Wikipedia:井戸端/subj/自著を出典と示して編集することについて

自著を出典と示して編集することについて[編集]

私は、思うところあって、インターネット上では実名を使っています。最近になって、ウィキペディアの編集に参加しはじめました。 具体的にはバレンタインデーの記述について、自分が過去に学術論文として発表した(ただし、勤務校の紀要であり、査読論文とはいえない)内容と関係する記述で、誤りを発見したのですが、直接編集することは「独自研究は載せない」に抵触するように思いましたので、とりあえず、ノートに、具体的な誤り(と私が信じる事項)を説明する文章を書き込みました。 私としては、ノートの記述に客観性を認める第三者が現れて、それに沿って編集をしてもらえればよいという期待からそのようにしていますが、こうした場合の対応として、これでよかったのか、まだウィキペディア編集の初心者なので、今ひとつ確信がありません。

また、このケースには当てはまりませんが、「独自研究は載せない」との関係では、いくつか判断がつかない例も想定されるように思います。 たとえば、査読制度のある学術誌に掲載された論文であれば、自著であってもそれを出典として編集はできるのでしょうか? 「独自研究は載せない」の「専門家の役割」には次のようにあります。 「一方、専門家が自分の研究の成果を何らかの評判の良い媒体において発表済みであるなら、この成果を中立的な観点の方針に従い、その出典とともに記すことができます。しかし、第三者の媒体による信頼できる情報源を明記しなければならず、検証不可能である未発表の知識は使用してはなりません。」 これを見ると、査読論文は自著でも出典とできるように読めますが、「第三者の媒体による信頼できる情報源を明記」というのは、何を指しているのか、よくわかりません。

いずれにしても、曲がりなりにも「専門家」として「自分の研究の成果」をウィキペディアの記述の向上に役立てたいと思っていますので、こうした場合の適切な方策について、ご助言をいただければありがたく存じます。--山田晴通 2009年4月28日 (火) 13:45 (UTC)[返信]

要するに、「勤務校の紀要」が「第三者の媒体による信頼できる情報源」と言えるかどうかの問題ですが、私の感覚では、少なくとも他に適当な情報源がない場合には、「勤務校の紀要」であっても「第三者の媒体による信頼できる情報源」と認める余地があると思います。
ただし、バレンタインデーの事例では、山田晴通先生の論文[1]そのものを情報源としなくても、論文で情報源として挙げておられる文献(「小笠原(1998, p96)」、「The Japan Advertiserの1936年2月12日付」、「翌年刊行の『50周年誌』やその後の原の諸著作」)を出典とすれば、充分対応可能なような気もします。--Dwy 2009年4月28日 (火) 14:43 (UTC)[返信]
はじめまして、あるふぁるふぁと申します。山田晴通さんのご参加を歓迎いたします。
さて本題ですが、全体として山田晴通さんの諸方針のご理解は大きく間違っていないと思います。蛇足ながら一点だけ申し上げると、前半の部分の「ノートの記述に客観性を認める第三者が現れて、それに沿って編集」することが「Wikipediaの記事のノートだけを出典として編集すること」であれば、それが誰の編集であれWikipedia:独自研究は載せないWikipedia:信頼できる情報源の点から許容されないと考えます。ただ、バレンタインデーの件についてはDwyさんの仰るようにノートで提示されている他の文献を出典とすることで記述可能だと思います。
後半の部分は、「査読論文は自著でも出典とできる」というご理解でよいと思います。「第三者の媒体による信頼できる情報源」とは、自費出版や個人のWeb上の記述などを排除しているものと理解しています。--あるふぁるふぁ 2009年4月28日 (火) 15:15 (UTC)[返信]

Dwy さん、あるふぁるふぁ さん、ご教示ありがとうございました。とりあえず、バレンタインデーの記述は、拙稿で典拠としている文献を示しながら編集しようと思います。今後ともよろしくお願い致します。--山田晴通 2009年5月1日 (金) 16:55 (UTC)[返信]