宮崎一樹
北海道日本ハムファイターズ #36 | |
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2024年3月 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都日野市 |
生年月日 | 2001年8月30日(22歳) |
身長 体重 |
184 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2023年 ドラフト3位 |
年俸 | 900万円(2024年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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宮崎 一樹(みやざき かずき、2001年8月30日 - )は、東京都日野市出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
日野市立平山小学校1年生の時に漫画「MAJOR」の影響で野球に興味を持ち、同作がリトルリーグ編を連載していたことから、主人公の茂野吾郎に憧れて調布リトルリーグで野球を始める[1]。日野市立平山中学校在学時は硬式野球のクラブチームである調布リトルシニアでプレーしていた[2]。シニア時代は2学年先輩に清宮幸太郎がいた。
山梨学院高等学校に進学し、1年夏の第99回全国高等学校野球選手権大会、2年夏の第100回全国高等学校野球選手権記念大会ではベンチ外だった。3年春の第91回選抜高等学校野球大会では背番号13で出場[1]。札幌第一との初戦で先発出場して2安打2打点を記録し、チームは24得点を記録して大勝した[3]。西舘昂汰、進藤勇也擁する筑陽学園との2回戦では途中出場で無安打に終わり、チームも敗れた[1][4]。同年夏の第101回全国高等学校野球選手権大会では背番号15で出場し、熊本工業との初戦で1安打を記録したが、チームはサヨナラ負けを喫した[1][5]。高校通算本塁打は4本で、レギュラー定着には至らなかったが、当時臨時コーチを務めていた小倉清一郎は宮崎の潜在能力を見抜き、吉田洸二監督に宮崎の起用を進言していた[1]。1学年上に垣越建伸がいた。
高校卒業後は山梨学院大学へ進学。須田喜照監督に素質を見出されて1年秋から起用され、才能が開花した[2]。3年秋のリーグ戦では打率.600、5本塁打、19打点を記録した[6]。この活躍もあり、4年夏に開催された日米大学野球選手権大会の日本代表に選出された[7]。
2023年10月26日に開催されたドラフト会議にて、北海道日本ハムファイターズから3位指名を受けた[2]。
日本ハム時代[編集]
人物[編集]
両親は自宅のある東京都日野市でそば屋を営んでいるが、自身はそばアレルギーのため家業を継ぐことができず、両親からは「プロ野球選手になってくれ」と言われていた[1]。
詳細情報[編集]
背番号[編集]
- 36(2024年 - )
代表歴[編集]
脚注[編集]
- ^ a b c d e f “野球 - 山梨学院大・宮崎一樹 大学で開花、そばアレルギーで家業を継げない分、プロをめざす | 4years. #学生スポーツ”. 4years (2023年8月30日). 2023年10月31日閲覧。
- ^ a b c “【ドラフト会議】日本ハム 大学球界一の韋駄天を3位指名 3拍子そろった外野手の山梨学院大・宮崎一樹 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2023年10月31日閲覧。
- ^ “山梨学院が歴代最多タイ24安打で札幌第一に快勝 初回に8安打で一挙10点 野村2発、菅野は5安打 - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2023年10月31日閲覧。
- ^ “初出場の筑陽学園が接戦制し8強進出!持ち前の堅守で初戦24得点の山梨学院封じる - スポニチ Sponichi Annex 野球”. スポニチ Sponichi Annex. 2023年10月31日閲覧。
- ^ “熊本工 山口が12回サヨナラ弾 夏甲子園30勝目 - 夏の甲子園 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2023年10月31日閲覧。
- ^ “井端弘和も逸材と認めたドラフト候補 山梨学院大・宮崎一樹の反骨心 中高6年間控えから覚醒 (3ページ目)”. 集英社 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva (2023年10月5日). 2023年10月31日閲覧。
- ^ NPBエンタープライズ. “宮崎 一樹|大学”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト. 2023年10月31日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 個人年度別成績 宮崎一樹 - NPB.jp 日本野球機構
- 36 宮崎 一樹 選手名鑑 - 北海道日本ハムファイターズオフィシャルサイト