賀茂人麻呂

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賀茂 人麻呂(かも の ひとまろ、生没年不詳)は、奈良時代貴族官位従五位上斎宮頭

経歴[編集]

光仁朝宝亀2年(771年従五位下叙爵し、宝亀5年(774年上野介に任ぜられる。宝亀9年(778年左少弁と京官に遷る。

桓武朝に入ると、天応元年(781年常陸介、延暦2年(783年筑後守と再び地方官を歴任する。延暦4年(784年左京亮次いで斎宮頭と京官に復し、延暦8年(789年)従五位上に至る。延暦10年(791年)には伊勢守を兼ねている。

官歴[編集]

続日本紀』による。

系譜[編集]

人麻呂の父は、高賀茂諸雄賀茂角足の両説がある。しかし、諸雄は人麻呂とほぼ同年代の人物でかつ氏姓が高賀茂朝臣であることから誤りと考えられる。一方で、角足は天平宝字元年(757年)の橘奈良麻呂の乱で「乃呂志」に貶姓され、宝亀3年(772年)にその近親と思われる比良麻呂が本姓の賀茂朝臣への復姓を許されている。人麻呂はその前の宝亀2年紀(771年)で賀茂朝臣となっていることから、これもやや疑問がある[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『尊卑分脈』。「加茂氏系図」(『群書類従』巻第63所収)
  2. ^ a b c 鈴木真年『百家系図』巻55,賀茂朝臣
  3. ^ a b 宝賀[1986: 1380]

参考文献[編集]