熊沢重文

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熊沢重文
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県刈谷市
生年月日 (1968-01-25) 1968年1月25日(56歳)
身長 157cm
体重 53kg
血液型 O型
騎手情報
所属団体 JRA
所属厩舎 フリー
初免許年 1986年
免許区分 平地・障害[1]
騎手引退日 2023年11月11日
重賞勝利 36勝(中央33勝、地方3勝)
G1級勝利 優駿牝馬(1988年)
有馬記念(1991年)
阪神ジュベナイルフィリーズ(2005年)
中山大障害(2012年)
通算勝利 15222戦1051勝(中央)
経歴
所属 栗東・内藤繁春(1986 - 1996)→
栗東・フリー(1996 - 2023)
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熊沢 重文(くまざわ しげふみ、1968年1月25日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンターに所属していた元騎手

戸籍上の表記は旧字体が含まれた「熊澤 重文」だが、JRAでは旧字体での登録が認められていない為、新字体の「熊沢」に修正して登録[2]、引退後の活動名も修正した名義としている。

平地・障害どちらもトップジョッキーと言われるレベルにあった。

来歴[編集]

1968年に愛知県刈谷市に生まれ、刈谷市立小垣江小学校刈谷市立依佐美中学校を卒業[3]。熊沢の15歳年上の南井克巳も刈谷市出身(出生地は京都市)であり、熊沢と同じ小中学校を卒業しており、熊沢が騎手となる契機の一つであった。刈谷市では祭事に馬が使われることは珍しくなく、熊沢も馬に少なからず興味を示した。これも騎手となる素地であったと語っている。

熊沢が中学野球で活動していた頃に父が入院し、熊沢の父と同じ病室に南井の父親がいたことから話は進展する。息子同士が出会うこととなり、同時期に担任の教師より「(同じ愛知出身の)調教師に話を通してもいい」と後押しされたこともあり、騎手を志すようになる。

1986年騎手免許を取得し栗東・内藤繁春厩舎所属騎手としてデビュー、同期騎手として横山典弘松永幹夫などがいる。

3年目の1988年に代打騎乗[4]となるコスモドリーム優駿牝馬を制しGI初勝利を記録し、満20歳3か月で当時の最年少GI勝利[5]のほか、史上3人目の減量騎手のオークス制覇[6]を達成している。

1991年にはダイユウサク有馬記念をレコード勝ちし、自身2度目のGI勝利を記録する。人気馬メジロマックイーンを破った実力派騎手としてこのレース以降、熊沢の名は関東でも認知されるようになり、ファンからの声援のほかに調教師からも声がかかるようになった[7]が、この2つのGI勝利を熊沢は「悪く言えばどちらも遊びに行ったという感じ[8]。」「人気薄(コスモドリーム/10番人気・ダイユウサク/13番人気)で気楽に乗れた[9]。」と振り返っている。

ほかにも1996年スプリンターズステークスではわずか1センチメートルの差で涙を飲んだ快速馬エイシンワシントン、のちにパートナー交替となるが、ステイゴールドの主戦騎手でもあった。

2005年12月4日テイエムプリキュアに騎乗し阪神ジュベナイルフィリーズに勝利。ダイユウサク以来14年ぶりのGI制覇となった。

2009年8月8日の小倉競馬第4競走でベネラに騎乗し1着となり、中央競馬史上29人目、現役12人目となるJRA通算900勝を達成した。

2016年5月29日の京都競馬第4競走でメイショウヒデタダに騎乗し1着となり、中央競馬史上30人目、現役13人目となるJRA通算1000勝を達成した[10]

また、「最も取りたいレースは日本ダービー中山大障害」と公言[11]しているように、障害競走はデビュー翌年の1987年4月から騎乗を開始しており、キャリア末期まで障害競走にも積極的に騎乗していた。平地競走でGI勝利を経験している騎手は障害競走には初めから乗らないか、それまで乗っていてもGI勝利を機に辞めるケースがほとんど(障害競走は落馬の危険性が平地よりも高く、怪我をしやすい。技術面でも違うものを要求される)であり、今も騎乗し続けている熊沢は極めて稀有な例である。勝利数も多く、1999年2000年2002年2004年JRA賞(最多勝利障害騎手)を獲得し、通算500勝、800勝は障害競走で記録し、2001年にはJRA3人目[12]となる平地・障害100勝を達成した。2015年にはJRA史上初の平地・障害200勝を達成した[13]。2016年には平地・障害での通算勝利数が1000勝に達し、さらに長年の平地・障害での活躍が評価され同年のJRA賞特別賞を受賞した[14]

