遅塚勝一

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遅塚 勝一(おそづか かついち、1963年10月17日 - )は、かつて日本CMディレクター演出家として活動していた人物。その傍ら、音楽プロデューサーイヴェント・オーガナイザー葛飾ホックニーとのDJトークユニット「亜湖派とかほり派 (あこはとかほりは)」のメンバーとしても活動、超絶記憶力を駆使した70年代・80年代カルチャートークの名手としても知られていた。

来歴・人物[編集]

1963年茨城県土浦市に生まれる。

宣伝会議養成講座を経て、テレコム・ジャパンに入社、博報堂への出向の後、独立する。当時の同僚に片岡Kがいる。

2000年、テクモのギャロップレーサーシリーズ第4作「ギャロップレーサー2000」のCMにせんだみつおを起用、遅塚の考案したキャッチコピー「せんだが二人で、にせんだ!」が、同年のせんだの「二千田光雄」への改名のもとになる。

2006年、葛飾ホックニーと出逢い、「Picture Yourself Sound School」の第2回から、葛飾とふたりで「亜湖派とかほり派」を結成して、アナログレコードをかけながら歌謡曲や古いテレビ番組を語る、独特のトークライヴを始める。翌2007年の『Picture Yourself Sound School #6 Superstar Carnival 俺たちがテレビだ!』では、東京・池袋の「池袋小劇場」での1週間連日のヴァラエティライヴショウを、葛飾および音楽プロデューサーの鈴木ダイスケとともにプロデュース、演出をつとめる。演劇界・お笑い界での人脈の広さとそのクールなセンスが全面的に展開された。

同年9月、東京・中目黒の「ウディーシアター中目黒」で、4話オムニバス演劇『俺たちがドラマだ!』をプロデュースする。そのうちの1話『セクシー・バス・ストップ』(脚本亜湖派とかほり派)の演出をする。生まれ育った土浦市を舞台に、テレビ番組『ぎんざNOW!』や雑誌『POPEYE』など、1976年の文化をフィーチャーしたその内容に、全日大入り満員となった。

演劇総合ワークショップ「NOVI-Labo」で「オーディション講座」の特別講師をつとめる。

2008年8月、DJ VINS★河井克夫らのバイノーラルユニット「ミミオヤジ」の結成に参加、ラジオ番組の制作を開始する。同月3日、プレイヴェント『夏だ! ラジオだ! バイノーラル祭り! 〜 僕たち、本当にFMラジオ番組をつくっちゃいました。』を東京・お台場東京カルチャーカルチャーで開催、その模様は、同月31日の深夜、TFMで放送された。

フィルモグラフィ[編集]

CM[編集]

テアトログラフィ[編集]

  • Picture Yourself Sound School #2 (2006年7月30日、DJイヴェント、新宿ゴールデン街劇場) - プロデューサー、出演
  • Picture Yourself Sound School #3 (2006年9月6日、DJイヴェント、新宿ゴールデン街劇場) - プロデューサー、出演
  • Picture Yourself Sound School #4 ぎんざNOWは絶快調!! (2006年11月15日、ヴァラエティライヴショウ、新宿ロフトプラスワン) - プロデューサー、出演
  • Picture Yourself Sound School #5 オールスター新年会 (2007年1月30日、ヴァラエティライヴショウ、中野heavy sick ZERO) - プロデューサー、出演
  • Picture Yourself Sound School #6 Superstar Carnival 俺たちがテレビだ! (2007年3月5日 - 11日、ヴァラエティライヴショウ、池袋小劇場) - プロデューサー、演出、出演、映像制作
    寸劇『タイムスリップ! 一休さん』(鈴木ダイスケ作、葛飾ホックニー主演) - 演出、出演
  • Picture Yourself Sound School #7 Allstar Festival 80年代がやってきた! (2007年4月30日、ヴァラエティライヴショウ、中野heavy sick ZERO) - プロデューサー、出演、映像制作
  • 俺たちがドラマだ! (2007年9月13日 - 17日、4話オムニバス演劇、ウディーシアター中目黒) - プロデューサー
    オムニバス1話『セクシー・バス・ストップ』 (B面、脚本亜湖派とかほり派、主演中野将樹森若香織) - 演出
  • 夏だ! ラジオだ! バイノーラル祭り! 〜 僕たち、本当にFMラジオ番組をつくっちゃいました。(2008年8月3日、東京カルチャーカルチャー

関連事項[編集]

外部リンク[編集]