Wikipedia:井戸端/subj/記事名の付け方(特に正式名称の節)に関する諸懸案について

記事名の付け方(特に正式名称の節)に関する諸懸案について[編集]

まず、利用者:Doraemonplus/正式名称に関する先行議論の要覧をまとめるにつれて得られた現状認識から確認していきます。「正式な名称を使うこと」の規定は、Wikipedia:記事名の付け方初版(2003年2月3日版)から存在します。当時、なぜ「正式名称を使うこと」とされたのかといえば、同節によると、(異なる記事同士で)「名前が衝突しないよう」にする為にありました。しかし、同ガイドラインは「正式」の根拠を定めずに運用されてきたために、「正式な名称」を巡って、利用者各自で様々な解釈が取られ、しばしば混乱の元になっているケースもあるようです。「正式な名称」については、実際に多様な「読み方」があります。ここでは、その一つ一つについて網羅的に取り上げることはしませんが、Y tambe氏が過去に述べた以下の文章は正鵠を射ていると思われますので、ご紹介いたします。『そもそもの発端である「記事名の付け方」においては、そもそも「正式な名称」というのは、このような分野ごとに定義された名称ではなく、単に「略称を用いない」という程度の、英語版のアクロニムの扱いを多少拡張した程度の規定のように思われます。それを「正式な」と表記したために、過去の議論において「該当専門分野で定義された用語」と解釈した人が現れ、混乱の原因になっているようにも思います』(2004年12月15日、過去ログ2より)

また、Peccafly氏は記事名の付け方のガイドラインについて、『現状でさえ、このガイドラインから自分の主張に有利な一文を切り取ってきて、改名提案の議論の場で錦の御旗のように振りかざす利用者が少なくない中、提案されているようなガイドライン改稿(英語版より「一般的な名称を使う」の節を移入する提案)はいたずらに混乱を大きくする事態になりかねない。』(2010年2月1日、過去ログ10より)と述べていらっしゃいます。

さらに、有足魚氏は「そもそも正式名称とは何か」と題した議論の中で、『改名に関する議論で「正式な名称」の節だけが取り上げられるのは、ガイドラインの趣旨に必ずしも沿うものではないと思います。その節の上に(2009年12月22日に正式に導入された)「記事名を付けるには」と言う節があって、記事名に対して5つの基準が設けてあることは重要なことだと思います(中略)「一般的な指針」の節(当時)で「基本的には日本語での正式名称を使用します」とあるのは、それが5つの基準を満たすものである可能性が高いためでしょう。「正式な名称」に詳しい定義がないのは、そうしてしまうと柔軟な対応ができず、5つの基準を満たせない記事名にお墨付きを与えてしまうからではないかと思います(後略)』(2011年6月28日、過去ログ11より)とのコメントを寄せてくださっています。

ついでに、Afaz氏が過去に言及した『(前略)文書ステータスがこの文書(記事名の付け方)より上位の方針文書のWP:NOT (WP:NOT#FAQの7. 科学学術雑誌や学術論文) で「記事名には専門用語ではなく一般的な用語を使用するべきです。」と書かれている。WP:NOTの改訂で反対はなかったのだろうか?』(2010年2月4日、過去ログ10より)の部分と「正式名称」との整合性(矛盾)についても、併せて考えていただきたいと思います。

以上4氏のコメントを援用させて頂いて、私はここにWikipedia:記事名の付け方#正式名称の在り方や扱いについて、ウィキペディア利用者の皆様に再考を促したいと考えています。ただし、(後述の「改訂案 (仮)」は提示させていただいているものの)現時点では同ガイドラインの正式名称の節の改訂を前提とするものではなく、同改訂については必要に応じて検討していきます。まずは、利用者の皆様から幅広い意見を募りたいと思っています。

