プロジェクト‐ノート:人物伝/過去ログ2

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人物伝の記事におけるカテゴリの基本的な課題について[編集]

現在、「Wikipedia:削除依頼/LGBTの人物関連 Category」でカテゴリに関する削除依頼が提出されています。議論になっているカテゴリが抱えている課題には、「人物の性向をもとにカテゴリを設定することの是非」という倫理的な側面と、「記事の整理」というテクニカルな側面とがあります。倫理的な課題についてはひとまずおくこととし、以下にテクニカルな課題について説明します。

「美輪明宏」には何個のカテゴリが付与されるか[編集]

削除依頼が提出されている「Category:アメリカ合衆国のLGBTの人物」、「Category:イギリスのLGBTの人物」、「Category:日本のLGBTの人物」、「Category:LGBTの政治家」、「Category:LGBTの俳優」、「Category:LGBTのミュージシャン」が、カテゴリとして許容されるものとしましょう。同じやり方で自由にカテゴリを作成したり付与したりして良いとするならば、記事「美輪明宏」には果たして何個のカテゴリが付与されることになるか考えてみましょう。

まず、「Category:LGBTの人物」と同じような、1種類の属性をもとに設定されるカテゴリを考えます。条件としては、現在カテゴリがあるかないかに関わらずカテゴリを考えてよいものとします。ただし包含関係にあるカテゴリは除外します(例えば、「Category:長崎県出身の人物」は「Category:日本出身の人物」に包含されるので、「Category:日本出身の人物」は除外します)。こうした条件のもとにカテゴリを設定していったら、記事「美輪明宏」に対して何個のカテゴリが設定されるでしょうか。

私は20個思いつきました。他にも作れると思います。

次に、「LGBTの人物」と「政治家」の2軸のクロスで「Category:LGBTの政治家」が作成されるのと同じ理屈で、2軸のクロスでカテゴリを設定して良いものとしたときに、記事「美輪明宏」に設定されるカテゴリを考えます。「Category:長崎県出身の歌手」、「Category:長崎県出身の作曲家」、「Category:作曲家の歌手」・・・まだまだ作れます。組み合わせの数は n(n-1)/2 ですからカテゴリは190個になります。

ガイドラインの案[編集]

記事「美輪明宏」に対して190個のカテゴリを付与することがウィキペディアの進歩・充実なのだ、とする意見は少数意見でしょう。わけがわからなくなるだけであると思います。従って、カテゴリは、思いつくままに自由に作成されるべきではなく、何らかの歯止めをかける必要があります。しかし、現状では、歯止めに関する明確なガイドラインは存在しません。

そこで、以下のようなガイドラインを提案します。

  • 上記以外の付加的な情報に関するカテゴリ(Category:LGBTの人物がその例だが、Category:ソニーの人物Category:ノーベル賞受賞者なども含まれる)は、以下のように取り扱う。
    • この種の情報は原則、一覧記事で足りる。カテゴリの作成は一律に不可というわけではないが、思いつくままに自由に作成することは認めない。何らかの基準を設け、既存のカテゴリでも基準を逸脱するものは廃止する。
    • この種のカテゴリをその分野内において細分化するのはかまわないが(Category:ノーベル賞受賞者の子カテゴリにCategory:ノーベル化学賞受賞者を作成するなど)、他の軸とのクロスのカテゴリ(Category:LGBTの政治家など)は、カテゴリの構造をいたずらに複雑にするため認めない。

意見[編集]

(意見をお願いします)

  • 削除依頼のノートに記していますが(削除依頼ノート)、人物記事に必要なカテゴリは、種類としては、
  1. 「どこの人か(地理的な情報)」:出身地や、主要な活動を行った土地など、人物ごとで判断するが、基本的に1カテゴリか、特に必要な場合、もう一つ追加カテゴリ。
  2. 「何時頃の人か(時間的な情報)」:生年、没年カテゴリの他、ザラスシュトラのような何時の人かよく分からない人については、世紀とか、日本人だと、戦国時代とか奈良時代などのカテゴリを使う場合もありえる(必ずしも、生年、没年はすべての人については分からないことあある)。
  3. なぜ、その人が百科事典に掲載されているのか、その理由に関係するカテゴリ。デイヴィッド・ライマーは、彼自身で何かの業績を残したのではないが、ジェンダーやセクシュアリティの研究において大きな意味を持つので、記事となる。現在、Category:自殺した人物とかいうカテゴリも付いているが、Category:ジェンダー(これも現在付いている)かそれに近縁するカテゴリが相応しい。というか、それ以外、何に関係した人かのカテゴリ設定が難しい。「自殺した人物」というカテゴリも不適切である(自殺した人は一杯いるのと、これがあると他にも「死亡形態カテゴリ」が考えられる)。あるいは、ゾフィー・フォン・キューンとかアリス・プレザンス・リデルとかは、何で百科事典に載っているのか、この項目設定が難しい。ゾフィーには「少女愛」のカテゴリを与えているが、アリス・リデルも、「少女愛」のカテゴリがよいのかも知れない。
青島幸男などは、「政治家」、「作家」、「直木賞受賞者」、「俳優」、「漫才脚本家」など色々とカテゴリが付いてくる。タレントの場合、「俳優」、「歌手」、「声優」、「作家」など、色々なカテゴリが付けられるような場合もあるが、その分野だけでも、百科事典に記載する価値のある分野だけに絞る。--Maris stella 2006年12月24日 (日) 13:52 (UTC)[返信]
自殺した人物が"不適当"かどうかは見解が分かれると思います。該当する人物の数が多いからこそ、カテゴリーが必要と考える人もいます。(人数が多いからこそカテゴリーが必要なのでは?)--Kk8998982 2007年3月24日 (土) 23:32 (UTC)[返信]
  • カテゴリを作成する場合は、特定の文化圏や国々、地域などではうまく適用できるが、インターナショナルに適用しようとすると、ニュートラルでなくなるものは、作成しない。Category:LGBTの人物が典型的で、LGBTはアメリカ・カナダ・イギリスを中心とする欧米の社会運動で、欧米以外の、LGBTの運動などがない地域や文化圏の人物にも適用しようとすると、おかしいことになる。--Maris stella 2006年12月24日 (日) 13:52 (UTC)[返信]

上記の私の提案をもう少し具体化すると次のようになります。

  • Category:人物」の下に、「Category:分野別の人物」(※名称は要検討)「Category:各国の人物」「Category:生年」「Category:没年」「Category:テーマ別の人物」(※名称は要検討)を置く。
  • 「Category:分野別の人物」は、できる限りMECEに運用されるカテゴリである。人物伝に関する全ての記事には「Category:分野別の人物」のサブカテゴリ(「学者」「芸能人」など)が最低1個付与される。上限は要検討だがなるべく増やさない。
  • Category:各国の人物」は、できる限りMECEに運用されるカテゴリである。全ての記事には「Category:各国の人物」のサブカテゴリが最低1個付与される。上限は要検討だがなるべく増やさない。
  • Category:生年」はMECEに運用されるカテゴリである。全ての記事には「Category:生年」のサブカテゴリが1個付与される。※生年不詳の人物は要検討。
  • Category:没年」は存命の人物を除けばMECEに運用されるカテゴリである。存命の人物を除いて、全ての記事には「Category:没年」のサブカテゴリが1個付与される。※没年不詳の人物は要検討。
  • 「Category:テーマ別の人物」ではMECEであることは考慮しない。このカテゴリ下のには「分野別」と「国別」以外の属性に関するカテゴリ(「××時代の人物」「××した人物」「××の人物」など)が置かれる。これらのカテゴリは該当する記事にのみ付与すれば良い。
    • ただし思いつくままに自由に作成することは認めない。何らかの基準を設け、既存のカテゴリでも基準を逸脱するものは廃止する。
    • また、他の軸とのクロスのカテゴリはカテゴリ構造をいたずらに複雑にするため認めない。

Maris stella さんのお考えははっきりとわからない点もあるのですが、上記に加えて、MECEな軸としてもう一つ「Category:時代別の人物」(※名称は要検討)を設定し、全ての記事にサブカテゴリが付与されるようにするということでしょうか。いずれにせよこの案は他の方から提案される可能性がありますので予めコメントしておくと、2点課題がありまして、(1)学者や芸術家は「どこの国の人か」より「いつの時代の人か」が重要で、君主や政治家は逆。従って「Category:18世紀の数学者」は良いが「Category:18世紀の国王」はあまり意味がない、(2)今現在活躍している人物を「Category:21世紀の俳優」などと分類するのはあまり意味がない。

少しあいだに割ってコメントさせて戴きます。本来は、このコメントはなく、Cave 氏のコメントは連続していたものです。ところで、わたしが意見として述べたのは:
  1. 「どこの人か(地理的な情報)」
  2. 「何時頃の人か(時間的な情報)」
  3. なぜ、その人が百科事典に掲載されているのか、その理由に関係するカテゴリ。
この三つが必要だという話で、「クロス・カテゴリ」については何も述べていません。クロス・カテゴリを作る場合は、どういう人物かで、地理と時代とのクロスを選択せねばならないということでしょう。また「国名」とか「世紀」とは書いていません。人物の場合は、何時頃のどこの人かが基本情報ではないかということです。いま一つ、
  1. 「インターナショナリティ」は、特定の地域や文化に属するカテゴリ(例えば、「歌舞伎役者」というカテゴリを仮に作ると、非日本人もいるかも知れませんが、このカテゴリに国際性はないが作っても構わないということです。ところが、問題にしている・いまも問題になっている「LGBTの人物カテゴリ」は、「LGBT」が実は特定文化や特定社会依存概念なのに、これを国際化しようとしているので、反対し、不可だとしています。(いま一つ、Cave さんの云われるとおり、人間の性向に関するカテゴリは不可でもあります)。というような話です。--Maris stella 2007年6月11日 (月) 08:54 (UTC)[返信]

「分野別」での分類が難しい人物は他にも西施だとかお市の方といった例があります。現状、これらの人物に関しては「Category:○○史の人物」という便利なカテゴリが使われているのですが、このカテゴリも位置づけがあいまいなので改めて検討する必要がありそうです。--猪山人 2006年12月27日 (水) 17:39 (UTC)[返信]

こんにちは。興味深く見ていたのですが、議論があまり進まないようなので残念に思っています。猪山人さん(Cave cattumさん)の問題提起とガイドライン案、悪くないのではないかと受け取っています。(ただ、これをこのまま進めると、修正・削除すべきカテゴリが多数ありそうで、影響範囲が見えづらいのが懸念事項です)--Yas 2007年3月27日 (火) 14:17 (UTC)[返信]

抜本的に変えてしまうのであれば、極力クロスのカテゴリーを作らないことが肝心であると考える。なぜなら、上記の例でも指摘されている通り、Category:長崎出身の歌手category:長崎出身の声優が同居することに意味はなく、単にCategory:長崎出身Category:歌手Category:声優とすればよいことである。即ち、単独のものであるほうが小回りがきくのである。 しかしながら、クロスさせたほうが見やすいものもある。たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチを例に挙げるなれば、『イタイリア出身』『15世紀の人』『16世紀の人』『画家』『数学者』…などと書くよりも現在でもそうであるが『15世紀の画家』『15世紀の数学者』…というように多少重複するところがあるが、時代と領域をセットにしたほうが格段に分かりやすい。

重要なのは、何と何をクロスさせるか、であると考える。私が思うに、誰もが何かにカテゴライズされる項目(例えば『何世紀の何の領域の人』や、『どこの国の性別』だとか。)を整備することによって基本的な情報と重複するカテゴリーを作らせないことにより乱発は防げるのではないだろうか。(基礎をがっちりと固めれば自然に乱発自体も防ぐことが出来るだろう、という意味です。) --Lonchi Awotsuki** 2007年6月8日 (金) 17:37 (UTC)[返信]

ガイドライン化[編集]

さて、私見としては、Cave Cattum 案はかなり合理的でよくできたガイドライン案だと思います。ただ、人物記事全体に適用となると、合意形成が非常に大きいものが必要になると思います。五人ぐらいで合意というのは少し数が少なすぎるのではと思います。そこで、基本的な方針として、「準ガイドライン」的な位置で公式ガイドライン設定するのがよいのではないかと思います。カテゴリの濫造を防止できるし、濫造された場合、削除依頼がスムーズに進むと思います(何か、拘りのある人が、このカテゴリ群は必要だと頑張るのですが、そういう人が大勢出てきて、それぞれ、必要だと主張して作成すると、混乱状態になって来るのです。「LGBTの人物カテゴリ」は見つけるや削除依頼に出したのは、英語版で、この種類のカテゴリが百あるのか、幾つかあるのか不明ですが、大量にあることを知っているので、十個程度でも認めると、続いて、もっと大量に作成されるということが目に見えていたからです)。「準」が付きますが、公式ガイドライン化に向けて進めることを提案します。「準」とかを付けるので、コメント依頼で人を集めるというのでもよいかと思います。--Maris stella 2007年6月11日 (月) 08:54 (UTC)[返信]

