源資俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源資俊
時代 鎌倉時代
生誕 寿永元年(1182年[1]
死没 仁治2年(1241年)2月3日[2]
官位 従三位
主君 後鳥羽天皇土御門天皇順徳天皇仲恭天皇後堀河天皇四条天皇
氏族 村上源氏顕房流
父母 父:源家俊、母:河内守源光遠の女
不明
教俊
テンプレートを表示

源 資俊(みなもと の すけとし)は、鎌倉時代の公卿。宮内卿源家俊の息男。非参議従三位

経歴[編集]

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に基づいて記述する。

系譜[編集]

  • 父:源家俊(?-1209)
  • 母:河内守源光遠の女
  • 妻:不詳
    • 男子:源教俊

脚注[編集]

  1. ^ 『尊卑分脈』の記述にある没年と享年から逆算。
  2. ^ 『尊卑分脈』の記述に従う。
  3. ^ 『公卿補任』には元久3年とあるが建久3年(1192年)が正しいのではないか。
  4. ^ 『公卿補任』では建永2年とあるが建仁2年(1202年)が正しいのではないか。
  5. ^ 息男である侍従教俊を少将に申任のため。
  6. ^ 『尊卑分脈』では2月3日に卒去、享年59才とある。

参考文献[編集]