ちなみに、正式名称の節に対する私の意見は「記事名には基本的に日本語での正式名称を第一に選択する」方針を維持しつつ、「記事名の命名に際して、(規則は規則として置いても)実際に記事を執筆する上で選択する名称が「正式名称だったか通称だったか」については、過度に公式主義に偏らずに、もう少し寛容・柔軟であってもよいのではないか」と考えています。さらに、先述したような「改名提案の議論の場でガイドラインの一部を恣意的に切り取ってきて用いること」を防ぐために、「切り取りにくい文面にする」ことを目標に、拙案「正式名称の改訂案 (仮)」を書いてみました。ぜひご一読いただき、ご賛同あるいはご批判など、何なりとお寄せくださいませ。--Doraemonplus会話) 2016年5月1日 (日) 10:01 (UTC) 修正--Doraemonplus会話2016年5月1日 (日) 11:00 (UTC)[返信]

なお、誤解のないように補足しますと、私は「正式名称を使うこと/正式名称に決めること」自体に反対しているのではなく、「(正式名称であれ何であれ)その名称を決める過程で、他の事項を差し置いて正式名称の節だけが重視される傾向がみられること」に不公平な感覚をもっている、というまでの話です。したがって、規則としての同ガイドラインに不満があるというより、同ガイドラインを利用する者のうちの一部の輩の姿勢・態度に不満を抱いている訳です。本来ならば、個別の利用者ごとに対処すべき案件かもしれませんが、では「ガイドライン自体に全く問題がないと言えるか?」を確認したく、一つの問題提起として今回の投稿に至りましたこと、どうかご理解ください。--Doraemonplus会話2016年5月1日 (日) 11:00 (UTC)[返信]

