野田哲造

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野田 哲造(のだ てつぞう、1891年6月21日[1] - 1992年7月30日)は、日本の銀行家経営者住友銀行社長兼会長を務めた。

経歴[編集]

三重県津市出身。1915年東京帝国大学法学部政治科を卒業し、同年に住友銀行に入行[1]

常務、専務、副社長などを歴任し、1945年から財閥解体後に初めて社長兼会長に就任したが、公職追放の拡大により、その影響が出ることを恐れ、1947年2月に退任[1][2]

大阪銀行協会会長、大阪商工会議所監事、レンゴー相談役、武田薬品工業顧問なども歴任した[1]

1965年11月に勲三等旭日中綬章を受章[1]

1992年7月30日急性心不全のために死去[3]。101歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1985, の26頁.
  2. ^ 現代物故者事典 1991-1993 p460
  3. ^ 1992年 7月31日 日本経済新聞 朝刊 p35

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 下』人事興信所、1985年。 
先代
岡橋林
住友銀行社長兼会長
1945年 - 1947年
次代
鈴木剛