賛成ですね。英語版のようにガチャガチャカテゴリばっかり貼り付いている状態は避けたいものです。サブカテゴリに細分する時などもガイドラインというか目安をある程度固めておいた方がいいように思います。国別カテゴリなども一気に全国分細分化するのか、それともある程度項目数が多くなった国のみ切り出して細分化するのか、なども検討して欲しいです。--Redpepper 2007年6月29日 (金) 12:57 (UTC)[返信]

ガイドラインの案(2)[編集]

Maris stellaさんのおっしゃる「準ガイドライン」とは、すなわち当プロジェクトのガイドラインということになるのではないでしょうか。上記のガイドライン案のうち、Category:人物下のカテゴリツリーの構造に関する部分については時期尚早に思えますので除外し、その他補足を加えて、下記のガイドライン案を作成しました。内容は人物伝の記事のカテゴリについて一般論を述べたものであり、Wikipedia:ウィキプロジェクト LGBT等においてこれと異なるガイドラインを制定することを妨げるものではありません。

上記のガイドラインの案に対しましては、これまで好意的なご意見をいただいております。もう少し様子を見て、反対がなければ下記を当プロジェクトのガイドラインとして本文の方に掲載したいと思います。よろしくお願いします。--Cave cattum 2007年7月3日 (火) 14:25 (UTC)[返信]

  • (コメント)ある事項が二つかそれ以上のウィキプロジェクトの対象となる場合は、プロジェクト間の話し合い・合意で調整を行うもので、上記の「妨げない」という宣言は、本プロジェクトでのガイドラインは無視してもよいと言う解釈が導かれます。これでは、ガイドラインを作成する意味が半減またはそれ以下になると思います。従って、「プロジェクト間の話し合い」等に前提を書き直すべきと思惟します。いま一つ、「準ガイドライン」というのは、影響が広範囲なので、ガイドライン制定には慎重であるべきとの私見で、賛同が多いなら、正式のガイドラインで良いと思います。--Maris stella 2007年7月4日 (水) 09:58 (UTC)[返信]
  • Maris stellaさんがおっしゃるように下位プロジェクトにおいてもある程度本ガイドラインは尊重されるべきだと思います。プロジェクト間の話し合いで合理的な説明がなされるならば、各プロジェクトの諸事情によって調整されるべきでしょうが。でないと、全く意味を生さないガイドラインになってしまうような気がします。「人物伝」とはいっても各人物はそれぞれ活躍した分野のプロジェクトに属するパターンが多いでしょうから。--Redpepper 2007年7月5日 (木) 05:44 (UTC)[返信]

ガイドライン案20070703

人物伝の記事には、次の5種類のカテゴリが付与されます。

  1. その人物が百科事典に掲載される理由となった、活躍した職業や分野のカテゴリ(「分野別の人物のカテゴリ」)
  2. 「どこの人か」という地理的な情報のカテゴリ(「地域別の人物のカテゴリ」)
  3. Category:生年の下の生年のカテゴリ
  4. Category:没年の下の没年のカテゴリ
  5. 上記以外の付加的な情報に関するカテゴリ

「分野別の人物のカテゴリ」には、Category:君主Category:数学者Category:俳優Category:犯罪者などが該当します。このカテゴリはできる限りMECEに運用されます。人物伝の記事には「分野別の人物のカテゴリ」が最低1個付与されます。多彩な分野で活動した人物に関しては、多数のカテゴリが付与される可能性もありますが、できる限り、百科事典に記載する価値のある活動を行った分野に絞ります。

「地域別の人物のカテゴリ」には、Category:日本の人物Category:アメリカ合衆国の人物などが該当します。このカテゴリはできる限りMECEに運用されます。人物伝の記事には「地域別の人物のカテゴリ」が最低1個付与されます。地域は、出身地や主要な活動を行った土地などから選びます。いろいろな地域で活動した人物に関しては、多数のカテゴリが付与される可能性もありますが、できる限り、百科事典に記載する価値のある活動を行った地域に絞ります。

「分野別の人物のカテゴリ」と「地域別の人物のカテゴリ」は、Category:フランスの数学者のような形で、クロスしてカテゴリを作成することができます。このようなカテゴリを用いれば、分野別の人物のカテゴリと、地域別の人物のカテゴリとを、あわせて1個のカテゴリで代用することができます。

「生年のカテゴリ」は、できる限りMECEに運用されるカテゴリです。人物伝の記事には、生年不詳の人物を除き、「Category:生年」のサブカテゴリが1個付与されます。

「没年のカテゴリ」は、できる限りMECEに運用されるカテゴリです。人物伝の記事には、没年不詳の人物および存命の人物を除き、「Category:没年」のサブカテゴリが1個付与されます。

「分野別」と「地域別」以外の、付加的な情報に関するカテゴリには、「××時代の人物」「××した人物」「××の人物」などの多様なカテゴリが該当します。これらのカテゴリはMECEであることは考慮する必要はありません。人物伝の記事に対して、1個も付与しなくてもかまいませんし、多数付与してもかまいません。ただし以下のように取り扱います。


意見・賛否等 (賛成が多い場合、投票に連続移行します)
  • (賛成・コメント)基本的にこのガイドライン案に賛成します。なお、細かい文言や表現、規定などは、他の人の意見に応じて、微調整等等を考える余地はあります(思いかけない盲点なども想定できます)。また、ここで賛成票が多い場合、「公示」で追加賛否意見を求め、ガイドライン決定でよいと思います(投票フェーズに連続移行でよいと言う意味です。二回賛否表明というのは、避けるのがよいかとも思います)。--Maris stella 2007年7月4日 (水) 09:58 (UTC)[返信]
  • (賛成)ガイドライン案に賛成します。大枠と言う意味でよく出来ていると思います。--Redpepper 2007年7月5日 (木) 05:53 (UTC)[返信]
  • (賛成)一通り目を通させて頂きましたが、この案をガイドラインとして定める事に問題は無いと思います。ガイドライン制定後に「ガイドラインのここはどうすべきか」などと言う意見なども出て来ると予想しますが、その際はその際で当PJで議論すればよいでしょう。Redpepperさん同様、大枠と言う意味で賛成です。--利用者:May.Low/sig2 2007年7月5日 (木) 11:02 (UTC)
  • (基本的に賛成&コメント) ガイドライン化に関しては賛成。クロスカテゴリの許容枠についてはもう少し具体化すべきではないでしょうか。『クロスのカテゴリが有用である場合』というものは自己判断しにくいかと思われます。例示をもう少し挙げて具体性を増すことが望ましいと考えます。
あと、一つだけ私が感じた『?』を。たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチではイタリアの数学者ではあることは間違いないがcategory:15世紀の数学者としてしかカテゴライズされていない。これはどのような基準で決めるのでしょうか。(イタリアの数学者であることよりも15世紀の数学者であることが重要であるか否かということは一概には決められないのではないだろうか、という意味。)また、category:イタリアの画家に分類されている状態でCategory:15世紀の美術家category:ルネサンス美術という重複であるとも取れなくないカテゴライズがされている。(もちろん、『美術家』の中には音楽家等も含まれることは理解しているし、Category:ルネサンス美術が人物だけでないことも理解している。)自分でも細かいな、とは思いますがガイドライン化するなれば行き届いたものを作るべきであると、そのように思います。 --Lonchi Awotsuki** 2007年7月5日 (木) 17:32 (UTC)[返信]
  • (賛成)基本的に賛成します。カテゴリに関する基本的なガイドラインとして有用だと思います。気になるのは、このガイドラインから外れるカテゴリが、例に挙げられているLGBT以外に現在あるのか(あるいはどれくらいあるのか)、それらは改善されるべきか、という点です。--Yas 2007年7月10日 (火) 15:10 (UTC)[返信]
本提案に関しては、基本的なところで多くの方々から賛成を頂戴いたしましたので、若干文言を修正したのと、本文のほうへガイドラインとして掲載いたします。修正が必要な箇所等ございましたら、引き続きご意見よろしくお願いします。--Cave cattum 2007年8月9日 (木) 23:05 (UTC)[返信]

思想・信教・性向などに基づくカテゴリの一般原則について[編集]

人物の思想・信教・性向などに基づくカテゴリについては、これまでも削除依頼で取り上げられ議論となってきました(例えばWikipedia:削除依頼/Category:キリスト教徒)。今回この場で、「思想・信教・性向などに基づくカテゴリは作成しない」という一般原則を明確化すべきと提案します。

思想・信教・性向などに基づくカテゴリが不適切である理由は以下の通りです。

  • 思想・信教・性向は人物の内面的な問題であり客観的な検証が困難である。
  • 人物はいくつもの思想・信教・性向を同時に併せ持っている。一人の人物が民主主義者かつ資本主義者かつ国家主義者かつキリスト教徒かつ菜食主義者かつサッカーファンかつ愛犬家などということはよくあることである。それらの全てについてカテゴリ分類を完遂することなど不可能である。
  • 思想・信教・性向は生涯の間にしばしば変わる。共産主義から資本主義に転向したなどということはよくあることである。
  • Maris stella さんが指摘されている通り、特定の文化圏などではうまく適用できるが、インターナショナルに適用しようとするとニュートラルでなくなる場合がある。

ただし、思想や宗教の提唱・普及の面で功績を残した人物についてはカテゴリ設定が可能でしょう。カテゴリは「○○教指導者」「○○主義思想家」といった名称になるはずです。

LGBTの例でいえば、Category:LGBT人権活動家はカテゴリ設定可能、Category:LGBTの人物は不可となります。--猪山人 2006年12月29日 (金) 10:25 (UTC)[返信]

記事のノートでの議論は、ノート:米原万里#「日本共産党のカテゴリが適切」に異議を申し上げますノート:久本雅美#カテゴリについて、など。
カテゴリのノートでは現在、Category‐ノート:日本共産党の人物にて議論があります。ご意見をください。

--試案橋 2007年7月24日 (火) 04:56 (UTC)[返信]

「○○と生年月日が同じ」という記述について[編集]

当初、井戸端で質問され、Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人でも提案されかけたのですが、特定版削除に巻き込まれたのと、芸能人だけではない問題と考え、こちらで提案します。現状、書く人物の記事にそれぞれ、見出しのような記述がなされるケースが多々有るのですが…正直、日付記事が有るのなら、そちらの「誕生日」見出し一覧で記述出来ると考えられます。ただし、これをやりすぎると、今度は日付記事の方で整理が必要になってくる、という問題も有りますが、ここはまた別に議論する内容、と考えます。--なっしゅびる 2007年1月9日 (火) 12:59 (UTC)[返信]

『トリビアの泉』のネタのような話ですが、誕生日が同じ人物はウィキペディアに記事がある人物だけでも何十人もいるわけですからキリがないですね。「○○と生年月日が同じ、と記述するのではなく日付記事のほうを充実させるのにご協力ください」ということをガイドライン化すべきでしょうか?--猪山人 2007年1月13日 (土) 12:16 (UTC)[返信]
細部記述に関わる話ではありますが、記事のメンテナンス性を上げるという点で、注意としての一文は入れておいても良い、と考えます。さらに人物伝記事においては、スタイルマニュアルとして、生年月日の月日に、日付記事へのリンクを行うようなフォーマットを提示していますしねぇ。--なっしゅびる 2007年1月14日 (日) 08:20 (UTC)[返信]
自分もたまに投稿するのですが、記事にその一文を載せても問題ないと思いました。確かに「誕生日」見出し一覧で記述する方法もあるのですが、やはりその記事にあった方がより印象に残ると思ってそうしました。実際は重複するところもありますけどね。ただPica氏の多量削除はいくら規定の範囲内とはいえやり過ぎかなと思いました。しかもただ冷淡に削除している感じがしたので。今度からは記事ではなくて誕生年日の見出しに記載しようかと思います。--58.3.162.38 2007年1月14日 (日) 14:19 (UTC)[返信]
利用者:Pica会話 / 投稿記録氏の投稿履歴が今回のきっかけ、ですね。人物記事の中で書く場合、それに繋がる出来事などが存在しない場合、「特に必要の無いもの」として扱われる可能性は高いですし、私もそのように考えて提案した次第です。なお、日付記事については、Wikipedia:各日のスタイルガイドがガイドラインとして存在するようです。ご参考まで。--なっしゅびる 2007年1月14日 (日) 15:18 (UTC)[返信]
議論されつくした話だったら申し訳ありませんが、単純に「Category:○月○日生」のようなものを作ればよいのではないでしょうか? カテゴリなら人数が増えてもソートキーをつけておけばきれいに並んでくれるし、日付記事のほうには有名な人物や大きな功績を残した人物だけを載せておけば、肥大化して読みづらくなることも無いと思うのですが・・・。--Monox 2007年1月16日 (火) 15:33 (UTC)[返信]
Template‐ノート:生没年,Wikipedia:削除依頼/誕生日・命日関連カテゴリ--Los688 2007年1月16日 (火) 15:36 (UTC)[返信]
さっそくありがとうございます。なるほどそういう経緯があったのですね。--Monox 2007年1月16日 (火) 16:26 (UTC)[返信]
「○○と生年月日が同じ」という記述は、原則不要と考えます。誕生日の一致などは単なる偶然であり、その人物の説明に寄与する所は少ないと思います。--Yas 2007年3月27日 (火) 14:23 (UTC)[返信]

