Wikipedia‐ノート:ウィキペディアでやってはいけないこと

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「ウィキペディアで起こしがちな間違い」というタイトルについて[編集]

「間違いをおかしやすい」というのが普通の日本語の表現であるから、 「ウィキペディアでおかしがちな間違い」にするべきではないでしょうか。 あるいはもっと単純に「よくある間違い」や、「みんながついやっちゃう間違い」 でも良いかもしれませんが。初心者がすみません。里ひろ 12:30 2004年3月2日 (UTC)

初心者がなんてこと気にする必要ありませんよ。確かに変な日本語だと思います。関連文書の日本語は全体としてもっとこなれさせた方がいいので、いろいろアイディアを出してくださいませ。Sampo 12:36 2004年3月2日 (UTC)
題名の日本語表現がおかしいのは英語からの直訳だからでしょうか。この記事は「良いウィキペディアンが冒してはいけない過ち」(What a good Wikipedian should NOT do.)のリストですね。何にでも「がち」と付けるのはテレビのタレントなどが良く使用していて現在は流行しているのですが、もっと堅実な日本語表現(逆に英訳したときにわかりやすいくらい)にしたほうが、後々の世のためになるのではないかと思います。--Emana 2005年6月6日 (月) 20:51 (UTC)[返信]

確かに変な日本語ですね。過去の議論を追ってみると(ノート:ウィキペディアで起こしがちな不作法)、昔の題名は「ウィキペディアに起こりがちな間違い」で、単純に他動詞「起こる」を自動詞「起こす」におきかえたもののようです。ちなみに当時の英語版の題名は「Wikipedia:Most common Wikipedia faux pas」でした(現在はAvoiding common mistakes)。

題名を変更することに異論はありません。現在の英語版から名前をもってくるとすると「ありふれたミスをしないこと」「よくある間違いを避けること」といったものでしょうか?--Michey 2005年6月12日 (日) 20:06 (UTC)[返信]

「ミス」や「間違い」というのは「知ってはいたが意図しない」状況、つまり「事故」に当てはまりますが、この記事の内容は「よくないとは知らずに、意図的に引き起こす」間違い、つまり「過失」をリストアップしています。「過失」は初心者には良くあること、「青春の過ち」などはよく聞くフレーズですね。これ、英語の題名も昔の「faux pas」の方が良かったと思います。しかし、こんな回りくどいことを言っていなくとも、もっと簡単な言い方があります。「ウィキペディアでやってはいけないこと」いかがでしょうか。--Emana 2005年6月13日 (月) 17:23 (UTC)[返信]

「ウィキペディアでやってはいけないこと」に同意します。数日、待ってみて特に反対意見がないようであれば、ページ名の変更作業を実行しても問題ないと思います。--Michey 2005年6月15日 (水) 09:39 (UTC)[返信]

わかりやすい表現ですね。賛成します。sphl 2005年6月15日 (水) 15:06 (UTC)[返信]

「ウィキペディアでやってはいけないこと」としてもいいと思いますが、その場合は、文に「初心者に罪悪感が残らないような文面」を追加しておくべきだと思います。それにしても、この議論はいつ終結するのでしょうか?--Kazutoko 2006年11月5日 (日) 13:40 (UTC)[返信]
(追伸)改名提案をはっきりさせたので、移動はしばらくお待ちください。2週間くらいでいいと思いますが。--Kazutoko 2006年11月5日 (日) 13:52 (UTC)[返信]

ごめんちゃい。リバース・ネガティブに「ウィキペディアでやらなくてもよいこと」とかポジティブに「ウィキペディアで心掛けること」なんてのも思いついちゃいましたけど、20日までに意見がなければ前に提案した「ウィキペディアでやってはいけないこと」でいいです。変更後、内容も直訳っぽいところを初心者や不心得者に優しい文章にしましょう。--Emana 2006年11月8日 (水) 17:20 (UTC)[返信]

移動しました。--Michey 2006年11月28日 (火) 11:41 (UTC)[返信]

2006年11月28日 (火) 11:39(UTC)に「ウィキペディアでやってはいけないこと」に記事名が変更されました(差分)。--モトカル(会話) 2009年1月3日 (土) 15:21 (UTC)[返信]

1 文章を丸写しすること 2 自分の主張を書き込むこと 3 他の利用者と口論すること 4 記事ごとに筆者が存在すると考えること 5 編集に対し過度に慎重になること 6 単なる辞書を作成してしまうこと——以上の署名の無いコメントは、60.139.47.212ノート/Whois IPv4IPv6)さんが 2017年4月20日 (木) 14:27 (UTC) に投稿したものです(Purple Quartz会話)による付記)。[返信]

追加したほうがよいと思われる項目[編集]

Wikipediaでやってはいけないことについて、こういった項目はどうでしょうか。

  1. 削除依頼テンプレートをはがそうとすること。
    初心者にありがちですが、自身の書いた記事に削除依頼テンプレートが貼られると、荒らしか嫌がらせと思うのか、削除タグをはがすという行動が見られます。削除依頼テンプレートが貼られたときは、消去するのではなく、議論に参加してほしいと思います。
  2. 自身の書いた記事が削除されると、すねて荒らしに走ること。
  3. 会話に対して反論せず、消去(隠蔽・改ざん)しようとすること。
  4. 外部のページの文章を丸写しすること。

--Kino-K 2006年12月3日 (日) 07:10 (UTC)[返信]

賛成します。加えて、今の文書の内容には、けっこう「重大な間違い」とは言えないものも含まれている(ウィキと訳さないとか、編集に慎重になるとか、別に重大な間違いじゃないと思うのですが…)一方で、Kino-Kさんのおっしゃるような大事な間違いが抜け落ちていますよね。ほかの言語版なども参考にしながら、アップデートしたほうがよいと思います。--Aotake 2006年12月8日 (金) 11:09 (UTC)[返信]
加筆して、いくつか整理してみました。--Aotake 2007年1月17日 (水) 05:08 (UTC)[返信]
Wikipedia:検証可能性へのリンクってありますか?「ウィキペディアでは、検証可能な情報だけを記載することを大切なルールとしています」の後当たりに入れるのはいかがでしょうか?--はま 2007年1月17日 (水) 05:14 (UTC)[返信]
そうですね。あった方がいいかと思います。--Aotake 2007年1月17日 (水) 06:10 (UTC)[返信]

追加したいのは、1日に2回以上revert編集することです。これを定めればほとんどの編集合戦はなくなるでしょう。F86F 2007年4月22日 (日) 04:26 (UTC)[返信]

