Wikipedia‐ノート:独自研究は載せない/過去ログ8

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『映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非』ルール作りの合意形成にご協力下さい[編集]

上記の件に関し Wikipedia:井戸端/subj/映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。 で議論を繰り返した結果、私論が集約されルール作りの『草案』を完成するまでに至りました。草案の内容は

史実・伝記・事件・ノンフィクション等を題材とした創作作品の内容を解説するウィキペディアのページにおいて

  • 時代考証や設定考証が弱いと思われる部分に対し、編集者が広く流布・認知されていない外的な観点や情報を、本文内で独自に解説・指摘する行為は、『独自研究』に抵触する行為であるので記述不可とする。
  • 例外として、時代考証や設定考証の差違について、専門家・著名人が新聞・書籍・雑誌、インターネット等の公の媒体上で指摘し、内容の出典が担保される場合、出典付きで説明する記述を本文に書き加える事は許容する。

となりました。提案者としては、皆様方のご意見を頂いた上で、最終的には草案を元にWikipedia‐ノート:独自研究は載せないページに記述し、ルール形成を目指したいと考えています。皆様方のご意見、草案修正のアイデア等宜しくお願い致します。--男梅 2012年1月16日 (月) 02:40 (UTC) URLが長大でしたので、リンクを張ることで対応・追記・コメントアウトしました。--Don-hide 2012年1月16日 (月) 07:09 (UTC)

男梅さん、ご提案の労をとって頂き有難うございました。「議論活性化のためのコメント依頼」をしておきましたのでご報告します(Wikipedia:コメント依頼#議_2012年1月)。--Pooh456 2012年1月16日 (月) 07:06 (UTC)
Don-hide氏、当方の記述配慮不足を修正頂きました事、御礼申し上げます。是非論議にも参加して頂きたく存じます。--Pooh456氏、コメント依頼提案手続きして頂きありがとうございました。--男梅 2012年1月16日 (月) 09:48 (UTC)
反対 まず大前提として、この草案(とくに第1文)は新たなルールを付け加えるものではないことを指摘しておきます。基本的な内容は現状のWP:ORで充分にカバーされていることです。この草案は、あくまでも例示の追加に過ぎません。新規ルールの追加と捉えて議論が進むと混乱を招きかねないと思いますので、念のため。
主な反対理由は、第2文にあります。本来WP:ORは、書いてはならない内容を定めたルールであって、書いてよい内容・書くべき内容を定めるものではありません。独自研究を書いてはいけないというルールであって、独自研究でないものはすべて書いてよいというルールではないのです。記事に書くべき内容の取捨選択には、WP:NPOVWP:NOT、記事の構成やバランス、他の記事との分担関係などを考慮して、総合的に判断することが求められます。WP:ORの中で、何かを書いてよいと断言するのは危険です。有体に言えば、この例外記述を根拠に、記事の構成やNPOV等を無視し、出典が存在するというだけの理由で、些末な難癖を延々と記述する輩が現れることが容易に予想できるのです。
もう1点、Wikipedia:指示の肥大化を避ける点から、この草案は一般的な方針であるWP:ORに追記するにはあまりにも長大・冗長に過ぎると思います。どんな分野にも独自研究が書かれがちな内容というのはあるもので、それらをすべてこのレベルで詳述すれば、この方針はまともに読める長さではなくなってしまいます。すべての執筆者が読むべき非常に重要な方針なので、読みやすい長さに保つことも大事です。
提案 そこで、対案を提示します。WP:OR#何が除外されるか節の箇条書きに、「史実または歴史上の人物を題材とした創作作品について、史実と異なる箇所を編集者が独自に指摘する。」を追加するという案です。この文章は井戸端でHmanさんが提案されたものですが、必要な内容はここにすべて集約されています。男梅さんの草案は、このなかの「編集者が独自に」の文言を詳細に説明したものだと思いますが、その意味するところは現状の方針で充分に記述されており、繰り返すのは冗長なだけでなく、無用な拡大解釈の余地を与えるおそれがあります(「新聞・書籍・雑誌、インターネット等の公の媒体上」であれば許容されるという記述を持ち出してWP:RSWP:Vの基準に満たない情報源を出典にしようとする、2ちゃんねるで「広く流布・認知」されているから書いてよいと言い出す等)。--Trca 2012年1月16日 (月) 10:35 (UTC)
反対 おつかれさまです。おおよそTrcaさんと同じかなあ。
基本的には、NORの枠を超える追加ではなく、「時代考証や設定考証が弱い」ということが、その項目で取り上げるに足る話題であるということについての情報源がなければ、その考証が弱いことを示す歴史的事実について情報源があっても独自研究とみなされるということを共通理解としておけばよいと思います。
ただ、主旨としては、どこかに書いてあるほうが分かりやすいと思います。反対と言うのは、基本となる方針文書への加筆とという場所の問題で、Wikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述) に追記するか、Wikipedia:キャラクターの記述に対するガイドラインのようなガイドラインとして作成するかがいいんじゃないでしょか。
ちょっとひっかかるのは、「時代考証や設定考証の差違について、専門家・著名人が新聞・書籍・雑誌、インターネット等の公の媒体上で指摘し、内容の出典が担保される場合、出典付きで説明する記述を本文に書き加える事」は、例外として許容されるというようなものではなく、百科事典の記述として書かれるべきことの一つだろうということ。--Ks aka 98 2012年1月16日 (月) 10:51 (UTC)
早速のご意見ありがとうございます。『草案の記述をそのまま記述するのには反対だが、趣旨については賛成』というご意見で非常に嬉しいです。また具体的なアイデアも頂きましたので、早速参考と致します。今回の草案は議論のたたき台ですので、提案者としても「一字一句変える気持ちは無い」という意図はございません。草案の趣旨をご理解頂き、もっと簡潔に記述する案・どのように記述したら効果的かという案を頂くのは大歓迎です。--男梅 2012年1月16日 (月) 11:51 (UTC)

反対  提案者のお気持ちは解りますが、意見としてはおおよそKs aka 98さんと同じです。 現在の本文記事の「何が除外されるか」であげられている6番目の項目には、

  • 編集者が好む立場を支持するような形で、既存の事実、理念、意見、論証を分析・合成するような記述を、その記述の出典となる評判の良い資料を明記せずに加筆する。

というのが、ありますが今回の発端となった問題点をそっくり含んでいるように見えるんですけど、いかがなものでしょうか。つまり「編集者が好む立場」=「最近のTVドラマは考証がいい加減である」を支持するような形で、「既存の事実、、、、論証」=「『帝国海軍の士官搭乗員養成制度』などの事実と、そこから推定される状況」を分析・合成するような記述を、その記述の出典となる評判の良い資料を明記せずに加筆する行為が行われたのが、そもそもの議論の発端だったのです。したがって、ks aka 98さんが指摘するように、今回の提案は「基本的には、NORの枠を超える追加ではなく」て、「何が除外されるか」の6番めの項目の具体例のひとつに過ぎません。ですから、本文に書き加えて記述をごちゃごちゃにしない方が良いです。

ただし、元になった議論で、この6番目の項目に言及した人が居なかったことも確かなので、これで万事OKとはならないことも確かでしょう。aka 98さんが提案されるように、この項目を参照させる形で何らかのガイドラインに反映させるのが良いと思われます。--おーた 2012年1月16日 (月) 13:15 (UTC)