あなたの言動は一貫していません。「正式名称案に明確な賛成も反対もしない中立的な姿勢で臨む所存です」(Wikipedia‐ノート:記事名の付け方 2016年4月21日 (木) 11:32 (UTC)の版より引用)と、「「(正式名称であれ何であれ)その名称を決める過程で、他の事項を差し置いて正式名称の節だけが重視される傾向がみられること」に不公平な感覚をもっている、というまでの話」(このページWikipedia:記事名の付け方(特に正式名称の節)に関する諸懸案について 2016年5月1日 (日) 11:00 (UTC)より引用)は矛盾しています。正式名称に関するあなたの編集履歴を拝見するとオリンピック関連以外で正式名称に携わった経験はなさそうですので、正式名称の部分変更にこだわりになる理由がオリンピックからとしか受け取れません。
オリンピックの正式名称について私は過去の議論のうちにJOCが発行・監修した書籍を含めて文献を提示していますが、あなたは「JOCの使用する名称が正式名称だとするのは適当なのか」とおっしゃっており、その部分について調査や事実確認が不足しているのではないでしょうか?なぜご自分で確かめなかったんですか。議論に参加しオリンピックについて発言する前に、JOCについてどうして認識を深めないんですか?公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 大会計画東京都オリンピック・パラリンピック準備局 大会開催概要に「正式名称 第32回オリンピック競技大会(2020/東京)」と書いています。このリンク先については先に他の方が提示されており、あなたが納得していないにすぎません。JOCとは日本におけるNOC(国内オリンピック委員会)であり、IOCが憲章を定めて承認した各国に存在するNOCが定めた正式名称と、その他のどこかで少し出た名称を比較した際に、ウィキペディアの中でその他の選択肢が大きく扱われるように画策し、さらには正式名称関連の議論を覆そうと方針を変更しようと試み、各所に議論を拡散させる姿勢のいったいどこが中立的な姿勢なんでしょうか?ほんのわずかに報じられたものにばかり目を向けて、正式名称と明示されたものを直視せず、恣意的に切り取っているのはDoraemonplusさんの姿勢ではないのですか。--Degueulasse会話2016年5月1日 (日) 13:13 (UTC)[返信]
Degueulasse では、日本オリンピック委員会 (JOC) が「第32回オリンピック競技大会(2020/東京)」の表記を「正式名称」だと認めたという証拠をご教示ください。同様の表記は、2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会と東京都オリンピック・パラリンピック準備局では、「正式名称」であると明示されていますが、なぜかJOCの公式サイトでは「正式名称」という表現を使わず、代わりに「大会名」としています。JOC発行/監修の書籍については、私の方ではまだ『近代オリンピック100年の歩み』ISBN 4583031351 ぐらいしか手に取って調べていませんが、同書でも「正式名称」との表現は何処にも使われていませんでした。他の書籍には「正式名称」と明記されているのでしょうか。もし正式名称の拠り所をJOCではなく、2020年東京大会組織委や東京都の準備局とするのならば、「正式名称」であることに疑いの余地がなくなるので賛同いたしますが、第32回オリンピック競技大会以外は主管しないので他の大会に応用できるかは微妙なところですね。「なぜJOCは大会名について公式に『正式名称』という表現を使っていないのか?」という素朴な疑問が解決されないうちは、「JOCによる正式名称」を理由に改名提案するのは避け、別の観点から考え直したほうがいいように思います。他の観点からでも、考え様によっては「第32回オリンピック競技大会(2020/東京)」の形式を採用する方向に持っていくことは可能なはずです。なぜ、そうしないのですか?「正式名称」という語は、その名前・語感自体から、その事物の正当性や正統性に直結するような用語に聞こえるため、「正式名称」が明示されていないケースについては、より慎重に扱われるべきでしょう。WP:NCの正式名称に頼りすぎないことが肝要だと思います。--Doraemonplus会話2016年5月1日 (日) 15:15 (UTC)[返信]
2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会はJOCと東京都が構成する組織ですよね。国内組織委員会はオリンピック委員会と開催都市が構成する組織です。東京で開催される大会の正式名称は「第32回オリンピック競技大会(2020/東京)」と答えが出ています。公式サイト上も公式文献も「第32回オリンピック競技大会(2020/東京)」「第30回オリンピック競技大会(2012/ロンドン)」のスタイルで統一されています。JOCの役割はオリンピック競技大会の開催に限らないです。JOCの使用する名称よりも「別の観点」を自分が求めるのであれば、あなたが求めている何倍もの労力を自分に課してから「別の観点」の正当性を私に主張すべきではないですか?--Degueulasse会話2016年5月1日 (日) 22:42 (UTC)[返信]
なるほど、ようやく謎が解けました。JOCと東京都とで構成する2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が「第32回オリンピック競技大会(2020/東京)」を正式名称としているという事実が確認できたので、「JOCなどによる正式名称」または「2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会による正式名称」として、WP:NC#正式名称を根拠に改名できると思います。オリンピック関連記事の記事名についての疑問は解消したので、この話はここまでとして、当節では、もう一つ疑問を投げかけています。
上述したAfaz氏のWP:NOTに関する指摘(ガイドラインよりも上位の方針文書の中で、WP:NC#正式名称とは相反する「記事名には専門用語ではなく一般的な用語を使用するべきです。」という規定がある件)についてのご意見を募集します。それから、これと類似する案件をもう一つ。Wikipedia:記事名の付け方#各分野での慣例には、各分野での慣例が多数記されていますが、それらの文書ステータスは、記事名の付け方のサブページ(例: Wikipedia:記事名の付け方/鉄道Wikipedia:記事名の付け方/ヨーロッパ貴族の記事名)となっていたり、プロジェクト内の文書(例: プロジェクト:乗用車#記事名)となっていたり、まちまちです。ここで疑問に思うのが、慣例に関する規定という意味では同等でも、形式的には文書ステータスの異なるこれらの規定に拘束力・強制力に差はないのかということです。どなたかご存知でしたらご教示ください。--Doraemonplus会話2016年5月2日 (月) 00:11 (UTC)[返信]

「正式名称」に関して、前から思ってたことを便乗して少し書いてみると。Wikipedia:記事名の付け方#正式名称では「基本的には日本語での正式名称を使用します」とあるものの、そもそも、これが「正式名称」であると断定できる記事というのは限定的なんじゃないかなと思っています。具体的に言えば