「他者の権利を著しく侵害するもの以外で、何の議論も猶予も無しにいきなり削除テンプレートを張ってはいけない。」といった趣旨を追加して欲しいです。犯罪で無い限りは、まず議論を持ちかけた方がWikipedia発展につながると思います。その上で無視する場合は、削除テンプレートを張られるのは仕方が無いと思いますが。削除テンプレート貼り付けが議論の持ちかけだと主張される方もいらっしゃるようですが、紳士的であるとは思いません。--nekonoshin 2008年6月14日 (土) 17:18 (UTC)[返信]

(内容的に賛成できませんが、それはさておき)そのような提案はWikipedia:削除依頼あるいはWikipedia:削除の方針のノートなどで行ない、ルール化等を目指すのがいいと思います。このページの主旨からは少し外れていると思います。--124.146.84.234 2008年6月15日 (日) 11:50 (UTC)[返信]
それなら、「削除依頼テンプレートをはがそうとすること。」もそうですね。--nekonoshin 2008年6月21日 (土) 16:51 (UTC)[返信]
先の追加要望は、私の勘違いがあったようです。「客観的に見て即刻削除の方針に該当しているか居ないか分からない記事に、自身の解釈に基づき即刻削除テンプレートは張る」人に出会ったので、書いたのです。たぶん「ごりおししない」ですよね。そして、「即時削除の乱用はお控えください」のテンプレートを張ってあげればよいのですね。取り下げます。--nekonoshin 2008年6月21日 (土) 17:11 (UTC)[返信]

節を分ける提案[編集]

Aotakeさんをはじめとする皆様、最近の修正、お疲れ様でした。良くなりましたね。ところで、「重大な誤り」のリストを、Wikipedia:荒らし#荒らしの類型と同様に、節(サブセクション)に分けるといかがでしょうか?リンクで類型を指摘しやすくすることが理由です。特に内容を変更するわけではないので、数日のうちにご反対の意見がなければ、私の方で修正しようと思います。--Anonymous000 2007年1月24日 (水) 01:08 (UTC)[返信]

予告よりもだいぶ遅くなりましたが、特に反対意見もないので、修正しました。(差分)--Snafkin000(旧称Anonymous000) 2007年2月28日 (水) 22:23 (UTC)[返信]

「外部の文章を丸写しすること」の修正[編集]

現在の版では、やってはいけないことの冒頭に「外部の文章を丸写しすること」とあります。ですが、ウィキペディア外部の文書を丸写しすることは著作権侵害となることは言うまでもありませんが、ウィキペディア内部の文書を丸写しすることも、GFDLに則った手続きを伴わない限りは著作権侵害となります。実際、削除依頼を見ても、GFDL違反のコピペ行為は頻発しています。

そこで、「外部の文章を丸写しすること」という表題は「文章を丸写しすること」に改め、ウィキペディア内部の文書を丸写しするにも必要な手続きがあることを明記し、さらにWikipedia:記事の分割と統合Wikipedia:ページ名の変更への誘導を示す必要があると考えます。いかがでしょうか。--Cave cattum 2007年4月21日 (土) 05:09 (UTC)[返信]

(完了)修正しました。--Cave cattum 2007年5月2日 (水) 02:07 (UTC)[返信]
コメントしようと思いながら忘れておりました。遅ればせながら賛意を表します。どうもありがとうございました。--Aotake 2007年5月2日 (水) 13:16 (UTC)[返信]

追加[編集]

私が作りましたウィキペディアでやってはいけない(と思うこと)が追加されるといいなぁと思っています。今までの経験上必要かなと思って執筆してみました。採用するかどうかは現段階ではおいといて、一度お読みくだされば幸いです。--Seseragi 2007年9月3日 (月) 13:15 (UTC)[返信]

「(自身の編集を)ごり押ししないこと」に関しては#他の利用者と口論することWikipedia:ウィキケットにも重なる部分もありますが、敢えて「ごり押し」という強い語調を使うことで、ヒートアップしかけていた人の注意を喚起できるかもしれませんね。ただ完全にヒートアップして口から泡吹いて(ヲイ)る人の場合は、余計に煽っちゃうかも…まあそうなっちゃったら荒らし報告フェーズに移行しちゃうか(漏電中)。コメント依頼も視野に入れて)第三者の意見を求めるのはWP:MCFでも示しておいたほうが良いかも。--夜飛/ 2007年9月4日 (火) 13:19 (UTC)[返信]
とりあえず、Wikipedia:検証可能性を入れておかないと。あんまり楽しまれても「草取り」で困りますから。--Album 2007年9月4日 (火) 13:53 (UTC)[返信]
この公式な方針の文頭にある文章、「私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース/情報源を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。」を見落としている人がこれ以上増えると、ウィキペディアは壊れてしまいますよ。すくなくとも「百科事典」ではなくなってしまう。--Album 2007年9月4日 (火) 13:57 (UTC)[返信]

ご意見ありがとうございます。それらを次回訂正時に盛り込んでいこうと思います。--Seseragi 2007年9月5日 (水) 00:18 (UTC)[返信]

訂正版を出したのでご覧ください。場所は同じです。--Seseragi 2007年9月10日 (月) 10:45 (UTC)[返信]
いきなりガイドライン名が来ても文章として誘導しにくい面がありますので、文章の体裁か説明つけて誘導したほうが良いかも。例えば「記述の妥当性で衝突を引き起こさないためにも記事の検証性に配慮する必要があるかもしれません。また当事者間で冷静な対話が難しい場合は第三者に広く意見を募集することを視野に入れてみてください。」とか。ただほとんどのウィキペディアンはWikipedia:五本の柱を原則として参加し、揉め事あるところに5本柱のどれかに引っ掛かってる人があるだけに単純に5本柱を立ててその回りで踊り…(漏電中)、初心に返るという意味で、5本柱に誘導したほうがスマートかも?--夜飛/ 2007年9月10日 (月) 11:04 (UTC)[返信]
「あるかもしれない」ではWikipedia:検証可能性の内容、「私たちがウィキペディアで提供するのは、信頼できるソース/情報源を参照することにより「検証できる」内容だけだということです。」とぶつかってしまうので「配慮して下さい」で良いのではないでしょうか?蟻の穴でダムは決壊しますよ。--Album 2007年9月10日 (月) 14:21 (UTC)[返信]
いやあ、今話してるのは命令じゃなくてガイドラインだし、誘導するのが目的である以上は「勧告」以上の強制力はありますまい。硬直した表現は5本柱の観点から見ても疑問があります(特に5本目)。Albumさんとしては、よく切れるナタがほしいんだと思いますけど、それは金物屋さんで探してください(漏電中)。--夜飛/ 2007年9月10日 (月) 14:29 (UTC)[返信]
なるほど。私は、あなたにだけはかなわないようです。--Album 2007年9月10日 (月) 14:43 (UTC)[返信]
訂正版を出したのでご覧ください。場所は同じです。--Seseragi 2007年9月12日 (水) 12:51 (UTC)[返信]
お疲れ様です。特に気になった点はありません…というか小生の拙い表現を参考にしてくださって恐縮です。--夜飛/ 2007年9月12日 (水) 14:13 (UTC)[返信]
いえいえ、コピペかよ!っと罵られるかと冷や冷やでしたよ。--Seseragi 2007年9月12日 (水) 14:19 (UTC)[返信]
アンサイクロペディアで書いたネタを某ハンバーガーレストランにパチられた小生としては、今更文章を他人にリサイクルされたからといって如何こう云うつもりはねぇっす(脱線転覆)--夜飛/ 2007年9月12日 (水) 14:46 (UTC)[返信]