コメント 井戸端でも申し上げました通り、また他の皆様も仰せの通り、この様なことをわざわざ文書に盛り込まねばならないことについてはちょっと抵抗があり、特におーた様のご意見など全くもってその通りと言わねばなりませんが、全ての人が方針に精通している訳でも、ございません。現に独自研究はそこら中に溢れておりますし、また今回、ノートに収まらず井戸端での場外乱闘(?)を誘発するほどの事態ともなりました。やはり必要悪として、なんらかのかたちで探しやすい所に明記しておくのが良さそうです。でなければ必ず繰り返しますし、明記されていないと、初心の方へ説明して納得して頂くのが大変な意味があります。更に初心の方の側の立場に立って考えて見れば、後でツッコまれて「そんな話は聞いていない!」というのが一番腹が立つもので(指摘する方も負けずにいやなものです)、わかりやすい所に参照しやすくしておくことは非常に重要です。解る人が解っていればよい、または問題が有れば説得すればよい、ではなく、初心の方にも解りやすいかたちで示しておくべきでしょう。最悪でも、何らかのかたちで、すぐ、このノートのこの節を参照できる様にしなければいけません。そしてこの節は明確なかたちで合意事項を示してクローズされるべきでしょう。 さて、私は先だって「史実または歴史上の人物を題材とした創作作品について、史実と異なる箇所を編集者が独自に指摘する。」なる文を一案として提示致しましたが、どうもこれでは歴史物限定の感じがします。織田信長は独自研究NGだが、近年ではハヤブサ映画などは独自研究し放題、などと解釈されるかもしれません。何かをモチーフにした創作全般的な話なのですから、全般的に示した方がよさそうです。仮に現在の独自研究の例示に一文を加えるかたちで落着するのであれば、「史実・伝記または事件もしくは作品等を題材とした創作作品について、題材と異なる箇所を編集者が独自に指摘する。」という方向になりそうです(あくまで一つの選択肢を執るときの仮定の話として申し上げます。もし一文追記の感じで進むなら細かく詰めていきましょう)。男梅さん案の第2項につきましては、「独自に指摘」で対応できている感じです。 なお、6項目目につきましては困ったことに、「編集者が好む立場を支持するような形で」の前段が付いておりますが、余り深く考えたことはありませんでしたが、不要かもしれません。さすがに「編集者が中立だったらいいんだ!」などと言う主張は一蹴されるのでしょうけど。--Hman 2012年1月17日 (火) 02:58 (UTC)

コメント 提案者としては、文章がまとまる・簡単で明瞭になるのであればそれが1番かと思います。現在の独自研究の疑いが強い記述が蔓延し、それがなかなか解消されない大きな原因が、草案で示した『基本的なルール』内容があっちこっちのルールを記述したページに分散され、記述する際の参考となりにくい・理解できにくい(されにくい)・参照されにくいことから来ていると考えています。ウィキ常連編集者方には「わざわざそんなことを明文化しなくても」とも思われるかも知れませんが、そろそろ「ルールとして駄目なんだよ」というのを初心者~常連様まで、一目で見て解る文章を、1番解りやすい所に記述する必要があると思います。Hman様が提案された『史実・伝記または事件もしくは作品等を題材とした創作作品について、題材と異なる箇所を編集者が独自に指摘する』という趣旨の文を、Trca 様が提案された『WP:OR#何が除外されるか節の箇条書きに形で記述する事』で合意形成されるのであれば、反対する理由もありませんし大筋で共感・同意するにやぶさかではありません。--男梅 2012年1月17日 (火) 03:50 (UTC)

コメント一般指針での記述であっても、それが一定の拘束力があるのであれば問題は無いです。ただ一般指針のノートでは記述者が簡単に閲覧できるか?指摘の際の根拠に出来るかが一寸疑問に感じます。--男梅 2012年1月18日 (水) 01:13 (UTC)
フィクション分野に特化した内容を載せることには他の人の言うように反対だけど、「編集者が好む立場を支持するような形で、既存の事実、理念、意見、論証を分析・合成するような記述を、その記述の出典となる評判の良い資料を明記せずに加筆する。」ということについてはもう少し例を踏まえて説明した方が良いと思います。判りづらいから、今回のような論争が発生したわけですしね。その場合には、井戸端でも述べたように、Dwy氏が挙げられた『「国連の目的は国際の平和と安全の維持と規定されているが(出典あり)、国連創設以来160の戦争が発生している(出典あり)」が独自研究になる「発表済みの情報の合成」の例として記載されています。』というのを載せるのが良いのではないかと考えています。
その上で「スタイルマニュアル (フィクションの記述)」のほうにはよりフィクション分野に特化した事例を踏まえて載せるというのが妥当なんじゃないでしょうか。--EULE 2012年1月19日 (木) 04:17 (UTC)
その状態を何とかしよう…というのがこの議論の中心であります。反対の意見を述べるのではなく、対案や提案をしていただければありがたいです。--男梅 2012年2月6日 (月) 23:34 (UTC)
男梅さんの提案自体には反対しているとしても、論争の元になった記事の記述には問題がある、という点ではすべての人が一致しているのでは。ということは、常識的なウィキペディア執筆者にとって個人的な知識と映画鑑賞という個人的な経験に基づいて記事を執筆してはいけないというのは自明なのであって、そういうことが自明ではない人に出典のないことはウィキペディアには書けないという大原則をいかに理解してもらえるか、というのが問題の本質だと思いました。この際、映画とか時代考証とかいう特定の文脈はあまり関係ないと思います。
具体的な対処としては、他人の記述をばっさりと大量に削除しない(感情的なしこりを生むから、映画の記事なら削除の緊急性もないでしょうし)、出典が必要な箇所に「独自研究」「要出典」の下線を引く、ノートで出典をつけるように呼びかける、自分で出典を探す(時代考証があまりにもひどい、優れている、というのであれば必ず誰かが新聞雑誌で記事にしているはずです)、しばらく待っても出典が見つからない場合削除する、といったあたりになるかと思います。あと、ノートでの話し合いに他のウィキペディア執筆者を招待するのもいいと思います。--Bugandhoney 2012年2月7日 (火) 22:06 (UTC)
  • コメントここでの最大の問題は、「1番解りやすい所」のスペースは限られているのに、「一目で見て解る」ようにしておきたい事柄は無数にあるということです。具体的な事例について「1番解りやすい所」にどんどん加筆してしまうと、かえって全体の見通しが悪くなってしまいます。一番現実的な方策としては、当該記事のノートの議論をしっかり纏め、どのような議論の結果どのような記述が除去されたかが明確に分かるようにした上で、「関連項目」の節あたりからその議論へ、例えば次のような感じでリンクを貼ってやることではないでしょうか。
ところで、聯合艦隊司令長官 山本五十六については、「注釈」の節の記述は全部除去でいいんですよね?--Dwy 2012年2月8日 (水) 16:26 (UTC)
ざっと検索しただけですけど、不適切な時代考証を指摘している記事がひとつ見つかりました。毎日新聞・渡辺浩「シネマの週末・この1本- 聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実 圧倒的な運命の悲劇」2011-12-16
マストの軍艦旗のすぐ下に大将旗が翻る場面があるが、海軍旗章令では、大将旗は大檣頂(たいしょうちょう)(メーンマスト頂上)と決まっていたそうです(「注釈」にはない記述)。地道に出典を探してもらうしかないですね。--Bugandhoney 2012年2月8日 (水) 17:16 (UTC)
ここでの議論のテーマ(=独自研究)から外れますが、そういうトリビアみたいなのはWP:NOT#ウィキペディアは情報を無差別に収集する場ではありませんという意味で、私個人的にはあんまり書くべきではないように思います。--Dwy 2012年2月8日 (水) 17:34 (UTC)
    • コメント うーんそうですね、このままの状態では行為自体も繰り返されますし、また繰り返された時にどこを示して案内すれば良いのかもわからない状態ですから改善はやはり必要と思いますが、その辺りになるんですかね。山本五十六の記述除去については結論が出ていると見なしてよいでしょうが、今回の案件のきっかけとは言え基本的にただの記事の話ですので、当該記事のノートで詰めるかたちになるでしょう。--Hman 2012年2月8日 (水) 18:00 (UTC)
(独自研究とは関係ないです)記事の文脈としては、映画は人間ドラマに焦点が当てられてはいるものの、帝国海軍という題材は一種の時代劇なのであって、時代考証がなおざりになってはいけない、ということが言いたいのであって、穏当な映画批評であって、格段に瑣末な内容だとは思いませんでした。大将旗はあくまでも具体例の一つだということだと思います。歴史物の映画批評では時代考証がうんぬんされることが多いわけで、Ks aka 98さんも書いてますけど、ウィキペディアで取り上げるべき批評として記述されてもおかしくないと思います(出典があればですが)。
(独自研究に関して)映画の記事で特殊なのは「あらすじ」じゃないですかね。これだけは出典がなくとも独自研究にはあたらないですよね。そういう但し書きがあってもいいかもしれないです。すべての記述に出典はつけなきゃだめだけど、「あらすじ」だけは例外です、みたいな。--Bugandhoney 2012年2月8日 (水) 18:25 (UTC)

