛称「殿下」)役に起用され、番組開始から8年間(414話)レギュラー出演、スターの座を確立した[13]。特に女性層から絶大な人気を獲得して代表作のひとつとなる。

1978年のNHK大河ドラマ黄金の日日』では、小西行長を演じて評判を得た。小西行長の研究家である福岡女学院大学の佐島顕子教授は、研究を始めたきっかけを「黄金の日日という大河ドラマで、小野寺昭さんが小西行長を演じてらして、ファンになったから」とNHKの『先人たちの底力 知恵泉』(2015年7月21日放送)で述べている[14]

『太陽にほえろ!』降板直後の1980年10月から、平岩弓枝原作のNHK時代劇『御宿かわせみ』に出演、真野響子が演じる主人公・るいの恋人役・神林東吾を演じて好評を得る。計47回の放送は大河ドラマに匹敵する充実した内容となり、「真野・小野寺コンビ」の印象が強かった作品となったことから、NHKが再び『御宿かわせみ』を制作するまで20年近い歳月を必要とするほど人気を博した[15]

2時間ドラマにも多数出演し、明智小五郎金田一耕助十津川警部狩矢警部などの名探偵役に起用された(明智と金田一の両方を演じたのは2006年末現在、小野寺、岡譲司稲垣吾郎の3名のみ)。

If もしも』では、出演当時50歳でギャグ作品ではないにもかかわらず、回想シーンでも学生服を着て高校生役を演じた。

2007年4月には大阪芸術大学短期大学部広報学科(現・メディア芸術学科)演劇(演技演出)コース教授に就任した。2012年6月には、前任者の川村龍一が急逝したため、同学科の学科長に就任し、12年間務めた[3]。卒業公演を行う際は、基本的に特別出演として学生達と一緒に出演している[16]。下積み時代に覚えたカット割りの知識を元に、演技だけでなく制作志望の学生にも指導をしており、1970年代に演じた「殿下」刑事を見たことがない若い学生から、「おばあちゃんがファンでした。」とサインをせがまれることがあるという[6]。 大阪府警からの依頼もあり、大阪芸術大学として職務倫理教養のためのDVD「誇りと使命」を制作、警察大学校長役で出演している[17]。演技指導の基本は、優しすぎると言われるが、ピリピリしながら授業をするのいやだし、芝居は基本的に楽しくやらなきゃ、いいものは演じられないと思って、もしあのとき俳優座に受かっていればたぶんこういうことをやっていたんだろう、ということを学生たちにやらせており、「基本、役者は自分一人で努力するしかない。自立できる演技者になってほしい」と教えている[3][5]

バラエティ番組出演も増え、TBSズバリ言うわよ!』では細木数子から「バラエティ番組は難しい。でも、大衆と直結するから役者にとっても大切な場。だから、もっとバラエティ番組に出て、心を開放する訓練をした方がよい」とアドバイスされているが、バラエティは苦手と言っている[3]。酒が飲めないのでワイワイガヤガヤしている場所が苦手で、さびしがりやのくせに一人でいるのが好きな性格だという[18]

2015年度、『龍三と七人の子分たち』で 第25回東京スポーツ映画大賞・助演男優賞を受賞した(近藤正臣中尾彬品川徹樋浦勉伊藤幸純吉澤健安田顕とともに受賞)[19]

2018年8月7日、長野県安曇野市北アルプス燕岳燕山荘内で階段を踏み外して頭を打ち、ヘリコプターで長野県松本市内の病院に搬送された[20]。外傷性くも膜下出血と診断されたが、軽症とみられ、2週間程度で退院できるとされた[20]

『太陽にほえろ!』に関するエピソード[編集]