項目冒頭部分[編集]

項目冒頭部分の記述に関して、執筆者・編集者の趣向により大きな相違があり統一されていません。そもそものスタイルマニュアル及び人物事典等の類に即し、冒頭部分のガイドラインを策定すべきように感じます。

  • 方法としては、歴史人物については、
例:武田晴信(たけだはるのぶ、生年月日)、は日本戦国大名

(本姓)源氏(家系)甲斐源氏嫡流 武田氏(官位)従五位下大膳大夫、後贈従三位。(両親)父:武田信虎、母:大井夫人 (正室)三条夫人(子女)武田義信…。

  • 現代の人物については
現代太郎(読み仮名、生没年月日)(学歴)(経歴)その他履歴。
その他の履歴。学位・爵位その他の称号。位階勲等。賞歴。主な業績やエピソード。あだ名や異名。

等を記し、以下に別項目に年表や詳細な事象を概説するのがよいのではないかと考えます。--海衛士 2007年3月4日 (日) 08:53 (UTC)[返信]

記事となる人物も様々ですし、不特定多数の人が執筆し、かつ、全体的な監修者がいない点から考えても、1つの型にはめるのはなかなか難しいことだろうと思いますが、海衛士さんの提案の感想を書かせていただきます。
まず、歴史人物について。一概に言うのはなかなか難しいのですが、目次が出るほどの大きな記事であれば、冒頭部にはもう少しその人物の簡単な紹介があった方が便利だと思います。例えば、武田信玄ならば、風林火山、甲斐、信濃、上杉謙信、徳川家康、川中島の戦いといったキーワードは欲しいです。これは、その後の本文で必ず重複することになる情報ですが、例えば、記事全体を読む時間はとれないがとりあえずどんな人物か確認しておきたい場合や、別の記事を読んでいる途中で出てきた人物についてちょっと寄り道的に概要だけチェックして直ちに元の記事に戻りたい場合などに、目次の前の部分だけ数分で把握できると便利ですよね。また、王侯貴族について特に、親子関係や婚姻関係で記事をたどっていく場合に、冒頭部に並べてあるよりも、別に節が作ってある記事の方が見つけやすくて便利だと感じています。
次に、現代の人物についてですが、そこにあげられているものは、記事の内容のほとんど全てのような気がします。具体的に、モデルとなるような記事があると分かりやすいと思うのですが。--oxhop 2007年3月5日 (月) 13:45 (UTC)[返信]

例にとった武田信玄について取り上げてみると、(本姓)源氏(家系)甲斐源氏嫡流 武田氏(官位)従五位下大膳大夫、後贈従三位。(両親)父:武田信虎、母:大井夫人、(正室)三条夫人(子女)武田義信…。のようなことは書いてあり、その下に一応の人物の概要は記述されていますね。その意味で、プラスアルファをつけるとすれば、人物の概要でしょうか。 これは、このフォーマットで統一するために余分なものは排除するという意図ではないので、そのあたり確認まで。 現代の人物については、

私は冒頭部分はその人のプロフィールを学歴なら学歴、保有資格、賞歴、主な代表作、異名など端的に書くタイプなのですが、一方でいきなり冒頭部分から、「~(人物)は、大学を卒業し、その後、大学院に進学。博士号を取得、以後大学講師として…」などと、区切らずに文章で書く表現の記事とありますよね。

冒頭に関し、概要として文章を載せるにせよ、前半はプロフィールの要点を端的にまとめた方がよいという意見なので、あのように書きました。--海衛士 2007年3月8日 (木) 08:15 (UTC)[返信]

人物伝の記事の導入部のガイドラインでしたらWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#導入部に既にありますが、これよりもさらに詳細なガイドラインを制定すべきというお考えでしょうか。分野等を超えたあらゆる人物に関する、これよりも詳細なガイドラインを考えることが可能でしょうかね。正直なところやや疑問です。--Cave cattum 2007年3月10日 (土) 02:56 (UTC)[返信]

歴史上の人物は、本姓や家系、官位を掲載するケースがありますが、現代の人物とは当然表記が異なることが考えられます。事典の記事の人物がたまたま徳川や織田など本姓がある家系の方でも現代人なら本姓は平氏とは書かないのと同様、詳細とはいかないまでにも一定の細分化は必要と考えました。まして、ルールではないのなら、推奨するだけの説得性も欲しいところであえて提案した次第。--海衛士 2007年3月25日 (日) 02:48 (UTC)[返信]

定義部の記述内容は項目名である氏名と読み仮名、生没年月日、そしてその人物の特徴を一言で表現したものが第1段落にあれば良いのではないでしょうか? あまり細々としたことを一々調べないと書けないようでは記事を執筆するというウキペディアへのかかわり方の敷居を必要以上に高くしてしまうのではないかと思います。ただ海衛士さんの問題意識も活かしたいですね。そのためにはテンプレートを整備するのが良策だと思います。第2段落以下はその人物の業績や評価についての概略が記載されていれば良いのではないでしょうか。赤い飛行船 2007年5月18日 (金) 11:34 (UTC)[返信]

差別を助長するおそれがあるカテゴリの扱いについて[編集]

現在Wikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物が提起されているように、人物伝の記事に関して、差別を助長するおそれがあるのではないかと考えられるカテゴリが付与される事例があります。類型としては以下のようなものがあります。

  1. 人種など、身体的特徴に基づくカテゴリ(例:Category:障害を持つ人物
  2. 身分や門地など、出生時の環境に基づくカテゴリ
  3. 思想、信教、性向など、ある程度本人の選択に起因する属性に基づくカテゴリ(例:Category:LGBTの人物

2. 3. の扱いについては引き続き議論するとして(個人的には全部不要と考えますが)、1. については付与を制限するガイドラインを制定しても良いのではないでしょうか。制限の方法にも、(A)存命中の人物・歴史上の人物ともに付与禁止、(B)存命中の人物には付与禁止だが歴史上の人物には付与可能、といった運用がありえます。ご意見よろしくお願いします。--Cave cattumWikiMiniAtlasのご紹介 2007年3月15日 (木) 03:08 (UTC)[返信]

  • (1は不要)一言で言えば「何のためにわざわざ振り分ける必要があるのですか?」、です。『必要』とおっしゃる方がいらっしゃるならば、「振り分けが必要な理由」を明示して頂きたい。(理由は後述)東武経験者 2007年3月23日 (金) 00:43 (UTC)[返信]
    • 東武経験者さんの発言中の「わざわざ」に対して強い不快感を覚えます。こういう文脈で「わざわざ」という言葉を用いる場合、「本来不要であるはずなのに、あえて」という意味で用いられており、一方的な偏見を含める目的があるはずです。荒らしでもない限り、その人(今回は私ですが)が必要だと思ったからカテゴリを作ったわけで、いくら東武経験者さんがそのカテゴリを不要だと思ったとしても、そのようなカテゴリを「わざわざ」という言葉で表現するのは「必要だと思って作った人」に対してあまりにも礼を失しているのではないでしょうか。--春野秋葉Talk / Cont. 2007年3月15日 (木) 19:50 (UTC)[返信]

身分や門地ですが、慎重を期すべき問題です。百科事典といえども法的な人権を越える価値というのは存在しないから。と断った上で、しかし、身分や門地を完全否定しても支障をきたさないともいえない。基準が必要だろうと思いますが如何でしょう。 部落差別・人種差別等は一国のみならず世界的課題ですし、意図を問わず結果的であっても、特定の人物の権利侵害や不利益を蒙る恐れはすみやかに除かれるべきでしょう。 但し、例えば徳川家のように徳川恒孝氏が何故、江戸幕府の歴史を扱う財団の長なのか人権と関わりない面でのエピソードは許容しえる範囲に思えます。

ただ、この問題提起に疑問があります。それは率直に「人物伝」とは何ぞやということです。つまり、人物伝の対象が亡くなった方のみとはいいきれませんが、多分に歴史的な事実において関わりある人物を挙げるのが人物伝の意義であるように思えるからです。歴史未満の事象に登場する人物については、人物伝の範疇に入れるべきではないと思う。キング牧師が黒人差別と戦った人権の歴史などもあると、むしろ出自をかかずばなるまい場面もあり、歴史と現代政治・現代社会とはわける必要を感じます。--海衛士 2007年3月17日 (土) 04:07 (UTC)[返信]