『ざっと検索しただけですけど、不適切な時代考証を指摘している記事がひとつ見つかりました。毎日新聞・渡辺浩「シネマの週末・この1本- 聯合艦隊司令長官 山本五十六 太平洋戦争70年目の真実 圧倒的な運命の悲劇」2011-12-16 マストの軍艦旗のすぐ下に大将旗が翻る場面があるが、海軍旗章令では、大将旗は大檣頂(たいしょうちょう)(メーンマスト頂上)と決まっていたそうです(「注釈」にはない記述)。地道に出典を探してもらうしかないですね。--Bugandhoney 2012年2月8日 (水) 17:16 (UTC)

ですが、
『聯合艦隊司令長官 山本五十六』で、旗艦に掲揚されている、GF長官の指揮権所在を示す将旗がどう掲揚されていたかは記憶にないですが、将旗の掲揚については、雨倉孝之 『海軍アドミラル軍制物語』 光人社、1997年(平成9年)、150-152頁に書かれています。
同書から引用すると (1)根拠は、明治29年制定の海軍旗章条例。(2)大将旗は「大将旗は大檣頂」中将旗は「前檣頂」少将旗は「後檣頂」に掲げると規定。(3)この規定は、三本マストの軍艦を前提にしている(同書には書いていませんが、帆船海軍時代から続くイギリス海軍の規定をそのまま持ち込んだのでしょう。帆走軍鑑の戦列艦やフリゲイトは三本マストで、真ん中をメインマスト、前をフォアマスト、後ろをミズンマストと呼び、メインマストが一番高く、メインマスト→フォアマスト→ミズンマストの序列だったようです)。(4)実際問題として、軍艦には高いマストが2本あることが多いので、2本のうち高い方を「大檣」とした。
大和の場合は、「大檣」は、煙突の後ろの枝分かれしているマストのうち、一番前のものでしょう。『日本の戦艦パーフェクトガイド』学研、2004年(平成16年)、55頁の「昭和17年9月9日、トラック在泊の、連合艦隊旗艦の大和」の写真では、そのマストに将旗(山本五十六大将の大将旗)が揚がっております。映画では、そう描写されていなかったのでしょうか?


聯合艦隊司令長官 山本五十六 については、「注釈」の節の記述は全部除去でいいんですよね?--Dwy 2012年2月8日 (水) 16:26 (UTC)」ですが、そういう話にはなってない筈です。
Hman氏がこのノートで 「今回の案件のきっかけとは言え基本的にただの記事の話ですので、当該記事のノートで詰めるかたちになるでしょう。--Hman 2012年2月8日 (水) 18:00 (UTC)」 と発言なさってますが、同氏は、本ノートでの議論の前段階の Wikipedia:井戸端/subj/映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。
「的確な編注がどうしても必要な時はその時の編集者各位の支持または黙認のもとに記されるのでしょうし、その他様々なところで、運用上の問題として、多少のぶれは編集者各位の支持または黙認のもとに許容されています。しかるにこの様な事をわざわざ明記してしまっては「ガイドライン(または方針)に許容するとあるんだから記述しておく権利がある!」・・・と、些末で無意味で論評ギリギリのものがそこいら中の記事で大量に・・・という危険性が高いと考えます。例外は例外なんです。他の方針・ガイドラインも、そこまではフォローしていませんし、する必要も無いでしょう。いくらなんでも収拾が付かなくなるんじゃないかと。--Hman 2012年1月14日 (土) 02:46 (UTC) 」
と述べておられ、 Wikipedia:井戸端/subj/映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。 での「脚注」についての議論は、そういう線で収束しております。収束した話を蒸し返す理由はないでしょう。--Pooh456 2012年2月9日 (木) 02:54 (UTC)
映画を見ていて歴史考証の不備に気づいたのがあなたであるのならば、それをウィキペディアに書くことはできません。なぜなら、ウィキペディアに執筆者の見解を書くことは許されないからです。これは本文・脚注の別のない大原則です。代わりに、個人のブログ等でお願いします。
ウィキペディアで映画の記事を執筆する際はWikipedia:信頼できる情報源、つまり新聞雑誌でその映画がどのような評価を受けているのかを調べてから執筆に当たることを強くお勧めします。--Bugandhoney 2012年2月9日 (木) 19:31 (UTC)
「史実Aを題材にした映画BでCという描写がされている。史実Aについては、文献DにはEと記されている」とWikipediaに記載することは問題になりません。Bugandnoheyさんは「歴史考証の不備に気づいたのがあなたである」ということが Wikipedia:独自研究は載せない に抵触する、と主張したいのだろうと推察しますが、「史実Aを題材にした映画BではCという描写がされている」という『事実』は、「映画Bで、映像の形で発表されている」ので Wikipedia:独自研究は載せない に該当しません。付言しますと「史実Aを題材にした映画BではCという描写がされている」というのは、Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料 の「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」に該当し「Wikipedia編集者の見解」ではありません。映画Bが劇場公開されており、公開終了後に映像ソフト化されるならば Wikipedia:検証可能性 を当然に満たします。--Pooh456 2012年2月10日 (金) 00:53 (UTC)

Pooh456さんの主張には複数の問題があります。

「映画BでCという描写がされている」という記述の出典は映画そのものです。この映画は記事の主題であり、つまり一次資料に当たります。一次資料に関して信頼できる情報源には、「一般に、ウィキペディアの記事は一次資料に基づくべきではなく、むしろ一次資料となる題材を注意深く扱った、信頼できる二次資料に頼るべき」とされており、さらに「信頼できる出版元によって、その情報が入手できる状態になっていない一次資料は、使ってはいけ」ないとされています。つまり、映像ソフト化されて、誰でもその情報が入手できる状態にならなければ、映画における描写は出典として用いることができません。さらに、検証可能性では、「TVで観た」などという情報は、事実確認の機能を欠く信頼性に乏しい情報源とされており、「映画BでCという描写がされている」というのがPooh456さんの個人的な経験である以上、第三者には確認するすべがありません。「映画を見たらCという描写があった」というのは、ウィキペディアに必要な検証可能性を満たしてないというのは、Pooh456さん自身が図らずも認めたところであり、私が大将旗に言及したところ「映画では、そう描写されていなかったのでしょうか?」と質問されました。仮にこれが毎日新聞の記事ではなく、単に私がそういうシーンを見かけたというのであれば、第三者であるPooh456さんには検証しようがありません。つまり、「映画BでCという描写がされている」というのがあなたの観察によるのであれば、ウィキペディアの検証可能性を満たしておらず、ウィキペディアの記事から除外されるべきです。

次に、「史実Aを題材にした映画BでCという描写がされている」と「史実Aについては、文献DにはEと記されている」と続けて記述するのは、描写Cが史実Aと異なるということを指摘するためであって、これは独自研究は載せないの「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」にあたります。「描写Cは史実Aと異なる」という直接的な文言がなくても同じことです(英語版の国連の例に当たる)。この場合は、「描写Cが史実Aと異なる」と言及している出典が必要です。歴史物の映画において歴史考証の優劣は映画批評に欠かせない要素であり、ウィキペディアの一執筆者の見解ではなく、信頼できる情報源で発表された出典によるべきです。

さらに、「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」とのことですが、Pooh456さんによる編集に疑義を唱えているのは私に限らず、Dwyさん、男梅さん、Hmanさんも同様であり、そのような状態ではPooh456さんによる編集が「誰でもその正確性を簡単に検証できる」内容ではないことは明らかです。「誰でもその正確性を簡単に検証できる」というのは苦しい強弁にしか見えません。

繰り返しになりますが、一次資料の取り扱いには慎重であるべきであり、映画の場合、映画自体を出典とするのは、執筆者の解釈が入りようのない「あらすじ」にとどめるべきです。すでに複数の異議が出ている以上、Pooh456さんによる映画自体を出典とした記述は除去されるべきでしょう。映画の記事は映画そのものを題材にした信頼できる情報源で発表された二次資料を中心とすべきであり、山本五十六の伝記、海軍軍人の手記、歴史本などはあくまでも補助的に援用するのにとどめるべきです。Pooh456さんが脚注で書いていることは、一義的にはそれぞれ山本五十六大和 (戦艦)将官などの記事に書き加えられるべき内容に見受けられます。--Bugandhoney 2012年2月10日 (金) 23:48 (UTC)

