マリナ・シルバ

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マリナ・シルバ
Marina Silva
肖像(2022年)
環境省 (ブラジル)英語版
就任
2023年1月1日
大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ
前任者ホアキン・アルバロ・ペレイラ・レイテ(英語)
任期
2003年1月1日 – 2008年5月13日
大統領ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ
前任者ホセ・カルロス・カルヴァーリョ(ウィキデータ
後任者カルロス・ミンク(英語)
連邦議会下院
党員
就任
2023年1月1日
選挙区サンパウロ
持続可能性ネットワーク党(英語)
広報担当
任期
2015年9月22日 – 2018年4月8日
ゼ・グスタボとサービング
後任者ペドロ・イボ・バティスタ
ライス・ガルシア
アクレ州上院議員(英語)
任期
2008年5月15日 – 2011年2月1日
前任者シバ・マチャドウィキデータ
後任者ホルヘ・ヴィアナ(英語)
任期
1995年2月1日 – 2003年2月2日
前任者アルイソ・ベゼラ
後任者シバ・マチャド
アクレ州議会(英語)議員
任期
1991年2月1日 – 1995年2月1日
リオブランコ地方議会議員
任期
1989年1月1日 – 1991年2月1日
個人情報
生誕マリア・オスマリナ・ダ・シルバ
Maria Osmarina da Silva

(1958-02-08) 1958年2月8日(66歳)
ブラジルの旗 ブラジル、アクレ州リオブランコ
政党REDE(英語)(2015–現在)
協力政党
配偶者
Fábio Vaz de Lima (m. 1986)
子供4
出身校アクレ連邦大学(英語)
公式サイトwww.marinasilva.org.br

マリナ・シルバポルトガル語: Marina Silva、本名:マリア・オスマリナ・マリナ・シルバ・ヴァズ・デ・リマ Maria Osmarina Marina Silva Vaz de Lima[1]、出生名;マリア・オスマリナ・ダ・シルバ 1958年2月8日 - )は、ブラジルの環境保護活動推進者で政治家。2023年1月1日時点でブラジルの環境・気候変動担当大臣に就任した。経済的に厳しい幼少期を経て26歳で大学を卒業、政治に関心を寄せて労働者党(PT)に加盟し、アマゾンの環境保護を推進したシコ・メンデスの賛同者として労働運動を支持した[2]

政治家としての道のりは、地元アクレ州リオ・ブランコ市会議員に当選した1988年から始まり、上院議員歴は1995年から2011年にわたり、2009年までPT 党員。環境大臣に就任(2003年-2009年)、ブラジル大統領選挙は2010年(3位・得票率19.33%[3][注釈 1]、2014年、2018年に出馬している。

開発に反対する原理主義者ではなく、持続可能な開発を目指すことが信条で、欧米からは「南米の環境保護の旗手」と高い評価を受けている。

生い立ち[編集]

アクレ州シャプリ村(英語)を歩くシルバ

シルバはアクレ州リオブランコの郊外70 kmに位置する小さな村の生まれ。父方母方ともにポルトガル人と黒人の血統であり[4]零細なゴム林プランテーションの採取業者[注釈 2]の家庭で11人きょうだいとして育った。シルバ自身は厳しい暮らしのなか肝炎と金属中毒にかかり、マラリアにも5度かかりながら生き抜いた[5][6]

16歳で孤児になると勉強と肝炎の治療を願って、アクレ州の州都リオ・ブランコに移り住む。修道院に身を寄せて生活の場を得ると、カトリック式の教育を受け、家族で唯一、読み書きができるようになる。修道院を出た後、住み込みの家政婦として働いた[7]

その後、アクレ連邦大学で歴史学を専攻したシルバは26歳で卒業し、精力的に政治活動をするうちシコ・メンデスと出会うと労働組合運動の支援に加わって、1984年にはアクレ州初の労働組合「中央統一労働者党(英語)の設立に寄与した[8]

アマゾンの森林破壊と先住民の移住政策に反対すべく、アマゾン森林保護の活動も進めたメンデスと共にデモを主導したこともある[2]

上院議員時代[編集]

1994年に州の上院議員に当選、ブラジル女性として史上最年少であった。またアマゾン地域の環境保護と持続可能な開発を支援する団体「持続可能性ネットワーク党(REDE)(英語)を設立して広報担当を務めたのち、国政入りを機に代表を交代した。

シルバが実行した政策によって、2004年から2007年にかけてアマゾンの森林破壊が59%減った。その一環で持続可能な開発と保護区域の策定を促進し、森林に大きな付加価値が生まれた。このことは国際会議や文書でも引用された。 『政策と努力が一つになれば、どんな状況でも変えることができる』とロンドンのブラジル大使への宣言で述べている。

環境相時代[編集]