  • 太陽にほえろ!』で演じた「殿下」こと島公之刑事は端正な顔立ち、貴公子的な雰囲気のある「優しい男の象徴」の役柄で、若手ながら常にさり気なく上質のスーツに身を包み、同じネクタイをしたことがないおしゃれなファッション[21]。合気道[22]や射撃[23]などの正統派アクションシーンに強いばかりでなく、爆発物の解体、金庫破り(第62話など)、録音テープを使ったアリバイ工作の見破り(第230話など)、無線の駆使(第227話など)等々、知的で繊細で手先は器用、メカや女性心理に強い特徴があり、女性層から絶大な人気があった[24]。番組宛のファンレターも小野寺宛が一番多く、若い女性が多かった[25]萩原健一松田優作勝野洋と引き継がれていく後輩刑事役たちのカジュアルさとも、先輩役竜雷太の無骨さとも対照をなす役柄であり、沖雅也登板までは、同番組での若手二枚目イメージを一身に担うポジションであった。
  • その絶大な人気ぶりは、殿下ファンの女性の父親から「毎週殿下を楽しみに番組を欠かさず見ていた娘が家出をしたので、テレビを通じて知らせてほしい。」と日本テレビに依頼があったほどであった。作品の中で、家出した娘に対して、「父親が心配しているから早く家に帰るように。」と殿下が説得する形で呼びかける作品(第247話「家出」1977年4月15日放送)を作った。実際に娘が見つかったと連絡があったという[26][27]
  • 『太陽にほえろ!』の視聴率が初めて視聴率20%台に乗ったのは、殿下の優しい性格をアピールするために作った「真夜中の刑事たち」(第8話・1972年9月8日放送)で、関係者はこの作品でヒットの確信をつかんだ[28]
  • 匿名で番組係宛てに送られてきた脚本を基にした「鶴が飛んだ日」(第79話・1974年1月18日放送[29])では、犯人によって麻薬中毒にされた殿下が実際に露口茂演じる山さんと本当に手錠につながれ、手首を血だらけにして暴れまわった迫真の演技が大きな反響を呼んだ[13]。この作品をきっかけに小野寺の人気は急上昇し、番組のチームワークが強化された記念碑的作品となった[30]岡田晋吉プロデューサーはファンとの座談会で、「やっぱり太陽にとっては、この作品(「鶴が飛んだ日」)は、一つの節目だった。小野寺さんも必死だったけど、露口さんの方も必死だった。露口さんが俺のことはいいからやりたいようにやれと言ったら、小野寺さんは本当にやりたいようにやった。二人とも本当に燃焼した。だから迫力があった。あれから露口さんと小野寺さんは仲よかったですね」と語った[31]
  • 最初に恋人役(有吉ひとみ)が登場した時は、「殿下に恋人がいるのは許せない。」と投書が殺到したため、初登場(第70話)から僅か17週後、僅か3回目の出番で交通事故死させた(第87話)[32]。二番目の恋人(演・真野響子)とは出会いから別れまでを1話で完結させた(第150話)。脚本家の畑嶺明は「(殿下の恋人役で)どんないい女を登場させても、ファンの反感を買うだけだった。」と証言している[33]。岡田晋吉によると、実際に優しい性格の殿下の恋が悲恋に終わり、不幸になればなるほど、女性視聴者は母性本能をくすぐられ殿下を応援してくれたという[34]
  • 第299話「ある出逢い」(1978年4月21日放送)より三人目の恋人・三好恵子(香野百合子)が登場した時は、「殿下と恵子を結婚させないで。」とファンからの手紙や電話が殺到した[35]。殿下の結婚反対の投書には、脅迫状まがいのものから、香野宛の封筒にカミソリが入れてあったり、クラスメイトなど200人の署名を集めたノート、学校の昼休みにグループで電話をかけてきて泣きわめいたものもあった。岡田晋吉は、「いくら微妙な年頃とはいえ、驚きますよ。もうなんて言ったらいいかわかりません。」と証言している[36]。この物語は恵子の犯人隠匿(第306話)・車爆破事件の重い後遺症(第311話)と困難な道程が描かれてのち、恵子は治療のため渡米し(第335話)番組では約1年半不在に。そして空港での再会直前に島刑事が交通事故死するが(第414話)、この悲劇的結末は小野寺の番組卒業と連動する構成となった。計6回続いた恋愛劇は「あるシリーズ」と呼ばれ人気を博し、ビデオ化の際に「もう一度見たい」という圧倒的なリクエストが寄せられ、「殿下純愛編」として発売された[37]
  • 上京する前から、ボスを演じた石原裕次郎の大ファンだった。最初に『太陽にほえろ!』の宣伝写真の撮影のときに会った時は隣にいたにも関わらず、一言も話せなかったが、テレビのインタビューで俳優を目指した理由を聞かれた時に、石原裕次郎に憧れて俳優になったことを話すと、その番組をまき子夫人がたまたま見ていた。インタビュー放送直後の撮影で、裕次郎から「殿下、俺のファンだったんだって。テレビで見たって、カミさんが言っていたぞ。」と声をかけられ、ゴルフや自宅にも呼ばれるようになった[38]
