百石町 (弘前市)

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百石町
百石町展示館
百石町展示館
百石町の位置(青森県内)
百石町
百石町
百石町の位置
北緯40度36分18.85秒 東経140度28分24.09秒 / 北緯40.6052361度 東経140.4733583度 / 40.6052361; 140.4733583
日本の旗 日本
都道府県 青森県
市町村 弘前市
人口
2017年(平成29年)6月1日現在)[1]
 • 合計 147人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
036-8035
市外局番 0172[2]
ナンバープレート 弘前

百石町(ひゃっこくまち)は、江戸期から現在にかけての青森県弘前市の地名。郵便番号は036-8035。2017年6月1日現在の人口は147人、世帯数は83世帯[1]

地理[編集]

当地の中間を青森県道31号弘前鯵ケ沢線が東西に横断し、町域の北部と接する東長町と、南部と接する土手町とを結ぶ筋道の町。町域の北部は東長町、北東部から東部にかけて徒町川端町、南東部は徒町、南部は土手町、南西部は一番町鉄砲町、西部は上鞘師町、西北部は百石町小路に接する。

催事[編集]

7月下旬には百石町商店街で夜店祭りが行われる。弘前市で最初に行われた祭りでもある。

歴史[編集]

  • 正保3年 - 侍屋敷として町割りされる(津軽弘前城之絵図)。
  • 寛永末年頃 - 当地の東側に屋敷が19軒(津軽弘前城之絵図)。
  • 慶安2年 - 侍町とあり、屋敷55軒のうち46軒が武家屋敷。そのなかには足軽組頭とみられる屋敷もある(弘前古御絵図)。
  • 寛文13年 - 百石町と町名が見え、侍屋敷が51軒ある(弘前中惣屋敷絵図)。
  • 延宝5年 - 上鞘師町から南部を百石町一丁目、北部を二丁目と称する(弘前惣御絵図)。
  • 元禄13年 - 46軒の武家屋敷がある(弘前侍町屋敷割)。
  • 寛政5年 - 寛政の改革により、当地に御目見以上の武士の屋敷が配置される(平山日記)。
  • 寛政12年 - 侍屋敷が41軒(分間弘前大絵図)。
  • 文化4年 - 侍屋敷が40軒(御家中町割)。
  • 明治初年 - 戸数43。町域は「長三丁三十五間五尺、幅四間」とある(国誌)。
  • 1880年(明治13年) - 元寺町から出荷した火災が当地のほか一帯、1,064戸を焼きつくし、それが当地を商店街を発展させることとなる。
  • 1897年(明治30年) - 奥羽北線(奥羽本線青森弘前間)開通、陸軍第8師団の設置によって、弘前市の中心部が本町から元寺町・当地に移る。
    • また、1883年(明治16年)に建てられた宮本甚兵衛呉服店は、同年に弘前金融合資会社、のちに津軽銀行(現:青森銀行津軽支店)になる。
  • 1914年大正3年) - 弘前市で初めて夜店祭りが催され、2軒目の活動写真館が開業する(現在はガソリンスタンド)。

沿革[編集]

  • 江戸期 - 弘前城下の一町。
  • 明治初年〜明治22年 - 弘前を冠称。
  • 1899年(明治22年) - 弘前市に所属。

地名の由来[編集]

定かではないが、禄高100石以上・金15両以上の藩士が居住していたことから。

施設[編集]

医療[編集]

  • 吉田クリニック
  • 福島耳鼻咽喉科

商業[編集]

金融[編集]

  • 青い森信用金庫弘前支店

その他[編集]

小・中学校の学区[編集]

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる。

大字 番・番地 小学校 中学校
百石町 全域 弘前市立時敏小学校 弘前市立第一中学校

交通[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b オープンデータひろさき 弘前市 町名別人口・世帯数_平成29年”. ひろさき未来戦略研究センター (2017年6月1日). 2017年6月18日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
  3. ^ 旧青森銀行津軽支店 - 弘前市

参考文献[編集]

角川日本地名大辞典 2 青森県(角川書店)