労働者党 (ブラジル)議員であったシルバはルーラ大統領時代に環境相に就任。2008年まで職務に就きアマゾンの熱帯雨林保護の法整備や温室効果ガス排出防止を目的とするアマゾン基金の創設などに尽力した。

しかし、その間、環境に重大なインパクトを与えかねない農業計画への許認可を遅らせたとして、主に農業ビジネス企業から度々批判を受けた。 それでも2005年にサン・フランシスコ川開発プロジェクトと森林地帯に国道163号線を建設することへの議論が沸き起こった際に、「たとえ政府の圧力にさらされても、決して困難に立ち向かうことを諦めたりしない」と宣言。

2005年には 在職期間中の政策をめぐって、グリーンピースの指導者パウロ・アダリオと衝突。

シルバが就任してから連邦警察、ブラジル軍連邦高速道路警察と連携して環境省はアマゾンの違法伐採に対して32の取り締まりを実行したが、パウロは、アマゾン地域を監視していたグリーンピースによると、取り締まりは2004年の10月に一度実行されただけだと主張し、そもそもこの取り締まりの実効性を問題視した。

辞任[編集]

かねてから水力発電所の建設や遺伝子組み換え作物を推進する政策に反対していたシルバはしだいに閣僚からの反発を受けて孤立していった。 2008年5月中旬に環境相を辞任した。

労働者党から緑の党へ[編集]

SBTテレビに出演

2009年8月19日、労働者党が承認・署名した環境政策に反対して労働者党から緑の党に移ると宣言。2010年5月に緑の党の支援のもと2010年ブラジル大統領選挙(英語)緑の党(PV)党首として出馬を表明、第1回開票で得票率第3位に19%の票を得た[3]

2012年ロンドン五輪[編集]

2012年のロンドン五輪の開会式にて8人しか選ばれない五輪旗の走者にブラジル政府の代表として選ばれる。

労働者党のスポーツ相Aldo Rebeloは、「マリナ氏はヨーロッパの権力者と密接な関係にあり、誰を開会式に招待するのかは英国王室が決定したものであり労働者党は関与していない」と述べている。 これに対し、国際オリンピック委員会はマリナの森林保護活動を評価したに過ぎず、選任に関して何ら政治的意図はないとしている。

持続可能性ネットワーク党[編集]

2014年大統領選挙[編集]

2014年4月に同年秋の大統領選挙(英語)に立候補を表明したエドゥアルド・カンポスから、マリナ・シルバは副大統領候補の指名を受ける[9]。ところが8月に飛行機事故でカンポスが急逝、シルバはブラジル社会党(PSB)に推されて大統領候補となった[10]。「ブラジル初の貧困層出身の黒人女性大統領になりたい」と述べ、選挙活動中にシルバは「市民の意向に基づく政策の実行」「知識社会を目指した教育」「持続可能な社会に適合する経済」「社会保障・福利厚生支援策」「文化と多様性の強化」を公約に上げた。

他の2大政党と比較して20分の1の時間しかTV出演できなかったにもかかわらず、知識層と若年層から強い支持を得て、2014年10月、第1回開票で19.33%(第3順位)の票を獲得した。選挙前の投票予定調査では21%とされており、第3位にとどまって決選投票に進めなかった[11]

第2回開票ではシルバはかつて所属した PT 候補ジルマ・ルセフ(英語)ではなく PSDB 候補アエシオ・ネベス(ポルトガル語)を応援した。大統領選には2018年選挙(英語)にも出馬、この時は持続可能性ネットワーク党の後援を受け得票順位8位(得票率1%)であった。投票では得票率21%で3位となり、ジルマ・ルセフ大統領の再選を許したが、現在もフェイスブック世代の都会の若者や低所得層、自然保護派の間で熱狂的な支持を得ている。

2015年 日本訪問[編集]

シルバは、MOTTAINAIキャンペーン10周年を迎えた2015年に毎日新聞社の同キャンペーン事務局の招きで初来日し、10月10日から17日までの間、上智大学で講演やシンポジウムに出席したほか、東日本大震災の被災地の宮城県名取市熊本県水俣市北九州市広島市など各地を訪問し、市民との交流を深めた。また、東京都竹橋バレスサイドビルにある「MOTTAINA STATION&SHOP」も訪問、4R(リデュースリユースリサイクル、リスペクト)をコンセプトにした商品を見学した。「MOTTAINAI」という日本語について「新たな発展モデルを創る心の支えとなる言葉だ」と強く賛同、ノーベル平和賞を受賞し、同キャンペーンを提唱したケニアの故ワンガリ・マータイ氏の後継者としてキャンペーンを世界に広げていくことを約束した。

2018年大統領選挙[編集]

環境大臣に再任[編集]

Return as Minister of the Environment

政治的立場[編集]

Political views

受賞、顕彰[編集]

シルバは2012年7月のロンドンオリンピックの開会式で、国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長らとともに五輪旗の旗手も務めた[17]