反対意見が表立ってないようなので追加しました。なにかありましたらご連絡ください。--Seseragi 2007年10月30日 (火) 11:10 (UTC)[返信]

新しく追加してほしい方針に、「自分自身およびその所属団体の記事を作成・編集すること」というのは、どうでしょうか。著名でないブロガー、アマチュアバンド、同好会、中小・零細企業などによる宣伝・広告・売名・スパムを想定しています。あと、自分自身およびその所属団体の記事が削除されたからといって、同種の項目や管理者、削除票を投じた利用者に対する報復行為的な即時削除テンプレートの貼付や削除依頼の提出というような「(「自分が書いた記事を断りもなく削除することは『荒らし』じゃないのか」と言わんばかりな)無自覚な荒らし」をしないように呼びかけてほしいと思います。それと、「ごり押しをしないこと(「やってはいけない」ことですから「――すること」が正しいでしょうけれど)」に、「『記事の初版執筆者だから』『寄付をしているから』といって発言力や影響力が強くなるわけではありません」というような一文を追加して欲しいと思います。(参考:ノート:クイズ!ヘキサゴンII)--Kino-K 2007年11月3日 (土) 11:33 (UTC)[返信]

タイトルについて[編集]

語源が「ここ」に出ていますが、「ごり押し」というのは俗語であり、百科事典にふさわしい表現ではないように思います。
「自分の意見を強引に通そうとすること」(あくまで例です)など、他にもいくらでも書き換えが可能ですので、今一度タイトルについて考えませんか?manjushage 2007年10月30日 (火) 12:52 (UTC)[返信]
おお、ごり押しの「ごり」はゴリという魚だったんですか。代替可能な類義語としては「無理強い」とか「強引」とか「道理引っ込まし」(漏電中)とか…ただ上にも書きましたが、敢えて感情的に強いニュアンスの表現で注目を集めるアイキャッチとしての機能が見出しにはあるので、問題ないと思いました。とはいえ、俗語表現と言えばそのとおりかも知れません。「自分の意見」とすると、非NPOVなど既に内容からして問題がある記述を掲載することと限定的に受け取られかねないと思います。やや現行から語感は弱くなりますが「編集を強行すること」のほうが、より節の内容からすると適切かもしれません。--夜飛/ 2007年11月3日 (土) 11:57 (UTC)[返信]
「限定的に受け取られかねない」というご指摘はごもっともですのでよりよい物に差し替えていただいて構いません。ただ「強いニュアンス」という趣旨は理解できますが、やはり百科事典の解説には俗語は不適かと…。manjushage 2007年11月3日 (土) 14:20 (UTC)[返信]
まぁ「Wikipedia:ネタばれに注意」なんてのもありますからなんとも言えませんが、あまりいい語感ではないなぁ……というのが正直な感想です。「ちゃんとした議論・協議をしない」とか、まぁこれも例として適切ではない感じはしますが、そういったような言葉の方がしっくりはきます(あくまで個人的な感覚ですが)。--なのこえ 2007年12月4日 (火) 06:12 (UTC)[返信]
それがあったか…タイトルがモロに俗語ですね。ウィキペディアでは俗語の使用については以外と寛容なのか、代替表現がみつからないのかわかりませんが。
ご提示いただいた例も参考にさせていただきます。--manjushage 2007年12月4日 (火) 06:56 (UTC)[返信]
「ごり押し」というのは俗語であり、百科事典にふさわしい表現ではない
「ごり押し」が通じる年代は限られている感もある。「他人の意見に耳を貸さない」としても代替は効くか。一番質が悪いのは都合良くwiki方針を解釈し楯に取る編集者だが。--58.98.240.217 2007年12月22日 (土) 18:43 (UTC)[返信]
この文書は「百科事典の書き方マニュアル」であって「百科事典」ではありませんので俗語でもいいと思いますよ。きれいな表現でしっくりくるものがあるならば、それがベストである事はいうまでもありませんが。--Springtide 2008年1月27日 (日) 05:49 (UTC)[返信]

削除でなく加筆修正する努力をしましょう。[編集]

最近、長文記事を書いてもその中の一節がふさわしくないという理由で全てを削除する人がいます。これは比較的若い人に多い傾向があると感じますが、基本的にウィキペディアは皆で作り上げるものです。自分の意見と違うだけで加筆修正する努力もせず、ただ全て削除するのはやめるべきです。そんなことではコンテンツが減少していく可能性も出てきてしまいます。中には色々な記事を回って削除だけしている人も見かけます。面倒だから全削除ではなく、加筆修正する努力をしましょう。またはその部分だけ削除しましょう。--203.138.227.25 2008年2月3日 (日) 14:53 (UTC)[返信]

