ノート:南北朝時代 (日本)

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

記事中の一文「不満を抱えた武士達は...」に述部が不在[編集]

南北朝成立までの4行目中程に「不満を抱えた武士達は」の述部が書かれてないよー。--以上の署名のないコメントは、219.122.228.50会話/Whois)さんが 2004-09-02 07:47:15 (UTC) に投稿したものです。

記事中の人物の登場順について[編集]

歴史に詳しい方々にはなんでもないことかもしれませんが、一般の人間が読むとき、天皇の名前や登場人物が両方(南北同時に)記述に出てくるとき、南→北の並びになっているのでしょうか。前後すると素人にはわかりにくいです。どなたか通し読みして、読みやすく形成をお願いします。 - 2007年1月3日 (水) 05:11 (UTC)以上のコメントは、220.111.67.174会話/投稿記録/Whois)さんが[2007-01-03 05:11:51 (UTC)]に投稿したものです。

「南北朝正閏論」の分割提案[編集]

済み2007-08-16に当記事の「南北朝正閏論と後世への影響」節が「南北朝正閏論」に分割転記されました差分/14265330)。--Yumoriy会話

「南北朝正閏論」の内容を記事「南北朝正閏論」へ分割することを提案します。--経済準学士 2007年8月9日 (木) 16:42 (UTC)[返信]

報告 南北朝正閏問題のリダイレクト先がこちらになっていましたが、南北朝正閏論の方が転送先としてより適切だと思いましたので付け替えました。--Straysheep 2007年9月18日 (火) 17:58 (UTC)[返信]

北朝元号優先の方が適切[編集]

本稿においては、南朝元号/北朝元号の順で元号が併記されていましたが、北朝元号/南朝元号の順にしました。

このようにしたのは、現在の歴史学会において、両朝に関わるものは北朝元号/南朝元号の順で併記するのが主流であるからです。

いくつか例を上げますと、新田一郎氏の『太平記の時代』では、「南朝方の目立った動きは、越後に逃れていた新田義興が延文三=正平十三年(一三五八)に」といった具合に南朝に関する記述でも北朝元号が優先されています。山川出版『日本史小辞典』の「南北朝時代」の解説においても北朝元号/南朝元号の順番ですし、同『詳説日本史B』(高等学校において広く使用される教科書)では北朝元号のみです。

また、亀田俊和氏は著書の『南朝の真実』において、次のように述べています。

本書は南朝をメインにあつかうが、年号に関しては原則として北朝元号を使用することをあらかじめ断っておきたい。この時代は二人の天皇が並び立って争ったため、元号も南朝・北朝のものが同時に存在した。しかし本論でも触れるように、実際の戦況が北朝―室町幕府の圧倒的な優勢で展開した事情もあって、現存する古文書や古記録は北朝元号を使用している史料がほとんどである。そのため、北朝元号で論じた方がこの時代を理解しやすい場合が多いのである。特に戦前の史書は南朝元号を使用しているものが多いが、事例が極めて少ない元号を優先している時点で、南朝を過大評価する、バイアスのかかった歴史観がすでに現れていると言えよう。

特に、現存する史料のほとんどが北朝元号を使用しているという事実を無視することは、中立的な観点を著しく欠いたものになるのではないかと思います。

ここで述べられている事以外にも、本稿で南朝元号を優先すれば、初学者に南北朝時代が南朝優勢であったという誤解を与えたり、相対的に南朝に正統性があったという誤解を抱かせかねません。

以上の理由により、北朝元号/南朝元号の順で併記するのが適切と感じたため北朝元号/南朝元号の順にしたところです。----ツムラ会話2023年12月9日 (土) 16:00 (UTC)[返信]