上記のうち1の身体的特徴に基づくカテゴリは明らかに不適切であると思われるのですが、2,3についてはCategory:日本の皇族のような、該当するか微妙な例もあるわけですから、要・不要の判断基準について引き続き検討が必要であると思われます。
「ウィキプロジェクト ”人物伝”」という名称は、設置者である私の意図としては、「Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)」との連携を考えて、あえて名づけています。名称は「ウィキプロジェクト 人物」でも良かったかもしれません。本プロジェクトはWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)を補足する意図で設置したものですから、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)が、カバーする範囲として歴史上の人物と存命中の人物の両方を含んでいる以上は、本プロジェクトとしても存命中の人物を扱うべきで、「プロジェクトの扱う範囲を歴史上の人物に限定する」という方向性にはあまり賛成できません。さらに、本プロジェクトの扱う範囲を歴史上の人物に限定した場合、存命中の人物について扱うプロジェクトがどこにもなくなってしまう、という問題もあります。
本プロジェクトの範疇で検討するガイドライン等は、歴史上の人物と存命中の人物とで区分して問題提起しても良いわけですし、必要であれば「ウィキプロジェクト 歴史上の人物」を新たに設置しても良いわけですから、現状の枠組みに特に問題は感じられません。
なお私個人としては、人物伝の記事は、亡くなって30年くらい経って評価が定まってから作成するくらいが、百科事典としては適切であると考えています。--Cave cattumWikiMiniAtlasのご紹介 2007年3月18日 (日) 01:54 (UTC)[返信]
  • (1と2については条件付で賛成。3は『思想、信教』は不要、『性向』については条件付で賛成)Wikipedia‐ノート:削除依頼/Category:障害を持つ人物で議論をする中で気付いたのですが、「自ら公表した人物の場合にはカテゴリーのリストに明記してもいいのではないか?」との考え方に変わりました。当然、カテゴリー自体の名称変更も必要でしょう(Category‐ノート:障害を持つ人物内で提言させて頂いております。Category:帰化日本人の人物Category:在日コリアンの人物も同様かと)。本人は公表していないのにカテゴリーのリストに含めるのはしてはならないことと思います。ゴシップまたはスキャンダルカテゴリーと化す危険性がありますから。裏を返せば、例え故人でも、自ら公表していない場合はカテゴリーには含まない(除外する)べきと思っています。もし、本人自ら公表していなくても、親族が公表していたり歴史を紐解くと明確な場合には、例に挙げれば(私の提案ですが)、カテゴリーには含めず(羅列せず)に、伊達政宗の場合は隻眼の、ベートーヴェンの場合は難聴の内部リンクを張るようにすることで解決すると思います。重要なことなので繰り返し書かせて頂きますが、本人自ら公表した人物のみ該当カテゴリーに記載すべきであり、その件を明確にしたカテゴリー名に改称すべきと思います。東武経験者 2007年3月23日 (金) 00:43 (UTC)[返信]
    • 但し、『思想、信教』の場合には国政などへの影響も強いのは明白ですし、憎悪感を懐いている者(組織的なものも含む)の意図的(謀略や姦策目的で)な記事の改ざんや書き込みなどを誘導する危険性が極めて高い(実際にそのような動きが見受けられます)ので、速やかに削除すべきと思います。
      • 『「わざわざ」に対して強い不快感を覚えます』ですが、それ以前に、Wikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物においても、「名称の理由」は述べて下さいましたが、「振り分けが必要な理由」については明示して頂けなかったことは残念です。これ以上ここで「わざわざ」云々について議論するのは控えさせて頂きます。東武経験者 2007年3月23日 (金) 00:43 (UTC)[返信]
        • 「振り分けが必要な理由」ですか?「障害者は社会的に健常者と区別(「差別」ではありません)されることが多いから」です。社会的に公然と健常者と障害者の区別が行われているのに、ウィキペディアでは障害者個人のみのカテゴリを作ってはいけないという、社会の現状と異なることを東武経験者さんをはじめとする複数の方が主張されるほうが不思議なくらいです。だから今までこの点については書くつもりがなかったのですが、東武経験者さんが「振り分けが必要な理由が明示されなかったことが残念だ」とおっしゃったので書くことにいたしました。障害者個人のみのカテゴリを作ることは「区別」ではなく「差別」につながるから障害者個人のみのカテゴリを作るのを禁止するというのが東武経験者さんたちの主張ですが、紙の百科事典で「差別」につながるから障害者であること(例えば隻眼、隻腕とか)をあえて記載しないものがあったでしょうか?そして、人物伝の本文中で障害者であることを記載することと、本文中で障害者であることが記載されている人物をすべてまとめたカテゴリを作ることとの間にどれほどの違いがあるというのでしょうか?--春野秋葉Talk / Cont. 2007年3月23日 (金) 01:18 (UTC)[返信]
  • 紙の百科事典でも『(本人が公表していないのに勝手に作成された)障害者名簿』なる物は見たことがありません。もし、そのような書物を作成・販売したらどうなるかは火を見るよりも明らかです。一方では、自らの障害や疾患を公表している人物もいる。それに気付いたので「本人自ら公表した人物のみ該当カテゴリーに記載すべきであり、その件を明確にしたカテゴリー名に改称すべき」と再三再四述べさせて頂いているのです。これで私が何を言いたいかお解り頂けるかと思います。
    • もし、「自分が作成したカテゴリーを削除されたり名称を変更されるのが嫌だから」の理由だけで反論を繰り返しているのであれば「それは筋違いで論外です」と申し上げさせて頂きます。東武経験者 2007年3月23日 (金) 03:31 (UTC)[返信]
      • それでは現在視覚障害者身体障害隻眼などに列挙されている該当人物のリストも除去すべきという立場なのですか?それはいいとして、基本的にウィキペディアの記事はすべて「公表されたもの」のみに基づいて書かれている(もしそうでなければプライバシーの侵害です)ということをご理解いただきたいと思います。東武経験者さんが主張していることは「障害者個人をすべてカテゴライズすることは個人の秘密を暴くのに等しいから禁止し、本人自ら公表した者に限定してカテゴライズすべし」というようなことだと思いますが、ウィキペディアに書かれていることはすべて公表されている情報であり、「秘密」でも何でもありません。それを「本人自ら公表した者」に限定するということは、本来「『秘密』でも何でもないものを『秘密』として扱う」ということに他なりません。これはウィキペディアで公表されている情報自体に制限を加えるということであり、中立的な観点に違反します。ウィキペディアのあるところで既に公表されている情報であるにもかかわらず、別のところでは「公表を認めない」とすることが、正しい執筆方針であるとは私は思いません。なお私はカテゴリ名の変更には反対しておりません。あまり長い名前になるのは利便性を損ねると思いますが、それは本論ではありませんので。--春野秋葉Talk / Cont. 2007年3月23日 (金) 10:34 (UTC)[返信]
  • 本人は公表していないのにカテゴリーのリストに含めるのはしてはならないことと思います。ゴシップまたはスキャンダルカテゴリーと化す危険性がありますから。裏を返せば、例え故人でも、自ら公表していない場合はカテゴリーには含まない(除外する)べきと思っています。もし、本人自ら公表していなくても、親族が公表していたり歴史を紐解くと明確な場合には、例に挙げれば(私の提案ですが)、カテゴリーには含めず(羅列せず)に、伊達政宗の場合は隻眼の、ベートーヴェンの場合は難聴の内部リンクを張るようにすることで解決すると思います。の箇所は読んで頂けたのでしょうか?
    • 「現在視覚障害者身体障害隻眼などに列挙されている該当人物のリストも除去すべきという立場なのですか?」とのことですが、「別に無くても差し支えはないんじゃないですか?」ですね。曲解して頂きたくはありませんが。裏を返せば、「既に個別に該当人物のリストが存在しているのであれば、わざわざそれらを一纏めにしたカテゴリーの存在自体が不要でしょう」とも言えますね。かえって重複して煩わしくなるだけですし。
      • そして、ご自身の『「障害者個人をすべてカテゴライズすることは個人の秘密を暴くのに等しいから禁止し、本人自ら公表した者に限定してカテゴライズすべし」というようなことだと思いますが、ウィキペディアに書かれていることはすべて公表されている情報であり、「秘密」でも何でもありません。それを「本人自ら公表した者」に限定するということは、本来「『秘密』でも何でもないものを『秘密』として扱う」ということに他なりません。』の記述の中の『障害者』を、ご自身が下記の場所で例に挙げた、『在日コリアン』に置き換えてみた上で改めて熟考してみて下さい。ここはそのような場です。障害者のみに限定した議論をされたいのであればWikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物へ。他の方々のご迷惑になりますので。東武経験者 2007年3月23日 (金) 11:19 (UTC)[返信]

※差し戻しの上、一部の記述をCategory‐ノート:障害を持つ人物にコピー&ペースト。東武経験者 2007年3月23日 (金) 13:14 (UTC)罠に嵌められたような形になってしまいました…東武経験者 2007年3月24日 (土) 07:33 (UTC)[返信]

  • 改めてCategory:障害を持つ人物の親カテゴリーであるCategory:障害者を見てみたら、「他の場所で合意を形成した上で作成されています」とのことであればお詫び申し上げますが、Category‐ノート:障害者など(他に作成議論が出来る場所があれば教えて頂きたいのですが)での議論をせずに独断で作成されたカテゴリーのようです。これはここに取り上げられている他のカテゴリーにも言えることではないでしょうか?
    • このような事態を防ぐためにも、差別を助長するおそれがあるもののみならず、『議論を経ての合意を得ずにカテゴリーを作成することは禁止する』くらいの、極論ですが、規則の制定も必要なのかもしれません。そして、『誰もが分かり易い(目立つ場所)にカテゴリー作成議論が行なわれている項目のノートなどを案内するシステム』の設定も必要かと思われます。様々な問題は出てくるかとは思いますが、少なくとも「一個人での判断によるカテゴリー作成は回避出来る」と思います。同時に、差別を助長するおそれがあるカテゴリーの作成を抑制することも可能かと思われます。いかがでしょうか?東武経験者 2007年3月24日 (土) 14:39 (UTC)[返信]
  • 私は"斜視"を持っておりますが、仮に"斜視を持っている人物"と言うカテゴリーがあって、そこに歴史に名を残したような人物があれば、励みにして生きていこうという気持ちになると思います。障害のカテゴリーが即不要との考えや、必要性が無いと切り捨てることには反対致します。--Kk8998982 2007年3月25日 (日) 00:04 (UTC)[返信]
  • (コメント)当事者の方のご意見が伺えて幸いです。Wikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物への参加や投票もお願い申し上げます。現状を見ますと健常者寄りの記述が目立ちますので。(追記)ご存知でしたね…失礼致しました。

Category:引揚者というカテゴリが作られていますので、関係プロジェクトであるこちらに報告いたします。以前から気になっていたCategory:被爆者も、ここで扱うべきカテゴリでしょうか?引揚体験も被爆体験も決して恥ずべきことではありませんが。--125.173.57.210 2007年4月23日 (月) 03:26 (UTC)[返信]

  • 引揚者は出生時の場所。被爆者はそれに起因する身体的外傷などによる差別を想定してるのでしょうが、各々のノートで議論して差別に当たるとなったらこちらへ持ってくるのがいいと思う。--Mmm25967 2007年4月24日 (火) 10:25 (UTC)[返信]

学位の取扱について[編集]

人物の項目における学位の取り扱いの問題について。日本では学士の学位が一般的過ぎて明記する習慣がありませんが、私はWIkipeidaの日本語版であり、国際的な百科事典であることを考慮し、また、保有称号があれば明記すると案内しているスタイルマニュアルの趣旨に基づき、学士の学位を含めたプロフィールの記述をしています。 そこでよく問題になるのですが、1991年の学校教育法及び学位規則改正により旧制の学士号は称号であり、改正後の学士の学位と区別する観点から、従前の学士号は学位でないとの理由を以って記述を改めたり削除する動きがまま見られます。

例えば、学位は経済学士(東京大学)とあるところ、記述をすべて消すか、或いは学士とのみ明記することがよくあります。 しかし、学校教育法の一部を改正する法律(平成3年法律第23号)附則第4項では従前の学士号は学位と看做す旨、明記されており、旧制の学士号も含めて学位として取り扱われるべきだと思います。 特に学位を学士とのみ表記することについて。確かに法律上、学士号は学士が正式ですが、学位規則上は専門分野を括弧付きで併記することが可能とされており、卒業証書・学位記では括弧付きとし、ディプロマミルとの区別のため、授与機関(大学等)を併記することが一般的であると思います。そのため、学士号は旧制の場合、●●学士(授与機関名)とし新制の場合学士(専門領域)(授与機関名)と表記すべきだと考えますが皆様のご見解は如何でしょうか。--海衛士 2007年5月9日 (水) 05:30 (UTC)[返信]

その人物についての「紹介記述の流れに沿って自然でかつ前向きな説明」になるのがよいのではないでしょうか。その人物が「経済学を修めた」ということが「その人物についての積極的で判りやすい紹介記述」をする上で重要であると考えられるならば「博士」や「修士」でなくとも「何を専攻したか(旧制、新制にかかわらず)」を適切な記述で表記するのが自然だと思います。「授与機関名」の併記は必要でしょうねぇ(おそらく無いと不自然でしょうから)。--Yuichiokubo2007年5月11日 (金) 17:29 (UTC)[返信]

質問:享年の扱いについて[編集]

はじめまして。ミュージシャンの項目をあれこれ見ていたのですが、享年XX歳という表記を見ました。享年というのは、年齢ではなく、天から賜わった年数といった意味で、享年XX と表記するのが正しいと教わった記憶があります。一般の出版物でも表記はまちまちですが、こちらではどのようにしているのでしょうか? 統一されているのでしょうか? 教えてください。 --88keys 2007年5月9日 (水) 16:32 (UTC)[返信]

享年の記事を読めば大体のことはつかめると思います。結論から言えば「つけてもつけなくてもかまわない」ということです。現在のところ、ウィキペディア日本語版では没年齢の記述について統一された方針はありません。--蒼い眼の女神の【春野秋葉】 2007年5月9日 (水) 16:57 (UTC)[返信]
統一された方針はありませんが、享年という表現は極力使わないようにするのが良いと思います。享年という言葉は仏教用語であり仏教徒に用いるのは構わないのですが、他の宗教を信仰していた人に用いるのはうまくありません。特に必要がない限り宗教について触れる必要はないでしょう。してみれば、享年という表現を使わないでも死没時の年齢を表記することはできるのですから、避けるべきと考えます。もし使われるのであれば、本来は88keysさんの言われるように歳をつけないものですから、そのように対応するのが良いと思います。ただし、わざわざ歳を取るだけの編集をすることはすべきでありません。他の編集のついでに修正するに留めておいて構わないと思います。赤い飛行船 2007年5月10日 (木) 00:27 (UTC)[返信]

分野によりけりだと思います。歴史学分野とりわけ近代史でそのルールを適用されてはたまらないのです。ほぼすべて享年の概念を使う史料が多いのですから。ケースバイケースであるべき。--海衛士 2007年5月16日 (水) 01:37 (UTC)[返信]

海衛士さんが何を心配されているのかわかりません。「享年」という表現を絶対使うなと言っているわけでもないし、享年という言葉の意味合いを理解するなら、その使用は当然ケースバイケースになるでしょう。また新規に執筆される場合には「歳」をつけずにおけばいいのであって、既存の記事からわざわざ「歳」を取るだけの編集するをするような緊急性のあるものでもないと思います。ついでのときに本来の使い方である歳のない形にすればいいのですから。ところで、本来享年は数え年で用いるのですが、今は満年齢で使われることが一般化していますね。さてさてどうしたものか・・・。 赤い飛行船 2007年5月16日 (水) 12:52 (UTC)[返信]