そして2012年にはマーベラスカイザーで取りたいレースの1つである中山大障害を制し、平地、障害両方でのGI勝利を達成した。年末のビッグレースである中山大障害有馬記念の両方を制した騎手は、熊沢の他に伊藤竹男加賀武見などがいるが数少ない記録である。1999年に障害競走でのグレード制が導入されて以降では、平地GI・障害GI(J・GI)の両方を制したのは熊沢が初のことである[15]。熊沢のように、平地のGI騎乗経験のある騎手がコンスタントに障害競走にも騎乗する例は少なく、熊沢の他には高田潤ドリームパスポートほか)や柴田大知マイネルホウオウほか。2013年4月以降は平地競走騎乗が主となり、障害競走の騎乗実績なし)、大庭和弥(テイエムオオタカほか)などがいる。

2020年11月29日、阪神競馬第5競走・障害未勝利戦をメイショウタカトラで勝利し、JRA障害250勝を達成した。これは星野忍の254勝に次ぐ歴代2位の記録である[16]

2021年4月17日、中山競馬第10競走・下総ステークス(3勝クラス)をタイガーインディで勝利し、2016年6月18日以来、実に4年10ヶ月ぶりとなる平地競走での勝利を挙げた[17]

2021年8月28日、小倉サマージャンプアサクサゲンキで勝利し、星野が持つ障害競走の歴代最多勝記録254勝に並んだ[18]

2021年10月24日、新潟競馬第4競走・障害未勝利戦をキーパンチで勝利し、障害競走の歴代最多勝記録255勝を達成。

2022年2月26日、小倉競馬第8競走・春麗ジャンプステークスでリッジマンに騎乗したが、2周目1号障害飛越着地時につまずき落馬。北九州市内の病院に搬送され、この時点で後頸部から前胸部挫傷(頸部骨折疑い・肋骨骨折疑い)と診断され(その後の診断で第2頸椎骨折と判明)、長期休業となった[19]。3か月の入院を経て医師からは「再起不能」と宣告されるも、1年のリハビリを経て翌2023年2月19日の阪神競馬第7競走(平地競走)で復帰し[20]、復帰後3戦目の同年3月5日の阪神競馬第4競走・障害未勝利戦をセルリアンルネッタで勝ち、復帰後初勝利は1年4か月ぶりの勝利(後述の休業のため、現役最終勝利)となった[21]

しかし、同年6月3日の東京競馬第1競走・障害未勝利戦でピンクダイヤに騎乗したが、1周目5号障害飛越着地時につまずいて落馬。右腕の負傷と診断されたが、以降再び休業となり、事実上の現役最終騎乗となった[22]

2023年10月30日、同年11月11日付で騎手免許を返上し、引退することがJRAより発表された[23]。本人によると(前述の落馬事故で)以前傷めた頸椎が元通りに戻らず、複数の病院で診断を受けたところ「普段の生活で転んでも、次は危ない」とドクターストップがかかったことを理由とする。このため、今後の予定は調教など現場に携わる仕事は行わず、未定としているが、引退後の12月24日開催の第68回有馬記念では日本放送協会 (NHK)からの招きを受け、番組レギュラーの鈴木康弘日本調教師会 名誉会長)と共に同協会の競馬中継の解説者として出演している。

引退当日となる11月11日の京都競馬場では、自身が4勝を挙げた京都ジャンプステークス誘導馬のシベリアンスパーブに騎乗し誘導役を務め、全レース終了後に引退式が行われた[24][25][26]

この時点まで昭和平成の2元号にわたりGI競走を制覇した現役騎手は、武豊と熊沢のみであった。なお、武は2019年の菊花賞優勝で昭和から令和の3元号に跨ぐGI制覇を達成しており、熊沢が達成すれば史上2人目の記録であったが、達成叶わず引退した(令和でGI出走は4回あったが、2着が3回)。

騎乗成績[編集]

日付 競馬場・開催 競走名 馬名 頭数 人気 着順

初騎乗 1986年3月2日 1回阪神4日7R 5歳上400万円下 ジュニヤーダイオー 12頭 5 5着
初勝利 1986年3月29日 2回阪神3日8R 5歳上400万円下 ジュニヤーダイオー 14頭 8 1着
重賞初騎乗 1986年11月30日 3回中京4日11R 愛知杯 マルカセイコウ 13頭 12 13着
GI初騎乗・初勝利 1988年5月22日 5回東京2日10R 優駿牝馬 コスモドリーム 22頭 10 1着