除去されることに反発するのではなく、除去されない記述を心がけましょう。昨今、記事の内容にそぐわない断片的記述をする人を見かけます。之は比較的、理知的に統合された思考を行うようにする訓練がまだ十分ではない人に多いようなのですが、基本的にウイキペディアは百科事典なのであり、いくら断片的な走り書きを集積したところで事物の説明ではなく周辺事象を並べ立てるだけでは本筋の説明とはなりえず、加えて全体が散漫な文章の羅列によって可読性が低下し、記事全体として何を説明しているのかすら判じがたくなることもしばしばです。
そういった散漫な断片的記述を元記事に織り込む努力をせず、ただ連想に基づく思い付きを羅列するのはやめるべきです。そんなことをしても記事全体の情報価値が「ただ単に読みづらい」という一点のみを持って低下するばかりで、それならいっそ雑記は消して、端的な説明のみに留めてしまったほうが百科事典的です。また、そういった断片的な雑記は査読する側に負担をかけます。思い付いたから書き込むというのではなく、全体のどこに挿入すれば記事としての説明にとって有益化を考慮する努力をしましょう。または、単なる思い付きで記事の性質にそぐわない記述となるならば、それが如何に主観的には労作であったとしても「書き込みボタン」をクリックせずに何度でも「プレビュー」をしながら冗長な部分は最後の一文字まで削り取り、それでも駄目ならブラウザを閉じるようにしましょう。--夜飛/ 2008年2月8日 (金) 11:10 (UTC)[返信]
いろいろ書いたとして、その中の一部分だけ正しく一部分だけ間違っているとき、めんどくさいから全部削除、とするのはやめましょう……という意味だと思いますよ。間違ったことを書いてしまうことは誰でもありますから、それだけを責めるのではなく、正しいこと書いているのにその部分もいっしょくたにrev.してしまうような削除編集はやめましょう、という意味で。それなら正論だと思いますが。--なのこえ 2008年2月13日 (水) 03:24 (UTC)[返信]
違うんじゃないですか?やっぱり夜飛さんの見立て通り、単なる逆ギレに近いものだと思いますけど。というのは「自分の意見と違うだけで加筆修正する努力もせず、ただ全て削除する」という一節を見るに、この方は、ウィキペディアを「意見の表明の場」と誤解しているフシが見えるからです。おそらくは、単なる独自研究の「意見」を投稿して、それを削除されたのを、「意見が違うから」と理由を摩り替えているだけだと思いますよ。--はま 2008年2月13日 (水) 07:44 (UTC)[返信]

両方成立します。執筆者は除去されるような記述をしない、除去されたら問題点を自分で考えて、わからなければ教えてもらうようお願いする。除去する側は、できれば加筆修正する、間違いだけを除去する、問題点を指摘するなどを心がける。執筆者が、問題のある投稿から、編集者に文章の精査を求めるために「たってはいけないこと」とするのではなく、除去する側が加筆修正などの手間をかけず簡単にrvすることを正当化するために「やってはいけないこと」にするのでもない。ということで、一つよろしくお願いします。--Ks aka 98 2008年2月13日 (水) 07:52 (UTC)[返信]

勿論、一般論としてはKs aka 98さんの言う通りでしょう。ただ、私が言っているのは、このIP氏が上記のような投稿をするに至った経緯について、です。
実際の差分を見てみましょう。[1]。削除理由は「個人的見解」ということです。若干、微妙ではありますが、そう言われても仕方のない内容かな、と思います。
それにしても、この元投稿者氏が「百科事典を書く」が何たるかを理解しているか大いに不安です。この差分を見ても、自分の見解に基づく記述ばかりで、しかもそれを感情的に書き連ねるあまり、日本語も無茶苦茶です。他の記述を見ても「類史上でも例を見ない下劣な戦争であるアヘン戦争」と記述するなど、個人的な見解を平気で書いてしまう方のようです。ここまで酷くては、まとめてリバートされても仕方ないでしょうし、「除去されることに反発するのではなく、除去されない記述を心がけましょう」と言われても仕方ないでしょう。「俺の記述にゴミがあるなら、オマエが頑張って片付けろ」と他人に要求する前に、ゴミを散らかすな、ということです。--はま 2008年2月13日 (水) 08:06 (UTC)[返信]
ここは、一般的なルールを議論する場であり、特定の利用者や編集について議論する場所ではありません。個々の編集に対して、除去されることに反発するのではなく、除去されない記述を心がけましょうと呼びかける必要がある局面はあるでしょう。それは、会話ページやノート、あるいはコメント依頼やブロック依頼で行なうことではないでしょうか。--以上の署名のないコメントは、Ks aka 98会話投稿記録)さんが 2008年2月13日 (水) 09:10 (UTC) に投稿したものです。[返信]
別に、ここで各論を論じようなんて一言も言ってませんし、各論を論じる気もありませんが?それで大上段に「ならば場所を移動しろ」といわれてもね。また、貴方様に教えられるまでもなく、「ここは、一般的なルールを議論する場であり、特定の利用者や編集について議論する場所ではありません」なんてことは存じております(どうにも、Wikipediaの大御所の方々は、馴染みのないハンドルを見ると「ルールを知らない人間」と決め付けて小馬鹿にする傾向があるのは残念なことです)。
あくまで、一般論としてどうあるべきかを考える上で、元となった各論を紹介したに過ぎません。物事を考えるときは、表面的に見えているものだけではなく、きちんと背景を把握しないと誤った結論を導くことがあるのは言うまでもないですよね?今回の件について言えば、「面倒だから、全削除」が良くないという一般論に異論はないです。しかし、その一般論を、仮に「自分の独自研究を書きたかったのに、阻止された」という人間が持ち出したのならば、発言者への賛同には慎重であるべきだろう、ということです。--はま 2008年2月13日 (水) 10:10 (UTC)[返信]
(インデント戻し)すみません、漏電したところでご迷惑をかけました。件の問題(「削除しないで加筆対応しろ」or「削除されて嘆く前に削除されない記事を書け」)は双子の問題であると常々考えています。ただ、当初のIPユーザーさんの文章は、その端々に「がんばって長文書いたんだから残せよ」といっているようにしか聞こえず、そんな自己満足で冗長な記事を書くくらいなら、最初っから除去されないような妥当な記事に仕上げて見せろと言ってみたくなった訳で…その辺りでモチベーションがいささか宜しくない方向にこぼれたようで、やや無用な論争を招いてしまったようで申し訳ありませんでした。
なお、編集対応で調整可能な場合と、除去すべき場合というのは実際的な問題として個々の編集者の価値観と力量に依存する程度問題で、これら双子の問題の上では「残して調整する」か「除去してその編集をなかったことにしてしまう」は、どちらを欠いても考え方としては不十分だと思います。が、本当にどうしようもなく断片的で未整理で記述が混乱しており非百科事典的な(削除対象となりうる)記事というのもあり、また明らかな虚偽はWikipedia:基本方針とガイドラインで示されたWikipediaが目指す「信頼され質・量ともに史上最大の百科事典」を目指すうえでは除去されなければならず、この「混乱した説明以前の文章」や「虚偽記事」の両者はいずれにしても除去される運命にしかなく、その除去されたことを持って恨み言をコく位なら、どうすれば除去されない品質を達成できるかを研究したほうが時間の無駄が少ない(書く側にしても消す側にしても)のは明白であり、これは「両者が時間を有益に使えてシアワセなうえに記事を享受する読者も(的確な記事が読めて)シアワセ」であるため、編集者全体の心得として有益なんではないかと思う次第であります。単なる虚偽記事はなおのこと、ダラダラしたエッセイとか混乱した記述者の自己満足でしかない雑記帳なんてのは、すべての読者にとっては信頼や熟読に値しない駄文でしかなく、これはWikipediaが目指すところとは相容れませんが故に。--夜飛/ 2008年2月13日 (水) 11:11 (UTC)[返信]