1)『映像ソフト化されて、誰でもその情報が入手できる状態にならなければ、映画における描写は出典として用いることができません』
『「映画BでCという描写がされている」というのがあなたの観察によるのであれば、ウィキペディアの検証可能性を満たしておらず、ウィキペディアの記事から除外されるべきです』
これらは、いずれもWikipediaのルールではなく、「Bugandhoneyさんの私見」ですね?
「TVで観た」「ラジオで聞いた」などという情報が、Wikipedia:検証可能性 を満たさないとされているのには異議を申し立てませんが、これは「TVやラジオの番組は自分の意志で見ることが出来ない」からです。誰かが個人的に録画・録音していたとしても、その録画物等を家庭内使用の範囲を超えて使用することは著作権法違反となります。放送局に「TVやラジオの特定の番組を視聴させてもらう」ことは出来ません(近年、「NHKアーカイブス (施設)」 や 「NHKオンデマンド」 という例外が出来ましたが)。「TVで観た」「ラジオで聞いた」などという情報がWikipedia:検証可能性 を満たさないとされているのは、上記の理由によります。


1’)「劇場公開されている映画」は違います。映画館に行って、自分の意志で、見ることができます。映画館に行ってお金を払って映画を見るのは、本屋でお金を払って書籍を買ったり、図書館で雑誌を閲覧するのと同質の行為です。つまり、「劇場公開されている映画」は、「映像ソフトが発売されている映画」や「出版されている書籍等」と「同等」に Wikipedia:検証可能性 を満たします。同様に、Wikipedia:信頼できる情報源#オンラインや自己公表された情報源の利用 の基準で「信頼できる情報源」とされるサイトに掲載されており、自分の意志で見ることが出来る映像(動画・静止画)、例えば 「マイナビ女子オープン専用サイト」 に掲載されている映像は、Wikipedia:検証可能性 を満たします。


2)『「描写Cは史実Aと異なる」という直接的な文言がなくても同じことです(英語版の国連の例に当たる)』
日本語版Wikipediaでは、日本語版Wikipediaのルールを提示して頂きたいですが、それはさておき、ご指摘は en:Wikipedia:No original research#Synthesis of published material that advances a position の「『×』 The UN's stated objective is to maintain international peace and security, but since its creation there have been 160 wars throughout the world.」ですね。これは、私が示した「史実Aを題材にした映画BでCという描写がされている。史実Aについては、文献DにはEと記されている」と同質の、接続詞 but を挟まない「The UN's stated objective is to maintain international peace and security. Since its creation there have been 160 wars throughout the world.」であれば、"Synthesis of published material that advances a position" に該当しない筈です。異議があるなら、en:Wikipedia talk:No original researchで確認なさることです。


3)『Pooh456さんによる編集に疑義を唱えているのは私に限らず、Dwyさん、男梅さん、Hmanさんも同様』
『すでに複数の異議が出ている』
Wikipedia:投票は議論の代用とはならない などで、『ウィキペディアが民主主義(多数決主義)でない』と『繰り返して明示』されていますので、Wikipediaでは「同意している(同意していない)人数」は、「投票」がWikipediaのルールに従って行われる場面以外では問題になりません。明示されているWikipediaのルールを無視するなら、Wikipediaに参加しないことです。


4)『映画の場合、映画自体を出典とするのは、執筆者の解釈が入りようのない「あらすじ」にとどめるべき』
『映画の記事は映画そのものを題材にした信頼できる情報源で発表された二次資料を中心とすべき(二次資料によるべき)』
それは、Wikipediaのルールではなく、Bugandhoneyさんの「私見」ですね?その私見は、Wikipediaのコミニュティの支持を得ていないようです。現に「小説や漫画を映像化したドラマや映画について、そのドラマ(映画)を見て、「専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説」をしている例、例えば「原作とドラマ(映画)の相違を記述する」例はWikipediaに多く存在し、特に問題視されておりません。
Bugandhoneyさんが「Wikipediaでは『映像作品の記事を執筆する場合、映像作品自体を出典とするのは、執筆者の解釈が入りようのない「あらすじ」にとどめるべき』『映像作品の記事は映像作品そのものを題材にした信頼できる情報源で発表された二次資料を中心として執筆すべき(二次資料によるべき)』」と考えるなら、それをWikipediaのルールにまとめ上げて下さい。


5)『Pooh456さんが脚注で書いていることは、一義的にはそれぞれ山本五十六大和 (戦艦)将官などの記事に書き加えられるべき内容に見受けられます』
各項目に分散して記載するより、記事 聯合艦隊司令長官 山本五十六 に記載する方が、映画 「聯合艦隊司令長官 山本五十六」 についての情報を欲する閲覧者にとっての『実益』があると考えますので、そのようにしております。--Pooh456 2012年2月11日 (土) 03:15 (UTC)

コメントPooh456さん。以前にも他の方から指摘されましたが、他の人の意見を『私見』と切り捨て、自分の考えを押し通す行為は慎みませんか?そういった記述をなされることは、「開き直り」「ふてくされ」「意固地」として捕らえられる可能性があります(それは貴殿にとっても本意では無いでしょう)。また貴殿の今回の編集行為にに対し、疑問に思っている人が数人おり(私を含め、数人の皆様の名前が挙がっていますが)中には『独自研究の疑いが強い』とまで意見を述べられている方も居ます。、それも紛れもない事実であり素直にに受け止めなければなりません。確かにウィキの編集は『多数決』ではあり得ないでしょうが、一方で多数の方から「おかしい」と指摘され、貴殿の意見に賛同される方が居られないのであれば、貴殿が例え100の理由を述べて反論してもそれは「おかしい」のです。考えの変更も必要でしょう。

さて、久しぶりにこちらを訪れましたら、『映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非』ルール作りの合意形成という主目的から離れ、最初のノートページで議論していた事に戻ってしまっています。BugandhoneyさんもPooh456さんも、もう少し主題にそって冷静に議論して下さい。--男梅 2012年2月12日 (日) 16:29 (UTC)

男梅さん、たいへん失礼いたしました。「ところで、聯合艦隊司令長官 山本五十六については、「注釈」の節の記述は全部除去でいいんですよね?--Dwy 2012年2月8日 (水) 16:26 (UTC)」という発言から、話がズレてしまいました。その後、Hmanさんが一回発言したのを除き、Dwyさんの発言にBugandhoneyさんが応じ、Pooh456とBugandhoneyさんの論争となってDwyさんが発言を止めた(Dwyさんの投稿記録を見ると、男梅さんがコメントをした 2012年2月12日 (日) 16:29 (UTC) の少し後の 2012年2月12日 (日) 16:47 まで投稿記録があります)状態です。私としては「聯合艦隊司令長官 山本五十六については、Dwyさん、Bugandhoneyさん、あるいは他の方から、記事「聯合艦隊司令長官 山本五十六 についての発言がなく「同記事については『注釈』の節の記述は全部除去」が実行されないのなら、これ以上、この記事に触れる発言はいたしません。


さて、男梅さんからお叱りを頂きました。謙虚に受け止めさせて頂きます。言いにくいことを仰って頂き、誠に有難うございました。ただ、私が主に書いた聯合艦隊司令長官 山本五十六の「注釈」の節の記述についてですが、男梅さんの「また貴殿の今回の編集行為にに対し、疑問に思っている人が数人おり」「貴殿の意見に賛同される方が居られないのであれば、貴殿が例え100の理由を述べて反論してもそれは『おかしい』のです」というご指摘については、
ノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六#Wikied氏の編集について」で、Takabegさんが、聯合艦隊司令長官 山本五十六について、「注釈」の節の記述を支持する発言をしています。
Wikipedia:井戸端/subj/映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。」で、Takabegさん、Toshi999さん、Truesightさんの3人が、聯合艦隊司令長官 山本五十六(のような映像作品)の「注釈」の節の記述を支持する発言をしています。男梅さんも「出典が確かな記述で、しかも本文の補足説明として有益と思われる文章を、あえてそれを残すことで作品の意味が深く理解出来る可能性のある記述を、全て一律『独自研究』として削除してしまうのも、記述を育てるという意味では問題があると感じました」と2012年1月12日 (木) 12:50 (UTC)に発言しておられますね。議論をまとめる過程の発言ではありますが。「ノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六」から始まった、「記事聯合艦隊司令長官 山本五十六」の「注釈」の節の記述についての議論で、数名が、これを支持する発言をしている(Pooh456の意見に賛同する人はいた)のが事実です。その点はご理解下さい。--Pooh456 2012年2月13日 (月) 12:32 (UTC)

