ナイロン100%

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ナイロン100%(ナイロンひゃくパーセント)は、東京都渋谷区センター街に存在したニュー・ウェイヴ喫茶店。NYLON100%とも。

喫茶店ながら、店内でひんぱんにライブも行われた。また「ナイロン100%デー」(のちに「100%プロジェクトデー」)と題して、初代店長の中村直也(現プロデューサー)の企画で、「荻窪ロフト」や「新宿ロフト」等でライブ・イベントも行った。

桑原茂一プロデュースのクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」、大貫憲章がDJをつとめていたディスコ新宿ツバキハウス」とともに、ニュー・ウェイヴの牙城として、のちに伝説的な存在となった。

概要[編集]

  • 1978年8月にオープン。初代店長はロック喫茶「めいじどおり」でアルバイトをしていた中村直也。
  • 1980年2月からレコード自主制作プロジェクト「100%プロジェクト」が中村により開始。
  • 1981年10月ごろ、中村が店長辞任。
  • 1982年に常連客の増戸実(のち、「BAR目黒川」店長)が新店長に。
  • 1986年3月31日に閉店。

施設概要[編集]

  • 店内は白く無機質な内装。プラスチックの椅子、大理石の床。通りから見える、青く光る店名のネオンサインが印象的であった。
  • 店長にリクエストすれば、当時の最先端の曲をかけてくれた。なお、音源はすべてコンパクトカセットであった。カセットのインデックスは全てナイロン100%のオリジナルであった。
  • 増戸店長時代はビデオ・スクリーンが用意され、映画ブレードランナー」や「リキッド・スカイ」、またアメリカの音楽番組の映像等が映されていた(ただし、ビデオの音は流さず)。また、夜間のみの営業となり、酒類が出されるようになった。
  • 元来、喫茶店であったため、ライブをしても客が4、50人入れば満員となった。
  • 閉店の際はガレージセールが行われ、店で使用されていた食器、テーブル、椅子、什器、カセットテープ等が販売された。

ライブをした主なバンド[編集]

主な常連客[編集]

常連客がアルバイトとして店員を兼ねることも多かった。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • ばるぼら「NYLON 100% 渋谷系ポップカルチャーの源流」アスペクト 2008

脚注[編集]

外部リンク[編集]