初騎乗 1987年4月11日 2回阪神5日5R 障害5歳上オープン グリーンサツキ 14頭 13 12着
初勝利 1987年10月24日 4回京都5日5R 障害4歳上未勝利 グリーンサンミャク 10頭 2 1着
重賞初騎乗 1987年9月19日 4回阪神3日9R 阪神障害ステークス(秋) インターシャドー 9頭 6 4着
重賞初勝利 1993年5月8日 3回京都5日9R 京都大障害(春) ビックフォルテ 8頭 4 1着
JGI初騎乗 2001年4月14日 3回中山7日11R 中山グランドジャンプ ダンシングターナー 11頭 4 3着
JGI初勝利 2012年12月22日 5回中山7日10R 中山大障害 マーベラスカイザー 16頭 3 1着
年度 平地競走 障害競走 表彰・備考
1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率 1着 2着 3着 騎乗数 勝率 連対率 複勝率
1986年 30 28 24 345 .087 .168 .238 -
1987年 19 18 16 275 .069 .135 .193 2 4 2 27 .074 .222 .296
1988年 27 30 18 283 .095 .201 .265 0 0 3 11 .000 .000 .273
1989年 34 24 25 298 .114 .195 .279 3 2 2 23 .130 .217 .304
1990年 21 24 22 306 .069 .147 .219 7 4 6 54 .130 .204 .315
1991年 31 30 28 425 .073 .144 .209 4 3 5 43 .093 .163 .279
1992年 29 38 44 454 .064 .148 .244 3 4 6 38 .079 .184 .342
1993年 35 43 43 510 .069 .153 .237 7 8 9 44 .159 .341 .545
1994年 29 44 47 549 .053 .133 .219 6 6 4 36 .167 .333 .444
1995年 38 46 42 500 .076 .168 .252 5 6 6 42 .119 .262 .405
1996年 51 40 39 510 .100 .178 .255 7 10 7 41 .171 .415 .585
1997年 48 53 31 529 .091 .191 .250 6 7 7 36 .167 .361 .556
1998年 39 53 43 526 .074 .175 .257 7 2 6 42 .167 .214 .357
1999年 33 49 46 589 .056 .139 .217 16 6 4 40 .400 .550 .650 JRA賞最多勝利障害騎手
フェアプレー賞(関西)
2000年 35 43 50 620 .056 .126 .206 17 9 6 61 .279 .426 .525 JRA賞最多勝利障害騎手
フェアプレー賞(関西)
2001年 49 57 58 679 .072 .156 .242 11 15 9 61 .180 .426 .574 フェアプレー賞(関西)
2002年 28 41 49 590 .047 .117 .200 13 9 6 53 .245 .415 .528 JRA賞最多勝利障害騎手
2003年 37 42 48 631 .059 .125 .201 6 10 6 49 .122 .327 .449 フェアプレー賞(関西)
2004年 35 42 29 551 .064 .140 .192 11 6 4 53 .208 .321 .396 JRA賞最多勝利障害騎手
フェアプレー賞(関西)
2005年 33 43 29 610 .054 .125 .172 6 7 6 45 .133 .289 .422
2006年 18 29 30 510 .035 .092 .151 6 3 4 37 .162 .243 .351
2007年 14 14 14 368 .038 .076 .114 3 5 4 33 .091 .242 .364
2008年 7 16 22 409 .017 .056 .110 7 7 8 48 .146 .292 .458
2009年 21 16 22 494 .043 .075 .119 13 3 4 60 .217 .267 .333 フェアプレー賞(関西)
2010年 17 13 18 375 .045 .080 .128 4 4 1 22 .182 .364 .409
2011年 11 10 14 392 .028 .054 .089 7 4 5 44 .159 .250 .364
2012年 7 5 8 221 .032 .054 .090 5 2 4 30 .167 .233 .367
2013年 6 13 20 416 .014 .046 .094 5 14 9 59 .085 .322 .475
2014年 8 3 8 224 .036 .045 .080 10 6 8 64 .156 .250 .375
2015年 2 4 9 128 .007 .020 .066 7 5 5 50 .140 .240 .340
2016年 2 3 5 77 .026 .052 .117 11 9 7 83 .133 .241 .325 JRA賞(特別賞)
2017年 0 4 2 48 .000 .083 .125 14 6 6 66 .212 .303 .394
2018年 0 0 0 14 .000 .000 .000 6 4 3 56 .077 .128 .167
2019年 0 0 1 15 .000 .000 .007 8 6 9 80 .100 .175 .288
2020年 0 0 0 19 .000 .000 .000 7 7 10 44 .103 .206 .353
2021年 1 0 0 12 .083 .083 .083 6 7 5 68 .088 .191 .265
2022年 0 0 0 0 .000 .000 .000 0 3 0 9 .000 .333 .333
2023年 0 0 0 1 .000 .000 .000 1 0 0 11 .091 .091 .091
中央 794 914 902 13527 .059 .126 .193 257 213 196 1695 .152 .277 .393
地方 51 41 31 308 .166 .299 .399

