キ75 (航空機)

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キ75は、大日本帝国陸軍が計画した戦闘機。構想段階で計画が中止されており、実機は存在しない。

概要[編集]

第二次世界大戦時に、陸軍によって爆撃機の掩護を任務として構想されていた機体[1][2][3]。当初、1940年昭和15年)6月の時点では軽快さと重爆撃機と同等の常用高度・行動半径を持つ多座戦闘機(多座戦闘機乙)として計画されていたが[4]、高速重爆撃機キ82の計画が具体化したことを受け[5]、1940年後半にキ82の掩護を任務とする[5]複座の遠距離戦闘機へと変更された[2][3]

中島飛行機への発注が予定されており[2][3]、人員不足に加えて装備が計画されていた中島「ハ45」空冷星型18気筒エンジンが使用可能になる時期が1942年(昭和17年)春頃だったことから[6]、1号機完成は1943年(昭和18年)夏、審査完了は1944年(昭和19年)春になる見込みだった[5]。これは掩護対象であるキ82の審査完了予定時期の9ヶ月後であり[5]、これを問題視した陸軍航空技術研究所(航技研)は1941年(昭和16年)4月に[5]、約半年の開発期間短縮が見込める[5]三菱重工業へキ75の発注先を変更することを提案した[3][5]。なお、この提案は三菱のキ67(のちの四式重爆撃機)の掩護が予定されたためだともされる[2]

その後、1941年5月に遠距離戦闘機キ83の試作指示が三菱に対して行われ、同年10月には航技研からキ75の試作中止を提案する意見書が提出された[5]。最終的に、計画は1942年中頃に中止されたが、この時に至るまで具体的な構想は固まっていなかった[2][3]

脚注[編集]

  1. ^ 『日本陸軍試作機大鑑』 73・74頁。
  2. ^ a b c d e 『日本陸軍の試作・計画機 1943〜1945』 30頁。
  3. ^ a b c d e 『決定版 日本の陸軍機』 62頁。
  4. ^ 『日本陸軍試作機大鑑』 73頁。
  5. ^ a b c d e f g h 『日本陸軍試作機大鑑』 74頁。
  6. ^ 『日本陸軍試作機大鑑』 74・237頁。

参考文献[編集]

  • 秋本実『日本陸軍試作機大鑑』酣燈社、2008年、73,74,237頁。ISBN 978-4-87357-233-8 
  • 佐原晃『日本陸軍の試作・計画機 1943〜1945』イカロス出版、2006年、30頁。ISBN 978-4-87149-801-2 
  • 歴史群像編集部 編『決定版 日本の陸軍機』学研パブリッシング、2011年、62頁。ISBN 978-4-05-606220-5