  • 小野寺が下積み時代に人形劇団にいたと知った岡田晋吉は、殿下主演作品として人形劇団に潜入捜査する「夢見る人形たち」(128話・1974年12月27日放送)を作り、「人形なら僕にまかせて」と小野寺は劇中で見事に人形を操作する姿を披露した[39]。しかし小野寺にとっては「人形劇をやる時、幕の陰で膝で動き回るので、厚い膝あてをするが、どんどん擦り切れてくる。おれもこの膝あてみたいにこのまま擦り切れていくのかと思っていた。」とつらい時代の思い出だったという[40]
  • 昭和54年3月30日に後楽園球場で開催された『太陽にほえろ!』と『大都会 PARTIII』の野球対抗試合では、18,000人の大観衆の前で先発投手として登板、降雨中止になる2回まで無得点に抑え、自らヒットを打つ活躍で最優秀選手に輝いた。投球は「ヘンカ球」ならぬ「デンカ球」とほめられ、「いやあ、人前で投げたの初めてなんだけどなあ。」と自分でもびっくりした[41]
  • もともと合気道を習っていたが、『太陽にほえろ!』に出演が決まってから、それまでホームドラマの出演が多かったためさぼっていた合気道の特訓をはじめ、毎日曜日、TBSの番組宣伝部員が先生である三鷹市の春信寺合気道に通いだし、アクションもばっちり決まるようになった[42]
  • 出演5年目くらいに、このままでは刑事しか演じられなくなるのではと考え、降板を申し出たがプロデューサーの岡田晋吉に「絶対ダメ」と拒絶される。8年目に殉職が決定した際に岡田晋吉からは「正式に発表するまでは一切口外しないように」と言われ、そのとおり口外しなかったにもかかわらず、間もなく石塚刑事役の竜雷太から「お前、辞めるんだって?」と聞かれ仰天した。その真相は、竜も同時期に降板を申し入れたものの「殿下の卒業が決まったばかりなので待ってくれ」と慰留されたためだった(竜は2年後の1982年に殉職の形で番組を降板)。当時の太陽にほえろファンの間では、第一回から出演を続けてきたレギュラー刑事「殿下」の降板はそれほど衝撃的な事件だった[43]。竜雷太演じるゴリさんは藤堂一家の長男的存在で「たくましい男」、殿下は次男坊で「やさしい男」の象徴だった[44][24]
  • ”殉職記者会見”で小野寺本人は、「高校を卒業したのが18歳、この番組に起用されたのが28歳、来年はもう38歳、そろそろ役者として転換してもいい時期と考えた。長い間やってきただけに愛着もあり、最終回まで残りたかったが、もっと大人の芝居ができる役者になるためゼロからもう一度出発したい。」と語った[13][42]。岡田晋吉プロデューサーは、「正直言って人気のある小野寺君が番組を去るのは大変な痛手で、転勤でいつでも帰ってきてもらうよう考えたこともあったが、やはり死という形が一番ドラマチックなので、思い切って殉職させることにした。」と語った[45]
  • 多くの出演者が壮絶な銃撃戦による殉職シーンを演じていたが、島刑事は撃ち合いではなく交通事故によりあっけなく死亡するという結末となった。これは小野寺自身の「自分は若手刑事ではないので、あっさりした殉職シーンを。」という希望に沿ったためである[13][46]。ドラマ放映後には交通事故シーンロケ地である旧国道135号線、石橋山古戦場すぐ近くの高台に「島公之殉職之碑」が建てられた[47][48]。現地を訪れた小野寺本人は「なんだか不思議な気持ちです。」と複雑な表情で語った[42]
  • 殿下の降板が発表された頃、裏番組『3年B組金八先生』の躍進で『太陽にほえろ!』の視聴率は低下傾向にあった。絶大な人気を誇る殿下の殉職を盛り上げ、番組の視聴率を回復するために、「島刑事よ、安らかに」(402話・1980年4月18日放送)、「島刑事よ、さようなら」(406話・1980年5月16日放送)と殉職話と誤解されるセンセーショナルなタイトルの話を放送し、402話の視聴率は28.5%、406話の視聴率は25.0%と高視聴率を獲得した。実際に殿下が殉職した「島刑事よ、永遠に」(414話・1980年7月11日放送)では久々に視聴率30%超えを果たした[21]
  • 後任の神田正輝が演じた「ドック」の役名「西條昭」は、二枚目刑事「殿下」の後継者を意味することもあり、小野寺昭の昭から取っている。またロッキー(木之元亮)とマミー(長谷直美)に双子が生まれるストーリーは、小野寺の実生活をヒントにしたと岡田晋吉が述べている[49]
  • 1988年放映の金田一耕助『三つ首塔』では、露口茂と『太陽にほえろ!』以来約8年ぶりに共演した。小野寺は露口が「小野寺がやるなら。」と出演してくれたことがうれしかったと語った[50]。翌年の明智小五郎『蜘蛛男』では、長寿刑事ドラマとして『太陽にほえろ!』とライバル関係にあった『特捜最前線』橘警部役の本郷功次郎とも共演している。

