ピアノ協奏曲第1番 (バルトーク)

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バルトーク・ベーラピアノ協奏曲第1番(Sz.83, BB 91)は、1926年8月から11月にかけて作曲されたピアノ協奏曲。2つのヴァイオリンソナタやピアノソナタと同時期の作品で、いずれも数年間の沈黙を打ち破る力強い楽曲となっている。

概要[編集]

バルトークは1923年より約3年の間、『中国の不思議な役人』のオーケストレーションを除けばほとんど作曲をしておらず、ピアニストとしての演奏活動を中心にしていた。その沈黙をいくつかのピアノ曲によって破ったのであるが、その一つにこのピアノ協奏曲があった。バルトーク本人はこの曲を書いたきっかけとして、まだハンガリー民謡の研究を始める以前の1904年に書いた『ピアノとオーケストラのためのラプソディ』以外、コンサート・ピアニスト兼作曲家である自分が披露できる自作の協奏的作品がなかったことを挙げている。

バルトークの新古典主義時代の幕開けを告げる作品であり、バロック音楽への関心が増してから着手された。このことは、対位法の多用にも表れている。しかし、バルトークに特有の苛烈さも依然として残されている。バルトークの他の作品に同じく本作でも、ピアノが打楽器的に扱われている。一方、管楽器を主体とする管弦楽法には、ストラヴィンスキーからの影響が感知される。バルトークは本作について次のように記した。「私の最初の協奏曲は、作風に難しいところはありますけれども、上出来だったと思います。難点といえば、たぶんオーケストラにとっても、聴き手にとっても、非常に難しいというところでしょう。

初演[編集]

1927年7月1日国際現代音楽協会フランクフルト大会において、作曲者自身のピアノとヴィルヘルム・フルトヴェングラーの指揮によって初演された。

なお、当日の演奏に備えてフルトヴェングラーを輔佐し、オーケストラの下稽古をつけたのはヤッシャ・ホーレンシュタインだった。

楽器編成[編集]

独奏ピアノ、フルート2(ピッコロ1持ち替え)、オーボエ2(コーラングレ1持ち替え)、クラリネット(B♭・A管)2(バスクラリネット1持ち替え)、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ小太鼓2(スネアあり、なし)、トライアングルシンバル4(サスペンデッド2種、クラッシュ一対)、大太鼓ゴング弦五部(第1ヴァイオリン10、第2ヴァイオリン10、ヴィオラ6、チェロ6、コントラバス6)

この作品は「ティンパニを含む打楽器群はピアノのそばで演奏すること」という特殊な指示が自筆譜にあり、これが初版の際に除去されていたことが明らかになった。実子バルトーク・ペーテルによる決定稿ではこれがもとに戻されたが、決定稿通りの演奏はティンパニの設置が難しいのかほとんど実現していない[1]。国際ピアノコンクールの課題曲としては2017年に入ってようやく採用された[2]ものの、この作品で勝利したピアニストはいない。

演奏時間[編集]

約25分(各10分、8分、7分)

構成[編集]

作品は以下の3楽章で構成されている。なお作曲者本人はこの曲の調性について「(両端の楽章は)ホ短調」であると述べている。

  1. Allegro moderato - Allegro
  2. Andante - Allegro - attacca
  3. Allegro molto

第1楽章で導入部の後ピアノに登場するオスティナート主題が、さまざまに変形・展開されて作品全体を支配している(オスティナート主題そのものも、導入部の太鼓連打の変形と見なしうる)。第1楽章はソナタ形式によっているが、古典的な協奏ソナタ形式は採用せず、普通のソナタ形式を用いている。静謐で異国的な第2楽章と驀進する終楽章はアタッカの指示によって連結されている。

ディスコグラフィー[編集]

放送録音[編集]

逸話[編集]