ぞんざいな表現で失礼しました。特に大袈裟な心配はしていません。そのように仰せ下さるなら特に何もありません。ただ、懸案とされる享年の年齢についてですが、現代人は完全に満でいいと思います。余計な混乱がないので。幕末あたりの人物は太陽暦と太陰暦の暦を併用する機会もあり、年齢の数えも現代と違うので、満年齢と数え年を併記するのがいいと思います。--海衛士 2007年5月17日 (木) 01:42 (UTC)[返信]

どうみても仏教徒でない人の記事にまで「享年」としている無神経な記事が散見されますので「享年を避ける」としたのですが、私の意図よりも強い調子と受け止められたのかもしれませんね。配慮が足りませんでした。ごめんなさい。一言言わせていただいたわけは先述のとおりです。年齢の数え方は基本的に満年齢にしておきますかね。数え年の場合は断り書きを入れておくと。赤い飛行船 2007年5月17日 (木) 14:09 (UTC)[返信]

そういえば、人物関係の何かのテンプレートに生年月日と没年月日を両方入力すると、自動で(享年○○)と表示するものがあったはずです。存命の人物の記事に、荒らしが勝手にその日の日付を没年月日として入力していたので気がついたのですが。しかも数え年で計算していたので、完全に仏教を前提にしているとしか思えません。惜しむらくは、どの記事だったのかもどのテンプレートだったのかも忘れてしまったのでどれがそうだとはいえないことなのですが。--《蒼輝煌》春野秋葉 2007年5月17日 (木) 10:14 (UTC)[返信]

うわっ、そんなテンプレートがあるんですか?特定されてから考えましょうか? 赤い飛行船 2007年5月17日 (木) 14:09 (UTC)[返信]
Google検索でざっと見ただけでもTemplate:ActorActressTemplate:声優Template:女性モデルTemplate:AV女優の4つも見つかりました。わざわざ表示例で「100歳(享年101)」なんて出しています。--《蒼輝煌》春野秋葉 2007年5月17日 (木) 14:24 (UTC)[返信]
それは「享年」のみ外してもらうしかないでしょう。ところでそのテンブレ作った人は享年とは数え年で勘定するものと捕らえているようですね。赤い飛行船 2007年5月20日 (日) 16:01 (UTC)[返信]

人物伝と、分野人としての記述[編集]

下位プロジェクトWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 音楽家でも同様に提案しているのですが、人物伝としての記述とその人物の分野に関する記述(の節)は、記事を書く上でどちらを上に(もしくは下に)もって来るべきでしょうか。どの分野でもその辺りがごちゃごちゃというかばらばらな状態なので、はっきりさせたいのですが・・・。もしくは、そういったことに関するガイドラインなどがありましたら、誘導していただけるとありがたいです。--航汰 2007年6月5日 (火) 07:41 (UTC)[返信]

通名を使用している在日コリアンの本名の記述について[編集]

厳密には「人物伝」ではないのですが、ここで質問します。jawpにある企業の記事があります。その企業は公安委員会の許認可を必要とする業種であり、告示としてその企業の社名と代表取締役の氏名が記載されますが、その告示には代表取締役の氏名が「代表取締役 春野秋葉 こと 李秋葉」(これは架空の氏名です)のように通名と本名の両方が表記されており、この企業の代表取締役は在日コリアンと推定されます。この告示はPDFファイルですが、Webにも上げられています。

しかし、その企業の公式サイトの会社説明のページには「代表取締役 春野秋葉」と通名のみが記載されており、本名の「李秋葉」は記載されていません。株式非公開の会社ですので、IR情報もなく、その企業の公式サイトだけでは「李秋葉」という本名を知ることはできません。ここから、この会社の代表取締役は通名を主に使用しており、本名を使用するのは、本名で申請することが必要である公安委員会の申請などに限っていると推測できます。

あるとき、jawpのこの企業の記事の代表取締役の氏名が「春野秋葉」から「春野秋葉 こと 李秋葉」に書き換えられ、その出典として公安委員会のPDFファイルへのリンクが添えられていました。私は前述の推測を理由に「積極的に実名を用いて活動していない」と判断し、人物伝のスタイルマニュアルに「本人が公開していないとき、あるいは公開を歓迎していないときには、(中略)本名は書かないで下さい」と書かれていることを理由に、氏名が「春野秋葉」の版にリバートしました。しかし、「春野秋葉 こと 李秋葉」に書き換えた人が「出典もちゃんと記載している」と要約欄に書いて「春野秋葉 こと 李秋葉」の版に再びリバートされました。

私は納得がいかないので、スタイルマニュアルの根拠となっているWikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してを理由に氏名が「春野秋葉 こと 李秋葉」と書き換えられた版の緊急特定版削除を依頼しました。しかし、私以外の全員が存続票を入れ、その理由は「これを削除するのは中立的な観点から見ても隠蔽にほかならない」「犯罪暦などではないのだから被公開者の不利益となる情報とはいえない」「依頼者独自の基準による理由」となっています。

私は普段通名を用いている在日コリアンの本名もプライバシーとして保護されるべきであり、殊更に本名を記述しようとする編集は中立的な観点以前にプライバシー侵害として否定されるべきだと思うのですが、そのように考えない人も多いようです。皆様はどのようにお考えになるでしょうか。--春野秋葉 shining blue 2007年6月5日 (火) 12:10 (UTC)[返信]

当方は、その特定版削除依頼の投票に参加しておらず(存在すら知らず)どういう方々がどういうコメントとともに賛成表明されていたのか存じ上げないので、決めつけ的なことを申し上げるのは厳に慎むべきなのだとは思いますが、敢えていいます。それら賛成投票をした方々は、大変失礼ながら、官公庁による告示・公示というものへの造詣がかなり低いと言わざるを得ません。国の機関が告示・公示等で、ある民間団体の名称・民間人の氏名を掲示している、だから百科事典でも永続的に掲示してよい、ということは決してありません。もしそれが自動的に許されるのであれば、(1)国の機関誌である官報に告示される在日外国人の帰化情報、(2)官報に公示される破産者の個人情報、(3)裁判所の門前の掲示板に貼られる今日の公判の被告人名、なども全部百科事典で永続的に曝露し続けてかまわない、となってしまいます。そんな馬鹿な話はありません。たとえ官公庁の公示に載っていても、その内容・趣旨・形態などを考慮して可否の判断をすべきであって、公安委員会のサイトで載っているから検証性ありで掲載可、などという意見はまさしく噴飯モノです。第一、公安委員会のその掲示ぶりだと、在日外国人の氏名の適用方法には次の諸形態が考えられます。
  • 本人の意向に関係なく公示する制度である場合
    • A.問答無用で本名のみ
    • B.外国人登録証明書に併記されている通名(日本名)のみ
    • C.本名と外国人登録証明書で併記されている通名の両方
  • 本人の意向を尊重して公示する制度である場合
    • D.先祖からもらった名前を尊重し堂々と本名のみ
    • E.普段通名で活動してるので通名のみ
    • F.両方載せてもらってかまわないので両方
当方は本件については、B.とE.の通名のみというのは元々認められていないと思います(公的機関は通名併記はOKしても本名隠匿は認めないと思うので)。おそらくはC.とF.のうちF.なのではないかと、勝手に推測しています。最近の役所は人権批判に結構敏感なので、むやみやたらに本名・通名の扱いを一方的に強要しているとは考えにくいです。公安委員会の申請書に社長さんが本名を書くのは当然として、自主的に通名を連記していれば公示にも通名も書く、連記がなければ本名(非日本語名)のみ公示、といった感じではないでしょうか。あくまで推測ですが。
いやしくも公安委員会という都道府県の公的組織の公示で、わざわざ通名に言及している。この点をとっても、本件の代表取締役氏が少なくともD.の本名原理主義者でないことは間違いないと思います。本当は本名も明かしたくないが制度上やむを得ないので申請書に本名は書く。でも普段の社会活動は通名だから通名も書く。そんなところだったのではないでしょうか。
公的な書類に本名の掲示があるからあけすけに使ってOK、こんな暴論はありません。きちんとその制度の背景なども踏まえ、真に母国語の本名を百科事典に掲載してもいいのかどうか、慎重な配慮・検討が必要だと思います。余談ですが、前記(1)で述べた帰化情報、有料官報検索(1か月2100円)すれば、2ちゃんねるで度々話題になる有名人の帰化情報の真贋などすぐ調査できます。そうですね、2ちゃんで流れる「有名人の帰化人認定カキコ」6割くらいは当たり、4割くらいは事実無根、といったところでしょうか。でも、当方はその官報検索で得た帰化情報を百科事典に書き込むことはしません(ごく一部自ら明言している人については別ですが)。データがあるから、検証できるから、速攻で載せていい・・・ そんな短絡的なことで、ひと様の名前を扱ってはいけないと思います。--無言雀師 2007年6月5日 (火) 16:07 (UTC)[返信]
いまその削除依頼を拝見し、削除意見で投票してきました。公示された公的文書での本名記載=本人が本名公開に同意している、と認識している人がいて、少々驚きました。--無言雀師 2007年6月5日 (火) 16:35 (UTC)[返信]
判断の難しい問題ですが、私はプライバシー侵害のおそれを理由に削除すべきと考えます。Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してにおいては、刑事事件の犯人の実名が、官公庁(警察)がマスコミに対して発表する情報であり、公知の情報であるにもかかわらす、プライバシー問題を理由に削除対象とされています。この背景として、犯人の実名は現時点では公知ではあるけれども、日本国では服役囚であった事実を公開されない権利があることから、ウィキペディアが存続するであろう数十年後を考えたときには公知とは言えないという判断があるものと思います。
さて問題のケースですが、当該代表取締役の本名は、官公庁(公安委員会)が告示している情報であり、現時点では公知といえます。しかし、代表取締役が交代すれば公安委員会の告示も終了します。従って、ウィキペディアが存続するであろう数十年後を考えたときには公知とは言えないと思います。--Cave cattum 2007年6月6日 (水) 11:05 (UTC)[返信]

思想・信教・性向などに基づくカテゴリの一般原則について[編集]

人物の思想・信教・性向などに基づくカテゴリについては、これまでも削除依頼で取り上げられ議論となってきました(例えばWikipedia:削除依頼/Category:キリスト教徒)。今回この場で、「思想・信教・性向などに基づくカテゴリは作成しない」という一般原則を明確化すべきと提案します。

思想・信教・性向などに基づくカテゴリが不適切である理由は以下の通りです。

  • 思想・信教・性向は人物の内面的な問題であり客観的な検証が困難である。
  • 人物はいくつもの思想・信教・性向を同時に併せ持っている。一人の人物が民主主義者かつ資本主義者かつ国家主義者かつキリスト教徒かつ菜食主義者かつサッカーファンかつ愛犬家などということはよくあることである。それらの全てについてカテゴリ分類を完遂することなど不可能である。
  • 思想・信教・性向は生涯の間にしばしば変わる。共産主義から資本主義に転向したなどということはよくあることである。
  • Maris stella さんが指摘されている通り、特定の文化圏などではうまく適用できるが、インターナショナルに適用しようとするとニュートラルでなくなる場合がある。

ただし、思想や宗教の提唱・普及の面で功績を残した人物についてはカテゴリ設定が可能でしょう。カテゴリは「○○教指導者」「○○主義思想家」といった名称になるはずです。

LGBTの例でいえば、Category:LGBT人権活動家はカテゴリ設定可能、Category:LGBTの人物は不可となります。--猪山人 2006年12月29日 (金) 10:25 (UTC)[返信]

記事のノートでの議論は、ノート:米原万里#「日本共産党のカテゴリが適切」に異議を申し上げますノート:久本雅美#カテゴリについて、など。
カテゴリのノートでは現在、Category‐ノート:日本共産党の人物にて議論があります。ご意見をください。

--試案橋 2007年7月24日 (火) 04:56 (UTC)[返信]

「○○と生年月日が同じ」という記述について[編集]

当初、井戸端で質問され、Wikipedia:ウィキプロジェクト 芸能人でも提案されかけたのですが、特定版削除に巻き込まれたのと、芸能人だけではない問題と考え、こちらで提案します。現状、書く人物の記事にそれぞれ、見出しのような記述がなされるケースが多々有るのですが…正直、日付記事が有るのなら、そちらの「誕生日」見出し一覧で記述出来ると考えられます。ただし、これをやりすぎると、今度は日付記事の方で整理が必要になってくる、という問題も有りますが、ここはまた別に議論する内容、と考えます。--なっしゅびる 2007年1月9日 (火) 12:59 (UTC)[返信]

