澤井修一

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澤井修一(さわい しゅういち、1911年(明治44年)8月13日 - 2003年(平成15年)12月17日[1])は、日本の銀行家山形しあわせ銀行頭取を歴任。1974年藍綬褒章受章。 

来歴・人物[編集]

庄内藩松ヶ岡開墾に従事した藩士の家系である澤井辰三郎の長男として、山形県鶴岡町(現:鶴岡市)に生まれる。

教職に奉職後、実業界入りし松ヶ岡ガラス工業社長等を歴任。1952年、山形相互銀行に入行。翌年、社長に就任する。

トップ在任時においては、1960年の資金量5000億円達成、荘内銀行との協業によるエスワイコンピューターサービス(SYC)の設立、第1次オンラインシステムの実現等、経営の近代化を推進した[2]。また、安岡正篤に傾倒し生涯教育を実践したほか、山形師範の同期であった長谷川信夫[注 1]らと共に[3]荘内南洲会の設立にも尽力した[4]。また、藍綬褒章を受章したほか、長年の地域経済の振興や教育にも情熱を注いだことから死去後、鶴岡市から市政功労の表彰もされた[5]

子として、きらやか銀行相談役を務める澤井誠介がいる[2]

略歴[編集]

  • 1933年(昭和8年)- 山形師範学校(現:山形大学地域教育文化学部)卒業。
  • 1950年(昭和25年)
    • 1月 - 松ヶ岡ガラス工業社長。 
    • 10月 - 金升酒造取締役。 
    • 12月 - 両羽協同製糸(現:松岡株式会社)取締役。
  • 1951年(昭和26年)- 出羽木材社長。
  • 1952年(昭和27年)- 山形相互銀行入行、取締役。
  • 1953年(昭和28年)- 同社長。
  • 1989年(平成元年)- 普銀転換、山形しあわせ銀行頭取。
  • 1991年(平成3年)- 同会長。
  • 1998年(平成10年)- 同相談役。
  • 2003年(平成15年)- 老衰のため死去[1]

脚注[編集]

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  1. ^ 1912年生 - 1997年没。旧制鶴岡中学、山形師範卒業後、教職を経て安岡正篤が創設した日本農士学校で学び帰郷。酒田に古書店「敬天堂」を開業した。

出典[編集]

  1. ^ a b 『現代物故者事典2003~2005』(日外アソシエーツ、2006年)p.282
  2. ^ a b 『日本金融通信縮刷版 40版 2003年』日本金融通信社、 2004年。
  3. ^ 『西郷隆盛伝説』p.43
  4. ^ “荘内南洲会”. http://www1.ocn.ne.jp/~x48ue66i/data/frame.htm 2014年9月15日閲覧。 
  5. ^ “鶴岡市政功労と特別功績賞 5個人・2団体表彰”. 庄内ニュースフラッシュ. 荘内日報. (2004年9月4日). http://www.e-yamagata.com/newsflash/20040904/index.htm 2013年9月23日閲覧。 [リンク切れ]

参考文献[編集]

関連項目[編集]