  • この曲は初演前にウニヴェルザール出版社から楽譜が出版された。しかしあまりにも誤植が多く、バルトークの指摘した修正が行われて第2版が刊行されている。ところがこれですら間違いは払拭されなかった。完全版はバルトークの死後50年以上経って、息子のペーテルらがバルトークの自筆譜を検証して校訂、出版されている。
  • 初演の翌1928年にバルトークはアメリカ合衆国で2か月間にわたる演奏旅行を行い、この際ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団によりニューヨークでの米国初演も計画されたが、リハーサルが不充分との理由により、ウィレム・メンゲルベルクによってキャンセルされた[4]。結局のところ米国初演は、1928年2月13日カーネギー・ホールにおいて、フリッツ・ライナーの指揮とシンシナティ交響楽団の演奏、作曲者自身のピアノ独奏によって実現を見た。
  • 先述の通りオーケストラのパートが複雑なため演奏が非常に難しい。バルトークは初演の際からしばしば言及しており、例えばライナーに送った手紙(1928年10月29日付)の中で「何度か弾く機会[5]があったが、シンシナティの君の指揮(上記の米国初演に続く演奏)くらい正確な演奏はヨーロッパの各オーケストラの間でも経験できなかった」と書き、ドイツのピアニスト、ハンス・プリーグニッツへの手紙(1939年1月12日付)[6]の中では「オーケストラにとって非常に演奏困難なので、一流のオーケストラと指揮者を揃え、かつ充分に練習できないならお止めになるべきです」とまで書いている。

脚注[編集]

  1. ^ Somfai, László (1996). Béla Bartók: Composition, Concepts, and Autograph Sources. The Ernest Bloch Lectures in Music 9. Berkeley and London: University of California Press, p. 274.
  2. ^ Repertoire”. www.scottishinternationalpianocompetition.com. 2019年9月5日閲覧。
  3. ^ "letters" 英語版 p.190より。なお手紙の原文はハンガリー語
  4. ^ 1928年の11月にアムステルダムロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とバルトークが共演してこの曲を演奏しているが、この時も常任指揮者であるメンゲルベルクではなくピエール・モントゥーが指揮をした。バルトークは演奏会の前にフリッツ・ライナーへの手紙でこの件に触れ「with Monteuxǃ It seems Mengelberg dosen't feel like iʈ.[3])」と書いている。
  5. ^ 手紙の中では、ベルリンではエーリッヒ・クライバーの指揮で演奏し、「来週はアムステルダムピエール・モントゥーの指揮で演奏する」と述べている。"Letters" 英語版 p.189-190
  6. ^ プリーグニッツからピアノ協奏曲1番をラジオ放送のプログラムに乗せたいという意向と「(バルトークに)未発表の3つ目のピアノ協奏曲があるらしいと言う情報を得ましたが、そちらは演奏可能でしょうか」という問い合わせの手紙への返事。その中では「そもそも私の作品のような『退廃音楽』を演奏しても問題ないのですか」と、ナチス・ドイツ政権の文化政策を皮肉っている。"letters" 英語版(手紙の原文はドイツ語) p.274

参考文献[編集]

  • Allsen, Michael (2005). "Béla Bartók (1881-1945) Concerto No.1 for Piano and Orchestra". Madison Symphony Orchestra Program Notes November 18-19-20, 2005. Madison Symphony Orchestra. Archived from the original on 5 January 2008. Retrieved 6 July 2005.
  • Petazzi, Paolo (1979). Bartók: Piano Concertos Nos. 1 & 2. Liner notes to DGG 415 371-2 (Maurizio Pollini piano, Claudio Abbado conducting the Chicago Symphony Orchestra). Translated into English by Gwyn Morris.
  • Somfai, László (1996). Béla Bartók: Composition, Concepts, and Autograph Sources. The Ernest Bloch Lectures in Music 9. Berkeley and London: University of California Press. ISBN 978-0-520-08485-8.
  • Bartók, Béla. 1948. Levelek, fényképek, kéziratok, kották. [Letters, photographs, manuscripts, scores], ed. János Demény, 2 vols. A Muvészeti Tanács könyvei, 1.–2. sz. Budapest: Magyar Muvészeti Tanács. English edition, as Béla Bartók: Letters, translated by Péter Balabán and István Farkas; translation revised by Elisabeth West and Colin Mason (London: Faber and Faber Ltd.; New York: St. Martin's Press, 1971). ISBN 978-0-571-09638-1
  • 『ある芸術家の人間像 バルトークの手紙と記録』(羽仁協子 編訳、冨山房、1970年)

外部リンク[編集]