源宛

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源 宛
時代 平安時代中期
生誕 承平3年(933年
死没 天暦7年3月8日953年4月23日
別名 充、箕田源二、箕田源次
官位 武蔵権介
氏族 嵯峨源氏融流
父母 源仕
源満仲の娘
渡辺綱
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源 宛(みなもと の あつる)は、平安時代中期の武士。名はとも表記される。嵯峨源氏左大臣源融の曾孫。

略歴[編集]

承平3年(933年)、武蔵守源仕の子として誕生。

父・仕の任地である武蔵国足立郡箕田村で生まれたことから、箕田源二また箕田源次と号した。子である渡辺綱の生年とされる天暦7年(953年)の3月8日に21歳で死去したとされ、八幡の辺りに葬られたという[1]

今昔物語集』には陸奥守平良文との一騎討ちの逸話がある[2]

系譜[編集]

  • 父:源仕(891-942)
  • 母:不詳
  • 妻:源満仲(多田満仲)の娘

脚注[編集]

  1. ^ 『肥前平戸松浦家譜』
  2. ^ 『今昔物語集』巻25第3「源宛と平良文と合戰ふ語」

出典[編集]