(男梅さんへ)前にも書きましたが、問題の要はウィキペディアの方針に書いてあることから導かれる自明なことが理解できないユーザーにいかにウィキペディアの方針を理解してもらうか、ということだと思います。具体的な対処法は上に書いたとおりです。実は、私も男梅さんと似たような経験があり、ウィキペディアの方針(外部リンクですが)を無理目に解釈する人に自分の編集を削除されたことがあります。記事のノートでいくら説明しても理解してもらえなくて、別の場所で問題の方針に但し書きすることを私が提案したのですが、そのときも自明なことをわざわざ書く必要はないというような反応が他の編集者から返ってきて実現しませんでした。ここまでの議論を見ても男梅さんの提案に沿った但し書きは実現しなさそうかなと思ってます。特定のユーザー、特定の問題を簡単に解決できることが方針に書いてあったら確かに楽ですけど、それよりもウィキペディアの基本的な編集方針を理解して、それを常識的に個々の問題に当てはめるというやりかたのほうが大事みたいです。ウィキペディアは仕様としてこういう事態にうまく対処できないなあというのが私の感想です。

(補足)英語版に関連した興味深い議論を見つけました[1]en:What the Bleep Do We Knowという映画の記事において、非科学的な描写を物理学の教科書を引用して指摘することは独自研究に相当するか、という質問に対するコメント依頼です。それなりの人数の人がこれは独自研究に当たらない、と答えていて、この問題が独自研究であるのは「自明」というほどでもないかもしれません。一番説得力があると思った回答は独自研究の方針にある

独自研究ではないことを示す唯一の方法は、その記事の主題に直接関連のある情報を提供している信頼できる資料を参考文献として記し、その資料に記された内容に忠実に記述すること

を援用している意見でした。記事の主題は映画ですから、映画を直接取り扱っていない情報、つまり、映画の公開前に発表された山本五十六の伝記や歴史の本をもとにしたPooh456さんのような編集は、この方針で排除できると思います。--Bugandhoney 2012年2月13日 (月) 15:47 (UTC)

(Pooh456さんへ)要するに、これまで言及したウィキペディアの方針を私はことごとく誤解していると。なおかつ、私以外にもPooh456さんの編集の問題点を指摘している複数の編集者がいますが、この人たちもウィキペディアの方針を誤解していると。それでいて、Pooh456さんが脚注に書いていることは、ウィキペディアの方針に合致した、ウィキペディアにふさわしい内容であると。そういうことでしたら、私のほうからはもう特に言うことはないです。非常に残念ですとしか。個人的には他の編集者の意見を尊重しない人がわざわざウィキペディアを使わなくても、とは思いますが。--Bugandhoney 2012年2月13日 (月) 14:18 (UTC)

BugandhoneyさんのPooh456への発言は、「そういうことでしたら、私のほうからはもう特に言うことはないです。」の後は蛇足ですね。--Pooh456 2012年2月14日 (火) 07:01

コメント すべからくですが、ルールや意見を都合良く解釈してはならず、またルールを曲解・自己解釈・悪用して自分の思う意見に誘導してはならない。これは今までの議論で出し尽くされた方向性だと感じます。Pooh456さんに誤解されてはと思うのですが、貴殿が指摘されている部分は、私個人として、削除という短絡的な行動を自戒した部分であって、貴殿の記述を全肯定した訳ではありません(論議の中で、貴殿の考えに共感した部分は少なからずあります)。そこは理解してくださいね。また管理者でもない私は、貴殿の記述行為を叱ったりする意図や権限は全くありませんので、あくまでも『指摘』という形にとどめております。この点も了解して下さい。

ここからは個人的な考えになります。まず『聯合艦隊司令長官 山本五十六については、「注釈」の節の記述は全部除去でいいんですよね?--Dwy 2012年2月8日 (水) 16:26 (UTC)」』という提案ですが、私は『問題点を一度白紙にしてから、再度記述の内容を構成し直す』という意味ではありかと思います。ただこれは。Pooh456さんの行動を全否定する事に繋がり、またこちらのノートぺージで議論する問題ではない『個別の問題』になりますので、それは聯合艦隊司令長官 山本五十六の個別ノートべージで議論致しましょう(脚注の部分を削除では無く、非表示という形での『借り置き』でも良いかもしれません。

Bugandhoneyさんの指摘・主張された意見に関しては、今後こちらのノートページで議論を進めていく上で重要な叩き台にはなるような気がします。ただどうもPooh456との意見対立や泥沼合戦の展開になってきているような傾向が強いですので、ここは1つお互いにののしりあい的な行動は止め、刀を収めて頂きませんか?ここのページではあくまでも『映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非』ルール作りの合意形成が議論の中心です。

あと、今回私が提案した『映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非』ルール作りの合意形成に関して、「趣旨には賛成だが、ルール作りという事には既に論議が出尽くしており、あえて制定の必要性は見あたらず補足のルールを強化する事で充分」という意見が大筋の様に思われます。その様な形で議論を進めるべきか、またルール作りを行うべきか、具体的な意見や指摘がございましたら有り難いと感じております。--男梅 2012年2月15日 (水) 03:17 (UTC)

男梅さん、ご心配をお掛けして申訳ありません。男梅さんのご発言の意図は全て了解しております。個別の記事「聯合艦隊司令長官 山本五十六」については、同記事の「ノート」に議論の場を設けましたので、そちらで具体的に議論します。こちらのノートでは「刀を収め」ます。Bugandhoneyさん他の、この議論への参加者の皆さんは『映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非』ルール作りの合意形成に関して、「趣旨には賛成だが、ルール作りという事には既に論議が出尽くしており、あえて制定の必要性は見あたらず補足のルールを強化する事で充分」という意見が大筋の様に思われますという男梅さんの指摘なさった線で、議論をお進め下さい。--Pooh456 2012年2月15日 (水) 04:55 (UTC)
あまり頻繁に議論に参加できなくてすみません。
男梅さんは「ルール作り」とおっしゃっていますが、Trcaさん、Ks aka 98さんをはじめとする皆さんのご意見は既に(基本的な)ルールは存在するから、新たな記述を加える必要性は見当たらないということだと思います。つまらない言葉尻のことかもしれませんが、ちょっと気になったので、一応指摘させていただきます。
それから、この節の一番上で男梅さんがリンクされている井戸端の議論では、その既存のルールに準拠して以下の合意が成立したと、私は認識しています。
  • 時代考証や設定考証が弱いと思われる部分に対し、編集者が広く流布・認知されていない外的な観点や情報を、本文内で独自に解説・指摘する行為は、『独自研究』に抵触する行為であるので記述不可とする。
  • 時代考証や設定考証の差違について、専門家・著名人が新聞・書籍・雑誌、インターネット等の公の媒体上で指摘し、内容の出典が担保される場合、出典付きで説明する記述を本文に書き加える事は許容する
これは、私の解釈によれば、「映画の設定に関する出典」+「史実に関する出典」では「独自研究」になってしまうこと、「時代考証や設定考証の差異について直接言及する出典」が要求されることを合意したものでした。つまり、「時代考証や設定考証の差異について直接言及する出典」が存在しない聯合艦隊司令長官 山本五十六の「注釈」の節の記述は全部除去ということで大方の合意は取れていると認識していましたので、今ここで議論が白紙に戻って再燃しそうな展開になり、ちょっと戸惑っています。
そこで、これまでの議論参加者を中心にうかがいますが、井戸端で「草案」として合意されたことは、一体どういう意味だったのでしょうか?(とりあえず、同じ議論を何回も繰り返すのは意味がありませんから、過去の合意事項の確認を行うべきだと思います。新規参加者のご意見も歓迎しますが、とりあえずここでは、できるだけ「過去の議論で合意されたこと」に話題を限定したいと思います)。直ぐ上の議論を見ると、Pooh456さんの認識が私の認識と違うのは明らかですが、Pooh456さん以外にも「そういう話にはなっていなかった筈」という認識の方がいらっしゃるのでしょうか?--Dwy 2012年2月15日 (水) 15:48 (UTC)
Dwyさんの言われる「「時代考証や設定考証の差異について直接言及する出典」が存在しない聯合艦隊司令長官 山本五十六の「注釈」の節の記述は全部除去」について、文の後ろの方から論理が遡及している感があります。「大方の合意が取れている」という結論につき、「箇条書き」で論理構成をなさっては如何ですか?--Pooh456 2012年2月15日 (水) 16:33 (UTC)