趣味[編集]

  • 趣味の登山[2]には50歳を過ぎてから本格的に取り組んでおり、著書も刊行している。日本百名山の中の半分近くをすでに踏破し、日本に27ある3000m級の山を踏破する目標を持っている。自ら選んだ目標に挑み、ペース配分を考え、つらさを克服し、自分自身と戦いながら最後にその目標を達成することに人生と同じ喜びを感じたからという[51]
  • 自分が立てた目標をクリアするのが登山の目的であり、頂上まで登らないと意味がないと思うので、単独行で登山するという[52]
  • パソコンによる作曲も得意で、携帯電話の着信音も自分で作曲・アレンジしたものをダウンロードしている。
  • 他にもギター[1]合気道[1]を趣味としている。
  • 太陽にほえろ! 第227話 CQ・CQ・非常通信!では、アマチュア無線(JK1XSR)およびモーターボートを、共に本人が取り扱っている事から両方の免許を所持していると考えられる。

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

Vシネマ[編集]

  • 実録 大日本菊水会 双龍伝(2007年) - 笹川了平
  • 稲穂の無頼(2009年、GPミュージアムソフト)全2作 - 尾道 侠剛会会長 泉田國彦

バラエティ[編集]

ドキュメンタリー[編集]

情報番組[編集]

CM[編集]

  • 日清製粉 マ・マー パスタ関連製品(1984年)
  • ハウス食品ラーメン『うまいっしょ』 - 屋台の店主
  • キュートーシステム(旧・給湯システムネットワーク)※初期は、電化給湯にちなんで『太陽にほえろ!』でのニックネーム「殿下」として「ボス」という名の犬を連れて登場
  • サントリー『ボス レインボーマウンテンブレンド』(2009年6月20日 - ) - 島公之(殿下)
  • さつま白波
  • ノバルティスファーマ加齢黄斑変性疾患啓発キャンペーン(2012年)

舞台[編集]

  • グリーンマイル(2017年9月30日 - 10月22日、東京グローブ座 / 11月4日 - 11月8日、京都劇場) - ハル・ムーアズ 役[53]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1 1975年
6月1日
A面 白いページ 山川啓介 大野克夫 青木望 P-412
B面 風よ
2 1976年
2月1日
A面 冬の手紙 竜真知子 あかのたちお P-445
B面 白い街
3 1976年
6月1日
A面 燃えてるあいつ 中里綴 田山雅充 ラスト・ショウ PK-4
B面 愛のささやき 高野早苗 滝まさる
4 1977年
5月1日
A面 旅でもしようか 藤公之介 大塚博堂 萩田光雄 PK-53
B面 友達がいた こうえいか 大浜和史
5 1977年
11月1日
A面 ふたりの方がいい 藤公之介 山本寛太郎 青木望 PK-83
B面 子供の頃 小野寺昭 クニ河内
6 1979年
9月1日
A面 喜多條忠 出門英 木森敏之 PK-168
B面 愛という出会い
7 1992年
9月26日
01 北の街 恋の味[注釈 1] 荒木とよひさ 柳和文 山中紀昌 PODH-1091
03 色あせた時のままに 鈴木義之

