西高辻信良

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西高辻 信良(にしたかつじ のぶよし、1953年昭和28年〉10月6日 - )は、日本の神職。第39代太宰府天満宮宮司福岡県神社庁長。神社本庁常務理事。

経歴[編集]

菅原道真の嫡流・高辻家の分家で、太宰府天満宮の宮司を世襲する西高辻家の4代目当主。

1972年(昭和47年)福岡県立修猷館高等学校を経て[1]1977年(昭和52年)に慶應義塾大学文学部社会学科を卒業し、翌年國學院大學神道学専攻科を卒業する。

1978年(昭和53年)3月15日、神職階位「明階」を授かり、同年11月1日、太宰府天満宮権宮司に就任。1983年(昭和58年)11月、太宰府天満宮宮司および竈門神社宮司に就任。2001年(平成13年)3月1日、神職階位の最高位である「浄階」、並びに神職身分一級を授かる。2007年(平成19年)、福岡県神社庁長に就任。2010年(平成22年)、神社本庁理事に就任。2015年(平成27年)2月、神職の最高身分である特級に昇任。2019年(令和元年)5月、神社本庁常務理事に就任。

西高辻家は、初代信厳(のぶかね)、2代信稚(のぶわか)、3代信貞、そして信良と、4代にわたって九州に国立博物館を誘致する運動を続けてきたが、2005年(平成17年)10月16日、その悲願を達成して九州国立博物館が開館した。なお、その敷地は全て太宰府天満宮から寄付されたものである。

境内にある太宰府天満宮幼稚園の卒園生でもあり、1987年(昭和62年)園長に就任。大相撲の元横綱・旭富士が部屋を興した際、天満宮として九州場所中の宿舎を提供しており、伊勢ヶ濱部屋の九州後援会長も務めるほか、滞在中は園児との触れ合いの機会を設けている。

妻の圭子はトーホー創業者であり社長を務めた待鳥初民の長女。息子は第40代宮司、信宏。

エピソード[編集]

  • 1979年4月17日、西高辻信良の結婚式において、親友であるさだまさしは、自ら信良に願い出て歌を歌った。本当は太宰府天満宮を舞台にした『飛梅』を歌いたかったが、内容的に不安があったため『秋桜』を歌ったという。なお、さだまさしが所有している長崎県大村湾詩島にある神社「詩島天満宮」は、さだが太宰府天満宮から分祀して創建したものである。

著書[編集]

  • 『いま、知っておきたい神さま神社祭祀』主婦の友社、1986年。 

脚注[編集]