神崎東蔵

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神崎 東蔵(東藏、かんざき とうぞう、1867年4月14日慶應3年3月10日[1][2])- 没年不詳[3][4])は、明治から大正期の裁判官弁護士政治家衆議院議員、佐賀市会議長。

経歴[編集]

武蔵国江戸麻布[5](現東京都港区)で佐賀藩[6]・神崎要助、のせ の四男として生まれる[2]。1889年(明治22年)帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業した[2][3][4][5][6][7]

司法官に任官し、判事試補、和歌山地方裁判所判事、佐賀地方裁判所判事などを歴任し[2][3][4][5][6]、1891年(明治24年)に退官し佐賀市で弁護士を開業し[2][3][4][5][6]、その後、福岡市長崎市小倉市久留米市などにも出張所を開設した[5][6]

1897年(明治30年)憲政本党に入党し、佐賀市会議員、同議長、佐賀県会議員、佐賀商業会議所議員、九州鉄道顧問などを務めた[2][3][4][5][6]

1902年(明治35年)8月の第7回衆議院議員総選挙に佐賀県郡部から憲政本党所属で出馬して初当選[2][3][8]。その後、第10回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続4期在任した[3][4][7]。1909年(明治42年)日本製糖汚職事件で拘禁され、同年7月3日に、東京地方裁判所第二刑事部において重禁固4ヶ月の有罪の判決が言い渡され[9]、衆議院議員を辞職[10]。その後、判決を不服として控訴、上告を行ったが、同年12月17日に大審院で判決が言い渡され、上告棄却となり、有罪が確定した[11]。これにより正八位返上を命じられ[12]勲四等を褫奪された[13]

正確な没年月日は不明だが、1939年発行の『東京帝国大学卒業生氏名録』[14]や、1950年発行の『東京大學卒業生氏名録』[15]に、 氏名とともに物故者であることを意味する「×」が記載されていた一方で、1933年に発行された『東京帝国大学卒業生氏名録』[16]にはそれが無かったことから、1930年代に亡くなったと推測される。

国政選挙歴[編集]

著作[編集]

  • 『商法原理』博文館、1890年。
  • 清水市太郎との共著『英国帰化法』金港堂、1890年。

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 衆議院『衆議院議員名簿』〈第十七回帝国議会衆議院公報第1号附録〉、1902年、27頁。
  2. ^ a b c d e f g 『人事興信録 初版』416頁。
  3. ^ a b c d e f g 『佐賀県大百科事典』176頁。
  4. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』183頁。
  5. ^ a b c d e f 『新撰衆議院議員列伝』300頁。
  6. ^ a b c d e f 『新撰衆議院議員列伝』117頁。
  7. ^ a b 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』134頁。
  8. ^ a b c d 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』36頁。
  9. ^ 「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」504-511頁。
  10. ^ 『官報』第7809号、明治42年7月7日。
  11. ^ 「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」498頁。『東京朝日新聞』1909年12月18日、朝刊5頁。
  12. ^ 官報 1910年2月18日 三三〇頁
  13. ^ 官報 1910年5月23日 四三一頁
  14. ^ 『東京帝国大学卒業生氏名録』、昭和14年、2頁
  15. ^ 『東京大學卒業生氏名録』2頁
  16. ^ 『東京帝国大学卒業生氏名録 』、昭和8年、2頁
  17. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』76頁。
  18. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』98頁。

参考文献[編集]

  • 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
  • 田中重策篇『新撰衆議院議員列伝』日本現今人名辞典発行所、1903年。
  • 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1903年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 雨宮昭一「日糖事件 - 汚職事件と検察権の拡大」『日本政治裁判史録 明治・後』第一法規出版、1969年。
  • 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『東京帝国大学卒業生氏名録 [昭和8年3月末現在]』、東京帝国大学、1933年
  • 『東京帝国大学卒業生氏名録』、東京帝国大学、1939年
  • 『東京大學卒業生氏名録』、東京大學、1950年