問題の記事のノートではPooh456さんによる編集という個別の案件について複数の編集者がそれは独自研究に当たるという見解を表明しています。本ノートの議論では、一般論として、ある映画の描写が歴史的事実に反することをその映画に直接言及のない歴史資料を出典にウィキペディア編集者が指摘することは独自研究に当たるという見解を、管理者を含めほぼすべての編集者が表明しています。このような編集は独自研究には当たらないとしているのはPooh456さんだけです。Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#いつまでも「納得」しないにあるとおり、「ある主張をしつづけることが常識的な程度を超え、方針ではこうであると明示されても、あるいは根拠に裏打ちされた意見を熟練した複数の編集者、管理者、調停者から示されても、「納得する」ことを意図的に拒否していることが明らかになった場合、納得の拒絶を継続することは、もはや正当性のある態度、方針に準拠している態度とはいえません。それは、自説を通したいがために合意形成の方針を悪用した、妨害行為です。」Pooh456さんに求められているのは、他の編集者の意見を尊重して合意形成に協力することであって、それが実現しない限り、「矛の収めよう」はないです。

Dwyさんが書いたとおり、これまでの議論でわかったのは、一般論として、ある映画の描写が歴史的事実に反することをその映画に言及していない歴史資料を出典にウィキペディア編集者が指摘することは独自研究に当たるという見解が多くのウィキペディア編集者に支持されているということです。ウィキペディアの公的な方針にはならないとしても、このノートでの議論自体には同様の効果があると思います。公的な方針と同じくらいぱっと見て理解できるようにしたいというのであれば、英語版のen:What the Bleep Do We Knowでのノートでの議論にならって、「歴史物の映画の描写が歴史的事実に反することをその映画に言及していない歴史資料を出典にウィキペディア編集者が指摘することは独自研究に当たるか?」という単刀直入な質問に対してYes/Noで答えてもらうようコメント依頼を出すことを考えてもいいかもしれないです。結果をカウントすればそのような見解が多数の編集者に支持されていることを明瞭に示すことができます。すでにこの問題についてコメントした人たちから「またかよ」と思われるかもしれないですが...。

問題の記事をどうするかについては、Wikipedia:出典を明記する#出典無き記載の扱いの「指摘したい箇所が疑わしいが有害でない場合」に準じた対処を提案します。すなわち、問題の箇所に独自研究か要出典のタグを貼り付け、十分な期間を経ても出典が提示されない場合は、削除する、ということです。Pooh456さんはこれ以上出典をつける必要はないと考えているようですが、誰か他の人が出典を提示できるかも知れないです。私がウィキペディアの編集を通して学んだのは、独自研究を除去するもっとも確実で手っ取り早い方法は、自分で(気づいた人が)出典を付け加えることです。そのつもりで新聞記事検索したのですが、問題の映画の歴史考証の不備を指摘した記事は見つかったのですが、Pooh456さんが気づいた点ではなかったです。それでも、映画雑誌や、現代史家のブログ、インタビューなどを丹念に知れべれば出典は必ず見つかるはずです。どうしても出典が見つからないときは...それはウィキペディアでわざわざ取り上げるほどもないということなのでしょう。--Bugandhoney 2012年2月15日 (水) 19:41 (UTC)

Dwyさん。

これは、私の解釈によれば、「映画の設定に関する出典」+「史実に関する出典」では「独自研究」になってしまうこと、「時代考証や設定考証の差異について直接言及する出典」が要求されることを合意したものでした。つまり、「時代考証や設定考証の差異について直接言及する出典」が存在しない聯合艦隊司令長官 山本五十六の「注釈」の節の記述は全部除去ということで大方の合意は取れていると認識していましたので、今ここで議論が白紙に戻って再燃しそうな展開になり、ちょっと戸惑っています。

私もそういう風に認識(了解)していて、またこれまでその様に意見を述べてきました。私は問題になった聯合艦隊司令長官 山本五十六の「注釈」は、一旦削除する方が得策であると思っています。つまり「『注釈』の部分を一度削除←(白紙に戻して)してから、本文の記述を変更←(記述の内容を修正・構成)した方がよい」のでは…が私の率直な意見です。

そこで、これまでの議論参加者を中心にうかがいますが、井戸端で「草案」として合意されたことは、一体どういう意味だったのでしょうか?(とりあえず、同じ議論を何回も繰り返すのは意味がありませんから、過去の合意事項の確認を行うべきだと思います。新規参加者のご意見も歓迎しますが、とりあえずここでは、できるだけ「過去の議論で合意されたこと」に話題を限定したいと思います)。直ぐ上の議論を見ると、Pooh456さんの認識が私の認識と違うのは明らかですが、Pooh456さん以外にも「そういう話にはなっていなかった筈」という認識の方がいらっしゃるのでしょうか?

史実・伝記・事件・ノンフィクション等を題材とした創作作品の内容を解説するウィキペディアのページにおいて

  • 時代考証や設定考証が弱いと思われる部分に対し、編集者が広く流布・認知されていない外的な観点や情報を、本文内で独自に解説・指摘する行為は、『独自研究』に抵触する行為であるので記述不可とする。
  • 例外として、時代考証や設定考証の差違について、専門家・著名人が新聞・書籍・雑誌、インターネット等の公の媒体上で指摘し、内容の出典が担保される場合、出典付きで説明する記述を本文に書き加える事は許容する。

今までの意見を拝聴すると、『趣旨には賛成だが、既にルールは出来ていて新たにこの文章を本文に記述する事は必要性が考えられない』というのが大半ですね。代案はTrcaさんと--大和屋敷さんが提唱されています。私個人としてはTrcaさんの代案がベストと思うのですが、本文を修正するのに抵抗感(疑問)を感じている方が多いので、大和屋敷さんの代案が現実的ではと考え、どっちにしたら良いか悩んでいる所です。

Bugandhoneyさん 貴殿の意見を拝聴すると、議論の叩き台として意図を付いた意見を述べられています。一部疑問の部分ありますが、Bugandhoneyさんの意見も踏まえて今後の議論を進めていきましょう。

あと私が「刀を納めて欲しい」と記述したのは、特定の人物の意見に反対・指摘する事が多く泥沼合戦になる傾向が見られてきましたので、ここは「指摘合戦をするのではなく議論を進めて欲しい…」という意図で述べました。言葉足らずならばお許しください。

もうそろそろ議論も集積されてきて纏めの時期に至ったと考えます。皆様のご意見宜しくお願いいたします。--男梅 2012年2月16日 (木) 01:10 (UTC)


男梅さんの「私の解釈によれば、「映画の設定に関する出典」+「史実に関する出典」では「独自研究」になってしまう」は、「『映画の設定に関する記述(映画自体が出典)』+『史実に関する記述(出典:山田太郎「明治維新」)』では「独自研究」になってしまう、と理解してよろしいでしょうか?