シンクタンクインターアメリカン・ダイアログ英語版」在籍(本拠地アメリカ、ワシントンDC[18]


主な著作[編集]

  • マリナ・シルバ 述「"全能"のおごりを捨てるとき」『世界が日本のことを考えている : 3.11後の文明を問う—17賢人のメッセージ』共同通信社取材班 編、太郎次郎社エディタス、2012年。
  • マリナ・シルバ「自然への介入が先住民を危機に陥れる : 「次」への備えは医療・教育分野への支出だ」(疫病と人間)アジア調査会 編 『アジア時報』第51巻第10号(通号 560)2020年10月、41-46頁。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 2010年に緑の党党首として大統領選挙に出馬、初回開票は得票率19.33%を記録[3]
  2. ^ 零細なプランテーション従事者は「ゴムの搾りかす」(Seringal Bagaço)と揶揄された。
  3. ^ 史上初のノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイも、環境分野の活動家及びアフリカ人女性として同賞を受賞している。
  4. ^ 2010年「グローバルな思想家一覧」(『フォーリン・ポリシー』誌)にはシルバのほか、セシル・デュフロモニカ・フラッソニ英語版エリザベス・メイ英語版レナート・キュナスト英語版の名もある[15]

出典[編集]

  1. ^ Home - Senado Federal”. www.senado.gov.br. 2015年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月3日閲覧。
  2. ^ a b “Marina Silva”. The Goldman Environmental Prize. (2008年). オリジナルの2008年8月21日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20080821103758/http://goldmanprize.org/node/162 2008年7月28日閲覧。 
  3. ^ a b c Eleições 2010 – Apuração” (ポルトガル語). uol.com.br (2010年). 2013年6月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月3日閲覧。
  4. ^ Brasil - NOTÍCIAS - Marina Silva deixa o PT”. revistaepoca.globo.com. 2019年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月17日閲覧。
  5. ^ “The Green Activist Who Might Become Brazil's Next President”. Time. (20 August 2014). オリジナルの23 August 2014時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140823203007/http://time.com/3149004/the-green-activist-who-might-become-brazils-next-president/ 2014年8月24日閲覧。. 
  6. ^ Pearson, Sammantha (2014年8月14日). “Marina Silva injects charisma into Brazil's presidential campaign”. Financial Times. 2018年9月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月3日閲覧。
  7. ^ Carneiro, Julia (2014年8月21日). “Tragedy puts Marina Silva at heart of Brazil campaign”. BBC News. オリジナルの2018年6月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180628163825/https://www.bbc.co.uk/news/world-latin-america-28865958 2018年9月3日閲覧。 
  8. ^ Phillips, Tom (2008年6月20日). “I'd lost the strength to carry on”. en:chinadialogue. オリジナルの2008年10月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081005181454/http://www.chinadialogue.net/article/summary/2115--I-d-lost-the-strength-to-carry-on- 2008年7月28日閲覧。 
  9. ^ “Campos-Silva in Brazil 2014 election”. BBC News. (2014年4月14日). オリジナルの2018年10月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20181023181011/https://www.bbc.co.uk/news/world-latin-america-27029256 2018年9月3日閲覧。 
  10. ^ Jonathan Watts (2014年8月14日). “Marina Silva emerges as obvious successor after Campos death”. The Guardian. 2014年8月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年8月16日閲覧。
  11. ^ “Brazil election: Dilma Rousseff to face Aecio Neves in run-off”. BBC News. (2014年10月6日). オリジナルの2014年10月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20141006165026/http://www.bbc.com/news/world-latin-america-29501500 2014年10月6日閲覧。 
  12. ^ “Marina Silva - Goldman Environmental Foundation” (英語). Goldman Environmental Foundation. オリジナルの2017年9月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170920044128/http://www.goldmanprize.org/recipient/marina-silva/ 2017年9月19日閲覧。 
  13. ^ H.E Marina Silva | Champions of the Earth”. www.unep.org. 2017年9月19日閲覧。
  14. ^ “Brazilian forest conservationist Silva wins Norway prize” (英語). ロイターUK. オリジナルの2017年9月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170920043959/http://uk.reuters.com/article/us-brazil-environment-prize/brazilian-forest-conservationist-silva-wins-norway-prize-idUKTRE5305MJ20090401 2017年9月19日閲覧。 
  15. ^ a b Top 100”. 2014年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月17日閲覧。
  16. ^ Women of 2014: Marina Silva, presidential candidate” (2014年12月12日). 2015年1月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月15日閲覧。
  17. ^ Liberty Director carries the Olympic Flag in opening ceremony” (2012年7月27日). 2013年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月17日閲覧。
  18. ^ Inter-American Dialogue | Marina Silva”. www.thedialogue.org. 2017年4月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年4月19日閲覧。

外部リンク[編集]