「私論」テンプレートの添付の提案[編集]

現在(2010年7月24日 (土) 22:27 (UTC))このプロジェクト頁にはtemplate:policy等の文書の性格を示す表示がありません。文体から見て、 「公式な方針」や「ガイドライン」を意図したものではないと思うのでtemplate:私論を貼ることを提案します。Suzukitaro 2010年7月24日 (土) 22:27 (UTC)[返信]

反対します。この文書はカテゴリを見ても明らかなように、Wikipedia:ウィキペディアに参加するWikipedia:ウィキペディアへようこそWikipedia:五本の柱などと同様の性格を持っていると考えられ、現在まで、表示がないことで大きなトラブルや深刻な誤解を生んできた経緯を(私は)知りません。「公式な方針」や「ガイドライン」を意図したものではない=「私論」という、消去法的な位置づけが理由では賛同できません。--海獺 2010年7月24日 (土) 22:50 (UTC)[返信]

賛成 template:policytemplate:guidelinetemplate:私論の基本的な違いは、合意の深さです。合意の深さに応じたテンプレートの設置には賛成です。執筆に制約を求める文書である以上、この文書に基づいて何らかの意見を述べるときは、合意の深さが重要な意味を持ちます。

そういう意味では、Wikipedia:ウィキペディアへようこそWikipedia:五本の柱のようなドキュメントへのインデックスの性質を帯びた文書と異なります。また、この文書の一部のみについて強い合意が成立した場合、分離させて新しいガイドラインとするインキュベータとして機能するかもしれません。その場合は、ガイドラインとは明確に区別されることが必要です。あるいは、この文書全体について合意達成できるなら(よりWP:EPとの整合が必要だと思いますが、)やがてtemplate:guidelineへの格上げも検討してよかろうと思います。 --වෙ 2010年7月25日 (日) 22:27 (UTC)[返信]


  • 反対 基本的に海獺さんの意見に同意で、「消去法的に残ったものを添付する」のはどうかと思う次第。වෙさんも述べられておりますが、ガイドラインへの合意の深さを(判りやすく端的に)示すのがそれらのテンプレートですが、この場合はなんていうか「帯に短し襷に長し」?…ちょっと違うな。まあ「どっちつかず」なんだと思います(故に「どちらも貼らない」が妥当ではないかと)。少なくとも本文章は文字通りのガイドライン的な性格(考え方を示すもの)を持った文章ですが、実際のところとして「ある程度具体的に状況を挙げて各々のガイドラインに案内する」というヘルプ文章により近く、その案内文はリンクされている各々の公式ガイドラインを具体例に当てはめての説明を付け足した要約でもあり、いわゆる「一部のウィキペディアンの助言や意見」や「個人的見解」とするには無理があるように思います。--夜飛/ 2010年7月25日 (日) 23:25 (UTC)[返信]

賛成 合意達成できていないから、それを一部のウィキペディアンによる助言や意見に過ぎないと表示することは間違ってはいない。「ただ、誰もが陥りやすい、以下の間違った振る舞いだけはしないように気をつけてください。」なんて前置きで、だらだらとこいつは拡大している。いったいなにが「だけ」なんだろうか?合意できるか判然としない記述が安易に追加されていくという特徴がある以上、この文書は私文の域を出るとは思えない。

私自身は、これを私文と呼ぶことにデメリットは感じられないが、ただ私文と呼ばれることに反対する者は、恐らく、他者にこの文書をガイドラインのように読ませようという意図があるから、私文と表示されることでそれができなくなることを懸念しているのだろう。それならば、合意できる方向に文書を改善すれば良いし、合意達成できるような取捨選択を実施するべきだろう。

Wikipedia名前空間に「やってはいけないこと」というタイトルで置く以上、公式のルールに見えるのだから、それが合意されたものなのか、そうでないのかを明確に表示することに反対する理由は無い。合意達成していないのに合意達成していないことを明示することには反対するなんておかしいし、あたかも文書の全体がコンセンサスのあるルールであるかのように、合意形成の過程を端折って文書を存在させること自体が害悪だと思われる。--61.207.64.118 2010年7月26日 (月) 13:46 (UTC)[返信]

反対 ほとんどの人にとっては細かい指示というのは必要のないものとも言えるでしょうが、そうしたものがないと、暴走していく人が少なからずあるというのもこうした人数の多い場所におけるひとつの事実です。あえてそうした位置づけとして提示することは害こそあれ、あまり益はないのではないかと思います。--Was a bee 2010年7月26日 (月) 22:45 (UTC)[返信]

IPで方針文書の議論に関わることについて[編集]

コメントあと最近、本当にIPや捨てアカウント、または申し訳程度の投稿内容でこういうコミュニティの中の難しい問題に、安易にコミットしている人間が増えています。悪貨が良貨を駆逐することのないよう、自重していただきたく思います(あまりこういうことが続けば、投稿履歴のないアカウントやIPによる意見表明自体が、現状でも説得力はほとんどないですが、最終的には形式としてできないようになっていくでしょう)--Was a bee 2010年7月26日 (月) 22:45 (UTC)[返信]

