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都甲 惟親(とごう これちか)は、鎌倉時代後期の武将。
経歴・人物[編集]
都甲氏は源経俊を祖先とする豊後国国東郡都甲荘領主で、鎌倉幕府御家人を代々世襲[1][2]。元寇にて活躍した。文永11年(1274年)の文永の役では筑前鳥飼潟の戦いにおいて奮戦し、その戦功を賞され大友頼泰より書下を与えられる[1][3]。弘安4年(1281年)弘安の役では子の惟遠と共に肥前鷹島の東浜より上陸し、元軍と奮戦した[1][4]。
- ^ a b c d 安田元久編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、p.426(1985)
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『都甲惟親』 - コトバンク
- ^ 『都甲文書』大友頼泰勘状
- ^ 『都甲文書』大神惟親軍忠状