主な騎乗馬[編集]

太字はGI級競走優勝を示す。

脚注[編集]

  1. ^ 平成28年度 騎手免許試験合格者” (PDF). 日本中央競馬会 (2016年2月11日). 2016年4月6日閲覧。
  2. ^ NARデータベース
  3. ^ 刈谷の星 刈谷市
  4. ^ もともと岡潤一郎が騎乗していたが、GI競走に騎乗するための勝利数(31勝)に達していなかったため
  5. ^ 同年秋の菊花賞で19歳8ヶ月の武豊スーパークリークで優勝し記録が更新された。ただし、優駿牝馬での最年少記録はその後も熊沢が保持している。
  6. ^ 1938年保田隆芳、1943年前田長吉に次ぐ3人目
  7. ^ 騎手物語
  8. ^ 東京競馬場中山競馬場ともに両GIレースの施行日が初騎乗。中山競馬場に至っては当日、道に迷ってしまったほど土地勘がなかった。
  9. ^ 騎手という稼業
  10. ^ 熊沢重文騎手がJRA通算1000勝達成!”. サンケイスポーツ. 2016年5月29日閲覧。
  11. ^ 別冊宝島騎手名鑑'98
  12. ^ 横山富雄田中剛に次ぐ3人目
  13. ^ JRA史上初、熊沢重文騎手が平地&障害競走200勝”. 2016年5月29日閲覧。
  14. ^ JRA通算1000勝達成の熊沢が特別賞「乗れる限り頑張ります」”. www.sponichi.co.jp. 2019年9月8日閲覧。
  15. ^ 後に柴田大知が平地・障害両GI制覇を達成。障害競走でのグレード制導入前で、中山大障害と、平地GI(1984年のグレード制導入以降)の両方を制した騎手に根本康広小島貞博がいる。根本は中山大障害(春)(現:中山グランドジャンプ1979年)と日本ダービー(1987年)を制覇、小島は1981年の中山大障害春秋連覇と日本ダービー(1992年1995年)を制覇しており、熊沢が目標としていた日本ダービーと中山大障害の両方を制している。
  16. ^ 熊沢 障害最多勝、“大記録”樹立へ意欲 | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年5月14日閲覧。
  17. ^ 数えきれない骨折を経て…20歳のオークス制覇から53歳でも活躍中! 熊沢重文「体が続く限り乗り続けます」(片山良三)”. Number Web - ナンバー. 2021年5月18日閲覧。
  18. ^ 【小倉サマーJ結果】アサクサゲンキが史上14頭目の平地障害両重賞V 熊沢Jは障害最多勝タイの254勝目! | 競馬ニュース”. netkeiba.com. 2021年8月28日閲覧。
  19. ^ 【JRA】熊沢重文騎手が落馬負傷、頚部骨折・肋骨々折の疑い - netkeiba.com 2022年2月26日
  20. ^ 熊沢重文騎手は復帰戦で9着「いろいろありましたけど、この場にいられるというのが幸せです」 - サンスポZBAT! 2023年2月19日
  21. ^ 熊沢重文騎手、1年4カ月ぶりカムバックV 落馬負傷、リハビリ乗り越えた鉄人55歳/阪神4R - 日刊スポーツ 2023年3月6日
  22. ^ 開催競馬場・今日の出来事、明日の取消・変更等(6月3日(土曜)) - 日本中央競馬会 2023年6月3日
  23. ^ 熊沢 重文騎手が引退”. 日本中央競馬会 (2023年10月30日). 2023年10月30日閲覧。
  24. ^ 熊沢重文騎手「トレセンの中の仕事には残りません」 傷めた頸椎が完治せず引退を決意 【競馬】 - 中日スポーツ 2023年10月30日
  25. ^ 熊沢 重文騎手の引退式等の実施 - 日本中央競馬会(JRAニュース)2023年10月30日
  26. ^ 騎手引退の熊沢が京都JSで誘導馬騎乗 今後について「今はまだ迷子に」 - デイリースポーツ online 2023年11月11日

参考文献[編集]

関連項目[編集]