  • 記事の主題自体が名称を設定する能力をもつ場合(人物、会社、その他組織など)
  • 記事の主題への命名権を持つものが存在がする場合(建築物、主催イベントなど)

の2パターンだけかなと。それ以外のケースは、Wikipedia:記事名の付け方#正式名称に書かれていることは有効ではなく、WP:CRITERIAにもとづいて決められるということになると思います。個人的には科学系の事項を書くことが多いので、WP:RSに該当する文献を調査して最も一般的に使われている名称を探って、立項したり改名提案したりしています。--Yapparina会話2016年5月2日 (月) 02:09 (UTC)[返信]

名前が挙がっているので、現在の自分の考えについて申し上げたいと思います。基本的には2011年当時と大きな違いはありません。日本語版では正式名称を記事名に用いる傾向が根強いようですが、正式名称に固執することの弊害も過去の議論で指摘されているとおりです。ですからそのバランスを取ろうとすれば、「正式名称は有力な候補ですが、最終的には『記事名を付けるには』の5基準をバランスよく満たす記事名を選びましょう。」といった解釈に落ち着くのではないかと思っています。
もう一点、WP:NOTの「記事名には専門用語ではなく…」についてですが、この文は「専門用語を使うな」という意味であって「正式名称を使うな」という意味ではないと思います。そのためWikipedia:記事名の付け方#正式名称と直ちに矛盾を起こすものではないと思います。とはいえ、誤解を招く表現であることは確かなので、両者をすり合わせる必要はあると思います。--有足魚会話2016年5月2日 (月) 09:59 (UTC)[返信]
Yapparinaさんの「そもそも、これが「正式名称」であると断定できる記事というのは限定的なんじゃないかなと思っています」というご感想に同感です。記事名について、一意の「正式名称」が定まるケースは案外少ないのかもしれません。実際、私は(権威とみなせる)行政機関や関係団体の出した文書に記載のある名称を参考にして記事名を決めたことはありましたが、Wikipedia:記事名の付け方でいうところの「正式名称」に依拠することは、外国の事物であるノート:ロンドン警視庁を除いてありませんでした。個人的にはYapparinaさんと同様、通常は、複数の信頼できる情報源を見比べて、最も適切な名称で命名し、もしもそれで不都合が生じたときには、ノートで議論して決める、という手順を守ってきたつもりです。
また、有足魚さんのご指摘は2011年当時のものも今回のものも、全くごもっともだと思います。「正式名称とそれを使用することの弊害のバランスをとる」という考え方に賛同します。何事もバランスが肝要ですね。そこで、具体的には、Wikipedia:記事名の付け方#正式名称の最初の一文「記事名は上記「記事名を付けるには」にある基準に適合するよう基本的には日本語での正式名称を使用します。」については、(「記事名を付けるには」が後から移入された経緯もあってか)何か取って付けたような文に感じられるので、私としてはこの部分を(記事名の付けられ方の実情に鑑みて)もう少し自然で穏当な表現に直せないのかな…と思っています。しかし、私一個人の主観で、ウィキペディアを支える根幹であるガイドラインを弄るのは不味いだろうと思うので、ここで広くご意見を集めたいわけです。この件については特別期限を決めず、のらりくらりと意見交換をやっていきたいと思っていますが、どうか皆様ご協力いただけませんでしょうか。それから、WP:NOTの方も、直ちに矛盾することはない旨、理解しましたが、方針はそのままに、ガイドラインであるWikipedia:記事名の付け方の方の説明を充実させて行けば良いと思います。さらに、Wikipedia:記事名の付け方とそのサブページ及び関連プロジェクト文書(各分野での慣例に関する部分)の相互の上下関係についても、明らかにしていけたらなぁ、と思います。--Doraemonplus会話2016年5月10日 (火) 08:05 (UTC)[返信]