IP非公開の匿名ユーザーの意見表明だから説得力があるなんて意味不明ですね。あんたが良貨で他人が悪貨だっていうのは完全な暴言だろう。他人の発言が説得力がないというなら、私文と表示したら暴走して、表示しなかったら暴走しないという説得力のある説明をするべきだろう。今のところWas a bee殿の説明に説得力はない。--61.207.64.118 2010年7月27日 (火) 09:32 (UTC)[返信]
自分の発言に責任を継続して負いたくない、だからアカウントで発言しない、多くの人はそう見るし、私も当然そう見ます。それだけの話でしょう。--Was a bee 2010年7月27日 (火) 19:34 (UTC)[返信]
ウィキペディアの利用者のいったいどれだけがIP利用者だ?しかも、IPでコミットする人間が増えていると述べたのはWas a bee殿だ、現実を無視している。あんたがどれほど自分の履歴を誇っているのかには興味が無いし、実名で堂々と顔写真を載せて投稿するわけでもなく、IPを隠すためにアカウントを使う利用者が、どちらが説得力があるかなんて議論に持ち込む。まともな社会人なら、この馬鹿げたどんぐりの背比べに、意味を感じるとは思えない。「多くの人はそう見る」と言うのは、アカウントの履歴を自慢したい一部の限られたユーザに限定した話だろう。--61.207.64.118 2010年7月27日 (火) 21:03 (UTC)[返信]
またこうしたサイトの中枢部分に関わる方針議論に関わるのに、さしてよく情報も調べるというでもなく、また責任を負う気も見せず投稿履歴の何も無いIPから発言する行為、こうしたことはほとんど誰もが不適切と考え、そして現にほとんど誰もやっていない行為です。しかし中にはこうした簡単なことでさえ、細かい文面で具体的な指示がないと、理解できない・想像できない人がいます。だから私は当ページのような具体的な指示がよりはっきりした形で必要であると言っています。まさに今のあなたこそが、細かい具体例が常識的なことについてであってもより強い形で提示される必要があることの説得力ある実例となっているでしょう。--Was a bee 2010年7月27日 (火) 20:10 (UTC)[返信]
で、私文と表示したら暴走して、表示しなかったら暴走しないのかね?まったくもって無茶苦茶な言い様だろう。あたかも文書の全体がコンセンサスのあるルールであるかのように、合意形成の過程を端折って文書を存在させることが害悪だといってるのだ。コンセンサスがあるなら合意形成すれば良いし、しかるべき過程を経たならガイドラインと呼べばよい。
Was a bee殿は、グレーゾーンを作って、明確化を避ける位置にドキュメントのステータスを設定し、指示の取捨選択がなされることを避け、あたかも合意された指示であるかのように文書を配置したいと言っているに過ぎない。そういう性質の文章を私文として区別するのは、本来このテンプレートに期待される機能に他ならないだろう。--61.207.64.118 2010年7月27日 (火) 21:03 (UTC)[返信]
あと悪貨というのは、こうしたページでの議論の存在も知っているほどまでウィキペディアの仕組みや方針について知っているにも関わらず、何の大義も無い理由で、IPや使い捨てアカウントでこうした場所で発言する人達のことです。良貨というのは単に初心者やまだアカウントを作成したことのないような新しい人達のことです。議論や発言の形態について今のような形があるのは、新しい人達が、単に新しいという理由だけで、自分が関わった記事に関する問題などについて、当事者性がなくなってしまうことを避けるよう配慮されてのものです。そうした部分を悪用する人間(悪貨)が増えていけば、悪意のない単に新しいだけの人達(良貨)は、不当に損をするハメになっていくでしょう。--Was a bee 2010年7月27日 (火) 20:57 (UTC)[返信]
わかったよ、Was a bee殿が、そう思うなら、是非ともこうしたページの保護を提案してくれ、でもそれにはこのページは適さないだろう。多くの人がWas a bee殿を支持するなら、そのようになるだろう。私見と合意されたことを区別しない、っていう立場でここで語るのは極めて不適切だと思うぞ。--61.207.64.118 2010年7月27日 (火) 21:12 (UTC)[返信]
アカウントで投稿されない理由はなんですか?--Was a bee 2010年7月27日 (火) 21:13 (UTC)[返信]
アカウントで投稿しなくてもよいからです。Was a beeさんのように奇妙なあだ名で名乗りたいとは思わないし、かといってWas a beeさんのように本名を名乗らない人が大多数のサイトで本名を出す必要もないと思います。--61.207.64.118 2010年7月27日 (火) 21:16 (UTC)[返信]
過去には本名で活動していたが、それはやめたということを補足する。--61.207.64.118 2010年7月27日 (火) 21:19 (UTC)[返信]
つまり技術的な意味でアカウントでなくても投稿できてしまうから、不適切であることは知っていても、IPで投稿してしまう、自分を律することができない、そういう理解でよろしかったでしょうか。Wikipedia:説明責任。本題とはずれてるので、以降続くようであれば、別の場所に移します。--Was a bee 2010年7月27日 (火) 21:24 (UTC)[返信]
アカウントでなくても投稿できるし、それが不適切だとは思っていない。是非ともこうしたページの保護を提案してくれ。多くの人がWas a bee殿を支持するなら、そのようになるだろう。俺はそうならないと思う。俺は私見と、合意事項を区別するべきだという意見を述べたに過ぎないし、あんたはIPのコメントなんて説得力がないと言っただけだ。IPのコメントなんて説得力がないっていうなら、多くの利用者は無視するだろうが、無視できなかったのはWas a bee殿自身だろう。是非とも結論が出るまで誰かと議論すべきだと思う。あんたの好き勝手な発言によって、俺は私見と、合意事項を区別するべきだとの思いを一層強く感じたよ。それだけでも、ここで発言してみた価値は大きかったと思う。--61.207.64.118 2010年7月27日 (火) 21:49 (UTC)[返信]
保護ではなく半保護だと思いますが。まあその点も含めて少し議論していく必要があるようですね。方針議論のページにおいてさえ堂々とWikipedia:説明責任を無視した投稿を行う人が出てきている現状への対処を。--Was a bee 2010年7月27日 (火) 21:56 (UTC)[返信]
是非とも議論してやってくれ。Wikipedia:説明責任も『多くの利用者は「既存の記事を大幅に変更する際にはアカウントを取得し、ログインし、説明責任が果たせる立場になった上で編集してほしい」と望んでいます。』なんて独自研究を根拠に書かれた不完全なガイドラインだから、是非改善したほうがよいね。俺は利用者の大半はIP利用者だと思うし、彼らのほとんどはアカウント取得に無関心だろうと信じている。私見と、合意事項を区別しないなら、それを説得力のあるものとはみなさない。こういう文書があると、利用者まで私見と、合意事項を区別しなくなってしまうから、さらに私見だらけのガイドラインが生まれる。さらに既存の記事を大幅に変更してるわけではないのに、拡大解釈する利用者も現れる。悪貨は良貨を駆逐するわけだ。だから、それを堂々と無視していると指摘されても気にならない。翻訳元でも結局ガイドラインになりきらなかった代物だしね。--61.207.64.118 2010年7月27日 (火) 22:38 (UTC)[返信]
とりあえず当節の本題に直接関係ない部分、つまり私の反対より下のコメント部分から/IPで方針文書の議論に関わることについてというページに移してそこで議論を継続したいと思います。よろしかったでしょうか。--Was a bee
いえ、それには及びません。俺は私見と、合意事項を区別するべきだとの意見を一貫して述べているので、記録を移動されることは不服です。IPで方針文書の議論に関わることについてというテーマはこことはまったく無関係なので、井戸端にでも別途投稿下さい。ここまでの有意義な議論をありがとう。--61.207.64.118 2010年7月27日 (火) 22:52 (UTC)[返信]
つまりこうしていつでも逃げられる状況を担保するためのIPでの投稿ということになるかと思いますが、どうでしょうか、再度言いますが、サブページへ移して議論を継続いたしましょう。--Was a bee 2010年7月27日 (火) 22:57 (UTC)[返信]
俺は私見と、合意事項を区別するべきだという意見を述べたに過ぎないし、あんたはIPのコメントなんて説得力がないと言っただけだ。俺の意見はここでの議論のために投稿したものだから、ここに残されるべきだし、あんたが無関係な主張を繰り返したからといって移動されるべきものではない。議論の継続とここまでの記録の分離は無関係だ。私が認めない以上、発言の移動や変更についてこれ以上議論するまでも無い。
あんたのやりたい議論はここでの議論と無関係な上に俺の関心の範囲外だから、第三者にコメントを求めればよいだろう。これは全く説明責任とは関係の無い問題だ。それとも、「IPで方針文書の議論に関わることについて」というテーマについて、俺とあんたの一対一の議論が必要な理由があるのか?--61.207.64.118 2010年7月27日 (火) 23:13 (UTC)[返信]
とこういう事です。私としては以上です。--Was a bee 2010年7月27日 (火) 23:27 (UTC)[返信]