アルバム[編集]

タイアップ曲[編集]

楽曲 タイアップ
1975年 風よ 日本テレビ系ドラマ「太陽にほえろ!」挿入歌
1976年 燃えてるあいつ TBS系ドラマ「火曜日のあいつ」EDテーマ
1979年 TBS系ドラマ「」主題歌
1992年 北の街 恋の味 ハウス食品「うまいっしょ」CMソング

著書[編集]

  • 『ぼくの山登り いつも雨』リヨン社 1998年

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、38頁。 
  2. ^ a b 小野寺昭 - 日本タレント名鑑
  3. ^ a b c d e f g h i “殿下”役でスターになった小野寺昭 人形劇から「太陽にほえろ!」へ. 朝日新聞出版. (週刊朝日2019年4月5日号) 
  4. ^ a b 「セブンティーン」1971年6月号P30~33『「冬の雲」の小郷役・小野寺昭が愛妻と歩んだ6年』
  5. ^ a b “殿下”役でスターになった小野寺昭 人形劇から「太陽にほえろ!」へ”. 2019年3月31日閲覧。
  6. ^ a b 週刊ポスト2018年5月25日号P145~147 <密着>小野寺昭「授業も芝居もチームワーク」
  7. ^ 小野寺昭X(旧Twitter)・2024年3月3日付[1] 2024年4月23日閲覧。
  8. ^ 小野寺昭X(旧Twitter)・2024年4月10日付[2] 2024年4月23日閲覧。
  9. ^ 俳優・小野寺昭さん 25歳デビューの役は「丸刈り高校生」 日刊ゲンダイ2014年8月3日
  10. ^ <密着>小野寺昭「授業も芝居もチームワーク」 週刊ポスト2018年5月25日号P145~147
  11. ^ NHKアーカイブス ドラマ ナタを追え
  12. ^ 『ぼくの山登り いつも雨』P106「俳優への山登り」
  13. ^ a b c d “”殿下”刑事近く殉職 小野寺さんを死なせないで、ファンレター殺到”. (読売新聞1980年(昭和55年)4月19日) 
  14. ^ 2015年07月16日【教員のテレビ出演】 佐島顕子教授(日本史・日韓関係史)がNHK「先人たちの底力 知恵泉」(7月21日)に出演します
  15. ^ NHKアーカイブ 時代劇人気シリーズ『御宿かわせみ』2011年2月4日
  16. ^ 小野寺昭が驚きの転身「今は殿下ではなく学科長と呼ばれています」 スポーツニッポン2018年2月2日
  17. ^ 「太陽にほえろ!」小野寺昭さんら出演、大阪府警の職務倫理DVD」産経WEST2017年4月19日
  18. ^ 「週刊平凡」1974年8月『「太陽にほえろ!」で若い女性に大モテ 小野寺昭』
  19. ^ ビートたけしが「龍三と七人の子分たち」に4冠授ける、東スポ映画大賞発表”. 映画ナタリー. ナターシャ (2016年1月26日). 2016年1月27日閲覧。
  20. ^ a b “小野寺昭 北アルプス山荘で転倒しヘリ搬送 くも膜下出血も2週間で退院へ”. デイリースポーツ. (2018年8月7日). https://www.daily.co.jp/gossip/2018/08/07/0011521329.shtml 2018年8月8日閲覧。 
  21. ^ a b 「太陽にほえろ!・10周年記念号」83P
  22. ^ 第304話のバスジャック事件の裏の指令犯逮捕の場面では、決め技1本で相手を取り押さえている。
  23. ^ 第44話で鮫島勘五郎(演・藤岡琢也)に徹底的に鍛えられ、臆せず拳銃を使えるようになったという設定。