そのように理解すると、過去の議論 「Wikipedia:井戸端/subj/映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。」での他の方の発言


「「関連する史実」と「史実との異動」を並べて記すことは特定の観点を推進するような発表済みの情報の合成です。--Dwy 2012年1月14日 (土) 00:25 (UTC)

「結論があからさまに述べられていなくても、2つの記述を並べることにより別の結論が暗示されていれば、「発表済みの情報の合成」=「独自研究」になります。たとえば英語版の方針ページでは、「国連の目的は国際の平和と安全の維持と規定されているが(出典あり)、国連創設以来160の戦争が発生している(出典あり)」が独自研究になる「発表済みの情報の合成」の例として記載されています。参考にしていただければと思います。--Dwy 2012年1月14日 (土) 11:42 (UTC)


「「史実Aを題材にした映画BでCという描写がされている」と「史実Aについては、文献DにはEと記されている」と続けて記述するのは、描写Cが史実Aと異なるということを指摘するためであって、これは独自研究は載せないの「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」にあたります。「描写Cは史実Aと異なる」という直接的な文言がなくても同じことです(英語版の国連の例に当たる)。Bugandhoney 2012年2月15日 (水) 19:41 (UTC)」


と、同じ論理構成になりますね。

すると、

「:2)『「描写Cは史実Aと異なる」という直接的な文言がなくても同じことです(英語版の国連の例に当たる)』 日本語版Wikipediaでは、日本語版Wikipediaのルールを提示して頂きたいですが、それはさておき、ご指摘は en:Wikipedia:No original research#Synthesis of published material that advances a position

  • A simple example of original synthesis:


× The UN's stated objective is to maintain international peace and security, but since its creation there have been 160 wars throughout the world.

ですね。

これを、私が示した「史実Aを題材にした映画BでCという描写がされている。史実Aについては、文献DにはEと記されている」と同質の、接続詞 but を挟まない

「The UN's stated objective is to maintain international peace and security. Since its creation there have been 160 wars throughout the world.」

とすれば、"Synthesis of published material that advances a position" に該当しない筈です。 Pooh456 2012年2月11日 (土) 03:15 (UTC)」(文章を若干変更しておりますので、『差分』 を示しておきます)。疑問があるなら、en:Wikipedia talk:No original researchで質問なさっては如何でしょう。


※ この書き込みの後で気がついたのですが、「en:Wikipedia:No original research#Synthesis of published material that advances a position」には、日本語版Wikipediaの 「Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」 にはない「特定の観点を推進するような、発表済の情報の合成に該当しない事例」の例示がありました。

The following is a more complex example of original synthesis, based on an actual Wikipedia article about a dispute between two authors, here called Smith and Jones. The first paragraph is fine, because each of the sentences is carefully sourced, using a source that refers to this dispute:(和訳:これは、「独自研究」のより複雑な検討事案である。これは、実在する、二人の著者<甲と乙>の間の紛争のウィキペディアの記事に依拠している。<この、仮定のウィキペディアの>記事の最初の段落は問題ない<=独自研究に当たらない>。前と後のいずれの文も、この紛争に関連する、注意深く出典を吟味した<信頼できる、確かな>資料を典拠としているから。)


|quote  = チェック  Smith claimed that Jones committed plagiarism by copying references from another author's book. Jones responded that it is acceptable scholarly practice to use other people's books to find new references.

|source = |width = 70% |align = center }}

上記により、男梅さんのご指摘の前提である「映画の設定に関する出典」+「史実に関する出典」では「独自研究」になってしまう」ことが怪しくなってしまうように思いますが、如何でしょうか。--Pooh456 2012年2月16日 (木) 09:05 (UTC)

併記はenのWP:SYNだと二例目にあたるものだと思います。,andでなく.ならいいという話ではないような。で、三例目についてですが、SmithとJonesとの紛争に関する問題に関する記述で、Smithの主張に対してJonesが反論しているものですよね?これはJonesのrespondしている対象はSmithのclaimなのであって、つまり「Cについて文献DではEと示している」と同等と考えますがどうでしょうか。--水原紡 2012年2月16日 (木) 15:29 (UTC)

--Pooh456 2012年2月16日 (木) 16:21 (UTC)の発言時に、水原紡氏の最新の発言'「Cについて文献DではEと示している」を「『AはBに文献CでDと示した』『Cについて文献DではEと示している』」と同等と考えます」に修正。 [利用者:Pooh456|Pooh456]] 2012年2月16日 (木) 09:05 (UTC) と、水原紡 2012年2月16日 (木) 15:29 (UTC) と、議論を整合させるためですのでご了解下さい。--Pooh456 2012年2月16日 (木) 16:21 (UTC)

了解しないです。私の文章が問題なのであれば指摘する、または自分はこう解釈するという前置きの上で書いてください。貴方の論の整合性のために私の文章弄るとか勘弁してください。(CはBで示された/描写されたCのつもりで書いていたので意味が違ってしまうし、変な文字入ってるし。言葉足らずだった私もそりゃ悪いんですけど)というわけで戻しました。--水原紡 2012年2月16日 (木) 18:28 (UTC)
理解を深めるために、もう1つ例を見てみましょう。
×ロックバンドのガガガガーはそれまでほとんどテレビ出演を行なっていなかったが、シングル「ガガガガーマックス」の発売前後にテレビへの露出が著しく増えた(xxxx年x月x日「ミュージックガガガガー」、同年x月y日「マックスミュージック」ほか)。この結果、ガガガガーの出すCDはそれまでオリコンチャートで1位になったことがなかったが、その週には、シングル「ガガガガーマックス」が2位に2倍の差をつけて1位となった(xxxx年x月z日発表オリコン週間チャート)。

この文章も、一見もっともらしい記述になっています。しかし「この結果」という表現に問題が潜んでいるのです。なぜなら、オリコンチャートの順位とテレビ出演という典拠のある情報を組み合わせることで、「『ガガガガーマックス』がチャート1位になった理由は直前のガガガガーのテレビ出演である」という典拠がなく、「特定の立場を推進する」見解が主張されているからです。もしガガガガーのテレビ出演と「ガガガガーマックス」のチャート1位の因果関係にはっきりと言及した資料が提示できないのであれば、この文章は「この結果」ではなく「また」で接続されなければなりません。

日本版Wikipedia Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成 で、

水原紡さんが 2012年2月16日 (木) 15:29 (UTC)に指摘し (「AはBについて文献BでCと示した)「Cについて文献DではEと示している」は「独自研究ではないと考える」としたについては、下記のように

「なぜなら、オリコンチャートの順位とテレビ出演という典拠のある情報を組み合わせることで、「『ガガガガーマックス』がチャート1位になった理由は直前のガガガガーのテレビ出演である」という典拠がなく、「特定の立場を推進する」見解が主張されているからです。もしガガガガーのテレビ出演と「ガガガガーマックス」のチャート1位の因果関係にはっきりと言及した資料が提示できないのであれば、この文章は「この結果」ではなく「また」で接続されなければなりません。「『AはBについてCと示した』『CはDについて文献DではEと示した』」は「独自研究である」と同等視できる)

として、「『AはBについてCと示した』『CはDについて文献DではEと示した』」は「独自研究である」と示されています。水原紡さんのお考えは否定されてしPooh456の発言の際に、水原紡氏の最新の発言「Cについて文献DではEと示している」を「『AはBに文献CでDと示した』『Cについて文献DではEと示している』」と同等と考えますに修正。本文を参照して下さい。まうようです。なお、Pooh456の発言の際に、水原紡氏の最新の発言「Cについて文献DではEと示している」を「『AはBに文献CでDと示した』『Cについて文献DではEと示している』と同等と考える」ますに修正。本文を参照して下さい。--Pooh456 2012年2月16日 (木) 16:21 (UTC)

(水原紡さんへ)併記に関してはそのとおりです。接続詞がなければよいということではないです。SmithとJonesの例は、その直後の解説を読んでもらえるとわかると思いますが、二番目の例文が独自研究に当たるのは、Harvard Writing with Sources manualにある剽窃の定義を根拠に、Jonesは剽窃を行っていないとしており、これはウィキペディア編集者の見解にあたるからです。独自研究にならないようにするためには、SmithとJonesの論争に直接的に言及している情報源が必要であり、Harvard Writing with Sources manualを根拠にしたいのであれば、Harvard Writing with Sources manualとJonesの剽窃問題の両方に言及している情報源が必要だということです。要するに、ウィキペディア編集者がJonesの行為は剽窃にあたると指摘したいのであれば、「Jonesの行為は剽窃だ」と直接的に書いてある情報源(最初の例文におけるSmithの主張)が必要であり、逆にウィキペディア編集者がJonesの行為は剽窃には当たらないと指摘したいのであれば、「Jonesの行為は剽窃にはあたらない」と直接的に書いてある情報源(最初の例文におけるJonesの主張)が必要だということです。Harvard Writing with Sources manualには「Jonesの行為は剽窃にはあたらない」とは書いてないので、Jonesの剽窃問題に関する出典にはできません。
(男梅さんへ)もう結論は出ていてこれ以上議論することはないと思うのですが...。男梅さんによる冒頭の二つの提案をそれぞれA、Bとすると:

