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鎌田 光康(かまた みつやす、生年不詳 - 天正10年(1579年))は、戦国時代の阿波国の武将。通称は修理輔。名東城主。日開城主。父は鎌田光久。子に鎌田光義がいる。
三好氏家臣。永禄5年(1579年)に和泉久米田の戦いにて討死した父・光久の後を継いで名東城主となる。加封されて二百八十貫を知行。天正10年(1579年)8月、中富川の戦いで討死する。
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