藤井善言

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藤井 善言(ふじい よしご、1847年(弘化4年)-没年不詳)は日本の幕末佐倉藩士明治時代には大蔵省官吏から文部省農商務省書記官を務めた。弟は軍艦の設計で知られる佐波一郎。長姉の淑は依田学海に嫁いだ。

経歴[編集]

  • 1847年(弘化4年)、下総国佐倉藩に佐倉藩士、藤井喜一郎の長男として生まれる。
  • 1887年(明治20年)、文部省書記官。
  • 1889年(明治22年)、農商務省書記官。のちに参事官
  • 1894年(明治27年)、賞勲局書記官。正六位勲五等。正五位勲四等。
  • 1917年(大正6年)、年齢71歳に達するを以て本官を辞す。

著書[編集]

訳著[編集]

  • 『琉球・日本・支那関係論/ターリェー・ジュ・ジャッポン新聞』藤井善言・伊東巳代治

脚注[編集]