麻畠美代子

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麻畠美代子(あさはた みよこ、1943年 - 1964年2月18日)は、日本のミスコン女王、客室乗務員。戒名・麗空院釈尼晃美[1]。西陣麻畠織物合同会社代表取締役の麻畠正資は、甥である[2]

経歴・人物[編集]

1943年、京都市に生まれる。精華女子高等学校卒業ののち、百貨店勤務を経て日東航空に就職。客室乗務員となる[2]

ミス京都、ミス・ワールド・ジャパン準優勝の肩書を持つ[3]

殉職[編集]

1964年2月18日午前8時22分頃、伊丹空港を離陸した直後の徳島行き日東航空機がエンジントラブルに見舞われ、兵庫県尼崎市田能二ノ坪に墜落。取り残された乗客1人を救うため機内に戻るが、機体は爆発、乗客ともども還らぬ人となる[4]

宝田寮[編集]

徳島県阿南市宝田町(現・阿南市羽ノ浦町中庄)にある宝田寮という孤児院とも交流があった。宝田寮の子供たちからは「飛行機のおねえさん」と呼ばれ慕われた。

1962年、東京の福祉新聞の久保専務が徳島をたずねた際、ホタルの美しさに驚き、東京の子供に見せたら喜ぶだろうと語った。宝田寮の子供たちはホタルを捕まえ、7月3日、東京のいくつかの養護施設に届けられた。このときホタルの輸送に関わった麻畠は宝田寮の子供たちと仲良くなる。このホタル贈呈は2年間続いた[5]

1964年8月、本村忠弘(17才)、大溝陽子(10才)ほか10人の孤児が東京見物に招待される。陽子の手には麻畠の遺影があった[1]

麻畠の死後、子供たちは「麻畠との絆を形に残したい」と寮長に相談。約33万円を募金で集め、1966年12月、「ほたるの塔」が完成する。高さ6mのポールの先端に水銀灯が設置されたもので、宝田寮の敷地内に設置されている[5]。2012年、宝田寮の建物は改築されたが、ホタルの塔はそのまま残された[6]

その後、大阪府豊中市の大学職員・小林幸也はホタルの塔の存在を知る。2016年9月、詳しい経緯を知りたいと宝田寮を訪問。「もう一度絆を取り戻してあげたい」と一念発起、日東航空の後身・ジェイエア[注 1]に交流事業を提案したところ快諾を得る。2017年3月、ジェイエアは子供たちを大阪空港に招待し、空港見学などを行った。同年12月には阿南市津乃峰町長浜の阿南市B&G海洋センター体育館で一緒に紙飛行機を作った[5]

みよし観音[編集]

三重県に住む交通遺児の坂井誠兄弟が「みよし観音」を六甲山上に建てようと願ったのをきっかけに、「みよし観音建立奉賛会」が発足する[7]。命名の由来は「美代子」を「みよし」と読み替えたもの[8]

宝田寮の寮長である立江寺庄野住職との親交にもとづき、二宮源男と息子・志輔が発願人となり全国各地から浄財を集める(2016年10月、二宮親子の慰霊塔が高野山奥院に設置される)[3]

1970年[9]、六甲山に地元の彫刻家・芝良空制作の「みよし観音」建立[2]。その後、毎年8月1日に「大空のまもり祈年祭」が行われている[10]。観音像の右手は空を指し、今も空の安全を祈る(天上寺副貫主・伊藤浄真による)[8]

1999年5月16日、六甲山頂にて「建立三十年記念式典」が行われた[11]

2019年5月24日、「みよし観音50回法要」が行われた[2]

その他[編集]

みよし観音の周囲には森繁久弥[11]吉永小百合[8]葉上照澄比叡山千日回峰行者)、石原慎太郎らの歌碑が配されている。森繁久弥の歌碑にこうある:「ホタルの天使」[9]

みよし観音の土地は一般財団法人住吉学園神戸市東灘区)の所有であるが、竹田統理事長は「知らなかった事を残念に思い、2018年度から地代を無料にし、これからはみよし観音の行事に参加する」と決定した[7]

注釈[編集]

  1. ^ 日東航空は東亜国内航空、日本エアシステムを経て日本航空に合併された。ジェイエアは旧日本エアシステムのローカル線を中心に運航し、日東航空と同じく大阪府に本社を置く。小林の知人が在籍している。

出典[編集]

  1. ^ a b 「ホタルが結んだ友情のかげに……」『主婦の友』第48巻第9号、主婦の友社、1964年、doi:10.11501/11436040 
  2. ^ a b c d 鈴木哲法「みよし観音 安全願い 半世紀」『京都新聞』、2019年5月15日、夕刊。
  3. ^ a b 荻野みきよ「いのちを繋ぐ慰霊塔建立」第54号、持明院「はすの会」事務局、大阪市北区梅田、2017年8月20日。 
  4. ^ 「旅客機(日東航空)が墜落、炎上 二人即死、八人負傷」『朝日新聞』、1964年2月18日、夕刊、1面。
  5. ^ a b c 「交流のともしび再び 1964年殉職の乗務員慰霊塔が縁」『徳島新聞』、2018年1月19日。
  6. ^ 徳島の子供たちと…殉職スチュワーデスとの思い出を秘めた、ほたるの塔”. 社会福祉法人宝田寮. 2019年8月13日閲覧。
  7. ^ a b 安井俊彦 (2018年7月27日). “胸を打つ計らい”. 彦録”HIKOLOG. 2019年8月13日閲覧。
  8. ^ a b c 「客室乗務員の勇気たたえる」『神戸新聞』、2015年7月14日。
  9. ^ a b 「凡語」『京都新聞』、2015年7月26日。
  10. ^ 六甲山みよし観音”. city.kobe.lg.jp. 神戸市灘区役所 (2016年11月29日). 2019年8月13日閲覧。
  11. ^ a b 「「蛍よ舞え」みよし観音で記念式、森繁さんの詩碑」『朝日新聞』、1999年5月17日、朝刊。

参考文献[編集]

  • 逵原ミレイ, 坂井誠(共著)『六甲山のあの上に ある“交通遺児”の願い』(みよし観音奉賛会、1979年8月)