『トリビアの泉』のネタのような話ですが、誕生日が同じ人物はウィキペディアに記事がある人物だけでも何十人もいるわけですからキリがないですね。「○○と生年月日が同じ、と記述するのではなく日付記事のほうを充実させるのにご協力ください」ということをガイドライン化すべきでしょうか?--猪山人 2007年1月13日 (土) 12:16 (UTC)[返信]
細部記述に関わる話ではありますが、記事のメンテナンス性を上げるという点で、注意としての一文は入れておいても良い、と考えます。さらに人物伝記事においては、スタイルマニュアルとして、生年月日の月日に、日付記事へのリンクを行うようなフォーマットを提示していますしねぇ。--なっしゅびる 2007年1月14日 (日) 08:20 (UTC)[返信]
自分もたまに投稿するのですが、記事にその一文を載せても問題ないと思いました。確かに「誕生日」見出し一覧で記述する方法もあるのですが、やはりその記事にあった方がより印象に残ると思ってそうしました。実際は重複するところもありますけどね。ただPica氏の多量削除はいくら規定の範囲内とはいえやり過ぎかなと思いました。しかもただ冷淡に削除している感じがしたので。今度からは記事ではなくて誕生年日の見出しに記載しようかと思います。--58.3.162.38 2007年1月14日 (日) 14:19 (UTC)[返信]
利用者:Pica会話 / 投稿記録氏の投稿履歴が今回のきっかけ、ですね。人物記事の中で書く場合、それに繋がる出来事などが存在しない場合、「特に必要の無いもの」として扱われる可能性は高いですし、私もそのように考えて提案した次第です。なお、日付記事については、Wikipedia:各日のスタイルガイドがガイドラインとして存在するようです。ご参考まで。--なっしゅびる 2007年1月14日 (日) 15:18 (UTC)[返信]
議論されつくした話だったら申し訳ありませんが、単純に「Category:○月○日生」のようなものを作ればよいのではないでしょうか? カテゴリなら人数が増えてもソートキーをつけておけばきれいに並んでくれるし、日付記事のほうには有名な人物や大きな功績を残した人物だけを載せておけば、肥大化して読みづらくなることも無いと思うのですが・・・。--Monox 2007年1月16日 (火) 15:33 (UTC)[返信]
Template‐ノート:生没年,Wikipedia:削除依頼/誕生日・命日関連カテゴリ--Los688 2007年1月16日 (火) 15:36 (UTC)[返信]
さっそくありがとうございます。なるほどそういう経緯があったのですね。--Monox 2007年1月16日 (火) 16:26 (UTC)[返信]
「○○と生年月日が同じ」という記述は、原則不要と考えます。誕生日の一致などは単なる偶然であり、その人物の説明に寄与する所は少ないと思います。--Yas 2007年3月27日 (火) 14:23 (UTC)[返信]

項目冒頭部分[編集]

項目冒頭部分の記述に関して、執筆者・編集者の趣向により大きな相違があり統一されていません。そもそものスタイルマニュアル及び人物事典等の類に即し、冒頭部分のガイドラインを策定すべきように感じます。

  • 方法としては、歴史人物については、
例:武田晴信(たけだはるのぶ、生年月日)、は日本戦国大名

(本姓)源氏(家系)甲斐源氏嫡流 武田氏(官位)従五位下大膳大夫、後贈従三位。(両親)父:武田信虎、母:大井夫人 (正室)三条夫人(子女)武田義信…。

  • 現代の人物については
現代太郎(読み仮名、生没年月日)(学歴)(経歴)その他履歴。
その他の履歴。学位・爵位その他の称号。位階勲等。賞歴。主な業績やエピソード。あだ名や異名。

等を記し、以下に別項目に年表や詳細な事象を概説するのがよいのではないかと考えます。--海衛士 2007年3月4日 (日) 08:53 (UTC)[返信]

記事となる人物も様々ですし、不特定多数の人が執筆し、かつ、全体的な監修者がいない点から考えても、1つの型にはめるのはなかなか難しいことだろうと思いますが、海衛士さんの提案の感想を書かせていただきます。
まず、歴史人物について。一概に言うのはなかなか難しいのですが、目次が出るほどの大きな記事であれば、冒頭部にはもう少しその人物の簡単な紹介があった方が便利だと思います。例えば、武田信玄ならば、風林火山、甲斐、信濃、上杉謙信、徳川家康、川中島の戦いといったキーワードは欲しいです。これは、その後の本文で必ず重複することになる情報ですが、例えば、記事全体を読む時間はとれないがとりあえずどんな人物か確認しておきたい場合や、別の記事を読んでいる途中で出てきた人物についてちょっと寄り道的に概要だけチェックして直ちに元の記事に戻りたい場合などに、目次の前の部分だけ数分で把握できると便利ですよね。また、王侯貴族について特に、親子関係や婚姻関係で記事をたどっていく場合に、冒頭部に並べてあるよりも、別に節が作ってある記事の方が見つけやすくて便利だと感じています。
次に、現代の人物についてですが、そこにあげられているものは、記事の内容のほとんど全てのような気がします。具体的に、モデルとなるような記事があると分かりやすいと思うのですが。--oxhop 2007年3月5日 (月) 13:45 (UTC)[返信]

例にとった武田信玄について取り上げてみると、(本姓)源氏(家系)甲斐源氏嫡流 武田氏(官位)従五位下大膳大夫、後贈従三位。(両親)父:武田信虎、母:大井夫人、(正室)三条夫人(子女)武田義信…。のようなことは書いてあり、その下に一応の人物の概要は記述されていますね。その意味で、プラスアルファをつけるとすれば、人物の概要でしょうか。 これは、このフォーマットで統一するために余分なものは排除するという意図ではないので、そのあたり確認まで。 現代の人物については、

私は冒頭部分はその人のプロフィールを学歴なら学歴、保有資格、賞歴、主な代表作、異名など端的に書くタイプなのですが、一方でいきなり冒頭部分から、「~(人物)は、大学を卒業し、その後、大学院に進学。博士号を取得、以後大学講師として…」などと、区切らずに文章で書く表現の記事とありますよね。

冒頭に関し、概要として文章を載せるにせよ、前半はプロフィールの要点を端的にまとめた方がよいという意見なので、あのように書きました。--海衛士 2007年3月8日 (木) 08:15 (UTC)[返信]

人物伝の記事の導入部のガイドラインでしたらWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)#導入部に既にありますが、これよりもさらに詳細なガイドラインを制定すべきというお考えでしょうか。分野等を超えたあらゆる人物に関する、これよりも詳細なガイドラインを考えることが可能でしょうかね。正直なところやや疑問です。--Cave cattum 2007年3月10日 (土) 02:56 (UTC)[返信]

歴史上の人物は、本姓や家系、官位を掲載するケースがありますが、現代の人物とは当然表記が異なることが考えられます。事典の記事の人物がたまたま徳川や織田など本姓がある家系の方でも現代人なら本姓は平氏とは書かないのと同様、詳細とはいかないまでにも一定の細分化は必要と考えました。まして、ルールではないのなら、推奨するだけの説得性も欲しいところであえて提案した次第。--海衛士 2007年3月25日 (日) 02:48 (UTC)[返信]

定義部の記述内容は項目名である氏名と読み仮名、生没年月日、そしてその人物の特徴を一言で表現したものが第1段落にあれば良いのではないでしょうか? あまり細々としたことを一々調べないと書けないようでは記事を執筆するというウキペディアへのかかわり方の敷居を必要以上に高くしてしまうのではないかと思います。ただ海衛士さんの問題意識も活かしたいですね。そのためにはテンプレートを整備するのが良策だと思います。第2段落以下はその人物の業績や評価についての概略が記載されていれば良いのではないでしょうか。赤い飛行船 2007年5月18日 (金) 11:34 (UTC)[返信]

差別を助長するおそれがあるカテゴリの扱いについて[編集]

現在Wikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物が提起されているように、人物伝の記事に関して、差別を助長するおそれがあるのではないかと考えられるカテゴリが付与される事例があります。類型としては以下のようなものがあります。

  1. 人種など、身体的特徴に基づくカテゴリ(例:Category:障害を持つ人物
  2. 身分や門地など、出生時の環境に基づくカテゴリ
  3. 思想、信教、性向など、ある程度本人の選択に起因する属性に基づくカテゴリ(例:Category:LGBTの人物

2. 3. の扱いについては引き続き議論するとして(個人的には全部不要と考えますが)、1. については付与を制限するガイドラインを制定しても良いのではないでしょうか。制限の方法にも、(A)存命中の人物・歴史上の人物ともに付与禁止、(B)存命中の人物には付与禁止だが歴史上の人物には付与可能、といった運用がありえます。ご意見よろしくお願いします。--Cave cattumWikiMiniAtlasのご紹介 2007年3月15日 (木) 03:08 (UTC)[返信]

  • (1は不要)一言で言えば「何のためにわざわざ振り分ける必要があるのですか?」、です。『必要』とおっしゃる方がいらっしゃるならば、「振り分けが必要な理由」を明示して頂きたい。(理由は後述)東武経験者 2007年3月23日 (金) 00:43 (UTC)[返信]
    • 東武経験者さんの発言中の「わざわざ」に対して強い不快感を覚えます。こういう文脈で「わざわざ」という言葉を用いる場合、「本来不要であるはずなのに、あえて」という意味で用いられており、一方的な偏見を含める目的があるはずです。荒らしでもない限り、その人(今回は私ですが)が必要だと思ったからカテゴリを作ったわけで、いくら東武経験者さんがそのカテゴリを不要だと思ったとしても、そのようなカテゴリを「わざわざ」という言葉で表現するのは「必要だと思って作った人」に対してあまりにも礼を失しているのではないでしょうか。--春野秋葉Talk / Cont. 2007年3月15日 (木) 19:50 (UTC)[返信]

身分や門地ですが、慎重を期すべき問題です。百科事典といえども法的な人権を越える価値というのは存在しないから。と断った上で、しかし、身分や門地を完全否定しても支障をきたさないともいえない。基準が必要だろうと思いますが如何でしょう。 部落差別・人種差別等は一国のみならず世界的課題ですし、意図を問わず結果的であっても、特定の人物の権利侵害や不利益を蒙る恐れはすみやかに除かれるべきでしょう。 但し、例えば徳川家のように徳川恒孝氏が何故、江戸幕府の歴史を扱う財団の長なのか人権と関わりない面でのエピソードは許容しえる範囲に思えます。

ただ、この問題提起に疑問があります。それは率直に「人物伝」とは何ぞやということです。つまり、人物伝の対象が亡くなった方のみとはいいきれませんが、多分に歴史的な事実において関わりある人物を挙げるのが人物伝の意義であるように思えるからです。歴史未満の事象に登場する人物については、人物伝の範疇に入れるべきではないと思う。キング牧師が黒人差別と戦った人権の歴史などもあると、むしろ出自をかかずばなるまい場面もあり、歴史と現代政治・現代社会とはわける必要を感じます。--海衛士 2007年3月17日 (土) 04:07 (UTC)[返信]