  24. ^ a b 『毎週金曜夜8時 君は太陽にほえろ!を見たか?〜熱き刑事たち、今ここに蘇る〜』スターツ出版, 1993.4
  25. ^ 「太陽にほえろ!・10周年記念号」47P
  26. ^ 『太陽にほえろ!伝説 失踪15年 私が愛した七曲署』P227
  27. ^ 青春ドラマ夢伝説―あるプロデューサーのテレビ青春日誌. 日本テレビ放送網. (2003年8月) 
  28. ^ 『太陽にほえろ!伝説 失踪15年 私が愛した七曲署』P204〜205
  29. ^ 脚本クレジットは長野洋
  30. ^ 『太陽にほえろ!伝説 失踪15年 私が愛した七曲署』P216
  31. ^ 「太陽にほえろ!・10周年記念号」123P
  32. ^ 有吉はその8年半後、春日部刑事(愛称ボギー、演・世良公則)の姉役でセミレギュラー復帰を果たしている(第521話)。
  33. ^ 『太陽にほえろ!伝説 失踪15年 私が愛した七曲署』P315〜316
  34. ^ 『太陽にほえろ!伝説 失踪15年 私が愛した七曲署』P205
  35. ^ 『近代映画』1978年10月号P34「またも結婚できなくなる?独身殿下の異常な人気」
  36. ^ 「太陽にほえろ!・10周年記念号」43P
  37. ^ 『太陽にほえろ! 4800シリーズ Vol.50「殿下純愛編1」解説
  38. ^ 文化放送『くにまるジャパン』2014年3月17日~20日 「ラジオバイオグラフィー 5冊のアルバム」
  39. ^ 『太陽にほえろ!伝説 失踪15年 私が愛した七曲署』P220
  40. ^ 「太陽にほえろ!・10周年記念号」42P
  41. ^ 「太陽にほえろ!・10周年記念号」77P
  42. ^ a b c 「太陽にほえろ!・10周年記念号」82P
  43. ^ 『太陽にほえろ! 4800シリーズ Vol.3「殿下&スコッチ殉職編」解説
  44. ^ 『太陽にほえろ!伝説 失踪15年 私が愛した七曲署』P311
  45. ^ “”殿下”刑事近く殉職 小野寺さんを死なせないで!ファンレター殺到”. (読売新聞1980年(昭和55年)4月19日) 
  46. ^ 三宅裕司著『ぼっ!ぼっ…ぼくらはテレビ探偵団 : 懐かしがってばかりはいられない』祥伝社, 1987.5
  47. ^ “太陽にほえろ!「殿下に墓立つ」島刑事きょう殉職”. (報知新聞1980年(昭和55年)7月11日) 
  48. ^ 「太陽にほえろ!DVD 1980-I」に収録されているアンソロジー・メイキングインタビュー内でも写真付きで触れられている
  49. ^ 『太陽にほえろ!伝説 失踪15年 私が愛した七曲署』
  50. ^ 映画秘宝EX にっぽんの刑事スーパーファイル 洋泉社MOOK 48P
  51. ^ 『ぼくの山登り いつも雨』P17~19
  52. ^ 『山と渓谷』1999年10月号P151~153「同好の士が語る 山はやっぱり単独行ですね」
  53. ^ Inc, Natasha. “加藤シゲアキ主演「グリーンマイル」追加キャストに把瑠都、中山祐一朗ら”. ステージナタリー. 2021年9月19日閲覧。
  54. ^ 「オリコンチャートブック〈LP編(昭和45年‐平成1年)〉」ORICON BOOKS、1990年5月1日、106ページ。

注釈[編集]

  1. ^ デュエット:篠ひろ子。なお、カップリングには篠ひろ子と小野寺のソロ曲をそれぞれ収録。
  2. ^ 2014年7月24日にCD版がリリースされた(規格品番:CORR-10977)。
  3. ^ 2011年5月23日にCD版がリリースされた(規格品番:CORR-10708)。

外部リンク[編集]