小暮裕美子

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小暮 裕美子(こぐれ ゆみこ)は、TBSの元報道キャスター。ジャーナリスト。 本名同じ。 なお、コーチングの小暮裕美子とは別人物である。

人物・来歴[編集]

銀行員だった父親の転勤で、小学校でアメリカ、高校でカナダの現地校に通っている。

慶應義塾大学経済学部卒業。

1984年報道記者としてTBSに入社。同期に松原耕二播摩卓士らがいる。

主に文部省警視庁東京都庁、厚生省といった社会部の記者として活動し、1989年、「JNNおはようニュース&スポーツ」のスタジオキャスターに就任。

その後、1992年に放送された「JNNニュース1130」の初代スタジオキャスターを務めた。 1994年に記者活動に戻る。1995年には当時の科学技術庁担当記者を務めており、同年に発生した高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩事故では、小暮が動力炉・核燃料開発事業団が発表した事故ビデオ映像がおかしいと指摘し、「動燃のビデオ映像隠し」の発覚に繋がったという[1]

社会部記者として活動後、国際部記者として、主に海外ニュースを担当。JNN海外支局を歴任。

2006年2月時点で、TBSテレビ編成制作本部報道局取材センター外信部次長。

2010年ごろから、何年にもわたり部下のセクハラ行為、ストーカー行為に悩まされたという。 「あんなにつらいことはなかった。心が折れた。ずっとトラウマになる気がする」と、後に述べている。

家族[編集]

ミュージシャンであるデーモン閣下の「世を忍ぶ仮の」姉(実姉)である。閣下からは、「『世を忍ぶ仮の』幼少時から、地上で唯一口喧嘩で敵わない相手である」と畏怖されている。 また学生時代、裕美子が学園祭でロックを熱唱している勇姿を見て「コレだ!」と、音楽活動のヒントを得たと語っている[2]。当時TBSアナウンサーだった下村健一によると、サンプラザ中野がデーモン小暮に「小暮の姉ちゃんに逢わせろ」と言っていた(1989年放送のTBSラジオ『マンデーナイトベースボール』より)。

出演番組[編集]

現在[編集]

過去[編集]

脚注[編集]

注釈・出典[編集]

  1. ^ 【論説委員の取材ノート】長辻象平 もんじゅ「事件」から15年”. 産経新聞. 2011年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月17日閲覧。
  2. ^ 1988年頃、ゴールデンタイムテレビ放映のデーモン閣下特集番組にて。