上記のうち1の身体的特徴に基づくカテゴリは明らかに不適切であると思われるのですが、2,3についてはCategory:日本の皇族のような、該当するか微妙な例もあるわけですから、要・不要の判断基準について引き続き検討が必要であると思われます。
「ウィキプロジェクト ”人物伝”」という名称は、設置者である私の意図としては、「Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)」との連携を考えて、あえて名づけています。名称は「ウィキプロジェクト 人物」でも良かったかもしれません。本プロジェクトはWikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)を補足する意図で設置したものですから、Wikipedia:スタイルマニュアル (人物伝)が、カバーする範囲として歴史上の人物と存命中の人物の両方を含んでいる以上は、本プロジェクトとしても存命中の人物を扱うべきで、「プロジェクトの扱う範囲を歴史上の人物に限定する」という方向性にはあまり賛成できません。さらに、本プロジェクトの扱う範囲を歴史上の人物に限定した場合、存命中の人物について扱うプロジェクトがどこにもなくなってしまう、という問題もあります。
本プロジェクトの範疇で検討するガイドライン等は、歴史上の人物と存命中の人物とで区分して問題提起しても良いわけですし、必要であれば「ウィキプロジェクト 歴史上の人物」を新たに設置しても良いわけですから、現状の枠組みに特に問題は感じられません。
なお私個人としては、人物伝の記事は、亡くなって30年くらい経って評価が定まってから作成するくらいが、百科事典としては適切であると考えています。--Cave cattumWikiMiniAtlasのご紹介 2007年3月18日 (日) 01:54 (UTC)[返信]
  • (1と2については条件付で賛成。3は『思想、信教』は不要、『性向』については条件付で賛成)Wikipedia‐ノート:削除依頼/Category:障害を持つ人物で議論をする中で気付いたのですが、「自ら公表した人物の場合にはカテゴリーのリストに明記してもいいのではないか?」との考え方に変わりました。当然、カテゴリー自体の名称変更も必要でしょう(Category‐ノート:障害を持つ人物内で提言させて頂いております。Category:帰化日本人の人物Category:在日コリアンの人物も同様かと)。本人は公表していないのにカテゴリーのリストに含めるのはしてはならないことと思います。ゴシップまたはスキャンダルカテゴリーと化す危険性がありますから。裏を返せば、例え故人でも、自ら公表していない場合はカテゴリーには含まない(除外する)べきと思っています。もし、本人自ら公表していなくても、親族が公表していたり歴史を紐解くと明確な場合には、例に挙げれば(私の提案ですが)、カテゴリーには含めず(羅列せず)に、伊達政宗の場合は隻眼の、ベートーヴェンの場合は難聴の内部リンクを張るようにすることで解決すると思います。重要なことなので繰り返し書かせて頂きますが、本人自ら公表した人物のみ該当カテゴリーに記載すべきであり、その件を明確にしたカテゴリー名に改称すべきと思います。東武経験者 2007年3月23日 (金) 00:43 (UTC)[返信]
    • 但し、『思想、信教』の場合には国政などへの影響も強いのは明白ですし、憎悪感を懐いている者(組織的なものも含む)の意図的(謀略や姦策目的で)な記事の改ざんや書き込みなどを誘導する危険性が極めて高い(実際にそのような動きが見受けられます)ので、速やかに削除すべきと思います。
      • 『「わざわざ」に対して強い不快感を覚えます』ですが、それ以前に、Wikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物においても、「名称の理由」は述べて下さいましたが、「振り分けが必要な理由」については明示して頂けなかったことは残念です。これ以上ここで「わざわざ」云々について議論するのは控えさせて頂きます。東武経験者 2007年3月23日 (金) 00:43 (UTC)[返信]
        • 「振り分けが必要な理由」ですか?「障害者は社会的に健常者と区別(「差別」ではありません)されることが多いから」です。社会的に公然と健常者と障害者の区別が行われているのに、ウィキペディアでは障害者個人のみのカテゴリを作ってはいけないという、社会の現状と異なることを東武経験者さんをはじめとする複数の方が主張されるほうが不思議なくらいです。だから今までこの点については書くつもりがなかったのですが、東武経験者さんが「振り分けが必要な理由が明示されなかったことが残念だ」とおっしゃったので書くことにいたしました。障害者個人のみのカテゴリを作ることは「区別」ではなく「差別」につながるから障害者個人のみのカテゴリを作るのを禁止するというのが東武経験者さんたちの主張ですが、紙の百科事典で「差別」につながるから障害者であること(例えば隻眼、隻腕とか)をあえて記載しないものがあったでしょうか?そして、人物伝の本文中で障害者であることを記載することと、本文中で障害者であることが記載されている人物をすべてまとめたカテゴリを作ることとの間にどれほどの違いがあるというのでしょうか?--春野秋葉Talk / Cont. 2007年3月23日 (金) 01:18 (UTC)[返信]
  • 紙の百科事典でも『(本人が公表していないのに勝手に作成された)障害者名簿』なる物は見たことがありません。もし、そのような書物を作成・販売したらどうなるかは火を見るよりも明らかです。一方では、自らの障害や疾患を公表している人物もいる。それに気付いたので「本人自ら公表した人物のみ該当カテゴリーに記載すべきであり、その件を明確にしたカテゴリー名に改称すべき」と再三再四述べさせて頂いているのです。これで私が何を言いたいかお解り頂けるかと思います。
    • もし、「自分が作成したカテゴリーを削除されたり名称を変更されるのが嫌だから」の理由だけで反論を繰り返しているのであれば「それは筋違いで論外です」と申し上げさせて頂きます。東武経験者 2007年3月23日 (金) 03:31 (UTC)[返信]
      • それでは現在視覚障害者身体障害隻眼などに列挙されている該当人物のリストも除去すべきという立場なのですか?それはいいとして、基本的にウィキペディアの記事はすべて「公表されたもの」のみに基づいて書かれている(もしそうでなければプライバシーの侵害です)ということをご理解いただきたいと思います。東武経験者さんが主張していることは「障害者個人をすべてカテゴライズすることは個人の秘密を暴くのに等しいから禁止し、本人自ら公表した者に限定してカテゴライズすべし」というようなことだと思いますが、ウィキペディアに書かれていることはすべて公表されている情報であり、「秘密」でも何でもありません。それを「本人自ら公表した者」に限定するということは、本来「『秘密』でも何でもないものを『秘密』として扱う」ということに他なりません。これはウィキペディアで公表されている情報自体に制限を加えるということであり、中立的な観点に違反します。ウィキペディアのあるところで既に公表されている情報であるにもかかわらず、別のところでは「公表を認めない」とすることが、正しい執筆方針であるとは私は思いません。なお私はカテゴリ名の変更には反対しておりません。あまり長い名前になるのは利便性を損ねると思いますが、それは本論ではありませんので。--春野秋葉Talk / Cont. 2007年3月23日 (金) 10:34 (UTC)[返信]
  • 本人は公表していないのにカテゴリーのリストに含めるのはしてはならないことと思います。ゴシップまたはスキャンダルカテゴリーと化す危険性がありますから。裏を返せば、例え故人でも、自ら公表していない場合はカテゴリーには含まない(除外する)べきと思っています。もし、本人自ら公表していなくても、親族が公表していたり歴史を紐解くと明確な場合には、例に挙げれば(私の提案ですが)、カテゴリーには含めず(羅列せず)に、伊達政宗の場合は隻眼の、ベートーヴェンの場合は難聴の内部リンクを張るようにすることで解決すると思います。の箇所は読んで頂けたのでしょうか?
    • 「現在視覚障害者身体障害隻眼などに列挙されている該当人物のリストも除去すべきという立場なのですか?」とのことですが、「別に無くても差し支えはないんじゃないですか?」ですね。曲解して頂きたくはありませんが。裏を返せば、「既に個別に該当人物のリストが存在しているのであれば、わざわざそれらを一纏めにしたカテゴリーの存在自体が不要でしょう」とも言えますね。かえって重複して煩わしくなるだけですし。
      • そして、ご自身の『「障害者個人をすべてカテゴライズすることは個人の秘密を暴くのに等しいから禁止し、本人自ら公表した者に限定してカテゴライズすべし」というようなことだと思いますが、ウィキペディアに書かれていることはすべて公表されている情報であり、「秘密」でも何でもありません。それを「本人自ら公表した者」に限定するということは、本来「『秘密』でも何でもないものを『秘密』として扱う」ということに他なりません。』の記述の中の『障害者』を、ご自身が下記の場所で例に挙げた、『在日コリアン』に置き換えてみた上で改めて熟考してみて下さい。ここはそのような場です。障害者のみに限定した議論をされたいのであればWikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物へ。他の方々のご迷惑になりますので。東武経験者 2007年3月23日 (金) 11:19 (UTC)[返信]

※差し戻しの上、一部の記述をCategory‐ノート:障害を持つ人物にコピー&ペースト。東武経験者 2007年3月23日 (金) 13:14 (UTC)罠に嵌められたような形になってしまいました…東武経験者 2007年3月24日 (土) 07:33 (UTC)[返信]

  • 改めてCategory:障害を持つ人物の親カテゴリーであるCategory:障害者を見てみたら、「他の場所で合意を形成した上で作成されています」とのことであればお詫び申し上げますが、Category‐ノート:障害者など(他に作成議論が出来る場所があれば教えて頂きたいのですが)での議論をせずに独断で作成されたカテゴリーのようです。これはここに取り上げられている他のカテゴリーにも言えることではないでしょうか?
    • このような事態を防ぐためにも、差別を助長するおそれがあるもののみならず、『議論を経ての合意を得ずにカテゴリーを作成することは禁止する』くらいの、極論ですが、規則の制定も必要なのかもしれません。そして、『誰もが分かり易い(目立つ場所)にカテゴリー作成議論が行なわれている項目のノートなどを案内するシステム』の設定も必要かと思われます。様々な問題は出てくるかとは思いますが、少なくとも「一個人での判断によるカテゴリー作成は回避出来る」と思います。同時に、差別を助長するおそれがあるカテゴリーの作成を抑制することも可能かと思われます。いかがでしょうか?東武経験者 2007年3月24日 (土) 14:39 (UTC)[返信]
  • 私は"斜視"を持っておりますが、仮に"斜視を持っている人物"と言うカテゴリーがあって、そこに歴史に名を残したような人物があれば、励みにして生きていこうという気持ちになると思います。障害のカテゴリーが即不要との考えや、必要性が無いと切り捨てることには反対致します。--Kk8998982 2007年3月25日 (日) 00:04 (UTC)[返信]
  • (コメント)当事者の方のご意見が伺えて幸いです。Wikipedia:削除依頼/Category:障害を持つ人物への参加や投票もお願い申し上げます。現状を見ますと健常者寄りの記述が目立ちますので。(追記)ご存知でしたね…失礼致しました。

Category:引揚者というカテゴリが作られていますので、関係プロジェクトであるこちらに報告いたします。以前から気になっていたCategory:被爆者も、ここで扱うべきカテゴリでしょうか?引揚体験も被爆体験も決して恥ずべきことではありませんが。--125.173.57.210 2007年4月23日 (月) 03:26 (UTC)[返信]

  • 引揚者は出生時の場所。被爆者はそれに起因する身体的外傷などによる差別を想定してるのでしょうが、各々のノートで議論して差別に当たるとなったらこちらへ持ってくるのがいいと思う。--Mmm25967 2007年4月24日 (火) 10:25 (UTC)[返信]

学位の取扱について[編集]

人物の項目における学位の取り扱いの問題について。日本では学士の学位が一般的過ぎて明記する習慣がありませんが、私はWIkipeidaの日本語版であり、国際的な百科事典であることを考慮し、また、保有称号があれば明記すると案内しているスタイルマニュアルの趣旨に基づき、学士の学位を含めたプロフィールの記述をしています。 そこでよく問題になるのですが、1991年の学校教育法及び学位規則改正により旧制の学士号は称号であり、改正後の学士の学位と区別する観点から、従前の学士号は学位でないとの理由を以って記述を改めたり削除する動きがまま見られます。

例えば、学位は経済学士(東京大学)とあるところ、記述をすべて消すか、或いは学士とのみ明記することがよくあります。 しかし、学校教育法の一部を改正する法律(平成3年法律第23号)附則第4項では従前の学士号は学位と看做す旨、明記されており、旧制の学士号も含めて学位として取り扱われるべきだと思います。 特に学位を学士とのみ表記することについて。確かに法律上、学士号は学士が正式ですが、学位規則上は専門分野を括弧付きで併記することが可能とされており、卒業証書・学位記では括弧付きとし、ディプロマミルとの区別のため、授与機関(大学等)を併記することが一般的であると思います。そのため、学士号は旧制の場合、●●学士(授与機関名)とし新制の場合学士(専門領域)(授与機関名)と表記すべきだと考えますが皆様のご見解は如何でしょうか。--海衛士 2007年5月9日 (水) 05:30 (UTC)[返信]

その人物についての「紹介記述の流れに沿って自然でかつ前向きな説明」になるのがよいのではないでしょうか。その人物が「経済学を修めた」ということが「その人物についての積極的で判りやすい紹介記述」をする上で重要であると考えられるならば「博士」や「修士」でなくとも「何を専攻したか(旧制、新制にかかわらず)」を適切な記述で表記するのが自然だと思います。「授与機関名」の併記は必要でしょうねぇ(おそらく無いと不自然でしょうから)。--Yuichiokubo2007年5月11日 (金) 17:29 (UTC)[返信]

質問:享年の扱いについて[編集]

はじめまして。ミュージシャンの項目をあれこれ見ていたのですが、享年XX歳という表記を見ました。享年というのは、年齢ではなく、天から賜わった年数といった意味で、享年XX と表記するのが正しいと教わった記憶があります。一般の出版物でも表記はまちまちですが、こちらではどのようにしているのでしょうか? 統一されているのでしょうか? 教えてください。 --88keys 2007年5月9日 (水) 16:32 (UTC)[返信]