報告タイトルを追加させていただきました。タイトルの名称はWas a bee殿が提案なされたものとさせていただいております。必要であれば、サブページなど議論の場を移していただければと思います。--伏儀 2010年8月9日 (月) 17:14 (UTC)[返信]

別にwikiって略していいじゃないですか。そもそも人に押し付けるまでですか 管理者への伝言~[編集]

ここのページにwikiって略すなと書いてありますね。しかし他人にはそう言っておいて、ウィキマネーだのウィキバングだのいってるのはどうでしょうか...

どうせならウィキペディアバングにしたほうがいいですよ

本文の改行が一切ないのでちょっと読みづらいのですが[編集]

私だけでしょうか。--Benzoyl会話2014年5月19日 (月) 08:00 (UTC)[返信]

  • 「文章を丸写しすること」節
    • ウィキペディアでは、~注意して下さい。:213字
    • 上記の理由から~従う必要があります。:318字
  • 「自分の主張を書き込むこと」節:270字
  • 「他の利用者と口論すること」節:412字
  • 「記事ごとに筆者が存在すると考えること」節:216字
  • 「編集に対し過度に慎重になること」節:513字
  • 「単なる字引を作成してしまうこと」節:283字
  • 「意味のある記述を除去してしまうこと」節:276字
  • 「重複した記事をつくること」節:200字
  • 「独断で変革を試みること」節:448字
  • 「独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすること」節:527字
  • 「ごり押しをすること」節:513字
各段落の文字数をカウントしてみましたが、高々原稿用紙2枚弱の文字数の段落が「読みづらい」ってのは、正直なところ私には理解できないです。Twitterやはてなブックマークじゃあるまいし。仮に段落分けするのであれば文脈のまとまりで分けられるかどうか判断すべきであり(段落分けした方がいいかな、と思える箇所はいくつかあります)、「改行がないと読みづらい」なんて理由で行っていいものではありません。ブツブツ改行されたBenzoylさんによるノートなどでの書込みを見る限り「一文一段落」あるいは「一文ごとに箇条書き」が普通だと思っているんじゃないかと危惧しています。--Claw of Slime会話2014年5月19日 (月) 08:40 (UTC)[返信]
コメントありがとうございます。英語と違って文頭が大文字ということもなく。原稿用紙2枚弱の文字数とのことですが、原稿用紙は一行何文字でしょうかね。新聞も文庫本もそうですが。ワイド液晶画面なら尚更で、折り返しがないのは長文慣れしてない人には酷かと思います。
改行Wikipedia:改行時の注意点には、記事を読みやすくするために、「2行改行を適宜挿入して、文章を適切な長さの段落に区切ること」は重要です。とも。
たしかに「一文一段落」あるいは「一文ごとに箇条書き」は芳しくないでしょうが。
(段落分けした方がいいかな、と思える箇所はいくつかあります)、これは是非反映をご検討いただけたらと思います。--Benzoyl会話2014年5月20日 (火) 00:25 (UTC)[返信]
他でたとえばWikipedia:検証可能性は段落分けされてるので、今回ご質問させていただいた次第でした。--Benzoyl会話2014年5月20日 (火) 00:27 (UTC)[返信]

体験談や感想を書き込むこと[編集]

特にサブカル系の記事に多いように思っているのですが、個人的な体験談や感想があるとそれを見た編集者が我も我もと逐次編集的に出典なき追記を続ける例が頻繁にあるように感じられます。単に個々の追記文章に{{要出典範囲}}、編集者の会話ページにWikipedia:出典を明記するその他の方針文書を案内すればいいのですが、明確にやってはいけないこととしてこちらに節を追記し、例示を含めて詳しく理由を延べ説明した方がスマートではないかと最近考えましたので、ここに意見を残しておきます。書いておいて何ですが、私事で非常に忙しくウィキペディア内で議論する間隔が不定期ですので即応出来かねますことも明記しておきます。--Nami-ja 会話 / 履歴 2014年8月12日 (火) 08:29 (UTC)[返信]

「テンプレートの使用法」に沿った設置から廃止まで一貫した基準への変更の提案[編集]

「独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすること」につき各テンプレートの「テンプレートの解説」を基準に「恣意的にメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすること」に変更することを提案します。

