辰斎年秀

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辰斎年秀(しんさい としひで、安政6年〈1859年[1] – 没年不明)とは、明治時代浮世絵師

来歴[編集]

月岡芳年または中山年次の門人。『東洋絵画共進会出品目録』によれば第六区出品作「淡彩農業」と「淡彩虎」の作者として「雑派 号年秀」とあり、この年秀は本名平岡光太郎、横浜翁町に住み、同展開催の明治19年(1888年)には27歳だったという[2]。これが辰斎年秀と同一人とされている。作は明治27年(1894年)とその翌年に版行された日清戦争錦絵が残る[3][4]

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『浮世絵人名辞典』には安政6年の生れとあるが、明治19年4月刊行の『東洋絵画共進会出品目録』には「二十七年七月」(27歳と7ヶ月)とあり、これによって逆算すれば万延元年(1860年)頃の生れとなる。
  2. ^ 滝川 1888, p. 77-78.
  3. ^ a b 太田記念美術館 1990, pp. 75–81.
  4. ^ a b 「牛荘附近激戦之図」辰斎年英/画” (1895年1月). 2018年9月30日閲覧。 3枚続、36×24cm。請求記号:EE721.8シン、資料番号:1114234733。なお画面の右下に「辰齋年秀」と記してあることから、典拠で作者を「年英」としているのは誤植か。

参考文献[編集]

  • 「国芳とその一門関係年譜」『歌川国芳とその一門展』歌川国芳(画)、太田記念美術館(編)、太田記念美術館、1990年、75-81頁。 NCID BN09628624 
  • 桑原羊次郎『浮世絵師人名辞書』教文館松江、1923年、27頁。doi:10.11501/1182551全国書誌番号:3041603  国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり。37コマ目。
  • 『浮世絵人名辞典』清水澄(編)(再版)、美術倶楽部鑑定部、1978年、[要ページ番号]頁。 NCID BN13719530  初版:昭和29(1954)年10月刊。
  • 『東洋絵画共進会出品目録』滝川守朗(編)、今古堂、東京、1888年4月、77-78頁。doi:10.11501/851260全国書誌番号:40070591  国立国会図書館デジタルコレクションに本文あり。42コマ目。