享年の記事を読めば大体のことはつかめると思います。結論から言えば「つけてもつけなくてもかまわない」ということです。現在のところ、ウィキペディア日本語版では没年齢の記述について統一された方針はありません。--蒼い眼の女神の【春野秋葉】 2007年5月9日 (水) 16:57 (UTC)[返信]
統一された方針はありませんが、享年という表現は極力使わないようにするのが良いと思います。享年という言葉は仏教用語であり仏教徒に用いるのは構わないのですが、他の宗教を信仰していた人に用いるのはうまくありません。特に必要がない限り宗教について触れる必要はないでしょう。してみれば、享年という表現を使わないでも死没時の年齢を表記することはできるのですから、避けるべきと考えます。もし使われるのであれば、本来は88keysさんの言われるように歳をつけないものですから、そのように対応するのが良いと思います。ただし、わざわざ歳を取るだけの編集をすることはすべきでありません。他の編集のついでに修正するに留めておいて構わないと思います。赤い飛行船 2007年5月10日 (木) 00:27 (UTC)[返信]

分野によりけりだと思います。歴史学分野とりわけ近代史でそのルールを適用されてはたまらないのです。ほぼすべて享年の概念を使う史料が多いのですから。ケースバイケースであるべき。--海衛士 2007年5月16日 (水) 01:37 (UTC)[返信]

海衛士さんが何を心配されているのかわかりません。「享年」という表現を絶対使うなと言っているわけでもないし、享年という言葉の意味合いを理解するなら、その使用は当然ケースバイケースになるでしょう。また新規に執筆される場合には「歳」をつけずにおけばいいのであって、既存の記事からわざわざ「歳」を取るだけの編集するをするような緊急性のあるものでもないと思います。ついでのときに本来の使い方である歳のない形にすればいいのですから。ところで、本来享年は数え年で用いるのですが、今は満年齢で使われることが一般化していますね。さてさてどうしたものか・・・。 赤い飛行船 2007年5月16日 (水) 12:52 (UTC)[返信]

ぞんざいな表現で失礼しました。特に大袈裟な心配はしていません。そのように仰せ下さるなら特に何もありません。ただ、懸案とされる享年の年齢についてですが、現代人は完全に満でいいと思います。余計な混乱がないので。幕末あたりの人物は太陽暦と太陰暦の暦を併用する機会もあり、年齢の数えも現代と違うので、満年齢と数え年を併記するのがいいと思います。--海衛士 2007年5月17日 (木) 01:42 (UTC)[返信]

どうみても仏教徒でない人の記事にまで「享年」としている無神経な記事が散見されますので「享年を避ける」としたのですが、私の意図よりも強い調子と受け止められたのかもしれませんね。配慮が足りませんでした。ごめんなさい。一言言わせていただいたわけは先述のとおりです。年齢の数え方は基本的に満年齢にしておきますかね。数え年の場合は断り書きを入れておくと。赤い飛行船 2007年5月17日 (木) 14:09 (UTC)[返信]

そういえば、人物関係の何かのテンプレートに生年月日と没年月日を両方入力すると、自動で(享年○○)と表示するものがあったはずです。存命の人物の記事に、荒らしが勝手にその日の日付を没年月日として入力していたので気がついたのですが。しかも数え年で計算していたので、完全に仏教を前提にしているとしか思えません。惜しむらくは、どの記事だったのかもどのテンプレートだったのかも忘れてしまったのでどれがそうだとはいえないことなのですが。--《蒼輝煌》春野秋葉 2007年5月17日 (木) 10:14 (UTC)[返信]

うわっ、そんなテンプレートがあるんですか?特定されてから考えましょうか? 赤い飛行船 2007年5月17日 (木) 14:09 (UTC)[返信]
Google検索でざっと見ただけでもTemplate:ActorActressTemplate:声優Template:女性モデルTemplate:AV女優の4つも見つかりました。わざわざ表示例で「100歳(享年101)」なんて出しています。--《蒼輝煌》春野秋葉 2007年5月17日 (木) 14:24 (UTC)[返信]
それは「享年」のみ外してもらうしかないでしょう。ところでそのテンブレ作った人は享年とは数え年で勘定するものと捕らえているようですね。赤い飛行船 2007年5月20日 (日) 16:01 (UTC)[返信]

人物伝と、分野人としての記述[編集]

下位プロジェクトWikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 音楽家でも同様に提案しているのですが、人物伝としての記述とその人物の分野に関する記述(の節)は、記事を書く上でどちらを上に(もしくは下に)もって来るべきでしょうか。どの分野でもその辺りがごちゃごちゃというかばらばらな状態なので、はっきりさせたいのですが・・・。もしくは、そういったことに関するガイドラインなどがありましたら、誘導していただけるとありがたいです。--航汰 2007年6月5日 (火) 07:41 (UTC)[返信]

通名を使用している在日コリアンの本名の記述について[編集]

厳密には「人物伝」ではないのですが、ここで質問します。jawpにある企業の記事があります。その企業は公安委員会の許認可を必要とする業種であり、告示としてその企業の社名と代表取締役の氏名が記載されますが、その告示には代表取締役の氏名が「代表取締役 春野秋葉 こと 李秋葉」(これは架空の氏名です)のように通名と本名の両方が表記されており、この企業の代表取締役は在日コリアンと推定されます。この告示はPDFファイルですが、Webにも上げられています。

しかし、その企業の公式サイトの会社説明のページには「代表取締役 春野秋葉」と通名のみが記載されており、本名の「李秋葉」は記載されていません。株式非公開の会社ですので、IR情報もなく、その企業の公式サイトだけでは「李秋葉」という本名を知ることはできません。ここから、この会社の代表取締役は通名を主に使用しており、本名を使用するのは、本名で申請することが必要である公安委員会の申請などに限っていると推測できます。

あるとき、jawpのこの企業の記事の代表取締役の氏名が「春野秋葉」から「春野秋葉 こと 李秋葉」に書き換えられ、その出典として公安委員会のPDFファイルへのリンクが添えられていました。私は前述の推測を理由に「積極的に実名を用いて活動していない」と判断し、人物伝のスタイルマニュアルに「本人が公開していないとき、あるいは公開を歓迎していないときには、(中略)本名は書かないで下さい」と書かれていることを理由に、氏名が「春野秋葉」の版にリバートしました。しかし、「春野秋葉 こと 李秋葉」に書き換えた人が「出典もちゃんと記載している」と要約欄に書いて「春野秋葉 こと 李秋葉」の版に再びリバートされました。

私は納得がいかないので、スタイルマニュアルの根拠となっているWikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してを理由に氏名が「春野秋葉 こと 李秋葉」と書き換えられた版の緊急特定版削除を依頼しました。しかし、私以外の全員が存続票を入れ、その理由は「これを削除するのは中立的な観点から見ても隠蔽にほかならない」「犯罪暦などではないのだから被公開者の不利益となる情報とはいえない」「依頼者独自の基準による理由」となっています。

私は普段通名を用いている在日コリアンの本名もプライバシーとして保護されるべきであり、殊更に本名を記述しようとする編集は中立的な観点以前にプライバシー侵害として否定されるべきだと思うのですが、そのように考えない人も多いようです。皆様はどのようにお考えになるでしょうか。--春野秋葉 shining blue 2007年6月5日 (火) 12:10 (UTC)[返信]

当方は、その特定版削除依頼の投票に参加しておらず(存在すら知らず)どういう方々がどういうコメントとともに賛成表明されていたのか存じ上げないので、決めつけ的なことを申し上げるのは厳に慎むべきなのだとは思いますが、敢えていいます。それら賛成投票をした方々は、大変失礼ながら、官公庁による告示・公示というものへの造詣がかなり低いと言わざるを得ません。国の機関が告示・公示等で、ある民間団体の名称・民間人の氏名を掲示している、だから百科事典でも永続的に掲示してよい、ということは決してありません。もしそれが自動的に許されるのであれば、(1)国の機関誌である官報に告示される在日外国人の帰化情報、(2)官報に公示される破産者の個人情報、(3)裁判所の門前の掲示板に貼られる今日の公判の被告人名、なども全部百科事典で永続的に曝露し続けてかまわない、となってしまいます。そんな馬鹿な話はありません。たとえ官公庁の公示に載っていても、その内容・趣旨・形態などを考慮して可否の判断をすべきであって、公安委員会のサイトで載っているから検証性ありで掲載可、などという意見はまさしく噴飯モノです。第一、公安委員会のその掲示ぶりだと、在日外国人の氏名の適用方法には次の諸形態が考えられます。
  • 本人の意向に関係なく公示する制度である場合
    • A.問答無用で本名のみ
    • B.外国人登録証明書に併記されている通名(日本名)のみ
    • C.本名と外国人登録証明書で併記されている通名の両方
  • 本人の意向を尊重して公示する制度である場合
    • D.先祖からもらった名前を尊重し堂々と本名のみ
    • E.普段通名で活動してるので通名のみ
    • F.両方載せてもらってかまわないので両方
当方は本件については、B.とE.の通名のみというのは元々認められていないと思います(公的機関は通名併記はOKしても本名隠匿は認めないと思うので)。おそらくはC.とF.のうちF.なのではないかと、勝手に推測しています。最近の役所は人権批判に結構敏感なので、むやみやたらに本名・通名の扱いを一方的に強要しているとは考えにくいです。公安委員会の申請書に社長さんが本名を書くのは当然として、自主的に通名を連記していれば公示にも通名も書く、連記がなければ本名(非日本語名)のみ公示、といった感じではないでしょうか。あくまで推測ですが。
いやしくも公安委員会という都道府県の公的組織の公示で、わざわざ通名に言及している。この点をとっても、本件の代表取締役氏が少なくともD.の本名原理主義者でないことは間違いないと思います。本当は本名も明かしたくないが制度上やむを得ないので申請書に本名は書く。でも普段の社会活動は通名だから通名も書く。そんなところだったのではないでしょうか。
公的な書類に本名の掲示があるからあけすけに使ってOK、こんな暴論はありません。きちんとその制度の背景なども踏まえ、真に母国語の本名を百科事典に掲載してもいいのかどうか、慎重な配慮・検討が必要だと思います。余談ですが、前記(1)で述べた帰化情報、有料官報検索(1か月2100円)すれば、2ちゃんねるで度々話題になる有名人の帰化情報の真贋などすぐ調査できます。そうですね、2ちゃんで流れる「有名人の帰化人認定カキコ」6割くらいは当たり、4割くらいは事実無根、といったところでしょうか。でも、当方はその官報検索で得た帰化情報を百科事典に書き込むことはしません(ごく一部自ら明言している人については別ですが)。データがあるから、検証できるから、速攻で載せていい・・・ そんな短絡的なことで、ひと様の名前を扱ってはいけないと思います。--無言雀師 2007年6月5日 (火) 16:07 (UTC)[返信]
いまその削除依頼を拝見し、削除意見で投票してきました。公示された公的文書での本名記載=本人が本名公開に同意している、と認識している人がいて、少々驚きました。--無言雀師 2007年6月5日 (火) 16:35 (UTC)[返信]
判断の難しい問題ですが、私はプライバシー侵害のおそれを理由に削除すべきと考えます。Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関してにおいては、刑事事件の犯人の実名が、官公庁(警察)がマスコミに対して発表する情報であり、公知の情報であるにもかかわらす、プライバシー問題を理由に削除対象とされています。この背景として、犯人の実名は現時点では公知ではあるけれども、日本国では服役囚であった事実を公開されない権利があることから、ウィキペディアが存続するであろう数十年後を考えたときには公知とは言えないという判断があるものと思います。
さて問題のケースですが、当該代表取締役の本名は、官公庁(公安委員会)が告示している情報であり、現時点では公知といえます。しかし、代表取締役が交代すれば公安委員会の告示も終了します。従って、ウィキペディアが存続するであろう数十年後を考えたときには公知とは言えないと思います。--Cave cattum 2007年6月6日 (水) 11:05 (UTC)[返信]
会社役員の氏名がプライバシーだというのであれば、一切の会社役員情報を削除すべきでしょう。特に通名使用者の本名のみを保護する理由はありません。ニワンゴの某役員さんが西村博之という本名の記載はプライバシー侵害であるから、通名同様に広く認知され用いられているひろゆきの名を使用しろ主張したら応じるべきなのでしょうか。--Extrahitz 2008年2月3日 (日) 09:16 (UTC)[返信]