提案理由

  • テンプレートの廃止に合意が必要ということはテンプレートの存続に合意が必要ということです。しかしもともとテンプレートの設置に合意は必要でなく妥当性の一貫的な説明を困難にさせています。設置から廃止まで、合意の有無ではなく各テンプレートの解説に照らして対応が妥当かで判断する基準のほうが適していると思います。
  • 「あなたが書いた記事」に対し「テンプレートを貼った人とノートページで話し合ってください。」というのはコミュニティの範囲と状況を限定しすぎです。何の加筆もなくテンプレートだけを剥がした場合は「あなたが書いた記事」とは言えません(状況の一例とすべき)。それに「テンプレートを貼った人」が今も活動している保証もありません。例えば長期間出典の改善がみられないためテンプレート(特定の節に貼られた出典の明記)も含め一節丸ごと除去するときは誰と誰の合意が必要なのでしょう。
  • テンプレートの廃止の妥当性が事前合意で決まるなら「独断」にあたればすべて警告しなければならないはずです。問題が解決したと考えたA氏が合意なく除去したのに警告せず、別の記事で問題が解決したと考えたB氏が合意なく除去したのを警告する場合、B氏に対して「事前の合意がなかった」と説明してもA氏の場合と何故対応が違うのか理由がわかりません。「独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすること」なのに警告が必要な場合とそうでない場合があるなら、合意の有無は基準として機能していないのであり、対応の違いを生じさせている要因そのものを基準にしないとおかしいです。

設置から廃止まで「テンプレートの使用法」に沿っているかを基準に考えるべきかと思います。

恣意的にメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすること

記事には、「即時削除」、「削除依頼」、「中立的な観点」、「出典の明記」などに関するメンテナンス用テンプレートが貼られることがあります。特にあなたが書いた記事に貼られているときには、驚き、また不愉快になってしまうことがあるかもしれません。しかし、大抵の場合、理由があってのことです。テンプレートが貼られているときは、何もせずにテンプレートをはがすのではなく、それぞれの「テンプレートの解説」を読んで記事の問題点を再点検してください。

テンプレートの解説に示されている問題点があるのに、その改善を図ることなくテンプレートだけをはがすと、恣意的な編集ととられかねず共同作業に向かない人だと見なされてしまいます。ウィキペディアはプロジェクトの性格上、他の利用者との協調をとても重視します。協調できない方は、残念ながら、プロジェクトの進行を阻害するとして、ウィキペディアへの参加を拒まれることがあります。といっても、別に難しいことは何もありません。他の利用者と友好的に話しあい、信頼関係を築くように心がけていれば、何の問題もありません。同じ理由で、他の利用者が投稿したメッセージは、自分の気に入らないものでも黙って消去したり、内容を変えてはいけません。ただし明らかな「個人攻撃」や「荒らし」は別です(Wikipedia:個人攻撃の除去Wikipedia:荒らし対策を参照)。

--Sa3ss3会話2018年7月20日 (金) 16:39 (UTC)[返信]

コメント 独断も恣意的も同じようなニュアンスのように思いますが、一つ上の節も「独断で~」となっているので言い回しを変えてもよいかとは思います。修正テンプレートはノートページへの誘導を行っているため、各記事のノートページで議論するという状況を想定した記載はあってよいと考えます。テンプレートを剥がすことを留めるための表記は「テンプレートが貼られた時は」ではなく「テンプレートが貼られた理由がわからない時は」等にするのはどうでしょうか。また、ただ除去するのみだとWikipedia:荒らし#逃避荒らしとみなされる場合があるといったことを指摘してもよいかと思います。--Amayus会話2018年7月21日 (土) 14:05 (UTC)[返信]
御意見ありがとうございます。
  • 今回の提案では一次的な決定に複数の人が関与するか明確にすることを考慮しました。提案の際に「独断で変革を試みること」のタイトルのほうも検討しましたが、プロジェクトの仕組みや記事の重要な変更には合意(複数人による関与)が不可欠と考えそのままにしました。一方、メンテナンス用テンプレートのほうを同じように設置から廃止まで合意(複数人による関与)が不可欠と考えると現状に即したものでなくなるため、一次的には「テンプレートの解説」に沿った対応を行うことで一貫性を図ってはどうかと考えました。
  • ノートページへの誘導はノートでの議論が存在しない場合があり、テンプレートにより大きく状況が変わるため今回の案では言及していません。2006年の#追加したほうがよいと思われる項目での原案では「削除依頼テンプレートをはがそうとすること」だけが対象で基本的に議論が実施されるので「合意」でもよかったと思います。追加の過程でメンテナンス用テンプレート全体に拡張されましたが、例えば{{出典の明記}}は出典が全くない記事では議論の実施に関係なく適切と考えられ、そこにノートでの議論の実施の有無が結び付けられても困る場合があると思うので今回の案では取り上げませんでした。
  • 御提案のテンプレートを剥がすことを留めるための表記ですが、前半部分は次のような案でよろしいでしょうか。

記事には、「即時削除」、「削除依頼」、「中立的な観点」、「出典の明記」などに関するメンテナンス用テンプレートが貼られることがあります。特にあなたが書いた記事に貼られているときには、驚き、また不愉快になってしまうことがあるかもしれません。しかし、大抵の場合、理由があってのことです。テンプレートが貼られた理由がわからないときは、何もせずにテンプレートをはがすのではなく、それぞれの「テンプレートの解説」を読んで記事の問題点を再点検してください。

テンプレートの解説に示されている問題点があるのに、その改善を図ることなくテンプレートだけをはがすと、恣意的な編集ととられかねず共同作業に向かない人だと見なされてしまいます。ウィキペディアはプロジェクトの性格上、他の利用者との協調をとても重視します。協調できない方は、残念ながら、プロジェクトの進行を阻害するとして、ウィキペディアへの参加を拒まれることがあります。といっても、別に難しいことは何もありません。他の利用者と友好的に話しあい、信頼関係を築くように心がけていれば、何の問題もありません。

依頼や審議、議論は記事に対して適切な対処を図るために行われます。{{Sakujo}}や{{Copyrights}}といったテンプレートを取り除く行為はWikipedia:荒らし#逃避荒らしとみなされる場合があります。同じ理由で、他の利用者が投稿したメッセージは、自分の気に入らないものでも黙って消去したり、内容を変えてはいけません。ただし明らかな「個人攻撃」や「荒らし」にあたるときは別です(Wikipedia:個人攻撃の除去Wikipedia:荒らし対策を参照)。

--Sa3ss3会話2018年7月21日 (土) 17:36 (UTC)[返信]
以上の案に対する反対意見の表明がないため、これらの案を反映させました。--Sa3ss3会話2018年7月28日 (土) 20:09 (UTC)[返信]

階層化等の変更提案[編集]

ルールそのものが理解しづらいので、右リンク先のような変更[2]は多くの参加者にとって有益だと思います。虚偽記載と記事の品質向上、そしてまた編集方向についての現実的な可読性並びに接続性の確保を、三大方針等とどのように関連付け維持するかが鍵だと思います。検討をお願いします。--Textural会話2021年2月11日 (木) 08:52 (UTC)[返信]