薛元敬

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薛 元敬(せつ げんけい、? - 626年)は、中国文学者政治家本貫蒲州汾陰県。秦王府十八学士のひとりに挙げられた。

経歴[編集]

の選部郎薛邁(薛道衡の兄の子)の子として生まれた。文学の才能で知られ、従叔父の薛収や薛徳音と名声をひとしくし、「河東三鳳」と称された。薛収は「長鶵」と称し、薛徳音は「鸑鷟」と称し、元敬は最も年少で、「鵷鶵」と称した。武徳年間、秘書郎に任じられ、秦王李世民に召されて天策府参軍をつとめた。直記室を兼ね、薛収とともに秦王府の文学館学士となった。ときに薛収と房玄齢杜如晦らは親交があって、政治的にも接近していた。しかし元敬は態度をつつしんで、決して馴れ合おうとはしなかった。杜如晦は「小記室(薛元敬)とは親しくなることもできないが、交際を絶つこともできない」と嘆いたという。李世民が皇太子となると、元敬は太子舎人に任じられた。唐の国政が東宮で統轄されるようになると、元敬はその文章の起草をつかさどった。まもなく在官のまま亡くなった。

伝記資料[編集]

  • 旧唐書』巻73 列伝第23「薛元敬伝」
  • 新唐書』巻98 列伝第23「薛元敬伝」