提案A:却下(理由)提案AはすでにWikipedia:独自研究は載せないに含まれており、新たなルールとまでは言えず、独自研究の例示にとどまる。独自研究の例を独自研究は載せないにいちいち書き加えるのは冗長なので反対。

提案B:却下(理由)ウィキペディアの基本方針とは、こうしなければならない、こうしてはいけないという規定であって、「○○してもよい」という類の特定の内容の編集を是認する性質のものではないから。

提案Aに関しては複数の人が反対意見を表明しているので、独自研究は載せないに書き加えたらだめです。ただし、同時に、多くの人がこれはどこかに明示されるべきだとも考えているようで、最右翼はWikipedia:スタイルマニュアル (フィクションの記述)になるでしょう。どこになんと書くかはこれ以上ここで議論するようなことではなくて、男梅さん(か誰か別の人)の責任で該当する場所に追記すればよいだけのことかと。--Bugandhoney 2012年2月16日 (木) 17:04 (UTC)
(追記)ベストな解決策を見つけました(もっともしんどい解決策でもありますが)。en:Wikipedia:Manual of Style/Filmの和訳です。en:Wikipedia:Manual of Style/Film#Historical and scientific accuracies(歴史考証と科学考証)に関するガイドラインがあり、出典の合成に注意して、映画と歴史または科学を比較している信頼できる二次資料を用いよ、そのような二次資料が限られる場合はウィキペディアの歴史や科学に関する記事にリンクして読者が映画の元となった現実世界に関して知ることができるようにせよ、二次資料を伴わないトリビアな指摘は避けよ、などとされています。有志がいれば手伝いますよ。--Bugandhoney 2012年2月16日 (木) 18:21 (UTC)
(さらに追記)日本語版の草案を見つけました。これを充実させて正式リリースを目指すのが最もよい解決策なのでは。何度もすいません。--Bugandhoney 2012年2月17日 (金) 00:18 (UTC)
(Pooh456さんへ)ええと。「AはBについてCと示した」「Cについて文献DではEと示している」といいたかったわけですが、さて。ガガガガーの例はCに当たるものが何になるでしょうか。「テレビへの露出が著しく増えた」ではないでしょうか。ガガガガーの例であれば「ミュージックガガガガーはガガガガーについてシングル発売前後にテレビへの露出が著しく増えたと示した」「ガガガガーのシングル発売前後のテレビへの露出増について、音楽誌ガガガガー○○ではチャート一位の理由として示している」という事象があれば、音楽誌ガガガガー○○の意見として(ガガガガー○○なる雑誌が信頼できる情報源にあたるなら、かつそれがガガガガーの記事で取り上げるに足る話題であれば)書けるものではないかと。
(Bugandhoneyさんへ)ああ、いや、あの。二番目が何故アウトかは理解してたつもりですが、一番目のパラグラフを文毎に出典提示されたものかと読んでたという話だったりします……で、その場合JonesがSmithの発言に対して言及していることが出典で示されるならば、それは直接の言及なので直接言及されていないものを併記する合成とは違うだろう、という趣旨です。でした。--水原紡 2012年2月16日 (木) 18:28 (UTC)
水原紡さんが何を言いたかったかやっとわかりました。単に私は水原紡さんが言っていることを長々とした別の言い方にしただけですね。すいません。英語の例文は、Jonesの剽窃問題について記述するには、Jonesの剽窃問題に直接言及している出典が必要だということです。いずれの例も出典つきの二つの文が併記されているだけなのに、JonesとSmithの最初の例が出典の合成に当たらないのに対して、国連の2番目の例が出典の合成に当たるのは、水原紡さんが指摘したような構造的な違いがあるからですね(というようなことは英語版では解説されてないですが)。--Bugandhoney 2012年2月16日 (木) 18:55 (UTC)

草案プロジェクト:映画/映画作品スタイルガイド#歴史考証・科学考証のガイドラインを英語版から翻訳したことをお知らせします。ここで議論されたことの精神がうまく表現されていると思います。--Bugandhoney会話2012年3月9日 (金) 06:13 (UTC)

提案者でありながら、多忙により最近訪れることが少なく『放置』気味になってしまっていたことをお詫びいたします。Bugandhoneyさん。翻訳作業お疲れさまでした。英訳ですが、これを日本版式に改良していけば、一定のルール作りの基準になるような感じが致します。問題はこちらのページであげられた論点・問題点を処理出来るかという部分ですが、これには私も加筆・修正の協力をしたいと思います。--男梅会話2012年3月12日 (月) 18:19 (UTC)

コメントand/or編集参加のお願い[編集]

こちらの議論に参加あるいはウォッチされていた方にお願いします。聯合艦隊司令長官 山本五十六におけるこの編集の是非についてノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六#映画の設定について史実を持ち出し指摘・記述する事の是非について--まとめにコメントいただけないでしょうか。

私としては、Wikipedia:井戸端/subj/映画の内容を紹介するページにおいて、史実を持ち出し指摘する記述する事の是非を皆様にお聞きします。やこちらの議論、更にはノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六#映画の設定について史実を持ち出し指摘・記述する事の是非について--まとめの議論によって、「映画の設定に関する出典」+「史実に関する(別の)出典」では「独自研究」になってしまうこと、「時代考証や設定考証の差異について直接言及する出典」が要求されることについて十二分に合意が成立していると思うのですが、Pooh456さんから「強行編集」であるとして差戻しを受けています。

あるいは、既に充分議論が尽くされており今さら特にコメントすることもないという方は(私自身はそういう認識です)、単純にPooh456さんの差戻しを再度差戻ししていただいても良いかと思います。(さらに議論することがあるなら別ですが、単にPooh456さんを納得させるだけなら、100の言葉を費やすより(これまでの長い長い議論でもPooh456さんを納得させることができませんでした)3rrの壁に当ててやる方が話が早いかもしれません)--Dwy会話2012年3月4日 (日) 11:03 (UTC)

コメント「周囲を疲弊させている」ことが複数のユーザーから指摘されているPooh456氏の行動については、相も変わらずという印象で、Dwy氏の見解に全面的に賛同します。
Pooh456氏の編集差し戻しにも折を見て協力できれば、と思っていますが、当方自身も一部苦言を受けているため、率先できない点はご理解いただけると幸いです。--Wikied会話2012年3月4日 (日) 12:38 (UTC)
討論者(提案者)の一人として、Dwy様のご意見には賛成します。現在多忙によりなかなか論議に参加出来ませんが、時間があれば討論にも参加したいと思います。(なお、当該の問題についてはPooh456さんは若干独善的かつ他社の意見をお聞きにならない傾向が見られますので、1度削除して再編成し直した方が問題の解決は早いのではないかと考えています)--男梅会話2012年3月8日 (木) 14:30 (UTC)
仰る事の主旨についての是非はさておき、どうにも、場所違いではありませんか。井戸端であれば細かい事も言われないのでしょうが、流石にこちらのノートでは、単純簡潔な告知・誘導以上のことは行われるべきではないと思うのですが。議論の分散もよろしくありませんし。ご配慮頂きたく存じます。--Hman会話2012年3月8日 (木) 14:45 (UTC)
場所違いであることは確かですが、当ページで新たに議論参加された方が、ノート:聯合艦隊司令長官 山本五十六#映画の設定について史実を持ち出し指摘・記述する事の是非について--まとめページに参加されるのは自由ですので、もし意見があるという方は当該ページにて行って下さるようにお願いいたします。--男梅会話2012年3月12日 (月) 18:26 (UTC)